まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

バファローズ日本一おめでとう!!

2022年10月30日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

オリックス・バファローズが日本シリーズ第7戦に勝利して、4勝2敗1分で見事日本一となった。

「バファローズ」という名前のチームが日本一になるのは初めてということで、近鉄からのファンである私も感無量である。いや~、不思議な感覚だ。

第7戦は太田の初球先頭打者本塁打から始まり、杉本の当たりを塩見が落球するエラーもあり、前半で5対0とリード。最終戦にしてはムードの差か、あっさり決着がつくのかなと思った。しかし終盤、スワローズが村上のタイムリー、オスナの3ランで一気に追い上げる。またまた緊張させられる場面だが、比嘉が後続を断った。

9回のマウンドにはワゲスパック。最後、三振を奪った時にグラブを大きく放り投げたところはさすがアメリカ人だなと思った。

で、歓喜の胴上げである。現地のファンたちはない一層、至福の光景を目にされたことだろう。

これまで試合展開、選手起用などでいろいろボヤいたこともあったが、これまでの頑張りがようやく報われた、結実した、長くファンをやっていてようやくこの日が訪れたことで忘れられないシーズンとなった。

そして、この瞬間から来季のペナントレースが始まる。パ・リーグの他チームも今度は打倒バファローズを目指して戦力の充実を図るだろうし、バファローズも油断できない。さらにレベルの高い戦いが観られるのを楽しみにしたい。

ともかく、選手、監督、関係者、そしてファンの皆さん、おめでとうございました!!

コメント (2)

うわ〜、王手かけてしまいましたぜ・・・

2022年10月29日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
日本シリーズ第6戦は再び神宮球場に移しての試合。バファローズが3対0で勝利して、日本一に王手がかかった。

私はこの日は九州西国霊場めぐりのため福岡を訪ねており、福岡市の東に投宿。早めの一献をすませて、試合中盤からはホテルの部屋にてテレビ観戦だった。現地観戦の皆さん、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。

その中で山﨑福の無失点投球(それにしても、今季公式戦ではビジターのみで勝利という変わった投手)で試合の流れを引き寄せ、杉本のタイムリーを呼び込んた。

その後のリリーフ陣は完璧だった。平野が先で山﨑颯が後だったのは何か意図があってのことかな。

いや、正直ここまでの展開になるとは思わなかったが、ここまで来れば全員で日本一を勝ち取ってください。

・・明日は九州での予定を切り上げて、試合開始に間に合うように帰宅しなければ・・・。
コメント

第49番「浄空寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(大和ミュージアムから熊野へ、そしてリーグ優勝)

2022年10月28日 | 広島新四国八十八ヶ所

(このところ、書き出しはこればかりだが)日本シリーズは第5戦を終えて2勝2敗1分とまったく五分の展開となった。正直、第3戦まで終えたところで私の中ではあきらめムードがあったのだが、第4戦のリリーフ陣の踏ん張り、第5戦の吉田正のサヨナラ本塁打など、テレビ桟敷でも見ていて緊張する中、しびれる展開となった。

これで舞台は再び神宮で行われ、どちらかが連勝すれば第7戦で決着、そうでなければ第8戦以降にもつれ込む。もし第6戦か第7戦で引き分けでも挟もうものなら史上初の第9戦ということもあり得る・・。

29日~30日には神宮球場に参戦します!!・・・と言えればいいのだが、ちょうど広島からさらに東京とは逆の方向に向かうため、遠方から応援を送ることにしよう・・。

話は本題の広島新四国へ。

10月2日、広島新四国は呉市内の2ヶ所を回り終えて熊野町方面に向かうが、その前にせっかく呉に来たのだから大和ミュージアムに立ち寄ろう。大和ミュージアムは私が前回の広島勤務を離れた後の2005年に開館し、今では呉を代表する観光スポットの一つである。開館してからは広島への「旅行」の行き先の一つとして何回か訪ねたが、2回目の広島勤務となってからは初めてである。

この日は企画展として「海軍を描いた作家」というのが行われていた(2023年3月末まで開催)。「大和」、「長門」、「陸奥」という海軍を代表する戦艦をテーマとした3人の作家についての紹介である。実際に大和に乗船し、鹿児島沖での沈没までを綴った「戦艦大和ノ最期」を著した吉田満、広島出身で海軍にも従軍し、「軍艦長門の生涯」を著した阿川弘之、そして海軍経験はないが、「記録小説」のジャンルを確立し、「戦艦武蔵」、「陸奥爆沈」などを著した吉村昭の3人である。

それぞれの生い立ちや実際に使用していた道具、原稿などがケースにて紹介されている。また、阿川弘之の書斎を再現したコーナーもある。書棚には阿川弘之の著書もずらりと並ぶが、その中に鉄道旅行に関するものも含まれているのが懐かしい。内田百閒と宮脇俊三の間というのかな。

この中で、「関東大震災」や「三陸海岸大津波」などの作品で接していた吉村昭の代表的な作品を読んでいなかったなと、後日「戦艦武蔵」、「陸奥爆沈」を買い求めて読んだ次第である。

そして通常展示で出迎えるのは、大和の10分の1スケールの模型である。この精巧な造りは、来る人に大和への想像をたくましくさせてくれる。

展示室は呉の町の歴史に関することと、戦艦大和に関することの2つに分かれる。呉の歴史のコーナーでは、明治に呉に鎮守府、海軍工廠が設置された頃から、軍事産業を中心に港町として栄えた様子が紹介されている。

その中で、1934年夏の甲子園決勝、呉港中学の藤村富美男が川上哲治のいる熊本工業相手に完封勝ちで優勝したシーンのジオラマもある。前の記事で、呉ゆかりの野球人ということで何名かの名前を挙げたのだが、その中でも「呉のスター選手」の印象が最も強いのが「ミスタータイガース」といえる。なおこの大会には沢村栄治のいる京都商業も出場していた。

そして時代は太平洋戦争へ。呉からも多くの艦艇が出撃した。映像コーナーでは太平洋戦争の様子をまとめた映像が流れるが、当初は快進撃を続けていた日本軍もやがてアメリカ軍の反攻により戦局が悪化する。そして大和も沈没、呉の町も大きな空襲に遭い、最後は広島への原爆投下・・。映像コーナーには来る人のほとんどが一度ここで足を停めて映像を食い入るように眺めていた。コーナーの最後には、呉から見えたという原爆のキノコ雲の写真もあった。呉は直接被爆していないとはいうものの、ここでもあの雲が見られたのかと思うと、改めてその威力を感じた次第である。

また、大和のコーナーでは、大和の建造やその性能に関することの他に、大和と運命を共にした人たちについても紹介されている。紹介ボードには乗組員一同の名前がずらりと記され、また遺品も多く並び、大和に乗務していた人たちの無念も伝わって来る。

一方で、鹿児島沖に沈没した大和からの引き揚げ品も展示されている。船体そのものを引き揚げるのは現在も技術や費用の面で困難なそうで、このまま海中に眠る歴史遺産という扱いになるのかな。

他には大型資料展示室として、ゼロ戦や人間魚雷「回天」なども飾られている。この「回天」の訓練が行われていたのが周南市の大津島である。この大津島もそうだし、爆沈した戦艦陸奥に関するスポットがある柱島や周防大島といったところもそうだが、山口県内にも太平洋戦争に関するスポットが点在しており、こうしたところはまだ訪ねたことがないので、ぜひ一度行かなければと思ったことである。

一通り見学し、呉名物の海軍カレー(海自カレー)のレトルトも土産物とする。

出発前に、フェリーターミナルに向かう。ちょうど松山との間のスーパージェットや通常のフェリーも出入りするタイミングで、しばらくその景色を眺める。自衛隊の敷地にも近い。ここから先日訪ねた広島新四国の第46番・萬願寺の五重塔が見えるかなと思ったが、さすがにはっきりとはわからなかった、

ここから、広島新四国の第49番・浄空寺を目指す。午前中にたどった二河川の対岸を走り、熊野町方面に進む。この時点では、次の浄空寺は熊野町にあるのかと思っていたが、後で気づいたところではまだ呉市内だった。浄空寺から数百メートル離れたところは熊野町で、法然寺という広島新四国の札所があるが、第60番。札所番号順に回るとなると、改めて熊野町に来ることになる。

一応、呉からのバスが走る県道沿いである。セブンイレブンの脇から細道に入り、浄空寺の境内に到着する。石垣を備えているが、建物自体は最近のもののように見える。

浄空寺は戦後の1949年、山本浄空という僧が、三滝の善光寺(広島新四国第13番)の開祖の導きで、江田島にて阿弥陀如来を祀ったのが始まりという。その後信者も集めたが、1967年に火災に遭い、2年後に現在の地にて再興された。現在の本堂は1989年、平成元年の建立という。

本堂の扉は閉まっていて、とりあえずその前でお勤めとする。そして朱印を・・ということだが、箱がないので庫裡のインターフォンを鳴らす。すると住職らしき方が出て、本堂の扉を開けるのでそちらに回るよう案内される。

