まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

「半家」から「増毛」への旅

2016年11月11日 | 旅行記A・北海道
さてこの「◯◯」、何て読むでしょうか?

正解は「はげ」と「ましけ」。「ハゲからぞうもう」とも読める。それぞれ、JRの駅名である。

最近、ネットやテレビでこの言葉が目につくようになった。駅じたいは昔からあるのだが、このうち「増毛」が来月5日にて廃止となるのだ。

増毛駅があるのは北海道、留萌線の終着駅である。かつてはニシン漁で栄えた港町で、高倉健主演の映画『駅 STATION』の舞台、ロケ地としても知られている。私もJR乗りつぶしの最終盤で一度訪れたが、古い町並みや酒蔵を観光の目玉にしようという雰囲気があった。もっとも夏のことで、映画の雰囲気とは全く違っていたのだが。

この5日にて、留萌線の留萌~増毛が廃止となる。それを惜しんで大阪の日本旅行が、語呂合わせもあって「半家から増毛への旅」を企画した。すでに満杯だという。

これを聞いて、私の中学生~高校生時代、ちょうど国鉄からJRになった頃のことを思い出す。ちょうど乗りつぶしに興味を持って実際にやりだした時期だし、宮脇俊三や種村直樹といった、鉄道紀行作家やレイルウェイ・ライターの作品や時刻表を読んでいた時である。中でも種村流は、ゲーム的要素をもった汽車旅が多く、さまざまな鈍行乗り継ぎの話を面白く、かつ行ける人を羨ましく感じたものである。その当時は鈍行の夜行列車もあちこちにあり、それらを絡めながら全国を回るというもの。私もせめてもう10年早く生まれていれば、自分でもリアルにこんな旅ができたのになと思うことがある。

そんな種村直樹のどの作品だったか、巻末に種村氏本人か読者かが考えた鈍行乗り継ぎのプランがいくつか載っていて、その一つに「半家から増毛」というのがあった。

北海道の鉄道旅行は、大自然の中を走るということで昔から人気である。それはローカル線によるところも大きいと思うが、どこも厳しい。国鉄時代、JR移行時、民営化後と、何回も廃止の波がやって来る。そして今、北海道新幹線開業の中でまた大きな波が来ている。上記の留萌線に続き、石勝線の夕張への支線も廃止が決定的。そして、札沼線の新十津川までの末端区間や根室線の富良野~新得、さらには留萌線の深川~留萌も廃止の意向だとか。それだけでなく、札幌近郊を除いたほとんどの路線を、JR単独で維持するのは困難として地元の支援を得たいとしている。先に、社会人野球のJR北海道の野球部休部を書いたが、要はこういう状態である。地元自治体としてもどうしようもないのかもしれない。

このぶんだと、日本の端、最果てである根室や稚内から鉄道が消える恐れもある。そうなる前にせめてもう一度彼の地を訪れたいのだが・・・・。
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旅の終わりはサッポロビール園で

2011年01月23日 | 旅行記A・北海道

快晴の札幌、地下鉄の東区役所前駅から雪道を歩くこと約10分で、レンガ造りの建物に出る。

Dscn7109 そう、サッポロビール園。重厚なレンガ造りの建物に、北極星をイメージした赤い星に「サッポロビール」と書かれた煙突。ここを訪れるのは大学生当時初めて北海道を訪れた時以来で、もう17年も前のこと。その時はジンギスカンを食べただけで、ビール園の周りにはあまり建物もなかったと思うが、いざ来てみると周りにはアリオもできているし、日本ハムの練習場もあるし、古いものと新しいものが共存しているエリアとなっている。

Dscn7115 あの時と同じようにビールとジンギスカンで昼食ということだが、その前にサッポロビール博物館へ。数年前に内容をリニューアルしたとかで、日本のビールの歴史そのものといってもいいサッポロビールの歴史について、ガイドさんによる無料ツアーが行われており、何人かの観光客とともに見て回る。

Dscn7130かつてのサッポロビールのホーロー引きの看板なども展示されている。

ビールのシェアということになればアサヒとキリンが毎年のように首位の座を争っているが、サッポロというのもマイナーなようで個性的というか、CMや商品名などでは結構いいのがあるのではないかなと思う。

Dscn7145札幌、ミュンヘン、ミルウォーキーとか。

Dscn7146 「男は黙ってサッポロビール」ね。三船敏郎さんだったんですな。それにしても、最近こういう重厚な、男くさいキャッチコピーはそう出てこないぞ。

Dscn7139 商品のほうも、私がビールを飲みだした頃には「吟仕込」とか「焙煎飲んだらまた焙煎(ちょっと苦味がありましたな)」というのもあったし。一時、各社とも味や製法に少しずつ差を出す形でいろんな種類のビールを売り出し、季節限定や地域限定商品もいろいろ出ていたように思う。ただやはり製造の効率化や宣伝費用などいろいろあるのだろうか、現在は大人しくなったかなという印象がある。

Dscn7138 その中で今も続く冬の定番が「冬物語」。かつては槇原敬之とかカズンとか、今も耳に残るCMソングがあったのだが、商品は売られているもののCMが流れなくなったのは残念。もう少し、いろいろと味わう楽しみを提供してくれてもいいかなと思ったりする。

ツアーの終了後は有料で試飲も楽しめるということだが、どうせ昼食はビールだからということで辞退し、となりのビアホールへ。シーズンオフとはいえ連休の昼間ということで席だけは予約しておいたのだ。まあ、実際来てみると客もそれほどいなかったので杞憂に終わったのだが・・・。

Dscn7154 そして味わいますジンギスカン。生ラムと冷凍ラムの2種類が出てくる。生のほうは、プレートの周りの部分にもやしなどの野菜を敷き、真ん中で肉を焼く。そして冷凍のほうは、野菜をプレート全体に敷き、その上からスライス肉をかぶせる。そして全体を野菜炒めのようにして味わう。それぞれ、ラム肉と野菜がほどよく混ざり合っていい味を出している。

Dscn7153 そしてこれを迎え撃つのはサッポロクラシック。いや、もう北海道満喫です。食べ飲み放題ということでそれなりに箸を進めるのだが、ただ中年にさしかかったからかな、生ラムと野菜を1皿ずつお代わりしたところでもう限界。学生の頃は確かもう1皿は食べられたのではないかと思うが・・・。

身体もすっかり温まり、天気もいいということで帰りは腹ごなしを兼ねて札幌駅まで歩く。もう少し時間があれば駅横のタワーに登って札幌市街を見物しようかとも思ったが、今回の帰りの飛行機は比較的時間が早く、また雪のために列車が遅れるということもあってはならないため、ここでもう快速に乗車する。

