まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第22回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第10番「不動寺」(こんなところに第10番)

2025年02月27日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりはホークスの筑後キャンプ見学後、筑後船小屋から久留米に向かうルート。筑後船小屋駅、そしてタマスタ筑後のすぐ近くにある第59番・光明寺に参詣後、鹿児島線の列車に乗る。

筑後船小屋の次は羽犬塚。筑後市の中心駅である。今回筑後に来るにあたり、せっかくなので泊まったことがない筑後市で1泊、翌日にその先のエリアと合わせての札所めぐりというのも検討したが、今回は結局日帰りとした。羽犬塚には新幹線の駅はないが、鹿児島線の区間快速で羽犬塚行きというのがあり、それで何となく印象に残っている駅名である。

それにしても、筑後市の九州新幹線の駅が羽犬塚ではなく筑後船小屋に設けられたのはなぜだろう。新大牟田や新玉名のように在来線の駅から離れているわけでもなく、羽犬塚駅のすぐ横を通っている。周辺の人の利便性なら羽犬塚に新幹線駅を設けたほうが需要がありそうだ。筑後船小屋にホークスのファーム本拠地があるから・・という向きもあるだろうが、できた順番として逆である(筑後船小屋駅があることがファーム本拠地の誘致にプラスになったことはあるかもしれないが)。

羽犬塚の次の西牟田で下車する。筑後船小屋から九州新幹線の高架とずっと並走しており、新幹線の走行音もすぐ横で響く。大牟田、西牟田と似たような駅名が続くが、この「牟田」というのは、湿地を開墾した土地という意味とのこと。現在は簡易な駅舎があるのみだが、かつては貨物の取り扱いもあったそうだ(駅周辺にある程度の空き地が広がっているのは昔の名残だという)。

ここから、第10番・不動寺を目指す。案内板があり、住宅の間の狭い道を行くとほどなく到着する。

さて、これまで九州八十八ヶ所百八霊場をたどり、先ほど訪ねた光明寺は第59番、そして第89番以降の後発組の札所も100番台に入っている。それがいきなり第10番とは・・。この九州八十八ヶ所百八霊場めぐりにおいては特に札所番号順にこだわっているわけではないが、久留米より南にあることで九州一周として後に残ることになった。

この不動寺はいつ頃からあるだろうか。九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの公式サイトによると、凰令尼という人が仏教の聖地であるインドのブッダガヤにて不思議な体験とともに「釈迦の教えを広めよ」との釈尊の言葉を授かったことで、この地に寺を建てたとあるが、それがいつの頃か書かれていない。現地に行ってみて、案内板にて1970年の建立であるとわかった。

不動寺という名前にあるように本尊は不動明王だが、九州八十八ヶ所百八霊場のほかに九州三十三観音霊場、九州二十四地蔵尊霊場の札所でもある。寺じたいの歴史は50年あまりとはいえ、積極的に活動しているといえる。

本堂の扉は閉まっているので外からお勤めとして、「納経所」の貼り紙がある小さなお堂に向かう。こちらに不動明王の石像とともに、各札所のセルフ朱印、書き置き朱印が用意されている。先ほどの光明寺に続き、自分で納経帳に押印。

このお堂を囲むように四国八十八ヶ所の本尊石像や十三佛が並ぶ。これはどこかから持って来たものかな。

この後、西牟田から鹿児島線の列車で久留米に到着。以前にも久留米を経て筑後の札所をめぐったこともあり、ようやくここまで戻ったかという気持ちである。

久留米から筑後川を渡り、少し進んだところに第94番・大日寺がある。次回のルートは久留米から佐賀へと向かう予定なのでその時に回ればよく、今回で九州一周のコマが久留米まで進んだということでおしまいにしてもよいのだが、さすがにまだ時間がある。帰りまでもう1ヶ所、大日寺を訪ねることにするか・・・。

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第22回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第59番「光明寺」(キャンプ見学の後で札所めぐり)

2025年02月26日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

先ほどまで札所めぐりといいながらホークスのファームキャンプの記事が続いていたが、これを拙ブログにアップする頃はオープン戦も始まり、キャンプも打ち上げる球団も多い。ペナントレースの開幕も待ち遠しいところだ。

午前中の練習が終わり昼休憩となったところで、私もタマスタ筑後を後にする。スタジアムの雰囲気は十分楽しめた。午後の部は本題である九州八十八ヶ所百八霊場めぐりということで、まずは第59番・光明寺に向かう。タマスタ筑後の入口から駅ではなく南のほうに歩く。スタジアムからのBGMを背に集落の中をほんの2~3分ほど歩くと寺の敷地に着いた。

一応正面は境内の南側ということでいったん通り抜け、堤防に向かって立つ山門から改めてお参りとする。ちょうど、筑後船小屋駅の新幹線ホームの南端も目に入る。

光明寺が開かれたのは奈良時代、聖武天皇の勅願により行基が千手観音を祀ったのが始まりとされ、筑後市では最も古い寺院と伝えられている。山門が川の方向(現在は堤防の方向)を向いているのは、目の前の矢部川の水運と何かしら関連するのだろうか。

本堂の前に、石造りの九重塔一対が建つ。このうち東側の塔は鎌倉時代のもので、平重盛が諸国の寺に寄進したものの一つだという。もう一方の西側の塔は江戸時代、久留米藩の有馬氏により寄進されたという。現在の本堂も江戸後期の再建とある。

本堂の外陣に入ることができ、ここでお勤めとする。朱印はセルフ式でいただく。

境内には大師堂があり、その周囲には四国八十八ヶ所の本尊が安置されてお砂踏みができる。石仏が奉納された年代を見ると結構年季が入っているようだ。

・・・キャンプ見学と比べるとあっさりした記述になってしまったが、これで九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの一つを終え、筑後にも足跡を残すことができた。

次の久留米、鳥栖方面の列車まで少し時間があるので、筑後船小屋駅の周辺をもう少し見てみる。船小屋の地名は、筑後国の中でこの辺りは立花氏の柳川藩の領地で、矢部川の河川工事用の舟を格納する小屋が設けられたことからつけられたという。元々鹿児島線の船小屋駅は現在地から北にあったのだが、筑後広域公園の整備と九州新幹線の開業に合わせて現在地に筑後船小屋駅が移設された。そこに、ホークスのファームの誘致である。

高架橋の向こうに九州芸文館という建物がある。地域の伝統工芸や芸術文化の学習、体験スポットである。この時も美術展が行われていたが、時間の関係でフリースペースをのぞいただけだった。その中で、タマスタ筑後オープン記念で寄贈された王貞治会長のサイン入りバットと、本多雄一、川﨑宗則両選手のサイン入りユニフォームも展示されている。

そろそろ時間になったので鹿児島線のホームに向かう。駅のホームからスタジアムが見えるというのもテンションが上がりそうだ。午後からの練習も間もなく行われることだろう。またいずれ、札所めぐりとは関係なく訪ねたいなという思いを胸に、鳥栖行きの列車に乗り込む・・・。

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第22回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~筑後キャンプをもう少し見学

2025年02月25日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

タイトルにはようやく札所の名前が出てきたが、もう少し筑後キャンプの見学記を。

今後はメインスタジアムのスタンドからグラウンド全体を見てみよう。ちょうどこちらでは打撃練習が行われているところ。本来のバッターボックスの他に、ネット裏、ファウルグラウンドでも打球音が響く。

こちらでは外国人選手が練習中。こちらも育成選手で、見守るのは斉藤3軍監督。近年、多くの球団に育成契約の外国出身選手が在籍しているが、後ろで見守るシモンはドミニカ出身でまだ20歳、そしてバットを振っている同じドミニカ出身のアルモンテにいたってはまだ17歳である。さらに驚いたのは、入団は2024年だから16歳、日本でいえば高校1年生の時である。今のNPBは育成選手もドラフト会議で指名されなければ入団できないし、そもそも16歳での指名はあり得ないのだが、外国人選手の場合はまた違うのだろう。