本堂の外扉が開けられ、中に入る。こうなるともう一度お勤めである。その間、住職に後ろから見守っていただく。ローカル札所の対応も極端なもので、全くの無人で書き置きの朱印も覚束ない札所がある一方、わざわざ本堂に上げていただいてお勤めの様子を見守ってくれる札所にも出会う。だからいいというわけでもなく、やはりプロの僧侶が後ろにいるとどうしても緊張してしまう。

お勤めを終えると、朱印の他にお接待ということでお下がりのお菓子をいただき、寺を後にする。

クルマはこのまま広島市に戻り、海田大橋から広島高速をたどって西区に戻る。ここまで第49番、ちょうど、四十九薬師と同じ番号まで来た。次の50番は広島市内に戻ってのお参りである。

・・・さてこの10月2日は、繰り返しになるがパ・リーグの優勝が決まる最終戦が行われた日。夕方からは仙台でのバファローズ対イーグルス、千葉でのマリーンズ対ホークスをBS中継で追いかけた。

そして最後にこの歓喜の瞬間を迎えた。午前からの札所めぐりのおかげというわけではないが、よき1日になったことだった・・・。

コメント

第48番「観音寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(気さくな住職から歓待を受ける)

2022年10月27日 | 広島新四国八十八ヶ所

・・・とうとう、この男が目を覚ました!!すごい・・・。

10月2日の広島新四国八十八ヶ所めぐりの2ヶ所目は観音寺。観音寺とは札所めぐりをしているとあちこちで目にする名称である。こちら呉の観音寺は「聖天観音寺」という名前で知られているそうだ。聖天(歓喜天)といえば真言宗ともつながりが深い。

クルマは急な斜面を回り込むように上る。その斜面にも家が貼り付くように建ち並んでいる。観音寺は呉市の両城というところにあるのだが、カーナビを入れても手前までしか案内しない。そんな中、私の軽自動車がやっとという細道を上る中、案内が終了した。1軒の家があり、「観音寺臨時駐車場」の文字と矢印がある。この先にあるのかなとしばらく走り、それと思われる駐車場に出たが、どうも様子が違うようだ。たまたま駐車場にいた人に尋ねると、ここは違うと言われる。おかしいなと、元の看板に戻ってまた向きを変えたり、思い切って麓の商店街まで下りてもう一度やり直したり、寺は近くにあるはずだがなかなかたどり着けない。

結局、先ほど「観音寺臨時駐車場」の札が出ていた家(実は、観音寺の寺務所だった)の斜め向かいにあったクルマ数台が停められるくらいの空地が、先ほど矢印が示していた駐車場だったようだ。それにしても、軽自動車だから何とか上がってきたが、ちょっと大きめの自家用車なら初見だと厳しいかもしれない。

ならばこちらの道かと進むと細道、階段となる。ここから石段を上がっていく。そのまま行くと景色が広がる。先般、呉の市街地を南東方向から眺めたが、今度は北西方向からの眺めである。天気も良く、風もちょうどよい感じだ。

途中、レンガ造りの祠に出会う。また寺の外塀もレンガ造りである。呉といえばかつての海軍の町。そうした歴史と何か関係があるのだろうか。

そして本堂に到着。ここは本堂の外でお参りなのかどうかと思うが、左手の境内が独特の雰囲気を醸し出しているので、いったん先にそちらに向かう。四辺に石仏が並ぶ鐘楼や水子地蔵もあるが、その横には石をくり抜いて石仏を祀っている。ただその横に焚木が積まれていたりして、一瞬、とこかの窯元にでも来たのかと思ってしまう。

本堂に引き返すと、私が来たのを見つけたか、住職が出迎えて中に通される。結構気さくな感じで話しかけられる。広島新四国で来たのかと尋ねられ、朱印を用意するのでどうぞご自由にお参りをと声を掛けられる。

本堂の正面には本尊の不動明王が祀られている。その前には役行者像がある。ここで一通りのお勤めとしたところで住職がやって来て、寺の中を案内していただく。隣の間には聖天(歓喜天)が祀られている。

その後、「ここからの眺めがいいんですよ」と奥の座敷に招じられ、お茶をごちそうになる。「どうぞ足をくずして、また、私がマスクをしているので、(マスクを)外していただいて結構です」と勧められる。

観音寺がある両城山はかつて弘法大師も修行したといわれており、古くから大師を祀る祠があった。時代が下って明治中期、呉に鎮守府が設けられた際、初代の長官に着任した中牟田倉之助が、呉の港を見下ろす地に弘法大師の祠があることを知り、この地に鎮護国家、武運長久、海上安全を願って不動明王を祀った。合わせて、市民の安泰、街の発展を願って京都の神泉苑から十一面観音と聖天(歓喜天)を勧請した。これが観音寺の始まりという。明治といえどもその頃になると廃仏毀釈ということはなく、呉の鎮守府長官が弘法大師にあやかって寺を開いたというのも珍しい。

同じように呉の港を見下ろす寺といえば、前回訪れた第46番の萬願寺を思い出すが、観音寺のほうは海軍工廠や現在の造船所、自衛隊の敷地からは少し離れている。

その観音寺、戦争中には弘法大師の祠の横に防空壕が掘られた。それが戦後になると防空壕をくり抜いて滝行の場が造られた。

住職から「広島新四国はどのくらい回っているか」と尋ねられ、札所番号順に回っていると答えると驚いた様子だった。住職の話では、札所番号順で回る人は1割ほどではないかとのこと。確かに、広島新四国の巡拝はエリアごとにモデルコースがある一方、札所番号はあちこちに飛んでいる。たまたま呉市は比較的番号順に並んでいるが、呉市の南、倉橋島には60番台でまた来ることになるし、その前にもう一度三原~東広島をたどる必要もある。そりゃ、エリア順に回るのが自然ではないかと思う。

「番号が飛んでいるのは、『いろいろな』歴史があってのことですよね?」と返すと、「そう、いろいろ」と言われる。私が念頭にあった「いろいろ」というのは広島の原爆投下で、市内にあった寺院も被爆の影響で廃寺、あるいは戦後に別の場所で再興したというのをいくつか見てきた。また、戦後の市街地開発や敷地が手狭になったなどの理由で郊外に移転した例もあった。

そこに住職が「いろいろ」と加えたのは、寺の後継者問題である。後継者がいないなどの事情で寺じたいをたたんだところもあるそうだが、さすがに広島新四国の札所を欠番にするわけにはいかない。そこである時期から、後継となる寺は宗派を問わず受け入れることになったという。それで、札所番号順だといきなり別のエリアに行くことになる事象も生じた。

そう話す住職も元々は医薬品関係やカウンセリングの仕事をされていて、一時大阪で働いていた時期もあったそうだが、数年前に寺の後を継ぐために呉に戻られたという。そして(住職曰く、カネがない貧乏寺院ながら)少しずつ寺の改装や、写経、滝行、護摩供なども気軽に参加できるよういろいろ取り組んでいるとのこと。現在は寺の案内を送るためのLINEグループも運営しているが、そのきっかけは「法要の案内などを発送する郵便代がもったいないのでは?と檀信徒の方に言われたから」だという)。

最後に、防空壕をくり抜いてできた滝に連れて行ってもらう。先ほど何かと思った洞窟がその入り口で、入ってすぐ左手に弘法大師が祀られていた祠の跡もある。そして数メートル進んだ奥に、周りをぐるりと囲まれた滝場がある。これらは鑿、槌で手掘りされてできたものだという。ここにあるのは常時水が落ちていう自然の滝ではなく、滝行の時に水を出す人工の滝だが、日差しの加減によっては結構いい写真も撮れるそうだ。

本堂前に戻ったところでお礼を言って寺を後にする。次は熊野町に近い第49番・浄空寺に向かうが、せっかく呉に来たということで、久しぶりに大和ミュージアムに立ち寄ることにする。ミュージアムの駐車場が満車だったので、道路を挟んだゆめタウンの立体駐車場に停めてから向かうことに・・・。

コメント

第47番「三徳寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(この記事は・・というよりコイツは寺?野球?何が言いたいの??)