新千歳からの帰路は関西空港へ。あれだけ白かった北海道からたった2時間で戻ってきた。飛行機の旅はこれだから味気ないと思うし、こういう気候の急激な変化、日本の多様性を短時間で味わえるとも思う。

北海道の旅、また旭川にも訪れたいし、学生の頃に一度乗っただけである宗谷本線にも乗ってみたい。オホーツクを目指すのもいいかな。遠いためそうおいそれとはいかないだろうが、また行ってみたいものである・・・。(終わり)

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厳寒のローカル線を行く

2011年01月22日 | 旅行記A・北海道

・・・いつまでもこの旅行記が続いていますが、今しばらくおつき合いのほどを。

Dscn7087Dscn709710日の朝、旭川からの普通列車で岩見沢に到着。この日は札幌に向かうところ、一旦回り道ということで室蘭線に乗ることにする。9時08分の発車ということで1時間ほど時間があるので、少し外に出てみることに。

Dscn7094 この日も晴れたかと思えばまた雪が降ってくるという天気の移り変わり。そんな中、駅前の商店街を歩く。歩道脇には道路から除かれた雪がうず高く積み上げられており、私の身長よりも高くなっている。祝日の朝ではあるが除雪車も走り回り、商店街の人たちも雪かきに追われている。

Dscn7090 路地裏にはこれも長いつらら。街中でこれだけの積雪やつららを見たのって人生でも初めてではないかな。空知のほうって結構降るんだろうか。私が以前所属していた旅のサークルでご一緒した方で、現在は結婚して名古屋に住んでいるが以前この岩見沢に住み働いていた方がいらっしゃる。その人も冬場は雪に悩まされたのだろうなと思いを巡らせる。

Dscn7088 30分ほど歩いた時点で身体が冷えてきたので駅に戻る。廃レールや地元の木材も活用し、かつての鉄道の要衝であったことを未来に伝えようというデザインの新しい駅舎である。

Dscn7098 ここから乗る苫小牧行きはキハ40の単行。それでも結構な乗車がある。それで白い平野部に出る。また雪が激しくなってきた。

Dscn7102 かつての石炭の輸送路線として賑わった室蘭線も、苫小牧から岩見沢までは1日数往復しかないローカル線。そんな細々とした感じの線路であるが、雪の中を淡々と走り街を結ぶ鉄道の存在は心強いものに感じる。まあ列車に乗っていれば遭難することはないし・・・。

Dscn7106 50分ほどの乗車で追分に到着。ここで列車を降り、10時03分発の千歳行きに乗り継ぐ。ただ、帯広方面からの特急に遅れが出たのを受けて、こちらも15分ほど遅れて発車。次の駅は南千歳であるが、隣の駅といっても17.8キロ離れており、15分もかかる。何とも北海道らしい話だ。まあ、15分やそこらの遅れではこの先の行程にそう影響があるものではないのでいいのだが。

千歳から快速エアポートに乗り継ぎ。私の後ろの方から女性2人の英語の会話が聞こえてくる。国際空港と札幌を直結する列車らしいなと思って、内容はほとんど聞き取れない会話をBGM代わりに聞いていると、時折「そうなんだ~」「それマジ~」というフレーズが挟まる。そして片方が日本語で聞き、もう一方が英語で返し、そしてまた英語同士の会話になる。???ってなことでちょっとそちらを見ると、どうみても日本人同士である。あまりに流暢なのだが外語学校にでも行っているのだろうか。普段の会話から英語でやることで鍛錬しているとか、あるいは他人に聴き取られたらあまりよろしくない内容は英語でやっているのか、そのあたりはよくわからないが・・・。

札幌に到着。ここでの目的地は一点。ということで地下鉄東豊線に乗車し、東区役所前駅からまた雪道を歩く・・・。(もう少し続く)

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北の街の夜と朝

2011年01月20日 | 旅行記A・北海道

Dscn7063 旭川にあるアイヌ関連の展示を見た後、再び雪中行軍で市内中心部まで戻る。顔をフードで覆い、手袋で防備するもバッグが雪をかぶってしまうという有様。ただそんな中でも地元の人たちはさほど厚着をせず、これって大阪や東京の普通の冬の服装やなという感じで歩いている。寒くないのだろうか。中にはスカートに生脚の女の子もいて、さすがにそれってどうよと思う。雪に埋もれる北の街ではあるが、やはりそこは可愛い格好をしたい、お洒落をしたいという気持ちなんだろうな。

Dscn7065 早くもネオンがともる旭川駅前の買物公園を通り、中心部へ。昨年旭川を訪れた時は、JR全線乗りつぶしを達成した直後ということで名物の炉端焼きを味わおうと、バンガローという店を訪れて、ログハウス風の内装の店で暖かい料理を味わった。今回もそこにしてもよかったのだが、そういえばそこのビールはスーパードライだった。普段はスーパードライ派なのだが、せっかく北海道に来たのだからサッポロクラシックを飲みたい。

Dscn7075 そんなことを思いながら歩くうちに出会ったのが、バンガローにもほど近い「郷土料理」の看板もある「ユーカラ」。サッポロクラシックの文字があり、今回はここにしようかと思う。「おばんでした!」のあいさつで迎え入れられる。

Dscn7066 雪の中を歩いてきたところにビールというのも妙な話だが、クラシックをくいっとやって人心地ついた。ちょうど座ったカウンターが炉端に近いところで、それを見るだけでも暖まる。

Dscn7072 北海道らしいものをいろいろ取り揃えているということで、さまざまに焼いてもらったりしながらクラシックに国士無双の熱燗をいただく。時間が経つにつれて団体予約も入ってきたし、ズラリと並ぶカウンターは私のところ以外は全てカップルで埋まり(道内の客も旅行客もいるようで)、昭和のニューミュージックや演歌やフォークなどが流れる店内はレトロなムードであふれる。

Dscn7071細川たかしの「北酒場」の雰囲気かな。ただ上田正樹の「悲しい色やね」が流れた時は、北の酒場で「ほうみたい、大阪べいぶるうす」と一人つぶやいたが・・・・。

その夜はすっかりいい心持になって、宿泊先のホテルルートインへ。大浴場で本格的に体を温める。北海道まで来てラジウム人工温泉に入るというのも妙な話だが・・・・。

さて明くる1月10日、成人の日である。早起きしてテレビをつけると札幌テレビ(日本テレビ系列)では朝のローカル番組。天気情報を見るが旭川で氷点下10度、釧路で氷点下14度とこの冬一番の冷え込みというのを伝えていた。道内各地も雪の予報で結構厳しいよなと思う。また、スポーツコーナーでは今季日本ハムに入団した斎藤佑樹投手の話題をやっており、アナウンサーが「斎藤投手、ぜひ北海道でお待ちしています」と言っていたのが印象的。

