まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

きらきらうえつ~羽越紀行・3

2006年06月29日 | 旅行記B・東北

P1010323 酒田駅から羽越線の旅を「きらきらうえつ」で送ることにする。ホームには既に星をあしらった車体が姿を見せており、喜びいさむように車内へ。広く取られた窓にリクライニングシート、中ほどの2号車はラウンジ車両に売店を備えている。

P1010324 全車指定のこの列車、当てられたのが1号車だが、座席の周りを団体が取り囲むような形になったので敬遠し、酒田出発時から2号車のラウンジに陣取る。普通の車両より座高が高く、また窓も広く取られているので展望はよい。

P1010327 酒田の駅を出て、先ほど通った最上川橋梁を渡る。橋の手前では極端に減速し、ソロソロと川を渡る。ちょうど半年前の脱線事故も川面を流れる強風が原因だった可能性が高いということで、JRとして取れる最も安全な策がこの減速ということになる。ふと見ると献花台に多くの花が手向けられていた。

橋梁を過ぎるとぐんとスピードを上げる。まずは最初の「きらきら」どころ、庄内の広大な田園地帯を走る。今は田植えが済んで苗が大きくなるのを待つ時期だが、これが秋になるとこの一帯が黄金色に輝くことになる。まさに「きらきらうえつ」。

P1010329 この秋の恵みを期待しつつ、舌のほうは「米の恵みよありがたや」を味わおうということで、ラウンジ横の売店へ。ここで見つけたのが「銘酒飲み比べセット」。いくつかある銘酒の中から3種類を選ぶもの。そこで、「羽前ノ雪」、「大洋盛」、そして「越乃寒梅」をセレクト。ちょうどこの列車の走る「羽越」にまたがる銘酒揃い。

そうするうちに日本海に出た。ちょうど太陽が西の空におり、海面を照らす。その光が車内にも差し込み、こちらも「きらきらうえつ」。なるほど「きらきら」は日本海と庄内の米どころを指すのだと感心。天候に恵まれた旅である。

P1010331 ただ残念なのは、途中で減速するとか、観光停車するというのがないこと。この手の列車はたいてい単線のローカル線を走ることが多いのだが、この羽越線は一見列車が少ないように見えて貨物列車が数多く走るし、複線区間も入り混じる幹線である。そんなわけで、普通の快速列車並みのスピードで海岸区間を走りぬける。

ラウンジにも団体客がやってきて騒がしくなったので、最後部の展望座席に引っ越す。海側に面してベンチシートがあり、大きな窓を流れる車窓と、女性車掌のきびきびした動作を見ることができる。普通の快速列車並みのスピードとはいうが、普通の列車を利用するのとはまた違った車窓の展開である。旅行記のあちこちにも「乗ってよかった」と記されるのもうなづける。

P1010337 本当は終点まで乗っていたかったのだが、新潟県に入り、山北町は桑川という駅で下車する。名勝笹川流れの遊覧船の最寄駅でもあるが、漁港というよりは、海水浴客目当ての民宿の看板が目立つ小さな町。実はこの旅の宿泊地を決めるにあたって、「海に面した宿」というのがあった。その中で目についたのがこの桑川である。

駅前から海岸線に沿って、宿のほうに歩くことにする・・・(続く)。P1010335

コメント

酒田港の栄華~羽越紀行・2

2006年06月27日 | 旅行記B・東北

P1010305  最上川ラインを下り、余目から酒田に向かう。途中、ガタンと減速する。そういえば・・・ここは最上川橋梁の手前、ふと右手の車窓を見やると喪服姿の集団やテレビカメラの群れが見えた。そういえばここは昨年の冬、特急「いなほ」が脱線した現場。これは今夜の宿で見たニュースで気付いたのだが、あの事故からちょうど半年だったのだ。ゆっくりと最上川橋梁を渡り、酒田の町に入る。

羽越線で何回か通った酒田であるが、改札口を出るのは初めてである。庄内地方随一の町であり、昔からの港町とあって、何か歴史の香りのようなものを感じたかったのが、今回の旅の目的の一つである。

P1010314 港町のこととて、港から離れている駅前は閑散とした雰囲気。中心部まで移動を要する。駅構内の観光案内所でレンタサイクルを扱っており、これにまたがって町並みを走る。たどり着いたのが運河のほとりにある山居倉庫。

P1010306 江戸の頃から庄内平野でとれる質のよい米、そして北前船の寄港地として栄えた酒田の町。明治になり酒田に米穀取引所ができ、その倉庫として建てられたのがこの山居倉庫という。10棟以上連なるこの倉庫、一部は「酒田夢の倶楽」としてギャラリーやショッピングコーナーになったり、また「庄内米歴史資料館」になったりして開放されているが、中ほどの棟は今でも現役の農業倉庫という。一時は酒田をはじめとした地域経済を一手に引き受けていた、現在で言うならさしずめ「酒田証券取引所」とでもいおうか。最上川を下ってきた「おしん」が奉公にやられたのも、酒田のそんな問屋の一つだったという。

