まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

広島新四国八十八ヶ所めぐり~弥山下山の後は・・・膝が痛かったが締めの一献

2024年11月28日 | 広島新四国八十八ヶ所

11月17日、弥山の山頂から弥山本堂に着き、長い期間かかった広島新四国八十八ヶ所めぐりも結願となった。霊火堂にて1200年以上「消えずの火」で沸かした茶釜の霊水をいただき、これから下山である。

4年前に弥山に登った後は獅子岩まで歩いてロープウェーに乗ったのだが、今回は紅葉谷コースの登山道を歩いて下ることにする。弥山への登山コースの中でもっともアクセスしやすいとして、特に歩いて山頂を目指す人たちにお勧めという。大聖院コースより歩きやすいのかな。ロープウェーとの分岐点から紅葉谷公園まで1.8キロという表示を見て、下りに入る(もっとも、ここから弥山山頂まで0.7キロとあったから、登山口からの距離でいえば大聖院コースとさほど変わらない)。

自然の石で形成された石段を下るが、目につくのは倒木、そして荒々しく存在する岩の数々である。あくまで個人の感想だが、大聖院コースは石段が多くきつかったが、大聖院を経由して奥の院、山頂を目指す昔からの参道として整備されており、歩きにくいというところはほぼなかった。一方の紅葉谷コースは自然の登山道の名残だろうが、規則的な石段はなく道も凸凹していて・・。

上りがしんどいのは心肺機能、そして下りがしんどいのは脚に来ているという。私もこのところ体重は減っているのだが、下るうちに脚・・というより膝の部分が痛くなってきた。体重は減ったのはいいが、年齢とともに筋力も落ちたのを実感する中、持参のトレッキングポールが重宝した。これがなかったら・・。

とはいえ、歩数を重ねる中でさすがにしんどくなった。途中から紅葉谷公園までの丁石ではなく案内板が現れるようになり、それを励みに下っていく。

そしてようやくなだらかな坂となり、前方に紅葉のスポットが現れた。ここに来てホッとするが、一方で膝から下の痛みも強くなってきた。

その中、紅葉谷の一角を歩く。

厳島神社まで戻って来た。高潮のため参拝を停止してから4時間あまりが経過した後だが、その時とは打って変わって潮が引いている。さすがに大鳥居の下まで歩いて行けるほどではないが、回廊を支える柱も見える。大聖院に参詣、弥山に登山、そして下山した後で対照的な景色を見ることができるのも面白い。まあ、今回は参拝はいいかな。

その代わり・・ということで、広島新四国八十八ヶ所めぐりの結願、そして弥山登山後のお楽しみということで、一献としよう。観光客、参拝客で賑わう参道を歩く。

まず訪ねたのが宮島ブルワリー。1階のスタンドでは気軽に味わうことができ、3種類の飲み比べセットを注文。同じく登山帰り、あるいは外国人観光客もスタンドの雰囲気を楽しんでいる。私はようやく腰を下ろすことができてほっとする・・。

続いて訪ねたのが「杓子の家」。買い求めた杓子に名前を入れてくれる店であり、必勝祈願、優勝記念の巨大杓子が飾られている店。この一角にドリンクスタンド「ネコモシャクシモ」がある。こちらでは広島レモンを加えた桜尾ジンのソーダ割をいただく。桜尾ジンとは同じ廿日市市にある地元の酒造メーカーのブランドで、これもある意味広島の「地酒」である。

さらにハシゴして・・広島レモンが主役のカクテルバー「GEBURA(ゲブラ)」へ。広島名物の牡蠣の横にちょこんと添えられているレモンを主役に抜擢したというのがコンセプトで、オリジナルのレモンシロップがいい味を出している。ちなみに「ゲブラ」とはオランダ語で「兄弟」という意味だとか。こちらのドリンクはテイクアウトしてもいいし、店内でいただいてもいい。

こちらでは店内に桜尾ジン、桜尾ウイスキーをはじめとしてサントリーの各醸造所の便がずらり並ぶ。お好きな方にはたまらないだろう。

この「ゲブラ」の面白さは、最初にいただいたカップを注文口に持って行くと、800円以下のドリンクが200円でおかわり(しかも何杯でも)できるというもの。また「ゲブラ」は島内に3店舗あり、どこの店でおかわりしてもよい。このシステムは観光客にも結構知られているようで、注文口には結構な行列ができていた。

さすがに札所めぐりよろしく短時間で3軒めぐるとよい心持になり、ぶらぶら歩いて宮島桟橋に戻る。

復路は変化をつける意味で松大フェリーに乗る。広島市内方面の景色を眺めるならJR宮島フェリーよりおすすめである。

宮島でそれなりの時間を過ごした。このまま広電に乗り、そのまま高須まで揺られる。

・・・これで、広島新四国八十八ヶ所めぐりも結願となったが、実はこの後、番外霊場が残っていた。平和記念公園内の原爆供養塔である。こちらは真言宗にとどまらず宗派の枠を超えて、原爆の犠牲になられた方々の慰霊と世界平和を祈願して番外としているという。

札所としては結願したが、やはり最後はこの地を訪ね改めて平和を祈願することにしよう・・・。

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第88番「弥山本堂」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(最後に願うは世界平和)

2024年11月27日 | 広島新四国八十八ヶ所

大聖院から弥山山頂まで到達し、いよいよ第88番・弥山本堂に向かう。ここからは下りだが、弥山山頂に向かういわば表ルートということで、国内外の多くの観光客、登山客とすれ違う。本格的なハイキング姿の人もいれば、それこそ手ぶらで・・という人までさまざま。まあ、弥山で道に迷うとか遭難するということはほとんどないのだろうが、何も持たず標高500メートルまで上がって来るというのはさすがに無謀では・・。

その中でくぐり岩を上からくぐり、不動岩にも立ち寄る。弥山というところ、それこそ至る所に祈りのスポットがあるが、かつての修行の場の名残がうかがえる。

「皇太子殿下大正十五年五月御播種松」と刻まれた石碑がある。大正時代の皇太子だから後の昭和天皇だが、大正十五年といえば大正最後の年。この7ヶ月後の12月に大正天皇が崩御し昭和元年となったから(この当時はすでに摂政に任ぜられていたが)、時代の移り変わりを今に伝えるスポットといえる。

観音堂、文殊堂を経て、三鬼堂に到着。先ほど訪ねた大聖院の摩尼殿と同じく三鬼大権現を祀る。せっかくなのでお堂に上がり、ここでもお勤めとする。お堂の内部には眷属である天狗の額が奉納されている。明治時代には伊藤博文もたびたび参詣したそうだ。

そして弥山本堂、霊火堂の一角に下りる。弥山でも人気スポットであり、ここで休憩を取る人もあってベンチも賑わっている。平安時代初期、弘法大師空海が訪れてこの山を弥山と名付け、百日間の求聞持法の修行を行ったのが始まりで、阿波の太龍寺、高知の室戸岬と並ぶ三大道場の一つとされる。

本堂には平安時代に平宗盛が寄進した梵鐘、さらに「平清盛公 祈りの鐘」が安置されている。後者は鐘というよりは巨大なお鈴だが、平清盛生誕900年を記念して奉納されたもので1回500円で鳴らすことができる。

広島新四国八十八ヶ所は同じ宮島の大願寺から始まり、広島近郊を行ったり来たりして、最後は歴史的スポットで結願となる。本尊虚空蔵菩薩を前にしてのお勤めとする。途中、空白期間も多かったがこれで結願である。札所をきっかけに、広島市内でも訪ねたことがなかった多くの土地を回ることもでき、2度目に住むことになった広島の地の理解、発見も深まったことである・・。

そして向かいにある霊火堂へ。弘法大師空海が弥山で修行した際に焚いた護摩の火が1200年以上燃え続けている「消えずの火」。この火は広島平和記念公園の「平和の灯」の種火でもあり、広島新四国八十八ヶ所開創の主旨でもある世界平和への祈り、願いが込められている。その火に掛けられた大茶釜の中の霊水をいただく。

