9月9日、青島神社の参拝の後、宮崎交通バスにて国道220号線を南下し、鵜戸神宮のバス停に到着。ここで下車する人も何人かいた。バス停から神宮までは徒歩10~15分とあるが、次の日南・飫肥行きのバス最終便は17時07分発で1時間半ほどある。特段慌てることもない。
石段を上がり、トンネルをくぐり参道をそのまま進む。バスで来るとこうしたルートとなるが、クルマだと神宮のすぐ近くに駐車場があるそうだ。
そして海べりに出る。まず神門をくぐる。令和5年はうさぎ年、鵜戸神宮の使いはうさぎとある。
続いて楼門に出る。「国指定名勝 鵜戸」の石標もある。神宮とつかず単に「鵜戸」とだけ書かれているのは何か意味があるのだろうか。
海べりの参道を歩く。こうした景色を楽しみにしていた。南国らしい景色。
参道に、灯籠とともにうさぎの像が奉納されている。神話の世界でうさぎといえば、因幡の白うさぎ。大国主命の物語もあって出雲大社の境内のあちこちにうさぎの像が並ぶが、鵜戸神宮にもそうした歴史があるのだろうか。
鵜戸神宮が創建された年代は不明だが、古来から海洋信仰の地とされていた。神社名の「ウド」とは空洞の「ウロ」に通じているのと、祭神の鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の「ウ」から「卯年」が連想され、そしてうさぎがお使いとなったそうだ。特に物語があるわけではないが、「鵜」だからといって参道に鳥の「鵜」の像を並べても仕方ないだろう。
その鸕鶿草葺不合尊は、青島神社の祭神である彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと=山幸彦)と豊玉姫の間の子で、後の神武天皇の父である。現在の本殿がある場所は豊玉姫がお産のための産屋が建てられた場所とされている。その縁で崇神天皇の頃に開かれたとされ、後に社殿が建てられた。平安時代には別当寺院が建てられ、修験道の修行の場ともなった。神仏習合の仁王護国寺が設けられ、当初は天台宗、後に真言宗の官吏となった。「西の高野」とも呼ばれていたそうだ。江戸時代には飫肥藩の保護を受けていたが、明治の神仏分離、廃仏毀釈によりそうしたものはことごとく廃された。
前回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりで宮崎市内の第37番・香泉寺を訪ねた時、「宮崎は神社が多く寺がほとんどないイメージだが、鵜戸神宮は実は長く真言宗が管理していたのですよ」と教えていただいたのを思い起こす。
目の前には長年の浸食により形成されたさまざまな奇岩が並ぶ。先ほど「国指定名勝 鵜戸」とあったのは、この海岸の景色を指している。
その前にあるのは広島東洋カープの必勝祈願で奉納された絵馬。ここはカープのキャンプ地である日南。カープ坊やの両脇には新井監督、大瀬良のサインが並ぶ。今季、1年目の新井監督の下、7月に一時首位に立つなど戦前の予想をくつがえす好位置につけていたが、その後はタイガースが勝ち星を伸ばすのを前に失速。ちょうどこの日(9月9日)、3連戦3連勝すればかすかに逆転の望みもあったタイガースとの直接対戦が行われていたが、タイガーズの前に完敗・・。このブログ記事を書いている時点(9月29日)ではカープのクライマックスシリーズ出場は決まり、あとは2位になれるかどうかだったが・・。
洞窟の中には他の祠や、なでうさぎ像などもあり、日向灘の景色とも相まってある種のパワースポットとして訪ねる人も多いようだ。私も、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりで宮崎を訪ねる時は、初めてとなる鵜戸神宮にはぜひ来てみようと思っていたので、今回の行程の中で大きなポイントだった。
鵜戸神宮では「運玉」というのに挑戦。海岸を見下ろすと亀のような形をした岩があり、その背中には注連縄で囲まれたくぼみがある。そのくぼみに「運玉」が入れば、また入らなくても注連縄の内側の岩に「運玉」が当たれば願いが叶うとされている。男性は左手、女性は右手で投げるようにとあるが、どういう根拠があるのだろうか。右利きの人が多いことを前提として、あえて困難に挑ませようということか。かくいう私、右手でも怪しいのに左手となるとなおのことで、まったくコントロールができなかった・・。
境内でしばらく日向灘の風に吹かれ、また土産物など買い求めながら時間を過ごす。バスの時間に余裕を持ってバス停・駐車場に着く。先に宮崎行きのバスが到着し、先ほどのバスで来た参詣者はそのバスで折り返す。
さて私、17時07分発の最終バスに乗車。しばらく海岸沿いに走り、日南の中心部に向かう。
ロータリーには日南線の油津駅があるが、何と駅舎の壁は赤。そしてカープのロゴマークとカープ坊やがあしらわれている。通称「カープ油津駅」という。カープがリーグ3連覇を果たした2018年に駅舎の外観が赤く塗られ、2022年にリニューアルされたという。
この日はこの油津で1泊である。そのお宿は駅からすぐの商店街の中にあって・・・。