まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

ブログ開設丸10年となりました

2016年03月31日 | ブログ
「まつなる的雑文」をご覧いただき、ありがとうございます。

2006年4月に、今の形でのブログを開設して、ちょうど丸10年となりました。

これまで自分でもよく続いているなと思います。一時はTwitterやFacebookのアカウントも持っていたのですが結局長続きせず、今は発信ツールはブログ一本でさせていただいています。

いくつかテーマがある中で、日常のこと、野球のこと、そして旅行記の締める割合が多いです。もっとも、日常のことでは読書ネタが減ったり、旅行記も北海道や東北が遠方でなかなか行けなくなったり・・・と減ったものもあります。ただ一方では西国、新西国の札所巡りが増えたりと、10年の中で自分の興味が強い対象、出かける行き先の移り変わりが表れているのかな、と思います。たまに、自分で昔の記事を振り返ることがありますが、「当時はこんなことを考えていたのか」「昔はもう少し素直に旅先でも感動していたなあ」などと思うことがあります。それに比べれば、最近は冷めていないか、マンネリになっていないかと感じることもあります。

有名人のブログではありませんし、また世間ではもっと面白く、ためになる記事を発信している方もたくさんいらっしゃいます。そうした方々にはとうてい及びませんが、これからも一ブロガーとして、また新たな気持ちで、あるがままを綴っていければと思います。

これからも温かく見守っていただきますよう、どうぞよろしくお願いします。
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今年も、ぜひBCリーグを・・・

2016年03月30日 | プロ野球(独立リーグほか)
先週末NPBプロ野球が開幕し、早速結果に一喜一憂している。

ただ一方で、独立リーグの存在も忘れてはいけない。四国アイランドリーグは4月2日から、そしてBCリゾートは4月9日から公式戦が行われる。

このうち私が注目しているBCリーグだが、今季もどこかで観戦できないかと思う。昨年は、夏休みの旅行で、金沢にて石川対富山、フリオ・フランコ対タフィー・ローズというのやら、西国三十三所めぐりの松尾寺と組み合わせて福井のおおい町に行った。

BCリーグは北陸・信越、そして群馬、福島に球団がある。特に北陸新幹線の開業に便乗して、沿線観光と合わせてもっとPRすればと思ったが、結局そのような動きは見えなかった。タフィー・ローズをはじめとしたNPBで活躍の選手が見られるというだけでは、全国的な注目は難しいだろうか。昨年の育成ドラフトで、武蔵から大量に巨人からの指名を受けたのが、全国的に見れば一番大きなニュースだったかもしれない。

そんなところだが、今年もできれば観戦に行きたい。地理的に近いのが福井なので、福井戦を観る可能性が高いのだが、対戦相手はいろいろ見たい。タフィー・ローズのいる富山もだが、昨年バファローズにいたカラバイヨ、マエストリが入団した群馬も。後は昨年加入の福島、武蔵というチームを見たことがないので、どんなものか。

日本国内の行きたいところを数え上げればキリがないのだが・・・。
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全治1ヶ月で済めばいいが・・・・。

2016年03月28日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
開幕3連戦を終えて、オリックス・バファローズはライオンズ相手に3連敗は免れた。それでも結果はヒヤヒヤもので、出先でモバイルサイトを見ていたが、またコーディエが打たれるのではないかと。

まあ、3連敗は逃れたので、次のファイターズ戦は確実にものにして、5割以上で本拠地開幕を迎えてほしい(逆に連敗しようものなら、昨年同様ズルズル行ってしまいそうだが、今は考えまい)。

その中で、2戦目に先発した近藤大が登録抹消になった。2戦目、わずか3回で降板したことについていろいろ憶測を呼んだが、結果は肩の故障だったとは。

幸い、全治1ヶ月ということで、実戦復帰はもう少しかかるとしても、まだ何とかなりそうな感じでよかった。これなら、本人が憧れているカープの黒田との投げ合いの可能性もまだ残りそうだ。

ただ、当面のローテーション再編が必要ということで、報道に挙がっているのは近藤一、山崎福といったところ。本当なら松葉や吉田一らも加わらなければならないのだが、この辺りの層が伸び悩んでいる。ここがチャンスだと思って出てきてほしい。

今年も少しずつ観戦予定を入れているところで、少しでも長く楽しませてほしい・・・・。
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名松線が6年半ぶりに復旧

2016年03月26日 | ブログ
初回に5点を取って「今日はいけるだろう」と思って外出し、帰宅すると9点取られて、しかもエラーが5つって・・・・。前日の9回逆転サヨナラ負けも痛いが、こうした試合というのもどうかしている。何だか、昨年と同じような展開になっていないか?? 何とか3連敗だけは阻止してほしい。

さて26日は北海道新幹線が開業ということで、朝から一番列車の発車の様子が中継されるなど、盛り上がりを見せていた。他の新幹線と比べて厳しい経営が予想される中、この先にどうつなげていくかが注目される。

そうか、北海道新幹線開業だけでなく、JRグループのダイヤ改正だったな。また時刻表を買わなければ。最近はネットやスマホで時刻表検索もできるが、やはり冊子の時刻表でないと見落としたり、逆に抜け道ルートが見つかったりというのがある。

最寄りのJR西日本では北海道新幹線ほどの大きなニュースはなく、東海道線の摩耶駅、山陽線の東姫路駅の開業というのが目立つくらいだろうか。その中で、今回のダイヤ改正と直接関係するわけではないが、大阪環状線に新型車両「323系」が2016年度から順次投入されるという話題がある。3ドアタイプで、乗降に手間がかかるのではないかという気がするが、環状線に乗り入れている関空快速や大和路快速の3ドアに合わせて、わかりやすくする目的もあるという。昔ながらのオレンジ色の国鉄型車両が見られるのも、あと1~2年ほどのことである。

いろいろある中で私が引かれたのが、「名松線の運転再開」である。名松線は、三重の松阪から伊勢奥津までのいわゆる「盲腸線」であるが(元々は同じ三重の名張まで結ぶ計画があったので、「名松線」)、2009年の台風被害により、途中の家城から伊勢奥津までが運休となっていた。その間は代行バスが走っていたそうだが、代行バスといいつつも実際はマイクロバスとかワゴン車ということもあったとか。元々、利用客が少ない路線である。

