まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

総合旅行業務取扱管理者試験に合格しました!

2007年11月29日 | ブログ

10月に大沢親分と杉浦投手の母校である立教大学で受験した「総合旅行業務取扱管理者試験」。このたびその結果通知が来て、無事合格することができた。

時刻表検定試験と違って、一応国家試験ですから。ようやくホッとすることができた。

Pb29528212年前に一度受験したが、そのときは不合格。前年は受験せず、今年になって「もう一度受験したいな」と思って取り組んだもので、専門学校や通信教育を使わずテキストは4冊ものの参考書一本に絞って臨んだ試験。法令、約款、国内実務、海外実務の4科目の自分の得点はわからないが、すべての科目で60%以上の得点率を挙げないと(一つでも下回ると不合格)いけなかったので、まあそれなりにできたということだろう。

・・・別にこの資格を取ったからといって、すぐさま旅行業界に籍を移すとか、自分で開業するとか(そういえば登録に必要な財産基礎額はなんぼやったかいな・・・って、それ試験で憶えとかなあかんところやないか)いうつもりはなく、旅行業務のイロハの「イ」くらいはマスターしたぞという肩書きというのかな。

資格を取って終わりというのではなく、センスに磨きをかけないとね・・・・。

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寝台特急北陸と富山地鉄~時刻表検定試験受験の旅・富山~1

2007年11月27日 | 旅行記D・東海北陸

先日行われた時刻表検定試験。試験そのものは金沢で受験したのだが、実はその前日は富山県内をウロウロとしていた。しばらく、その日の様子のことを書くことにする。

前日を富山で過ごそうというのは、一緒に受験する「大和人トラベルがたり」の大和人さんと決めたこと。「北陸に行くのなら、初乗車の富山ライトレールとか万葉線に乗ってみたい」とのことだったので、私も富山は好きなところでちょくちょく訪れているので、道案内がてら行きましょうかということになる。それで宿泊も富山とし、当日の朝金沢に移動しようということになった。

Pb164961大和人さんは大阪を朝7時11分発の「サンダーバード1号」で富山には10時25分に着くとのことで、富山駅で合流とする。で、東京からなら上越新幹線とはくたか号の乗り継ぎでそれより少し前に富山に到着するのだが、今回「北陸フリーきっぷ」を使うこともあり、それであれば前日から「北陸」」号に乗り、富山に早朝入ることにする。それなら合流までの時間、何かして過ごせるし(どこかの線に乗りに行ってもいいし)、寝台特急に乗ることも滅多にないので、B個室「ソロ」を入手。

Pb164963上野駅近くの立ち飲み屋で引っかけた後、「北陸」の客となる。折りしも東京から西へ向かうブルートレインが近々廃止になるというニュースもあり、寝台列車の発車シーンを見られるのもあとどのくらいだろうか。その中で「北陸」は結構善戦しているようで、金曜日とあって寝台は満席である。東京から北陸、北陸から東京の往復フリーきっぷが好評で、「北陸」も選択できるからだろう。

発車間際に車掌が個室のカードキーを持ってきて、「寝台券はお出しいただかなくて結構です。どうぞお休みください」という。明日の朝も早いので、早々に着替えて寝ることにする・・・。

翌朝5時33分。まだ夜明け前の富山駅着。ここで結構多くの客が下車する。私もここで降り、大和人さんが来るのを待つ。いやただ待つといってもホームでボーっとするわけではなく、どこかしらに出かけるのであるが。そこで向かったのは富山地鉄の電鉄富山駅。さすがに立山とか黒部渓谷を目指すには時間が足りないが、その手前まで乗ってくることはできる。

Pb174970そこで、ホームに停まっていた列車を見て、まだ乗ったことがない不二越・上滝線でとりあえず終点の岩峅寺(いわくらじ)駅を目指すことにする。乗るのは元京阪特急「テレビカー」。足回りや塗装は富山地鉄仕様に変えられているが、シートの感触は往年のままである。

Pb174982さて近郊私鉄らしく、駅間の間隔も短くこまめに駅に停車する。もっとも早朝の逆方向に向かう列車のため、富山の市街地を抜けると乗客もいなくなり、ほとんど私一人の貸切状態。そうするうちに少しずつ東の空が白んできて、立山連峰のシルエットがくっきりと窓の外に広がる。雲もなく、空気も澄んだ感じで気持ちよい。

Pb174975電鉄富山から30分ほどで岩峅寺着。ここは寺田経由で立山に向かう立山線との合流地点だが、乗ってきた不二越・上滝線の線路はここで行き止まりとなる。駅の建物は神社を模したような独特のつくりで、格子戸を開けて出入りする待合室にはストーブが焚かれていた。さすがに晩秋の朝は冷え込む。

せっかく来たので少し歩くことにする。この駅舎の形が物語るように、歩いて7~8分のところに雄山神社の前立社壇というのがあるそうだ。駅名が「寺」なのに最寄が「神社」とはね。

Pb174976そしてやってきた雄山神社。ここで旅の安全と検定試験の好成績を祈願する。朝の寺社参りは清々しいなと年寄りみたいなことを思う。ここ雄山神社は古くから立山信仰の拠点として、また神仏習合の霊場として(だから岩峅寺なのだ)多くの信仰を集めたところという。社殿の増設・修復には源頼朝、佐々成政なども支援したという。

Pb174990すぐ脇を流れる常願寺川の冷たい流れで気を引き締めた後、再び富山地鉄の人となる。夜も明け、列車には通学の高校生の姿も目立つ。立山方面には向かわず、この後寺田まで行き、さらにJRとの接続駅である新魚津まで乗車する。途中からJRの線路が並走するが、あちらの特急がスピードがあるのに余裕を持って走っているように見えるのに対して、こちら地鉄はモーターが焼けるのではないかとハラハラするように一生懸命走る。JR対地方私鉄の対照というか、それぞれの特徴がよく出る区間である。

Pb174996新魚津からは旧急行色の475系のボックスシートに揺られ、富山に戻る。ホームの立山そばで遅めの朝食とするが、それをすすっても大和人さんとの合流までにはまだ時間がある。

そこで、だ。北陸フリーきっぷを持っているのだから、時間もあることだし、高岡まで「サンダーバード1号」を出迎えに行くことにする。朝メールで「後ほどお会いしましょう」と送ったのだが、「富山駅で」とは書いていない。ちょいとサプライズということで高岡まで移動し、「サンダーバード1号」の入線を待つ。

