まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

本年もありがとうございました

2011年12月30日 | ブログ

12月30日。今年も残すところ1日と少しということに。

激動の2011年、以前の記事にも書いたように国内外で大きな変動が起こり、ある意味時代の転換点なのかなと思わせるものがあった。これからどうなって行くのだろうか。

さて、先日あるサークルの代表の方と話をすることがあり、その中で出た言葉に「自分磨き」と「積極性」というのがあった。

今年一年を振り返り、果たして自己研鑚というのができただろうか、また、どこかで消極的になっている自分がいなかったか。いろいろと考えると反省点が多く、それがために失敗をしてしまったことも結構あった。

その人は「○○において」と前置きしたうえで、「積極性といってもあまりガツガツしすぎるのもどうかと思うのだけど」としていたのだが、この2点は社会の中できちんと過ごしていくには大切なことだし、それによって人間の幅を広げ、世界が広がるというものである。

来る新しい年、この「自分磨き」と「積極性」というのを自分の課題というか、仕事とプライベートの両面でも心にしてやっていきたいと思う・・・。

・・・・おそらく今年最後のブログ記事書き込みになると思います。こういう文章ですが、少しでも訪れていただく方がいらっしゃるのは励みになりますね。また、記事に対する(まっとうな)コメントもお待ちしています。

これからもさまざまなことを取り上げられればと思いますので、また来年も拙ブログへの応援をよろしくお願いします。

それでは、よいお年を!

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大地真央党?

2011年12月28日 | ブログ

この28日で官庁も御用納め。そろそろ世間は年越し、正月モードで、この日の夜は市内のほうに出る所用もあったのだが、「今年もお疲れ様でした!」という感じでリラックスして酒場に向かうスーツ姿の人たちが目立ったものである。

さて、そんな年末のどさくさにまぎれてというべきか、民主党の国会議員がこの日に離党を表明し、鈴木宗男氏率いる新党大地と連携した新たな政党をつくったという。

その名も「大地・真民主党」。

えらい恐ろしい名前やな。最初に見た時に、女優の「大地真央」党かいなと目に映ったことである。

なぜこの時期に新党結成か。まあ、消費税増税の方向に舵をきった民主党執行部への不満というのは表向きの理由としてあるのだろうが、離党した議員の顔ぶれを見るにほとんどが比例代表での選出。おそらく比例名簿でも下位のほうだろう。そういう人が次の総選挙にこのまま出ても当選する確率は限りなくゼロに近く、それならば新党に所属して少しでも露出を増やそうというのが見え見え。これまでの「立ちあがれ日本」とか「みんなの党」のように少しでも実績のある、名の通った議員がいるわけでもなく、「大地・真民主党」の議員はほとんど初めて聞く人ばかりなのだが・・・・。

そして、この12月末の新党というのも、政党助成金目当ては明白なこと。確かあの助成金は1月1日現在の国会議員の頭数で分配される金額が決まっていたようで、カネのない新党(というか、カネの欲しい議員さんたち)にとってはそれがあるのとないのとでは死活問題。それなら1月1日に間に合うようにと、御用納めの日を選んだということ。

うーん、制度にのっとった手続きとは言えるのだろうが、別にそういうことをさせるために1月1日現在としたわけではなく・・・。その制度や決まりができた背景とか、その制度の主旨というのから比べれば果たして正々堂々としたものか。

一方では小沢一郎氏やそれに近い人たちを取り込むための先乗り部隊という見方もある。ただそれもどうかな・・・。大阪ダブル選挙の結果からわかるように、一般の国民市民というのはもう「ナントカ党」による党利党略の選挙戦というのは飽きていると思うのだが。

2012年、果たして政治は国民のために何ができるのか。まあ期待はできませんわ。かといってアラブのようにクーデターを起こすわけにもいかないしなあ・・・・。

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2011年のまつなる的出来事

2011年12月27日 | ブログ

2011年もあとわずか。日付が変わって28日を境にしてみれば残り4日ということになる。そういえば昨年の今頃はどうだったかなと振り返ってみるに、あれからもう1年が経過したのかと思う。

さまざまな出来事があった2011年、このブログを綴る私自身として印象に残っている出来事は何か。仕事のことはさておくとしてまた「ベスト5」形式で書いてみると・・・・。