2022年10月26日 | 広島新四国八十八ヶ所

日本シリーズ第3戦のテレビ中継を途中でやめて、もうこれ以上見るものかとそのまま不貞寝したのだが、1日明けて、また夕方になると気になり、帰宅してテレビの前に座ってしまう。自分でも勝手なものだと思うが、ペナントレースもそれに近い状況からひっくり返したのだから、最終結果が出るまでは追い続けることにしよう。

・・・本題に行こう。広島新四国八十八ヶ所めぐりの続きの記事である。9月18日、台風が接近する前に呉市街の3ヶ所を回り、その続きは10月2日とした。これは私のスケジュールとの兼ね合いだったが、この日の夜はパ・リーグの優勝が決まる試合が行われる。別に願掛けをするわけではないが(そりゃ、広島の寺に祈ったところで、カープならまだしも「『バッファローズ』なんか知ったことかいな」と一蹴されるだけだろう。いまだにパ・リーグを見下している土地なので)、こちらはこちらでこの機に進めておこう。

今回は呉中心部の後半ということで、第47番・三徳寺、第48番・観音寺、そして呉中心部から熊野町に向かって第49番の浄空寺に向かう。バス利用だと不便そうなのでクルマ利用である。

好天に恵まれ、これだと呉の港の景色もよりきれいに見えることだろう。いったん商工センターに出て、広島高速に乗る。その後接続する広島呉道路(クレアライン)に入り、呉の中心部に到着する。

これから向かう三徳寺へは、クレアラインの呉インターを出て呉駅とは逆方向の二河川方面に向かう。その途中にあるのが呉市二河球場。現在は呉市の建設会社がネーミングライツ契約を交わし、「鶴岡一人記念球場」という名前である。南海ホークスの選手・監督だった鶴岡一人が呉の出身であり、また建設会社の創業者一家も鶴岡と交流があったことから敬意を表しての名づけである。鶴岡監督からのつながりで、南海ホークスが呉でキャンプを行っていたこともある。

呉市出身のプロ野球選手・監督でもっとも実績があるのは鶴岡一人としてよいだろうが、他にも藤村富美男(初代ミスタータイガース)、浜崎真二(阪急・国鉄監督)、広岡達朗(巨人選手、ヤクルト・西武監督)といった、オールドファンには懐かしいメンバーが並ぶ。それ以降は球史に名を残す選手がなかなか出ないのだが・・。

呉二河球場では以前はカープの公式戦も行われていたが、昨今の傾向としてマツダスタジアム以外の県内球場での試合というのがほぼなくなっている(他の球団も同様だが)。収容人数や設備に関係もあるのだろうし、マツダスタジアムで試合をしたほうが儲かるからだが、広島県だけでも広いのだから年に数試合は県内、中国地方開催でもいいのではないかと思う。

2023年5月には広島でG7サミットが開かれるため、その前後は宿泊施設の確保や警備の関係で、マツダスタジアムでの試合が難しいという。ならばこの機に近隣球場で主催試合を行えばよいのではと思うが・・。

・・・目指す三徳寺は二河川沿いに上って行く道筋にあるようだが、寺の名前がないので住所でカーナビに入力すると、どうも1本山側の道を進んでいるようである。引き返して改めて川沿いの道を行くが、今度は入口がわからず、そのまま通り過ぎてしまう。

道が行き止まりになったところに二河峡公園というのがある。中国自然歩道のルートの一部にもなっており、この先をたどっていくと滝も間近に見えるそうだ。

ここで折り返し、今度はスマホ地図も参照しながら入口とおぼしきポイントを探す。すると、「ここを入っていくのか?」と思わせる細くて急な坂道を見つける。果たしてそこが入口で、軽なら何とか行けるかと上って行く。

寺の入口を過ぎたその先に「三徳寺駐車場」の看板があり、無事に停めることができた。それでも同じ敷地には寺のものだろうか、ワゴン車も駐車してあるのでそうしたクルマも入ることができるのだが、初見だとびびってしまいそうだ。川沿いの路肩に駐車して、そのまま歩いて上がったかもしれない。

細い階段を上がり、建物の下をくぐってさらに階段を上がると境内に出る。正面が本堂で、右手には十三仏などの諸仏の石像がある。寺全体が山の斜面の地形を最大限活用した境内である。ちなみに、カーナビで入力した番地だとこの上を指しており、そこから下りてくる術はなさそうだった。

まずは本尊阿弥陀如来に向かい、本堂の上り口でお勤めとする。朱印はケースに入っていてセルフでいただく。

三徳寺が開かれたのは1965年と比較的新しい。広島新四国のサイトでも、本尊に阿弥陀三尊、鎮守に福徳大荒神を迎え、福徳円満な実りと密厳浄土の建立を願う・・というくらいしか案内の記載がない。「三徳寺」で検索すると、なぜか投入堂がある鳥取の「三徳山三佛寺」が上位に来るくらいだが、それでも諸仏が境内所狭しと集まっていて、信仰のスポットとして密度が濃い。

本堂にお参りする前に、四国八十八ヶ所のお砂踏みの案内があったのでそちらにも行ってみる。こちらはある程度の広さが確保されており、比較的最近整備されたように見える。こちらでもぐるりと回り、手を合わせる。三徳寺と同じ第47番といえば松山市の八坂寺である。ちょうど松山市近辺の札所が比較的固まっているエリアだが、その松山も何回かに分けて回ったのを覚えている。

さらに参道が上に続いており、本堂を見下ろす形で不動明王その他の諸仏が祀られている。コンパクトな奥の院といった趣がある。やはり、地元の人たちがさまざまな願いを持って参詣に来るのだろう。

これで三徳寺を後にして、次は観音寺に向かう。こちらも呉の市街地を見下ろす高台の上にあるそうだ・・・。

コメント

第46番「萬願寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(歴史の見える丘を見下ろす呉の名刹)

2022年10月25日 | 広島新四国八十八ヶ所

・・・日本シリーズ第3戦、山田の3ランの瞬間、テレビ消しました。日本シリーズはこのままスワローズが制することが決まった。選手の頑張りがどうとか応援がどうとかいうのは関係なく、これ以上は辛いので日本シリーズ中継は見ません。ボコボコにやられるシーンばかり。情けない。痛々しい。

 

・・・そんなネガティブになる1ヶ月あまり前の9月18日、広島新四国八十八ヶ所めぐりはこの日の最後となる第46番・萬願寺に向かう。「この日最後」というのは、台風接近で雨が降る予報というのと、昼過ぎに帰宅してパ・リーグペナントレース終盤の天王山となる試合をテレビ観戦するためである。

宮原8丁目のバス停から山の方向に向かう道を上る。5分ほどで寺の入口に着くが、本堂はさらに続く坂を上ったところにある。呉の地形を実感できる場所にあるようだ。

参道には西国三十三所の本尊石像が並び、阿弥陀如来を祀る祠もある。また、「戦役英霊 見返り観音」という観音像も祀られている。見返りというのは、呉を出港して後ろを見返すとそこに立っているからついた名前なのだろうか。時代は下ったが、今も海上自衛隊の艦艇や潜水艦も各地に赴くし、それ以外のフェリーや漁船も出航する。それらも温かく見守る存在であろう。

その見返り観音から呉の港を見下ろすことができる。戦艦大和をはじめとした多くの艦船が建造されたことから「歴史の見える丘」というスポットがあるが、萬願寺はその丘を見下ろす位置にあり、造船所だけでなく海上自衛隊の基地も見下ろすことができる。ちょうど艦艇が係留されているのも見える。さらに進むとまた風景もそれだけ広がる。

孔雀堂を経て本堂に着く。まずはこちらでお勤めとする。

萬願寺が最初に開かれた時期ははっきりしないが、慶長元年に水野重政により中興とあるので、少なくとも江戸時代以前からの歴史を持つようだ。本尊は「夜なき観音」と呼ばれるそうで、江戸時代、この観音が盗難に遭い、村人が探し求めたところ広島城下の店でよく似た像を見つけた。そして店の主に聞くと、この像が来てからというもの、店の娘が夜な夜な「宮原に帰りたい」と泣くようになったそうで、村人は観音像に間違いないとして無事に萬願寺に連れ戻したそうだ。

境内の奥に続く道に「納経所入口」とあり、書き置きの箱はこの入口の下駄箱の中にあった。

さらに奥の五重塔まで行けるようなのでそのまま進む。

そして五重塔からは呉港、そして周囲の島々の景色がさらに広がって見える。萬願寺は今回初めて知ったスポットで、こうした眺めの良いところだとは思わなかった。地元の人たちにとっては人気なのかもしれないが・・。

ここまで港を見下ろせるスポットとなると、戦時中はどうだったのか。それこそ、鎮守府やら海軍工廠もあり、戦艦大和などを建造しているところがモロに見えるのではないかと思うが、やはり当時は諜報活動を警戒して憲兵が常駐して警戒していたそうだ。

呉に来たら軍港関連、自衛隊関連のスポットは欠かせないなと思っていたが、ここからの景色を見たことで十分に満足し、ここで呉駅に引き返すことにする。宮原8丁目から広電バスで呉駅に到着。

呉からは呉線で広島に戻るところだが、変化をつけてバスに乗ることにする。広島呉道路(クレアライン)を経由して広島バスセンターに向かう便(一部の便は八丁堀へ)で、この区間をバスで移動するのは初めてである。市街中心部へ直通するメリットもあるし、呉線より本数も多い。

広電バスが来るのかと思ったら意外にも中国JRバスの車両がやって来た。同じJRグループながら呉線に対抗するバス路線を運行しているとは・・。

体育館前を過ぎるとクレアラインに入り、そのままノンストップで走る。仕事でクレアラインを走ることがあるのだが、やはり従来の国道31号線と比べると(通行料はかかるが)現在の呉~広島のメイン手段なのかなと思う。

20分あまりで広島高速の仁保を下り、柞木(ほうそぎ)に到着。以後、国道2号線に入り、市役所前から中電前、本通りを経て広島バスセンターに到着。ここまででおよそ50分で、呉線に乗るよりも便利だなと感じた。昼食はまだだが、バスセンターで何か買って広電で帰宅しよう。

ふとバス乗り場を見ると、台風14号接近にともなう運転中止の案内が出ていた。18日夜発の夜行バスに始まり、19日の高速バスは全面運休とある。さらに驚いたのは、広電バス、広島バス、広島交通をはじめとした市内線、近郊路線も全面運休するということ。19日は祝日ということで通勤通学への影響は少ないということもあってか、いや仮に平日だとしても全面運休にしたことだろう。それだけ強い勢力で中国地方を通過する予報が出ていた。