Dscn70771ゆっくりしてもよかったのだが、まだ夜も明けやらぬ、氷点下10度の外に出て駅に向かう。これから乗るのは6時25分発の普通列車の手稲行き。この日は「青春18きっぷ」の有効期間最終日で、千歳空港に戻るにあたりこれで移動しようというもの。

Dscn7079 昨日も見た私の名前が刻まれたプレートにもう一度触れる。再び、この地にやってくることを心に誓い(大げさやな)、風の吹き抜けるホームに上がる。赤色のデッキつき車両に乗り込んだのは恐らく私一人というくらい静かな佇まいだ。

Dscn7083 暗闇の中を雪を弾き飛ばすように列車は走る。昨日通った線路であるが、一夜のうちにまた雪が積もったようである。早い時間から除雪作業に余念のない人たちの姿、あるいは除雪車が国道を行く光景を見る。大阪のようなところで迎える朝の光景とは全く違った世界がここに広がる。身体を動かさなければならない時間は圧倒的に雪国の人のほうが多いだろう。

少しずつ外も明るくなり、駅ごとにポツポツと乗客がある。そして岩見沢に到着。このまま札幌方面に向かってもいいのだが、一度ここで途中下車することにする・・・。(続く)

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雪中行軍でアイヌ資料を見学

2011年01月18日 | 旅行記A・北海道

雪の旭川駅に降り立つ。これから午後の時間を市内で過ごすことにするが、私の目的地は旭山動物園ではなく、ここからバスで15分ほど走った近文にある。

旭川の近文といえば上川アイヌとして、白老、静内と並ぶ大規模なアイヌの居住地があったところ。北海道を旅行するようになっていつしか、北海道の先住民として、そして交易の民としてのアイヌにも少しずつ興味を持つようになった。アイヌ関連の書物も読むようになった。

近文ではなく静内が舞台ではあるが、この旅行に来る前の予習として、年末年始の北陸行きにも持参していたのが池澤夏樹の『静かな大地』である。淡路島から静内に入植した士族の息子が、当時内地人に経済的に苦しめられていたアイヌのために牧場を開くのだが、その短い期間の繁栄と悲劇を描いた作品である。中にはアイヌの言葉や習俗、民話なども盛り込まれており、テーマは重く読者には歴史や科学の知識を要求しながらももさわやかな言い回しで話を展開させる池澤らしい作風に仕上がっている。

Dscn7034 バスに揺られてやってきたのは「川村カ子トアイヌ記念館」。

Dscn7030 川村カ子ト(カネト)は上川アイヌの長であり、国鉄の測量技手。北海道を中心に各地の鉄道の測量を行ったが、彼の名を有名にしたのは三信鉄道(現在のJR飯田線)の天竜峡での測量。飯田線の中でもあの「秘境駅」の多い難所の区間である。難所で引き受けてのいなかったところをぜひにと請われて従事したという。晩年は国鉄を退いて、1916年にここ近文で日本最古のアイヌ資料館を建設した。

Dscn7029冬のことで、敷地内も深々と雪が積もっている。それでも開館しているのがうれしい。ただこの時期に見学する人もほとんどいないようで、資料館の入口に来ると初めて隣の事務所建物から長髪に髭の男性が出てきた。話はしなかったがこの方が館長で川村カ子トの息子さんに当たる川村シンリツ エオリパック アイヌさんだろうか。写真などで見るアイヌの顔かたちがよくうかがえる。

Dscn7026 館内にはアイヌが狩猟で用いた道具類や衣服、アイヌとともに暮らしていた生物の標本などが数々展示されている。自然とともに暮らしてきた民族の歴史に触れることができる。

Dscn7031 また、チセと呼ばれる彼ら独特の民家も復元されている。雪の時期であるがこれでしのげるのかなと思うが、囲炉裏の回りは結構暖かく、これはこれで風土に合った造りなのかなと思う。

資料館はアイヌ文化の伝承ということで民族楽器の演奏やら刺繍やらの体験もできるとか、また旭川はアイヌ民族運動の盛んな土地ということで(館長も講演活動を積極的にやっているそうだ)その手の催しに触れることもできるようだ。ただ冬だからね・・・。今回は資料に触れたということで後にするが、また季節を変えて訪れてみたいところだ。

Dscn7035 さてここから引き返すが、ちょうどバスが行ってしまった後である。寒い中を待つのも退屈なので、ここは北海道に来たのだからと、雪中行軍を行うことにしよう。歩道も確保されているし(それは懸命の除雪作業あってのおかげだが)、北海道の雪はパウダースノーということで、歩いてもさほど重く感じることがない。時折雪も舞うが、上着のフードをかぶっておけば傘なしでもしのげる。これが新潟や富山あたりのベタ雪とは違うところ。

雪の感触を確かめつつ、結局3キロ以上歩いただろうか。引き続いてやってきたのは、石狩川を渡り、JRの高架橋をくぐり、忠別川をさらに渡って町の南側にある旭川市博物館。ここは昨年の旭川行きの時にも訪れたことがある。

Dscn7048こちらもアイヌに関する展示が充実している。ただどうだろう、先の川村カ子ト記念館はアイヌが建てた施設の資料館、そしてこちらは公立の博物館である。うがった見方をすれば内地人、開拓の民としての視点で展示が構成されているようにも見える・・・?

Dscn7055 そういえば、旭川駅前の観光案内所で川村カ子ト記念館に向かうバスの乗り場を訪ねたところ、係の人は「あそこやってたっけ?(冬だから、という意味だとは思うが・・・)アイヌのこと見るのなら博物館のほうがいいですよ」てな感じのことを言ってたかな。

Dscn7053 ただどうだろう、昨年も見た内容なので流すところもあったが、アイヌの文化、そして明治以降の旭川の開拓の歴史、街の反映、そして自然科学に関すること、さらには新しい形でのアイヌ文化の伝承、というトータルで考えればこちらの博物館のほうが見学にはいいかなと思う。

Dscn7040 アイヌとの関わりというのは他の人権問題と同じように、無知ではいけないし、かといって腫れ物に触るようでもいけないところがあって難しいと思う。現在の歴史にあってアイヌが差別を受けたり、社会的に不利益をこうむってきた側面も否定できない。ただ日本という国が、ヤマト民族だけで成り立っているのではなく、その中にはいろんな民族の歴史があって、それで成り立っているのだということを知るだけでも大きな違いがあると思う。そういうそれぞれの背景を尊重するというのかな。

