のんびりした風情の名鉄広見線。その終着駅の御嵩に到着。ホーム1本きりの線路の向こうに木造の駅舎がある。係員の人が出てくるが駅員ではなく、観光協会の人のようだ。
御嵩。初めてやってきた駅であるが、木曽の御嶽と混同しそうな感じである。終着駅には何かあるのかなということで一度外に出る。それこそ何もなければ折り返しの列車で引き返すだけのことだが。
窓口に貼っている地図を見るに、ここは中山道の宿場町であることがわかる。ちょうど駅前から伸びる道が中山道で、駅のところで鍵状になっている。ちょうど宿場の端に駅がある格好。古い町並みでも残っているかなと、とりあえず歩いてみることに。先ほど乗ってきた列車には車両や駅舎をいろいろ撮影していた人がいたのだが、その人はすぐ折り返しの列車に乗ったようだ。
すると、歩いてすぐのところに宿場町の風情が広がる。昔ながらの建物として保存されている「商家竹屋」に入る。
御嶽宿の本陣を務めていた旧野呂家の分家とかで、織物や金融、さらには名古屋で借家の経営など、幅広い商売を手掛けていたという。明治初期に建てられたという座敷や台所の昔ながらの造作を見物する。
竹屋の先には小さな商店街が形成されている。これらは御嶽宿の宿屋や商家を引き継いでいるものが多い。ただ日中のこととて人通りはそれほどなく、静かな時間が流れている。
ある商店の店頭では「街かどギャラリー」として、昭和の懐かしい品々が展示されていた。旧型のテレビ、冷蔵庫などだが、その中にファミコンがあった。うーん、ファミコンも「昭和の懐かしい品々」に分類されるのか。スーパーマリオとかファミスタとかやったなあ。初期のファミスタといえばセ・リーグ偏重であった時代背景を表していて、パ・リーグといえば西武だけが単独チームで、後は阪急・近鉄・南海の「レールウェイズ」、日本ハムとロッテの「フーズフーズ」という混合チームというものだったよな。今では考えられないことで。
本陣のあったところは現在「中山道みたけ館」という、図書館と資料館になっている。資料館では中山道の歴史、御嵩の歴史についても紹介されている。東濃の玄関口として栄えた歴史があるということだ。そして明治以降はエネルギーとなる「亜炭」の採掘で賑わったという。名鉄広見線も亜炭の運搬をやっていた時期もあったとか。御嵩がこういう町であるという予備知識も何もないまま、鉄道の終着駅というだけでやってきたのだが、短い時間の散策ながらなかなかためになる一時であった。
ただそんな名鉄広見線も利用客の減少で厳しい状況にあるようで、駅前、そして宿場町にも「乗って残そう広見線」の幟や看板が見える。ワンマン化も合理化、経費削減の施策であるが、路線の維持ということになると難しいものがあるのだろう。
さて駅に戻ると、来た時にはいなかった家族連れの姿が目立つ。そしていずれも揃って紙やカードのようなものを手にしている。春休みということで名鉄がポケモンのスタンプラリーでもやっているのかなと思ったが、手にした紙を見ると「ミタケ・クエスト」と書いてある。
調べたところでは、御嵩町の歴史スポットを宝さがし(それこそ、ファミコン、ドラクエの世界)のように謎を解きながら回り、最後に宝をゲットするというイベントとのこと。その中で名鉄広見線に乗車して移動するというのがあるようで、これは名鉄が、というよりは地元が企画した広見線の活性化イベントの一環といえる。
新可児方面からやってきた2両の列車。日中は同じ車両が行ったり来たりしている。こちらに、「ミタケ・クエスト」参加の家族連れたちとともに乗車。再びのんびりとした走りの中、明知駅でぞろぞろと下車していった。明知は御嵩の隣の中山道伏見宿のあったところで、こちらがゴールポイントのようである。
新可児から再び犬山行きに乗車し、犬山に戻る。朝方は雨も降っていた犬山だが、御嵩を歩くうちにすっかり空も晴れた。うーん、犬山城には後から行けばよかったかな。
それはそうと、御嵩では昼食をとろうと思わせる店がなかったので、ここで遅い昼食とする。駅前に昔ながらの食堂があったのでそちらに入ると、地元名物として岩魚の定食があるという。それも刺身ができるということで、岩魚の刺身も珍しいなと思い注文する。すると、店の入口横のいけすから岩魚をすくって私の目の前を通過し、奥の厨房で調理。
やってきた岩魚の刺身。なかなか身が締まっていて、コリコリとした食感がよい。川魚も刺身になるのだなと改めて感心したところである。
犬山からは今度は岐阜を目指すことにする・・・・。