そして翌19日、広島のすべての公共交通機関がストップする中、1日中テレビで台風中継と、午後はバファローズ対ホークスの1戦(本来現地で観戦予定だった)を見ながら過ごしたのであった・・・。

コメント

第45番「萬年寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(軍港で平和を願う)

2022年10月24日 | 広島新四国八十八ヶ所

9月18日、台風接近前の広島新四国八十八ヶ所めぐりである。第44番・法輪寺からそのまま住宅地の中の細道をたどって第45番・萬年寺に向かう。地図では途中呉線の線路をまたぐように見えるが、呉線はトンネルの中である。

ちょうど開けたところに多宝塔が見えた。どうやらあそこが萬年寺のようで、そのまま斜面に沿って回り込む。こうして見ると、改めて呉の町づくりの独特な景色を感じる。

前の門が閉まっていてくぐることはできないが、朱塗りの山門がある。本来ならここから境内に入るところだろうが、実際にはもう少し坂を上ったところの門から入る。まあ、こちらのほうが本堂にも近く、石段の数も少ない。ちょうど杖をついたお年寄りが家族に手を引かれてお参りしていたところだった。

境内を見渡すと先ほど見えた多宝塔のほかに、鐘楼や地蔵堂など、小ぢんまりとはしているが伽藍を備えた造りである。

護摩堂がある。広島新四国としてはこちらが本尊のようで、札もかけられている。中に入ったものかどうか迷うが、とりあえずお堂の外でお勤めとする。

広島新四国のサイトによると、萬年寺は戦国時代、織田信長が愛媛の長浜町に建立したとされる。ただ、その当時に信長といえでも伊予に寺を建てることが果たしてできたのだろうか。信長当時の伊予の戦国大名といえば河野氏が代表的だが、他にも国人大名もいて、そこに毛利氏、大友氏、長宗我部氏などが手を伸ばしつつあったところで、信長が直接四国のどこかを領有したわけではない。信長が直接建立したというより、建立の費用を誰かに援助したというのが実際のところのようだ。いずれ四国に勢力を拡げることに備えての投資だったかもしれない。

その真偽は定かではないが寺は建立された。しかし江戸時代の前期、火災により焼失してしまう。

明治に入り萬年寺の再興の動きがあり、毛利元就の念持仏という不動明王を本尊として呉に移転して再建された。なぜ呉だったのかは定かではないが、寺が現存するこの場所はちょうど港を見下ろすこともでき、位置としては適していたといえる。以後、萬年寺は鎮護国家を旨として、軍港であった呉の町を見守るように存在している。

戦後は平和を願う寺として、ビルマ(当時)から贈られた仏舎利を祀ったり、ビルマ戦線をはじめとして、また呉を出港して還らなかった兵たちの冥福を祈る場として多宝塔が建てられた。平和塔とも呼ばれている。

さて先ほどの護摩堂には朱印の箱がなく、本堂横玄関のインターフォンで寺の方を呼ぶ。どうぞ本堂に上がってお参りをということで入れてもらう。ちょうど住職が供養前で慌ただしい様子だったが、無地に朱印をいただく。

萬年寺から坂道を下ったところが、先ほど下車した和庄小学校下の次のバス停である清水1丁目。次の第46番・萬願寺は宮原7丁目もしくは宮原8丁目が最寄りのようで、今度はバスに乗って移動する。ちょうど「歴史の見える丘」より高いところを走り、造船所の景色もちらほら見える。

宮原7丁目で下車。ここから少し歩き、宮原8丁目のバス停の前に萬願寺への参道があった。その先に五重塔らしき建物が見える。あそこまで上っていくのか・・・。

コメント

バファローズ2連敗

2022年10月23日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
・・・したも同然。
もう、このシリーズは1勝もできずに終わり。
コメント

第44番「法輪寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(2ヶ月ぶりの巡拝、記事は3ヶ月ぶり)

2022年10月23日 | 広島新四国八十八ヶ所

9月中旬からパ・リーグペナントレースの終盤戦が大混戦となり、10月2日の最終戦でのリーグ優勝決定。その後クライマックスシリーズを経て、10月22日から日本シリーズが始まった。バファローズ対スワローズという2年連続の対戦。

22日の第1戦はスワローズ打線がバファローズ・山本を攻略、終盤には村上にもダメ押しの本塁打が出て勝利。そして第2戦はバファローズは、宮城の予想が多い中で山﨑福を先発に起用。学生時代に神宮のマウンドに慣れていたこと、そして打撃がいいこと(交流戦では代打にも起用されたくらい)を買ってのことで、これが当たった。自ら先制打を放ち、4回までスワローズの強力打線を緩急つけてうまく抑えた。

そのまま自慢のリリーフ陣につないだのはいいが・・・9回裏ですべてがぶち壊しになった。まあ、追加点が奪えない打線も打線だが・・・。もうこのままやられっぱなしなのだろう。後はどうなったか知らん。

さて、9月から10月にかけて野球観戦絡み、札所めぐり、また鉄道の日にちなんで・・ということでいろいろ出かけていたのだが、その合間に広島新四国八十八ヶ所めぐりもいくつか進んでいる。日数が経ってからの記事となるが、しばらく続けることに。

・・広島新四国を直近で回ったのは7月18日。その時は東広島から呉に入り、第43番の照明寺まで進んでいる。続いては呉市中心部に近い5ヶ所を順に回るが、結局次に広島新四国を訪ねたのはちょうど2ヶ月後の9月18日のことである。そして、記事にしたのはそれからさらに1ヶ月が経っている(それらの記事を優先させて、広島新四国を後回しにした結果であり、もし続きを楽しみにしている方がいらっしゃれば申し訳ないです・・)。

9月18日はちょうど3連休の中日で、当初はパ・リーグの首位攻防・天王山となるバファローズ対ホークスの観戦と神仏霊場めぐりのために関西に向かう予定にしていた。しかし、ちょうど発生した台風14号の接近と重なり、19日は西日本の交通機関がほぼすべて運休になると見込まれたために、関西行きは中止とした。その代わり、18日の午前中ならまだ台風の影響はなかろうということで、間隔が空いていた広島新四国で、呉地区の5ヶ所のうち3ヶ所を回ることにした。午前中で回ってそのまま帰宅すると、14時からの京セラドームでの野球中継に間に合う計算だ。

まずは朝の呉線の列車で呉に到着。呉に来たなら久しぶりの大和ミュージアムにも行きたいが(今回の広島勤務以降、まだ訪ねていない)、時間的に次回に繰り越しとなりそうだ。

今回訪ねるのは、第44番・法輪寺、第45番・萬年寺、第46番・萬願寺の3ヶ所である。いずれも呉市街の東側、休山の麓にある寺である。

この並びをめぐるには、広電バスの呉駅から宮原経由の鍋桟橋・音戸の瀬戸方面行がちょうどよい。呉駅から音戸方面に向かうには2つの路線があり、宮原経由は山側である。住宅地を通るためか日中も20分に1本の割合で走っており、利便性は悪くない。

呉の中心部を抜け、10分ほど乗車して和庄小学校下で下車。特に最寄りのバス停であるとの案内があるわけではないが、地図を見てここが最寄りと見当をつけた。あとはスマホの地図アプリを見ながら歩く。宅地と細い道が入り組んでいて、どれが最短なのかわかりにくい。観光寺院ではないので標識があるわけでもない。

その中、法輪寺への手書きの案内板を見つけた。ただその道幅は狭く、軽ならまだしもちょっと大きめのクルマなら通れないのではないかと思われる。今回呉地区をめぐりにあたり、いずれも休山の斜面に住宅が建ち並ぶ一角にある寺院ということでクルマで行くのは厳しいのではないかと思い、呉線+バス+徒歩にした。

地図でもっとも近道と思われるところをたどるが、それも本当に近道なのか。路地のような細道に出たかと思えば、途中には階段も出てきた。さすがは坂が多い呉の町である。

バス停から道を探しつつ10分ほどで法輪寺に到着。坂道に沿って石垣が並び、中央に山門がある。ちょっとした山城に来た感じである。

振り返ると呉の市街地、そして港を一望できる。広島新四国という切り口で回ると、これまで見たことがあるのとはまた違った町の風情が楽しめる。呉しかり、広島市内しかり。

法輪寺が開かれたのは大正15年のこと。広島の三滝寺から四鬼神と呼ばれる通力を持った大法師作の弘法大師像を迎えたのが始まりという。太平洋戦争では呉でも大きな空襲があったが、戦災を逃れ堂宇はそのまま現在まで残っている。

境内といってもほんのわずかなスペースである。お勤めとして、本堂前にある箱から朱印をいただく。本尊は薬師如来である。

続いては第45番の萬年寺に向かう。バスだと停留所1つか2つ分のようだが、またバス通りまで下りて上るのも面倒なので、そのまま山麓に沿ってなるべく近道を探しながら歩く。また、クルマがぎりぎり通れるかというくらいの道を行くことに・・・。

コメント

第19回中国四十九薬師めぐり~第31番「東光寺」(無事、朱印いただいた後は鯨料理)