荷物が増えるがここの土産物コーナーでアイヌ通史に関する書籍を購入して外に出る。先ほどは晴れていたがまた雪雲が垂れ込めており、結構激しく降っている。ここまで来たのだ、もう一歩きしようか・・・。(続く)

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旭川駅のプレートに対面

2011年01月16日 | 旅行記A・北海道

1月9日の昼、氷点下の旭川駅に降り立つ。

Dscn7017 昨年の10月に「川のある駅」ということで新しい駅舎が完成した旭川駅。それを記念して「旭川駅に名前を刻むプロジェクト」が実施され、私もJR全線の乗りつぶし(当時)をこの駅で達成したということもあり、自らの記念としてこのプロジェクトに応募し、その「登録証」が送られてきた。

Dscn7018 私が当てられたのは8000番台。ホームから東改札口へ向かう階段があるが、内壁には北海道産のタモ材が使われている。外は一面の寒々しい雪景色であるが、木の温もりを感じさせるつくり。そのコンコースの中に、プロジェクトに参加した1万人の名前が刻まれている。

Dscn70191 そして探すうちに、結構低い位置に見つけた私の名前。

Dscn70761 しかしこうやって見ると感慨深いものがある。何か一つの区切りというのか、いい記念というのか。北海道に地縁、血縁があるわけではないが(かつては同じ旅行サークルに所属していた人もいるが現在は連絡取っていない)、そういう土地に名前が残るというのも不思議なものである。

Dscn7021 案内によれば旭川市内からの応募が77%、道内が16.6%、道外が6.4%で、九州・沖縄地方からの応募もあったそうだ。それぞれの思いや記念があってのことだろうが、それだけ、さまざまな人が行き交う「駅」というものに人を引きつけるものがあるのだろう。私もここに名前を刻んでもらうことで、遠い駅ではあるがここで乗り降りする地元の人、観光客の人たちとも何かつながっているような感じがする。

Dscn7022 今回の旅の大きな目的だったこのプレートとの対面を果たし、ほっとした感じがして改札口を出る。新駅舎は完成したが、元のホームはまだ解体整理工事中で仮通路が続く。新しい駅前広場の完成はまだ少し先のようだ。ということで、旧駅舎の三角型の看板、それに木彫りのアイヌの人形は健在である。できれば、この二つのアイテムは新駅舎にも残してほしいと思うのだが、どうだろうか。

Dscn7023 さてまだ時間は昼下がり。今夜は旭川宿泊ということで、その間街に出ることにする・・・。(続く)

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雪の旭川へ

2011年01月15日 | 旅行記A・北海道

成人の日の連休は冬の風情を味わおうということで、北の大地に向かうことにする。今回の目的地は旭川である。

Dscn6979_2 1月9日の早朝、神戸・三宮に現れる。ネットで申し込んだ往復航空券プラスホテルの格安プランなのだが、早くから申し込んだにも関わらず伊丹発着は満席。往路が神戸発、復路が関空着という、何とも妙なことになった。神戸空港が7時45分発なので早起きすれば間に合うのだが、そこは一ひねりしたいなということで三宮ターミナルホテルに前泊。遅いチェックインで室料が半分になるというプランがあり、三宮のガード下で夕食の一献を済ませた後にホテルへ。ちょうどJRの三宮駅ホームを見下ろす部屋で、なかなか面白い。

Dscn6990_7 結構ゆっくりと眠ることができ、ポートライナーで神戸空港に到着。あの方角は生駒だろうか、ちょうど太陽が昇ってくる。やはり日の出の瞬間を見るというのは清々しい気分がする。これからの旅が楽しいものになりそうな予感。

神戸からの飛行機は修学旅行生だろうか、後部座席は学生服姿の高校生が陣取る。そして離陸の瞬間、キャーとかヤバイとか、いろんな歓声が沸きあがる。飛行機に乗るのが初めてなのだろうが、遊園地の乗り物に乗っているかのような感じ。それにしても、この時期に北海道に向かうとすればどこに行くのだろうか。旭山動物園?スキー?

Dscn6993 神戸は晴天だったがこの連休は強い寒波が来ており、日本海上空は分厚い雲に覆われている。それを抜けるとまた青空。飛行機に乗るとこういう景色を見ることができるのが面白い。そして2時間後、どんよりとした雲の下、真っ白な大地が広がる北海道、新千歳空港に到達。短い時間での景色の変わりようにまた高校生たちの驚く声が広がる。

Dscn6997 ここから旭川に向かうわけだが、10時19分発の快速エアポート103号(札幌からスーパーカムイ15号)の旭川行き。ちょうど2時間での到着となる。ただ、案内放送によれば、旭川からやってくる便が大雪のために遅れているという。結局15分ほど遅れての発車となった。私は指定席(300円)を確保していたからいいが、自由席はデッキまで立ち客であふれ返る混雑ぶりである。

Dscn7003 地下の新千歳空港駅から地上にでるとそこは一面の雪の世界。時折激しく舞っているようで、道路も白く覆われている。除雪機も走っているし、玄関前の雪かきに追われている人たちの姿も多い。

札幌を中心に列車ダイヤも乱れているようで、遅れの幅がジワジワと広がってくる。札幌ではそれが30分にまで広がった。ホームには振袖姿の人も。成人の日は翌10日であるが、北海道内では9日の日曜日に成人式を行う自治体も結構あるようだ。翌朝のローカル番組のニュースで、財政破綻により市民からの寄付でまかなって開催された夕張市の成人式の様子も放送されていた。

Dscn7006 函館線に入り特急らしく走っていくがそれでも遅れが広がる。こちらの空知地方の風雪が厳しいようだ。激しく舞ったかと思えば、時には空が青く太陽の光も差し込んでくる。

Dscn7014 本当、雪の日の天候の移り変わりが激しい。結局旭川に到着したのは13時。40分の遅れということになった。

Dscn7015 昨年10月に新たな高架駅となった旭川。ホームは木を多用したシェルターに覆われた構造である。それでも冷気が吹き込んできて寒い。新千歳空港では外に出ることがなかったので、この旅でようやく北海道の空気に触れることになった・・・。(続く)

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線路は続くよどこまでも

2011年01月10日 | 旅行記A・北海道
9日~10日は厳寒の北海道、旭川・札幌を訪問しました。

ツイッターの方では実況つぶやきをやっていましたが、今回の目的は一昨年の12月に旭川でJR乗りつぶしを達成したのを記念して申し込んだ、旭川新駅舎に刻まれたネームプレートを見に行ったというもの。
参加者に送られた入場券の期限が3月末までとあったので…。