(第5位)旭川駅のネームプレートに対面

Dscn707612009年の12月に旭川駅でJR全線(当時)の完乗を達成した後のこと、ちょうど旭川駅の建て替えにあたり、記念に駅構内に掲示するネームプレートを募集していたのが昨年のこと。ちょうどいい記念にということで応募し、ホームから改札口へ降りる途中の階段横に名前が掲げられた。それを見に行ったのが今年の1月のこと。掲示場所も自分の手で普通に触れることのできる高さにあり、1万人の中の一人ではあるが自分として満足した、遠い北の街に自分の足跡を見つけることのできる喜びを感じたものである。

東北新幹線、九州新幹線の新規開業により「JR完乗」のタイトルは失うことになったが、自分の趣味の一区切りということで印象に残る対面だったと思う。

(第4位)SNSの難しさ

今や自分の情報発信源として、またコミュニケーションのツールとして定着したツイッターにフェイスブック。ツイッターについては昨年から登録してあれこれ「つぶやいて」いたのだが、今年の春に登録解除。その後、初夏に始めたフェイスブックもこの年末にきて利用解除。

登録してはやめて・・・の繰り返しとなった理由はあるのだが、要はコミュニケーションの場として活用できなかったことに尽きる。確かにネット上でつい他人を攻撃する書き込みを行ったり、あるいはそういうSNSツールを使用していることについて周りからとやかく言われたりバッシングのようなものがあったり・・・。

せっかく他の人とのつながりのきっかけとなるツールを得たというところであるが、それをきちんと使いこなす、あるいは大々的に交流の幅を広げるということについてはまだまだ勉強不足、いや気構えが足りなかったのかもしれない。しばらくは再開するつもりはないが、次にこういうツールを利用するのであれば、もっともっとそれに似合った人間性を身に着けなければならないなと思うことである。

(第3位)BCリーグが初めて独立リーグ日本一、そしてCS争いは・・・・

今年のスポーツは「なでしこジャパン」がもっとも盛り上がったことであるが、私としてはやはり野球のことを推したい。

Dscn17052007年から行われている独立リーグのグランドチャンピオンシップ。これまでは四国アイランドリーグのチームがすべて制していたのだが、今年は初めて、上信越・北陸のBCリーグ代表の石川ミリオンスターズが徳島インディゴソックス相手に3連勝して見事チャンピオンシップを勝ち取った。地域密着の理念を前面に出し、(個人的には)北陸観光のツールとしても楽しんでいるBCリーグが日本一になったのはファンとしてうれしいところである。これからも両リーグが切磋琢磨して、日本のプロ野球の新たな一面を築き上げてほしいものである。

Rscn0179一方のNPBプロ野球。われらがオリックス・バファローズは阪急、近鉄のユニフォーム復刻など、これまで関西にあって築き上げてきた伝統に敬意を表するイベントがいろいろと行われた。これまでそういうのとは無縁な、むしろそれらを切り捨てるような動きのあった現オリックス球団にあって、この試みは斬新で、その姿勢は見直すに値した。公式戦のほうも「残り1毛差」でクライマックスシリーズ進出は逃したが、最後まで希望を持たせ楽しませてくれたし、この悔しさというのが来年に生きることを期待したい。投手陣の整備、即戦力野手の入団、李大浩や高橋信二といった新戦力にも期待したいところである。

(第2位)6年ぶりの「地元」復帰

今年の3月、それまで住んでいた尼崎の会社施設を離れ、2005年以来となる地元・藤井寺に戻ってきた。改めて「小さな町」ではあるが、何だか安心感というのか、気取らない、飾らない雰囲気というのが昔の記憶を思い起こさせ、「帰ってきた」という気持ちになったことである。

なかなか時間は取れないだろうが、これからは「地元民」として、もし地域貢献で何かできることがあるのなら、仕事以外の活動として取り組んでいくことができればなと思う。

(第1位)東日本大震災

3月11日・・・・この日付は日本人であれば生涯忘れることのできないものになるだろう。関西にいる者としては「ちょっと大きめの地震」というものだったが、その夜からの報道を見るに津波、原発・・・と、それまで考えられなかった規模の被害の大きさに唖然とするばかりであった。そして時間が経つに連れて次々と明らかになる被害。つい先ほどまで町の中心としてにぎわっていた一角が、まるで原爆が投下されたかのごとく一瞬にして廃墟とかした比較映像は強烈である。