こうなると「廃線」ということが現実的である。JR東海もそのように考えていたことだろう。実際、豪雨などで線路が被災し、そのまま廃線となった区間もある。また、東日本大震災で津波の被害を受けた路線の中には、鉄道での復旧をあきらめて「BRT」というバスでの復旧を決めたところもある。それを、6年半という長い間を開けて復旧させたというのは珍しいケースである。何でも地元の人たちの署名や復興運動もあり、JRも地元自治体が治水対策を行うことを条件として復旧させたという。新幹線を中心に潤っているJR東海だからこそできたことなのかな。

このニュースに接して、「行ってみたいところのリスト」に名松線が加わった。名松線自体はこれまで2回乗ったことがあるが(ちなみに2回目に乗ったのは2009年の3月で、その時の記事はこちら)、久しぶりにこうした「ローカル線」に乗ってみたいものである。できればどこか途中下車して・・・というのがいいが、沿線の見どころというのはどこだろうか。まあ、それが見当たらなくても起点の松阪の町歩きと組み合わせてもいい。大阪から日帰りで十分訪れることができる。

「名松線」の名前のとおり、名張と伊勢奥津を結ぶバスも以前はあったように思うが、今はどうなんだろうか・・・・?
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また今年も苦難のシーズンとなるのか・・・・

2016年03月25日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
25日から始まったNPBプロ野球。

その中で、オリックス・バファローズは西武ドームでのライオンズ戦。序盤は金子の好投、ボグセビックのタイムリーなどでいい形での試合運び。新人の吉田正にもヒットが出た。ここに来て評価が急上昇の選手、私も早くナマで見てみたいものである。

7回に同点に追いつかれたものの、9回にモレルにタイムリーが出る。新戦力の活躍で開幕戦勝利か・・・・というところで。

もう一人の新戦力・コーディエが、早速やらかしてしまったようだ。

・・・会社からの帰りということもあり、テレビでの中継は見ていないが、モバイルサイトで試合を追いかけていたところでの結果。開幕戦での逆転サヨナラ負けって、普通の負けより痛い。金子が終盤で同点に追いつかれたのも痛いが、リードしての9回で逆転サヨナラというのはもっと痛い。

まあ、1敗は1敗として割り切れればいいのだが、オープン戦自体の成績も良くなかったこともあり、何だか心配である。これで今年も苦難のシーズンとなってしまうのか。

そこは、第2戦で先発する新人の近藤大で、嫌な流れを断ち切ってほしい。ズルズルと連敗だけはしないように・・・・。
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もうすぐ開幕戦

2016年03月23日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
早いもので25日にはNPB公式戦開幕である。このところの、野球選手の金銭授受に絡むニュースが相次ぐ中であるが、そんな中だからこそ、気持ちの入った試合を繰り広げてほしいものである。

オリックス・バファローズはといえば、西武ドームでのライオンズ戦が開幕。昨年はエース金子の不在もあり、開幕から連敗した。そしてそのまま低空飛行を続けたわけだが、今季はどうだろうか。

開幕一軍の選手が公示された。バファローズに関しては、ここまで大きな故障は安達ということだが、その代わりに遊撃には中島が入り、新人の鈴木昴も守備で開幕一軍を勝ち取った。

新人なら他にはドラフト1位の吉田正が直前のオープン戦で結果を出して一軍に名を連ねたし、投手では赤間が入った。開幕一軍ではないが、ここに、ドラフト2位のパナソニック・近藤大が加わる。2戦目で先発予定だから、実質開幕一軍である。

外国人枠も、投手がディクソン、コーディエ、野手がモレル、ボグセビックという布陣で、結局ブランコが落ちた。これだけ見ても結構新しい顔が並ぶ。

開幕前はこれらの顔ぶれが揃って額面通りの活躍をして・・・と期待するが、そうはいかないのが実際のペナントレース。まあ、結果に一喜一憂しながら、そしてナマで観戦できる時は、場の雰囲気を楽しむとして。秋にはどんな感じになっているかが楽しみである・・・・。
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北海道新幹線開業間近

2016年03月22日 | ブログ
今週の26日に、北海道新幹線の新青森~新函館北斗間が開業する。ついに北海道にも新幹線ということで、旅番組も放送されたりしている。合わせて、先日廃止された寝台特急カシオペアや急行はまなすの最終列車のこともやっていた。はまなすと日本海には乗ったことがあるが、ついに北斗星、トワイライトエクスプレス、カシオペアに乗ることはなかったなあ・・・。

元・JR全線乗りつぶし達成者としては、新幹線に一度乗ってみたいものである。ただ、新幹線の往復というのも芸がないので、帰りは津軽海峡をフェリーで渡るとか、日本海側を特急や第三セクターを乗り継いで見るとかの方法で、新幹線で感じる速さと、その他の手段で感じる日本の広さを実感してみたい。

その北海道新幹線だが、開業した時点で赤字と言われている。開業と言っても、青森から函館までの部分開業で、東京便は一日10往復である。収入には限りがある。また、新函館北斗駅から函館駅へはシャトル列車で15分ほどかかる。所要時間も4時間ということで、これでは航空機のほうがトータルでも速いという。北陸新幹線の金沢開業とは事情が違うようだ。

気になるのは、4時間を切れない理由を、青函トンネルを走る貨物列車のせいにしている一部の論調である。トンネル内ですれ違う時の風圧が貨物列車に影響するから、新幹線の速度を下げざるを得ない・・・というもの。でも、こうなることは早くから想定されていたことである。ならば、他に手立てはなかったのか。青函トンネルをもう一本掘るとか、コンテナ列車をもっと強固なものに改良するとか。まあ、赤字だろうが何だろうが、新幹線さえできてしまえば、それを誘致し、開業に携わった人たちにとっては名誉なことであるが、その後のケアについては関心がなく、どうでもいいことだ。

新函館北斗駅がなぜあのようなイビツな場所なのかということは、ゴールが札幌であることを考えればすぐにわかる。札幌に最短距離で走るなら、直線で函館線と交わるところで十分なのである。あくまで通過地点。

今さらどうにもならないが、北海道の中心が札幌なら、とりあえず札幌から函館に向けて造ればよかったのにと思う。青函トンネル、あるいは東京~函館の移動と、札幌~函館の移動なら、後者のほうが多いのでは。まずは札幌~函館としておけば、その間に青函トンネルや貨物列車の改良を考え、実現する時間があったのでは。

まあ、まずはこれを足掛かりに。後は頑張り次第。関西にとっては、北陸新幹線がこの先どう延びてくるかのほうがきがかりである・・・・。
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琴奨菊、綱取り絶望。稀勢の里が優勝するのか?