また冬の北海道の風情と厳しさも垣間見ました。

旅行記は現在の富山~飛騨高山編の後で順次アップしていきますので、御用とお急ぎでない方はぜひご覧ください。

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旭川駅に名前を刻むプロジェクト

2010年09月16日 | 旅行記A・北海道

今年の10月10日、北海道の旭川駅が新たに高架駅として生まれ変わることになった。

そして、その記念事業の一環として「旭川駅に名前を刻むプロジェクト」というものが立ち上がり、このたびの新駅舎の完成を記念して「登録証」が送られてきた。

・・・・実をいうと、この私も一口2000円のこのプロジェクトに参加していたのである。

Dscn5843 話は昨年の12月。これまで続けてきた国鉄~JRの乗りつぶしであるが、その全線乗りつぶしを達成したのが、この旭川駅でのことであった(最終区間は函館線の深川~旭川。夜中に通過した区間はカウントしないという自己ルールによりそうなった)。ちなみにブログでの記事はこちら

達成後、「この駅でJR完乗を果たした記念を残したい」と思っていたのだが、インターネットでこのプロジェクトの存在を知った。北海道の人でなくても応募できるとのことで、JR完乗記念に永く名前が残るのもいいかなということで応募する。その時に頭に浮かんだフレーズは「旭川"スタルヒン"球場」。

Dscn29161そのプロジェクトの「登録証」がこちら。きちんと私の登録番号と名前が記載されている。これだけ長いこと鉄道旅行を趣味にしていて、公の場で名前が出るというのは初めてのこと。いや実にいい思い出になる。

そうすれば一刻も早く自分で見たいというのが人情だろうが、さすがに開業日である10月10日には行けない。早くとも寒くなってからになるだろうが、見てみたいものである。この冬の楽しみにとっておこうかな・・・?

もしこのブログを読んでいらっしゃる方で「ここにあったよ!」と本人より先に発見した方いらっしゃれば、ぜひ。

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復路は札沼線経由

2009年12月12日 | 旅行記A・北海道

6日は雨が降ったりやんだりと不安定な天候。滝川駅の横手にあるバスターミナルに向かう。ここからバスに乗って向かうのは新十津川駅。札沼線の終着駅である。

札沼線に乗ったのは3年前の夏。その時は札幌から到着し、猛暑の中歩いて滝川まで抜けている。その途中で開拓の記念館に立ち寄り、奈良県の十津川から水害のために移住を余儀なくされた人たちの開拓の苦労についていろいろと見るものがあった。

Dscn5888今回は雨でもあるし、歩くと間に合わない恐れもあるのでバスに乗車する。周囲の住宅街などを回り、15分くらいで新十津川町役場に到着。ここから歩くこと5分で新十津川駅に出る。

Dscn5890ちょうど列車が到着したところで、数人の客が降りてきた。迎えのクルマに乗る人もいれば、写真を撮る人もいる。

Dscn5893この駅にやってくる列車は日にわずかに3本。ちょうど昼の便がやってきたところだ。昨日の旅がどちらかと言えば幹線の行程だったために、ちょいとローカル線的な要素も入れようというものである。

Dscn5896駅備え付けのノートに書き込みを行った後、他の3人の客(うち2人は折り返し組)とともに出発。終着駅から始まるというのもなかなかよろしいもので・・・・。

Dscn5911空知から石狩に向かう平野部を淡々と走る。明治時代はそれこそ何もなかった土地が、これでもかというくらいに広大な耕地となっている。その開拓の歴史に思いを馳せるのもよい。

歴史というとどうしても大和朝廷に始まる「中央の視点」で語られることが多いし、北海道といえばどうしても歴史が薄い、浅いというイメージを持ってしまう。しかしながら古くから生活を営み、交易を広げてきたアイヌと、開拓のために内地から渡った人たちの歴史というのもそれぞれに重いものがあることで、旅に出た時にはそういうものに触れて感じることができればと思うのである。

Dscn5913そんなことをつらつらと考えたり、列車のほどよい揺れに身を任せるうちにトロトロとしてくる。豊ヶ岡で一度山の中に入るが、再び平野部に戻って石狩当別に到着。

Dscn5916この列車はここまでで、札幌までは乗り換えとなる。1両から3両に増えた列車は近郊ムードの中を走る。私が乗った車両はボックス席の残るものだが、対向する列車には新型のステンレス車両(中はロングシート)もあり、札幌という街の広がりを感じさせる。そのうちに住宅や大型ショッピングセンターも目立つようになった。

札幌に到着。あとはここから快速に乗り継ぎ、新千歳空港に到着。手荷物検査場が混雑しており、あまり時間もないことから本格的な食事はあきらめ、旅の最後はサッポロクラシックで締める。何だか、一仕事終えた後のサラリーマンみたいなものやな。

今回訪れた旭川、新しい駅舎は来年にも完成するという。表玄関の三角屋根はなくなるのかもしれないが、また新しい駅を見に行くのも楽しみかな・・・・?

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旭川市博物館

2009年12月10日 | 旅行記A・北海道

JR全線完乗から一夜明けた12月6日、早いものでこの日の夕方の新千歳からの飛行機で関西に戻る。

今回の目的は最後の区間の完乗にあったため、2日目はいわばエキシビション。時刻表を広げると、朝6時の列車に乗ればこれからさらに北にある音威子府までなら往復することができる。次の列車でも、名寄まで行って少し見物して戻ることができる。

でもまあ、せっかく北の都市を訪ねたことだから、少し見物でもして行こうと思う。ということで、午前中を市内見物に当てることにする。

20045_131旭川の街には5年前に訪れたことがある。その時は前夜はオホーツクに近い生田原に宿泊し、石北線で上陸。当時紋別に住んでいた、旅サークルでご一緒だったご一家がわざわざ旭川まで出てこられ、駅前で昼食の後、『塩狩峠』で有名な三浦綾子記念館を訪れた。しばしのひと時であったが、あれから5年、皆さんお元気でお過ごしなのかな。

 

 

ホテルで北海道産の食材にこだわったバイキング料理の朝食をいただく。食糧自給率の低下が叫ばれるが、その中でも北海道は100%に近いものがあるのではないかと思う。改めて、この大地の豊かさを感じるところだ。

Dscn5865この日は雨が降ったかと思えば晴れ間ものぞくという、変わりやすい北国の天候。その中を旭川駅まで歩く。まず向かったのが、大雪地ビール。こちらは駅から歩いて5分くらいのところにあるのだが、登録有形文化財に指定されているレンガ造りの建物が並ぶ一角にある。