さてこの後だが、紅葉谷コースを伝って下山としよう・・・。

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広島新四国八十八ヶ所めぐり~大聖院から弥山頂上へ

2024年11月26日 | 広島新四国八十八ヶ所

宮島のシンボルである弥山、広島新四国八十八ヶ所の結願となる第88番は弥山本堂である。先ほど大聖院にいたため、そのまま境内横から大聖院コースをたどることにする。前回弥山に登った時もこのコースからだった。

まずは鳥居をくぐり、石仏も並ぶ坂道を歩く。確か弥山の山頂までは二十四丁の距離、およそ2.6キロメートルといったところだ。まずはゆるやかな坂道。

このコースでまず目指すのは白糸川から流れる白糸の瀧。その途中、瀧不動堂、瀧宮神社を通る。ちょうど行楽シーズンということもあり、外国人を含め、下りの参詣者とよくすれ違う。紅葉谷コース、あるいはロープウェーで頂上まで行き、下山は大聖院コースというところだろう。

瀧宮神社を過ぎると石段が続く。山頂まで続くその数は2000段以上という。前回登った時は登山口にあった木の杖を借り、ロープウェー乗り場で返したように思うが、今回は自宅からトレッキングポールを持参している。関西の札所めぐり用として買ったのはいいが、これまで実際に使用したのは1~2回ほどで、久しぶりの出番である。今回、このポールがなかったら大変なことになったかもしれなかったのだが、それはもう少し後の話。やはり年を取っての4年ぶりというのは大きく、また日常の運動もそう多いわけではないので、同じ石段でも前回よりきつく感じる。一応、前の人をペースメーカーにして遅れないようついて行くのだが・・。

六丁のところにある里見茶屋で休憩。この先、再び廿日市市宮島町からの放送が入り、高潮のため参拝を停止していた厳島神社が再開したとのこと。帰りに参拝するかどうかはまたその時に考えよう。

ここからも一丁ごとに石が建つが、それらも長く感じる。

賽の河原に到着。岩の下が洞窟になっており、いくつもの石仏が並ぶ。弥山というところはさまざまな奇岩が存在し、それが修行の場としてふさわしいと昔の人は考えたことだろう。

やがて大きな一枚岩が見える場所に出る。幕岩である。

1号砂防堰堤に到着。2005年9月の台風で発生した土石流のため登山道の一部も崩れたが、再発防止ということで建造されたもの。世界遺産の景観に配慮して、宮島桟橋や宮島航路からは見えないように計画され、またコンクリートや鋼材が目立たないよう、外部を現地で採取した石で覆うよう造られている。

また元の道に戻り、上りきったところで十字路に出る。駒ヶ林の分岐点で、ここまでちょうど1時間。思ったほどペースは落ちていなかったようだ。

十字路にある仁王門をくぐってからがもうひと踏ん張りである。山頂に近づくにつれ、さまざまな奇岩が現れるようになる。

あともう一息。

そして、紅葉谷コースから見れば裏側から着く形で535メートルの山頂に到達。大聖院を出発して1時間15分、標準ペースより少し早いくらいか。ここまで歩いたのも久しぶりのことだ。さすが行楽シーズン、岩場や展望台に腰掛けて山頂の雰囲気を楽しむ人が多い。

展望台にも上がってみる。元より天気予報は曇りなので周囲の島々の姿を見ることはできないが・・。

私も展望台の休憩スペースでしばらく休む。ちょうど昼食の時間帯だが、手元にあるのはカロリーメイトとかチョコレートといった、どちらかといえば非常食の類。周りを見ると圧倒的に多いのがおにぎり、おむすび。やはり登山の後のおにぎりは格別なもので、宮島桟橋のコンビニで買って来ればよかったなと思う。

登山といえば、このところ「低山登山」がブームというのを目にするようになっている。アクセスがしやすい、初心者でも楽しめるという元々の要素があるのに加え、最近ではかつて高山を目指した中高年層が押し寄せるようになったのも大きいという。NHKの「にっぽん百低山」で、あの酒場詩人・吉田類さんがナビゲーターとして全国の低山を目指し、登山の後の一献を披露しているのも一役買っていそうだ。

さて、これで弥山の山頂には着いたが、目指す弥山本堂はここから下る形。ぼちぼち、歩くことにしよう・・・。

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第87番「大聖院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(無限のご利益がある宮島の古刹)

2024年11月25日 | 広島新四国八十八ヶ所

厳島神社の高潮による参拝停止というのに初めて遭遇し、その後で広島新四国の第87番・大聖院に向かう。こちらの門前にも鹿が集まる一角がある。

大聖院には、中国観音霊場めぐりで訪ねたことがある。まだ大阪にいた時の2020年2月、中国観音霊場めぐり、そしてかねてよりちょくちょく訪ねていた広島行きを兼ねて宮島に渡った。その時は新型コロナウイルスが大流行する少し前で、大型クルーズ船で集団感染が発生したのが注目されていたくらい。ちょうど牡蠣のシーズンということで宮島桟橋では「かき祭り」が行われていた。

今年の猛暑の影響で、訪ねた当日(11月17日)は紅葉の見頃にはまだ早かったが、それでも境内のところどころには色づいた木々が見える。まずは大般若経の経文が書かれた摩尼車を回しながら石段を上がる。途中で鐘をついて御成門をくぐる。

境内は多くの参詣者で賑わっている。七五三の祈願も受付中。まずは本堂にあたる観音堂に上がり、中国観音霊場の本尊である十一面観音に手を合わせる。行基の作とされ、厳島神社の本地仏として祀られたが明治の神仏分離で大聖院の観音堂に移されたという。

歴史を見れば、宮島でもっとも古い寺院は大聖院で、弘法大師空海が唐から帰った後、弥山での修行を経て開かれた。対して厳島神社に社殿が造営されたのは平安時代のこと。いずれも弥山の山岳信仰から発生しているが、大聖院は長く厳島神社の別当寺としての歴史がある。全国的(世界的?)な知名度でいえば、大聖院は知る人ぞ知るスポットの位置づけのようだが・・。

観音堂に上がり、お勤め。こちらはチベット仏教との関連も深い。

観音堂の地下には戒壇めぐりがある。まずは階段で真っ暗な地下に下りる。案内では左手を伸ばし、左手の壁に手を触れて歩くようにとある。その通りに進むと、ほのかに照らされた中国観音霊場の各本尊のパネルが現れる。中国観音霊場は大阪勤務時代に中国地方訪問のネタとして訪ねる中、その途中で広島への異動を命ぜられたというご縁のある札所である。

観音堂向かいの納経所に向かい、広島新四国の朱印をいただく。ただ、ここに書かれた文字を見て「ありゃ!」となる。墨書は「波切不動明王」とある。広島新四国としての本尊は観音堂ではなく、この先の勅願堂に祀られている波切不動明王である。

勅願堂に入る。こちらの波切不動明王は豊臣秀吉の御身仏で、宮島で盛大な歌会をした際に海上安全と戦勝を祈願して奉納したという。こちらでは定期的に護摩行が執り行われている。手前には十六善神、そして堂内には奉納の千体不動が並ぶ。

勅願堂からも数々の仏像が並ぶ。

そして観音堂、勅願堂よりも特別な存在といえるのが、三鬼大権現を祀る摩尼殿。三鬼大権現とは天狗信仰、山岳信仰の中で強力な神通力を持つとされており、福徳、知恵、降伏の徳を司る三つの鬼神が祀られている。それぞれ大日如来、虚空蔵菩薩、不動明王を本地仏とする。元々は弥山頂上近くの奥の院で祀られていたが、明治の神仏分離で大聖院に移されている。

そして大聖院境内の最も奥にある大師堂に到着。「ようやく上り切ったか」という感じで他の参詣者もここから振り返り、厳島神社や海の方向を眺める。この景色も厳島神社ほどではないが宮島らしいところである。

大師堂を囲むように奉納の大師像、西国三十三所、一願大師、稚児大師と、こちらも長年の信仰の篤さをうかがわせる。

その大師堂の下は遍照窟。四国八十八ヶ所や十三仏などのお砂踏みができ、大聖院の中でもパワースポットとして知られている。一つ一つの真言を唱えつつ、無事に結願する。

ここで折り返しとする。その帰路もこれでもかというくらいの仏像が並ぶ。大聖院を一回りするだけでありとあらゆるご利益をいただける気分になる。

御成門を出て、五百羅漢が並ぶ参道を下る。いずれも表情が豊か。五百羅漢といえば必ずこの中に自分自身、あるいは身近な人に似た顔の羅漢がいるとされる。現在のAI技術なら表情のバリエーションをもっと増やした羅漢像が造れるのかもしれないが・・。

