まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

横綱・照ノ富士引退

2025年01月17日 | ブログ

大相撲初場所は琴櫻、豊昇龍の綱取りがかかり、そこに横綱・照ノ富士がどう立ちはだかるかが注目されていたが、序盤から波乱の展開。

そして、4日目に翔猿に敗れて2敗となった横綱・照ノ富士が引退を表明した。お疲れ様でした。

照ノ富士も波乱の土俵人生であった。モンゴルから相撲留学で来日、当時の間垣部屋に入門したが部屋が閉鎖され、伊勢ヶ浜部屋に移籍。そこから一気に大関まで駆け上がり、バケモノのような強さを見せてこのまま横綱になるのかと思いきや、ケガ、病気のため序二段まで番付を落とす。

復帰場所となった2019年春場所の初日、照ノ富士の土俵を見たのが私にとっては印象である。元大関が観客ガラガラ(この当時は、椅子席の客が溜席に座っていても特に注意されることもなく)の中、まず1勝をあげた。照ノ富士の引退会見でもこの一番について「一番緊張した」と振り返ったそうである。

その後は見事復活を遂げ、かつての大関を通り越して第73代の横綱に昇進した。ちょうど白鵬と入れ替わる形だったが、横綱昇進後もケガ、病気に苦しみ休場も多かった。それでも出場すれば優勝ということも多く、10回の優勝は立派である。

休場が多かったこともありナマの本場所で横綱としての取組を見ることはなく、巡業で土俵入りを見ただけであるが・・。

年寄株の目途が立たないから引退したくてもできない・・と言われていたが、そちらのほうも目途が立ったのだろう。進退をかけて初場所に臨んだが、終盤で綱取りを目指す大関と対戦するまで持たず引退となった。もう少し・・という思いもあったが、横綱自身もやり切った思いであろう。近いうちに伊勢ケ浜部屋を継ぐと思うが、部屋には元白鵬の宮城野親方もいて・・まあ、そこは当事者同士でうまくやってくれるだろう。

さて照ノ富士の後継となる綱取りだが、豊昇龍がチャンスをつかめるかどうか。終盤も焦らず堂々とした相撲を取れば一気に行くと思うが・・・。

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2025年、新たな良い年となりますように

2025年01月01日 | ブログ

2025年、年が明けました。

皆さんにとって新たな年がよいものとなりますように。

・・・私の場合は波乱の1年になる予感なのですが・・・。

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大相撲広島場所を観戦~やはり力士は絵になるな

2024年10月31日 | ブログ

10月26日の大相撲広島場所。プログラム前半は稽古公開だったが、11時50分から取組開始である。まずは序二段の取組が9番組まれている。序二段といえば東西それぞれ90枚以上あるが、その中で広島場所に参加する力士はどのように決まるのだろうか。必ずしも序二段上位とは限らないし、関取衆の付き人としてか、あるいは「強化指定力士」のようなものか。

その後も三段目、幕下と取組が進む。かなりの巨漢力士や元関取、中にはショーを意識して仕切り時ににらみ合いをする取組もある(本場所なら絶対審判から怒られるだろう)。このあたりの番付にも個性的な力士、将来を期待される若手も多く、それを楽しみにするファンも多い。

幕下までの取組が終わり、再び翔大夢、もといショータイムである(翔大夢とは、この日序二段で土俵に上がった「しょうたいむ」という四股名の力士)。まずは髪結実演。モデルは翔猿である。向正面からなので力士の表情はうかがえないが、床山の手さばきで結われる後姿を見るのも新鮮である。

続いては相撲甚句。中には先ほど土俵で取組を見せたばかりの力士も。こういうところではご当地ネタを含めるのが定番のようで、一節に「カープ」の言葉が入り、会場から大きな拍手が起こる。

そして巡業で人気のイベントの初切。こちら西方から登場するのは朝天舞。後でプロフィールを見ると、序二段ながら現在43歳、最高位も幕下である。それでも現役を続けて、一つの芸である初切を務めるのだからある意味才能があるのだろう。

これに対するは千代北海。初切を盛り上げるには東西の力士、そして行司が一体となる呼吸がカギを握る。

まずは、先ほどのちびっこ相撲でも登場した塩まき。

その後も息の合った掛け合い、荒技で土俵を盛り上げる。乱闘あり、途中からはプロレスやボクシングにもなったり(ウエスタン・ラリアットも出たぞ)。もっとも、元々の相撲というのはこうした荒々しい武術だったとも言われている。

最後は勝ちを確信した朝天舞が行司に投げ飛ばされて終了。

続いては綱打ち実演。照ノ富士の登場に大きな拍手が起こる。こちらも向正面ならではで、横綱の顔は見えないものの綱が結わえられる様子は見える。これも貴重なものを見させていただいた。数分のこととはいえ、本場所なら毎日、そしてこうした巡業などでも土俵入りの前には欠かせない作業。横綱も忙しい限りだ。

そして、関取衆の土俵入り。東西の花道に力士たちが並び、ファンも周りを取り囲む。

まずは東方から。赤ちゃんをだっこするのは、この日の稽古中の多くの時間を花道での握手、記念撮影、サインで終始和やかに対応し、その後はちびっこ相手に汗をかいた高安。

その後も力士たちは声援に手を振って応えながら上がる。この近さから土俵入りを観るのは初めてで、やはり力士は絵になる。

替わって西方力士は座席のすぐ横を通る。こちらで子どもを抱いているのは大栄翔。

これで広島場所の場内もいよいよメインイベントの雰囲気となる。

この後は照ノ富士の土俵入り。露払い・翠富士、そして太刀持ちは別の一門だが平戸海である。さて横綱だが、11月の九州場所への出場については明確にしていないようである。