 

 

 

 

Dscn5867朝早くということで開館はしておらず建物外観を眺めるだけだが、明治から続いている建物は現在地ビールレストランのほかにはギャラリーなどとして活用されている。こういう近代化遺産を眺めると何だか心が落ち着くものを感じる。

 

 

 

さて、駅に戻りさらに25分ほど歩いたところ、ちょうど駅の真裏にあたる位置にあるのが旭川市博物館である。その街の歴史を知るにはこういう施設というのは欠かせないものがあり、これまでの私の街歩きの中にも取り入れてきたことである。

Dscn5874この博物館の売りは「アイヌ文化の紹介」である。昨年内部をリニューアルしたとかで、シックな感じにまとめられた展示室内には、精巧につくられた人形や、アイヌの住居「チセ」の復元がある。展示の説明が結構低い位置にあったりする。身体を折り曲げないと読めない状態にすることで、サッと流すのではなくしっかりと読んでもらおうというものである。また、説明文がマンガになっていて入り込みやすかったりということがあった。こうしたアイヌ文化を初めとして、旭川の地学や、屯田兵から軍都になるまでのプロセスなどが描かれている。

 

 

 

Dscn5877これは、結構「見せる」博物館というのを意識しているのかなと思う。旭川といえば有名なスポットは旭山動物園がある(今回の旅で行くことはありませんが)が、そこがブレイクしたのは「行動展示」を初めとした「見せるための工夫」。その影響があるのかどうか、ここ旭川市博物館も「見せるための工夫」はそれなりに散りばめられているように思う。

 

 

Dscn5875中心であるアイヌ関連の展示にしても、「内地人対アイヌ」というここのところ描かれがちな観点ではなく、狩猟、採集生活が中心の一方、オホーツクや日本海を股にかけて広範な交易活動を行っていた軌跡が紹介されている。ここで『アイヌの歴史 海と宝のノマド』(瀬川拓郎著、講談社選書メチエ)を買い求め、アイヌ文化への理解を深めることとする。結構、見ごたえのある博物館であった。

 

 

Dscn5887駅に戻り、ニシン、カズノコをメインとした「海鮮てんこめし」を買い求め、特急「スーパーカムイ」の客となる。

 

 

 

 

 

Dscn5884これから向かうのは、前日途中で下車した滝川駅である・・・・。

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JR線完乗への旅~アフター完乗

2009年12月09日 | 旅行記A・北海道

夕方の旭川駅でJR完乗を達成したわけだが、特に派手な出迎えがあったわけでもなく、一般の旅行者として改札を出る。12月5日はこの街に宿泊する。

Dscn5842これまで旭川の駅前には2度降り立ったことがある。初めての時(学生時代)は駅前のホテルに宿泊し、夕食も駅構内で済ませた記憶あり。2度目は5年半前のことで、当時の旅サークルの会員の方で、関西から紋別に「移住」されたご一家の方がわざわざ私との面会というセッティングをしていただき、旭川まで出てこられたというもの。その時は三浦綾子の資料館を訪ねた後、駅前でカレーの昼食をご一緒し、そこでお別れして私は富良野に向かったという思い出がある。今でも皆さんお元気なのかな??

今回の宿泊は旭川のロワジールホテル。駅から徒歩15分とあったが、駅からまっすぐ北に伸びる買物通りを歩く分にはさほど遠くは感じない。スピーカーから流れる店のPR放送を聞いたり、東京とも変わらないブランドの看板を見ながら歩く。日本最北の「都市」とはよく言ったものである。

Dscn5845シーズンオフということで、一人身の旅ながら用意されたのはツインルーム。別に誰かを連れ込むわけではないが、広々とした部屋に身をゆだねるのはいい心持ちである。

Dscn5846さて、冬の北国の夜更けは早い。まだ17時というのに周囲は真っ暗で、2時間くらい時間が進んでいるのかと思わせる。でもまあ、緯度の高いところの冬はこういうもので、内地人の私の認識が薄かったというところか。

JR完乗ということで、旭川の夜は多少張り込んでもいいのかなと気が大きくなる。ただ店のよしあしがわからないので、携帯サイトでチェックする。その結果を参考にしつつ、「バンガロー」という、ホテルにも近い居酒屋に飛び込む。

Dscn5849「バンガロー」という名前にふさわしく、店内のインテリアは「木の美しさ、温かさ」で固められている。つくりものではなく、長い間この地で商売をしてきたのだなという歴史を感じる。

Dscn5851「旭川市観光協会推奨」と、ホテルでもらったグルメマップには記載されていたが、特に観光客におもねるというのではなく、あくまで地元の常連さんで賑わっている店である。個室を別にした一般席は40人ほど入れるが、私以外は地元の人たちでそれがほぼ満席となった。入った時は私が口開け客のようなものだったが、時間が経つに連れて地元のグループ客の予約や、学生のような風貌の男女が予約なしでも入ってきたりとか、あくまで地元の人たちで賑わっている店なのだなと実感する。

Dscn5855そういう店ならば観光客向けのボッタクリもなく(元々明朗会計の店なので)安心である。そのうえ、店の人も一見の観光客を適当にあしらうのではなく大切にしてくれるので安心だ。大将の網さばきを眺めつつ、思わず左手が進む。

Dscn5847ビールがサッポロクラシックでなかったことが唯一の不満であるが、タチの白子、氷頭(ひず=サケの頭部のナンコツの煮凝ごり→これは結構ヒット)を楽しむほか、ここは炉端焼きの店だということで、ホッケ焼やら宗八ガレイなどの熱々の一品を楽しむ。こうした道北の内陸の街で魚を味わうというのも妙な話であるが、店の中央にあるカウンターから見える炉端焼き、酒飲みの人もそうでない人も充分おすすめ。

Dscn5854せっかくなので2杯目は銘酒「男山」を注文。常温でいただく一杯もいいのだが、メニューを見ればいろいろなところの酒を備えていることがわかる。ただ今夜はあくまで上川の酒にこだわることにして、「男山」の次は「大雪の蔵」やら「国士無双」をいただく。特に「大雪の蔵」の瓶は500mlとデカイが、一番人気の「男山」の伏兵の形ながら、自分的には結構ヒットかなと思う。実力派かな。

Dscn5859ほろほろ酔いとなったところで切り上げ、足が駅のほうに向かう。コンビニであれこれ購入した後にホテルに戻る。このロワジールホテルには地下にフィットネスクラブを持ち、宿泊客は通常料金の半額でジムとサウナが楽しめる。ウォーキングはさておき、サウナ大浴場と、浴後のラウンジを楽しむ。こういうのは付加価値といえる。

Dscn5863シーズンオフの一夜を楽しんだ後、翌日をどう過ごそうかと思う。最初は「より遠く」ということで、宗谷線は名寄あたりまで往復して来ようかとも思ったが、それももったいないかなというところ。結局市内でしばらくすごした後のことにしようか・・・・。

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JR線完乗への旅~旭川駅で完乗達成!