P1010310 その「庄内米歴史資料館」に入る。もう、米、こめ、コメ。かつてのコメの町として栄えた酒田の風情や、稲作の一年を紹介したり、女性が米俵をかついでいたり・・・。同じ出羽の国、山形県といっても、盆地の地形で畑作を営んでいた山形地区と、海に開けた平野で大規模な米作りを営んでいた庄内地区では気質も随分違うことであろう。P1010311

この倉庫の裏手には、日よけのケヤキ並木が続く。酒田の町の紹介には必ずといっていいほど取り上げられる撮影スポット。こちらに来て日がさしこみ暑さすら感じるのだが、このケヤキ並木のために実に涼しげに感じる。この日よけが、庄内米を定温で保管するのに役立っているという。

P1010313_1 ここまで来れば炊き立ての庄内米を食べたいな~と思ったが、残念ながら「ごはん」を売っているのをみかけなかった。口の中に唾液を残しつつ、自転車を走らせる。

市役所の向かいにある旧「鐙屋」という商家へ。こちらはこの酒田の港を仕切っていた廻船問屋で、庄内の豊かな米を北海道や大坂へと積み出して利益を上げていたという。この「鐙屋」の繁栄は、井原西鶴の「日本永代蔵」でも取り上げられており、「表口三十間裏行六十五間を、家蔵に立つづけ、台所の有様、目を覚ましける」と、広大な敷地を持ち、大坂、江戸、京の問屋衆との交わりも強かったという。P1010321

現在は縮小され、わずかな部分だけが保存されているが、往年の栄華をしのぶことができる。よく北国の日本海側の歴史となると、雪国のための生活の厳しい部分や「貧しさ」というのがことさら強調されるように思うのだが、実際には米どころを持ち、しっかりと貨幣経済にも順応していた人物もいるものである。

P1010317 いつまでも「何万石」という、江戸時代の殿様と何ら変わらない農業史観ばかり教え、北前船のような経済史を見落とす学校の歴史の時間は何とかならないのかとさえ思う。

本当はこの後で地元の豪商・本間家の旧家や美術館も見たかったのだが、残念ながら時間がなさそうだ。自転車こいで駅に戻る。

ホームで待っていたのが、これから乗る「きらきらうえつ」号である・・・(続く)。

コメント

最上川舟唄~羽越紀行・1

2006年06月26日 | 旅行記B・東北

P1010275 「土日きっぷ」の旅の初日、上野から早朝の山形新幹線「つばさ」に乗車。朝早い便であるが、指定席は満席、自由席には立ち客も出る。

九州はじめ西日本では大雨の被害が出ているようだが、東日本はちょうどこの週末は梅雨前線からは遠ざかっており、雲の間から時折日差しも見える。

福島から「ミニ新幹線」区間となり、板谷峠を越えて山形盆地へ。米沢からは米沢牛使用をうたった「すきやき弁当」に「牛肉どまんなか」の積み込みがあり、事前に予約していた客を中心にさばける。しまった、それなら朝上野で弁当など買うことなかったのに・・・。

ところでこの山形新幹線、ミニ新幹線であるために普通の列車ともすれ違う。「あれ、普通の電車も走るんだ・・」と、後ろの座席にいたおばさんが仲間にそう伝える。新幹線といえば普通コンクリートで特別に仕切られた「フル規格」がイメージされるだけに、逆に驚くのも無理はないか。「やっぱり田舎よねえ・・・」というこのおばさんの言葉には新幹線というものに対するさまざまな含蓄があるように思われる。

山形で半数の客を降ろし、後は減る一方。「今朝摘みたてのさくらんぼはいかがですか~」と車販が回る。そういえばこれからがさくらんぼの出荷真っ盛りである。この後通った山形県内のいたるところでも、さくらんぼ、特に「佐藤錦」がメイン商品として並べられていた。

終点新庄着。ここから陸羽西線、通称最上川ラインに乗り継ぐ。途中の古口で下車。ここは最上川下りの観光船の最寄り駅となっており、半数の乗客や家族連れが「土日きっぷ」を運転手に見せて下車する。

P1010279 船のりばは古口駅から歩いて5分程度。昔の船番所をかたどった武家屋敷風の建物で乗船受付をする。週末のこととて団体客が多いが、飛び込みの一人客でも余席はあるようで、すぐに船が出るという。

桟橋には数艘の船が横付けされており、乗船申し込み時に書いた名前と人数が係の人によって呼ばれ、どの船に乗るか割り当てられるようだ。定員が決まっているだけに組み合わせがあるのだろう。私も名前を呼ばれ、ほかの一人客や数人のグループ客とともに、団体さんのいる船に乗ることになった。

御座船に足を伸ばし、船頭が軽くエンジンをかけて川の中ほどに船を出す。後は流れに任せて進むのみだ。20艘を超える船が稼動しており、下流から回送となって上ってくる船と何回もすれ違う。船の名前は全て「第○○芭蕉丸」。まさに「兄弟船」である。