2022年10月22日 | 中国四十九薬師

唐戸から関門海峡を渡り、門司港の鉄道スポットをめぐった後、関門トンネルにて下関に戻る。先ほど寺の方が不在で朱印がいただけなかったのだが、中国四十九薬師第31番・東光寺をもう一度訪ねることにした。

駅から10分ほど歩き、まだ人通りも少ない豊前田通りに向かい、石段を上る。本堂と棟続きの庫裏のインターフォンを鳴らすと今度は応答があった。やれやれ。

中国四十九薬師めぐりで来たというと、ぜひ中でお参りをと玄関から中に通される。本堂の広間に腰かけようとすると、薬師如来はこちらと奥に通される。曹洞宗の寺院だから本堂の本尊は釈迦如来なのかな。薬師如来が祀られている場所は外から見れば、本堂の左手の棟続きに当たる。先ほどは本堂の外からお勤めとしたが、やはり祀られているところということで改めてお勤めとする。

「今日は風が強かったでしょう。詳しいご案内ができずに申し訳ありません」と、書き置きの朱印をいただく。住職がいれば寺の案内など聞けたのかな。

下関からの帰りの列車の時間は決めていなかったが、岩国行きは1時間に1本の割合である。ちょうど待ち時間ができたこともあり、駅近くの「一善」という店に入る。「大衆食堂」ということだが、先ほど駅から東光寺を訪ねた際、「鯨料理あり」という看板が目についた。先ほど、唐戸市場にてフク刺しや寿司を食べたところだが、もう一つの名物である鯨もいいだろう。2回目の昼食となるが・・。

中はコの字形のカウンターとテーブル、座敷があり、大衆食堂でありながら壁にはアテとなる品書きがずらりと並び、大衆酒場でもある。先客、後客とも、定食を注文する人もいれば、昼の一献を楽しむ人それぞれである。刺身や総菜がカウンターや冷蔵庫に並び、それを取って店の人に温めてもらうこともできる。刺身といってもフク刺しのような大層なものはなく一般的なものだが、そこが大衆的だ。

ここではビールのアテとして鯨カツを注文。トンカツとは違った独特の味わい、歯ごたえである。

また、冷蔵庫に刺身とともに並んでいた鯨ベーコンも取る。

鯨汁というのがあるので、ごはんと一緒に注文する。味噌汁の中に鯨ベーコンが具材としてふんだんに入っている。豚汁の豚肉の代わりに鯨ベーコンが入ったようなものである。下関ならではの一品かな。

鯨メニューは他に鯨刺身、鯨テキなどがある。今回全部をいただくことはできなかったが、他の大衆酒場メニューもいろいろあるし、また下関に来ることがあれば訪ねてもいいなと思った。これで、フク、その他の魚、鯨と、本来なら夜の一献で味わうところ、それを日中でこなしてしまったので、下関もクリアということでいいだろう。

これで下関駅に戻り、15時31分発の岩国行きに乗る。駅の列車案内板に「山陽方面」、「九州方面」、「山陰方面」と表示されるのを見て、改めて交通の結節点に来たことを感じる。

この列車は終点岩国まで3時間40分かかる。朝乗った列車よりも30分以上余分にかかっているが、新山口で27分、徳山で17分とそれぞれ長時間停車がある。

17時48分に徳山に到着し、発車を待つ間にそろそろ日も暮れて来た。

そして柳井を過ぎると真っ暗に。ちょうど満月ということで月の灯りが海面を照らしていた。そのまま岩国に到着し、乗り継いで帰宅。さすがに昼食2回の後ということで、夕食はほとんどいらなかった・・。

これで中国四十九薬師めぐりはようやく下関までたどり着き、次回からは山陰側に移る。ここからは長門市、萩市と続き、島根県に入るのだが、季節は秋から冬に差し掛かる。また凍結や雪で自分のクルマが使えない時季と重なると、どのようなペースで回るかも考えどころである・・・。

コメント

第19回中国四十九薬師めぐり~門司港レトロと九州鉄道記念館

2022年10月21日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐり、早くもここからがオプションである。唐戸市場にて関門海峡を目の前にした昼食とした後、せっかくなので関門連絡船で対岸の門司港に渡ることにした。これが1泊2日コースだったら、またせめて日帰りでも往復新幹線利用ならば、北九州市内の九州八十八ヶ所百八霊場の札所も訪ねることができるが、今回は門司港近辺にとどめる。

関門海峡を渡る小型船である。ここは海峡の潮風を受けようと上部デッキに向かう。

・・・が、出航すると風とともに波が高い。ただでさえ複雑な潮の流れだというのにその中を横断するので、揺れが激しい。船酔いということは全くないが、何かにつかまっていないと振り落とされそうだ。その昔の壇ノ浦の戦いかと。よくもこんな海の上で合戦を繰り広げたものだと思う。

5分ほどで無事に門司港に到着。少しだけ門司港地区を回ることにしよう。

10月9日~10日のお出かけは、10月14日の鉄道の日を前に鉄道に関するスポットを含めている。9日は旧国鉄色の特急「やくも」乗車に、津山まなびの鉄道館、そして新たな観光列車「Saku美Saku楽」に乗車したが、10日は九州・門司編ということでまずは門司港駅を眺める。駅舎が国の重要文化財に指定されており、門司港レトロの顔でもある。

今回は、門司港駅横から出ているトロッコ観光列車「北九州銀行レトロライン 潮風号」に乗ってみよう。確か前は「やまぎんレトロライン」ではなかったか。ネーミングライツが下関から門司側に移ったというところだろう。かつての貨物線を活用し、設備は北九州市が保有して、運行するのは平成筑豊鉄道である。とりあえず九州鉄道記念館駅から関門海峡めかり駅まで行ってみよう。

2両のトロッコ車両は団体客や家族連れの利用もあり、ボックス席がほどよく埋まる。機関車は南阿蘇鉄道、トロッコ車両は島原鉄道で元々使われていたものである。

九州鉄道記念館駅を発車。まずは門司港レトロの横を走る。広場ではイベントが行われているようで多くの人で賑わっている。

出光美術館からノーフォーク広場にかけては、左手に海、右手に倉庫などが並ぶ。港の風情を感じさせるところだ。対岸の下関の景色もトロッコ車内から見ることができる。線路に並行して遊歩道も整備されており、こちらをぶらつくのもよさそうだ。

和布刈トンネルに入る。するとトロッコ車内の天井がライトアップされる。関門海峡で獲れる魚たちの姿である。トンネルの中をゆっくり走り、しばし異空間体験だ。

乗車時間10分で関門海峡めかりに到着。駅の前には関門橋の東側、対岸に火の山公園がある。ここから徒歩10分ほどで関門人道トンネルの入口もあり、歩いて本州に戻ることもできるが、ここは折り返しのトロッコ列車にて引き返す。

折り返しで向かったのは九州鉄道記念館。鉄道の日を前にして、10日は九州の鉄道の歴史に触れてみよう。

門司港駅側から行くと、門司港駅構内の側線に沿ってホームがあり、機関車や列車車両が展示されている。現在はコロナ対策として車内に入っての見学はできないが、車両を間近に、車体に触れることができるのがよい。

往年の名車が並ぶ中で、戦前からローカル線を走っていたキハ07という車両が個性的に見える。国鉄以外の地方私鉄でも走っていたそうだが、できれば現役の時に一度乗ってみたかった。

国鉄特急色の481系。ボンネット型というのも独特で、「JNR」のロゴも堂々として見える。また、特急の方向幕で「門司港」というのも歴史を感じさせる。そういえば先月開業した西九州新幹線に接続する「リレーかもめ」が運転されているが、そのうち1往復は門司港発着となっている。「かもめ」、「リレーかもめ」はそれぞれ行き先案内が「長崎」、「博多」で運転されるが、この1往復については長崎駅で「門司港行き」という表示が出るのだろうか。

その奥には581系。昼は座席特急として、夜は座席を展開して寝台特急として活躍した。私の場合、この系列だと大阪~新潟を走っていた急行「きたぐに」の思い出がある。座席、寝台の両方に乗ったことがあるが、寝台だと3段式で、下段はまだ窓と中段ベッドの間のわずかな隙間に頭を入れて何とか座ることができたが、本当に横になるだけのスペースだった。

そして14系寝台車。この日は「さくら」のヘッドマークが出ていた。現在、かつての寝台車を宿泊施設として受け入れているところが全国に数ヶ所あるが、その一つが熊本のくま川鉄道の多良木駅前にあるという。開放型、B寝台個室「ソロ」がそのまま使われており、保存状態もよいそうである。九州八十八ヶ所百八霊場めぐりが熊本県にたどり着くのはかなり先のことだが、その時にはぜひ立ち寄り、宿泊したいものである。

展示室では九州の鉄道のあゆみや、往年の名列車のヘッドマークも並ぶ。あらためて「つばめ」、「かもめ」、「はやぶさ」、「さくら」・・など、かつての名称が並ぶが、現在も各新幹線の名称として受け継がれている。