故障続きで稽古が不十分でも、本場所にフル出場できれば優勝、あるいは優勝争いできる力はあるのだが、この先どこまで相撲が取れるのだろうか。横綱土俵入りを生で観たのがこの広島で最後・・ということになってしまうのかどうか・・・。

主催者挨拶があり、関取衆の取組。ウクライナ出身で、この巡業後の番付発表で新入幕が発表された獅司も登場する。獅司はこの数番後の取組にも登場。誰か急遽休場となった力士の代役かな。

前半で大きな声援を受けたのはやはり高安。2階席の何分の1かはどこかのこども園が団体で陣取っており、先ほどのちびっこ相撲の時も園児が出ていたようで大きなコールが起こっていた。その高安、相手の時疾風と激しい攻防の末、最後は相手を投げ倒して子どもたちを喜ばせる。

幕内力士どうしだが、時間の関係か、仕切りは1回だけ、あるいは初めに仕切った後、塩を取りに行かずにそのまま立ち合いという取組もあった。何だろう、前半の序二段、三段目、幕下以上に淡々と進んでいるようにも感じられる。

また館内が沸いたのは、宇良対遠藤。激しい差し手争いを制した遠藤の勝ち。

元大関どうしの御嶽海対正代も、仕切り時にわざとにらみ合いをしたり、激しい攻防を見せた後、正代が御嶽海を土俵下に押し出した。手を出した正代を御嶽海が一瞬土俵下に引き落とそうとするのもお約束だろう。

これより三役ということで東西の花道から土俵も賑やかになる。・・・のはいいが、巡業となるとどうしても番付順の取組とせざるを得ず、休場者もいることから連日、平戸海対大栄翔、阿炎対霧島、琴櫻対豊昇龍という小結、関脇、大関どうしの対戦となっているようだ。巡業期間中の対戦成績がどうなのかは知らないが、日によってはあえてお互い勝ったり負けたりをしているのではないかと思う・・・。

この日のこれより三役は、まず大栄翔が平戸海に勝ち、阿炎が霧島を圧倒。

結びの一番は豊昇龍が琴櫻を寄り切っての勝利。まあ、午前中も三番稽古をしていたし、巡業の取組の一番の勝ち負けに一喜一憂するものではないだろう。横綱・照ノ富士もいる中、新大関・大の里の昇進が大きな刺激になっているであろう両大関、九州場所では意地とプライドを見せてほしいものである。

最後は琴翼による弓取式。大相撲広島場所も無事お開きとなる。

これで退場。せっかくなので土俵に近づく。すると、徳俵に手をかけてはがそうとする男性の姿。最初は関係者の人が土俵の撤去作業に当たっているのかなと思うがどうもそうではなく、縁起物だから持ち帰ろうというようだ。まさかこうしたところで相撲の神事を意識することになるとは・・。

・・・さてこの後、バスと広電を乗り継いで帰宅したのだが、しばらく自宅にいた後、持ち物を入れ替える形で出発し、再び西広島駅から山陽線に乗る。

広島まで出て、鹿児島中央行きの「さくら563号」に乗る。この時間から九州行きの新幹線に乗るとは、先日訪ねたばかりの九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの続きかのための前泊か、それとも・・・。

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大相撲広島場所を観戦・・巡業ならではの稽古風景

2024年10月30日 | ブログ

11月10日から始まる大相撲九州場所の番付が発表された。すでに発表されているが新大関に大の里が昇進し、新入幕、帰り入幕、新十両、帰り十両、幕下陥落・・と入れ換えが大きい。

これに先立ち、10月26日に行われた大相撲広島場所を観戦した。秋巡業の最終盤である。前日の25日が岡山、そして26日が広島、さらに27日が倉敷(水島)という、何とも変則的な移動のようだが・・。

広島で巡業を観るのは初めてである。とはいえ昨年同じ東区スポーツセンターで行われた安芸場所に行こうと思い、チケットも確保していた。しかし昨年の安芸場所、日本シリーズのバファローズ対タイガースの第1戦と重なった。高倍率となった抽選の結果チケットに当選したものだから、そりゃ野球優先でしょう。

そして今年も日本シリーズ第1戦と大相撲広島場所が重なったが・・・・まあ、大相撲でしょう。

会場には力士たちの幟が並び、早い時間から多くの客が開場を待つ。そして触れ太鼓が叩かれ、入場。

今回確保したのは向正面の溜席(もっとも、席種は選べても指定はできず、どの方向になるかも含めて中国新聞の販売店から配達されたチケットを見てのお楽しみ)。本場所ではよほどのことがない限り座るチャンスはないのだが、この辺りは巡業ならではである。ただ、記念座布団(持ち帰り可)はあるものの、一人当たりのスペースは実に狭いし、要は体育館の地べたに座るようなもので結構きつい。