Dscn8918私は震災発生から3ヶ月後の6月に気仙沼を歩く機会を得た。高台の住宅は残っており市民会館は避難所として開放されていたが、港に面した一角の被害の大きさ、クルマも船舶も軽く波にあしらわれ、線路や駅舎も見る影もなくなった様子。ヘドロの臭い・・・。もっともっと大きな被害を受けたエリアはたくさんあったはずだが、かつて宿泊したこともある気仙沼の街の変わりようは私としては強烈なものであった。

Dscn8868ただ、「グラウンド・ゼロ」という広場もあり、地元の人たちがそこから復興に向けて立ち上がろうという姿勢も見られた。あれから初めての冬。また暖かくなり、落ち着いた頃を見計らってもう一度あの漁業の街を訪れたいと思う。その時は豊かな海産物を味わいたいところであるが・・・・。

こうした直接の震災被害のことに加えて、人と人との絆であるとか、原発事故の影響による節電取り組みに現れるようなエネルギー問題、その他社会インフラに関することとか、戦後ここまで築き上げてきた価値観の見直しも迫れらるような、大きな転換点となる一年であったと思う・・・・。

さて、新たなる一年というのはどのような年になるだろうか。辰年、龍ということで何とか天に昇るくらいの勢いある一年であればなと思う。一人一人が明るく、前向きに暮らせるような年であってほしいものである・・・・・。

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阪神金本の背番号「6」が永久欠番へ

2011年12月26日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

今朝のテレビを見ているとスポーツコーナーで、「デイリースポーツのみ伝えていますが」と前置きしたうえで、阪神・金本の背番号「6」が永久欠番に内定と伝えられた。

仮に永久欠番となったら、プロ野球では誰以来になるだろうか。最近では中日の立浪の背番号「3」が永久欠番になるかと言われていたが球団は森野につけることを打診したり(結局今年高卒で入団した中川という選手が3番を引き継いだが)、それこそ近鉄の鈴木啓示とか、広島の山本浩二、衣笠というところまでさかのぼるのかな。

まあ、金本がFAで広島から移籍してきて確かに2回のリーグ優勝には貢献したといえるし、全イニングでの連続出場の記録もすごいと思う。ただ、永久欠番となるくらい「チームの顔」であるかと聞かれると・・・・。

また、現役でやっている最中に永久欠番を決めるというのも早すぎるような。そこまで拙速にやる必要性がさほどあるとは思えない。引退してから決定したところで何か不都合があるのだろうか。

よくわからない。

仮にその選手を永く顕彰したいとしても、永久欠番という手法を取っていないケースが多い。先の鈴木啓示にしたところで「これは”近鉄”の永久欠番だから」として、球団合併後にオリックス・後藤が背番号1をつけることを了承したのはまた違ったケースとして、「特殊番号」という形でとっておくことが多い。オリックスの51(イチロー)、ヤクルトの27(古田)、広島の7(野村)など。また、現役中に不幸にも亡くなった場合で、オリックスの41(小瀬)、ソフトバンクの15(ダイエー時代の藤井)もその類。

阪神の背番号6といえば藤田平とか今度の監督の和田豊、もっとさかのぼれば戦前の景浦将といった歴代の名選手がつけているもの。仮にこれらを総合して永久欠番というのならわかる。ただ、「金本一人」と言われると何か違うような。そういう由緒ある番号というのなら、将来、それにふさわしい「ミスター・タイガース」が出てくればその選手に受け継いでもらったほうがいいのではないだろうか。

このことについては、さすがに阪神偏向の関西のマスコミも「もろ手を挙げて賛成」という感じで伝えていなかったし、阪神ファンの皆さんはどう思っているのやら。もう少し、そのあたりの話も聞いてみたいものである・・・。

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メリー・クリスマス

2011年12月24日 | ブログ

まあ、宗旨のことはさておき、クリスマスというのはお目出度い日ということで。

それにしても今年はイブが土曜日、クリスマスが日曜日とあって、街中はさぞかし賑わっていることだろうと思う。やはり一緒に過ごす相手がいるというのはよろしいもんですな。