さて、これで広島新四国八十八ヶ所めぐりも最後の第88番・弥山本堂を残すだけとなった。当然、この先の弥山へ上ることになる。もっとも楽なルートは紅葉谷公園からロープウェーに乗るのだが、やはり紅葉シーズンということで事前の予約が必要である。もっとも、ロープウェーを下車した後も坂道を上る必要がある。

また、現在大聖院にいることから、上るとすれば自ずと「大聖院ルート」となる。ある意味、弥山本堂は大聖院の奥の院という見方もできるし、最後の最後に自分の足で弥山を上るというのも広島新四国の結願にふさわしいだろう・・・。

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広島新四国八十八ヶ所めぐり~厳島神社は高潮で参拝停止・・・

2024年11月21日 | 広島新四国八十八ヶ所

今回で結願を目指す広島新四国八十八ヶ所、最後の舞台となる宮島に渡る。第86番の宝寿院を訪ねた後、順路ということで厳島神社に到着。相変わらず多くの参拝客で賑わっている。

この時間は満潮に近いこともあり、海水の量もたっぷりある。

そして拝殿も床すれすれのところまで水位が上がっている。厳島神社を訪ねる時、満潮か干潮かはあえて調べずその時々の景色を楽しむのだが、ここまで水位が高いのは初めて見た。正に、神社が海に浮かんだ状態だ。

現在の時刻は10時前。この日(11月17日)の満潮時刻は10時31分、潮位約381cmとある。

拝殿の入口には長い列ができている。この時季だから混雑しているのかなと見ていると、満潮が近いうえに高潮のため、一時参拝を停止するという話である。そうするうちに参拝受付のところにも海水が入り込む。係の人が「濡れてもいいという方だけ入ってください」と言って、行列の先頭付近にいた何名かは入ったが、その後は「ここで停めます」として規制のロープが張られた。この先1~2時間は入ることができないようで、特にツアー客はこの先の予定にも影響するようで「どうしようか」という感じだった。

厳島神社が高潮で参拝停止になるのは夏から秋にかけて年に数回はあるそうで特段珍しいものではないそうだ。拝殿内も「床上浸水」は想定の範囲内の設計である。ただ、こういう対応を目の当たりにするのは初めてで、遠方から旅行で来て、宮島の滞在時間も限られている人にとっては残念だろう。

いったん、神社の後ろを回り込む形で進む。ここで廿日市市宮島町からとして放送が流れる。高潮のため厳島神社は拝観停止ということを、日本語と英語でアナウンス。再開時には改めてお知らせするとのことだ。1~2時間くらい後の見込みで、別に島の歩道が浸水したわけでもないので商店街で早めの昼食とか買い物やらに充てればちょうどいいだろう。

反対側から神社の拝殿を眺める。

今回は厳島神社というより広島新四国の大聖院、そして弥山本堂が目的地。宝物館で貴重な史料を見学した後、真言宗の有力寺院である大聖院を目指すことに・・・。

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第86番「宝寿院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(結願に向けて宮島へ)

2024年11月20日 | 広島新四国八十八ヶ所

コロナ禍中の2021年の正月に始めた広島新四国八十八ヶ所めぐり。2度目の広島勤務、それまで訪ねたことがないスポットが多い中、札所めぐりをきっかけにして広島近郊をいろいろ回ることもあって巡拝してきたが、ある時は集中して回ったかと思えば何ヶ月もブランクがあったりもした。ただ、2024年も残り少なくなる中、年内に結願はしておこうと思う。

残る札所は3ヶ所。いずれも宮島島内にある。厳島神社の拝殿を出たところにある第1番・大願寺から巡拝を始めたのが2021年の元日だったから丸4年近くになるが、第86番・宝寿院、第87番・大聖院、そして第88番・弥山本堂である。最後の弥山本堂へはロープウェーもあるが登山のスポットであり、広島新四国も最後に最難関を持って来たものである。

11月中旬といえば紅葉のイメージだが、このところ平均気温が高くなっているためか、見頃にはまだ早いようである。それでも今後のスケジュールを踏まえ、17日の日曜日に出かける。降水確率は低いが天気予報は曇りで、弥山の山頂から遠くの景色を眺めるのは厳しいだろうが・・。

自宅からなら広電宮島線でトコトコ行くところだが、まず往路はJR山陽線に乗り継ぐ。車内は日本人よりも外国人のほうが多いのではと思うくらいの人出である。外国人旅行客といっても、見かけるのは半島や大陸より西洋人が圧倒的に多いのが広島の特徴といえる(やはり被爆地「ヒロシマ」というのはアジアより欧米のほうで意識されていることなのだろう)。

車内のほとんどの客が宮島口で下車し、宮島フェリー乗り場に向かう。外国人観光客のほか、弥山に登るらしいハイキング姿の人も目立つ。

フェリー乗り場の前には広島の酒が味わえるテントが出ている。帰りに立ち寄ってみようかな。

JR、松大汽船ともひっきりなしに運航しているが、宮島口から宮島に渡るのなら、厳島神社の大鳥居に近いところを進むのでJRフェリーがおすすめである。遠目に見たところ、この時間は潮が満ちている状況で大鳥居、神殿も海に浮かんでいるように見える。ネットを見ればあらかじめ干潮、満潮の時刻もわかるのだが、そこはあえて下調べせず、訪ねた時のお楽しみとするのがよいだろう。

約10分の乗船で下車。早速多くの観光客で賑わっている。

さて、まず目指すのは広島新四国第86番・宝寿院。ここは厳島神社への参道からいったん外れ、ローソンの横からみなと隧道を抜ける。この先、町家通りに続く道である。

隧道を抜け、先に訪ねた第72番・存光寺の門前に立つ。札所順で回る広島新四国、この番号だけ飛地のように宮島にあったのでフェリーで渡って訪ねたが、山門の改修工事中だった。それも完成したようで、まだ新しい門の格子が出迎えてくれる。

そして坂道を上り、宮島ホテルまことの手前にある山辺の小径を歩く。ちょうど宮島の町家を見下ろす位置で、このままたどっても厳島神社に着くことができそうだ。厳島神社への道のりは海沿い、土産物店沿いがメジャーだが、こういう山辺の小径というのも意外である。

その中、宝寿院に到着。山門の横扉から入るが、出入りの際は必ず鍵をかけるようにとの案内が掲げられている(鍵といっても鎖を引っかけるだけのものだが)。鹿が勝手に入り込まないための対策である。

宝寿院が開かれたのは平安時代、本尊の阿弥陀如来像は、海で光るものを見つけた漁師たちによって引き上げられ、古くから信仰されたものだという。

本堂の横に、裏手に続く階段があるので上ってみる。宮島は古くから神の島ということもあり、死の穢れで神聖な場所を汚してはならないとされているので墓地はないが、こうした供養塔や地蔵像も祀られている。

そして振り返るとちょうど厳島神社の五重塔や豊国神社の屋根も見える。両側をリゾートホテルに挟まれた寺だが、なかなかのロケーションである。

朱印をいただく。

この後は宮島ならではの誓真釣井の一つに出会い、町屋通りから厳島神社を目指す。この景色は人力車の周遊コースにもなっている。

さまざまな店も並んでいるが、桟橋から海沿いのルートに比べれば人出は少なく、昔ながらの風情を楽しめる穴場といえる。

そして厳島神社の境内へ。次の目的地である第87番・大聖院を前に、やはりシンボルである厳島神社に参詣しようとしたが、思わぬ事態に・・・。

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夜の瀬戸内海を横断、呉に帰還

2024年11月18日 | 旅行記G・四国

少し間が空いたが、11月4日の松山行き日帰り旅の最終盤である。柳井から周防大島を見ながらの船旅、三津浜焼き、2代目松山駅舎のさよならイベント、駅前での入浴と一献と盛りだくさんで、19時前に店を後にする。外はすっかり暗くなっているが、この時間から広島に戻るのである。