他にも九州の歴史を感じさせるものが。

企画展にて、鉄道開通150周年を記念した写真展が開かれている。九州各地を走る列車もそうだが、関門トンネルを経て九州と本州を結ぶ列車に主に焦点が当てられている。新幹線だけでなく関西や東京を結ぶブルートレインが賑わっていたのも特徴的である。私が乗ったところでは「あかつき」、「なは」、「彗星」というのがあり、前回の広島勤務時には東京に出張に向かうのにあえてブルートレインに乗ったことも何度かあった。その時は「さくら・はやぶさ」とか「富士・はやぶさ」という併結での運転(「あさかぜ」は単独運転だったな)で、ブルートレインも晩年を迎えていた頃だが、その経験がかろうじてできたのも今となってはよい思い出である。

鉄道の日を前に北九州の鉄道スポットを訪ねたことで満足して、門司港駅に戻る。関門連絡船で下関に戻ってもよいが、せっかく鉄道記念館を訪ねたのだから、やはり門司港から列車に乗るのがよいだろう。次の門司で下関行きに乗り換え、関門トンネルをくぐる。

下関に戻り、このまま岩国行きに乗り継げば早く帰宅できるが、やはり先ほど東光寺で朱印をいただけなかったのが気になる。時間が経っているので、寺の方がいるかもしれない。駅から近いのも幸いで、ここはもう一度訪ねることにしよう・・・。

コメント

第19回中国四十九薬師めぐり~第31番「東光寺」(関門海峡、唐戸へ・・)

2022年10月20日 | 中国四十九薬師

前の記事ではバファローズのクライマックスシリーズ勝利を祝い、翌日には神仏霊場めぐりで京都を訪ねたのだが、それはまた次の機会で書くとして、まずはその前週に訪ねた中国四十九薬師めぐりである。

旧国鉄特急色「やくも9号」、この夏登場した観光列車「Saku美Saku楽」乗車から帰宅した翌日の10月10日、今度は山陽線を西に向けて出発する。岡山県内を回った翌日に下関に行く、JRの「秋の乗り放題パス」ならではのことである。

下関に行くのは中国観音霊場めぐりでのお出かけで、目的地は下関駅近くの東光寺である。札所番号は第31番ということですでに半分以上過ぎているのだが、地理的にはちょうど本州の西の端で、ようやく山陽から折り返して山陰に入る足掛かりとなる。一時は、クルマを使って下関からその後の長門市、萩市までぐるり回ろうかとも思ったが、とりあえず下関まで行って山陽側の一区切りにしようと思う。

西広島を6時に出発して、岩国で下関行きに乗り換える。この夏も何回か通ったパターンである。さすがに夏の「青春18きっぷ」のような座席の争奪戦もなく、晴天の中を進んでいく。下関まで3時間あまりの車内は読書のひと時ともなる。読んでいるのは太平洋戦争に絡んだものだが、広島から山口東部にかけてはその歴史に関するスポットも数々あるところで、改めて訪ねてみたいと思いを膨らませる。

10時01分、終点下関到着。このすぐ後には山陰線の「○○のはなし」もやって来る。中国四十九薬師めぐりに先行して乗車したが、また楽しみたい列車であるが今回はそのまま改札を出る。

東光寺は駅から徒歩10分くらいということで早速向かうことにする。まずは、韓国料理や雑貨を扱う店が並ぶグリーンモール商店街の入口にある釜山門の前を過ぎる。下関のグルメといえばフグに代表される海の幸が連想されるが、韓国料理も名物である。

長く石段が伸びる大歳神社の前に出る。せっかくなので上ってみる。石段は全部で115段あるそうで、その途中に「本厄」や「還暦」、「喜寿」など、人生の節目に対応する数の石段にプレートが刻まれている。階段を上る苦労と人生を掛け合わせているようだ。

大歳神社は、源義経が壇ノ浦の戦いを前に、関門海峡を望むこの高台に上がり、戦勝祈願を行ったのが由来とされる。それ以来、武運長久の神として崇敬され、幕末に奇兵隊を結成した高杉晋作も軍旗を大歳神社に奉納している。奇兵隊を支援していた下関の商人・白石正一郎が大歳神社の氏子だった縁もある。今は建物が並ぶのでそれほど景色は望めないが、関門海峡から彦島、そして九州を見るにちょうどよい場所である。下関の神社で手を合わせられても神様が当惑するだけだろうが、武運長久ならバファローズのクライマックスシリーズ勝利を願う・・。

国道9号線から1本中に入った豊前田通りに入る。山口県最大の歓楽街ということで、ふく専門店やバーが入るビルも並ぶが、現在は月曜日(祝日)のまだ午前中。さすがに開いている店はなく、時折クルマが通るくらいの静けさである。

その一角に、東光寺の入口がある。あらかじめ目的地とするのでなければそのまま通過するだろう。鉄の門の先に坂道がある。この辺りはすぐ裏が高台になっており、東光寺もそうした立地である。石段の途中に墓地もあり、その先に門が現れる。ちょうど後ろを振り返ると海峡ゆめタワーがそびえている。こちらも、現在のように建物が並ぶ前なら関門海峡を眺めることができただろう。

本堂、そして棟続きとなる庫裏も新しい建物である。扉が閉まっているので外でお勤めとする。

東光寺という名前の寺は他にも各地にあるそうだが、私が知る中では西宮の門戸厄神・東光寺がある。東光とは「東方瑠璃光」のことで、薬師如来を示している。下関の東光寺は鎌倉時代に文覚上人により開かれたとされ、後に時宗を経て禅宗の寺院になっている。現在地には江戸時代中期に移ったそうだ。幕末には高杉晋作や伊藤博文が長州藩内での挙兵を行った際、一時陣を置いたという。

本堂の向かいに変わった塚がある。庖丁塚というもので、役目を終えた庖丁が奉納されており、毎年供養祭も行われるとある。下関といえばフグ料理で、身を薄く引いたフク刺し(てっさ)が有名。それ専用の庖丁もあるそうだ。ちょうどフグの初競りも終わり、これから本格的に市場に出回る頃。うーん、食べたくなってきたぞ。

さて、朱印をいただこうと、本堂の扉が閉まっているので、棟続きの庫裏のインターフォンを鳴らす。このパターンはローカル札所ではよくあることで別にどうということはないが・・応答がない。たまたま不在なのかな。ちょうど石段を一人の男性が上がってきたが、寺の方ではなく、奥の墓地にお参りに来た様子だった。

ちょっと慌てる。ここで朱印なしとなるとまた出直しか・・。幸い、この日はその先の札所まで行ってしまう行程ではなく、この後関門海峡の向こうを訪ねるにしても、下関駅から再び山陽線で戻る予定になっている。ならば帰りにもう一度のぞくことにして、ここはいったん寺を後にする。

そのまま国道9号線に出て、ちょうどやって来たバスに乗り込んで唐戸に向かう。カモンワーフの飲食店はそろそろ開店という時間帯だが、その一角を抜けて唐戸市場に向かう。

ここに揚がったばかりの魚が寿司や刺身、揚げ物などでいただけるということで観光客にも人気のスポットである。ちょうど昼前、どの店にも多くの客が群がっており、長い行列ができる店もある。私は特にどの店というお目当てがあるわけではないのだが、「ふく専門」という看板がある店でまずはフク刺しのパックを買い求める。その後、別の店で寿司をあれこれ指さしてパックにしてもらう。

これを唐戸市場外の関門海峡沿いの歩道に持ち込む。市場で買ったものをここで広げるのが観光の楽しみで、多くの人が舌鼓を打っている。なお、市場の中でもアルコールは売っているが、こればかりは近くのコンビニで入手したほうがよい。

先ほどのフク刺しに、寿司のパックを広げる。ネタは大トロ、フク、のどぐろ、ヒラメ、クジラベーコンといったところ。そして昼からの一献とする。そりゃ、寿司だけでもそれなりの値段がするし、観光客価格なのかもしれないが、そこは唐戸に来て、関門海峡を行き交う船舶など眺めながらいただくということでよしとする。

されこれからどうするか。先ほど東光寺で朱印をいただいていないのが気になるが、それは帰りにもう一度訪ねるとして、まずは目の前に広がる九州、門司に渡ってみよう・・・。

コメント

観戦記・クライマックスシリーズファイナル第4戦・その2(接戦の末、サヨナラで決着!)