さて土俵上では幕下以下の力士たちによる申し合い稽古の最中。向正面にいるので土俵上の取組がよく見えたのはよかった。向正面に場所担当の親方衆が座っており、土俵上の力士たちにアドバイスを送る。ちょうど部屋の稽古場と同じような立ち位置なのだろう。

しばらくして、観客で混雑するコンコースに向かう。飲食の売店もあるし、力士との握手コーナーもある。私が訪れた時は志摩ノ海、武将山といったところが笑顔で観客を出迎えていた。

幕内力士の場所入りもある。ちょうどすれ違ったのは高安。上方漫才では「高安を見て思い出したけど、君とこの奥さん元気か?」

センターの入口から玄関にかけて多くの人が入り待ちをしている。そこにやって来たのは横綱・照ノ富士。大きな拍手が沸き、スタッフからは「力士には手を触れないでください!」との呼びかけがある。やはり間近で見ると迫力ある。

照ノ富士は秋巡業も糖尿病や膝の故障で一時離脱していたが、前日の岡山から復帰したそうだ。巡業中相撲を取るのは難しいだろうが、この日のプログラムでは綱打ち実演、横綱土俵入りもある。そのために顔を出すだけでも大変だと思うが、今できる最大の「務め」なのだろう。一方、感染症のため離脱した新大関・大の里は巡業復帰は見合わせ、九州場所に向けて調整するという。プロ野球でいえばキャンプとオープン戦を兼ねたようなものだから、公式戦である本場所に向け、調整はそれぞれでよいのではないかと思う。

さて会場に戻ると、関取衆も土俵下にぽつぽつ顔を出し、親方衆に挨拶をしている。

そして土俵がいったん掃かれ、関取衆が幕下以下の力士にぶつかり稽古で胸を出す。どういう組み合わせで稽古が行われるのかはわからないが、幕下以下の力士にとっては違う部屋の関取にぶつかる機会かもしれず、これは貴重だろう。関取の付き人の役目もあってのことだろうが、巡業に同行できるというのは期待の現れではないだろうか。

ぶつかり稽古を終えた幕下以下の力士と入れ替わるように関取衆が集まり、琴櫻、豊昇龍の両大関も姿を見せる。

そして、照ノ富士が稽古まわし姿で土俵下へ。やはり姿を見せるのと見せないのとで、会場の雰囲気も大きく違う。後の九州場所の番付発表時点では場所への出場についてはノーコメントだというが・・。

関取衆の申し合いが進んだ後、琴櫻、豊昇龍の両大関による三番稽古に入る。

ただその中に割って入るのは平戸海。この日の稽古全体を通して、幕下以下の力士のぶつかり稽古に胸を出し、関取衆との申し合い、そして大関同士の三番稽古の間にも入り、もっとも多く番数をこなしていたのではないかと思う。

取組の合間に、土俵下にいた照ノ富士から手の使い方についてアドバイスを受けたり、兄弟子の佐田の海からタオルで土を払ってもらったり、稽古中もっとも目立っていた(というか、私が追いかけていた)ように見える。

両大関と平戸海の稽古が終わり、最後は関取衆どうしのぶつかり稽古。その平戸海と佐田の海という同部屋同士の稽古もあれば、ベテランの錦木が若手相手になかなか押させなかったりと、白熱したものであった。こうした稽古を土俵近くで観ることができただけでも満足である。

さてこの後は一転して興行ムードとなる。まずはちびっこ相撲。2階席に陣取った保護者たちからも大きな声援が起こる。子どもたちを迎えるのは翔猿、御嶽海、正代、そして高安という豪華なメンバー。先ほど稽古の土俵に立たなかったのはこの役目があったためのようだ。それにしても、4人中3人が元大関というのもすごい顔ぶれである。

幼稚園か、小学校低学年か、小さい子どもたちが現役の力士に挑むというのは微笑ましく面白いものである。力士側もそこは心得たものでさまざまな演出で盛り上げる。

終盤は翔猿があおったりしてなぜか塩の投げ合いになり・・・。そして最後は実際にわんぱく相撲で将来有望であろう少年のガチンコ勝負に会場も盛り上がる。中国地方、特に山陽側ではなかなか有名な力士が出てこないのだが、こうした子どもたちとの触れ合いを通して、将来の力士、関取が誕生すればと思う(そもそも、地方巡業というのは大相撲のスカウトの場でもあったし・・)。

ここでしばらくインターバルとなり、昼食タイム。予約した弁当、会場で購入した焼き鳥、そしてアルコール類だが、この狭い溜席で食べるのも一苦労である。

そして序二段の取組を皮切りに、巡業はいよいよ盛り上がる後半戦へ・・・。

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岸田前首相「広島ふみきゅん焼き」

2024年10月06日 | ブログ

9月27日に行われた自民党総裁選。9人の立候補者が連日論戦を繰り広げ、ニュースにも取り上げられていた。ならばこうした選挙の時だけでなく、通常の政権運営でももっと熱くアピールしろよ・・と思ったのだが、9人それぞれ主張するところにうなずけるところはあった。中国地方からは石破茂(鳥取)、林芳正(山口)、加藤勝信(岡山)の3氏が立候補。さすが、昔から自民党の勢力が強いところである。

そして総裁選当日。高市早苗、石破茂両氏の決選投票の結果、石破氏が当選。まあ最後は数の力というか、旧派閥間の駆け引き、そして今後の総選挙をにらんで・・といろいろあったが。