もしアルモンテが2025年シーズンに大ブレイクして支配下登録、そして1軍で「18歳の4番打者」を塗り替える「17歳の4番打者」てなことになると面白いと思うが、さすがに現実にはそこまでのことにはならないだろう。それにしても、ホークスとして何年後の活躍を期待しているのかは知らないが、こうした選手を受け入れられるだけの環境があるのはさすがだと思う(一方で、毎年多くの選手が入団するぶん、育成のまま見切らざるを得ない選手も多いという面もあるのは仕方がない)。

ちょうど昼時。スタジアムの売店も営業しており、せっかくなので生ビールと、肉と丸天が入ったホークスうどんをいただく。

さてグラウンドでは打撃練習のネットが片付けられる。ここからは「ライブBP」の時間。このところ野球関連の記事で「ライブBP」という言葉を目にすることが増えたように思う。BPとはバッティング・プラクティスの略で、つまり実戦形式の打撃練習のことだが、これまで呼ばれていた「シートバッティング」とはどう違うのだろうか(メジャー流にそう呼んでいるだけ?)。

ここで登板した投手は星野。かつてダイエー時代に星野という投手がいたなと思い出すが、マウンドに立っているのはその息子だという。

VIPチケットの特典のリストバンドがあるので、内野スタンドからフィールドシートまで行くことにする。最前列の背もたれに「VIP席」のカバーが掛けられており、午前中にツアーでご一緒した方も座っている。あくまで実戦を想定した打撃練習のため、打者がポンポンといい当たりを飛ばすわけでもなく、また投手もいろんな球種、コースを試すのでストライクもあればボールもある。

打球がファウルになった後、投手に次のボールを渡すのは的山コーチ(拙ブログに出るのは3回目)。

練習を見ていたが、ライブBPとは実戦形式といってもシートバッティングのようにストライク、ボールのカウントを取るわけでもなく、規定の投球数に達するとその時点で投手も交代するようだ。

フィールドシートもいいが、グラウンド全体を眺める場所にも行ってみる。ちょうどうってつけなのが「関家具グループシート」。内野スタンドの上段で、テーブルもあり家族やグループで観戦するのに持ってこいだ。

スタンドの外から歓声が起こる。選手の出待ちでもあるのかなとのぞいてみると、室内練習場への通路で選手にサインをお願いするファンの声である。その相手は、ケガで1軍キャンプを離れ、リハビリ組として筑後で調整中という川瀬。この日はバレンタインデーに合わせたファンサービスに登場したとのことだ。

そうするうちにグラウンドの選手も引き上げる。ライブBPや個別練習はこの後も続くが、ここで午前の練習は終了のようだ。

結局、朝9時前にタマスタ筑後に到着し、3時間半ほどをスタジアム見学、キャンプ見学で過ごすことになった。スケジュールの関係でブルペンでの投球練習を見ることはなかったが貴重な一時であった。こうなれば、いずれはウエスタンリーグの公式戦も観戦してみたいものである・・。

さて、ようやく本来の目的である九州八十八ヶ所百八霊場めぐりである。目指すのは第59番・光明寺だが、筑後船小屋駅に戻ることもなく、タマスタ筑後からそのまま南に歩いてすぐの集落の中にある・・・。

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第22回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~タマスタ筑後の施設見学ツアー

2025年02月24日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

札所めぐりと絡めてホークスの筑後キャンプ見学に来ている。まずはグラウンドに下りて選手に近い位置でウォームアップを見ることができた。

そして、施設見学ツアーである。キャンプ中ということもあって30分おきに行われており、その時々の練習メニューを見ることができる。

私が参加した回は子どもも含めて10人ほど。また正面玄関から入り、三塁側ベンチに向かう。

グラウンドでは投内連携プレーの練習中。係の人から「お静かに見学してください」との声がかかる。投球前に、「1アウト、2塁」というようにシチュエーションの声があり、その場面、打球に応じた守備を行うものである。バッターボックスに立つのは的山コーチで、投手が投げた後にノックバットで守備位置に打球を飛ばし、内野手がシチュエーションに応じた送球を行う。バント処理の練習もある。千本ノックのような派手な動きがあるわけではないが、実戦形式の練習もレベルアップに大切。

ベンチで練習を見た後、奥にあるミラールームに向かう。素振りとともにフォームをチェックできるところ。

ロッカールームも見せてもらう。こちらビジター側にはシャワー室があるが、ホームのホークス側にはないとのこと。同じ敷地にクラブハウスがあるので、入浴はそちらでゆっくり、ゆったりということだ。

スタジアムの玄関には、タマスタ筑後が開場した2016年度以降の新入団選手発表の写真とサイン色紙が飾られている。ここで係の人が指差すのは2018年度(2017年ドラフト)の新入団選手。この年から育成指名のサインも書かれているのだが、その中に「121 周東佑京」の文字がある。サインというより「署名」だ。この辺り「本指名ではなく育成指名」ということで控えめにしたのかな。

ホークスの育成指名といえば千賀、甲斐、牧原といったところがすでに活躍しているが、タマスタ筑後からの出世頭ということで特に紹介された。なおこの年の同じ育成入団選からは、大竹(現役ドラフトでタイガースに移籍して活躍)、リチャード(毎年何やかんやで期待されているが・・)といったところが出ている。ホークスの場合、毎年大量に育成指名があるかと思えば、一方でFA、メジャー帰りなどでの主力補強も抜かりない(その一方でFAや現役ドラフトで移籍し、その後活躍する選手も多いが)。

一番下に今季入団の選手の写真、サイン色紙がある。これらの選手の今後の活躍やいかに。

続いては室内練習場。国内最大級の広さを持つといい、屋根裏階段のキャットウォークから全体を見下ろす。

ブルペンは無人だったが、隣の打撃ゲージではバーチャル映像の投球マシン相手に打球を響かせる選手がいる。そのスクリーンに映るのは、あの左脚の上げ方からして今季ドジャースに入団した佐々木朗希のようだ。

グラウンドには最新鋭のピッチングマシン「アイピッチ」が置かれている。データを入力することで様々な投手の球種や球筋を再現できるという優れもの。1台は現在宮崎の1軍キャンプに出張中という。こういうマシンで鍛えていればどんな投手も攻略できるように思えるが、実際は勝負の駆け引きもあり簡単に打てないのが野球という競技である。

最後はサブグラウンドへ。一塁後方からグラウンドレベルで眺める。甲子園球場と同じ阪神園芸出身の方がグラウンドキーパーをしているという。真夏の筑後は当然猛暑なのだが、それでも人工芝のメインスタジアムと比べると体感温度はかなり低く感じるそうで、あえてこちらで調整する選手も多いのだとか。

サブグラウンド横のクラブハウス、選手寮の説明があり、施設見学ツアーはここで終了。係の人からは、ぜひタマスタ筑後のウエスタンリーグ観戦に来てほしい、そして観るなら夏のナイトゲームがお勧めと言われる。試合が始まり、筑後平野に夕日が沈む頃合いがよいのだとか・・。

改めて、充実した施設に感心した。また周囲を見渡すとある意味「何もない」エリアなので、若手選手が野球に打ち込む、修行するには適している。ファーム施設を雁ノ巣から移転するに当たり、九州各地から誘致の手が挙がった後、福岡市、北九州市、宮若市、そして筑後市に絞られたが、決め手となったのは「育成にふさわしい環境」だったという。そしてその判断は成功している。

さてこの後だが、メインスタジアムでの練習をスタンドから観ることにしよう・・・。

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第22回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~ホークス筑後キャンプでグラウンドに立つ

2025年02月22日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは筑後シリーズ、まずはホークスのファームキャンプが行われているタマスタ筑後に到着。九州新幹線、鹿児島線の筑後船小屋駅からすぐのところである。

到着したのは8時45分、今回は午前中をキャンプ見学に充て、午後から筑後の札所をめぐり、久留米から新幹線に乗るつもりである。それにしてもこの早い時間に到着したのは、特別チケットを事前購入していたためである。

この筑後キャンプ、メインスタジアムのネット裏エリアや、サブグラウンド、室内練習場、ブルペンなど基本的には無料で見学できる。またこれ以外の有料プランとして、メインスタジアムのフィールドシートから見学できるものや、スタジアム見学ツアーがある。また、日によっては選手とも触れ合えるイベントチケットもある。