駅前のフジグランを抜け、高浜線の古町に到着。ちょうど高浜行きの列車が入るところで、そのまま乗車する。まだこの時間だが乗客は少なく、駅ごとに数人ずつ下車する。この辺り、ローカル私鉄らしい。

梅津寺に到着。ホームのすぐ後ろが海というロケーションで、ホーム柵には「東京ラブストーリー ロケ地」の看板があり、ハンカチが結わえ付けられている。このドラマが放映されたのが1991年のことで、もう30年以上経つ。まあ、放送当時も私には縁のない世界の出来事やな・・と思っていたが、まさにこの歳までその通りラブストーリー圏外のまま来てしまっているのも、人間としてどうかと思うばかりで・・。

終点・高浜に到着。数人の客と下車する。駅横から発車のシャトルバスに乗り、松山観光港に到着。当初の予定より早い列車に乗れたので、高浜の駅舎をしばらく見物したり、海岸沿いにぶらぶら歩いてもよかったが、駅員さんの「すぐにバスが出ますよ」の言葉にそのまま乗ることに。

待合室にはそれなりの数の乗船客が待っていた。この後出航するのはいずれも広島(宇品)行きの20時10分発のフェリー、20時30分発のスーパージェットである。どちらを取るか。後発のスーパージェットなら広島に先に到着し、その時間からなら広電を乗り継いで帰宅することができる。一方、先発のフェリーだと広島に着く頃には広電の運転は終わっているため、呉で下船してJRに乗り継ぐ必要がある。ただ運賃はスーパージェットの半分だし、JR乗り継ぎでも西広島から最終の広電に間に合う。そして運航するのは新型「シーパセオ」。ということで、20時10分発のフェリーの乗船券を購入する。

待合室のテレビでNHKで久しぶりに放送の「ブラタモリ」を観た後、乗船の列に加わる。広島からの折り返し便の到着後、結構な数の乗船客が下車する。ちょうど連休最終日、本州方面に出かけていた人たちが帰路に就くところである。松山からの乗船客もそれなりに列をなす。

下船を終えたところで乗船する。陣取ったのは、靴を脱いで上がる「OZASEKIエリア」。一方には桟敷で横になれる「GORONEエリア」もあるが、こちらは早々に埋まった。

それ以外のシートもそれなりに埋まり、出航する。昼間なら屋上の展望デッキに上がって潮風を受けながら景色を楽しむところだが、さすがに夜、それなりに風もある。また、こう言っては失礼だが付近に夜景が広がるわけではなく、航海の途中でデッキに上がることもあったが、長居せずにすぐに船内に引っ込む。

夜ということで船内もウトウトする人がほとんど。「OZASEKIエリア」は3人掛けで、シートに横になる人もいる。私も同じようにしようと思ったが・・無理だった。席の間に固定式の小テーブルがあり、テーブルとシートの間に体を入れて横になるのはさすがに物理的にしんどかったので。

やはり夜のため「移動」の要素が強いなと思いつつ、読書したかと思えばウトウトしたり・・そうこうするうちに呉到着の案内放送が入る。

下船前にデッキに出て、呉の自衛隊基地や造船所の景色を見る。写真が手ブレしているのは仕方ないが、夜の静かな呉港の景色を見ることができて満足である。

22時05分、呉に到着。呉で下船した客のほうが多かったと思う。ターミナルや周辺の商業施設も営業時間を終えてひっそりしているが、その中、下船客は駅に向かって歩く。広島方面へは22時28分発の広島行きがあり、時間には余裕がある。

そしてホームで列車を待つのだが、しれっと「次の22時28分発の広島行きですが、大幅に遅れています。時間の目途はたっていません」とのアナウンス。先ほど、そうした表示や案内は何もなかったが・・。手前の安芸阿賀駅で乗務員に業務連絡を行ったため・・とあるが、何の連絡なのやら。下手したらこの日のうちに帰宅できないかもしれない。ならばフェリーをあのまま宇品まで乗って、タクシーで帰ったほうがよかったのか?いやそれなら合計で「スーパージェット」よりお高くつくことになるし・・。

それやったら改札口で声かけろや、「カスハラ」上等や・・・とも思ったが、そうしたところでどうなるものでもない。ただ呉から西区までタクシーに乗ると1万円でも足りないな・・。

結局、呉には約30分の遅れで到着という案内が流れる。そしてやって来た列車に乗り込む。呉を発車したのは23時前、何とか乗り継ぎで西広島まではたどり着けそうだ。

そのまま西広島に到着し、最後は短距離ながらタクシーの世話になり、日付をまたいだところで帰宅。まあ一応「日帰り」ということで・・。

今回は松山駅を目的地として海を渡ったのだが、そろそろ、本格的な旅先として「次の四国」というのを意識してもよいのではと思う。なかなか機会を得られないのだが・・・。

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松山駅前で岩盤浴と一献

2024年11月14日 | 旅行記G・四国

71年もの間、松山の玄関口として活躍した2代目松山駅のさよならイベントをのぞいた後、やはり松山に来たということで、駅前にある「伊予の湯治場 喜助の湯」に向かう。道後温泉の本館も改修工事を終えたし、NHKでは日曜夜にドラマ「坂の上の雲」の再放送もあることだし、市内電車に乗ってそちらに向かえばいいのだが(この日、それだけの時間はあった)、今回も駅近で落ち着くことに。

温泉じたいが道後温泉郷の最深部から湧き出ているものだし、さまざまな種類の浴槽やサウナもある。ニフティの温泉ランキングで2年連続中四国総合第1位というのをアピールしているが、地元の人たちで常に賑わっている。

四国八十八ヶ所めぐり以来何度か訪ねている「喜助の湯」だが、今回初めて岩盤浴のオプションをつける。入浴後、館内着に着替えて2階の「喜助の蒸」に向かう。薬石のほか、炭、薬草、ミストといった個性的なスペースで憩うことができる。なお、ミストについては30分ごとに時間を区切っての入れ替え制で、利用するにはタッチパネルで予約券を発行する必要がある。

さらに休憩スペースも充実。リクライニングシートもあれば、ゴロンと横になれるところも。土日祝日、一般料金で追加料金1000円で何時間でもいられるのはお値打ちである。さすがの道後温泉にも岩盤浴はないだろう・・。午前中の防予フェリーの桟敷席に続き、午後の岩盤浴でもしばらく横になって休む。

十分満足して「喜助の湯」を後にして、再びJR松山駅へ。ちょうど、大阪行きのJR高速バスが乗車受付中である。大阪までは約6時間の道のり、四国八十八ヶ所めぐりでも利用したなあ・・。グランドリーム車両と2代目駅舎の組み合わせを目に焼き付ける。そして最後にもう一度ホームへ。

時刻は17時、松山駅から少し歩く。駅の高架化とともにその役目を終えた踏切にも立ってみる。このたびの高架化は、駅の東西の行き来がスムーズに、活性化させることも大きな狙いとされている。

向かったのはマンションの1階にある「ぶらぶらある記」。今回日帰りにも関わらず、岩盤浴上がりとして松山駅近くで一献やってから広島に戻ることにした。一応、帰りのフェリーの時間から逆算して、17時の開店直後から入れば一人飲みの時間は確保できると踏んでのこと。ここも、四国八十八ヶ所めぐりで松山に宿泊した夜、一献したことがある。

まずはアサヒのエクストラコールド、そして松山では珍しいホッピーである。ちゃんと中、外と区別して出してくれる。

これに対峙するのは生け簀からすくったばかりというアジの造り。そしてじゃこ天もいただく。

他に名物は、今治流にカリカリに焼いた鳥皮、人気というだし巻き玉子。

これは愛媛料理ではないが、店頭に幟も出ていた馬刺しを注文。赤身とたてがみの組み合わせを贅沢にいただく。「馬刺しは松山に限る」と言ってしまいそうだった。

そして最後のご飯物をどうするか。松山といえば鯛めしだが・・・鯛の切り身を出汁とともにご飯にぶっかける漁師飯の宇和島流と、鯛の切り身(大がかりだとまるまる一尾)を一緒に炊き上げる東予流がある。そして松山市内であれば両方を味わうことができる。前回もそうだったが、今回も後者(メニューでは鯛釜飯)を選択。

それにしてもよく飲み、よく食った・・・。

このまま松山に宿泊できれば最高なのだが、連休最後の夜、明日は朝から仕事という中で広島に戻る。一応時計をチェックしながら一献していたので無事にこの日のうちに帰宅できると思うが・・・。