2011122420330000で、本日は会社の出勤当番に当たっていて(まあ、今月の当番割を決める時に自らここに手を挙げたのだが)、夕方まで会社にいて帰宅。まあ、私の場合は冬らしく、帰りしなにサンタの衣装を着た店員のいるコンビニで買い求めた「サッポロ冬物語」を飲んでいるのがお似合いというものでしょうが。(←アラウンド・フォーティーのおっさんのむちゃくちゃ淋しい話ですな)

まあ、「冬物語」はリリース当時から名前も気に入っているし、当時流れていたCMのシリーズも気に入っている(毎年タイアップしていたナンバーも楽しみだった)。ただこの数年は「冬物語」のCMを見ていない。どうもサッポロビールというのは、商品は悪くないのに宣伝がヘタクソなイメージがある。大々的に表に出てくるのは箱根駅伝の時くらいしか思い浮かばない(北海道となるとまた違うのだろうが)。もっと頑張れよ!

ところで話が変わって、今日はクルマで出勤していたのだが、夜になって阪神高速の湾岸線から眺めるUSJ、あるいは大阪市街の夜景というのもなかなかいいものである。これが神戸方面に向かえば六甲の夜景を海側から眺めるというシチュエーションでなかなかいいのだが。

そんな阪神高速であるが、もう来週、1月1日からは「新料金」に移行するという。これまでのエリアごとの定額制から、全線通しての距離制ということで、500円~900円の幅で料金を取るという。

ただ、阪神高速の場合はだいたいが入口で料金を取り、エリアの境界でその先の料金を取り、ということで、どうやって距離制料金が適用できるのか。これは少し考えればわかることで、ETCの場合だとセンサーで「どこから乗ったか」を読み取るから、そこで払い戻しをかけるということのようだ。つまり、最初に900円徴収し、例えば700円区間であれば出口で200円を払い戻すということ(現在でも、土日祝日や夜間割引はこのやり方を取っている)。

ということは、ETCがないクルマの場合は、この理屈でいけば入口で900円取られたら出口では1円も払い戻されないということになる。これまで700円のところが900円と、問答無用での値上げということに。これは無茶やなあ。

ただ工夫をすれば、一般道なら渋滞するところ、これまで700円を払うのが惜しかったとして500円で一気に抜けられるのなら抜けてしまおうとか、大阪エリアと神戸エリアを遠しで乗れば1200円だったのが900円になるということで、遠出する時はいいかなとかいうことが出てくる。まあ、料金をいじるということはどうやっても損をすることもあれば得をすることもあるわけで、後は利用者がいかにして工夫するか。まあ、私の場合これまでのように通勤で阪神高速を使うとなれば「値上げ」のほうになってしまうのだが・・・・。

公共交通機関だと電車3本とバス1本(しかも、バスの本数はごくごく限られている)ということになる。時間の使い方を含めて難しいところであるが、それぞれのメリットにデメリットはある。気分転換も兼ねて、両方の通勤方法をうまく利用していきたいものである。

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さいでんなぁ、ほうでんなぁ

2011年12月22日 | ブログ
早いもので今年も後10日を切った。それにしてもドタバタのうちに過ぎ去ろうとしている感じが強い。

世間はクリスマスモードですが、私はまあ縁がないというか、イブの日は会社の当番に当たり、残務整理やら机の片付けなどして新年の準備をしようかと。

去年のイブは混戦BB会でもってミナミで「さいでんなぁ~ほうでんなぁ~」とやっていたのだけど。

そんな今年のまつなる的出来事の回顧は、また稿を改めて行おうと思う・・・。

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金正日総書記死去

2011年12月19日 | ブログ

会社の昼休みにこのニュースを聞いてびっくりした。あまりにも突然のことだったからである。

まあ、日本国内でこの人のことをよく思っている人というのはほとんどいないとは思うのだが、いざ亡くなってみると驚きというのか、一人であれだけ世界を引っ掻き回した政治家はいないなというか、複雑な気持ちである。

北朝鮮という国家の独裁者ということであれば不快感も出るのだが、これが経営の苦しい、それならば非合法の商売にでも手を出さなければ首が回らなくなっている状態の「金商店の2代目当主」が亡くなったということなら、お気の毒様という気持ちもある。下町のその辺にいそうなおっちゃんというのかな。