P1010283流れの中に出ると水面をスーッと涼しげな風が通り抜けるのがわかる。前日まで雨だったせいか水量も多く感じられ、こうして間近でみるとまさに「五月雨を集めて早し最上川」である。列車やクルマなどで上面から眺めるより、こうして水面に近いところでは流れの速さを感じさせる。水の多いとき、深いところでは水深が10メートルを超えるところもあり、水面より水中のほうが流れが速いので、大人でも足元をすくわれるとか。そういうこともあり、この辺りの最上川は遊泳禁止という。

流れは速いが船の旅はのんびりしている。山形弁まるだしの船頭のユーモラスなガイドに、乗っている人たちの心もなごむ。この最上川ライン下り、船頭のガイドも有名なアイテムの一つ。P1010294

P1010293 途中、川の対岸にある休憩所に立ち寄る。かつては人も住んでいた対岸であるが、急流の向こう側というその不便さからかいつしか廃村になったという。そこをこの船会社が買い取って、休憩所・売店のほかに散策コースなどを整備したとか。船の上から食べ物や飲み物の注文ができるとのことで、私も鮎の塩焼きを所望。天然ものの解禁は7月1日というが、川の船の上で川魚を味わうのもぜいたくな心持ち。

P1010291 船が下るうちに、これも名物、ガイド船頭による唄の披露。「真室川音頭」、「おしんの子守唄」(そうそう、あの「おしん」も、この川を下って酒田に奉公に出たという話である。その時には最上川でロケを行い、船頭役で実際にこの船会社の別の船頭が出演したらしい。もっともオンエアーでは「後姿だけで顔が出なかった」とかで、以後NHKの仕事はやらないと言ったとか・・・・船頭談)、そして最後は「最上川舟唄」である。

ヨーイサノマカショ
エンヤーコラマカーセ
エーエンヤーエー ヤーエー
エーエンヤーエード
ヨーイサノマカショ
エンヤーコラマカーセ・・・

民謡独特の抑揚で歌詞の意味などないのだが、この流れに実にマッチした節回しである。最上川の下流には、日本海の物流の拠点のある酒田がある。この酒田から北海道へ、そして「江差追分」の源流となったという説もある。

1時間の川くだりがあっという間に過ぎたような気がする。川を船で下るという異体験と、船頭のガイドのなせる技か。

P1010287 復路は路線バスで、川に並行する国道をさかのぼって元の船番所に戻る。バスの窓越しに何層もの川下り船を見下ろす。スピード感あった川下り船も、こうして国道を快走するバスから見れば実にのんびりしているように見える。視角による印象の変化というのはあるのだなあ。これからも鉄道やクルマの旅で数多くの河川と接することが多いだろうが、一つ河川の見方というのが変わったような気がする。

古口駅に戻り、再び鉄道の人となる。またしても最上川沿いにのんびり走る気動車。しかしそれでも先ほどのバスより速く感じられ、あっという間に川下りの区間を走り抜ける。鈍行とはいえ、これが鉄道の底力か。

P1010277 川下りの区間を終えると庄内平野に出る。米どころ庄内を支えているのもこの最上川だ。この後は、この川の河口で栄えた町・酒田に出ることにする・・・・。(続く)

コメント

羽前・越後紀行

2006年06月25日 | 旅行記B・東北

6月24~25日の週末に、JR東日本の発行する「土日きっぷ」で、羽前・越後方面をぐるりと回ってきた。

このきっぷ、首都圏、甲信越、南東北のJR東日本線が新幹線・特急の自由席を含めて乗り放題、また指定席も4回まで利用OKだ。18000円という値段も手ごろで、東京から単純に仙台や新潟まで新幹線で往復しただけでもモトが取れてしまう。

今回の大きな目的は羽越線を走るジョイフルトレイン「きらきらうえつ」に乗ること、日本海側の町並みを回ること、そして新潟県内のJRの未乗車区間に乗ることを柱として、その中で前後の行程や宿泊地を決めた。

これからまたしばらくの間は、まつなる的旅行記におつきあいください・・・。

コメント

W杯予選敗退

2006年06月23日 | ブログ

日本中を熱狂させたW杯の予選リーグ。結局ブラジル戦も1対4と実力どおりの順当な結果で敗れ、これで0勝2敗1分の最下位。まあ、世界の彼我の実力を見ればこれも順当な結果でしょう。

3試合で得点が2。攻撃陣って、何やってたんだろうね。個々の選手は欧州リーグで活躍している(といっても、メジャーリーグにおける日本人選手の活躍に比べればさほどでもないのでしょうが)とはいっても、チームとしての力、まとまりに欠けていたということかな。

次の4年後のW杯となると、今の主力選手もそろそろピークを過ぎる時期。若手選手の実力の底上げがないと、また同じことが繰り返される。その際、マスコミも決して日本選手を過大評価するのではなく、世界のレベルから見た公平な視線で見てほしい。本当のところを伝えてほしい。

