長命寺の参詣を終え、この日最後の札所である西国四十九薬師第47番の善水寺を目指す。琵琶湖畔から湖東に広がる田園、住宅地を抜ける。長い直線道路を走り、ダイハツの滋賀工場がある竜王町から湖南市に入る。
善水寺に到着。駐車場がやたら広い。今回はレンタカーで直接来たが、公共交通機関なら草津線の甲西駅まで来て、コミュニティバスに乗り換えて10分ほどで最寄りのバス停まで行くことができ、そこから歩いて15分ほど。バスの本数もそれなりにあるので、使えるコースと言える。もっとも、徒歩と公共交通機関だと今回のように5ヶ所をいっぺんに回るのは無理。経路もさることながら、観音正寺、桑實寺、そして長命寺とそれぞれ長い石段を上ることにもなるので・・。
受付で拝観料と朱印代を納め、出る時に朱印を受け取ることにして境内に入る。朝に訪ねた西明寺が湖東三山の一つなのに対して、ここ善水寺は常楽寺、長寿寺と合わせて湖南三山の一つとされる。湖南三山も紅葉の名所として知られているところ。今回、それぞれ1ヶ所ずつ代表でお参りする形となった。
本堂は開放されており、横扉から中に入る。本堂の中は格子で外陣と内陣が区切られる天台宗の様式。外陣に椅子が並べられていて、そこに腰かけてまずはお勤めである。
寺の方が、「もう一組来られますので、しばらくお待ちください」と声をかける。こちらでは本堂の中の案内を行っているようだ。しばらくすると夫婦連れがやって来て、ここで寺の案内である。
善水寺は奈良時代、元明天皇の勅願で国家鎮護の寺として開かれた。後に、伝教大師最澄が比叡山延暦寺を開くに当たり、木材を求めて甲賀の地にやって来た。その時、池の中から薬師如来が現れたことで雨乞いの祈祷を行った。桓武天皇が病気になった時、祈祷したこの池の水を献上したところ、天皇の病気が平癒した。そのことから「善き水」として「善水寺」の名前をいただいた。
現在の本尊薬師如来は平安時代の作とされ、秘仏。開帳は不定期に行われるという。また外陣には一対の金剛力士像が立つ。かつては仁王門に祀られていたが、その仁王門は1953年に大雨で流失したという。金剛力士像はその前に本堂に移されていたため難を逃れて現在にいたるが、こういう室内にいると威圧感をおぼえる。
内陣にも通される。厨子に収められた本尊薬師如来を諸仏が囲むが、薬師如来の両脇に多くいる日光・月光菩薩ではなく、梵天と帝釈天という二天が祀られている。さらには四天王が左右に二体ずつ、そして「チーム薬師」の十二神将が六体ずつ左右に揃う。いずれも平安~鎌倉時代の作だが、長年の歴史で損傷も目立つ。賽銭箱には修復のための寄付を呼びかけるメッセージが貼られている。その他諸仏があるが、かつての延暦寺の仏を模して造られたものばかりだという。
先ほどの西明寺もそうだったが、延暦寺から琵琶湖を挟んだ東側にこうした写し寺院を設けたというのは、伝教大師、天台宗として何か意図があったのだろうか。
本堂の隣に池があり、元三大師堂が建つ。その脇に湧くのが「善水元水」。寺名の由来ともなった、桓武天皇の病を癒した伝説のある水である。ちょうどペットボトルの水が少なくなっていたので、ありがたく汲ませていただく。
さて、ここで次の行き先を決めるサイコロである。くじ引きの出目は・・
1.京都(法界寺、醍醐寺プラス西国10番三室戸寺、西国11番醍醐寺)
2.橿原・名張(久米寺、弥勒寺)
3.南紀(神宮寺プラス西国1番青岸渡寺)
4.阪神(久安寺、昆陽寺)
5.高野山(龍泉院、高室院プラス西国3番粉河寺)
6.大阪(四天王寺)
最後に訪ねることになる第48番の水観寺、第49番の延暦寺を除くと、サイコロの出目もちょうど残り6つとなった。そろそろ終盤に近づく。
そして出たのは・・「5」。高野山である。今回、サイコロの目が南紀以外の場合、6月26日~27日にかけて行く予定にしており、これからアクセス、宿泊地を決めることになる。そのわけは・・・少し前の記事を見ていただければ。
受付にて朱印を受け取り、これで慌ただしい5ヶ所めぐりも無事に終えた。後は無事故で草津駅に戻るだけである。
国道1号線に出て、草津線にも沿いながら草津に到着。時間に余裕を持ってレンタカーも返却し、予定より早い新快速に乗車して新大阪へ。
帰路は早めにと言うことで「こだま」ではなく、お金がかかっても(というか、それで定価なのだが)「さくら」に乗車する。広島までは約1時間半だ。
今回は滋賀の湖東地区を走った。少し前の湖東といえば、独立リーグのルートインBCリーグに所属するオセアン滋賀ブラックス(旧・滋賀ユナイテッドBC)の試合も観に行ったものだが、独立リーグもご無沙汰している。また機会があればどこかのリーグ戦でも行きたいのだが・・・。