その中で私が購入したのが、「あなたもカメラマン」体験付VIPチケット。バファローズファンがホークスのファームでVIP体験とは何事かと思う方もいらっしゃるかもしれないが(事実、この日も私はいつも札所めぐりで使うバファローズファンクラブ特典のリュックを背に筑後に乗り込んだのだが)、さすがホークス、スタッフの方も「結構、他球団のファンも来られますよ」と懐の深い反応である。

今回参加したのは私のほかに4人。もちろんホークスファンの方々である。まず正面入口から三塁側ベンチに出る。ベンチ前に広がる人工芝のグラウンド。青空によく映えている。

しばらくベンチにいるうちに、選手たちが少しずつ顔を出す。先ほどファームキャンプと書いたが、ホークスのファームといえば2軍だけでなく、3軍、4軍まである。2軍と3軍の違いなら、支配下選手か育成選手かということでまだ区別できるが、ならば3軍と4軍の違いは?となるとどうだろうか。ネット記事を見ると、ホークスの場合は同じ育成選手とでも、3軍は試合経験を通じた育成の場、4軍は高卒で入団したばかりの選手や故障明けの選手の体力づくりの場という位置づけのようだ。この日参加した選手は30人ほどいる。

係の人の案内でグラウンドに入る。やはり特別感がある。

選手のアップを見守るコーチ陣には、かつてホークスなどで活躍した選手たちが就任している。

その中で目についたのが、的山4軍コーチ。かつての大阪近鉄バファローズでも活躍した捕手である。その後移籍したホークスで現役引退、長くコーチを務めているが、ホークスの扇の要である甲斐がFA移籍した後、ホークスの捕手陣についてどのような気持ちで見ているのだろうか。

それはさておき、セカンドベースの後ろ辺りからウォーミングアップの様子を眺める。この日参加していた選手のほとんどが背番号100番台の育成選手だが、2024年オフのドラフト1位で神戸広陵高校から入団した村上投手も、まずは筑後でプロへの体造りの最中のようだ。まず1年はじっくり育てることができる、さすが選手層が厚いホークスである。そこから先は他球団以上にサバイバルなのだろうが・・。

トレーナーの指示でメニューが進み、ミスをした選手には罰でもう1本ダッシュが課せられたり、まずは明るい雰囲気で始まる。

そろそろ時間となりグラウンドから引き上げる。最後にリストバンドが渡される。特典として、この後はメインスタジアムのフィールドシートに入れるだけでなくその最前列のVIP席で見学できたり、屋内練習場でも最前列のVIP席が用意されている。

さてこの後だが、これは別料金でスタジアム見学ツアーに参加してみよう。キャンプ中ということで30分おきに開催されるようだ。次の回まで時間があるのでもう少し回ってみよう。

やって来たのはサブグラウンド。こちらはメインスタジアムの人工芝とは対照的に土と天然芝。異なるタイプのグラウンドが2面あるのもすごい。いずれのタイプにも対応した練習ができそうだ。

筑後七国のPRもある。筑後七国とは、ここ筑後船小屋を中心地点として、周辺の5市2町(大川市、柳川市、大木町、筑後市、みやま市、広川町、八女市)が連携して地域の魅力を発信するものである。そのスポットの一つにここタマスタ筑後も含まれている。

ウォームアップを終え、選手たちは次のメニューに移るようだ。メインスタジアムから室内練習場への通路の両脇にはすでに多くのファンが集まっており、移動する選手に声援を送る。中にはサインに応じる選手もいる。育成選手といっても、ファンからすれば将来のスター候補生(特にホークスは数多くの実績がある)だし、このところは選手情報を得られる機会も多く、ファンも熱心な方が多い。

そろそろ見学ツアーの時間である。その様子は次の記事にて・・・。

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第22回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~今回ホークス筑後キャンプと絡めます・・

2025年02月21日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

このところ、拙ブログの記事は関西と九州を行ったり来たりしている。九州八十八ヶ所百八霊場をめぐる細切れの旅も第22回である。前回で熊本県シリーズを終え、再び福岡県に戻り、筑後シリーズである。

その筑後の札所を見るとちょうど鹿児島線、九州新幹線沿いに並んでおり、第59番・光明寺(筑後船小屋)、第10番・不動寺(西牟田)、第94番・大日寺(久留米・・からちょっと離れている)と続いている。この中で注目するのは第59番・光明寺。寺の歴史については後ほど触れるとして、アクセスは筑後船小屋駅から徒歩5分とかからないところ。

九州八十八ヶ所百八霊場にあって、鉄道の駅から徒歩圏内にある札所はいくつもあるが、今回注目するのはその最寄り駅である。筑後船小屋は九州新幹線の駅だが、その駅前にはホークスのファーム拠点のタマホームスタジアム筑後がある。この九州の札所めぐりにあっては、私なりに観光や鉄道関連、居酒屋めぐりなどを絡めているのだが(だからここまで回数が重なっているのだが)、筑後を訪ねるならタマスタ筑後とセットにしようと思っていた。

スタジアムを楽しむならウエスタンリーグ、あるいは四国アイランドリーグ交流戦といった試合を観戦するのがベストだが、めぐり合わせはシーズンオフ。それでもタマスタ筑後では1日に数回スタジアム見学ツアーをやっているので、それで球場の雰囲気を感じられればよいと思っていた。

その中で迎えた2月。2月といえばNPBプロ野球のキャンプである。宮崎に行けばバファローズ、ホークス、ジャイアンツのキャンプ地、そして日南線に乗ればカープ、ライオンズのキャンプ地にも行けるが、結局札所めぐりとのタイミングは合わなかったな・・。

そしてタマスタ筑後だが、2月はファームのキャンプ見学ができるという。「スプリングトレーニングin筑後」ということで、主力選手が宮崎に入る前に調整をしたり、あるいは育成選手たちの修行の場の位置づけのようだ。お、これは正にいいタイミング。試合観戦やスタジアム見学ツアーとは違った楽しみができそうだ。

ということで、急遽2月11日の日帰りで九州行きのプランを組んだ。プロ野球キャンプと札所めぐり。どちらがメインなのか、いやどちらもメインということで、これも私流の札所めぐりである。

・・・さて、前置きが長くなったところで、広島6時43分発「さくら401号」で出発。西に向かうなら日本旅行の割安の「バリ得」プランを使い、6時53分発「こだま781号」に乗るのだが、筑後船小屋発着には「バリ得」プランが設定されておらず、また今回はタマスタ筑後に早く着くことにしたので通常料金で利用する。

7時56分、博多到着。8時13分発「つばめ313号」に乗り継ぎ、8時35分、筑後船小屋に到着。この駅に降り立つのは初めてのこと。

改札に向かう中、「筑後七国」の観光PRの一環としてホークス、タマスタ筑後が登場する。パネルでは2024年入団(ということは、現在2年目を迎えている)選手の紹介とともに、選手たちのサインが寄せ書きされたユニフォームが飾られている。

新幹線駅と在来線駅の間はロータリーになっており、こちらにも先ほどの選手たちのパネルが並ぶ。そのうち、2025年入団選手に入れ替わるのだろうが・・。

在来線駅横から線路をくぐる歩道を通り、5分ほどでタマスタ筑後に到着。初めて訪ねたのだがスタジアム、屋内練習場と圧巻である。

まだ時刻は9時前で人もまばらなのだが、わざわざ広島から朝の最速ルートを使って筑後まで来たのは、どうせならしっかり楽しもうということで・・・。

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京都12番「仁和寺」~神仏霊場巡拝の道めぐり・127(京の冬の旅特別公開)

2025年02月20日 | 神仏霊場巡拝の道

神護寺のある高雄からJRバスに乗り、仁和寺の門前に到着。先ほど神護寺でにわか雨に遭ったのが噓のようにまた冬晴れの空である。仁和寺は真言宗御室派の総本山であり、世界遺産にも登録されている寺院である。今回の札所めぐりでは天龍寺に次いで2ヶ所目の世界遺産となる。