10月1日の臨時国会にて石破首相が選出。内閣発足となった。ただ、今月には衆議院解散、そして総選挙である。諸事情があるのだろうというのは理解するが、何だかなあ。結局この石破という人も、ご自身が外野にいる時はご意見番のような結構なことをのたまっていたが、結局は「総理大臣になることが目的」の人でしかないのかと思う。で、世襲やし。

・・・まあ、そのあたりは総選挙で有権者としてどう判断するか。

さて、総裁選に立候補せず首相の座を降りたのが岸田文雄氏。在任した3年間の評価はこれからだと思うが、2023年のG7広島サミットは良き思い出だろう。

そういえば、岸田氏の首相就任を記念して販売された「広島ふみきゅん焼き」というのがある。これまでにも広島駅の売店で見かけたことはあったのだが、さすがに広島土産として購入するのははばかられた。例えば友人との飲み会での差し入れとしても、政治、宗教、そしてプロ野球の話題はタブーである。そこは無難に定番の「もみじ饅頭」(製造元はいろいろ)や、新しいところで「メープルもみじフィナンシェ」に落ち着いてしまう。

このたび岸田氏の内閣総辞職が決まり、この商品の製造も取り止めるとのこと。記念ではないが広島駅まで出向いた折、駅ビル内の物産コーナーにまだ残っていたのを1箱購入した。製造元は広島は広島でも呉の蜜屋本舗というところで、宮島産はちみつ、広島産大納言小豆、広島産もち米使用とある。広島育ちの食材を活かした一品だが、小豆が広島でも収穫されているということに驚いた。

中身は岸田氏の顔が焼き印となったどら焼き。普段甘いものは口にしないのだが、これはこれで結構美味かった。

さて、首相が就任するとこういう菓子が製造、販売されるようになったのはいつからだろうか。そして、今度は石破首相の地元である鳥取で何かしら売られるのだろう。また訪ねてみたいものだ・・・。

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米を出し惜しみしている米問屋、農家、政府の連中たちへ

2024年09月04日 | ブログ

農協や米屋が何やかんや歯切れ悪いですね。

米屋、打ちこわしたろか。

 

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「職業は?」「野球をやっています」・・・スワローズ田口投手が広島で街頭インタビュー

2024年08月30日 | ブログ

8月29日に九州に上陸した台風10号、30日は九州から瀬戸内海を横断しつつあるところである。上陸後に勢力は弱くなり暴風域こそなくなったものの、各地で強い雨となった。広島でも日中から夕方にかけては時折強い雨となった。

その中で30日、広島近郊ではJR在来線、広電の路面電車、そしてバス路線も全面運休となった。動いていたのは山陽新幹線の新大阪~広島間、そしてアストラムラインだけである。特に「アトム」は私の実家近くを走る近鉄南大阪線以上の「最強交通機関」といっていいだろう。

さて県内の動画ニュースでは、路面電車もバスも走らない広島市中心部を映し出していた。ある種異様な景色に見えた。普段ならひっきりなしにバスが出入りする広島バスセンターも無人。また、広島平和記念資料館も臨時休館となり、残念がる外国人観光客の姿も。

そうした街中のインタビューを流す中、本通り商店街で「この人も」と紹介されていたのが、スワローズの田口投手。プロ入りはジャイアンツ、そして現在はスワローズだが、出身は広島、高校は広島新庄高校である。30日~9月1日に広島でのカープ3連戦が組まれていたが、公共交通機関の乱れを想定して早めに広島入りしたという。そして、練習前の時間を利用して広島の街中に出てきたようである。

取材スタッフから「今日仕事は?」と訊かれ、「休みになりました」、さらに「職業は?」と続けられ「野球をやっています」・・・。

生中継ではなくインタビュー画像の編集なので何とも言えないが、田口投手は「昼から練習します」「マツダスタジアムでは全然勝っていないので勝てるように練習します」と返していた。田口投手が午前中に広島の街中にふらり来たのはたまたまで、RCCの取材スタッフは本当に偶然に遭遇したのだろう。まあ、「職業は?」「野球をやっています」のくだりはその場での演出だろうが、田口投手ならそのくらいの受け答えはお安い御用だろう。

さて台風は少しずつ東に向かっており、31日、9月1日のマツダスタジアムでのカープ対スワローズ戦は行われることだろう。首位を明け渡したカープは本拠地で仕切り直しとなるが、その前に、現在スワローズでリリーフを務める田口が「地元凱旋」?でどう立ちはだかるのやら・・・。

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台風のせいでとんだ週末になりそうだ・・

2024年08月29日 | ブログ

台風10号は29日に鹿児島県に上陸し、21時現在、熊本あたりを進んでいる。台風の中心から遠いところでも結構な雨が降り、線状降水帯が発生した地域もある。東海道新幹線ですら早々と全線運休を決め、夜のニュースでは混乱の様子も中継されていた。

私の上司がこの日東京本社での会議のため出張予定だったが、台風の接近を受けて急遽リモートに変更。

さらに、明日30日は広島近辺のJRだけでなく、広島電鉄やバスも終日計画運休が発表された。私の職場でもリモートワークに切り替え、パソコンを持って帰る人も。また、マイカー通勤の人も厳しそうならリモートワークで対応することとしている。