それはさておき、金総書記の死去というのは6ヶ国協議もそうだし、南北朝鮮の対立~融和にも影響が出ることである。国境を接する中国、ロシアの出方もどうなるのか。一人の商店の店主がなくなって、その次はドラ息子が継ぐというのがこれだけ東アジアにいろんな影響を及ぼすとはね・・・・。

2011~2012年というのは世界の情勢がガラリと変わる時期になりそうだ。今年の場合は北アフリカやアラブ諸国に起こった民主化の波、エジプト大統領の失脚やリビアのカダフィ大佐の殺害、そして金総書記の死去。そして来年はアメリカ、ロシア、韓国では大統領選挙、台湾の総統選挙、中国も国家主席が交代の見通し。日本も現在の民主党政権が果たしてもう一年持つのやらというところで、日本を取り巻く国家を中心に世界中がシャッフルされそうな感じである。

果たしてこのシャッフルが世界各国にとってよい方向に向かうのか、それとも混乱に拍車をかけ、また戦乱ということになってしまうのか。ともかく、これからの情勢がどうなるのかを注視していきたいものである・・・・。

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同窓忘年会

2011年12月18日 | ブログ

17日は大学時代の仲間たちとの同窓忘年会。今回はKEN氏、ぜんかん氏、そしてT氏、S氏、I氏、私の合計6人での開催となる。この集まりも年2回ほどの定期的なものであるが、学生時代の容貌とそんなに変わらなく見えるのは(皆さん少しずつふっくらと・・・あ、マラソンをやっているKEN氏にぜんかん氏は逆に細くなって)不思議なものである。

場所はミナミの280円均一居酒屋であるが飲み物もいろいろな種類があり、食べるほうもスピードメニュー、サラダ、刺身、揚げ物、焼き物、エスニック系、デザートなど幅広く、気取らずに食べられるということで結構いろんなものがテーブルに並んだ。

それぞれ仕事やら何やらを抱える中で、今週第3子が誕生したKEN氏の子育てのことやら(そういえば、今回の面子で子持ちはKEN氏のみ、あと既婚はT氏だけで、残り4人が独身という、現在の日本格差社会を象徴するかのような家族構成である)、オリンパス、大王製紙の粉飾決算問題、大阪都構想に伊丹廃港問題など、さまざまな問題について熱く?語り合ったことである。最後は、KEN氏の出産祝いを兼ねて、ここでの割り勘を免除するということに(それならもっと高いところにすればよかったかな)。

で、二次会へ移動ということにしたのだが、22時を回っても忘年会シーズン真っ盛りということでミナミはすごい人波。ちょっと一本外してということで日本橋方面にも向かったのだがこちらも6人となると入れないようである。

そこで戻り、腰を落ち着かせることができたのがサイゼリア。夜の時間ということでフルに食事をする人はほとんどいないようだが、その分お茶をする人たちで満席。なるほど、軽い食べ物もあるし、デザートにドリンクバーもあれば格好の店である。

そこにあって、「サイゼリアに来たなら安く飲めるワインを行こうか」と提案。グラス、デキャンタ・・・いろいろあるが目を付けたのが「マグナム」というやつ。「これだけあって1000円ならお得でしょう」ということで注文したのだが・・・。

・・・で、「マグナムお待たせしました~」と店員さんがやってきてテーブルにズシリと置かれた瓶を見て、一同、一瞬目が点になり、その後で大爆笑。

Dscn2226_2普通、ワインの瓶といえば720ミリリットルのフルボトルが出てくるが、マグナムはその倍以上の1500ミリリットル。つまりは1.5リットル。それが瓶になるとほとんど日本酒の一升瓶に近いものがあり、「こんなん見たことないぞ!」「誰や、これ注文しようと言い出したんは?」ということに。

ワインを注ぐ時は瓶の底を持つのが普通だが、ここまで大きくなると両手で持ってそれこそ一升瓶からコップに酒をつぐような格好となる。つがれる方も酒みたいになみなみと。

そうすると不思議なもので、普段酒を飲まないS氏やI氏も一緒になって飲んだ結果(普段飲まない人がお代わりをするくらいだから、それなりに美味しいものである)、何と1.5リットルが空いてしまった。次はこのマグナムの白ワインで・・・というのは冗談として、サイゼリアも飲み会の場所として結構「あり」かなと思う。