なんだか梅雨空とあいまって、列島全体が疲れてしまった感じがする。早く夏のスカッとした青空が来てほしいものだ・・・。

コメント

「日本廃線鉄道紀行」

2006年06月21日 | ブログ

鉄道趣味のジャンルのひとつとして今やすっかり定番化した感のある「廃線紀行」。

これも、懐かしさを求めてのことだろうか。

「近代化遺産」「産業考古学」という言葉にもあるように、明治以降の、歴史としては100年余り、ちょうど現代に直接的につながりを持つ年代の遺物たち。まして、鉄道廃線跡として現在その姿を少しでもとどめているのは、ここ10~20年、せいぜいさかのぼって30年前の廃線たちである。

「廃線紀行」をテーマにした書籍は数多くあるが、その中の一つとして本書が挙げられる。大倉乾吾著、文春文庫プラス版。

16766066 著者自身が写真家ということで、写真をメインとした構成になっている。本人の嗜好からか、あるいは廃線跡自体が多いからか、北海道と九州がメインである。草に覆われたその向こうに今もひっそりとたたずむプラットホームの姿、見え隠れする、すっかりさび付いた線路、途中まで工事がなされたものの結局鉄道の走ることのなかった高架橋などの表情がふんだんに収められている。また本文中の写真は全てモノクロで、それだけに「あの頃」の表情が伝わってくるようだ。

また、西国出身ということもあり、コメントの端々に関西弁のノリが入ってくる。このあたりも、堅苦しい文体の印象もなく、著者の素直な感情が表れている。今はすっかり影も形もなくなったと思われた鉄路の姿がまだとどめられていることへの素直な喜びというのかな。

それにしても北海道の原野と鉄路・・・合ってますなあ。今やこれらのローカル線というのはほとんど姿を消してしまったが、雄大な風景の魅力が損なわれることはない。またゆっくり、回ってみたいもの。

その中でも印象に残ったのが、旧士幌線のダム湖の底に沈んでしまった「タウシュベツ川橋梁」。年の半分以上がダムの水面下に沈んでいるとのことだが、それだけに、ダムの水が引いてその姿を現すと、見るものを実にうならせるという。著者の感想「ローマ時代の水道橋そのもの」。

廃線訪問は郷土史探訪としても奥の深いものという。北海道だけでなく、大都市の近郊にも近代化・高度成長下で埋もれていったものもたくさんあるのだが・・・。

私もこういう深みのある旅をこれからもしたいものである。

コメント (1)

審理差し戻しってのは・・・

2006年06月20日 | ブログ

1999年に山口県光市で起きた母子殺害事件の上告審で、最高裁はニ審の無期懲役の判決を破棄し、審理を高裁に「差し戻し」たという。これで当時18歳の犯人の死刑の可能性が高くなったが、その結果を聞いて遺族のご主人は「最高裁自ら判決を下してほしかった」と残念がっているそうだ。

これって、差し戻しといえば聞こえはいいかもしれないが、最高裁が自らの判断を避け、責任を逃れようとしているようにしか見えない。最高裁が自ら「死刑」の判決を下すと、「当時18歳という年齢を考慮すれば死刑はやりすぎではないか。これが悪しき判例として残ってしまう」とのたまう一部死刑廃止派の皆様方の反発をくらうとでも思ったのだろうか。

そういえば、胡散臭い死刑廃止論者の弁護士が少年にはついてましたね。ことのついでにそやつの首もはねたらどうですかな。弁護士ってカネ目当てならどんな商売でもやるという典型じゃないですか。あんな常識外れの論理を繰り広げて、おっさん、ナンボ少年からもらったんや。

司法ってのは、そういうもんですかね。

よく「司法権の独立」なんて言葉がありますが、あれって法律を杓子定規にしか解釈できない連中のためにある言葉でしょう。

大切なのは、その事件の本質であったり、「18歳やから死刑なんてならへんのや。あいつ真面目に訴えてるけどアホとちゃうか」と遺族のご主人を批判した少年の心の中をどう裁くかということだろう。これは年齢がどうとかで決まるものではない。

正直、遺族の気持ちの上を察するならば、裁判初期のころにご主人がいっていた「即刻拘置所から出してほしい。私がこの手で殺す」という判決がベストではないですかな。

とはいえ「法治国家」だから限界はあるのだが・・・・。

この事件をモチーフにした映画も制作されると聞く。単に一人の少年が生きるか死ぬかという問題ではなく、法の精神とか、裁判のあり方についても問う作品という。完成が楽しみである。

コメント

所詮こんなもの

2006年06月19日 | ブログ

昨夜行われたサッカーW杯のクロアチア戦。

どうせ朝になれば他のニュースそっちのけで大々的に報道されるのだからと、眠気が強かったこともあり観戦せずに早々に眠った。

結果的にはこれでよかった。

「絶対に勝たなければならない」といわれていたはずの試合で、「勝てなかった」のだから。「引き分け」は自力での決勝トーナメント進出の望みが絶たれたわけだし、「敗戦」に等しい扱いではなかったのか?