こうして会議や出勤をリモートで対応したり、交通機関も早くから計画運休するのが浸透している。数年前なら考えられなかったことだ。ただ、世の中にはそうしたくてもできない方も多いわけで、くれぐれも無理をなさらないように・・と思う(かくいう私は、立場上雨の中出社しますが・・)。

台風の速度が遅いので、西日本を通過するのは31日~1日という予報である。子どもにとっては夏休み最後の週末だし、私も実はその2日間で四国に渡る計画を立てていた。当初の予報ではその頃には西日本を抜けているというものだったが、段々進路が定まるにつれ、31日はもろに台風の影響を受け、1日も交通機関への影響が残るそうだ。仕方なく指定券やホテル等はすべてキャンセルに・・・まあ、そんなのはかわいいものだが。

ともかく、安全なところで過ごしましょう。何とか被害が最小限で済みますように・・・。

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台風10号、この先日本列島縦断??

2024年08月27日 | ブログ

お盆時期の台風7号は関東直撃か?という寸前に東の海上に進路を変え、想定されていたほどには被害もなくやれやれといったところだった。

それからおよそ2週間後、今度は台風10号が南の海上からゆっくり日本列島に近づきつつある。台風本体は来ていないものの、離れた場所で大雨、そして線状降水帯が発生という恐ろしいことになった。さらにここに来て勢力を増しているとか。

28日以降の予報円も出ているが、なんとまあ、きれいに日本列島を縦断する進路である。今回は広島を含む中国地方も何らかの影響を受けるだろう。進路がゆっくりで、長い期間風雨に耐えることになるだろう。

この週末、はたしてどうなるやら。祈るしかないな・・・。

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岸田首相が自民党総裁選不出馬を表明

2024年08月15日 | ブログ
盆時期は法事のため大阪に帰省、また後半は野球観戦、また神仏霊場巡拝の道めぐりを予定しているが、ニュースでは南海トラフ地震への警戒、そして台風7号の関東東北への接近の呼びかけ。16日は東海道新幹線も東京〜名古屋間が終日計画運休となる。

そんな中、14日に急に飛び込んだのが岸田首相の次の自民党総裁選への不出馬表明。盆時期で政治家の皆さんや記者の方もお休みの方が多いだろうに、どういう意図でこのタイミングでの発表になったのやら。お盆明けと同時に政局が始まるようにということかな。

広島選出ということで期待をしていた面もあり、G7広島サミットを無事仕切ったことは評価したい。ただ、政治不信、経済政策、外交・・・これは難しい課題だが、目立った成果が出なかったのは残念。ただ、他の方が首相だったとして、果たして成果は出せたかどうか。それだけ、日本の構造自体がもう回らなくなっているのかもしれない。

難局だらけの中、首相を務めてご自身の目標を達成されたことについては、お疲れ様でしたと言っておこう。

さてこれからの焦点は自民党総裁選となるが、立候補が取り沙汰されている方々の顔ぶれを見ても、どうだかなあ・・・。
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南海トラフ地震臨時情報・・いよいよやって来るのか?

2024年08月09日 | ブログ

8月8日の夕方、日向灘を震源とする最大震度6弱の地震が発生。

この日は朝から外出しており、新幹線で広島に戻り、改札内のビジネススペースでパソコンを開けてWEB会議に参加していた。その後メールチェックなどして、さて在来線に乗り換えようとパソコンを閉じた瞬間に緊急地震速報のアラーム音が鳴り響いた。周りの人も「何だ何だ」という様子でスマホを取り出す。駅構内でも緊急放送が流れ、上からの落下物に注意するよう繰り返される。

地震発生直後、新幹線、在来線とも安全確認のためにいったん運転を見合わせた。広島駅構内では少しばかりざわつきがあったが、10分ほどで順次運転再開の放送が流れ、落ち着きを取り戻した様子である。

広島市内は震度2~3だったが、宮崎県南部で震度5以上、日南市では震度6弱を記録した。幸い津波もなく、亡くなった方もいなかったが、それでも負傷や家屋の損壊、店舗の陳列商品が散乱する被害はあった。やはり豪雨や地震・・・当番が回って来るかのごとく絶えずどこかで起こっているように思う。8月の当番は宮崎県です・・・とでもいうか。

そしてこの後発表されたのが「南海トラフ地震臨時情報」である(画像はウェザーニュースのホームページから)。これまでにも「いつか発生する」と言われていた南海トラフ地震。その名前が冠せられた情報ということで、1週間程度は地震に対する備えを行うようにと呼びかけられている。その対象は広く、瀬戸内の広島、岡山、香川、愛媛も含まれている。これを受けて1週間程度、東海道新幹線が一部区間で徐行運転を行うほか、在来線の特急も徐行運転、運休を行うという。寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」も運休が決まり、お盆期間中に楽しみにしていた人たちも残念のようだ。

まあ、必要以上に恐れることはないにしても、改めて危険予知だな・・・。

・・・と思っていたら、9日の夜、今度は神奈川県で震度5弱の地震が発生。こちらは人の多いところでちょうど通勤帰りの時間帯。交通機関も運転見合わせとなり混乱が広がっているようだ。前日の日向灘に続き今度は関東ということで・・。9日の地震は南海トラフ地震との直接の関係はないとの発表だが、昨日の今日、はたしてどうなんだろうか・・。