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2代目と3代目、それぞれの松山駅舎

2024年11月13日 | 旅行記G・四国

11月4日、前の2代目松山駅のさよならイベントに向かうべく、駅前のロータリーに到着する。71年の歴史がある駅舎、私が初めて松山に来たのが大学入学前のことでもう30年以上前のことだが、歴史はもっと古い。

その駅前には「歓迎 東京ヤクルトスワローズ」の幟。スワローズの秋季キャンプ地として定着している松山。この日も坊っちゃんスタジアムで練習が行われていたようだ。今思えば、スワローズファンでなくても予讃線で1駅、市坪に移動して練習見学というのもよかったかな。

みどりの窓口の外窓には71年の感謝を込めた数多くの写真が展示されており、訪れた人たちも懐かしい様子で見ていた。

さてさよならイベントだが、目玉は駅施設内の探検ツアー。もっともこれは早々と満員になったとのこと。また、駅ゆかりの鉄道部品販売もあり、こちらは朝から入場順序の抽選が行われ、また抽選制で販売する部品もあり、その行列の様子は地元ニュースでも取り上げられていたとのこと。一口に鉄道ファン、鉄道マニアといってもさまざまなジャンルに分かれているが、こうした部品を集める「収集鉄」も結構熱心な方々が多い。

その中でかつての1番ホームが開放されており、(鉄道部品ではない)グッズ販売やクイズラリーも行われている。ホームや駅舎を回って5つの問題に答えるのだが、通常この手のイベントだと問題スポットに行けばヒント(というよりほぼ正解)が置かれているのだが、ここのクイズラリーは結構ガチ問題だった。思わずスマホで検索する場面も。その結果か?記念のポストカードをいただいた。

ホームで行われていたのが「バラスト拾い」。留置線を開放し、実際に使われていたバラストを持ち帰ることができるというもの。先着順でオリジナルの巾着袋が渡されたのだが早々に配布完了し、渡されたのは普通のビニール袋。

そして留置線に降り立つ。こうしてホームから線路のレベルに下りて、かつての線路と高架駅舎を見ることができたことでよしとする。ここにいる人もさまざまで、SNSに投稿するのか線路上にキャラクターやバラストを置いてスマホで撮影する人や、考古学者のようにバラストを物色する人などいたが、私はそこまで固執することもないので、まあ、5~6個くらい拾っただけで十分だ。

で、そのバラストだが、イベント参加から1週間以上過ぎた後だがビニール袋に入ったまま自宅リビングの棚に放り出している。石といっても庭石や盆栽の一部にするわけでなく、何か活用する術もなさそうだ。巾着袋に詰め放題に詰めた人たちにもお訊きしたいが、これらのバラスト、収集後どのように活用されているのだろうか・・?

その後もかつての改札口前の景色を懐かしみ(入っていたテナントは軒並み新駅舎には受け継がれず)、いよいよ新駅舎に向かう。今はホームの一部を連絡通路としている。

新しい松山駅舎だが、訪ねた2日前の11月2日、九州から中国、四国で一時特別警報が出るくらいの大雨となったが、その時高架下の一帯が冠水した。線路は高架だが、駅入口はかつての線路より低い位置にあり、こうした大雨も想定されていなかったそうで、設計に問題がなかったかを問う声もあったそうだ。

せっかくなので入場券を購入し、高架ホームに上がる。駅名標には愛媛マンダリンパイレーツ、愛媛FCのロゴが健在。また駅前の景色を高いところから見るのも新鮮である。構内は島式ホームが2本あり、かつての駅のように1本のホームの前後で電車特急「しおかぜ」と気動車特急「宇和海」を乗り継ぐことはないとのこと。対面での乗り換えだけでも利便性は向上する。

改札内の待合室には「台湾交流ギャラリー」がある。JR四国と台湾鉄路管理局は、それぞれ「松山」という駅があることから友好協定を結んでいる。

改札を出て、いったん駅舎の西に出る。まだまだ工事中だが、こちら側も新たな玄関口として整備されるそうだ。

商業ゾーンの「だんだん通り」に向かう。改札を挟んで、飲食店が並ぶ南側、土産物他が購入できる北側に分かれている。前の松山駅では土産物の購入もセブンイレブンの一角でしかなかったが、新しい駅になってさまざまな店舗が新たに出店している。「蛇口からみかんジュース」も松山駅で味わえる。

高架駅に個性がないといえばそれまでだが、やはり現実のこととして利便性、機能性は望まれたことだろう。経営が苦しいJR四国の新たな起爆剤になるかどうか・・。

これで一応新旧の松山駅を見たことにして、もう少し、そして時間の許す限り駅近辺で過ごすことにする。で、道後温泉まで行かず松山駅までゆったりするなら・・・?

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防予フェリーで柳井から三津浜へ

2024年11月12日 | 旅行記G・四国

新しくなった松山駅の見物と気晴らしのため、広島からわざわざ柳井まで移動し、三津浜までの防予フェリーに乗船する。8時50分の出航で、乗船したのは20人くらいだろうか。本州と四国を結ぶ貴重なルートではあるが、ローカル航路である。

船内にはさまざまなタイプの客室がある。前方を向いたゆったりしたシートが基本だが、ソファータイプ、ごろ寝ができる桟敷、そしてデッキでの椅子席など。高浜までの所要時間は2時間半ほどだが、それぞれでゆったりすることができる。

まずは柳井港を後にする。

外に出ると、小型漁船が行き交う一帯。その向こうを山陽線の黄色の電車が駆け抜けていく。海から見る電車というのも新鮮な景色である。こうした位置から列車の写真を撮るというのもなかなかないのでは。朝の瀬戸内を走る下関行きの「WEST EXPRESS銀河」・・はフェリーの時間と合わないようだが。

大島大橋をくぐる。先ほど、この橋の歩道にて多くの撮り鉄の姿を認めたのだが、この時は誰もいなくなっていた。

その後は周防大島と周囲の島々の景色を見つつ、時には桟敷に横になったり、かと思えばまた外に出たり・・。これが夜行のフェリーだったり、太平洋や日本海を航行するフェリーなら多少進んでも景色が変わらないので船内でゆったりするのだが、車窓ならぬ船窓が入れ替わる瀬戸内の島々、いろいろ見てみたい。

意外に落ち着けるのが、左前方の喫煙スペース。ガラス越しながら前方の景色も見えるし、側方は潮風を受けながら航海気分を味わえる。

左に島が見え、そこから小さな島が点在している。奥が柱島だろうか。柱島といえば、太平洋戦争中、島の沖合に停泊していた戦艦陸奥が爆発、沈没するという出来事があった。その原因は人為的なものとしつつも、現在にいたるまで特定できていないという。この陸奥関連の展示施設が周防大島にもある。

この大島、前回の広島勤務時代だからもう20年以上前に一度クルマで回ったくらいだが、他にもさまざまな歴史があり、見どころも多いところ。何なら、島を一周する周防大島八十八ヶ所もあるぞ・・。久しぶりに一周してみようかな。

右手の周防大島、そして左手の情島が前方で少しずつ近づく。どうやらこの間を抜けるようだ。その距離、300~400メートルくらいだろうか。ちょうど山口と愛媛の県境で、ここを抜けると少し海が広く見える。

ここでようやく外の景色も落ち着き、しばらく桟敷にて横になる。桟敷は2区画あるのだがそれぞれ2~3人ずつで広々と使うことができる。

いつしかフェリーは二神島、遠くに中島、そして興居島という愛媛側の島々。一つ一つは小さいのだが、これもある意味「しまなみ海道」といっていいだろう。

そして四国本土。遠くには今度は伊予鉄道のオレンジ色の電車が見える。あちらは高浜、松山観光港を結ぶ路線でちょうど梅津寺に停車したところ。瀬戸内色~黄色~オレンジ色と、鉄道車両の見比べもよいものである。四国に来た実感がする。

三津浜に入港する。古くは「古事記」の時代から登場する港町で、近世では松山藩の海の玄関口となった。明治以降、大型船舶が入港できるように高浜の港が整備されたので玄関口の座はそちら(松山観光港)に譲ることになったが、その後も三津浜は地元密着の港、あるいは漁港として現在も機能している。