2016年03月21日 | ブログ
21日は恒例の会社でのゴルフコンペで、兵庫県内のとあるゴルフコースへ。2週間前に新西国三十三所めぐりで播磨の地を訪れたばかりなのだが、その時に「こんなことをしている場合では」というようなことを思った。

・・・で、結果のほうは、果たしてその通りで、半年前にも同じコースに来ているのに成績が悪くなっている。まあ、幹事として来ているということで、社内外の参加者の皆さんが楽しくプレーしてくれて、次もまた来ていただければいいなという気持ちである。もっともこのままでは、職場の中で幹事の「殿堂入り」をしてしまうかもしれないなあ・・・。

さてそんなコンペの帰り、中国自動車道は日曜、祝日の夕方恒例の渋滞である。宝塚西トンネルを先頭に14~15キロの渋滞というのは、クルマで来る以上は避けて通れないものである。イライラしても仕方ないので、ラジオでも聴く。確か半年前のコンペ帰りでは、優勝への生き残りをかけた巨人対阪神戦の中継を聴いていた。阪神の中村勝広GMがその日の試合前に急死していたというニュースに接したのは、帰宅してからのことである。

21日のラジオは大相撲春場所である。チケットを取ろうとしたが例年以上に座席の埋まりが激しかった場所である。幸い、平日に観戦するという両親の分のチケットはプレゼントできたが、自分の分は取れず。早朝から当日の自由席に並ぶのも手だろうが、スケジュールが合わず、今場所の生観戦は断念である。大阪場所は元々観客の入りもよく盛り上がるのだが、今年は特に先場所優勝の琴奨菊の綱取りがかかることもあり、拍車がかかっているようだ。

そんな中、琴奨菊は中日まで1敗でしのぐ。ただそれ以上に調子がいいのが同じ大関の稀勢の里で、中日まで全勝。この二人が、早くも9日目に対戦することになった。琴奨菊が勝って稀勢の里を引きずりおろせば連覇に向けて弾みがつくだろうし、一方稀勢の里が勝てば優勝争いの単独トップを守るということで、こちらの初優勝に向けて弾みがつく。

ちょうど運転中にラジオ中継が進み、終盤の二人の取組となる。ところが・・・立ち合いに当たって稀勢の里が右に変化すると、あっさりと勝負が決まった。帰宅後にテレビのニュースで取組を見たが、「あ~あ」という感じだった。

これで2敗となった琴奨菊。稀勢の里は全勝だし、1敗には白鵬と豪栄道、同じ2敗には日馬富士、鶴竜の2横綱などがいる。仮に星のつぶし合いがこれから展開したとしても、優勝争いが2敗まで下がり、かつ琴奨菊が優勝するのは難しいと思う。2敗で琴奨菊が優勝というのは、3横綱全てに勝つということなので連覇、そして綱取りとしてもいいだろう。ただ優勝同点で優勝を逃したとなると、綱取りは見送るべき。そう考えると、この日の時点で琴奨菊の綱取りは絶望といっていい。やはり、先場所からここまでの優勝フィーバーの裏での稽古不足があったかな。まあ、場所後にいろいろと言われるのだろう。

一方で稀勢の里。果たして今度こそ、ということになるのか? あと6日間が注目である・・・・。
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客番「浄土寺」~新西国三十三所めぐり・5(国宝阿弥陀如来)

2016年03月18日 | 新西国三十三所
神鉄の小野駅に着く。一応駅ビルの建物ではあるが、改装中、また日曜ということで休みの店ばかり。一階に観光案内のコーナーがあり、パンフレットを置いている。

その中で、小野市の「らんらんバス」というのを見つける。普段は小野駅や市の中心部(駅から市役所までも歩けば結構かかりそう)と市内の周辺を結ぶ便が日に何本か走っている程度だが、日曜日は観光コースという設定で30分~60分おきに走っている。便によってはボランティアガイドも乗務し、浄土寺などの見所では下車して観光ガイドをして、また1時間後の便に乗る・・・というモデルコースもある。

次の13時発の便がそのガイドコースとのことだが、ガイドが付くとお勤めができなくなるかなという気がする。また、朝から歩いた勢いで、浄土寺までの4キロならそのまま行くかという気持ちである。13時まではまだ時間もあるので、イラストマップだけもらって歩き出す。

駅前にはアーケードのある商店街が伸びているが、日曜日のことでシャッター通り。はるか向こうにはイオンなどの大型店舗の看板が見え、地方の町によくある商業構造をうかがわせる。

住宅地を抜け、少し上りになって浄谷という集落に入ると、「国宝浄土寺」の看板が現れる。駅から歩いて45分ほど、暖かい上に昼食の台湾ラーメンが効いて、うっすらと汗も出てくる。

正面に浄土堂が見えるが、境内には右手に回り、石段を上がる。上がったところに二人のご老人がいて、「どちらから来られた?」と尋ねられる。お揃いのジャケットを来て、首から名札をぶら下げている。なるほど、この方々がバスに乗務するガイドか。ただ他に観光客らしき人はいない。「次のバスに乗るので少ししか時間はないですが、よかったら案内しますよ。私らボランティアでやってますので」と。客一人にガイド二人は恐れ多いと思うが、せっかくのお申し出なのでお受けする。お勤めはまた後ですればよいか。