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党首討論、やってたんや・・

2024年06月19日 | ブログ

所詮、その程度の扱いでしかないし、テレビニュースでその様子も報じられていたが、党首討論という割には何の内容もなく、正直、やる意味があるのかとすら思った。

政治とカネの問題、確かに大きなことかもしれないが、いつまでこうしたことに議論を費やすのかと思う。個人的には、別に多額の政治献金を受けようが、それを記載したかどうかということはどうでもよく、真に国民のためになる素晴らしい政策をしてくれれば何ら構わないと思う。まあ、そうなっていないグダグダな有様だし、野党もあてにならないし、党首討論といってもお互いのマスターベーションの時間でしかない。

結構なご身分、気楽な商売でいいですね。うらやましい。

ロシアと北朝鮮は首脳会談してますよ。こいつらが連合して日本に攻めて来たらどないすんねん・・・。

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白内障手術を受ける(左眼編)

2024年06月11日 | ブログ

以前の記事で、いろいろあった2024年5月の出来事として、「白内障の手術」にさらっと触れた。このたび、だいぶ症状も落ち着いてきたことで体験談として残しておくことにする。

前の記事では最初の右眼の手術、そして1週間の経過観察について書いた。ここまでの経過は良好である。片方だけながら、これまで感じることのなかった視覚をいただくことができた。

水曜日までの右眼の経過観察の1週間が経過し、明くる木曜日に左眼の手術である。同じように朝から眼科に向かう。手術の流れは一度経験しているので、気持ちとしては前回より多少は落ち着いているように思う。瞳孔を開く点眼薬、そして局部麻酔の点眼薬を入れていただき、手術室に入る。

リクライニングシートを倒され、血圧計、酸素濃度計をつけられた後に顔にカバーが掛けられる。ただこれは意外だったが、前回と違い右眼が回復しているので、カバーを通しておぼろげながら外で何が行われているか影が見える。補助のスタッフが何か手にしているなとか、何やら眼の上でゴソゴソしているなとか。片目だけつむるというのができないので、なまじ様子がわかるとやはり怖い気がする。

ただそれもわずかな時間のことで、まぶしい光が当てられ、少し瞼が重くなり、そして急に視界がぼやけた。濁った水晶体が砕かれた瞬間である。

続けて人工レンズが入り、今回も15分くらいで終了。左眼に眼帯と保護カバーがかけられた状態だが、一応右眼の視力が回復しているので、前回と比べて安心して歩いて帰宅できた。そのまままた1日、安静にして過ごす。前日、これを見越してあれこれ食料は買い込んでいたので外に出ることもない。まあ立場上なかなか有給休暇を取ることができないのだが、少なくとも体のことを気遣ってくれる職場の皆さんには感謝である。

翌日金曜日、左眼の眼帯を取ってもらう。これで右眼と左眼の視力のバランスがとれるようになった。私は幼稚園の頃から近視のため眼鏡生活で、裸眼でぼやけたままの状態も慣れているのだが、裸眼で遠くの文字が見えるというのは正直初めて、新鮮な感覚である。もっとも慣れていないせいか、眼鏡がないと座りがよくないようにも感じる。

先生の話では私の場合、「軽い近視が残る(残す)」とのこと。まあ、単焦点レンズで手元のほうが見にくくなっているので、どのみち眼鏡は近いうちに作ることになる。過去には、眼鏡をやめてコンタクトにすれば・・と薦められたこともあった。ただやはり、「眼鏡は体の一部です」という感覚もあったし、コンタクトレンズを眼に押し入れるのを見て怖くなったこともあり、頑なに拒んだ。軽い度数の眼鏡で今後楽になるのならそれで充分である。

先週と同様に、金曜日からは首から下のみ入浴可(洗顔、洗髪は不可)、また抗生剤、炎症止めの点眼薬は両眼に使用する。ただ今回、両方の裸眼で規定値以上の視力が出たとして、自動車の運転もOKとなった。そして翌日の土曜日、中1日おいて月曜日、さらに中1日で水曜日の通院となる。いずれの日もしかるべく検査、診察の後、先生からは「OKです!」のマル印が出る。医療技術の向上により白内障手術が失敗する可能性は限りなく低いがゼロではないので、経験豊富な先生でもやはり結果を見てようやく安心できるのだろう。

手術から1週間経過したことでほぼ通常の生活に戻ることができた。洗顔、洗髪OK、汗も落とそう・・・。

さて、左眼の手術を終えて経過観察が一段落した5月29日水曜日の夜、私が向かったのはマツダスタジアムである。そう、この日はマツダスタジアムで行われたカープ対バファローズの交流戦の観戦である。観戦記の記事では「いろいろあって」と書いたが、要は診察を終えた足で、快気祝いではないが出かけたというわけ。

・・・もっともこの試合、14対0でカープがバファローズに圧勝した。まあバファローズのチーム状態も悪かった時期だったが、通院にかこつけて会社を早退したタイミングで出かけたことに対して、何かしらの戒めがあったと思う(・・こういう思考に対してはいろいろな見方があるだろうな・・)。

その後の経過観察だが、現時点では週1回の通院を指示されている。手術後1ヶ月を目安とした後は、患者それぞれにもよるが通常なら通院の頻度も2週に1回、月に1回、3ヶ月で1回・・といった感じで少しずつ緩和するという。その間、点眼薬は継続使用になるが、おおむね手術後3ヶ月が一区切りとのこと。その頃には新しい眼鏡をつけているのかな。