仁和寺じたいはこれまで何度か参詣している。二王門をくぐると柵が設けられ、拝観受付を通る形になる。確か仁和寺は宇多天皇の御所庭園や霊宝館は有料だがそれ以外は無料で入れるはず。仁和寺じたいが有料拝観になったのかな・・と思ったが、ちょうどこの時「京の冬の旅」(1月10日~3月18日)の期間で、経蔵・五重塔の特別公開が行われており、御所庭園の拝観と合わせてここで受け付けているとある。

御所庭園は以前にも拝観したこともあり、今回はいいかなと思う。その代わり、経蔵・五重塔はせっかくなので観ることにしよう。

仁和寺が開かれたのは平安前期、先に記した宇多天皇による。皇族の人たちが別当を務める門跡寺院の歴史がある。「徒然草」には「仁和寺にある法師」というのが何度か登場し、そのたびに失敗談を繰り広げる。仁和寺のすぐ近くの双ヶ岡に庵を構えていたこともあるが、兼好法師はどういう意図をもって「仁和寺にある」と固有名詞を記したのかなと思う。

まずは金堂にて手を合わせる・・というところだが、今回は先に特別拝観の経蔵に向かう。特別拝観では20分おきに僧侶によるガイドが行われるとあり、ちょうどそのタイミングだった。

ここで仁和寺の歴史や、この経蔵に関する説明があり、この時は20人ほどが話を聴いていた。仁和寺は応仁の乱の兵火に遭って焼失したが、江戸時代前期の寛永年間に徳川家光の支援で伽藍が整備され、現在に至る。この経蔵もその時に再建されたものである。仁和寺は真言宗の寺院だが、この経蔵は禅宗の様式で建てられているとのこと。中央には八面体の書架が設けられ、「天海版一切経」が収められている。その引き出しの中身の経典もサンプルとして公開されている。

経蔵の正面側には、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩の釈迦三尊、そして三体の羅漢像が祀られている。

続いては五重塔。こちらは中に入れるわけではないが、各方向の一層の扉が開けられ、ガラス越しに内部を観ることができる。中央の心柱、塔を支える四本の天柱、そして柱や壁面に描かれた仏画や祀られた仏像たちである。

これで特別拝観を済ませ、改めて金堂の前にてお勤めとする。

そして仁和寺といえば「京都三弘法」の一つである。弘法大師空海を本尊とする北西の御影堂に向かう。同じ仁和寺だが、かつての伽藍、御所の歴史を伝えるエリアもあれば、御影堂から始まる御室八十八ヶ所のような庶民信仰のエリアもある。お堂に上がり、ここでもお勤めとする。

金堂前に戻り、預けていた朱印帳を受け取る。これで今回の目的地到達ということで、次の行き先決めのくじ引き&あみだくじ。長かった・・。

くじ引きアプリで出たのは・・

・法楽寺(大阪6番)

・生國魂神社(大阪7番)

・当麻寺(奈良19番)

・清水寺(京都37番)

・西教寺(滋賀16番)

・生田神社(兵庫1番)

神仏霊場めぐりも残り30ヶ所を切ったが、ここで清水寺が出てきた。嵐山以上にインバウンドが跋扈するエリアだが、西国三十三所の4巡目も残っているし、いずれどこかで訪ねなければならないところで・・。

そして出たのは、5枠に割り当てられた当麻寺。奈良県も西側の一帯はまだ手付かずで、大阪府に入った叡福寺も含めて次のシリーズとするかな・・。

仁和寺まで来たところで、今回の札所めぐりは終了して帰りの行程に入る。まずは嵐電の御室仁和寺に向かうが、ここで嵐電には乗らず、そのまま徒歩で南下する。「徒然草」の兼好法師の庵の跡も過ぎる。

そしてJR花園駅に到着。この日の朝、宿泊用の荷物をコインロッカーに預けており、これで循環ルートをたどることになった。

JR嵯峨野線で京都に出る。嵯峨野線ホームには、チームカラー、路線カラーともあわさってJリーグの京都サンガが大々的にPRされている。

この後、特急料金別払いで「サンダーバード」に乗り新大阪に出て、新幹線に乗り継ぐ。それほど遅くない時間に広島に戻ることができた。

今回洛西シリーズをたどったことで、京都の札所は清水寺周辺、そして鞍馬・貴船を残すだけとなった。次のタイミングはいつ来るかな・・・。

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京都10番「神護寺」~神仏霊場巡拝の道めぐり・126(にわか雨やら何やらありました・・)

2025年02月19日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道めぐりは、嵐山から嵐電に乗車し、帷子ノ辻に到着。ここで北野白梅町行きに乗り換える。今回残す札所は、神護寺、そして仁和寺である。まだ時間も早く、先の見通しも立った。

御室仁和寺の一つ手前の宇多野で下車。これから神護寺の最寄りである高雄に向かうため、その系統の京都市バス、JRバスの停留所がある福王子に向かう。福王子神社に面する福王子交差点だが、実質六差路という複雑な交差点のためか、信号で警察官らしき人が見守っている。

「バスの駅」福王子から京都市バスに乗車。「バスの駅」とは妙だが、高雄方面の停留所は竹垣で囲われ、木のベンチが置かれている。この先、国道162号線の周山街道を走り、少しずつ高度を上げる。速度が遅くなると乗降はないが近くのバス停に停まり、後続車を先に行かせる。

御経坂峠を過ぎ、高雄に到着。ここから神護寺に向かうのだが、いったん清滝川が流れる谷を下り、そしてまた川の向こう側の谷を上るというそれなりにハードな道のりである。さすがにここまで来るとシーズンオフということもあり、訪れる人の姿もほとんどない。

「山内女人禁制」の石碑があるが、今はもちろんそうした禁制はなく、誰でも進むことができる。ただこの石段、結構長く続いて運動不足にはきつく感じる・・。さすがは山岳寺院に分類されるだけのことはある。

ようやく楼門にたどり着く。上がってしまうと整地されたそれなりの広さを持つ境内である。

神護寺が開かれたのは平安初期、和気清麻呂による。清麻呂は奈良末期、道鏡の皇位継承問題に絡んで流罪とされたが、後に復帰し、平安京の遷都にも尽力した。その功績もあり、いずれも和気氏の氏寺であった神願寺と高雄山寺を合併する形で開かれたのが神護寺である。合併の背景にはいろいろあったようだが、伝教大師最澄を招いて法華会を開いたり、弘法大師空海が住んで灌頂の儀式を行ったりと、当時として新しい仏教を担う二人の人物と関連するスポットである。

後に荒廃したが、源平の戦いの頃、武士出身の僧・文覚が再興に尽力し、源頼朝や後白河法皇もこれを支援した。その後も衰退と再興を繰り返した後、江戸時代には山内に多くの支院や僧坊を数えるまでになったが、明治の廃仏毀釈でさらに衰退。現在の主要な建物は昭和の再建である。

最後の石段を上がり、本堂にあたる金堂に到着する。本尊の薬師如来は神願寺、高雄山寺のいずれかで祀られていたとされる。正面の厨子に収められている。両脇には日光・月光菩薩、十二神将という「チーム薬師」が陣取る。ここでお勤めとする。

堂内を拝観していると、外から水が垂れるような音がする。何か排水でもしているのかと外をのぞくと、それなりの量の雨が落ちていた。先ほどまでは晴天だったと思うが・・。今は冬、そして山の中、天気の急変があってもおかしくないだろう。ただ、この日は雨具を持ってきていなかった。スマホで雨雲レーダーを見ると、京都の中でも神護寺周辺のピンポイントで雨雲ができている。この後時間を追っていくと、すぐに消えたかと思うとまた発生したりと、結構複雑な動きをしている。

堂内にて朱印をいただく。墨書で薬師如来、神護寺の文字が入り、まず真ん中に薬師如来の宝印、続いて右上に神仏霊場の印、そして最後に左下に神護寺の印といただくのだが、その神護寺の印を押した後で、係の人が「しまった!」という顔をする。「和気公開創 高尾山神護寺」の印が上下逆になっていたのだ。