2009年12月08日 | 旅行記A・北海道

Dscn5811函館線は岩見沢駅のホームに降り立つ。以前に来た時には駅舎が改装中であったが、かつての栄華を示すような駅舎に生まれ変わっていた。ここから乗車するのは13時30分発の旭川行きの普通列車。この岩見沢から旭川までは、幹線でありながら普通列車の本数が少ない区間。結構ローカル線の風情が味わえそうである。

Dscn5812その列車、2181Mにあてがわれているのは711系というやつ。北海道らしからぬ赤い車体にクレーム色の帯をまとった車両である。分類では近郊型というのになるのだそうだが、車両の両端にドアがあるところを見れば、本州の急行型の車両のように見える。

Dscn5816車内には昔ながらのボックスシートが広がり、往年の鉄道旅行の風情がそのまま残されている。汽車旅好きにとっては、乗りつぶしの最後の列車がこういう車両であったというのはありがたい気持ちがする。ロングシートばかりのステンレス車両・・・ということになれば、何だか締まりがなくなるような気がするし。岩見沢~旭川間の普通列車が少ない区間にあって、よくこのタイミングでこういう列車で出会えたなと思う。

Dscn5834_2こういうタイプの車両だからということもあり、乗り換えまでの間でこのようなものを仕入れる。学生時代に北海道に初めて上陸した折に出会ってから、それ以後はビールといえばこれを指名している。夜の部で入った店がスーパードライやモルツだけを扱っているのなら楽しみが半減するというくらいのものである(サッポロといえばもうひとつ「冬物語」という銘柄を思い出すのだが、あれはこの冬は発売されるのかな・・・・?)。

Dscn58213両の編成だが1両に10人くらいしかいない中で発車。薄曇りの中、石狩から空知の平野部を快走する。このあたりは線路も並走する国道も20kmにわたって直線区間が続くところである。両側の車窓に広がる広大な田園風景を眺める。

Dscn5826かつて石狩炭田で賑わった区間も今は近郊の利用客が下車するばかりで、ガラガラになった状態で滝川着。20分ほど停車するので一度改札を出る。根室線の起点の駅でもあり、貨物駅や留置線など広い構内を持つのだが、駅前通りは実にさびれていた。パッと目についたのがチェーン居酒屋の「つぼ八」であるが、昼間の列車の待ち時間に入るところではない(というか、まだ開店していない)。郊外に行けば賑わっているのだろうが、とりあえずはシャッター通りかなというのを確認する。

ここで仕切り直しとして深川に向かう。先ほど滝川まで乗ってきたが、この日購入していた「一日散歩きっぷ」のフリー区間はこの滝川までである。滝川駅の乗降はこの切符で自動改札を通ったのだが、ここからは乗車券なしの状態である。

Dscn5819そこで一計を案じ、通りがかった車掌から乗車券を買い求める。出てきたのは「滝川~旭川」という、両方の駅名が入ったもの。おまけに「2181M」という列車名も印字されており、これはいい記念になりそうだ。

Dscn5830深川でも20分ほど停車。これまでいた乗客もここまででほとんど下車し、車内に残ったのは3両合わせても10人ほど。これが青春18きっぷの有効期間なら「その筋」の客たちで席が秒殺で埋まり、通路やデッキにも立ち客があふれるのだろうが、普段のシーズン、普通の土曜日の午後の列車というのはこういうものだろうか。

Dscn5835ここからが私にとっての「最後の初乗車区間」となり、せめて外の景色をしっかりと眺めようと思う。次の納内(おさむない)までは広大な畑作地域が広がり、改めて農業スケールの大きさを感じる。

Dscn5836納内から伊納まではちょうど空知と上川の「国境」地帯。急に両側に山が迫り、間を石狩川が流れる車窓となる。峠越えという大げさなものではないが、車窓にちょっとしたアクセントを与えてくれる。

Dscn5837伊納を過ぎると少しずつ開けた車窓になる。次の近文(ちかふみ)は広い構内の中にポツンと小ぶりなホームのある駅だが、このあたりまで来ると旭川の近郊住宅街の景色。そろそろ旭川が近くなってきた。

「次は終点の旭川です」というアナウンス。宗谷線や石北線の乗り換え列車の案内が流れる中、列車はスピードを上げる。それと同時に、いよいよ「乗りつぶし」が最後に近づいたのを感じる。

15時46分、ゆっくりとホームに進入し、無事に到着した。列車のドアからはパラパラと乗客が降りる。私もゆっくりと腰を上げて、その人たちに続く。

Dscn5838・・・・とうとう、日本全国のJR旅客線の完乗の瞬間である・・・・。

他の乗客はさっさと地下道へ降りて改札口に向かったが、私はしばらく余韻を楽しむかのようにホームにたたずむ。その後で(本当は「あさひかわ」の駅名標で撮りたかったのだが手ごろなアングルがなく)、今しがた乗ってきた列車をバックにセルフタイマーで写真撮影。

あと、先の列車で車掌に発行してもらった乗車券だが、これは「ウイニングボール」として、懐にしまう。(それならどうやって出たのか・・・?実は長時間停車を見越して、滝川で下車した時には次は自動券売機で深川まで購入し、深川ではそれを使って一時下車し、最後は深川から旭川まで自動券売機で切符を購入してそのまま旭川の改札を出た)

Dscn5843よくJR完乗ともなれば長い盲腸ローカル線の終着駅で達成したり、大勢の知人友人がその場にいたり、昔であれば完乗記念のきっぷもオーダーメイドで作られていたというが、そういうお祭りムードではなくあっさりと終わったなあという印象。プロ野球の2000本安打達成の瞬間でいえば、大勢の観客も見守る大一番でホームランやタイムリーで派手に達成したのではなく、観客の少ない試合で、まだ得点も入らない浅い回の場面でチョコンとバットに当ててヒットになって達成したかのような心持ちだ。

おまけに、旭川で完乗達成というのは元々意識していたわけではなく、他の路線を乗るうちにここだけが残ったというのが実情。それでも完乗を達成した駅ということで、これからも自分にとって印象に残る駅になることだろう・・・・。