やってきた特急。自由席だろうとそちらからのぞいてみるが、いない。おやおやと思いつつ指定席のほうに移動してみると、連日の激務と今朝の早起きで朦朧気味の大和人さんの姿を見つける。いきなり隣に腰掛けて「おはようございます」。さすがにちょっと驚いた様子。

ともかくこれで無事合流。高岡から富山までは13分の乗車で到着。中央出口ではなく北出口から駅を出る。改めてここから、富山の鉄道の乗り歩きの始まりである・・・。

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オリックス、阪神と2対2のトレード

2007年11月26日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

何だか久しぶりにオリックス・バファローズに関することを書くような気がする。

ここまでFAで退団することもなく、またFA選手を獲得するという動きもなく、昨年の今頃に比べればひっそりと静かなオリックスのオフであるが、このたび、平野恵、阿部健の両選手と、阪神の濱中、吉野の両選手の2対2のトレードが発表された。

右の長距離打者がほしかったオリックスが、若手の台頭で出番の減った濱中の獲得に早くから興味を示し、一時はエース川越が交換要員という報道が多かったという気がしたが、平野に阿部とはね。特に平野は内外野守れるユーティリティー・プレーヤーであり、ちょっともったいないかなという気がしたが、濱中を獲得するためという決断だったのだろう。

で、その濱中であるが、本当の実力というのはどうだろうか。正直、これまで阪神にいたから実力以上に大きく扱われてきたというところだろう(これまでの通算成績を見るに、関西のマスコミで取り上げられている選手の割には「こんなもんかいな?」という程度のもの)。確かに長打力はあるのだろうが、いきなりレギュラーを確約するとか、3割30本打つという過度の期待はしないほうがよいだろう。本当にその力を発揮できるかは、本人の努力もそうだが周りの環境にもよる。

そして吉野。阪神が03年に優勝したときはワンポイント、中継ぎで活躍した投手である。菊地原、高木といった左の中継ぎがいるが、その中に割って入れるか。

FA、FAというのもいいのかもしれないが、こうしたトレードでお互いに必要とする選手をうまく獲得するのも球団運営には大切なこと。これからしばらくの間はFA選手の動向とともに、こうしたトレード成立の話題もまた興味あるところだ。「放出された」というのではなく、トレードに関わった選手全員が活躍し、お互いにプラスになれるようにね・・・・(と最後は正論でまとめてみます)。

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駅からハイキング・上総亀山

2007年11月25日 | まち歩き

紅葉を見るのと、久しぶりの久留里線乗車ということで、上総亀山で行われた「駅からハイキング」に参加。この「駅から」に参加するのも久しぶりである。

Pb255215早朝から列車を乗り継ぎ、内房線で木更津着。ホーム向かいに停車していたキハ37とキハ38の2両編成の列車に乗り込む。周りの客は同じようにリュックをかついだ人ばかり。そのほとんどが年配というか、「大人の休日」世代というか、その年齢層。あとは鉄の道を好む人たち。「駅から」ということでもっと混むのかと思ったが立つ客もおらず、これでゆったりとローカル線の旅を楽しむ。ロングシート車ではあるが、最近なかなか乗車することのない気動車であり、タブレット交換風景を見ることもできる。

Pb2552218時30分、上総亀山着。本来はSuicaのエリア対象外なのだが、「Suica・PASMOお持ちの方は、こちらで臨時精算します」とあり、そちらに並ぶ客も多い。駅そのものが小ぢんまりしているだけに余計混雑して見える。アクセスしやすいもう1本後の列車だとよりもっと混雑するかな。

駅前からは地元中学生がポイントごとに立って挨拶し、それに従って受け付け場所のコミュニティセンターへ。本日12.4kmのハイキング距離である。

Pb255228この日も雲ひとつない青空。空気も澄んでおり、空が高く感じられる。周りは山に囲まれた畑で、地元産のゆずやら自然薯なども無人の販売所で売られており、これらを買い求める人もいる。

Pb255233駅から40分ほどで折木沢公園へ。今日のハイキングの目的地である亀山湖は実に入り組んだ形をしており、このあたりもその一角。紅葉もちょうど見ごろといったところだ。ボートを浮かべている客が何人もいるが、これらはカップルが遊覧を楽しんでいるでのはなく、ほぼ例外なく男性が一人乗り、釣り糸を垂らしている。聞けば亀山湖というのはブラックバス釣りがさかんなのだという。

Pb255239ここからは、亀山湖に注ぐ猪ノ川に沿って歩く。そして到着したのが黒滝。滝が落ちるのを上から見る形だが、どうも水量が少ないのが残念。この先、普段は関係者以外立ち入り禁止の東大演習林を紅葉シーズンとして開放しており、本格的なハイキングの格好をした人たちがそちらに向かうのだが、「駅から」のハイカーはここで折り返し。

Pb255266Pb255254再び折木沢公園を過ぎ、国道465号線沿いに亀山湖の中央部分に出る。こちらにもボートを浮かべてバス釣りにいそしむ人が多い。その間を、救命道具を身に着け、湖の上をクルージングしている人も。何だか湖というより、公園の広い池に来たような感じだ。

Pb255270ハイキングの後半はこの池、じゃなかった湖の周りを歩きながら進み、亀山ダムへ。そう、訪れて初めて知ったのだが、この亀山湖というのはいわゆるダム湖というやつだ。それで、あんなに複雑な形をして、湖面がやけに静かだったんだな。

そのダムの横の亀山やすらぎ館が事実上のゴール。8時30分に上総亀山駅を出て、11時30分頃に到着。写真を撮りながら3時間ほどの道のりであった。「駅から」参加者には、受付時に渡された案内チラシを呈示すると豚汁のサービスがあり、駐車場にビールケースと丸太で特設したベンチに腰掛け、持参のおにぎりと合わせてダムを見ながらの昼食。ビールは・・・売ってなかったので帰るまでガマンだな。

Pb255273_2やすらぎ館から上総亀山駅へは歩いて10分ほど。ちょうど気動車の出発の時間であり、早い時間であるが上総亀山を後にする。そういえば、安房鴨川に抜けるバスというのはまだ運転しているんだろうか。あれで太平洋に抜けるというのも面白かったかな・・・。

