鈍な支障さんとの混戦BB会旅行も2日目の後半。
JR大牟田で下車し、ここからは水郷・柳川に向かうべく西鉄電車に乗り換える。駅前でやっていた地元のミニ祭りをちょっとのぞいてから反対側の西鉄ホームへ。6両の特急は転換クロスシート車。「京阪特急みたいやな」と支障さん。
途中単線にも関わらず筑紫平野を高速で飛ばして行く。車内ではいつしか西鉄ライオンズや平和台球場についての会話となる。平和台球場、結局そこで野球観戦をする機会はなかったのが残念である。昭和の球場の話をする時に「もう10年早く産まれていたら・・・」と思うことがしばしばである。
柳川に到着。ここでは水郷めぐりが名物であるが、その前に食事をすることに。柳川と聞いて思い浮かべるのはどじょうの柳川鍋であるが、柳川の町として一番に推しているのはうなぎである。うなぎか、特に今年は稚魚不足、値段の高騰がしきりに報道されていたなあ。あれば食べるが特に大好物とまでいかない食べ物なので、そんなものかという感じで聞いていたが。
駅構内の水郷めぐりの案内所では「お客さん、うなぎは召し上がりますか?」と、舟を下りたところにうなぎの店がいろいろあることを紹介されたが、水郷めぐりが70分かかるとあれば、その前に食事しておきたい。「駅前でもあるでしょう」ということでうなぎ屋を探そうとすると、駅前に老舗の感じの造りの「古蓮」という店を見つける。
一番はうなぎのせいろ蒸しということだが、値札を見てお互いに「ちょっと高いな・・・」と。また「どじょうの柳川」という思い込みがあるもので、ならばと間をとって、うなぎについてはかば焼きの単品を2人で分けることにし、支障さんが柳川丼、私が卵とじの柳川鍋の定食を注文する。
でてきたうなぎだが、どこの産かというのは詮索しないこととして、結構身が厚くて、そのうえ引き締まっていてなかなかの味である。実はかば焼きのタレの甘ったるさが苦手なのだが、それもそんなに気にならない。一方の柳川鍋も結構いける。
食べていると支障さんが、「まつなるさん、後ろ見て」という。振り返るとそこにはどこかで見た女性議員のカレンダー。そう、片山さつき議員。「日本の回復はどじょうよりうなぎ」というもので、自らを「どじょう」と称した野田首相へのあてつけのキャッチコピーである。片山議員は確か静岡の選出だったか。「自民党は全国のうなぎ屋さんから票を集めようとしているんでしょうかね」「全国の人にうなぎを食べて元気を出してがんばって、日本の景気も回復してもらおうという、全国うなぎ組合(?)のPRですかね」などと勝手な分析をする。となるとやはりうなぎ屋さんの票は自民党へ・・・・?
そういえば柳川といえば大関・琴奨菊の出身地である。この店にもレジのところに店長と琴奨菊(高校当時)のツーショット写真。秋場所を前に婚約を発表し、精神面で充実しているはず・・・だが秋場所は早々に休場。地元九州場所をカド番で迎えるということに。何をやっているんだか。
ここから歩いて5分ほどのところに舟のりばがある。ただ最初に入った建物で話を聞くと、案内所で聞いたのと何だか内容が違う。これで気づいたのだが、柳川の水郷めぐりといっても一つがやっているのではなく、いくつかの業者が舟を出してそれぞれが商売をしているということらしい。駅の案内所も公的なものではなく、業者の一つということのようだ。業者もすみわけがあるようで、電車のお客、マイカーのお客、観光バスの団体のお客と、それぞれターゲットがあるのだろうか。
そして舟に乗る。ここは30分に1回、その時の人数に合わせた数の舟を出すようで、この便では2隻出た。私たち2人の舟には鹿児島から来たという家族連れと、韓国から来た女性2人連れが相乗り。船頭ののんびりした、かつユーモアある語り口で観光案内をしながら舟をこぎ出す。
「柳川で水郷めぐりの舟に乗るかもしれない」と、出発前に家族に話した時には「あんたの体やったら、舟にはいつくばるようにしないと橋の欄干で頭を打つ」と言われたこともあり、それなりの心構えをしていたのだが、船頭によると「今は水が全然ありません」という。九州は豪雨もあり、水には困っていないのではと思うが、クリークの発達した筑紫でも、上流にダムができたりして水量が減っていることもある。また豪雨はあるが全体では少雨ということも。まあ、かつてのように生活用水や物資運搬をクリークに求めずとも、水道は上下水道があり、物資は陸上をクルマで輸送するとなれば、クリークの必要性もそれほどではないのかもしれない。
「本当ならあの線まで水があるんですよ」と、石垣の線を示す。それに比べればこの日は、歩いてでも渡れるくらいの低さ。時折船底が川底に擦るし、水草も水面に顔を出している。ゴミがたまっているのも見える。観光パンフレットのようにはいかない。
それでも、狭い水路をスレスレのところで通ったりするのはスリルあるし、水面を風が吹き抜けるのは気持ちいい。歩くのと同じくらいの速さではあるが、やはり来てみていいものである。
水路に面した住宅では、庭にベンチを設けたりオブジェを置いたり、観光客にも「見せる」家づくりをしているところも多い。ちょうど昼のホームパーティー中か、家の中からこちらに手を振ってくる人もいる。また、途中に水郷めぐりの客用の水上売店もある。行ったことはないが、東南アジアあたりの水都を連想させる。
最後は立花家の庭園である御花の裏手も通り、両側に柳があって倉敷にも似た雰囲気のところで終点。周りにはうなぎ屋やら工芸品の店などが並ぶ。帰りの無料送迎バスの時間までぶらついたのだが、戻ってみるとバスは満席。結局のところはタクシーで駅に戻ることに。道路を走った限りではごく普通の街にしか見えないのだが、裏道を入ったところにあのような水路が張り巡らされている、なかなか不思議なところであった。
駅に戻り、西鉄特急で天神を目指す。その間でまた雲が広がり、天神に着いた頃には雨。でも今回は、日中の外回りは雨の予報が外れていろいろと動き回ることができたのがよかった。
地下鉄で博多駅に移動する。新幹線まではまだ時間があるが、ここで早い夕食とする。そこでお呼びしたのが、会社の先輩で福岡勤務のK氏。2年半前の九州旅行で当時北九州勤務だった際にお会いして以来である。今回の出発前に、博多で時間が取れそうなのでということでお誘いをかけていた。鈍な支障さん同行であるが、お互いに快く了解していただき、筑紫口すぐの「ひかり」という店へ。その名前、新幹線を意識したものであろう。
鈍な支障さんとK氏はもちろん初対面ということであるが、そこは経験豊富な支障さんがうまく話を引き出してくれて、短い時間ではあったが楽しい一時となった。最後はK氏から「今度会いに来るときは彼女を連れてこんと」と檄を入れられる。
博多からは再び九州N700系に乗車。今度はみずほ号で、小倉、広島、岡山、新神戸のみの速達型。まだ19時を回った時間であるが、シートの座り心地のよさか、発車すると間もなくウトウト。結局駅に着いた時に気づいただけで、区間のほとんどは眠り心地の中のようであった。
今回「混戦BB会」としての2人旅となったが、それはそれで弥次喜多道中の趣はあった。ただやはり・・・大和人さんも行きたがっていたこの九州である。改めて、「いなくなったんやなあ」と2人で感じたことである。
後は・・・私もK氏が言うような「お供」を得ること・・・・。