まずは建物の外観から。大仏様という造りは、現在では東大寺の南大門とこの浄土堂にしか残らないものとのこと。鎌倉時代の建造当時の姿を残すことから、ガイドいわく「国宝とされて当然です」と。浄土寺の開創は重源とされているが、重源は当時、源平の戦いで焼失した東大寺の大仏再建のための勧進を行っていて、浄土堂もその宣伝の一環で造られたとか。もっとも、重源自身は勧進のために全国を回ることが多く、浄土寺の建立や運営は弟子たちが手掛けたそうだ。

「では、中に入りましょう」ということで、靴を脱いで上がる。入口に机を置いただけの受付があり、拝観料を払う。朱印もここで受け付けるとのことで、納経帳を先に預けておく。

浄土堂の中央に堂々と立つのは、真ん中が阿弥陀如来、私から見て左が観音、右が勢至の両菩薩である(堂内は撮影禁止のため、画像はポスターを写したもの)。

「座って見てください」とうながされる。「阿弥陀さんの視線を感じるでしょう」と言われる。確かに、立ったままよりは座ったほうが、阿弥陀如来が天上から救世のために下りようとしているとか、上から見守ってくれているという感じがする。それぞれの足元には雲があしらわれている。「この角度だと、ちょうどお堂の外から拝んでもいい感じです」と。

また、本尊はたいてい建物(部屋)の奥に祀られることが多いが、この阿弥陀三尊は建物の中央にあり、後ろは格子で日の光も入ってくる。これは計算されたことで、格子がある西側から入る日光が床に反射し、阿弥陀三尊を照らす。これが、はるか西にあるという極楽浄土を演出するというものだ。また、お堂の中心に立っているのは、信者たちが阿弥陀如来の周りをぐるぐる回りながら念仏を唱えることがあったという。よく考えられた構造である。

構造と言えば建物もそうで、梁や柱の配置も、力学的に非常によく練られたものだという。先の阪神・淡路大震災では小野市もかなり揺れたそうだが、浄土堂はびくともしなかったという。阿弥陀三尊も基礎を地面に置いていたから倒壊することもなかった。

「そろそろバスの時間なので」と、ガイドのお二人とはお別れ。その頃にはクルマで来たとおぼしき参詣客も何組かいた。堂内には録音テープによる案内もあるが、ガイドから直接お話をいただけたのは思いがけないことで、なかなかよかった。

浄土堂を出て、他の建物も見る。中央に池があり、回りには八幡宮、薬師堂がある。改めて境内の案内図を見ると、上がってきた石段は南にあり、左手の西が浄土堂、正面の北が八幡宮、右手の東が薬師堂である。これは偶然ではなく、八幡宮は神様が南面したものだし、浄土堂は西方極楽浄土(来世)、薬師堂は東方浄瑠璃界(現世)を象徴する。

浄土寺は浄土堂の阿弥陀如来が本尊であるが、今は高野山真言宗である。そのためか、薬師堂の後ろには四国八十八所を模した祠が並ぶ。

それにしても、ここが新西国とはね。観音霊場に選ばれているのに阿弥陀如来が本尊で・・・あ、左手に観音像があったか。こうした立派な寺であるし、ちょうど播磨の巡礼コースの道中にあることから、客番(ゲスト)ということになったのだろうな。せっかくなんで国宝の名寺もコースに入れようと。

一通り見て、コミュニティバスの観光コースの見処は他にもあるのだが、一本後のバスでもう駅に戻ろうと思う。・・・とその前に、次に訪れる札所決めのくじ引きとサイコロである。

1.京都市街(誓願寺、大報恩寺)

2.龍野(斑鳩寺)

3.阪急宝塚線(萩の寺、満願寺)

4.大津(立木山寺)

5.高野山(宝亀院)

6.六甲(天上寺)

今回も広域な選択肢が出る。四天王寺の次が加西、三木、小野と播磨の国が続いているので、次あたりは東のほうに行ってみたい。で、サイコロは・・・6。摂津の国であるが、またしても兵庫県である。まあ、新西国の半数が兵庫県にあるから仕方ないのかもしれないが。摩耶山・・・あの夜景の名所か。

駅に戻るためバスを待っていると、先ほどのガイドの一人がやって来た。てっきりお二人で一本前に乗ったのかと思ったが。西国、新西国を回っていることを話すと、「ここは(播州)清水寺と一乗寺の間ですから、それで立ち寄る方も多いですよ」とのこと。やってきたバスは他に客はおらず、ガイドと二人乗っていると、広渡廃寺のバス停から、もう一人のガイドが一人の客とともに乗ってきた。この日がたまたまそうだったのかもしれないが、観光コースの利用客はこんなものか。もう一人の利用客は、何とこの先の粟生駅から歩いて来たのだとか。たまたま広渡廃寺の歴史公園に出たところで、ガイドに会ってしばらく案内されたそうだ。

広渡廃寺は、浄土寺の薬師堂の薬師如来が元々祀られていたところで、奈良の薬師寺式の伽藍があったという。今は歴史公園として整備されているが、あまり見学者もいないようだ。

小野駅に戻る。ガイドとはここでお別れとなり、駅の西側にある好古館に行く。平安時代、小野好古という人がいて藤原純友の乱を鎮圧したのだが、この名前を取ったのだろうか。

館内に入るとまず出迎えたのは立派な雛飾り。3月ならではのことである。その背景には先ほど参拝した浄土寺の阿弥陀三尊像のパネルがある。雛飾りがなければ、阿弥陀三尊が来館客を大々的に歓迎する演出なのだろう。

ここは小野市の歴史資料館というべきところで、小野好古に関する展示はないが、各時代の小野の歴史を取り上げている。

二階の企画展で、「小野藩の幕末維新 広岡恵三、一柳真喜子の父・一柳末徳の時代」というのをやっていた。朝ドラの「あさが来た」関連のイベントという。主人公・広岡浅子の娘婿が広岡恵三、そして恵三の姉が一柳真喜子(夫は、近江兄弟社の設立や、さまざまな近代建築に携わったヴォーリズ)なのだが、このきょうだいの出自が、この小野藩の藩主だった一柳家であるというものだ。彼らの父が、小野藩最後の藩主で、後に華族となった一柳末徳である。展示自体には珍しいとまで言えるものはないが、見学者のグループが、広岡浅子と一柳家の相関図を見て、この人は誰が演じているとか、ドラマの話で盛り上がっている。小野に「あさが来た」とは、まさに「びっくりポン」。