・・当初「怖い」とか、妄想が先行して気分が悪くなった白内障手術だが、実際に受けてみてこういうものかと感じることができた。医師から手術したほうがよいと言われたら、躊躇せず受けるのがプラスだと思う。

これからどうなるやら・・・。

※一口に白内障日帰り手術といっても、広島市内のいろいろな眼科のホームページを見るだけでも手術前後についてそれぞれの眼科によってルールが異なるようだ。この記事もあくまで「一例」「個人の感想です」というくらいでご覧いただければ・・・。

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白内障手術を受ける(右眼編)

2024年06月10日 | ブログ

以前の記事で、いろいろあった2024年5月の出来事として、「白内障の手術」にさらっと触れた。このたび、だいぶ症状も落ち着いてきたことで体験談として残しておくことにする。

前の記事では、眼科にて両眼の白内障と診断され、手術の説明を聞いたところまで。目玉をグリグリされるのに心理的抵抗はあったものの、この先を考えるとやはり手術しなければならないだろう。後日眼科に電話を入れ、5月中旬の手術を予約した。まず症状がより進んでいる右眼、そして1週間後に左眼の順番で行うことになった。

手術前にも通院して精密検査を受けるとともに、入れる人工レンズの種類について打合せする。単焦点レンズ、多焦点レンズという選択肢があるが、どのタイプが適しているかは患者それぞれで異なるという。先生の診立てにより、私は単焦点レンズ、その中で遠いほうに焦点を合わせるタイプが採用され、手術後に視力が落ち着いたらそれに見合った眼鏡をつくることになった。

ちなみに、単焦点レンズだと全額健康保険適用で、高額療養費制度も使えるので自己負担を抑えることができる。一方の多焦点レンズは「選定療養」の扱いで、差額分は全額自己負担になる。

手術にあたり健康面で問題ないか確認するという。ここで検査できないこともないが、他の医療機関にかかっているのであれば現在の状況がわかる書類をいただきたいとのこと。そこで、糖尿病の定期通院の際にお願いしたのだが、眼科の先生とは懇意で快諾いただき、問題なくクリアできた。

・・さて手術3日前。指示によりこの日から、手術する方の眼に抗生物質入りの点眼薬を1日3回点眼する。手術前に眼を清潔に保つためである。

そして迎えた手術当日は木曜日。

朝食は普通にとってよいとのことで、しっかりいただいた後に眼科に向かう。やはり緊張する。

まず待合室にて、スタッフの方が手術する眼のまぶたに印をつけ、瞳孔を開く点眼薬を数分おきに入れていく。その後、麻酔薬も何度か点眼する。その間はテレビを見ながら過ごすのだが、そんな中、先に手術を終えた高齢の方が片方の眼に大きな眼帯と保護メガネをつけた状態で、付き添いの人と一緒に出てきた。

私も数十分後にああいう姿になるのか。

そろそろ時間のようで、手術用の帽子をかぶり、術衣を羽織り、スリッパに履き替える。手術室に入ると、先生とスタッフ数名が「頑張りましょう」と出迎えてくれる。

リクライニングシートが倒されるとともに、片腕には血圧計、もう片方の指には酸素濃度計をつけられ、顔には眼の周囲だけ開いたカバーをかぶせられる。その眼の周囲もまぶたを開いた状態でテープを貼られ、瞬きもできない。そこは麻酔やら洗浄液のようなものやらをかけられて乾燥しないようにする。

そして執刀開始。基本的には目の前のまぶしい光を見る感じで、先生が時折「上を見てください」「下を見てください」などと声をかけるのに従うのみである。

「急に視界がぼやけますが、大丈夫。順調に行っていますよ」の言葉とともに、視界がぼやける。おそらくこの瞬間、元の水晶体が砕かれたのだろう。

実際に手術を受けている間、多少眼に圧迫感はあったものの痛みはほとんど感じなかった。ただ、何が行われているか見ることはできないのだが、目玉をグリグリやられてることには変わりない。これ、付き添いでその光景を間近にするとまた気分が悪くなったのではないかと思う。

手術室に入って15分くらい、最後は右眼に眼帯がかけられて終了。当然眼鏡はかけられず視力の悪い状態で、普通は付き添いの人が来るかタクシーを呼ぶかするそうだが、独り者だし、家はすぐ近くでタクシーに乗るほどではないのそのまま一人で歩いて帰宅した。比較的往来の多い道路を渡る時はヒヤッとしたが、無事に帰宅。この日はそのまま安静である(会社は有給休暇)。

手術後の生活として、食事は普通にとってよいが、水が眼に入ることによる感染症のリスク予防のため、入浴、洗顔、洗髪は禁止である(固く絞ったタオルで患部以外の顔を拭く、電気カミソリでひげを剃るのはぎりぎりセーフ)。

その日はボーッとした状態で眼帯とカバーを気にしていたが、夜は一応眠ることができた。

翌日金曜日も通院。先生の手で眼帯を外し、手術痕などを確認したところ問題なく、手術は無事成功とのこと。裸眼でも視力がよくなったのがわかる。また、片眼ずつで白いものを見比べると、手術前の左眼に比べ、手術後の右眼だと白の鮮やかさが違うのがわかる。蛍光灯とLEDの違いというのか、あるいは使用後のワイシャツの白さを強調する洗濯用洗剤のCMというのか・・。この違いが水晶体の濁りで、手術後の見え方は20歳代に相当するとのこと。