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本土寺の紅葉と総武流山電鉄

2007年11月24日 | まち歩き

朝晩は冷え込むものの快晴が続く関東地方。そろそろ東京近郊でも紅葉が見ごろを迎える頃になってきた。

Pb245135ということで、常磐線は北小金にある長谷山本土寺へ。日蓮宗の寺で「あじさい寺」として有名であるが、紅葉のスポットとしても近郊では知られた存在である。私も昨年、一昨年と訪れており、今年もまた出かけてみた。天気は青空で申し分ない。

Pb245162午後から訪れたのだが、木によって赤く色づいているもの、まだ青いものが混在しており、全体としてはちょっと早かったかなという感じ。それでも青空との組み合わせが鮮やかである。多くのカメラマンが思い思いに撮影をしていた。

Pb245184 Pb245149

Pb245137遠く京都の古刹には及ばないかもしれないが、こちらもなかなか風情があるもんですぞ。

Pb245197本土寺参詣のあとは、家から近いのに初乗車の総武流山電鉄。元西武鉄道の車両が「菜の花」「青空」「明星」など、それぞれに名前と塗装を施されて運行している。馬橋から流山までのミニトリップ。現在は流山地区の日常の足だが、かつては江戸川の水運に代わる物資輸送手段としても活躍していたもの。

Pb245203終点の流山着。ここは新撰組ゆかりの地でもある。官軍との戦争に敗れ、この地で再起を図ろうとした近藤勇であるが、官軍の追撃を受け、これ以上人々を戦災に巻き込みたくないということで、土方歳三らと別れ、単身官軍に自首をしたという。流山駅のすぐ近くに、近藤らが身を寄せていた長岡屋という造り酒屋の蔵が残されている。大河ドラマで新撰組をやっていた時は、ここも観光スポットとして賑わったのだろうが、今は静かな佇まいを残している。

Pb245204新撰組に関する資料は流山市博物館に展示されている。この博物館、図書館と併設されており入館無料。江戸川・利根川の水運を中心に発展してきた流山の様子がわかりやすく紹介されている。また流山は白みりん発祥の地とか。キッコーマンで「マンジョウ本みりん」という商品があるが、この「マンジョウ」とは、江戸時代に流山で創業した「万上みりん」のことである。近くにはキッコーマン醤油の原点である野田市があり、醤油とみりんという、和食には欠かせない調味料のブランドがこのエリアに揃っているのも面白い。

Pb245210今日はこのくらいにして、流山駅に戻る。出札口ではいろんな入場券のセットが売られており、その中で硬券入場券に「誠」の印が押され、近藤勇らの千社札のついたセットを買い求める。入場券の日付が「16年3月14日」とあり、おそらく大河ドラマが放映されたのに合わせて登場したものが、今でも発売されているということだろう。

同じ千葉県を走る銚子電鉄や小湊鉄道に比べれば知名度は高くないが、もっとじっくり歩けばいろいろなものが見えてきそうな鉄道である。また乗りに行くことにしよう。

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甲府へ出陣・3

2007年11月23日 | 旅行記C・関東甲信越

甲府市内に入った「風林火山」号は、甲府駅前を過ぎ、「風林火山博東」バス停へ。もっとも、これは「県庁前」というバス停なのだが、「風林火山」号に限ってその名前で呼ばれているようだ。

Pb114952この博覧会、駅前の「県民情報プラザ」の「地下1階」で行われている。要は大河ドラマに合わせてのイベントで、私自身は配役と出演者は新聞のテレビ欄などで見て何となくわかっているものの、実際の番組を見ていない。だから行ってもあまり面白くないかなと思いつつも、今日のコースはUさんの立てたものであるのでそれについて行く。

ところが地下に降りると、大勢の客で賑わう「武田ワールド」。武田二十四将の絵がたくさんあることや、山本勘助の声をコンピューターで再現したり、躑躅ヶ崎館のジオラマや韮崎の新府城遺跡の発掘の様子などをパネルで紹介したり、先ほどの宝物館とはまた違った切り口でなかなかためになる。

Pb114950Pb114951そして、大河ドラマゾーンへ。そろそろクライマックスに向かいつつあるドラマの見どころの紹介である。さすがにビルの地下1階とあって大規模なセットが組まれているわけではなく、パネルや映像、撮影に使用された小道具などの展示が中心。出口には出演者のサイン色紙があり、その中でも信玄役の市川亀治郎、謙信役のGacktの色紙は、それぞれ歌舞伎役者、アーティストとしての「優雅」「美」を感じさせるものだった。

Pb114948大河ドラマの舞台の地で、このような博覧会やら、大々的な観光キャンペーンをやるようになったのはいつの頃からだろうか。何だか「大河だのみ」のような気もする。まあそうすることでその土地にも脚光が集まるのだが、ドラマをやっている一時だけの「ブーム」に終わらせるのではなく(このブログでも何度か書いているように「ブーム」という言葉は嫌いなので)、これ以後も観光客が訪れる地域・町づくりをすることが求められる。

時間があるので甲府城へ。路面が濡れており、私たちが地下にもぐっている間に一雨来たようだ。そんなことがなかったかのような青空が広がっており、雨上がりの石段を登る。この城は武田信玄が建てたものではなく、あの柳沢吉保ゆかりの地。またしても甲府の歴史を「知らしめる必要がある」スポットである。

Pb114955甲府の町並みを見下ろし写真など撮っていると、地元の観光ボランティアが話しかけてきた。甲府城の復元工事の目玉として天守閣の復元を目指しているとのこと。ただ、これまでに天守閣があったことは史実のようだが、その手がかりとなる絵図や古文書が見当たらないとのことで、探し出した人には300万円の懸賞がかかっているとか。天守閣の古文書で300万円か・・・。武田家の埋蔵金の話よりは現実味がありそうだな。

Pb114956旅の最後は武田神社へ。この神社こそが、武田信玄ゆかりの躑躅ヶ崎館の後である。神社なのに堀を渡るのが、館跡であることの表れ。参拝後訪れた宝物館では、武田の「風林火山」の旗と、上杉の「毘」の旗が同居していた。終生のライバルであった2人だが、「中世」の香りを残す最後の武将2人であったことを改めて感じるのである。

そろそろ夕方となり、最終の「風林火山」号で甲府駅に戻る。特急ふじがわで静岡まで出て新幹線で関西に戻るSさんを先に見送る。

時間が迫っているとかで、バス停で「お疲れ様でした。お気をつけてー」とSさんを見送ったまさにその瞬間、雨が降ってきた。雨雲もここまで我慢してくれたというか。自称雨男のUさんも苦笑いである。夜行バスで戻るまで時間があるUさんを誘って、駅前の「ほうとう小作」で一献。私の新宿行きバスまでの時間をそこで過ごす。結局酒と地鶏と馬肉と会話で時間が過ぎ、ほうとうを食べることはなかったのだが・・・。