係の人はまことに申し訳ない表情をしていた。まあ、こういうこともあるだろう。余白に正しい向きで押し直していただいたが、朱印のお代はいらないという。そういうわけにもいかないと納めたところ、「では」ということで、金色の紙を使った限定御朱印(書き置き)をつけていただいた。かえって恐縮である。

しばらく待つうちに雨脚が弱まり、すぐに青空が出て来た。あの時間は何だったのだろうと思うが、この間に神護寺を後にしてバス停に向かう。ただ、このまま高雄のバス停に戻っても待ち時間は長い。ならばということで石段を下りて清滝川沿いに歩く。以前、神護寺を訪ねた時に神護寺の高雄、西明寺の槙尾、そして高山寺の栂尾という「三尾」をたどったことがあった。

川沿いの道から国道162号線に戻り、最後は歩道がないがクルマの通行が多い道をヒヤヒヤしながら栂尾のバス停に到着。高山寺の参詣はせず、ちょうど栂尾を出発するJRバスに乗車する。この系統に乗ると、次に訪ねる仁和寺の門前に着くのでちょうどよい・・・。

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京都9番「大覚寺」~神仏霊場巡拝の道めぐり・125(南北朝の歴史を思いつつ広大な大沢池を一周)

2025年02月18日 | 神仏霊場巡拝の道

嵐山の天龍寺を拝観後、大覚寺に向かう。朝方、JR花園駅前から乗車した京都市バスは嵐山を経由して終点・大覚寺に向かうのだが、ちょうど出発したところのようだ。普通ならここで嵐山の風情を楽しみ、後続のバスに乗るところだが、この日の私はさっさとここを離れたい気持ちだった。大覚寺まで徒歩で25~30分ほどとあり、バスの待ち時間をかけて歩いても着くのはほぼ同じくらいのようだ。

参道には「旧嵯峨御所 大覚寺門跡」とある。先ほどの天龍寺と同様、元々この地は嵯峨天皇の離宮があったところである。弘法大師空海が離宮の中で五大明王を祀って祈祷を行ったとされるが、嵯峨天皇の崩御後に発生した政変で皇太子を廃された恒貞親王が出家して仏門に入り、大覚寺の開山とされた。

大覚寺ときいて連想するのが「大覚寺統」という言葉。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、皇室は「持明院統」と「大覚寺統」の二つの系統で皇位継承をめぐって争っていた。後嵯峨天皇(ここからは後に上皇や法皇となった人が登場するが、ややこしいので天皇で統一する)の皇子に後深草天皇、亀山天皇がいて、それぞれが後嵯峨天皇の後継であると主張して譲らなかった。「大覚寺統」とは、亀山天皇の子である後宇多天皇が後に大覚寺の再興に尽力し、自らも大覚寺で院政を敷いたことからその名がついたとされる。

この持明院統と大覚寺統の対立だが、一時は鎌倉幕府の仲立ちでそれぞれが交互に天皇に即位することで収まったのだが、これを破ったのが鎌倉幕府打倒に燃える大覚寺統の後醍醐天皇。そして足利尊氏や新田義貞らの手により鎌倉幕府を滅亡させたが、新たな対立が生まれる。ここで足利尊氏と手を組んだ持明院統は北朝、そして後醍醐天皇の大覚寺統は南朝として、およそ60年にわたる争いが繰り広げられる。

回廊を伝って宸殿に出る。

この大覚寺は皇室が住職である門跡寺院の歴史があるが、応仁の乱の兵火や後の放火により堂宇が焼失し、現在の姿に復興されたのは江戸時代のことである。寺は寺でも門跡寺院ということで、一般の人たちが日常的にお参りするというよりは、かつての御所や庭園の姿をしのぶスポットといえる。

伽藍の中心にあるのが心経前殿。嵯峨天皇、弘法大師空海、後宇多天皇、恒貞親王を祀る。まずはここで手を合わせてお勤めとする。

心経前殿の後ろに心経殿が建つ。内部には嵯峨天皇のほか、江戸時代の天皇たちが奉納した「勅封般若心経」が収蔵されている。この扉が開かれるのは60年に一度、戊戌の年である。直近の戊戌の年は2018年(平成30年)のことで、この年、私も近畿三十六不動尊めぐりの札所として大覚寺を訪ね、開扉された心経殿も拝観した。次の戊戌の年は2078年・・・まあ、生きていないだろう。

大覚寺の本尊である五大明王が祀られる五大堂に着く。ここで改めてお勤めとする。写経の場でもあるのでここで体験してもよかったのだが・・。

心経殿の開扉で訪ねた時は大覚寺エリアだけ拝観したのだが、隣接して大沢池がある。今回はせっかくなのでそちらにも足を延ばすことにする。天龍寺、嵐山ではインバウンドにうんざりしたが、大覚寺に来るとそういう観光客の姿(それどころか拝観者そのものの姿)が見えず、静かな一時となったのでもう少しめぐろうかと。

大沢池は嵯峨天皇が離宮を造るにあたり、唐の洞庭湖を模して造られたという。日本最古の人工池とされている。ちょうど冬の澄んだ空、水鳥が憩う景色も穏やかである。

奥にあるのは名古曽の滝跡。小倉百人一首の第55番・(藤原)大納言公任の「滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」にある「滝」はこの滝跡とされる。「大覚寺のこの滝の音が聞こえなくなって久しいが、その評判だけは世に流れ伝えられ、今でもなお聞こえ知られている」という意味。これを解釈すると、栄枯盛衰というのは世の常だが、その中で、本人は亡くなっても優れた歌や作品、その心はいつまでも世の人々の間で生き続ける・・ということである。まあそうすると、大納言公任のこの歌は現在も小倉百人一首の一つとしてその名とともに生き続けているといえる。

この後も大沢池の周囲をめぐる。春夏秋冬、嵯峨野の山々を借景としてそれぞれの表情を見せるという。

一周して、大沢池の石碑の前に出る。ちょうどここで、何やら機材をかつぐ一行に出会う。どうやらこれから何かの撮影が行われるようだ。大覚寺は周囲に高い建物、電柱、電線が目立たず、かつての御所を彷彿とさせる建物があり、大沢池という名勝がある。そして、太秦のスタジオにも近い・・ということで時代劇のロケでよく使われるという。この日も撮影があったのかな。もう少し待っていれば俳優さんに会えたのかもしれない(前日訪ねた車折神社に玉垣を奉納していたりして)。

大覚寺の受付に戻り、預けていた朱印帳を受け取る。紙面いっぱいの墨書は「五大明王」である。

さて、次に訪ねるのは神護寺。大覚寺からまたもバスのタイミングが合わず、再び嵐山まで歩く。ちょうど往来の商店も開業しており、どこも長蛇の列。そして大声でわめきながら食べ歩き・・もとい食べ散らしするインバウンドの連中たち。やかましい、正直ウザい。

いや~、ある意味での難所を朝のうちに回っておいてよかった(もっとも繰り返すが、大覚寺は嵐山の騒擾とは一線を画す風情あるところ)。

そして乗るのは嵐山電鉄、嵐電である。ホームの有料足湯なんぞどうでもいいので、さっさと次の折り返し便で嵐山を去ることに・・・。

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京都8番「天龍寺」~神仏霊場巡拝の道めぐり・124(いよいよ嵐山、ともかくインバウンドは避けろ・・・)

2025年02月17日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場の道めぐり、1月の洛西シリーズは後半の2日目。前日宿泊した妙心寺の花園会館をチェックアウトして、JR花園駅からスタートする。この日は天龍寺、大覚寺、神護寺、そして目的地の仁和寺と回り、仁和寺から歩いて花園駅に戻る循環ルートをとる。花園駅にはコインロッカーがあり、宿泊用の荷物をここに預けることができる。

まず向かうのは京都8番・天龍寺。これから混雑必至の嵐山にとうとう行くことになる。インバウンドの象徴であるスポットなど正直行きたくないのだが、行かざるを得ない。札所まで山道を延々と歩かなければならないのとは別の意味での難所である。

1月はシーズンオフということで、新緑や紅葉の時季と比べればまだましなのだろうが、それでも前日午後にバスで通過した時は嵐山近辺は多くのインバウンドであふれていた。インバウンドの混雑は避けたい・・・ならばあさイチに訪ねるしかないかなと。

天龍寺の拝観時間は8時30分からとある。そこで逆算して、花園駅前から8時前に発車する京都市バスに乗車。さすがにバス車内は空いていたが、それでも乗客はほぼインバウンドの外国人客。日本人はバスに乗るカネもないのか?

