「10・19」といえば、元近鉄ファンとして、いやパ・リーグファンとしては忘れられない一日である。
1988年の10月19日、奇跡の逆転優勝を狙う近鉄バファローズが川崎球場に乗り込んでのロッテ・オリオンズとの最終ダブルヘッダー。この日にどういう出来事があったのか、野球ファンとしては今でもよく覚えていることであろう。またロッテ対近鉄のダブルヘッダーだけではなく、阪急ブレーブスがオリックス(当時の報道ではオリエント・リース)に球団を身売りすることが発表されたという日でもある。ちなみに「10・19」は「じゅってん・いちきゅう」であり、5・15事件とか、2・26事件のように「日付」で語られる出来事となったわけである。
当時私は中学生で、地元大阪の朝日放送が川崎に中継車を出してのテレビ中継を見ていた。一進一退の攻防で「どうなるのだろうか」と緊張しながらテレビを見ていた記憶があり、友人と「近鉄が優勝したら、一緒に藤井寺球場に行こうよ」と電話で話したのを覚えている(今なら本拠地でのパブリック・ビューイングなど行われるのだろうが、当時はそういうこともないはずなのに、球場に行けば何かやっているだろうという思いがあったのかもしれない。結局近鉄は優勝を逃し、近所なのに藤井寺球場に行くことはなかったのだが・・・)。
それにしても、大阪の局が通常番組を休止して野球中継をぶっ続けで行ったり、途中から東京のテレビ朝日も予定を変更して川崎球場からの中継を行い、「ニュースステーション」の中でも生中継が行われるとは、最近では優勝決定試合すら地上波で中継されない昨今のテレビ事情を思えば、ものすごい時代だったのだと思う。
「そういえば今日は10月19日だったな」と思う。もともとはCSの観戦で西武ドームに行く予定でチケットも買っていたのだが、オリックス・バファローズがCS第2ステージ進出を逃したことで結局行かず、ならば川崎球場に向かって当時の余韻にでも浸ろうかと思う。川崎球場そのものは今年の春にも川崎に出たついでに訪れたのでどのような姿になっているのかは知っているが・・・・。
川崎駅から歩くこと10分で、球場に現れる。するとどうだろう。なにやら人垣ができている。見ればアメリカンフットボールの「Xリーグ」の試合がここで行われるという。第一試合がオンワード・オークス対ルネサス・ハリケーンズ、第二試合がオール三菱ライオンズ対オービック・シーガルズという「変則ダブルヘッダー」。おお、20年前も「ダブルヘッダー」だったな・・・。現在の川崎球場の姿を見るということもあるし、アメフトもテレビでスーパーボウルとか甲子園ボウルくらいしか見たことがないので、せっかくだから観戦しよう。そういえば「テレビじゃ見れない川崎劇場」とかいうキャッチコピーもあったな・・・。
Xリーグはフランチャイズ制を敷いているわけではないのでどちらのホームということもなさそうだが、一塁側・オンワード・オークス、三塁側・ハリケーンズという陣取りで、観客の数は圧倒的にオンワードのほうが多い。オンワードが優勝経験もある強豪チームだからだろう。試合が始まる頃には、一塁側のスタンドは結構な人数が入る。
ナマで見るアメフトは結構迫力があり、ヘルメットにプロテクターをつけたごつい男たちが肉弾戦を演じるのである。相撲の立会いよろしくお互いの「呼吸」で立ち、ぶつかり合い、ロングパスを通したり相手をなぎ倒す様というのはさすがに野球にはないものである。また一回の攻撃が終わると選手が何人か入れ替わり、次の陣形を組み立てていくのを見るのも面白い。アメフトの面白いところで、身体のごつい人、俊足な人、カンの良い人など、それぞれの体格などに応じて役割がいくらでもあるのだが、「球技」といえどもボールに一回もさわらない選手も多いのも確か。
あとは、インターセプトってのは、野球で守備側がWプレーを決めたのと同じように鮮やかに見えるというのも。
試合はハリケーンズが先制のタッチダウンを決めたものの、その後は地力で勝るオンワードが確実にタッチダウンを決め、リードを奪う。中には、ハリケーンズのタッチダウン後のキックで、これをキャッチしたオンワードの選手がそのままフィールドを走りぬけ、そのままタッチダウンを決めてしまったというのもあった。私にはプレーの一つ一つが新鮮で、オンワード側のプレーにはファンと一緒に拍手を送っていた。
結局はオンワードが56対24と圧勝。ただ、後で結果を見てみれば、ボールの支配時間、ファーストダウンの成功回数、獲得ヤード数などはハリケーンズのほうが上回っていたのである。よく健闘していたのではないだろうか。
第一試合終了後には入れ替えなしで第二試合が行われるが、あの時と同じような「ダブルヘッダー」はさすがにいいかなと思い、スタンドを後にする。出口ではオンワードの選手とチアリーダーたちの見送りを受ける。アメフトという競技もナマで初めて見たが、また機会があれば観戦に訪れてもいいかな(「10・19」の余韻に浸りに来たつもりが・・・)。
川崎球場の「スタンド」からこのアングルで見ると、ライトスタンドの奥にあるマンションが目立つ。あの「10・19」の時も、球場に入れなかった観客がマンションの階段や屋上にびっしりと詰め掛けたものである。
当時のパ・リーグの本拠地はほとんど姿形を変えてしまい、中には跡形もなくなった球場もあるが、野球とアメフトで種目は異なり、形が変わっても川崎球場はまだスポーツの興奮の舞台である。これからも市民の憩いの場として、大切に残してほしいものである。
帰り際、正面入り口の前にロッテ・オリオンズのユニ姿の人や、近鉄のトリコロールの帽子をかぶった集団を見かけた。プロ野球ファンの集まりか何かだろう。同じように「10・19」を忍びに来たと思われる。懐かしいなあ・・・・。