マスコミは「ブラジル戦に2点差以上つけて勝てば、決勝進出の望みがあります」と言っているが、その前に豪州が勝てばそれで終わりでしょ?所詮こんなもんではないか。

いい加減、おとなしくしてもらいたいものだ。

コメント (1)

江戸東京博物館

2006年06月18日 | まち歩き

17日の土曜日、総武線方面に出る所用があり、その帰りに両国にある江戸東京博物館に行ってみた。ここには以前にも訪ねたことがあるのだが、東京に住んでから来るのは初めて。

20066_001 両国国技館を後ろから見下ろすように建っているのだが、高層階の楼閣へと長々とエスカレーターが続く。この構造は結構不評のようだが・・・・。

見学フロアに出る。日本橋を渡ると江戸ワールドへご招待されるという趣向である。

20066_005 この博物館の「売り」は、展示に模型や体験コーナーを数多く用いており、感覚的にタイムスリップできることだろう。棟割長屋の実物大模型があったり、越後屋がのれんを開けていたり、両国の花火大会の賑わいを模型で再現してみたり。私はこういう模型を見るのが好きで、思わず見入ってしまう。子どもの頃、友達がガンダムとかスポーツカーなどのプラモデルをたくさん集めている中で、私は城郭とか、そば屋とかの箱庭ものを造っていたことがある。もちろん今は全部捨ててしまったのだが、今でも博物館などで模型を見るのは楽しい。20066_017

20066_004 見学客も、難しい史料や細かな説明文のところは軽く飛ばして(そりゃ、中にはひとつひとつをじっくり見ていた人も多いが)、模型の造りに感心している人が多い。これは子どもでも親しみやすかったり、あるいは外国人見学客が多いことにもよるのだろう。これらの前ではフラッシュつきの記念撮影もOKで、私も外国人カップルにシャッター押しを頼まれたりした。

20066_030 日本橋の下をくぐって今度は明治以降の東京ゾーン。江戸ゾーンも日本文化の粋のような面もあって面白いのだが、ここからは今はやりの「懐かしさ」のムードが漂う。そういえば舞台は戦後の東京だが「三丁目の夕日」という映画もあったな。時間ができたらDVDを借りてみるか。

20066_035_1 特別展示で「森永ミルクキャラメル」の展示があった。今も変わらない箱入りのおやつ。菓子の宣伝や広告というテーマでの紹介であったが、これも「懐かしさ」を感じさせる一品。

私がドキッとしたのが、日中戦争の前夜といえる時代のポスター。左手にはグラスを持つ女性を描いた「サクラビール」のポスター。今でもビール各社にキャンギャルがいて、居酒屋でビールを飲むときの目の楽しみだが、そのはしりか。まあこれはよいとしてその横に「享楽廃止」の貼り紙。昭和初期のモダンなムードと、その影で密かに忍び寄る戦争の足音。それが入り混じる時代背景を感じさせた。20066_039

20066_042 この博物館は戦後、街頭テレビや「三種の神器」、そして東京五輪のあたりで展示は終わる。現在の高層ビルが立ち並ぶ東京の光景や、21世紀の未来都市の予想図なんてのは出てこない。これらは現在進行形のことで現物を見ていただこうということか。まあ、両国を訪れるような見学客相手では、そうなるだろうし、そういう展示がふさわしい。20066_045

両国といえば博物館と国技館だけで、逆に界隈と歩いたことがない。また時間があれば下町風情を訪ねてみるのもいいだろう。20066_020

コメント

六ヶ所村日本原燃訴訟

2006年06月16日 | ブログ

青森県六ヶ所村の日本原燃の低レベル放射性廃棄物処理センターの操業は違法であるとして、運転停止を求めて起こされた裁判の判決があり、原告が全面敗訴したという。このほかにも、他の放射性廃棄物処理(リサイクル)関連の施設の操業をめぐった裁判もいくつか係争中であるが、いずれも住民の訴えが退けられている結果となっている。

またこういう話もあるそうだ。六ヶ所村の村長選挙が間もなく告示されるが、これまで村長選挙には決まって候補者を立ててきた反対派住民が、今回は候補者が立てられず苦慮しており、現職村長が無投票で当選する可能性が高いという。

実際には反対派の草の根の活動は全国各地で行われているのだろうが、現実として施設は稼動しているし、大多数の国民が何となく原子力施設、核燃料のリサイクルについても受け入れているというのが実情であろう。特に原子力関係の施設を持つ地域はほぼ共通して雇用問題、財政問題に苦慮しており、背に腹は変えられず施設を受け入れ、またそれに関連した職に就いている人が住民の中にも増えているという現実が大きい。

20065_367_1 私も先日六ヶ所村を訪れることがあったが、過疎の村であるという印象と、最近できた大型マンション(社宅?)やショッピングセンターなど、都市郊外の町のような印象の両面を受けたものである。PRセンターでしきりに放射性物質のリサイクルの利点について見学者に説くコンパニオンと、その辺りの草むらから急に鎌を持って襲いかかってきそうな反対派住民の対照性。本州の北の端で今も繰り広げられる「闘争」である。