いや~、手術受けてよかった。左右で視力がアンバランスのためちょっとしんどいが、これは過渡期のものである。

ただ術後も継続してケアする必要があり、抗生剤および新たに処方された2種類の炎症止めの点眼薬を1日3回入れるよう指示される。この日から首から下の入浴はOKとなったが、洗顔、洗髪は引き続き禁止で、入浴する際は浴槽やシャワーの水が眼にかからないよう注意を受ける。

ということで、いったん帰宅した後、首から下だけシャワーを浴びる。そして、さすがに自動車の運転はできないが公共交通機関と徒歩で職場に向かうことができた。職場の皆さんにも心配をかけたが、安心していただいた。

なお術後の経過観察は継続で、翌日土曜日、そして1日挟んで月曜日に通院。その都度いろいろ検査をした後で先生の診察だが、「OKです!」と手でマルを作ってくれる。手術痕の写真も見せてくれるが、これも自然になくなるとのこと。

さらに1日挟んだ水曜日に通院。この日も問題なく、「OKです! 明日は左眼の手術ですが、今日はしっかりリフレッシュして、また頑張りましょう」ということで、洗顔、洗髪も解禁。帰宅後存分に入浴し、久しぶりにさっぱりした・・・。

※画像は私が通院している広電宮島線・高須電停すぐの「うえ眼科」ホームページから引用。

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白内障手術を受ける(手術まで)

2024年06月09日 | ブログ

以前の記事で、いろいろあった2024年5月の出来事として、「白内障の手術」にさらっと触れた。このたび、だいぶ症状も落ち着いてきたことで体験談として残しておくことにする。

話は半年以上前にさかのぼるのだが、長くかけていた眼鏡が合わなくなった。今思えば2度目の広島勤務となった2020年以降少しずつ見えにくさを感じていたのだが、パソコンの画面を見る時間が長くなったのと、年齢で近視の度合いが進んだのだろうとそれほど気には留めていなかった。

しかし、健康診断などで眼鏡をかけても視力が出ず、このままだと運転免許証の更新に影響が出ると思い、10年以上ぶりに眼鏡を新調することにした。そして近くの商業施設にある眼鏡店に行ったのだが、レンズの度を上げても十分見えるところまではいかず、眼科に相談したほうがよいと言われた。

そこで、同じ商業施設にある眼科に行き検査を受けると、「白内障の症状があるようだ」とのこと。ただこの眼科は主に眼鏡やコンタクトレンズの処方を行う診療所ということでそれ以上のことはできず、一度専門の眼科に行ったほうがよいとだけ言われる。

うーん、白内障か・・。糖尿病の毎月の通院は欠かしていないが、よく言われる「定期的に眼科に通いましょう」を怠ったツケが回ったかなと思った。HbA1cは安定しているとはいえ、知らぬ間に合併症が進行していたのか・・。

自宅のすぐ近所に白内障手術を扱う眼科があるのだが、手術というと目玉をグリグリされる姿がイメージされ、どうしても躊躇してしまい、そこからまた時間が経過した。

たださすがにこれ以上は無理だとして、4月になり眼科を受診。いくつかの検査の結果、両眼とも白内障との診断が出た。幸い糖尿病の合併症ではなく加齢性のもので、ちょうど50歳代の私はそれが早めに現れたとのこと。

私より歳が若い先生から、「白内障とは何かいね、というところから説明しましょう」として、モニターのスライド、目の模型、そして私や他の患者さんの眼の写真を見せながらの解説を聞く。

白内障とはひとことでいえば、眼の中にある水晶体が濁る病気である。それによる症状や進行度合いには個人差があり、私のような視力低下のほか、光が拡散してまぶしく感じたり、視界が全体的にかすむなどさまざまある。なお、いったん白内障が発症したら、点眼薬だと初期段階の進行を遅らせるだけで、治療するには手術ということになる。

手術の流れだが、眼球の端に2.5mmほどの傷を作り、超音波を発信する器具を挿入して水晶体を砕きながら吸い出し、その後に人工レンズを挿入するというもの(画像は、日本眼科学会のホームページから引用)。ただ私の場合、年齢の割には症状がそれなりに進んでいるようで、両眼とも水晶体が結構硬くなっているという。硬くなるとその分超音波で砕く難易度が高くなるし、場合によっては手術ができないこともあるそうで、今日明日とは言わないがやはり早めの手術を薦められた。

・・恥ずかしい話だが、若い先生が熱心かつ丁寧に話をしてくださるのに、おっさんの私、症状が進んだ眼の写真を見せられたり、目玉をグリグリやられる姿を想像するうち、気分が悪くなってしまった。「ちょっと休みましょう」とスタッフの方に声をかけられ、いったん診察室を出て長椅子で呼吸を整える。これは何も先生に問題があるわけでなく、私が勝手に想像(妄想?)を膨らませただけのことだが、こういうのが苦手なもので・・・。

少し休んでもう一度先生の説明を聞いた後、今日のところは即刻問答無用で手術とはならず、「ご自身の決心がついた時点で構いませんので」と後日予約の電話をすることになった。

とはいえこのままだと何ら好転することはないわけで、早急に腹をくくって決めなければならないだろう・・・。

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