さまざまなことを知らしめられた甲府行き。また時間をおいて出かけてみたいものである。

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甲府へ出陣・2

2007年11月21日 | 旅行記C・関東甲信越

甲府紀行の続き。

Pb114921関西からのUさん、Sさん、そして私の3人を乗せた「風林火山」号は、10分ほどでこの日最初の目的地・恵林寺に到着。鎌倉~室町時代の高僧・夢窓国師が開山した禅宗の寺である。武田家の菩提寺であり、織田・徳川連合軍による武田家滅亡を見届けた寺でもある。

Pb114922バスの車窓、そしてこの恵林寺の周りには柿の木が多く、また軒先に吊るしている光景をよく見る。門前の土産物屋には「百匁柿」とある。鮮やかな色で思わず手にとって眺めるのだが、但し書きを見ればこの柿は干し柿専用の渋柿とか。1個買ってバスの中で食べる・・・という代物ではない。ブドウや桃のイメージの強い山梨だが、柿も名産なのね。

ここに来て雲も取れ、もうこれで雨が降るなんてことはないだろう。青空に少しずつ色づいた境内の木の葉がよく映える。

Pb114923やってきたのが三門。ここには、上述の織田・徳川連合軍による兵火でこの寺が焼け落ちたとき、「安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火自ずから涼し」と詠んだという伝説が残っている。よく熱いものに触れたときに、後半の「心頭滅却すれば~」などといってヤセ我慢をする、なんて使い方があるが、Uさんいわく「夏の大阪でそんなこと言うたら、その場でほんまに心頭が滅却させられるな・・・・」と、夏の大阪の酷暑を思い出すかのようにポツリ。

Pb114939ともあれ参詣。塩山からのバスの乗客は私たちだけだったが、やはり大河ドラマの影響か、団体客の姿が多い。中には西洋人の観光客の姿も目立ち、おそらく武田信玄のことを「日本の戦国史上最強の武将」と紹介されてやってきたのだろう。大勢の観光客とともに本堂から庭園を回る。京都の古刹にも引けをとらない、なかなかに風格を感じさせる寺院である。

Pb114933_2そして本堂の裏には武田信玄の墓をはじめ、武田家家臣の墓もここに置かれている。武田家の菩提寺らしいところだ。現在の地に移されたのは江戸時代、信玄の百回忌を景気として信玄の遠縁たちの浄財により建立されたとか。この寺の中では「聖域」とされており、立ち入ることはできない。

その信玄の墓の次に現れたのが、柳沢吉保夫妻の墓。柳沢吉保といえば忠臣蔵で、将軍綱吉の側用人として、茶坊主でダーティなイメージで描かれることが多い。その柳沢吉保こそが江戸時代の甲府城主(のち、柳沢家は大和郡山に移るのだが)であり、この恵林寺を手厚く保護した人物という。やはり武田信玄という武将、政治家を尊敬する気持ちがあったんだろうな。

Pb114938思わずうなったのはこの墓の説明文。「柳沢吉保は天下泰平の世に異例の出世をしており、甲斐国主として優れた実績を残している」とあり、最後に「山梨県の歴史の中でも、武田信玄に次ぐ人物として”知らしめる必要があるので”、市指定の文化財とした」と結んでいる。それにしても、「知らしめる必要がある」というフレーズが面白い。逆にいえば、山梨県の歴史の中でも知られていないんだなあ・・・。この「知らしめる必要がある」という言葉、この後どこに行って何が起こっても「やはり、知らしめる必要があるんやな」と全て納得してしまうほどインパクトがあった。

この後、境内に併設する信玄公宝物館へ。最初は「昼食挟んでもバスの時間までまだまだあるし」という程度の軽い気持ちだったのだが、なかなかここの展示も充実していた。武田信玄の「風林火山」の旗として知られる孫子の旗や、武田二十四将の絵、そして大河ドラマでやっている山本勘助がここまで軍神と崇め奉られるようになったきっかけをつくった「甲陽軍鑑」など、実に多くの展示物を見ることができる。これを見ながらしばし戦国時代に関して談論。それにしても、山本勘助という人物、確かに存在して、二十四将の絵にも名を連ねる(実はこの二十四将の絵といっても一つのものではなく何種類もあり、メンバーや序列も入れ替わったりしていて作者の主観が思いっきり入っているということをこの館で初めて知ったのだが、それはさておく)ほどなのでそれなりの有能な人物であったのは間違いないのだが、名軍師の代名詞のように言われるようになったのはどういうことだろう。

Pb114940信濃の各大名家の旧領回復のために戦った上杉謙信に対してそれを川中島で食い止め、自身の信州支配を安定的なものにしたという点では、信玄の勝利というのが私の見解。ただ、川中島の啄木鳥の戦法の場合、結局は上杉軍に見破られてしまったわけだし、武田信繁初め多くの武将を失ったし。それがどうしてそこまで持ち上げられるのかな、と思う。その当時、誰かが恥をかくのであれば「山本勘助が進言したことにしておけ」と言った人がいたりしてね。

そしてこの宝物館の片隅には、これまた柳沢吉保関連の展示。ここの紹介文が先の吉保の墓よりも過激で、これまで語られてきた吉保の悪いイメージを「低俗なる巷説のつくりだした虚像」とバッサリ。山本勘助といい、柳沢吉保といい、歴史上の人物評価って一体・・・?