ここから伊予鉄道の三津駅まで歩く。以前に四国八十八ヶ所めぐりで柳井から三津浜に向かうルートを取り、三津駅近くのホテルAZに宿泊したことがある。この時は翌日、第52番・太山寺、第53番・円明寺と歩き、JR予讃線の伊予和気に到着というミニコースだった。ちなみに三津から太山寺に向かう途中には、地元出身のプロゴルフの松山英樹選手の父親が経営し、松山選手も幼少の頃からゴルフの腕を磨いた練習場がある。

以前のことを思い出しつつ、三津浜の昔ながらの港町を歩きながら駅に向かう。

さまざまな観光スポットがある松山だが、ここ三津浜も個性的な建物、商店があり、興味のある方にとってはじっくり観て回るに値するところである。

三津駅に到着。ちょうど昼時ということで「三津浜焼き」をいただこう。お好み焼の一種で、広島のお好み焼の元になったとも言われている。前回の四国八十八ヶ所めぐりの時にも訪ねた「日の出」という店に向かう。小ぶりな店だし、予約注文の客もいるので少し待つことに(事前のメニュー確認や、出来上がりの一品以外の店内撮影禁止など、以前訪ねた時と比べて店員の口調含めピリピリした様子が気になるのだが・・)。その間に伊予鉄の電車やら港の景色など眺める。

当初の時間よりも早く呼ばれ、店内に入る。三津浜焼きの特徴として、「台付」としてそばもトッピングするが、広島とは違って紅白のかまぼこ、牛肉、牛脂が加わり、魚粉が隠し味で使われる。また焼き方も、広島の場合は生地の上にキャベツや具材を乗せ、後で別に焼いた麺の上に重ねるのだが、三津浜だと生地の上に先に麺を乗せ、その上に具材を乗せる。どちらが正解というものではないが、焼くスペースということで考えれば三津浜のほうが少なくて済むのかな(その意味で昔風ということで)。

鉄板から直接ヘラで、普通からピリ辛まで複数あるソースとかけながら熱々をいただく。・・・この一品を見たらということで、無条件で瓶ビールを注文する。

このまま港に戻り、柳井まで再びのんびりした航路をたどるのも休日の贅沢かと思ったが・・・ここは当初の目的通り、松山駅を目指すことにする。三津駅に着き、高浜線の電車に揺られて大手町で下車。

そして到着したのが、ここまで71年もの間、松山の玄関口のお役目を終えた駅舎である・・・。

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新しくなった松山駅を見に、まずは柳井港へ

2024年11月11日 | 旅行記G・四国

2024年9月に新たに高架駅舎となったJRの松山駅。四国最大の都市である松山の玄関駅であるが、これまで貨物駅等が隣接する中、駅周辺の再開発の一環として新たな駅が完成。今年の夏、日帰りで松山を訪ねた時はちょうど完成間近だったが、完成後どんな様子か見てみようと行ってみることにした。

これまで71年もの間、2代目として活躍した駅舎(正面の三角屋根が印象的だ)のお別れイベントが11月の連休最終日である4日に行われるとの情報を得た。かつての駅舎内部をめぐるツアーも開催されるとのことだがすでに定員に達したとのこと。それでも、線路の中に入れるイベントもあるようで、新旧の駅舎を見比べるのも今のうちである。

3日から出かけて久しぶりの松山宿泊も考えたが、思い立ったのが直前のこと、しかも連休の最中である。松山市内の宿泊施設もほぼ満室、空いているところも高額である。まあ、駅を見に行くだけなら広島から日帰りで十分だろう。近道なのは宇品、もしくは呉から松山観光港へのスーパージェット、クルーズ船である。

ただ、何が何でも早い時間に松山に着かなくてもいいかなと思う。そこで今回選んだのは、柳井から三津浜への防予フェリー。以前、四国八十八ヶ所めぐりのアクセスとして利用したが、こちらものんびりした船旅が楽しめる。ローカル航路といえるのだが、山口方面からだとこちらの航路が便利である。途中、周防大島の伊保田を経由する便もある。柳井からは山陽線の柳井港が最寄り駅だが、朝の列車のダイヤとフェリーの接続を見ると、柳井港7時49分着で、8時50分発の便まで1時間待ちとなる。次の列車だとフェリーとの接続時間は1分しかなく、またこれを逃すとフェリーは2時間待ち。まあ、鉄道との連絡船ではないので・・。

というわけで、早朝に西広島を発車し、岩国ですぐ接続の下関行きに乗り継ぐ。いつも思うが下関方面への乗り継ぎ、待ち時間が少ないのはよいのかもしれないが、接続1分というのは慌ただしく感じる。乗り込むのはクリーム地に青帯の瀬戸内色。一度目の広島勤務時、電車通勤時ではおなじみの塗色だった。

岩国から先の区間に乗る際は海の景色を楽しみに進行方向左側に陣取るのだが、この日は高校生も結構乗っていて席が埋まっていた。そのため右側に腰掛ける。まあこの後、いやというほど海の景色を眺めることになるので・・。そのうち周防大島を左に見て、大島大橋の下をくぐる。山陽線の中で人気の撮影スポットで、橋の上の歩道に撮り鉄が群がっている。お目当てはこの瀬戸内色のようだ。

柳井港に到着。フェリー乗り場は国道を挟んだ向かいにある。出航まで1時間、待合室でしばらくのんびりと過ごすことにする。今手元にあるのは、向かいの周防大島出身の宮本常一の民俗学の書物。

柳井からは三津浜のほか、周防大島の南に浮かぶ平郡島、室津半島の先にある祝島へのフェリーも出ている。この時は8時30分発、1日2往復だけの平郡島行きのフェリーの乗船案内があった。平郡島、フェリー乗り場にあった観光パンフレットを見たが、瀬戸内にあって南の島の雰囲気を楽しめるところだという。朝の便で渡り、夕方の便で戻るという楽しみ方もできそうだ。

そろそろ時間となり、三津浜行きのフェリーに乗り込む。これから2時間半あまりの船内、のんびり過ごすことに・・・。

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大阪1番「住吉大社」~神仏霊場巡拝の道めぐり・116(七五三と五大力、そしてミナミで憩う・・)

2024年11月09日 | 神仏霊場巡拝の道

今回の神仏霊場巡拝の道めぐりの目的地である住吉大社に到着。これまで何度か参拝したことがある神社だが、札所めぐりとなると気持ちも改まる。

その昔はこの辺りが大阪湾の海岸線で、住吉大社は住吉津、難波津とも関係し、港や航海の守り神として信仰を集めた神社である。まずは立派な石灯籠の並びを見る。

ちょうどこの時は露店の蚤の市が出ていて、猿回しの興行もある。その中を外国人含め多くの人で賑わう。京都、奈良ほどではないが住吉大社も外国人で賑わうとは。大阪にも立派な神社があるとでも紹介されているのだろう。太鼓橋を渡り、境内に入る。

住吉式というのか、第一本宮から第四本宮まで並ぶ。正面から入るとまず目に入るのが第三本宮で、ここで手を合わせる。その後、右隣の第四、そして第二、第一と進む。この順番で参拝するのが正式・・といっていいのかな。

訪ねたこの日(10月27日)は七五三参りの人たちで賑わっていた。社殿の前には記念撮影用に神輿や人形、花が置かれたスポットもある。ご祈祷を終えた子ども連れが続々出てくる。神社としても書き入れ時の一つである。

その中、第一本宮まで手を合わせる。四つの本宮に手を合わせるのだからそれぞれと深くご縁ができた・・と勝手に思う。

そして向かうのは五所御前。住吉大神がこの地に鎮座した際、最初に祀られたところとして、現在ではパワースポットとして知られている。

ここは五大力の石探し。「五」「大」「力」の文字が墨書された石を見つけるものである。五大力とは体力、智力、財力、福力、寿力を指し、また心願成就が叶うとされている。宝探しのようだが、石そのものは見つけやすい。