ただ、違法ではないと判決が下っても、「100%安全」というお墨付きをもらったわけではない。ひとつ間違えば大事故にもつながり、そうなれば日本のエネルギー問題は深刻な局面を迎えてしまう。事故をゼロにする、また環境への負荷をいかに減らすか、このことをもっと研究し、広く社会への理解を求める努力は必要であろう。

どんな形がベストなのか、もっと国民的な議論が求められていると思う。

コメント

交流戦プチ観戦~巨人対オリックス

2006年06月15日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

梅雨の最中ということで東京もどんよりした天気。気温はそれほど高くないのだが、蒸し暑さを感じさせる。

昼間仕事をしていたら、別のフロアに席を置くK氏からの電話。「今日、東京ドームのチケット持ってるんだけど、行かない?」

ちょうど東京ドームでは巨人対オリックス戦が行われる。キャリアの長いG党のK氏ではあるが、私をバファローズ・ファンと知ってのあえてのお誘いである。普段の仕事ではなかなか段取りがつかないものだが、こういうお誘いとなるとすぐに時間調整をやってしまうのだから、サラリーマンとしてはいかがなものかと思うが・・・。

仕事が引けたとはいえ何だかんだで会社を出たのが19時前。出発前に試合経過をチェックしたら、4回表を終わり0対0。オリックス・川越、巨人・高橋尚の投げ合いで結構テンポよく試合が進んでいるようだ。

それが、地下鉄を乗り継いで後楽園に向けて移動している最中に巨人がイ・スンヨプやニ岡のHRで得点を重ね、6対1とリード。ちょうどドームに着いて食料を買い求める間に早くも7回表。スタンドにはバファローズの応援ソング「SKY」が流れていた。3塁ベンチの上部の指定席に陣取る。

Pic_0133_1  東京ドームそのものには日本ハム戦や、オリックスの主催試合などで来たことはこれまでにもあるが、巨人戦は初めてである。サッカーW杯の最中だ、巨人も8連敗中だと何だかんだいってもやはり客の入りはいいし、ライトスタンドの熱烈なG党の応援もボリューム大きいし、やはり日本のプロ野球はまだまだ「巨人戦」なのである。

そんなG党の声援に押されて、7回にイ・スンヨプがこの日2本目、リーグトップの21号を放つ。打った瞬間にそれとわかる打球に観客も総立ち。これで8対1、勝負はもはや決した。

片やオリックス打線。久しぶりに登場の中村ノリのナマの姿も見られたが、この日は巨人投手陣に押さえ込まれた。・・・となると、勝負は決したとして、あの選手を見たい・・・。

そう、清原である。

この辺りは周りに陣取ったG党のみなさんもそうだし、時折見える「KIYOHARA」のレプリカユニフォームのファン(この人たちはバファローズファンではなく、清原ファンだろうな)の期待も膨らむ。

ただ、点差がついているせいか、あるいは最初からそういう予定がなかったのか、バファローズ中村監督は清原を出さない。8回の代打攻勢時も、相川、グラボースキー(何でコイツやねん?)というメンツだったし。

そして9回表。

バファローズのバッターが打席に向かうその都度、ライトスタンドの辺りから始まって徐々に内野スタンドのファンも含めて全体が「清原」コール。確かに清原をお目当てに来たファンも多いことだろう。その中で打席に立つ水口やブランボーも、打ちにくかっただろうなあ・・・。いろいろな試合を観ているが、こういうコールに場内が包まれるのも実に異様な雰囲気に感じた。K氏も、「ここで清原出さなきゃお客は喜ばないね」と、見せ場に期待をしていたのだが。

しかし、満場のファンのコールも空しく?結局清原が登場することはなく、8対1のまま巨人が連敗脱出。試合時間も3時間を切るペースで、実際に試合を観たのは終盤の3回のみと、せっかく良い席で観戦する機会だったのにちょっともったいなかったかな。やはり平日の試合観戦はこうなってしまう。「すぐ終わってちょっと消化不良かな・・・」というK氏。

でもまあ、これでバファローズの交流戦で在京セ3球団の球場を3つとも回ることができた。成績の面はおいておくとして、自分では満足。

交流戦も残りわずか。ちょうどサッカーW杯とかぶってしまい注目度は低いが、ベストプレーというものを各球団とも残り試合で見せてほしいものである。

コメント

W杯初戦から一夜明けて・・・

2006年06月13日 | ブログ

昨夜のサッカーW杯、日本対オーストラリア戦。結局ラジオをつけっぱなしにしたまま寝てしまい、気がつけば夜中の3時。ラジオと照明を消してまた寝たものである。

そして朝起きてテレビをひねると、もうどのチャンネルも(国営教育放送を除けば)日本が負けたことをあたかもこの世の終わりであるかのように次々と報道していた。終盤に来ての逆転負けだから、なおのことショックが大きかったのかな。

それにしても、通常なら世間一般の出来事を報道するはずのニュースの時間でもこの試合のことを繰り返し報道したり(1時間の間に同じ映像が何回流れたことか。工夫のなさを嘆く)、恐らく世間でどんな凶悪犯罪や企業の不祥事があったとしても全く報道されなかったであろう勢いである。

こういうのを見ると、普段サッカーに興味のない人間からすると、かえって痛快にすら思えるのである。ざまあ見やがれっての?あんだけ前評判で持ち上げておいて、所詮実力はこんなもの。豪州との実力の差は選手自身が一番よくわかっていたのだろうが、それを口にすることを許さない日本のマスコミ。

これって、太平洋戦争の時なんかと似てやしないか?

