広島新四国八十八ヶ所めぐりで前回第25番の不動院を訪ねた帰り、アストラムラインに乗って本通までやって来た。その時車内広告で「アス謎2021」というイベントを見つけた。最近あちこちの鉄道路線で行われている「乗車型謎解き」の一つで、2021年4月29日から行われていたのが、2022年3月31日まで期間を延長するという。
アストラムラインに乗る機会もなかなかないので、これをきっかけに参加してみようと思う。そして後日(2月20日)に再び本通駅にやって来た。本通、県庁前の新聞販売機にて謎解きキットが発売されており、参加費990円を入れると封筒に入ったキットが押し出された。また、謎解きにはいくつかの駅を訪ねる必要があるため、1日乗車券が便利という。こちらを950円で購入。クリアまでの標準所要時間は5時間とある。
本通を出発し(この駅にも謎解きらしきものがあるが、内容については公表しないのがルールなのでそれ以上は触れない)、謎解きの指示書に従っていくつかの駅を回る。アストラムラインをフルに使って・・ということなので、当然終点の広域公園前にも行くことになる(そのくらいは言ってもいいだろう?)。前日19日にはサッカーJ1のサンフレッチェ広島の開幕戦がエディオンスタジアムで行われたが、雪の舞う中スコアレスドローだった。
謎解きもよくわからないものがあったが、そこはヒントページも用意されていて、わからないものはそれを頼りにして進む。白状すると、途中からじっくり腰を据えて考えなければならない問題が続き、これは外に出たままでは解けないなということで、途中でいったん切り上げて続きは自宅で解くことにした。これに正解すればゴールの駅にてクリアの証明をもらえるのだが、後日ということにする。
・・前置きが長くなったが、アストラムラインの駅を回って戻って来た本通。ここから広電バスの牛田早稲田行きに乗車した。ここから本題の広島新四国八十八ヶ所めぐりである。本通駅を経由して第25番不動院と第26番の龍蔵院を結びましたということで・・。
牛田地区も坂が続くところ。女学院大学前のバス停で下車して、少し戻る。そこに龍蔵院に続く坂道の入口がある。特に山門があるわけでなく、地蔵堂と郵便ポストが玄関の役割である。
かつての石仏も残る中、石段、坂道を上がっていく。数分歩いて境内に出る。本坊らしい住宅や作業場も広がっているが、人の気配を感じない。ちょっと荒れたように見える。
正面には鳥居、その奥にお堂が見える。鳥居の扁額には巾着袋があしらわれ「聖天」と刻まれている。本尊の歓喜天の別称である。両脇に地蔵堂と祠があり、かつての神仏習合の名残のようだ。
本尊の歓喜天は毛利氏の持仏だったという。毛利輝元が広島に築城するにあたり、この辺りから地勢を見ていたところ、水が湧き出る泉を見つけた。この泉から歓喜天が現れ、輝元はこの吉祥から現在の場所に城を建てることを決意し、毛利氏の持仏とした。うーん、だとしたら毛利氏は関ヶ原の戦いの後に防長に移ったから、いろんな変遷があって現在ここに祀られているということなのかな。
そして納経所・・だが、建物はあるが扉は閉まっている。朱印については、第62番の明星院にて受け付けるとある。明星院は牛田から下った二葉の里にあるが、番号順となるとかなり後である。龍蔵院の朱印はそれまでお預け・・(その時まで覚えているかどうか)。
この時はそのまま牛田東2丁目のバス停に下り、八丁堀に出た。なお、この日(2月20日)の朝、広電西広島のすぐ東で乗用車との衝突により電車が脱線し、市内線が不通になっていた(別記事のとおり)が、昼前には無事に復旧し、私が戻る頃には通常ダイヤに回復していた。あの事故についてはネットでも乗用車の運転手が叩かれていたが、どのような処分になったのだろうか。新型車両を破損させたことによる損害賠償がどうなるのかも気になるが、例えば対人対物無制限の任意保険に入っていれば全額保険で対応できるものなのか、いやいや電車の運休や遅延にともなう賠償は保険ではカバーできないので運転手に請求が行くとか・・いろんな情報・デマが入り乱れるので、「こういう場合はこうなる」ということを誰かが示してあげれば事故の抑制にもつながると思うのだが、どうだろうか。
・・さて帰宅後に記事をまとめる中で知ったのだが、ここ龍蔵院にはかつてチベット仏教の交流活動拠点が置かれていたという。「文殊師利大乗仏教会」という団体で、龍蔵院は「デブン・ゴマン学堂日本別院」の機能も有していたそうだ。チベット仏教のダライ・ラマ14世も龍蔵院を訪ねて法要を行ったこともあったという。
この日本別院の機能だが、2019年に宮島の大聖院の支援もあり、同じ広島の真光院に移されたとある。真光院・・・広島新四国の第10番で、私のご近所にあるあの寺だ。ただ寺といっても住宅地の真ん中で、看板がなければ寺とは気づきにくい建物である。訪ねた時も扉が閉まっていて、軒先でちょっと手を合わせるくらいのものだったが、あの中にチベット仏教の諸々が収められているということか。また、中国観音霊場めぐりで大聖院を訪ねた時、本堂の一角にチベット仏教のあれこれがあったのを思い出したが、そういうことだったのかと結びついた。
広島にチベット仏教。これも意外な広島の姿である・・・。