これで今回の札所めぐりは終了。帰りは、先ほど少し乗った三宮との急行バスにしようかとも思ったが、ここはやはり神鉄にする。またいつか、この線に乗ることがあるのだろうと思いつつ・・・・。
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第26番「伽耶院」~新西国三十三所めぐり・4(入山料は草引き十本)

2016年03月17日 | 新西国三十三所
前置きが長くなったが、新西国の26番、伽耶院に到着。まずは仁王門である。

門の中にいるのは、胸から下だけがボロボロの状態で残る木像。とても仁王とは思えない。かつて秀吉の三木城攻めの時に、別所長治側の陣があったために伽耶院も焼かれたという。その中で仁王の一部だけが残り、さらに年月を経て朽ちたものである。こんな姿が21世紀にさらされるのは、仁王としてはどんな心持ちなのだろうか。

その伽耶院、開創は645年というから大化の改新まで遡る。孝徳天皇の勅願で、法道仙人が建てたとされる。この法道仙人、西国三十三所の一乗寺や播州清水寺も含めて、播磨のあちこちの寺を建てたとされている。仙人というのも怪しいものだが、今から1800年前に天竺(インド)から紫の雲に乗ってやって来たとか、鉄の鉢を自由自在に操って、瀬戸内海を往来する船からお布施として米を召し上げたとか、何かと伝承がある。ただそれでも多くの古刹があるのは、この辺りに寺を造るだけの財力を持つ者がいたとして、それを法道仙人という人物に託したとも言われている。また、法道仙人は山で修行したとされていることから、山岳信仰や修験道との関連も言われている。現に、伽耶院の宗派は「本山修験宗」というものだ。今でも秋には修験道の行者たちが伽耶院に集まる。

仁王門を過ぎると駐車場があるが、その奥に岩場がある。柱状節理というもので、遠い昔にこの地に巨大な地震が起きた証とか。阪神・淡路大震災から21年であるが、こうした柱状節理を見ても、地震の起こりうる地形というのが改めて感じられる。先ほど訪れた三木総合防災公園と合わせて、三木と地震は無縁ではないことを語っているようだ。

道を挟んで、石段とお屋敷風の門がある。ここは本坊の入り口で、本堂へは道をもう少し歩いた先な中門から上がる。この中門が今では山門の役割をしており、仁王ではないが持国天と多聞天が並ぶ。お賽銭を挟んだ草鞋も掛けられている。

中門から石段を数段上がると、右前に本堂が見える。新西国三十三観音霊場の一つであるが、本尊は毘沙門。「新西国の観音霊場の選定基準は何やねん?」と思うことになるのだが、そのことはまた改めて触れることにする。

石段から本堂を見るその途中に立て札がある。

「入山料 お一人につき 草ひき十本 右ご協力のほど、伏してお願い申し上げます」

西国でも、拝観料や入山料と称していくらかの金を出して徴収するところは結構あった。中でもボッタクリ、強欲と称される代表は醍・・・いや、何でもない。一方で、何も取らないところもある。別にその良し悪しをいうものではない。そんな中で、「草引き十本」である。これは奉仕の気持ちをくすぐる文言かな。カネは取らない代わりに、修行の一つとしての草引き。結構しゃれが効いている。

で、立て札の下を見ると・・・冬は入山無料とある。なるほど、冬は草がそんなに伸びないから引くには及ばずということか。思わず笑う。「草引き十本」は、巡礼のブログなどで見ることがあり予備知識としてあったが、「冬は無料」は意表を突かれた。

本堂に入る。格子戸の向こう、中央には本尊の毘沙門天、こちらから見て左手に十一面千手観音が安置されているが、その姿はわからない。ここでお勤めを行う。無人の本堂だが、お守りやグッズが置かれ、代金は賽銭箱に入れるようにとある。参拝者を信用してのことだなと思うが、一方では「防犯カメラ設置」とある。過去に賽銭泥棒が出たそうだが・・・。

本堂の前に木の長椅子があるが、ここにはいろんな表情の招き猫がいる。おみくじなのだが、これを見て箕面の勝尾寺のだるまを思い出す。ただ、だるまよりも表情がバラエティに富んでいる。これも和む光景だ。

多宝塔があり、その奥に臼稲荷という祠がある。その昔、日照り続きの時に、この辺りの村人たちが田んぼに引く水を争い、他人の土地に水が行かないように臼を並べた。ある日、その臼を取り除いている老人がいて、それに怒った村人が老人を打った。すると老人の姿が消え、稲荷の祠に血がついていた。これを見て自分たちの行いを悔いた村人たちが、祠に臼を供えたのだという。また、祠の前に立つ木の根元にも臼が抱えられており、不思議な光景である。案内板でも、なぜかわからないとしている。

また、伽耶院の境内には地蔵も多い。寒さよけか、赤い頭巾をかぶっているのがユニーク。その中に、「仲良しポックリさん」という地蔵が並んでいる。説明板では、「下の世話にはなりとうないと言っておられたやぶなかのおばあちゃんは92才で亡くなられる直前まで草引きそうじと働き続けられ、まえだのおばあちゃんは三日間だけしもの世話になって95才で旅立たれました。これらのおばあちゃんをしのんでこの像が造られました」と、昔話風。この集落に、やぶなかさんとまえださんがいたのだろう。90歳を過ぎても元気でいて、最期はポックリと亡くなる。それがいいのかもしれない。最近、「健康寿命」という言葉を聞くことが増えたが、いくら年齢を重ねても、病気を抱えたり寝たきりになって、満足な日常生活を送れないのは、本人も周りも辛いことだろう。かと言って、早死にというのもなあ・・・、いや、難しい。

こうした地蔵で長生きおばあちゃんを祀る一方で、別の斜面にはキャラクター人形や玩具があちこち置かれている。こちらは水子地蔵の一群である。地蔵だけがずらりと並んでいてもどうとは思わないが、キャラクター人形が、それも風雨にさらされてボロボロになっているのも、シュールな光景。