片や、サッカーの盛り上がりに比してマイナースポーツの象徴となった日本のプロ野球。その惨憺たる興行の象徴として唯一ニュースで取り上げられたのがこの光景。横浜スタジアムの横浜対オリックス戦である。

2006061204501683jijpspoview001_1  前日の日曜日の試合が雨天中止になったために予備日として組み入れられたこの試合。低空飛行を続けるチーム同士の試合ということもあり、観客が5000人を割ったとか。

でも、5000人近く入ったのは確かでしょ?実人数で発表するようになったわけだから・・・。これって、往年のパ・リーグの閑古鳥が鳴いている風景を見慣れている人間から見れば「横浜で5000人は少ないけど、野球の観衆ってこんなもんじゃないの?」という気もする。それこそ1軍の試合でも実人数1000人とか、外野スタンドの観客の数が数えられるとか、そんな試合がザラにあったし。

正直、こういうガラガラのスタンドのムード、嫌いではない。

しかし、あえてこの日に球場に足を運んだ皆さんは素晴らしいなあ・・・まあ、サッカーの試合が22時開始だったから、横浜近辺の人はナイター観戦後さっさと帰宅するか、応援スポットに移動して観戦したことだろうけどね。

さて、サッカーの日本代表の決勝トーナメント進出の可能性は4%という数字が出ているようだが、明日以降のマスコミも連日、いろんなゲンかつぎの中から少しでもこの数字を上げようと躍起になるのだろう。一時の日本テレビが巨人の優勝の可能性を最後まで追いかけていたように。

誰か一人くらい、冷静に彼我の戦力を分析して、「今の実力では決勝トーナメントはおろか、予選でも1勝もできませんよ」とズバッといえる評論家はいないのかな。サッカーの評論家こそ、一時の巨人の「御用評論家」以上の偏りだろうな・・・・。

コメント (2)

いよいよ日本代表初戦

2006年06月12日 | ブログ

ついにと言おうか、やっとと言おうか、サッカーW杯、日本代表の登場である。この記事も「ラジオ」を聴きながら書いてます。やはりサッカーに対するマスコミの取り上げ方を見ると、野球のWBCなんてのは所詮町内野球大会くらいの扱いでしかないのが感じられる。やはり野球は地球規模で見ればマイナースポーツなのね。サッカーのW杯のメジャー性から見れば、あのイチローだって所詮はマイナースポーツで多少他の選手より棒の扱いがいいだけの選手にしか見えなくなる。

出場3回目ということで、「慣れ」のためか列島が狂喜乱舞・・・とまでは行かないにせよ、それでも世間の話題はこのところW杯一色である。「今日はどんな不祥事を起こしても、W杯期間中だからマスコミにはほとんど取り上げられないよ」という冗談も社内でも飛び交っていた(いや、だからといって不祥事を起こしているというわけではありませんが)。

確かにW杯は世界的なお祭りであるし、世間の話題がサッカー中心になるのも仕方ないだろう。ただ、選手たちがボールを追いかけている間にも世間ではさまざまな事件や社会の動きというのがあるのであって、それらもきちんと伝える必要があると思う。こういう時には公平を期する国営・・もとい公共放送の出番ではないのかと思うが、ここ数年、民放よりもこの公共放送のほうが、五輪だW杯だとなると冷静さを見失ってイベント一辺倒の報道を行う傾向が顕著なのだから、日本には真の公平な報道を求めるというのはどだい無理というもの。

私自身それほどサッカーに興味があるわけではないので、ここしばらくはこういう状態に身を置かねばならないのだなあ・・・。まあ、そのことはどうこう言わない。

それに対して、祭りの外側でも楽しめる空間、エンタテイメントというものの乏しさを感じるのである・・・・。

コメント

交流戦観戦~横浜対オリックス

2006年06月10日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

20065_107 先週の神宮球場に引き続き、オリックス交流戦の観戦である。今日10日の舞台は横浜スタジアム。この球場に来るのも初めてである。JRの関内駅の目の前と、球場へのアクセスは申し分ない。照明塔ではハマの番長がリーゼント姿でお出迎えである。20065_103