そして3つの石を持って授与所に行き、御守り袋をいただく。そして願いが叶った後のお返しとして、新しい石に「五」「大」「力」の文字を書き、御守りとして持っていた石とともに五所御前に納める。元の石と新しい石とで「倍返し」の形である。これが積み重なることでご利益がさらに膨らみ、それだけ「パワー」が宿ることになる。いつの頃からこうした参拝になったのかな。私も御守り袋を求め、何を願うかは別として部屋に飾っている。この「倍返し」ができるのはいつのことか・・。

授与所までいったところで、専用窓口で朱印をいただく。

そして境内では雅楽の音が響く。何か神事かと思うと、神官、巫女の後に花婿・花嫁が続く結婚式の行列である。住吉大社は「住吉結び」として神前結婚式にも力を入れているそうだ。結婚する縁も資格もない私からすれば、こうした式を挙げられるカップルはただただ立派で、敬意を込めて見守るしかない。末永くお幸せに。

さて、ここで次の行き先を決めるあみだくじとする。くじびきアプリで出走表に出たのは・・

・神護寺(京都10番)

・大覚寺(京都9番)

・百済寺(滋賀9番)

・日吉大社(滋賀17番)

・水間寺(大阪12番)

・七宝瀧寺(大阪13番)

・・・京都洛西、滋賀、大阪南部ときれいに2ヶ所ずつ出た。この中で百済寺は、以前に湖東地方の札所をめぐる中、朱印帳への書き手がいないことから「これを何と読む!!(=ハズレ)」として参詣を取り止めた寺院である。

そしてあみだくじの結果は・・・その百済寺。できれば年内に、その時の流れでパスした寺社とともに訪ねたい。ただ、次に訪ねて「これを何と読む!!」とされたら凹むやろな・・。まあ、そこは運任せだ。

住吉大社の参拝を終え、南海本線の住吉大社駅に向かう。その高架駅の手前にあるのが阪堺電車の住吉公園停留所。天王寺駅前からの上町線の終点だったが、運転系統の見直しもあり、住吉~住吉公園間は2016年に廃線となった。それでもかつての駅舎は残されている。

住吉大社からは南海本線の「普通」で新今宮に移動する。難波まで行かずに新今宮で下車したのは、久しぶりに「スパワールド」に行こうというもの。前日夕方、自宅でシャワーを浴びたとはいえ、その後下関に移動して「WEST EXPRESS銀河」に乗車、そして京都から大阪に移動しての神仏霊場めぐり。どこかで風呂に入れればということろで浮かんだのが「スパワールド」である。

南海の新今宮で下車し、JRの線路沿いに歩く。そしてやって来たのが星野リゾートが手掛ける「OMO7大阪ホテル」。「オモ・セブン」と読むそうだが、どういう意味なのだろうか。偏屈な大阪人なら字面から「おもんな~」と読むかもしれない。「新今宮」という土地にこういうリゾートホテル・・ただでさえややこしいこの地区を余計に混沌とさせるのではないかと思うが、現在はリゾートホテル、そして巨万の富を得ている半島や大陸の人たちが幅を利かせている。

で、「スパワールド」。フロアごとに男女がアジア、欧州が入れ替わるが、この日の男性浴場は欧州エリア。さまざまな浴槽を楽しみ、またテレビではワールドシリーズの中継中。しばらくの入浴、そして休憩エリアでしばし横になる・・。

本来なら隣接する新世界、ジャンジャン横丁で昼間の一献・・なのだろうが、今やジャンジャン横丁は観光名所。どの店も長い行列である。元々、新世界にこだわるわけではないので、少し早いが帰途に着こうと、大阪メトロ御堂筋線で、コインロッカーに荷物を預けたなんばに戻る。

なんば、ミナミといえば・・ということで向かうのはやはり赤垣屋。気軽に入れるし、その時々に応じたメニューもあるのが楽しみである。

よい心持になったところでそのまま御堂筋線で新大阪に出て、翌日に備えて「ひかり」~「のぞみ」の乗り継ぎで早めの帰宅とする。

・・今回は前日の大相撲広島場所の観戦を終えてからの出発で、広島からの行程は新幹線~小倉~山陽線~下関~「WEST EXPRESS銀河」~京都~近鉄京都線・奈良線~難波~今宮戎~恵美須町~天神ノ森~住吉鳥居前~住吉大社~新今宮~動物園前~なんば~新大阪~新幹線~広島ということで、一応「一筆書きの循環ルート」をたどることができた。結構濃い2日間となった・・。

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大阪3番「阿部野神社」~神仏霊場巡拝の道めぐり・115(阪堺電車でトコトコと)

2024年11月07日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道めぐり、今宮戎神社の次は、大阪3番・阿部野神社を目指す。乗車するのは阪堺電車である。恵美須町、そして天王寺駅前から大和川を越えて堺市内、終点の浜寺駅前を結ぶ路面電車だ。

その恵美須町の電停だが、以前乗った時と様子が異なっている。「こんなに狭かったかな?」という印象。調べてみると2020年に元の場所から100メートル南に移設されたという。その時は大阪にいたが、そういうことがあったとは知らなかった。かつては恵美須町からの路線がそのまま堺市内に直通しており、天王寺駅前からの上町線が住吉公園やあびこ道までの支線扱いだったように思うが、今は運転系統も逆転しており、恵美須町~住吉間が支線のような扱いになっているように見える。本数も1時間に2~3本程度。

少し待ち、10人ほどの乗客で発車。次は新今宮駅前。かつては南霞町という名前だったところ。この後も西成区のディープなところをトコトコ走る。

天神ノ森に停車。阿部野神社の最寄りの電停である。ここで下車する。天神ノ森というから天満宮があるのだろう・・と思ったら、それこそ線路の真横に天神ノ森天満宮がある。後で訪ねることにしよう。

住宅が密集する一角を抜け、神社の西側から境内に入る。境内では七五三参りの記念撮影が行われているところ。

阿部野神社が建立されたのは明治時代のこと。祭神は、南北朝の争いで南朝方の主要人物だった北畠親房・顕家親子である。北畠顕家は石津の戦いで敗れ、この辺りで亡くなったとされており、墓もあったのだが、それを修繕して社殿を建てたのが阿部野神社の始まりである。楠木正成や新田義貞らと並び、明治という、南朝方について後醍醐天皇らに忠誠を尽くした人物を崇敬するという時代の流れもあったことだろう。そうした成り立ちもあり、阿部野神社は「建武中興十五社」の一つに名を連ねている。

本殿の周りをぐるり回る。私個人としては明治~戦前にかけて南朝を賛美し、北朝を朝敵とした歴史観が嫌いなのだが(あくまでフラットに論じるべきだろう)、北畠親子の功績や「神皇正統記」の紹介というのも歴史を受け継ぐスポットとしてしっかりしているという印象である。

朱印をいただく。

そして天神ノ森の電停に戻ったが、次の電車まで少し時間があるので、停留所の名前になっている天神ノ森天満宮に向かう。菅原道真が大宰府に左遷される途中、難波津を前にしてこの地で休憩したことで後に祠が建てられ、室町時代に北野天満宮からの分祀で開かれたとされる。

現在の建物は江戸時代のものだという。阿倍野神社より歴史は古いわけだが、今となってはあちらのほうが坂の上にあり、境内も広くなっていて・・。

しばらく電停で待つ。恵美須町方面のホームを見ると通販のアマゾンの受け取り用ロッカーがあるのが意外である。

やってきたあびこ道行きの電車に乗り込む。恵美須町から天神ノ森までは専用軌道を走ってきたが、東玉出からは道路の上、文字通り路面電車の区間となる。こちらも大阪市内で知られざるスポットといえるだろう。

住吉の手前で、国内現役最古という161形とすれ違う。まさしく偶然のこと。字幕には「団体」とあったから、何かのツアーで運行されていたのだろう。

住吉を過ぎ、次の住吉鳥居前で下車。さて本日の目的地である住吉大社参拝とする・・・。

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大阪4番「今宮戎神社」~神仏霊場巡拝の道めぐり・114(夢見る少女じゃいられない)

2024年11月06日 | 神仏霊場巡拝の道

10月27日、朝の南海難波駅に着く。8時半を回ったところだが、この時間なら広島を早朝に出発しても着くことができる。それをあえて、前日夕方に新幹線で小倉まで行き、下関から「WEST EXPRESS銀河」に乗車して早朝の京都に到着。そして近鉄京都線~近鉄奈良線を乗り継いで難波に着くという、何とも遠回りなことをしている(一応ここまで「循環ルート」継続)。