境内の食堂でそれぞれそばやほうとうで昼食とし、次の「風林火山」号で甲府市内へ向かう。塩山駅に戻って電車に乗るという手もあるのだが、せっかく一日乗り放題のフリーパスを持っていることだし、普段めったに走らない道をバスに揺られ、その中で話をするのも楽しいものだ。石和温泉駅や、善光寺などを通り、甲府駅前へ。次なる目的地は、大河ドラマにちなんだ「風林火山博」・・・。(続く)

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BCリーグから育成ドラフトでNPBへ

2007年11月20日 | プロ野球(独立リーグほか)

19日に行われたNPBの大学・社会人ドラフト。東洋大学の大場投手の交渉権がソフトバンクに決まったとか、それなりの話題はあったのだろうが、高校生ドラフトの中田翔選手ほどの話題性というのはなかったように思う。

ドラフト上位の選手の競合具合は注目すべきなのだが、そのほかにも、ドラフトの下位指名、あるいは「育成ドラフト」で各球団がどのような選手を獲得するのかも別の面白さがある。

ここで注目すべきは、四国アイランドリーグ、そして(北信越)BCリーグの選手たちの行方である。四国アイランドリーグは独立リーグとして一定のレベルが認められたのか、育成ドラフトで6名の指名。オリックス・バファローズも愛媛マンダリンパイレーツの梶本投手を指名。

そして、今年初年度のリーグ戦を終えた(北信越)BCリーグからは、石川ミリオンスターズの内村選手が楽天からの指名を受けた。72試合フル出場し、守備の要として活躍、盗塁王も獲得し、ミリオンスターズの初代王者に貢献した選手である。こういう選手って、結構野村監督が好きなタイプではないかな。守備と脚があるだけに、比較的早く1軍のバイプレーヤーとして昇格するかもしれない。

数字だけ見れば、ミリオンスターズのエース・蛇澤投手や、首位打者と本塁打王の2冠を獲得した富山サンダーバーズ・野原選手などがNPBに行ってもいいのではという感じがするのだが・・・。そのあたりは、私のようなシロウトとプロのスカウトの目のつけどころの違いというものだろう。

ともあれ、初年度のBCリーグからNPB行きの選手が出たことは、リーグの目的の一つが実現したということで、喜ばしいことではないだろうか。四国アイランドリーグ出身の選手も含めてだが、あとは1軍公式戦での活躍が待たれるところである。

さて、そのBCリーグであるが、来年から群馬ダイヤモンドペガサス、福井ミラクルエレファンツの2球団を加え(四国も福岡・長崎の2球団を加えるのだが)、6球団制となる。そしてその試合運営方式が面白い。

・6球団を北陸地区(富山、石川、福井)、上信越地区(新潟、信濃、群馬)の2地区制とする。

・前・後期制とし、それぞれの期間に同じ地区の相手とはホーム&ビジター9試合ずつの18試合、他地区の相手とはホーム&ビジター6試合ずつの18試合、合計36試合を行い、年間72試合とする。

・各地区の前期優勝チームと後期優勝チームで、地区優勝決定戦を行う。ただし、前・後期とも同じチームが優勝した場合は、年間勝率がその次によいチームと優勝決定戦を行う。

・各地区の優勝チーム同士が、BCリーグの王者決定戦を行い、BCリーグチャンピオンを決める。

・BCリーグチャンピオンが、四国アイランドリーグのチャンピオンと、独立リーグの王者決定戦を行う。

・・・とまあ、地区制、前後期制、プレーオフ制、王者決定シリーズなど、これまでNPBでも行われてきたありとあらゆる制度を導入したものである。後はこれで興行として観客がついてくるかどうかだけだろう。

新規参入もあり、2年目で注目されるBCリーグ、群馬であれば東京からでも比較的近くなので、また機会を見つけて観戦したいものである。

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時刻表検定試験受験

2007年11月18日 | ブログ

年に1回の恒例行事となった「時刻表検定試験」。今年こそは博士号を・・・と意気込んで臨む。

東京会場では鉄道アイドルとかいう(そんなものまでアイドルをつけるなよ)のが受験するとかでテレビの取材やら何やらで賑わったようだが、私はこのところ行っている「時刻表検定試験を旅先で受験する」ということで、前年同様、「大和人トラベルがたり」の大和人さんとの「検定旅行」。

で、訪れたのが冬の訪れ間近の金沢会場。

Pb185125_2こちらは定員50名のところ、午前中の第2種、午後からの第1種とも20名足らずの受験。本来なら受験番号順に着席するところ、「空いているところどこでも自由に座ってください」とのはからい。教室の机の配置もゆったりしていたので、周りを気にせず受験することができた。少人数のせいか、猛者が集まる第1種もさほどピリピリしたムードはなかったのだが、やはり時間との勝負。

終了後の自己採点の結果はといえば・・・・。

第2種では1問「誤っているものを選べ」の勘違いで間違えたほかは正解の198点。前回は満点を取ったが、さすがに2年連続とはいかず。

ただ、肝心の第1種が・・・・前年の反省を生かすといいつつも、やはり応用するにあたり必要な「何か」が抜けており、自己採点レベルでは前年並みの138点。まあ2級は確保できたがまたしても「1級」には届かない結果となった。

この企画、時刻表博士号を取得するまでやるつもりだが、果たして来年はどこで受験しようか・・・。

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甲府へ出陣・1

2007年11月15日 | 旅行記C・関東甲信越

先日甲府へ行くことがあった。関西から「大河ドラマもやっていることだし、武田信玄ゆかりの地をめぐろう」ということでUさん、Sさんのお二人が甲府に来るというので、私もそれにご一緒することにしたものだ。

当日、甲府地方の降水確率は60~70%。聞くところではUさんもSさんも自他共に認める「雨男・雨女」とかで、雨雲と旅を共にし、時には台風を連れて回るとか。「こうなればまつなるさんだけが頼りです」と言われても、かくいう私も雨晴半々の確率で出くわすからな・・・。「曇り男」とでもしておきますか。

Pb114909前日から甲州や信州をウロウロしている二人とは甲府駅で合流することにして、新宿高速バスターミナルに向かう。新宿に行くことはほとんどなく、高速バスターミナルも初めてだったので少し迷ったが、無事に甲府駅行きのバスに乗り込む。乗客も定員の半分くらいとまずまずの乗車率。どんよりして時折雨も降る首都高速から中央道へと入る。中央道といえば混雑するというイメージを持っているが、この日はスムーズに進み、多摩を抜け甲州の山に分け入る。いつしか雲の隙間から太陽も顔を出すようになり、雨の予報が外れそうな予感。

バスが笹子峠を越える頃、Uさんから携帯にメールが来た。バスの着時間と待ち合わせは10分差だが、「ここまで順調に進んでおり、時間通りに着けそうです」と返信した。

Pb114910・・・しかし送信した直後に、前方のクルマが渋滞を知らせるハザードを点灯させた。途端に渋滞、運転手も「この先遅れます」とアナウンス。慌ててUさんに追伸のメールを送信。この後の列車・バスの時間のこともあり、私が遅れてもSさんと先に予定を進めるよう伝言する。幸いしばらくノロノロ走り、峠を越えると渋滞も解消されたが、甲府駅に遅れて着くのは確実で、甲府から塩山まで乗る予定にしていた列車にも間に合わない可能性が高い。