嵐山天龍寺前(嵐電嵐山)バス停に到着。バス停のすぐ前が天龍寺の入口で、拝観開始にはまだ時間があるがそのまま門をくぐって参道に入る。まずはいくつかの塔頭寺院が見える。

天龍寺は前日訪ねた妙心寺と同じく臨済宗の寺院で、こちらは天龍寺派の大本山である。元々は大覚寺統の亀山天皇(後の南朝につながる)の離宮だったところにある。その後の南北朝の争いの中、南朝の後醍醐天皇が崩御したことを受けて、北朝方の足利尊氏は臨済宗の夢窓疎石の勧めにより、天皇の菩提を弔うとして建立された。

元々離宮だったためか、天龍寺は信仰の寺院として手を合わせるとか仏像を拝観するというよりは、建物や庭園を鑑賞するスポットというイメージがある。そもそも臨済宗じたい、一般民衆のための宗派という面が薄い(鎌倉時代、民衆に広まったのは浄土真宗や日蓮宗といえる)。

まず拝観受付の庫裏に向かう。8時30分の拝観開始前に10人ほどの列ができている。それに合わせて中に入る。

最初は大方丈から庭園を眺める。天龍寺は南北朝時代の建立の後に何度も災害、兵火に遭い、その都度復興した歴史がある。ただ、現存する建物はほとんどが明治時代以降の再建とある。京都に古くからある他の神社仏閣の建物と比べて歴史は浅いわけで、庭園はともかく、建物は南北朝時代と比べて少し割り引いて眺めるくらいでよいのではと思う。

拝観開始とともに多くの客が訪れていたが、やはりまだ早い時間ということでそこまで混雑感はなかった。この選択肢でよかったかな。

上履きで回廊伝いに行けるのが多宝殿。建物じたいは昭和の建立だが、後醍醐天皇が吉野で構えた紫宸殿の様式で、後醍醐天皇の木像、歴代天皇の位牌も安置されている。手を合わせるならここのようだ。

方丈の中から庭園を眺めた後、今度は外に出て改めてぐるりと回る。

庭園もぐるりと回り、いったん外に出て法堂に向かう。臨済宗にあって、寺の本堂に当たるのは法堂である。札所として拝観するならこちらだ・・ということに改めて気づく。この法堂、天井の雲龍図の特別公開もあり拝観料は別である。まあ、ここに来て別に拝観料を惜しむものではないが・・。

法堂は幕末の兵火で焼け残った建物を明治時代に移築したものである。天井の雲龍図もその時に描かれたが、その後損傷が激しくなったため、現在は平成の作品が掲げられている。八方睨みということで法堂のどこからでも龍の眼を直視することができるが、だからなんやねんという気もする。

正面に釈迦三尊像が安置され、両側には開山の夢窓疎石、開基の足利尊氏の木像が祀られている。あ、札所としての参詣ならやはりこちらだ・・。

拝観を終えて納経所へ。そして朱印帳へは・・手書きの墨書ではなくスタンプである。さすが、インバウンドにも大人気の世界遺産、庶民信仰とは無縁の臨済宗寺院である。まあ、スタンプでも何でも直接いただけただけありがたいと思うしかない。どうせ繁忙期となると朱印帳にスタンプ墨書を押すことすらなく「これを何と読む!!」の対応なのだろう・・・。

これで嵐山の札所をクリアしたことでほっとして、この次は大覚寺である。そろそろ、嵐山駅近辺もインバウンドの連中がゾンビのようにぞろぞろあふれだしており、ここはひとまず脱出だ・・・。

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神仏霊場巡拝の道めぐり~京町家にて七谷地鶏を味わう

2025年02月16日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道めぐり、洛西シリーズは初日が終了。神仏霊場の札所ではないが臨済宗の大本山・妙心寺が経営する花園会館に宿泊。テレビで大相撲初場所の熱戦を観た後、初めてとなる花園での一献である。

妙心寺からJR花園駅方面に向かう。今回グルメサイトで予約したのが「竹とり」という店。築100年以上の京町家の建物を利用しているというので決めた。寺のホテルに京町家での一献。京都らしさ?を「お上りさん」として楽しもう。

店じたいは最近の開業のようで、1階はカウンターとテーブル、2階は座敷。

ここでいただくのは「七谷地鶏」。亀岡の七谷川のほとりで完全放し飼いで育てられた地鶏で、餌もフランスの基準に沿って抗生物質、化学調味料を一切使用していないという。「幻の地鶏」という評価もあるそうだ。「竹とり」はその養鶏業者の直営店である。

メニューを見ると、とにかく七谷地鶏を余すところなくいただけるのがわかる。複数人ならコース料理がよいだろうが一人なのでそこは限られる。焼きものは後にするとして、まずはメニューで目についた刺身盛り合わせをいただく。むね肉、もも肉、ささみ、レバー、ずりと豪華な顔ぶれ。七谷地鶏の直営店だからこそで、店の横で捌いているとのこと。

店の一番人気、おすすめである卵黄タレつくね。焼きもので使っているのは嵯峨野らしく竹炭である。性能的には備長炭に勝るとも劣らないという。

この他にも焼きものをいただく。定番どころの盛り合わせも歯ごたえあり、しっかりした味がする。

またメニューには希少部位も並ぶ。これも直営店ならではであろう。ここで目に入ったのはトサカ。トサカって、頭の上のあの場所だが、そもそも食べることができるものなのか。メニュー紹介では「ヒアルロン酸、コラーゲンたっぷり 不思議な食感」とあるが・・。

出てきたのはこちら、形はトサカそのものである。そして食感は、(個人の感想として)エリンギのようである。私は初めていただいたが、後で知ったところではフランス料理で使われたり、国内でも地鶏の産地で食べられているという。ただ、それこそ一羽で一つしか取れないこともあり広く出回ることもないそうだ。

そしてこれも初めてとなるのが、焼き白子。白子といえば魚のタラやフグのイメージだが、鶏にも白子があるのか(生物学的にあるのは理解できるが、それを食べるという発想はなかった)。なかなか濃厚な味だった。

締めは七谷地鶏の卵かけごはん。味については言わずもがなだろう・・。

満足して店を後にする。地図で見る限り、花園駅近辺にコンビニがないなと気になっていたが、来てみると花園駅の高架下にデイリーヤマザキがあった。ここでいろいろ仕入れて花園会館に戻り、部屋での二次会である。

再度大浴場に入った後、和室にてくつろぐ。書棚にある「禅文化」の一冊を手にしてみる。特集「日本人と『般若心経』」とある。かつて文字の読めない人向けに広まった「絵心経」の紹介や、般若心経に関する対談記事や考察文もあり、読み応えある。

その一方で「京都観光コンシェルジュ」も置かれている。ここを京都観光の拠点にするのもいいだろう。

・・さてしっかり眠った翌朝、窓の外に妙心寺の伽藍を見る。京の冬の旅の風情である。まずは朝食前に大浴場で朝風呂とする。

朝食は花園会館のレストランでいただく。寺のホテルではあるが精進料理ということはなく一般の和朝食。小鍋で温める手作り豆腐も美味く、ご飯が進む。

チェックアウトして、朝の妙心寺の勅使門前からJR花園駅に向かう。さて、洛西シリーズの後半2日目の開始である・・・。

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神仏霊場巡拝の道めぐり~一泊は臨済宗大本山・妙心寺前

2025年02月15日 | 神仏霊場巡拝の道

洛西をめぐる今回の神仏霊場巡拝の道めぐり。前編では大原野神社、松尾大社、車折神社と神社が続き、妙心寺の南側の門前に到着。

妙心寺は臨済宗妙心寺派の大本山。天龍寺と違って神仏霊場めぐりの札所ではないが、広大な境内を有しており、洛西にあって存在感は大きい。ここを訪ねるのは初めてである。臨済宗は私にとってはあまり馴染みのない宗派なのだが、全国にある臨済宗寺院約5600ヶ所のうち、3分の2以上の3400ヶ所が妙心寺派ということで最大勢力を占めている。