Dscn5842市街地を囲む山々は薄っすらと白い雪が積もっていたが、駅前中心部は-2度と冷え込んでいるものの雪の気配はなく、普通に歩くことができる。今夜の宿泊先で荷物を置いた後は、旅先恒例の・・・・・。

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JR線完乗への旅~北海道上陸

2009年12月07日 | 旅行記A・北海道

Dscn579112月5日の朝、伊丹空港に現れる。これから向かうのは、いよいよJRの旅客線の最後の区間となる函館線の深川~旭川間である。

前の記事でも書いたことだが、『時刻表2万キロ』や、国鉄~JR移行時のブームのようなこともあり、「いつかJRの全線の乗りつぶしをやってみたい」と思ったのがもう20年以上も前のこと。それから、乗るための旅行やら観光旅行やらいろいろと取り混ぜる中で最後に残ったのがこの区間。宗谷線、石北線、富良野線、留萌線と、これらを取り囲む路線もいろいろとある中、それをうまくかいくぐったというべきか。

早いものでもうすぐ2010年代に突入する。それまでに一つの区切りということで達成しようということで、ギリギリの12月、その中でも比較的安く行ける日程ということでこの週末に出ることにした。航空券は伊丹~新千歳の往復、宿泊は旭川市内というプランだが、片道の普通航空運賃とほぼ同じくらいの値段で往復とホテルがついてくるのだから、本当、この業界の「本当の適正価格っていくらなの?」と逆に心配してしまう。ただでさえJALは経営が苦しいというのに、大丈夫なのかな??

Dscn5794伊丹は雨模様の天候だったが、満席の乗客を乗せて離陸し、低く垂れ込めた雲を突き抜けるとそこは青空。雲を下に見やり、澄んだ空気の中を飛びぬけて行くのは気持ちのよいものである。団体客などからも歓声があがる。

2時間弱のフライトで新千歳空港に到着。空港の周りの地面を見下ろすが、山間や日陰を除くと雪の気配が全くない。あらあら、こちらは真冬の北海道へということで靴も雪用のものにしたり、コートにも裏地を入れたりして重装備で来たというのに・・・・。

Dscn5802新千歳空港からは快速エアポートに乗車する。駅の窓口で買い求めたのは「一日散歩きっぷ」。札幌近郊の駅で発売されているものだが、フリー区間は結構広い。合わせて快速の指定席券を押さえ、まずは札幌まで着席で移動。他の車両はデッキまで立ち客で一杯だったから結構な差である。

札幌に到着。札幌駅に降り立つのも3年ぶりのこと。今回は昼食のために下車したようなものである。

Dscn5809さて昼食ということで、駅に隣接するビル「エスタ」の中にある「札幌ラーメン共和国」に向かう。昭和30年代くらいの町並みを再現したセットの中にいくつかの店舗が集まるという、あのタイプの店舗である。現在8つの店が出ており、ちょうど昼どきということであちこちで行列ができている。果たして次に乗る予定の列車に間に合うかな・・・。

Dscn5806比較的行列が空いてそうということで、味噌ラーメンの「けやき」の行列につく。店の対応がいいのか結構回転が早く、2~3分待っただけで店内に案内される。私はラーメンは好きだがそんなに「どこの店のあのメニューでないと」というこだわりまではないので、「札幌の超人気店」というCFにも「そうでっか」というくらいのものである。

Dscn5804やってきたのは一番人気の味噌ラーメン。そんなにしつこい感じもなく、野菜もたっぷりと入っているのでこれは身体にもよさそうだ。

並ぶことがほとんどなかったせいか、次の岩見沢行きには楽に間に合う。後はこのまま旭川まで列車を乗り継ぐだけだ。札幌近郊の街中を走りぬける。横では線路の高架工事もやっており、パッと見たところでは東京や大阪の近郊とはさほど変わらない風景が広がる。違いといえば屋根がトタンだったり、煙突のある家の横を通ったりというところかな。

Dscn5815岩見沢に到着。さて次に乗る列車がいよいよ乗りつぶし達成に導いてくれる一本になる。最後にいい感じの列車が残ってくれたものである・・・。

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JR全線完乗達成しました!!

2009年12月05日 | 旅行記A・北海道

本日の夕方、JR函館本線の深川~旭川間の乗車をもって、とうとうというか、やっとこさというか、JR旅客鉄道線の全線を「完乗」することができました!!

思えば、「乗りつぶし」ということで、「○○線に乗りに行く」というのを始めたのがちょうど「国鉄からJRへ」移行した1987年のこと。つまりは、JRとともに自分の乗りつぶしのライフワークというのは始まったわけで。

だから、それから22年半経過したことになります・・・・。

最後はあっさりしたというか、あっけなかったというか、そんな感じです。別に誰かが駅で出迎えてくれていたわけではないですし、涙ぐむというほどのことでもないので。ただ、いくらか時間が経過して、知人等にメールで報告するうちに(あるいは、こういう記事を書いている中で)少しずつ実感がわいてきたというところです・・・・。

単に乗るだけであればもっと早く達成していたでしょうし、厳密にいえば本日乗車した深川~旭川間というのは、夜行列車で通過したことがあるので「乗ったこと」にはなっているわけです。ただ、自分の基準で「夜行列車で夜間に通過したところは、乗ったことにしない」というルールを決めているために、今回最後の乗車ということになったわけです。

また、一度乗った線区であっても何度でも行きたかったり、観光旅行やら野球観戦旅行やら、そういう自分なりの旅のスタイルがあったことから、結構あちこち行っているようで、時間がかかったということになります。

それにしても、完乗といえばローカル線の終着駅とかいうケースが多い中、旭川で完乗達成するとは、自分では全く意識するところではありませんでした。でもまあ、これでこの日本最北最大の街というのが、自分にとって親近感の持てるところになったのは確かです。

私が乗りつぶしを意識したのは、多くの人がそうであるように宮脇俊三の『時刻表2万キロ』の影響があったわけですが、その当時(昭和50年代前半)から見れば国鉄→JRの路線も減少しているわけですから、条件からすれば楽だったのかもしれません。でもまあ、それはその時代ごとの話ですからね・・・(極端な話、明治の新橋~横浜間に開通したばかりの鉄道に乗車した人は、老若男女問わず全員が『日本の鉄道完乗』になるわけで、そのあたりのところを比較しても仕方ないわけです)。

ともかく、これまでいろいろな形の旅を行う中で得られた「ひとつの区切り」であることは間違いないので、これからの自分の財産というか、経験にしながら、また新たな旅を続けていきたいと思います・・・・。

(本日はカメラとパソコンが接続できない関係で紀行文の画像がアップできません・・・・。紀行文についてはまた改めて書くことにします)

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