水子地蔵というと、何か祟るようなイメージがあるが、ここの案内板は、「水子がたたる? 親のために黙って死んでくれたあの子がそんなことする筈がない。水子のたたりとは、あの子には何一つしてやっていない、というあなたの心のこだわりが作りあげた幻想です。あなたは、あの子のために何をしてやったのでしょうか」と、逆に問いかける。子どもがいないので水子のことも実感できないのだが、言われればなるほどと思う。よく、こうした霊を取り除くとして何か買わせるマルチ商法があるが、本式の、由緒ある寺での一言にも、本人の気づきになることも多い。だてに、何百年と守られてきたわけではない。最近はやりの教えもいいのだろうが、もう少し、昔のものも見たほうがより良いのだろう。私も、西国、新西国と回って少しずつでも感じられればと思う。

一通り見たが、小ぶりながらもなかなかユーモアとセンスのあるところ。先のウォーキングと合わせて、印象に残った。そして納経所へ。ブザーを鳴らすと住職の奥様とおぼしき女性が出て来て、納経帳を受け取る。さらさらと筆を進め、最後は納経帳を顔の上に押し頂いてから返してくれた。

次の目的地は、客番の浄土寺。伽耶院から西の小野市にある。伽耶院口からバスで緑が丘駅に戻り、神鉄で小野まで移動するのが自然だが、昼間の神鉄粟生線の小野には、一時間に一本しかない。バスで着くとちょうど電車が出たところというタイミングで、時間がもったいない。ふと、電車ではなくバスで移動できないかと思う。先ほど、御坂サイフォンから伽耶院まで歩く途中にバス停があり、西のほうに行くような感じだった。その道との交差点近くにある志染小学校のバス停まで歩くと、ちょうどいいタイミングで三木営業所行きのバスが来るようだ。スマホで検索すると、三木営業所で6分後に小野方面に行くバスに乗り継ぐことができるとある。これだと、緑ヶ丘駅で神鉄の電車を待っている間に、小野に着くことができる。

・・・ただそのバス、定刻から5分遅れでやって来た。先客はおらず私だけが乗り込む。途中、三木城攻めの秀吉の本陣とか、竹中半兵衛の墓地を示す案内板を見て、三木の中心部に入る。別所長治の本拠地である三木城の横も通る。市街地を抜け、イオンモールに隣接した神姫バスの三木営業所に到着する。しかし、やってきたのが遅れたせいか、小野方面のバスは出た後だった。この後だと1時間半後で、これでは時間短縮の効果がなくなるどころか、却って遅くなる。

と、時刻表を見ると「急行 小野、社、西脇」という表示があり、しばらくして観光バスタイプの車両がやって来た。停車して下車する客がいたので運転士に訊ねると、小野にも行くという。何のことはない、三宮から、今朝下車した緑ヶ丘駅も通り、三木、小野、社、そして西脇まで行く急行バスである。実はこのバス、先ほど路線バスに乗った志染小学校前にも停車するもので、しばらく待っていれば乗ることができたものだ。ローカル区間のバスに悩まされそうになったが、これで一気に時間短縮である。神鉄の線路を見ながら西へ進む。

小野駅に近い小野本町一丁目にて下車。とりあえず昼食ということで、バス停の前にあった台湾料理の「豊源」に入る。食べたのは台湾ラーメンに炒飯だったが、ボリュームもあり結構美味かった。

これでお腹もできて、昼からの浄土寺である・・・・。
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第26番「伽耶院」~新西国三十三所めぐり・4(三木市の知る人ぞ知るスポットめぐり・その2)

2016年03月15日 | 新西国三十三所
三木総合防災公園から続く小道を下りる。水が涌き出ている一角がある。ここが志染の石室というところだ。岩がむき出しになっており、そこを水がしたたり落ちる。そのせいか地面もぬかるんでいる。

ここは三木市の中でも歴史的スポットとされているところである。話は5世紀というから、古事記や日本書紀に書かれた時代だが、当時天皇の位の継承権をめぐる激しい争いが繰り広げられ、雄略天皇派に父を殺された二人の皇子が一時この石室に身を隠していたという。後に、雄略天皇の死後に二人の皇子は権力を持ち、兄は23代の顕宗天皇、弟は24代の仁賢天皇と称されている。当時、播磨の中央に有力な豪族でもいたのだろうか。

こうした二人の天皇の伝説や、水の清らかな場所ということからか、信仰の場にもなっている。小さな祠に十一面観音を祀り、この辺りの三十三所霊場の一つとされている。祠の横には七観音の石像もある。

また、この水は窟屋の金水と呼ばれている。中に生息するひかり藻の繁殖の時期に、水が金色に変わるのだという。今見てもただの濁った水だが、ネットの写真では確かにそうした光景を見ることができる。それだけ水質、地質がいいということか。

しばらく歩くと志染川に出る。その上流に眼鏡橋が見える。これが御坂サイフォンである。河原に下りる道があるので近くまで行ってみる。

この御坂サイフォンは、明治時代にイギリスの技術者・パーマーの手によるもので、淡河川の疎水工事の一環である。水田耕作の水を安定して供給するために行われた疎水工事、山から山へ水を流すにあたり、その間の谷を通すのに使われたサイフォン技術。志染川を渡るために橋が掛けられ、水路が設けられた。この淡河疎水は、琵琶湖疎水、安積疎水と並んで日本三大疎水とされているが、琵琶湖と安積が国の政策だったのに対し、淡河川は地元の人たちが金を出して造ったという。播磨の国は土地も広く、米作りにも適した地域のイメージがあるが、実は水の確保には苦労した歴史があるとのこと。一帯には池も多いが、それらも元々は水源確保のための溜池である。

眼鏡橋のたもとに出る。こちら下流側から見えるのはコンクリート橋で、後から造られたもの。もともとの石造の橋はその奥にある。水量があるので反対側に回ることができず、オリジナルを見ることはできなかったが、ここにも石にまつわるスポットを見つけた。

河原から上がり、眼鏡橋の上に出る。今は軽自動車なら通れる幅の橋だが、上流側は鎖で仕切られて入れない。この入れないところが元々の橋に当たる部分である。後になって、クルマが通れるように橋を新たに造ったようだ。そして水路は今でも活用されており、斜面にパイプが走っているのが見える。