2022年10月19日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

10月15日、クライマックスシリーズの第4戦を京セラドームにて観戦。ここまで、アドバンテージを含めてバファローズが3勝1敗と日本シリーズ進出に王手をかけているが、前日の第3戦は千賀の好投もあり、ホークスが勝利。第4戦の先発はバファローズが山岡、ホークスが和田である。

本人の故障もあるが、山本、宮城といったところが台頭する中でやや影が薄れた感もあり、山岡のこの試合の先発に「大丈夫か?」というネットの声もあった。そのため、ビドル、山下といったところを登録し、ブルペンを厚くした。ただ、ここでかつてのエースの意地、細腕繁盛記を見せてもらいたいものだ。まず初回、2三振を奪うなど三者凡退の上々の立ち上がりである。

一方ホークスの先発は和田。バファローズとしても苦手なほうの投手である。大観衆の中、バファローズも三者凡退である。

序盤戦は両先発投手が持ち味を出した。山岡は3回までの一回りを一人のランナーも出さない好投を見せる。不安視された立ち上がり、最高の結果である。

3回裏、先頭の頓宮が四球で出塁。その後二死となって迎える福田がファウルで粘る。そして11球目、一塁ゴロに終わったかと思ったが一塁の中村がファンブル。福田の執念か、二死一・三塁とチャンスが広がる。ここで宗に回るが凡退、先制のチャンスを逃す。私が陣取ったエリアはちょうどバファローズファン、ホークスファンが混在するエリアで、ホークス側への歓声も大きい。ピンチをしのいだ和田への拍手が送られる。

4回表、一死から打席には周東。その打球が山岡の左足を直撃。打球は遊ゴロとなったが、山岡は治療のためにいったんベンチに下がる。中嶋監督が心配になってベンチ裏に向かうのも見える。

スタンドも不安の様子がただようが、数分後に再びマウンドに上がって大きな拍手となる。しかし、直後の牧原が両チーム通して初めてのヒットで出塁。柳田も続いて二死一・三塁となる。急に大ピンチとなったが、デスパイネを打ち取って何とか先制点を防ぐ。

そして4回裏、先頭の中川がチーム初安打で出塁し、打席には吉田正。その2球目を振り抜くと打球はセンターへ。そのまま伸びて、上段席に飛び込んだ。センターのあの位置となると、飛距離はどのくらいになるだろうか。これで2対0、勝てば日本シリーズ進出のバファローズに大きな先制点が入った。スタンドの盛り上がりは最高に。

通常の試合なら勝ち投手の権利を取りに5回表も山岡が登板しただろうが、こうした試合ということでバファローズは継投に切り替え、早くも宇田川が登板。山岡の4回無失点というのはチームにとっても大きかった。リリーフ陣が強固なだけに、逆算して5回からでも継投に切り替えられるのは大きい。宇田川も期待に応えて5回を簡単に三者凡退とする。

5回裏、先頭の紅林がヒットで出塁。続く若月がバントするも、和田が二塁へ送球してアウトとする。しかしここで和田がベンチに退く。守備の際に足を痛めたか。

結局和田はそのまま降板となり、大関が登板した。このシリーズでは苦しい投球が続く中、この場面でもあえて登板である。ここは福田、宗と打ち取り、追加点を許さない。

6回表、宇田川が回またぎでの登板。この回も2三振を奪うなどホークス打線を寄せ付けない。これで7回から山﨑颯、ワゲスパック、阿部(または平野)という流れができた。俄然、スタンドもバファローズ優位の雰囲気が強くなった。それにしても、シーズン後半になってここまでパワーボールを投げるリリーフ陣が揃い、計算が立つようになるとは。シーズン当初では考えられなかったことである。

追加点がほしいバファローズは6回裏、ホークス3人目の泉から中川、杉本(敬遠気味)が四球で出塁して一死一・二塁とチャンスを作る。

ここで安達を迎えたところでスタンドからはタオルダンスのチャンステーマが流れる。ちょうどライトスタンドが正面なのでその様子を見ると、中央で音頭を取っている「TOKYO応援団 50」のいで立ちに目が行った。おお、あれはバファローズの東京応援団の「50番先生」ではないか。私はかつての東京勤務時代、バファローズ戦観戦は外野応援席に入ることが多かったのだが、スタンドで音頭を取り、時には自虐的な口上で(まあ、チームも弱かったので)観客の笑いを誘っていた団長さんである。その時と比べればだいぶお年を召した様子だが、ここでぜひ追加点を。

しかし安達は凡退、二死二・三塁となって打席には頓宮。「50番先生」も見守る中、頓宮の打球はセンターへ。これはセンター牧原の頭上を越したかに見えたが、牧原が飛び込み見事にキャッチした。追加点とならずがっかりだが、ホークスとしてはここでの追加点はほぼ終戦を意味するだけに、ビッグプレーである。周りのホークスファンからはもちろんだが、一塁側、ライト側含めたバファローズファンからも大きな拍手が送られた。その昔の「This is プロ野球!!」という名実況が頭の中によぎる。

7回表、バファローズはパターン通り山﨑颯が登板。打席には先ほどファインプレーを見せた牧原が入るが、空振り三振。しかし続く柳田には力が入ったか四球。打席にはデスパイネで、ここでファウルとなったが自己最速の160キロが表示され、スタンドがとよめく。

このままデスパイネを打ち取るかと思われたが、さすが百戦錬磨の打者。ストレートを弾き返した当たりはそのまま左中間スタンドへ。これで三塁側、レフト側からこの日一番の歓声があがる。2対2の同点となった。同点のまま引き分けでもバファローズの日本シリーズ進出が決まるが、ホークスがここから試合をひっくり返すかもしれない・・という気分が出てきたのも確かである。ただ、ここは山﨑が気を取り直して後続を退けた。

7回裏、ホークスは松本が登板。ホークスとしては勝ち越された時点でほぼ終戦となるため、勝ちパターンを投入する。それもあって三者凡退。

そして8回表は山﨑颯が回またぎの登板である。宇田川もそうだったが前日の第3戦は登板しておらず、またこのまま延長に入ることも想定してのことだろう。宇田川、山﨑颯とも1回限定の投手ではなく、複数回行けるのもすごい。これでワゲスパックは延長戦、または(行われるとして)第5戦に回す余裕ができる。8回は危なげなく三者凡退。

ぜひとも勝ち越したいバファローズだが、ホークスの8回裏のマウンドには藤井。もしホークスが優勝していればMVPに選出される可能性があった投手である。簡単に二死として、吉田を迎える。ここで一発が出れば勝ち越しの大きな1点で、スクリーンにはマッチョの姿をした男性ファンらしき方も映し出される。

その吉田に対して藤井は敬遠気味の四球、続く杉本へはフルカウントとしたが最後はボール球を見送って四球。安達もしぶとくつなぐヒットで二死満塁となった。もうこれ、勝ち越しでしょ。

ここで頓宮の代打に西野が登場。クライマックスシリーズでは得点にも絡んでおり、勝ち越しへの期待も高まったが・・・結局は力のないフライで三者残塁。うーん・・・。

9回表は阿部が登板。一死から牧原がヒットで出塁し、打席には柳田。第2戦の9回にも同じような場面があった。そしてこの打席でも柳田は渾身のスイングを見せ、打球はセンターへ。一瞬ヒヤリとしたが、あと一伸びが足りずにセンターフライ。

その後デスパイネも打ち取り、2対2のまま9回裏に入る。先発した山岡も笑顔で守備陣を出迎える。打球が当たったことの影響はほぼないように見受けられた。

9回裏のマウンドにはモイネロ。まあ、彼しかない。もし延長になったら森、津森、そして復帰直後の又吉といった顔ぶれになるのだろう。そのモイネロに対して「50番先生」が持つ旗のごとく「執念」を見せられるか・・。「まだ負けたわけじゃありません! ただ負けそうなだけです・・・」という9回の口上も昔のことである。

一死から若月がヒットで出塁。そして福田も四球で続く。一打サヨナラのチャンスに期待の宗だが、一塁へのゴロ。二死ながら一・三塁となった。

打席には中川。引き続きサヨナラのチャンスということでバファローズベンチも身を乗り出そうという選手、一方で手を合わせて祈る選手、さまざまである。この日一番の緊張感がただよう。これまで再三のチャンスをつぶしてきたが、それも9回裏へのお膳立てだった・・となればいいのだが・・・。

そして2ボールから2ストライクとなり、5珠目。決して当たりは良くなかったが、中川の打球は三塁の横を抜けてレフト前へ。サヨナラタイムリーとなり、グラウンド、そしてスタンドは興奮の塊となった。まさかこんな形で試合が、そして日本シリーズ出場が決まるとは。

一通り盛り上がり、バファローズの選手たちがいったんベンチに下がった後で、三塁側ベンチからホークスの選手たちがグラウンドに登場した。今季最後の試合となったことで、ファンへのお礼の挨拶である。三塁側からレフト側に手を振り、一礼した後でそのままライト側、一塁側にも向かう。公式戦をまったく同じ成績となり、直接対戦の結果でバファローズ優勝となったが、クライマックスシリーズでも接戦を繰り広げた。今季通しての名勝負にスタンド全体から惜しみない拍手が送られた。また来年もいい勝負を見せてほしいし、私もチャンスがあれば福岡にも行きたい。

準備ができて、中嶋監督のクライマックスシリーズ制覇のインタビュー。吉田正の本塁打、中川のサヨナラタイムリーに対して「よく決めてくれた」として、2年連続の日本シリーズでの対戦となるスワローズに対して、「今年何とかやり返したい」と強い決意を示した。一塁側ベンチに戻ると、出迎えていた選手、スタッフたちを前にガッツポーズも見せていた。

そして表彰式。当初は予定されていなかったそうだが、やはり大阪のファンの前でクライマックスシリーズ制覇を決めたことで、改めて中嶋監督の胴上げが行われた。昨年、今年を通じて直接胴上げを見るのは初めてで、感激する。

まずは中嶋監督にクライマックスシリーズ制覇の優勝額が贈呈される。この後はMVPの発表で、第1戦、第2戦で活躍した杉本が表彰・・・と思いきや、第1戦、そして第4戦で本塁打を放った吉田正が受賞。杉本ががっくりとするのにスタンドからも笑いが起こる。