ここでは同窓生たちの話となったが、実は今回の集まりの前に私なりに、同じ学科のメンバー71人(中退者を含む)の「復元」を行っていた。手元に卒業アルバムがない中で五十音順でたどっていくのだが、授業での接点が薄かったり、ほとんど話をしたことがなかったり、授業にもほとんど顔を出さない人もいる中で、卒業から15年も経つ中でなかなか思い出せない人もいるものだ。いろいろ思い出す中で最後まで埋まらなかったピースは2つ。

そのことを話すと、「例えば○○君は?」「××さんって結構可愛かったよな」ということで名前が出るが、いずれもすでに判明済み。そしてとうとう、埋まらなかった最後のピース、K君にSさんというのがポッと出てきた。やれやれ、これで胸のつかえ(というほどのことでもないが)が降りたようだ。(皆には名前をメールで送る、と言ったけど、さすがに携帯メールにズラズラと名前を並べるのはどうかと思いそれは控えることに)

こういう同窓の話がでたこともあり、「ならば次回はここでやろうか」ということになったのが、同窓の一人が女将を務めているとかいう大阪市内のとある料亭。会席ということで今回の280円均一居酒屋よりはグレードがグッと上がるが、他の同窓生の消息が何か聞けるかもしれない。何せこの学年、こういう個人的な集まりはあったりするが、卒業以後公式な形での同窓会は開いたことがないし、お互いに卒業後の消息がわからないというのが多い。こちらもリアルな形での「復元」ができないかなと思うのだが・・・・。

社外のつながり、後はしがらみなく話したり呑んだりということでこのつながりというのはこれからも大切にしていきたいものである・・・・。

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「日本海」とともに「きたぐに」も来春廃止・・・

2011年12月17日 | ブログ

かねてから噂になっていた来年3月のダイヤ改正。このたびJR西日本からの正式な発表として、寝台特急「日本海」の廃止が決定した。

2011021317450001利用客の減少によるものとはいうが、運行するにもコストがかかるということであれば致し方ないところがあるのかなと思う。高速バスがあれだけ人気なのだから「夜に移動する」という移動の姿がすたれたわけではないにせよ、わざわざ列車を一本仕立てるだけのことではなく、バス1台で事足りるということか。

まあ、「日本海」についてはかねてから噂になっていたこともあり、とうとう「来るものが来たか」という感じで受け止める。これで「ブルートレイン」は関西からはなくなることになり、定期で残るのは上野駅の「北斗星」と「あけぼの」ということになる。上野駅の13番線というのがブルートレイン最後の「砦」となる。

それよりも私が驚いたのが、夜行急行「きたぐに」の廃止。こちらは大阪から新潟までの夜行というだけではなく、北陸地区の深夜早朝便として、あるいは直江津~越後湯沢、あるいは長岡からの新幹線乗り継ぎ列車としての役割もあった。A寝台、B寝台、グリーン車、そして4人がけのボックス自由席・・・・現在となっては珍しいバリエーションに富んだ編成である。

Dscn1147「きたぐに」は少なくとも北陸新幹線の全通までは持つだろう、とは言われていた。それがいきなり来年の春に「日本海」とともに廃止とは意外だった。新たな感覚で効率的に経営するとは、感傷は抜きにしてドラスティックにやらなければならないということだろう。

幸いにしてこの年末年始は北東北の訪問を予定しており、当初は往復とも「日本海」を狙っていたのだが、復路しか取れず往路は「二の次」ということで「きたぐに」のグリーン車を押さえている。実現すれば「日本海」「きたぐに」とも私にとってはラスト乗車ということで、旅としてはかえってまとまるなという感じである。

これから大阪駅の構内は「その筋」の人たちで賑わい、あるいはポジションを巡ってギスギスした「仁義なき戦い」が始まることだろう・・・。

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赤穂浪士にあやかった居酒屋・赤垣屋

2011年12月15日 | まち歩き

『酒は呑んでも 呑まれちゃならぬ 

武士の心を 忘れるな

体こわすな 源蔵よ

親の無い身に しみじみと

叱る兄者が 懐かしい・・・

迫る討入 この喜びを

せめて兄者に よそながら

告げてやりたや 知らせたい

別れ徳利を 手に下げりゃ

今宵名残の 雪が降る・・・』

・・・・上は、三波春夫の歌う浪曲歌謡「赤垣源蔵」の一節である。「徳利の別れ」のエピソードを持つ赤穂四十七士の一人、またの名を「AKO47」の主要メンバーの一人ともいえる赤垣源蔵を唄ったものである。なぜか小学生の時に、父親がLPを持っていたのを一緒に聞いたのだろう、耳に残っている一曲である。