御坂サイフォンのすぐ横にある御坂神社で手を合わせた後、県道沿いにテクテク歩く。御坂神社から伽耶院までは40分の歩きである。志染小学校の角を右折する。正面には山陽自動車道の高架がそびえる。

ふと表示で「千体地蔵」というのを見る。道から横に入ってすぐだが、これがまた独特の光景。地蔵堂があり、本尊とされる地蔵は奈良時代の名僧・行基の作とされている。そのまわりに、これでもかと地蔵が並ぶ。単体で置かれているものもあれば、岩をくり抜いてその中に地蔵をはめ込んでいるのもある。ただ長年の風雪で顔形が判別しにくかったり、中には土砂崩れでぶちまけられた一群もある。そんなのもある千体地蔵だが、長年地元の人たちの信仰が受け継がれ、守られている地蔵である。そんな集落の人たちに対する知事の表彰状が、地蔵の前の小屋に掛けられている。

この地蔵のすぐ前に、三木東インターがある。さすが関西のゴルフ銀座で、インター出口前の交差点にはあちこちのコースへの案内看板が並ぶ。よく考えると、私も一週間後は会社のゴルフコンペの幹事で播磨の国に来るのであった。呑気に、新西国めぐりをしている場合ではなかったりして・・・・?

インターを過ぎると伽耶院の看板も出て、緑が丘駅からのバスの停留所を過ぎる。ここから10分ほど歩いて、道の脇の山門が見えてきた。緑が丘駅から2時間あまりでようやく到着である・・・・。
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第26番「伽耶院」~新西国三十三所めぐり・4(三木市の知る人ぞ知るスポットめぐり・その1)

2016年03月14日 | 新西国三十三所
新西国三十三観音霊場めぐりの第三回は、兵庫県の三木市にある26番の伽耶院(がやいん)と、小野市にある客番の浄土寺。それぞれ鉄道なら神鉄粟生線の緑が丘と小野が最寄り駅である。前回に続いての神鉄利用で、まあ、存続に揺れる粟生線に乗るのも応援の一つである。後はどちらから行くかというところだが、ここは神鉄の順路通り、緑が丘からバスで伽耶院を目指すことにする。もっとも、バスの本数が限られており、事前に確認する必要がある。

そんな中で、「駅から歩いたらどうなるのか」という興味が出てきた。札所めぐりと合わせて「もう一品」というのを探す中で、神鉄粟生線の活性協議会お薦めのウォーキングコースのページというのがあり、ちょうど緑が丘駅から三木市東部のスポットを歩いて伽耶院をめざすというのがあった。三木総合防災公園から、志染の石窟、御坂サイフォンなどをめぐる約8キロの道のり。伽耶院をはじめ、いずれも初めて聞く名前ばかりだ。三木市といえば町の中心部の三木城と周辺の旧い町並みや、かつての三木鉄道の跡は訪れたが(後は会社のゴルフくらい)、先に挙げたところは、地元の人でなければこういう時くらいしか行くこともないだろう。というわけで、最近歩き不足ということもあり、 ウォーキングコースに挑むことにした。その分、朝早く出なければならなくなったが、午前中にはお参りまで済ませることができるだろう。

朝の8時に粟生線の緑が丘駅に現れる。駅のすぐ東は神戸市西区だが、このエリアから三木市である。駅はホーム一本だけの簡易なもの。

しかし、駅前には駅より広いバスのロータリーがあり、各方面のバスが出ているようだ。そんな中、観光バスタイプの車両が着き、それなりの数の客を乗せていく。ここは三宮からの直通バスが出ており、所要時間や運賃は神鉄とさほど変わらない。さすがに本数は神鉄のほうが多いが、バスの存在は粟生線にとって強敵で、これが経営を苦しくさせた一因と言える。

駅前は住宅地、商店街が広がるが、家もゆったりした造りの一戸建てが多い。地図を見ても、緑が丘と隣の青山地区は計画的に住宅地として開発されたことが伺える。そんな中で、イオンやダイキといった大型店舗を持つ。先ほど、三宮行きの急行バスのことを書いたが、こうした町の人たちの日常の移動手段はクルマがメインだろう。

駅から町並みを歩くこと30分で、総合防災公園に続く遊歩道に出る。クルマだけでなく自転車も走行できないので、地元の人たちの散歩コースである。住宅開発はしたがこの一角は自然を残したという感じである。

そんな山道を抜けて見えたのは、この広大な光景。ここから先が三木総合防災公園である。この公園は県立で、阪神・淡路大震災を契機に整備されたものという。普段はスポーツを中心に楽しめる公園であるが、緊急時には物資や機材の集約地点として、あるいは避難者の受け入れ施設として機能するという。ちょうど兵庫県の中央部に位置することもある。

その中のある不思議な建物。半分は芝に覆われていて、秘密の要塞のようにも見える。これは「ブルボン ビーンズドーム」というもの。中はテニスコートである。中には入らなかったが、しっかりした観客席もあり、テニスの国際試合も行われるという。なるほど、朝から訪れる人の多くがラケットのバッグを肩にかけている。他にも、川を挟んだエリアには陸上競技場、サッカーコート、野球場もあるし、公園全体がジョギング、ウォーキングのコースである。ないのはゴルフ場くらいだが、そこは市内に多数のゴルフコースがあるということで・・・・。

ビーンズドームを展望できる一角を歩くと、「どっこいさん」というスポットに出る。横穴式石室を備えた墳墓が安置されている。元々はこの公園の近くにあったのが、公園の整備にともなって道路も改良されるということで、ここに移されたという。この墳墓の石室の石とも蓋をする石ともされているが、地蔵が彫られている。「どっこいさん」とは、道端によくある道祖神の呼び名が訛ったものらしいが、ここに彫られた六地蔵が祀られていたそうだ。その地蔵も長年の風雪でかき消されていて、見ようによっては、ワインかビールの瓶が並んでいるようにも見える。

・・・ここまで書いて記事が長くなった。まさか、伽耶院にたどり着く前の記事が、二つに分かれるとは思わなかった。ダラダラ書くのもしんどいので、この先の道は次の記事にて・・・・。
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北陸新幹線開通1周年~この先のルートは?