ただ幸いなことに、今私が向かっているのが西方向、甲府から塩山へは東方向に向かう。またバスもノンストップではなく、石和温泉や、山梨学院大学にも停車する。それぞれ石和温泉駅、酒折駅に近いはずで、結局石和温泉で下車。ここから500mほど歩けば駅に出る。ここなら塩山に向かう列車も捕捉できるはずで、その旨をUさんに伝言。やれやれ。バスというのはこういうリスクがつき物だから、予定を立てるときは余裕を持たないとね・・・。

Pb114913石和温泉駅に列車がやって来た。ここで無事に二人と合流。心配させて申し訳なかったです。ただそんなことより、お二人がご機嫌なのはいつしか晴天になったことだろう。折り畳みではなく長いビニール傘を持ってきた私が逆に場違いな感じ。雨男雨女がいて晴天ということは私のおかげということになってしまった。かえって困惑するな・・・。

Pb114914塩山駅着。ここから乗るのは今年のNHK大河ドラマ「風林火山」にあわせた各種観光イベントにあわせて山梨交通が運行している甲斐路めぐりバス「風林火山号」である。バスといっても頻発しているわけではなく、これに乗り遅れないようにとやきもきしていたのだ。Uさんが先に一日乗り降り自由500円のフリーパスを購入してくれており、早速これに乗る。

まず向かうのは、武田家の菩提寺である恵林寺である・・・・。

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神様・仏様・稲尾様

2007年11月13日 | ブログ

かつての西鉄ライオンズのエースとして、「神様、仏様、稲尾様」とまで言われた稲尾和久さんが急逝したというニュースを朝のテレビで知り、びっくりしたものだ。

その球歴については今さら私が書くまでもなく、いろいろな場面で語り継がれていることである。昭和33年の巨人との日本シリーズでの「3連敗4連勝」、シーズン42勝、鉄腕、スライダー・・・。猛者揃いの西鉄、いやパ・リーグにあってその存在感というのは大きかったものだ。もちろん私は現役時代をリアルタイムで観ていた世代ではないのだが、野球解説者としてその声を聞いたり、マスターズ・リーグの福岡ドンタクズの監督としての堂々たる姿と往年の写真を重ね合わせて、改めてすごい投手だったんだなと感じるのである。

51fzhy6t61lその名もズバリ『神様、仏様、稲尾様』(日経ビジネス人文庫)という本がある。西鉄入団から現役時代の輝かしい成績、そして「青年監督」としてボロボロになった西鉄~太平洋クラブの監督時代、その後プロ野球OBとしての貴重な提言・・・が詰まった一冊である。

この中では、稲尾投手が毎日、南海、西鉄からのスカウト攻勢にあっていたときに「毎日ってのは東京のチーム。もし何かあってもオレの伝馬船では助けにいけない。南海も大阪まで瀬戸内海をたどっても伝馬船では時間がかかる。福岡なら、何かあってもヤマ一つ越えれば行くことができる・・・」という、息子のプロ入りに慎重な姿勢を見せていた稲尾投手の父親がプロ入りを認めてくれた時の(おそらく、当時の親御さんも大なり小なりそのような感覚だったのだろう)エピソードなどもある。このエピソードに限らず、稲尾和久という人物と野球の関わりが淡々と書かれており、その野球人生や人柄を偲ぶことができる。

また、興味深いのは、稲尾氏は一時ロッテ・オリオンズの監督を務めていたのだが、それが当時川崎にあったロッテの「九州移転計画」の布石だったという話で、本人も結構その気だったということ。結局各方面の調整が不調に終わりこの話は流れるのだが、今のダイエー~ソフトバンクの人気を見るにつけ、もしその時にロッテが福岡に移転していれば、今のパ・リーグの図式もまた違ったものになったかもしれない。

それにしても、享年70歳とは今の感覚では「若くして」逝去ということになるのだろう。これでかつての「野武士軍団」の中心にいた選手がまた「伝説の人」となってしまった。後はこの大投手の偉業をさまざまな形で語り継いでいくだけである。

心より、ご冥福をお祈りします・・・・。

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観戦記・アジアシリーズ~SKワイバーンズ対統一ライオンズ

2007年11月10日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

Pb104809今年で3回目を迎えるアジアシリーズ。過去2回、外国のチーム同士の試合が見たいということで韓国代表対台湾代表の試合を観戦(サムスン対興農、サムスン対Lanew)したのだが、今年も例によって出かけることにした。前日まで風邪で体調不良だったのだが、ようやく戻ってきた。

Pb104870Pb104873さて今年の組み合わせは韓国代表がリーグ初制覇のSKワイバーンズ、台湾代表が中華職棒発足時からの老舗球団・統一ライオンズ。SKは初戦で中日を破るなど勢いがあり、一方統一はこの試合にまず勝たないと決勝進出の望みが絶たれるという試合。

Pb104777で、私が観戦するときは台湾側を応援すると決めていて、この試合では統一ベンチのすぐ上の席に陣取る。1000円の自由席でここまで入れるのだ。統一の選手たちの動きもよく見える。ホーム用ではオレンジ地のユニに緑のアンダーシャツと、昔の「まるは」マークをつけていた当時の大洋ホエールズのユニに似ているのだが、この日はビジター用の濃緑。晩年の南海ホークスのようである。

Pb104880Pb104785公式ガイドブックによれば、統一の打線の核は33本塁打(リーグ新記録)、107打点で打撃2冠の布雷(こう書いてブリトーと読む。かつて日本ハムにいたブリトーの親戚かいな?)、リーグ最多安打152、打率.358の高國慶の二人。その実力を発揮することができるか。特に高國慶は、北京五輪予選の台湾代表でもクリーンアップを任される見込みとか。しかしこの日は、いつもなら3番が定位置の布雷はスタメンから外れた。

応援団の周りには大勢の観客が終結。台湾語も飛び交う中、台湾の応援をいろいろと楽しもうという日本の野球ファンも多い。応援団が配るファンタスティックを膨らませて準備万端だ。

Pb104817SKの先発は11勝をあげた巨漢のチェ・ビョンヨン。レイボーン、ロマノと、元広島の二人が両エースで、これに続く先発の柱。なるほど球に力がありそうだ。そのチェ・ビョンヨンに対して初回、統一先頭の楊松弦がレフト線に流し打ち。レフトが追いつく間に二塁を狙ったが、さすがにこれは完全にアウト。後で思えば、このプレーが試合の流れを左右してしまったのかもしれない。