この地には元々、鎌倉時代~南北朝時代の花園上皇の御所があり、後に落飾して法皇になるにあたり、禅寺に改められた。妙心寺の開基は花園法皇、開山として招かれたのは関山慧玄である。後に室町3代将軍・足利義満の怒りを買って寺領を没収されたり、応仁の乱で伽藍が焼失したりという歴史があったが、江戸時代に復興し、現在にいたる。現在も周囲には多くの塔頭寺院が並ぶ。

まずは朱塗りの山門に出会う。こちらは慶長年間に建造されたもの。

その脇に浴室があり、「明智風呂」の案内がある。明智光秀の菩提を弔うために創建されたもの。本能寺の変の後、光秀は僧侶だった叔父を頼って妙心寺に逃げ込んだとの言い伝えがあるそうだ。

続いて仏殿、法堂が並ぶ。先ほどの三門と合わせて縦に並ぶ様子も堂々としたものである。ただ、臨済宗の大本山ということもあり、庶民信仰というよりは修行の場、学問の場といった雰囲気が強い。

江戸時代前期の再建である法堂の天井には、狩野探幽が8年の歳月をかけて描いた雲龍図がある。法堂のみ拝観が可能とのことだが、残念ながら受付時間を過ぎたところだった。妙心寺に来る前、バスの系統を間違えて回り道したロスタイムがここで影響したようだ。まあ、立派な伽藍を見ることができてよかった。

さて、神仏霊場の札所でもない妙心寺をわざわざ訪ねたのは、この日の宿泊のためである。妙心寺に隣接する形で(この一帯は妙心寺と関連するところが並ぶが)建つのが、花園会館。「臨済宗妙心寺派 お寺のホテル」とある。宿坊ではなく一般の宿泊施設だが、旅行の予約サイトで見つけ、今回のコースでドンピシャと思い予約した。これまで貯まっていたポイントを使うことで安く利用できたのも大きい。

ロビーも広々としている。売店はお菓子や土産物のほか、妙心寺派の直売店ということでやはり仏具関連の品物が多数扱われている。

今回利用するのは10畳の和室。さすがは「お寺のホテル」で、テレビの下の書棚には仏教、特に禅関連の書籍が置かれている。

ちょうど窓の向こうには、先ほど訪ねた妙心寺の伽藍が並ぶ。たまたまその方向の部屋に当たったわけだが、こうした形で京都らしさを感じられて思わずうなってしまう。

花園会館の売りの一つに大浴場がある。チェックイン後、まずは入浴である。さすがに夕方の早い時間なので他に客もいない。温泉ではないが浴槽の外には庭園があり、その眺めを楽しむことができる。

入浴後、ちょうど14日目を迎えた大相撲初場所をテレビ観戦。場所中に横綱・照ノ富士が引退し、綱取りを目指す2横関のうち琴櫻は早々とその可能性が消え、優勝争いは終盤まで混沌とする状況。この日、14日目の取組では単独トップの平幕・金峰山が勝って2敗を守り、3敗で平幕・王鵬、そして優勝の可能性が見えて来た大関・豊昇龍が続くという展開となった・・。(翌日の千秋楽の取組、王鵬が金峰山に勝って3敗で並び、豊昇龍も勝ったため優勝決定巴戦となり、豊昇龍が連勝で優勝。場所後に横綱昇進となったのはご案内のとおり)

相撲が終わった後、近くで一献ということで外に出る。妙心寺の勅使門は閉じられている・・・。

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京都11番「車折神社」~神仏霊場巡拝の道めぐり・123(芸能人も集うパワースポット)

2025年02月14日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道めぐりの洛西シリーズ。松尾大社からはいったん嵐山を素通りして、車折神社に到着。神社の北は嵐電、そして南はバス停という立地である。

車折神社といえば境内に並ぶ朱色の玉垣、そしてそこに記されるのは数多くの芸能人の名前である。その数は4000枚以上あるそうで、駐車場の周りにも及んでいる。その中で有名な人や、自分が推している人を見つけるのも神社での楽しみとなっている。

それにしても、「芸能人」の定義って何だろう。「芸能を職業としている人の総称」とされるが、「芸能」の定義もこれまた広い。演劇、音楽、映画、演芸、舞踊・・いろいろ連想するが、それを「職業としている」となるとどうだろうか。もちろんそれで食べている、あるいは巨額の富を得ている人もたくさんいるが、全体で見るとごく一握りというのが実態だろう。生活のためにアルバイトを掛け持ちしているとか、いや逆にアルバイトの空き時間に芸能活動をしているとか・・。

目につくのはやはりテレビで見かける俳優、歌手、アイドル、お笑い芸人だが、アナウンサーやスポーツ選手の名前も見える。もっとも、全体をぐるっと見渡すと玉垣に書かれた名前のほとんどは知らないもので(やはり有名な人とそうでない人で、掲げられる場所にも差があるのかな)、「芸能人ってこんなにたくさんいるの?」とも思ったが、私が存じ上げないだけでその界隈では人気の芸能人もたくさんいることだろう。

ユーチューバーも今では「芸能人」というくくりのようである。

ここで触れておくと、これらの玉垣に囲まれた一角は車折神社のあくまで境内社扱いの「芸能神社」である。建てられたのは昭和32年のことで、「古事記」の天の岩戸伝説で知られ、芸能・芸術の神として信仰される天宇受売命を祭神としている。それ以降、車折神社といえば・・ということでテレビや雑誌の取材も数知れず入り、玉垣を奉納した芸能人がその様子をSNSにあげることでまた人気を集めて・・となっている。

この玉垣奉納はプロ・アマを問わず、芸能・芸術・技芸の全ジャンルにわたり申し込むことができる(あくまで本人、もしくは本人から正式な許可を得た代理人に限る)。そうなるとハードルは結構低く、「今は全く売れていないが、売れることを祈願して奉納する」というのはあり、いやそういう人が大半だろう。

さて、芸能神社の先にある(というのも変な言い方だが)車折神社の本殿。平安後期の漢学者・儒学者である清原頼業を祭神としている。頼業が亡くなった後、所領があった現在地に廟が建てられ、宝寿院という寺として開かれたのが始まりである。宝寿院は室町時代に天龍寺の末寺となり、その中にある廟が車折神社として信仰されたのは江戸時代に以降とある。明治の神仏分離で衰退したが、富岡鉄斎が宮司となり再興、現在にいたる。そして現在は先に触れたように芸能人が多数訪れるように・・・。

今回、南のバス停から境内に入ったから先に芸能神社に触れたのだが、北の電停から境内に入るのが車折神社の正統なお参りと思われる。こちらから入ると出会うのがパワースポット「清めの社」。厄除け、八方除けのパワーが秘められているという。

そして本殿で手を合わせる。こちらにはパワーストーン「祈念神石」があふれている。車折神社は石に対する信仰が篤く、パワースポットとして訪れる人も多いそうだ。そのうえで芸能人にあやかりたいとなると・・。

再びバスに乗り、この日の宿泊地に向かう。途中で間違った系統のバスに乗ったことに気づいて回り道をした後、降り立ったのは、臨済宗の大本山である妙心寺前・・・。

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京都7番「松尾大社」~神仏霊場巡拝の道めぐり・122(言わずと知れた酒の神様)

2025年02月13日 | 神仏霊場巡拝の道

初日の早朝に広島を出発したのだが、今回私が目的地とした洛西エリアの7ヶ所のうち、最初の大原野神社を訪ねた時点で午前中は終了。まあ、東向日駅前の餃子の王将で昼食に時間をかけたのもあったのだが・・。

結構腹が膨れた後、阪急京都線で桂に移動。嵐山線に乗り換える。使用されているのはかつて京都線の特急で活躍していた6300系である。現在は4両編成で内装も改造され、往年のエースが余生を楽しむかのようにのんびり走るが、嵐山という京都有数の観光地へのアクセスで活躍している。