レフトスタンドの自由席に陣取る。外野スタンドの左中間の真ん中部分が指定席で、ポール際とバックスクリーン寄りが自由席というつくり。しかし、外野席にも背もたれがついており、やや高めの位置から見下ろすスタンドは思っていたよりグラウンド全体が見やすい。また内野スタンドはネットが取り除かれ、練習を終えた選手たちに気軽にサインを求め、選手もそれに応じる光景が見られる。ネットやフェンス関係を低くしたり外したりというのと、「スアジアムDJ」の設置が、オリックスの神戸球場を皮切りとして今やほとんどの球場に広がっているが、ここ横浜も「ボールパーク」目指してあの手この手の演出を施している。

前日の試合では終盤まで5対0とリードしながら、先週完封勝ちした平野佳がまさかの大崩れ、そして延長サヨナラ本塁打という、先週の観戦記の記事にも同じようなことを書いたような気がする展開。それだけリリーフ陣がアテにならないのが今のチーム状態。

20065_117 となると先発投手が大きな役割を担うのだが、今日の先発はオバミュラー(写真のオバはん・・もといおっちゃん)。また、打線も故障のガルシアに代わり、いまだ1軍ノーヒットのグラボースキーをスタメンにいれざるを得ないところ。1回表に併殺崩れで先制したものの、レフトスタンドに陣取ったファンの間からは試合前から「大丈夫か?」という不安感が・・・。

その予感は見事的中。何も横浜のトップバッター・石井琢朗の出場テーマが「以心伝心」だったからではないが・・・。石井、小池の連打の後、金城の送りバントもうまく転がされヒットになり、いきなり無死満塁。ここで昨夜サヨナラHRを放った村田がきっちり2点タイムリー。おまけに守備の乱れや犠牲フライなどで打者一巡、4点を奪われる。2回表に谷のタイムリーで1点返し4対2とするも、2回の裏も1回の画面をそのまま見ているかのように同じような展開で2点追加され、序盤で6対2。ここでオバミュラーは早々と降板。

20065_120 その後、水口、相川に一発が出たり、また安打数では横浜を上回る攻撃を見せるのだが、7対4のまま、肝心なところでもう一本が出ない。もう一人の心配の種・グラボースキーも案の定で、打率0割のまま途中で代打を送られる始末。オバミュラー、グラボースキー、果たしてこの後日本で目にする機会があるかな?

さて、今日の4番は清原が故障を押しての出場。その清原の今日の唯一の見せ場は9回の表、相手投手がクルーンという場面。前回の対戦ではクルーンから逆転満塁サヨナラHRという劇的なところだったのだが・・・。

ただ今日はクルーンにも意地があった。そして渾身のストレートが何と161kmを計測!スタンドからは大きなどよめき。そして次の1球・・・これも160km!最後は140km後半の「スピードの遅い速球」で空振り三振、ゲームセット。清原も男なら、クルーンにだってプロの意地がある。試合はバファローズファンとしては完敗残念だが、クルーン対清原の勝負というのはまた見てみたいものである。そして、横浜スタジアムにもまた来たい。

20065_124 ちなみにクルーンが前回161kmを出したのは甲子園球場。試合後のお立ち台では「大好きなヨコハマのファンの目の前で最高速が出せてうれしい」とコメントしていた。

コメント

新・東京23区物語

2006年06月08日 | ブログ

早いもので転勤で東京に来てから1年が経った。この間、東京というところのあちらこちらを電車で訪れたり町を歩いたりしたつもりであるが、それでもまだまだ知らないスポットが多いものである。東京の北東部に住んでいると、やはりその対極にある南西部というのがまだまだなじみ薄く感じるものである。

泉麻人著『新・東京23区物語』(新潮文庫版)。

410107626x09_1  東京をくまなく歩いたり、バスで田舎町を訪ねたり、とにかくディープなウォーカーとしても知られる泉麻人の一冊である。「新」と着くからには元祖があったわけだが、その頃との街並の変化をも踏まえたのがこの「新」である。

23区それぞれの章に分け、それぞれの区の特徴や人々の生態について相変わらずの深い観察である。東京に来て1年経ち、書店で見かけたこの一冊を「あそこはそういう由来のある町だったのか、へぇ~」とか「言われてみれば○○区の雰囲気ってそんな感じやの~」とうなずきながら読み進めた。

よく「東京の文化は画一的で個性がない」という言い方をする人がいる。確かにそんな一面もあるだろう。しかし著者の観察力はそんな中でも区(エリア)ごとの個性をくっきりとさせる。実に多様な文化を持つ都市であることを実感させる。ここ数年の変化に対する昔の風情を惜しむ記述も多数。

この一冊、旅行などで東京に来るという人が読むよりも、東京に住むようになって、多少は23区の位置関係なりがわかるようになったくらいで手にするのがよいと思う。細部の描写の面白さは、そういう背景が頭に入っていたほうがよく伝わる。

ただ残念なのが、記述の量や細かさが「西高東低」というところ。港区や世田谷や渋谷あたりに比べて、東部の足立、葛飾、江戸川、北区あたりの章は「手抜き?」と思うほどページ数も少なくなる。それだけ形になるスポットや魅力が少ないわけだが、もう少し掘り下げてほしかったかな・・・。

コメント