Pb104822一方、統一の先発は前日の中日戦でも投げた彼得(と書いてピーターと読む)。こちらもチーム2位の14勝、防御率2.03でタイトル獲得。その意味では、この試合、両チームとも主戦投手の先発で、また接戦が見られそうだ。

Pb104804・・・と思ったのだが、こちらもいきなり先頭のチョン・グンウが三塁打。この後4番イ・ホジュン、6番パク・ジェサンにタイムリーを放ち、SKが2点先制。一塁側のSK応援団もファンタスティック鳴らしての大歓声である。

Pb104832Pb104860両チームの応援風景を見るのもこのアジアシリーズの楽しみなのだが、韓国側が応援団長とチアガールの合図により、コール中心でビシッとまとまっているのに対し、台湾側はドンドコドンドコという独特の太鼓のリズムに、トランペット、応援旗、日本風の応援歌(かつての清原、今の西武のチャンステーマもあったな)、果ては風船(ジェット風船ではなく普通のゴム風船を膨らませて回す)・・・とバラエティに富んでおり、応援合戦を見る限りでは台湾側のほうが面白い。それもあって台湾側のほうが(日本人客を含めて)観客が多いのかな。

Pb104836_2さて、応援合戦はともかく、試合のほうは2回以降SKの一方的なペース。この回先頭のパク・キョンワンがレフト中段への豪快な本塁打。続くチェ・ジョンも二塁打を放ち、これ以降2四死球を挟む4連打で4点追加。7-0とし統一のピーターをKO。この後振り逃げで1点なんてのもあり、打者一巡で8-0と一方的な展開。続く3回も四死球や統一のまずい守備もあり3点追加で11-0。はやくも、7回コールドの条件となる10点差以上をつけた。

もうこの時点で決勝戦はSKと中日の対戦が決まったようなものだが、統一もスタンドからの声援に応えようとあきらめない。13-0からの5回、1番楊松弦がライトにソロ「全塁打」を放ち、大声援に迎えられる。4番高國慶も2安打と、リーグ最多安打の意地を見せた。

Pb104886しかし反撃もここまで。SKのチェ・ビョンヨンの後を受けたソン・ウンボム、ユン・ギルヒョンというセットアッパーの前に打線は沈黙。最終回となった7回は、ユン・ギルヒョンが三者三振でゲームセット。

Pb104905試合終了後の統一側スタンドは、大敗にもかかわらず何だか元気そうだった。チアガールの撮影会場と化していたり、応援団が持ってきたグッズの最後の配布が行われたり、グループがスタンドで記念写真を撮ったり・・・荒れるような雰囲気は全然なかった(もちろん、あちらでの公式戦の試合終了後はどんなのか、見たことないからわからないが)。また、台湾のチャンピオンとして出場してほしい。その時は、「西武対サムスン対統一」の「ライオンズ同士のシリーズ」なんてのもいいかな・・・?

これでSKが3連勝で予選1位。2勝1敗の中日が続き、統一は1勝2敗、中国選抜は3連敗ということで、決勝戦は中日対SKのリターンマッチとなった。中日が本来の実力を発揮し、初戦のリベンジを果たせるか。

Pb104906このアジアシリーズはまた来年も行われるだろう。ただ一つ提案したいのが、毎年東京ドームというのではなく、韓国や台湾の球場と毎年回り持ちでできないものだろうかということ。まあ、東京でやっているから私なども観に行けるのだが、「日本 アジアの野球の国際化」というのがこの大会の意義であるのなら、それもありかなと思うのだが・・・・。

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埼玉西武ライオンズ

2007年11月06日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

・・・小沢辞任撤回のニュースについては、アホらしいので書く気がありません。

民主党という政党も、堕ちたもんですな・・・。早く自主的に解散してください。大体、あんなヤツの入党を認めた時点で、どうかしているよ。

それはさておき、西武ライオンズが来年から「埼玉西武ライオンズ」を名乗ることになったとか。それでパの球団は、北海道、東北、千葉、埼玉、福岡と地域名を冠する球団が続き、唯一地域名が入らないのはオリックス・バファローズだけとなった。セを見渡しても巨人は別として、東京ヤクルト、横浜、中日、阪神、広島と、それなりに地域性のある球団になっており(中日も中部日本だし、阪神は電鉄というだけでなく地域名といっていいだろう)、オリックスというのが時代遅れの球団名にすら思えてくる。まあ、今の経営陣では「大阪オリックス」「関西オリックス」と呼ぼうという考えはこれっぽっちもないのだろうが。

それにしても、「埼玉西武」ねえ・・・。地域密着の取り組みの一つだが、埼玉の人間って、サッカーばかり見て野球なんぞ観ない人が多いというイメージ。ロッテが千葉に移ったのとは事情が違い、密着する相手がちょっと違うのかな・・・という気もする。西武が思っているほど、埼玉の人間は相手にしてないよ、というのかな。それならもっと群馬・栃木・茨城など、「北関東」全体をマーケットにしてもいいのではないだろうか。

ただ、渡辺久信新監督はじめ、選手たちは真剣である。やはり西武がBクラスというのは、「打倒西武」を標榜し続けてきたパの他球団にとっても心配ごとで、(カブレラは戦力外のようだし和田もFA移籍の線が強いが)若い選手が多いだけに伸びてほしい、という期待がある。

さて、来年は大宮での開催が予定されているとかで、また球場めぐりが楽しみだ・・・・。

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樽見鉄道乗車記・2

2007年11月05日 | 旅行記D・東海北陸

Pa284560樽見鉄道の終着駅・樽見からバスに揺られること10分で、「うすずみ温泉・四季彩館」に到着。樽見といえば薄墨桜に根尾谷の断層で有名なところであるが、さらに観光客を呼び込むスポットとして、このような立派な入浴施設が建てられている。地方に行くとこのような立派な入浴施設が多く、地元だけではなく近郊の人たちで賑わっているのだが、特にローカル鉄道はこのような施設といかにタイアップするかで収入も変わってくるだろう。少なくとも今回サークル一行の目に留まったことは樽見鉄道のPRの成果といっていいだろう。