松尾大社で下車。駅名にもなるくらいだから、今回2ヶ所目となる松尾大社へはすぐである。なお、駅名は「まつおたいしゃ」だが、神社として正しくは「まつのおたいしゃ」と呼ぶとのこと。「の」の使い方、難しいですな。

松尾大社の祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、中津島姫命であるが、始まりは藤原京の時代、渡来系の秦氏の氏神として、松尾山をご神体として開かれたという。平安京遷都以後は、現在の上賀茂神社、下賀茂神社とともに都の鎮護社として信仰を集めた。

現在、松尾大社という言葉で連想するのは酒の神様。境内には京都だけではなく全国各地の酒樽が奉納されており(中身が入っているかどうかはわからないが)、圧巻である。渡来系の秦氏が酒造りの技術を持っていたという伝説に由来するもので、その信仰が広まったのは中世以降とされている。

手水鉢や灯籠には奉納した酒造りの人たちの名が見られる。

まずは正面の拝殿に向かう。奥の本殿は室町時代に再建、戦国時代に大改修が加えられ(実質、この時に改めて造営されたとされている)、松尾造と呼ばれる構造とのこと。ここで願うのは何だろう、やはり「美味しいお酒がいただけますように」となるのかな。そのためには自身による健康管理が大切なのだが・・(マジで断酒になったらシャレにならん)。

社殿の背後にある亀の井に向かう。松尾山からの湧水の泉で、この亀の井の水を酒に混ぜると腐敗しないと言われており、各地の酒造りの人たちがこの水を持ち帰る風習が今もあるそうだ。松尾大社が酒の神と崇められるゆえんである。なお、亀は松尾大社の神の使いとされている。

その奥には霊亀の滝というのがある。現在の松尾大社とはまた違った、かつての磐座信仰に近づいたように思わせるところである。

松尾大社には他にもかつての神仏習合の歴史を伝える神像館や、昭和の作庭家である重森三玲が曲水の宴をイメージして造営した庭園があるが、そこは割愛した。

その代わりに立ち寄ったのが、楼門を出たところにある「お酒の資料館」。入口に杉の玉と杉の樽が置かれていて、「こっちこっち」と誘っているかのようだ・・。

「松尾の神はお酒の神様」ということで、古来からの松尾大社と酒造り、そして信仰の歴史が紹介されている。

見学後、併設の売店でせっかくなので日本酒の300ml瓶と、しば漬のパックを土産で購入。酒のラベルには「酒神まつのを」とあるが、造っているのは伏見の酒蔵である。酒の神は桂川の西にある松尾大社に鎮座するが、この辺りには酒蔵がなく、昔から京都の酒どころといえば伏見となっている。それは水質や酒造り、その後の流通がより適していたからであるが、それでも千年以上の信仰の歴史があるとは、松尾大社はよほど特別な存在なのだと感じる。

さてここからだが、当初のイメージでは阪急嵐山線で嵐山まで出て、渡月橋を渡って天龍寺に参詣、そして嵐電で車折神社へ・・というものだったが、嵐山=国内外、特にインバウンドの客で混雑、雑踏・・という先入観があり、このまま天龍寺に向かうのに躊躇するところがある。

駅に戻る時、交差点にあるバス停が目に入った。そこでバスの系統を見ると、ここから電車ではなくバスに乗り、天龍寺はパスして車折神社に先に行くのがよいかなという気になった。ちょうど2~3分で京都バスの便が来るようで、こちらに乗車する。

バスは途中渡月橋から嵐電嵐山駅のエリアを過ぎるが、やはり雑踏である。この日は京都市内に宿泊するので、天龍寺は翌日、まだ観光客が動き出す前の早い時間に参詣すればいいだろう・・・。

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京都6番「大原野神社」~神仏霊場巡拝の道めぐり・121(洛西、大原野へ)

2025年02月12日 | 神仏霊場巡拝の道

今回の神仏霊場巡拝の道めぐりは洛西にある7つの札所を2日間でめぐるルート。まず下車したのは阪急京都線の洛西口駅。開業は2003年と阪急の中でも新しく、周辺の開発もまだまだ進められている一帯である。ちょうど京都市と向日市の境界に位置している。

これから向かう大原野神社だが、以前に西国四十九薬師めぐりの際に一度訪ねたことがある。薬師霊場の正法寺、勝持寺を訪ねた際、近くにある大原野神社にも立ち寄った。その時は阪急の東向日から阪急バスで善峯寺まで上り、その帰途に灰方で下車し、徒歩でこれら寺社をめぐり、南春日町から阪急バスで東向日に戻った。その南春日町へはJRの桂駅から洛西口駅を経由する便があり、今回はこれに乗ることにする。

洛西口から乗ったのは私を含めて3人だけだったが、団地や住宅地が広がる一帯に入り、洛西バスターミナルに到着すると地元の人たちで席が埋まるくらいの乗車があった。京都市街へ向かう系統のバスが乗り入れるほか、ちょうど商業施設が隣接しており、地元の人たちにとっては日常的に利用しているのだろう。

住宅地と竹林が入り交じる中を走り、南春日町に到着。大原野神社へは歩いて5分ほどである。大原野神社の鳥居の前には、西国四十九薬師めぐりで訪ねた正法寺がある。

鳥居をくぐって参道を歩くと、鹿があしらわれた灯籠が並ぶ。また「神鹿苑」の碑もある。かつてここでは鹿を飼育していたそうで、鹿が神様の使いといえば・・どこかで聞いたことがあるぞ。春日大社だ。

大きな案内板がある。「紫式部 氏神のやしろ」とあり、これも鹿をキャラクター化した藤原道長、紫式部のイラストが描かれている。昨年(2024年)の大河ドラマにあやかってのことのようだ。

大原野神社は藤原氏の氏神である春日大社の4柱の祭神を勧請する形で、桓武天皇が長岡京に遷都した際に開かれたという。都が長岡に遷った後、奈良まで参拝に行く不便さを解消するためと言われている。現在地に社殿が設けられたのは平安初期の頃とされる。その後、藤原氏に女の子が生まれるとその子が皇后や中宮になれるよう祈願し、それが叶うと行列を整えて御礼参りをしたそうだ。

紫式部も藤原氏の出で大原野神社を篤く信仰しており、「源氏物語」でも帝が大原野神社に行幸する場面が描かれているとのこと(案内板による)。その後は藤原氏の力も衰え、応仁の乱の後は荒廃したが江戸時代の後水尾天皇の頃に復興し、現在に至る。

巻物をくわえた鹿の像がある手水場にて手を清め、参拝である。拝殿ではちょうど祈願が行われているところで、それに合わせる形でお参りとする。

朱印をいただく。ちょうど節分の前ということで、厄除開運の福豆も並ぶ。一袋買い求めるとくじが1回引けるとあり、それを開けると中には「海老」とあった。「はい、海老ということでこちら、えびせんをどうぞ」と、かっぱえびせんの小袋をいただく。福豆とかっぱえびせん・・ちょっとしたアテにいいだろう。

境内の一角に「神相撲三百年記念碑」があり、その奥に土俵がある。大原野神社の神相撲とは、毎年9月の御田刈祭で奉納される相撲で、昔からの作法、しきたりに沿って行われるそうだ。

相撲といえば、先ほど朱印と福豆をいただいた時、社務所の窓ガラスの一角に力士のサインが掲げられていた。その名は若碇。つい最近十両に昇進した力士である。父親は元・大碇の甲山親方で、若碇自身は東京で生まれ育ったがプロフィールは父親と同じく、ここ大原野神社がある京都市西京区を出身地としている。京都府出身の力士というのもなかなか少ない中、これからが期待の力士である(ちょうどこの初場所、十両の優勝争いに加わっていたが終盤の取組で負傷、そのまま休場となったが・・)。

復路は発車のタイミングがよかった阪急バスに乗り、東向日に出る。この日は駅前の餃子の王将で昼食として、再び阪急に乗る。次は京都7番・松尾大社に向かうべく桂で阪急嵐山線に乗り換える・・・。

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