さて、今回の神仏霊場巡拝の道めぐりの目的地は大阪1番・住吉大社であるが、その前に沿線の神社を訪ねることにする。まずは大阪4番・今宮戎神社である。

今宮戎神社への最寄り駅は南海高野線の今宮戎である。他にも大阪メトロの恵美須町、大国町からも徒歩圏内だし、それこそ南海難波からでも距離は延びるがそれでも徒歩圏内で行ける。

その今宮戎、難波の次の駅だがアクセスにはちょっとした注意が必要。この先、岸里玉出までは南海本線、そして南海高野線が並走し、途中の新今宮、天下茶屋にはそれぞれの路線の全ての列車が停車する。その間にある今宮戎、萩ノ茶屋だが、特急や急行は通過するのはわかるが、「普通」は停まらず、「各停」のみが停車する。さらにいえば「普通」は南海本線の列車で、「各停」は南海高野線の列車である。「普通」も「各停」も、すべての駅に停まる列車種別では?と思うが、今宮戎、萩ノ茶屋には高野線のホームしかなく、南海本線は横を過ぎるのみである。厳密な意味での「各駅停車」ではないということで、本線の列車種別はそれに近い「普通」、高野線はガチで各駅に停まるから「各停」と使い分けている。南海電車を語る上での「あるある」として取り上げられることも多い。

元々この区間は南海本線で、急行線と緩行線が並ぶ複々線だった。東京近郊のJR総武線、中央線、常磐線などの快速線と各駅停車線や、東海道線と京浜東北線をイメージすればわかりやすい。そして高野線は岸里玉出から汐見橋を結ぶ路線だったが、営業面で難波に乗り入れるようになった。その後さまざまな線路の入り繰りがあり、所属としては本線の駅だが、停車するのは高野線の各停のみという現在の形になった。

なお、この記事のタイトルに「夢見る少女じゃいられない」としたのはどういうわけか? 以前、NHKの「鉄オタ選手権」という番組で南海電鉄を舞台とした回があったのだが、その中で「あるあるネタ」の芸人のレイザーラモンRGさんが「南海電鉄あるある」として出題したクイズに使われたのが、相川七瀬さんの「夢見る少女じゃいられない」。

その答えが、「夢見る少女じゃいられない」の歌詞を替え歌した「今宮戎で停まらない」・・・。ただこの時、「普通と各停どっちやねん」と答えた組があって、正解扱いになってたな・・・。って、何で何年も前の番組のネタを覚えているかな。

その今宮戎だが、街のど真ん中にあるし、各停しか停まらないといいつつもそれは他の南海高野線の駅と同じで極端に本数が少ないわけでない。ただ、難波、新今宮いずれも徒歩圏内にあることから乗降客は少なく、南海全駅の中でも結構下位の存在である。

・・何だか今宮戎駅の記事が長くなったが、本題の今宮戎神社である。それこそ改札口から数十メートルのところにあり、そのものずばりの駅名を名乗るにふさわしい。ただ、わざわざ今宮戎で下車して参拝するという方はどのくらいいるのやら・・。

今宮戎神社、大阪では「えべっさん」として親しまれている。年初めの「十日えびす」は「商売繫盛で笹持ってこい」の掛け声で賑わい、笹にさまざまな縁起物を結びつけることで商売繁盛を願うことで知られる。毎年「福娘」が募集され、後にアナウンサーになった人も多いことからそれらの「登龍門」とも言われている。

さて訪ねた時は「えべっさん」とも関係なく、静かな日曜の朝である。それでも地元の人や、観光客らしい人の参拝もちらほら見える。

今宮戎神社の歴史は長く、古くは聖徳太子が四天王寺を建立した際、西の守護神として祠を建てたというものや、京都の八坂神社の境内社である蛭子社を分祀したものと言われている。現在につながる「十日えびす」の祭りは江戸時代中期から行われるようになったそうだ。

それにしても、境内を囲む石柱には地元の氏子のほか、さまざまな企業の名前も見える。現在は古くから長年商売の信仰を集め、ご利益を授かったところも多いことだろう。現在はカタカナ表記の社名もある。もっとも実際は、祈願むなしくご利益にあずかることなく商売をたたんだところはそれよりもっと多いのだろうし、一時は大きな勢力を張ったもののその後倒産したところもあり、この石柱の並びにさまざまな栄枯盛衰を感じる。

その中で、場所柄もっとも哀愁を感じるのが「大阪スタヂアム興業」・・・。

お参りするが、「十日えびす」の賑わいの様子をテレビニュースで見るのと比べると、実際の境内は思ったより小ぶりに感じる。まあ、普段の様子で参拝することができてよかった。

さてこの後だが、大阪3番・阿倍野神社に向かう。それならば今宮戎神社から少し歩き、阪堺電車で天神ノ森に行くのが早い。神仏霊場巡拝の道めぐりに「チンチン電車」登場である・・・。

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神仏霊場巡拝の道めぐり~京都から大阪に行きまっせ・・

2024年11月05日 | 神仏霊場巡拝の道

下関から「WEST EXPRESS銀河」で一夜を過ごし、朝の京都に到着。時刻は朝の7時前で、土産物店等はまだ開いていないが、ホームやコンコースは利用客で賑わっている。

さて、「銀河」で関西に来たからには、神仏霊場巡拝の道めぐりの続きである。今思えば、まだ観光客が本格的に動く前の時間帯なので、京都市内の札所を回ってもよかったのだが、今回の目的地は、前回春日大社でのあみだくじで出た住吉大社である。ならば「銀河」も大阪で下車すれば早い話だが、そんな早朝に下車しても仕方ないし、せっかくなので列車を乗り通すことにした。

その京都からだが、JRで大阪に戻るのではなくルートを変えてみよう。極力、行きと帰りで循環ルートとしたいということで、向かったのは近鉄の乗り場。

乗車したのは7時10分発の鳥羽行き特急。車両はビスタカーである。その2階席に陣取り、構内のコンビニで買い求めたもので朝食とする。まずはこれで大和西大寺まで向かう。

京都発車後すぐに右手に東寺の五重塔。ここも京都の札所として訪ねたところである。

丹波橋を過ぎ、そのまま京都盆地を快走する。新名神高速道路の建設が進められているところである。

7時38分、大和西大寺に到着。伊勢方面へはまたの機会として、まずはここで近鉄奈良線に乗り換えるため下車する。駅ナカのタイムズプレイス西大寺は、京都、大阪方面から大和西大寺に出入りする列車の展望スポットがあるのだが、この時間はまだスーパーが開いているくらいで、スポットまで行くことができなかった。

ここから乗り継ぐのは8時08分発の特急「ひのとり」。基本的には名阪特急として運転されている「ひのとり」だが、1日数本、奈良線の特急としても活躍している。平日のこの時間だと、特急料金を払ってでも着席して大阪まで行く客もそれなりにいそうだ。

そして、どうせ乗るならと料金を上乗せしてプレミアムシートに乗る。前面展望、少し高い位置から見るというのも貴重な体験である。まずはほぼ直線に学園前、生駒と走る。ホームのすぐ先は生駒トンネルの入口である。

生駒トンネルを抜けると大阪平野へ。右手には大阪中心部の高い建物が並ぶ。近鉄奈良線で名高い展望スポットである。大阪~奈良~京都を結ぶ観光特急「あをによし」も、こちらの方向の座席は展望スペースを広く確保した構造になっている。

このまま快走し、鶴橋に到着。ここはそのまま地下に潜り、大阪上本町、そして終点の大阪難波に到着。現在、なかなか名阪特急に乗る機会がないのだが、その中で大和西大寺からわずか30分とはいえ、久しぶりに「ひのとり」の乗り心地を味わえた。

さて今回の神仏霊場めぐりの目的地は、あみだくじで出た大阪1番・住吉大社だが、未訪問の札所の分布を見る中で、大阪4番・今宮戎神社、大阪3番・阿倍野神社とたどってみようと思う。少し東には大阪2番・四天王寺や大阪6番・法楽寺もあるのだが、大阪はこれからも来ることになるから次回でもいいかな。

ということで近鉄の大阪難波から地下道を通り、南海の難波駅へ向かう・・・。

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