2回目の広島勤務となってしばらく、ちょうどコロナ禍の中、2021年1月に始めた広島新四国八十八ヶ所めぐり。集注して回ったり、一方で数ヶ月のブランクがあったりしたが、ようやく第85番である。どこかの札所を引き継いだのか、廿日市から宮島に向かうところが広島駅近辺に戻り、安養院に向かう。
8月12日、南海トラフ地震臨時情報が続く中、世間は盆休みに入る。朝から真夏日、猛暑日の中、広島駅に向かう。外国人を含めた旅行客の姿も目立ち、みどりの窓口、みどりの券売機にも行列ができている。地図を見ると、目指す安養院は新幹線口から出て、ちょうど新幹線の高架に沿って歩くと到着するようだ。
新幹線の高架橋の向こう、在来線の線路・車両区や広島貨物ターミナル越しにマツダスタジアムが見える。ちょうどこの日はナイターでベイスターズ戦が予定されている。午後になると赤いのをまとった人たちが広島駅周辺に大勢姿を現すことだろう。
新幹線で広島を出発するとすぐ左手に見える「WE♡CARP」の看板。そのちょうど手前に当たるところに「三宝大荒神」の看板と鳥居が見える。本尊は如意輪観音、主尊に三宝大荒神とある。三宝大荒神とは、仏・法・僧という仏教の「三宝」を守護する神である。ここまで歩いてくる途中に荒神陸橋や荒神交差点といった「荒神」の名前があったが、この三宝大荒神からついているのかな。
安養院が開かれたのは江戸時代、浅野氏の広島転封後である。当初は比治山の中腹にあり、頼山陽で知られる頼家の菩提寺ともなったが、明治の神仏分離により、江戸時代から現在地にあった荒神社に移転・合併となった。
こちらの荒神社も江戸時代には浅野氏から所領の寄進を受けるなどの歴史があり、この石鳥居も当時のものだという。ただ明治、大正以後は鉄道の開通にともない境内地が減少し、さらに新幹線の建設工事もあって現在は小ぢんまりした規模となった。
現在は神仏習合の名残ある貴重な存在のようだ。本堂の窓ガラスには仏式、神式それぞれの作法の説明書きが貼られている。
箱に入った朱印をいただき、安養院のお参り終了。これで残すは宮島の3ヶ所となった。最後には弥山への登山が待っているが、さすがに猛暑日が続く8月は控えたほうがよさそうかな・・。
時刻はちょうど昼近く。当初は広島駅まで来たので、駅ビル内の銀座ライオンで生ビールでもいただこうか・・と考えていたが、線路際を歩く間にふと思い立ち、「開かずの踏切」の一つである愛宕踏切を渡り、駅の南側、猿猴橋方面に向かう。
やって来たのは「大衆食堂 源蔵本店」。朝から開業している大衆食堂で、もちろん定食メニューも充実しているのだが、魚料理を中心に朝から飲める店としても知られている。地元の人、東京方面からの観光客グループなどで賑わう中、幸い空席があった。
こちらの名物は1リットル入りの特大ジョッキ。ジョッキに描かれたイラストのモデルは、吞兵衛キャラで知られる赤穂義士の一人・赤垣源蔵であろう。大阪にはこちらも大衆酒場・立ち飲みの赤垣屋がある。史実では下戸だったとされる赤垣源蔵だが、ならばなぜ「忠臣蔵」では呑兵衛として描かれたのだろうか。
高校野球のテレビ中継を観ながらの一献というのも夏ならではである。
そして店の人気メニューの一つである鯛のあらだき。日によっては午前中で売り切れになるという。一緒に煮込んだ豆腐もついてくるお得な一品で、鯛のほうもちゃんと身がほぐれて食べ残しもほとんど出ない。
広島の地酒もいろいろあるが、鯛に合わせるという意味で瀬戸内側、三原の「酔心 橅のしずく」にスイッチ。
その後はサワーもいただき、広島新四国八十八ヶ所めぐりの今回の「直会」はこれで終了。
・・広島駅に向かう。現在南口の大規模な整備工事が続く中、2025年の開業を目指し、広島駅の2階部分に広電の路面電車が乗り入れるための橋桁も掛けられた。稲荷町へのショートカットを含め、まだまだ先の話だと思っていたことがいよいよ現実のものになりそうだ。中国地方の中心都市とはいえ、地域全体の地盤沈下が懸念されている広島、このプロジェクトが完成した後、はたしてどのような魅力を内外に発信することができるだろうか・・・。