2016年03月12日 | ブログ
3月12日、北陸新幹線が金沢まで開通してちょうど1年である。特に東京との時間がぐっと縮まったことで、北陸の観光にも良い影響が出ているそうである。私も昨年の夏に、行きは並行在来線が転換した第三セクター線に乗り、帰りに新幹線で一気に戻ったことがある。ただ、金沢から大阪までは在来線のサンダーバードで、それでも同区間を3時間で結ぶのは十分速いと思うが、関西と北陸の新幹線というのはまだまだ先の話である。

金沢から敦賀までは2023年の開通を目指しているが、その先のルートは未定。そんな中で与党が考えるルートの候補が3つになったという。

それが、「1.米原で東海道新幹線に接続」、「2.小浜を経由して京都」、「3.小浜から舞鶴を回って京都」。いずれも終点は新大阪になる。天王寺や、関西空港という案もあるが、山陽、九州新幹線との接続を考えるとやはり新大阪が現実的だ。

北陸新幹線は、東海地震、南海トラフ地震など大規模災害で東海道新幹線が止まった際のバイパス線の役割も担うとされている。だとすれば、北陸線沿いで米原につなげるか、湖西線を改良して京都に直線で行くのが妥当と思っていた。しかし、米原ルートは候補に残ったものの、ダイヤが過密になるとしてJR東海が乗り気でないし、湖西線ルートは地元にメリットがないとして候補からも消えた。

ということで、有力なのは小浜を通す案。福井の若狭地方に新幹線の恩恵をというが、あの辺にある原発の本格再稼働とセットになっているのかな?と勘繰る。まして、舞鶴まで通すのは何のためか。北陸と関西を速達で結ぶ、あるいは東と西のバイパスであるという主旨からは完全に離れている。そういえばあの辺は某幹事長の地盤ではなかったかしらん。まあ、地元に恩恵ということなら小浜が限界だと思う。

仮に小浜~京都ルートとなると、小浜線はJRに残るのだろうか。後は、北陸と名古屋を結ぶ特急しらさぎはどうなるのか。東海と北陸が却って遠くなりました・・・というのはいかがなものか。そのうちリニアができれば新幹線のダイヤにも余裕が出るはずだから、ここは素直に米原ルートでもいいと思うし・・・。

いずれにしても、どうせ造るならその先のこともよく考えて、十分に議論してほしい。まあ、私も全線開通するまで生きていればいいなあ・・・・。
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東日本大震災から5年

2016年03月10日 | ブログ
明日3月11日は東日本大震災からまる5年になる。改めて、亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方にお見舞い申し上げます。

確か、5年前も金曜日だったと思う。あちらは大変やなと思いながら会社から帰り、翌日は休みで一日中テレビで地震や津波、原発事故の映像を見ていた。

5年ともなるとかなり前のことのようにも思う。その間に復興が進んだところもある。新しい町ができたところもある。

ただ、原発事故の周囲はいまだに入れないし、復興計画もままならない地域も多い。そんな中で、被災した建物を後世に保存するかについて、地元でも意見が分かれているようだ。これには私は「残してほしい、残すべき」という考え。今の映像技術なら、津波の悲惨さを後世までリアルに伝えることができるだろうが、やはり現地で、「ここがこの現場なのか」と実感できるものは必要だと思う。機械に頼らずとも、その地で感じられる何か。

年月が重なり、日常生活の中で震災のことはかなり意識の奥のほうに追いやられているが(関西で発生した阪神・淡路大震災ですらそう)、特集記事が組まれることで思い出すことがある。5年前に、5年経ったらどのように復興しているかの青写真があったと思うが、それと比べてどうだろうか。全体で見れば、全然進んでいないのではないかなと思う。行政も成果を挙げていないし、どこまで本気なのかと思うところである。

このままでは、4年後の東京オリンピックは、復興五輪とは言えない可能性が高い。五輪なんか止めてそのカネを復興に回せ・・・という極論はしないが、今のままだと、世界からの評価はそう高いものではないだろう。外国から日本を訪れる観光客が増えているが、阪神や東北の被災地を回る人なんてほとんどいないだろうし。

かくいう私も、3年前に津波の被災地の一部を回ったくらいで、その後の様子を見ていない。町並みもそうだが、仙石線、石巻線の復旧や、東北線と仙石線の短絡線の様子も見てみたい。一方で、前回は見るだけだった代行バスもどんなものか。

もう少し、東北に思いを致すことをしてみたい・・・・。
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野球賭博、高木京介投手も関与

2016年03月09日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
半年ほど前だったか、巨人の3投手が野球賭博に関与したとしてNPBの失格処分、球団解雇となった。それ以来、清原の覚醒剤事件やらその他の出来事で、世間の関心が野球賭博から離れていたところでのニュースである。

この件で本人が謝罪会見するケースは初めてだが、潔いとする向き、高木のケースは同情すべきという向き、今頃何を言っているのかという向きがある。個人的には、最初隠していたとしても、観念して公にしたのはよほど勇気のあることだなと思った。

それにしても、野球賭博に出るのが巨人ばかりというのはどんなものだろうか。本当に巨人の選手だけが絡んでいるのか、マスゴミがあえて巨人を悪者に仕立てようとしているのか、それはわからない。ただ、調査が不十分で、後からポロポロ出てくるのはよろしくない。

球団に対しても、もっと大胆な処分が必要ではないかと思う。ネットで言われる「不戦敗」「ペナントレース辞退」は、相手チームに迷惑だし、相手チームの選手の個人成績にも影響する。

であれば、巨人の主催試合での無観客試合が現実的では・・・?

・・・とまあ、巨人、巨人と書いたが、翻って、例えばバファローズの選手が同じようなことをしていたらどう思うか。そりゃ、批判する。しかも、今書いているよりも激しく罵倒する。擁護するファンのサイトに乱入するかもしれない。あくまで例えで、決してこのようなことはないと思うが、今の社会、どこから露見するかはわからない。それだけ、プロ野球が不信感を持たれているということだ・・・・。
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