そして敢闘賞というべきパーソル賞には、「お前やろ」と選手たちから背中を押されて前に出かけていた宇田川・・・と思いきや、第1戦で好投した山本が受賞。こちらに対しては、宇田川を推すファンも結構いたようだが、まあ、日本シリーズでMVPを狙える活躍を期待しよう。

この後は選手たち、そして宮内オーナーをはじめとしたフロント陣、球団スタッフも交えての記念撮影。今季での勇退が決まっている宮内オーナー、ここは日本一での花道を飾ってほしいものだ。

最後にはクラッカーが一斉に鳴らされての祝砲で締める。球場内でこうした祝福の余韻に浸るのも何年ぶりだろうか。よきめぐり合わせに感謝、感謝。

まだ興奮冷めやらぬ中、ドームを後にする。さすがに大阪、東京とも日本シリーズの生観戦の予定はなく、今季ドームに来るのもこれが最後となった。この日の宿泊は西九条ということで阪神なんば線で移動。「ビジネスホテルアーバンティ西九条」はアットホームな感じの宿。線路とは反対側の部屋だが、大阪環状線の高架を行く列車の音が響く。線路側だとトレインビューの部屋だが、さすがに音が大きすぎるかな。改めて、テレビやネットのスポーツニュースを見て、この熱戦を振り返る。

翌16日は神仏霊場めぐりのため早朝から京都に移動する。その様子はまた改めて・・・。

コメント

観戦記・クライマックスシリーズファイナル第4戦・その1(・・というか試合前)

2022年10月17日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

パ・リーグのクライマックスシリーズファイナルステージはバファローズが1勝のアドバンテージを含めた4勝1敗でホークスに勝利して、見事に日本シリーズ進出を決めた。幸運なことに、その瞬間を現地で目にすることができ、とても感激した。改めて、その前後と合わせての観戦記を綴ってみる(またくどくどと長くなるが・・)。

10月16日、広島駅新幹線口から8時40分発の「グラン昼特急広島2号」に乗車する。JR大阪駅までは約5時間の道のりである。3列シートに腰かけ、これなら大阪までの道のりもゆったり過ごせそうだ。

驚いたのは、近くの席にバファローズ選手のピンバッジやら何やらをたくさんつけたトートバック持参で、リーグ優勝記念のパーカー着用、さらに「全員で勝つ!」のロゴが入ったタオルを目隠し用に持参していた女性が座っていたこと。これは間違いなくこの夜の京セラドーム大阪での試合観戦に向かういで立ちで、まさか広島から私よりもコアな方がバスに乗り合わせるとは思わなかった。ただ、変に声をかけるのも失礼と思い、ここは「勝てるといいですね。お互い応援しましょう」と心の中にとどめておく。

この日の高速バスは広島駅、バスセンター、中筋駅でそれぞれ乗車があり、合計21人と結構多めの乗客。広島インターから高速に入り、順調に東へ向かう。

車内にて、ペナントレース最後までもつれた優勝争い、そして私の行動予定?について振り返る。

バファローズの2位以上が確定した9月下旬に、クライマックスシリーズのファーストステージ、ファイナルステージの両方を想定してファンクラブ会員向けの先行予約が始まった。ファーストステージは9日(第2戦)、10日(第3戦)、そしてファイナルステージは15日(第4戦)を予約して、それぞれ席は確保することができた。ただし発券は順位確定後で、その時まで座席番号はわからない。

この時点では、もしバファローズが2位に終わればファーストステージを観戦するとして、ファイナルステージの福岡での試合のチケットは手元にない。まあ、当日までにどうにか手にできるかなと思い、15日~16日に福岡に行くことも想定していた。その場合は九州西国霊場、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりいずれかの続きも行うつもりだった。一方、優勝してファイナルステージが大阪で行われるとして、15日~16日は関西での神仏霊場めぐりとして、次の順番である京都行きを予定した。その場合は野球観戦後の宿泊として、ドームに近い西九条にてホテルを予約した。

そして10月2日、史上初、まったく同じ勝率、勝利数ながら対戦成績の結果でバファローズの優勝が決まった。これで福岡行きはなくなった。九州の札所めぐりはまた日を改めて・・・。

12日からファイナルステージが始まった。第1戦はバファローズが山本の好投、杉本の押し出しとタイムリー、吉田正の本塁打などで快勝。第2戦も先発宮城から宇田川、山﨑颯、ワゲスパック、阿部という強力リリーフ陣が力を見せて連勝。これでアドバンテージを合わせて3勝0敗となった。第3戦に勝てばその時点で日本シリーズ進出が決定し、第4戦は行われない。

もしそうなると、15日に試合がない西九条に泊まる必要はなく、大阪まで高速バスで移動するとしても、そのまま京都に移動して札所めぐりを先行させ、そのまま泊まるよう別プランを予約した。市の中心部である四条烏丸近くでもたまたま部屋の空きがあった。大阪、京都いずれの宿泊も可能にしたが、前日の14日中であればそれぞれキャンセル料は不要だった。

で、14日の第3戦。ホークス千賀は海外FA権の行使が噂されていて日本最後の登板になるかもしれないという意識があってか、好投を見せる。その後の救援陣も含めてバファローズは得点できず、ホークスが1勝を挙げた。

これで15日の第4戦が行われることが決まり、15日の京都での宿泊はキャンセル。当初の期待通り、西九条での宿泊となった。ここまで、私がペナントレース、そしてクライマックスシリーズの勝敗によってどうにでも対応できるプランニングの結果である・・・(長々、ダラダラとした対応の連続だったが)。

・・・「グラン昼特急広島2号」は八幡パーキングエリア、吉備サービスエリア、淡河パーキングエリアでそれぞれ10分休憩の後、リニューアル工事中の中国池田から阪神高速で梅田まで走る。

JR大阪駅北の「うめきた」エリアも、新駅を含めた開発工事が進んでいて、2年前までに見ていた景色とはガラリと変わっていて驚いた。

大阪駅で下車し、大阪環状線で西九条に移動する。とりあえず荷物をコインロッカーに預けよう。この日の宿泊は「ビジネスホテルアーバンティ西九条」。これまで、このホテルがあることは知っていたが泊まるのは初めてである。西九条はJR、阪神が交わることで、梅田、難波、天王寺、USJ、尼崎~神戸と、各方面への移動に便利な立地条件である。昼飲みにはほとんど対応していないが、夜の部なら店舗は豊富にあり、私も大阪勤務時には西九条が「関所」だったこともある。

・・・阪神なんば線でドーム前まで移動。開場まで時間があるので、ドームに隣接したイオンモールの中にあるQBハウスにて散髪する。

さっぱりしたところで改めてドームに向かうと、さすがに両チームのファンが入り乱れている。バファローズの2連覇記念のロゴが壁にペイントされていて、多くのファンが撮影していた。

開場時刻となり、列が進むのに従って入場する。チケットだが、順位が決まって発券されたのを見ると、ブロックのど真ん中の番号だった。まあ、先行予約で番号指定不可だと、一人者にはこういう席が割り当てられるのだろうな。その後、チケット販売のサイトをこまめにチェックする中で、三塁側ながら通路側の席を見つけた。定価よりは高いが致し方ない。まあ、こういう展開なら三塁側にも多くのバファローズファンが詰めかけるだろう。当初割り当てられたチケットは同サイトに出品して、前日までに無事に買い手がついたので後ろめたさもない。

クライマックスシリーズからは外野席の上段も開放されていて、早い時間から客が集まっている。リーグチャンピオンのロゴが入ったカップの飲料など買い求め、試合開始を待つ。

グラウンドに選手も登場し、期待の拍手が起こる。ちょうどこの角度からだとバファローズのベンチの様子もうかがえる。

バファローズの先発は山岡。シーズン後半に調子を落としていたこともあり先発を不安視される声もあり、プロ登板なしの山下の先発も噂されていた。その中で先発を託したことで、意気に感じてくれるか。

そしてホークスの先発は大ベテランの和田。バファローズも苦手としてきた投手である。この試合も打線がてこずってしまうのでは?という懸念も声もあった。もしその通りになってしまいホークスが連勝となると、ファイナルステージの行方もまったくわからなくなる。

スタンド内に興奮と緊張が走る中、試合開始である・・・。

コメント

バファローズ、見事サヨナラで日本シリーズ進出!!

2022年10月15日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

バファローズの選手、監督、コーチ、オーナー、関係者の皆さん、そしてファンの皆さん、日本シリーズ進出おめでとうございます!!

第4戦まで回ってきたことで朝に広島を出発し、京セラドームの三塁側で現地観戦。試合も一進一退で、ちょうど両チームのファンが混在するところだったので余計に熱が入る展開だった。ホークスも必死の試合運びである。

そして9回に中川がレフト前へのサヨナラタイムリー! スタンドも総立ちでもう大騒ぎだった。

試合後のセレモニーでは中島監督の胴上げ。

そして、表彰式、記念撮影では宮内オーナーの姿もあった。

これで日本シリーズでは昨年に続いてスワローズとの対戦となった。阪急ブレーブス、オリックス・ブルーウェーブ、大阪近鉄バファローズ、オリックス・バファローズいずれも敗れた相手だが、今度こそ雪辱なるか。さすがに日本シリーズ現地観戦はできないが、しっかりと声援を送りたい。頼むで!!

コメント (2)