さて、そんな小難しい話はさておき、帰りのバスの時刻までゆったりと湯につかることにする。大浴槽にジャグジー、五右衛門風呂を備え、露天風呂も広々としている。秋晴れの下、男湯に揃ってさまざまな談義に花を咲かせる。やはり親睦を深めるには食事を共にする、あるいはこうした湯につかっての「裸のつきあい」をする、果てはベッドを共に・・・というのは冗談だが、やはりこうした開放的な場面だと話もはずむというものだ。

普段の一人旅ではそう長湯をしないのだが、この日は結構長く浸かり、温泉の成分が皮膚の上で固まるのを感じるくらい長時間滞在した後に昼食とする。「さくら」という定食を注文したが、鮎の塩焼きを筆頭に、アマゴだったかヤマメだったかの煮付け、天ぷらなどボリュームたっぷり。地元産のコシヒカリもお替り自由というもの。樽見鉄道で購入したクーポンでは「1000円分の食事券」がついており、それとの差額分で料理が味わえるというのがよい。

さて、すっかりリフレッシュした後で帰りの樽見駅行きのバスに揺られる。すると座席はほとんどがおばさま方で埋め尽くされており、サークル一行はやむなく補助席に。おばさまが手にしているのはやはり樽見鉄道のクーポンで、こういうところから口コミで広がったりリピーターが増えれば鉄道としてもありがたいところ。

Pa284565樽見駅着。ここで、午前中「のっぴきならない用事」を済ませてから樽見鉄道に乗ってきた一人の会員と合流し、折り返しの乗車。先ほどのおばさま方も全て乗車し、レールバスは満席となった。・・・あ、レールバスといっても、最近導入されたどう見ても大型の車両である。これは完全に「気動車」と思うのだが、車内放送でも「このレールバスは・・・」とやっているし、樽見鉄道のホームページでも「レールバス」のカテゴリーに掲載されている。そもそもレールバスなどという言い方が妙なもので、そのあたりの見解を周りの人に訊いてみたのだが、「古い車両はバスなみの人数しか輸送できないから」「コミュニティバスのように気軽に利用してほしいというところから」「2軸ならバスなんだろうけどね・・・」とか、どうも決定打がない。

Pa284580根尾川を下る形で駅を過ぎ、織部という駅で下車する。ホーム1本きりの駅だが、旧国鉄時代ではなく最近になってできた駅と思われる。ここでの下車は、駅前の「道の駅織部の里もとす」内にある「織部展示館」の見学とお土産購入タイム。

Pa284569「織部展示館」は、戦国時代の武将であり茶人として名高い古田織部ゆかりの地であることから記念して建てられたもの。入場券を求めると、織部焼の皿や湯のみなど4点のうち1点を記念でもらえるとある。一行それぞれ好みの器を手にしていた。「ここの入館料って、実はこの器の代金と違うかな?」という人もいたが、結構そういうものかもしれない。

Pa284572織部焼の大きな特徴というのが、緑(青)の釉薬がかけられているというもの。この緑というのがこの地の豊かな緑の現れである、といったような係の人からの説明を受け、焼き物の傑作を見物して回る。展示館といっても重々しいものではなく、ドライブで道の駅に立ち寄った人でも気軽に立ち寄れるようにしたのがこの展示館である。

一通り見学後、道の駅へ。「秋の収穫祭」とかいうイベントをやっており、いろんな屋台が出ていたり、果物や植木の即売会が行われていたり、買い物客対象に抽選会を行っていたりと、ドライブ客で大いに賑わっていた。ここでお土産タイムとし、一通り終えるとベンチで腰掛けてしばしノンビリ。そうするうちに夕方となり、1皿300円の焼きそばが200円に値下げし、それでも全部は売り切れず店じまいする様子など眺め、駅に戻る。

Pa284584やってきたのは再び初期タイプの車両。うーん、これならレールバスといってもいいだろうな。一番後ろに陣取り、流れ行く景色を眺める。本巣で再び機関車に出会ったり、モレラ岐阜ではショッピング帰りとおぼしき女の子たちもたくさん乗ってくる。

Pa284559厳しい経営には変わりない樽見鉄道だが、先のうすずみ温泉とのタイアップのきっぷの発売やら、モレラ岐阜の開業もあり、何とか存続に向けてがんばっている。やはり鉄道があるからこうしてあちこちから来る、という流れもあるわけで、これからも元気で走り続けてほしい。

すっかり日も暮れて終点・大垣到着。これにてこの日の集会は解散。改札を出ずにホーム向かいに停車していた新快速で名古屋まで出て、新幹線で帰路に着いた。

久しぶりに旅のサークルに入って初めての集会参加。樽見鉄道という路線とともに、なかなか印象に残るものであった。これからも定期的にイベントが行われるとのことで、これからもできる限り参加したいものである・・・・。

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民主党・小沢代表辞任

2007年11月04日 | ブログ

樽見鉄道の乗車記の続きを書こうと思ってパソコンを立ち上げたのだが、目に飛び込んできたのが「小沢辞任」。

福田首相との「大連立構想」をめぐり民主党内を混乱させた責任を取って辞任・・・とのことだが、その話を党内で反対されたから辞める、というのは、安倍前首相がテロ特措法のことで小沢代表と会談しようとしたら断られたので辞めるのとどっこいどっこいの理由かな。

先の参議院議員選挙で安倍前首相が「安倍を取るのか、小沢を取るのか」と演説したことは記憶に新しいが、それからわずか数ヶ月でどちらも土俵にいなくなってしまうなんて、下手な落語より笑えてしまう。安倍前首相はこのニュースを病院のベッドでどのような気持ちで聞いているのだろうか。

結局、小沢代表というのはその程度の下手くそな謀略家でしかないということでしょう。単に自分が首相になりたかっただけ・・・?自民党時代には密室政治を行い、離党したらいろんな政党をつくっては壊しつくっては壊し、いつしか民主党に入り込んで党を乗っ取ってしまうし・・・。

で、これで民主党代表をどうするかの問題が出て、新体制になるまで政局はお預け。テロ特措法問題や年金問題なんかどうなるんだろうか。コロコロ顔が変わるのは民主党の代表かオリックスの監督かという感じだ。正直、自民党以上のこんな万年ゴタゴタ球団、じゃなかった政党には、とてもではないが政権は任せられません。

一方、小沢代表はどうするのか。また支持者を引き抜いて新党でもつくりますか?それかもう岩手に帰りますか?

いやいやそれともまたどっかの党にもぐりこんでいたりして・・・・(国民新党あたり面白いかも・・・いや大どんでん返しで自民党復党?)。

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