12月14日は赤穂四十七士の討入りの日。あれから300年以上たっても四十七士ゆかりの地では祭りが行われたり、装束をまとっての練り歩きがあったりと、今もって日本人の心の中に受け継がれている出来事である。世界の諸国を見てみても、こういう形で「ヒーロー」とされている人物や集団というのはそうあるものではないだろう。

2011121420450000_2四十七士に関するイベントといえば、こちらでも行われていた。大阪ミナミを中心に広がる立ち飲み居酒屋の「赤垣屋」。店の「赤垣」という名前も、四十七士の赤垣源蔵の「徳利の別れ」のエピソードから取られたものである。いつも貧乏徳利をぶら下げて飲んだくれている・・・という描かれ方をされている源蔵である。ただ、史実をだどってみれば実は「下戸」で、義弟のところに暇乞いに訪れるにあたって普段は呑めない酒を一気に飲んだ・・・というのが本当のところらしいのだが、それがいつしか堀部安兵衛とともに「呑んべえキャラ」に仕上げられてしまったのが面白いところである。

さて話は赤垣屋さん。討入りの日には「討入り記念」ということで、手のひらサイズのミニボトルを進呈している。奈良の地酒「歓喜光」というやつであるが、飲み口は実に庶民的。ただし、来店客一人一人に配っていたが、早速その場で封を切って手持ちの徳利に注いでいた客には注意していた。あくまで家でゆっくり飲んでください、ってなもんである。

2011121420350000_2赤垣屋は大人数で来るよりは一人でふらりと入るのが似合う、かといって敷居も高くなく、若い女性アルバイトが常に接客に入っている(そういう女性を目当てに通っているおっちゃんも多いようだが)。料理も正味一人前が相応の価格で出てくるので、何品か注文するのも無理なくできる。居酒屋の神様・太田和彦氏なぞは歯牙にもかけないだろうが(酒場放浪記の吉田類氏はどうだろうか)、自分の好みからすればなかなかいいですな。

仕事帰り、「今日はクルマを置いて帰ろう」という時にちょっと立ち寄り、リラックスするのに適したところである。討入り記念は終わったが、またちょこちょこ行ってみたいものだ・・・。

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フェイスブックを削除しました

2011年12月14日 | ブログ

今年から始めていたフェイスブックですが、このたび退会し、アカウントを削除しました。

理由は・・・いろいろとありますがあまり詳しくは申しません。私がフェイスブックをやっていること、あるいはいろいろと書き込みをしているという行為についてとやかくいう動きがあるために、自ら身を引きました。

まだこうやってブログでの情報は発信してますが、いずれここも危ないことになるかも。こういうことをやっている、何かしら書いていること自体が気に食わないこととして冷やかしや非難の対象になるので。

・・・正直、情けないです・・・・。

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「レディー・カガ」

2011年12月13日 | ブログ

東日本大震災以降のチャリティー活動などで、今年は日本の国営放送でもしきりに取り上げられたレディー・ガガ。私もそれまでは携帯電話のCMソングを唄っている人だな、というくらいの認識ではなかったのだが、震災以降の活動等をニュース等で見ていると、結構いろいろな活動もしているということで新たにリスペクトするような形になった。奇抜な衣装やPVでの演出だけでは語られない、エンターテイナーとしての要素が強いというのは天性のものとして貴重なものである。

その「レディー・ガガ」という名前も別のアーチストの名前をもじっていただいたものらしいが、このたびは「レディー・ガガ」の名前をベースにちょっと捻ってみました・・・というのがあるというのを、友人の書き込みで知った次第。

それが、「レディー・カガ」。または「レディー・加賀」とか、「Lady Kaga」とも書くか。

加賀の温泉郷、山代、山中、片山津などの温泉旅館・ホテルの関係者たちが和服やスーツ、舞妓さんに果てはメイドさん(はあったかな?)などの出で立ちでJR加賀温泉駅のホームに並び、レディー・ガガの「Bad Romance」のイントロに乗って次々にお辞儀する・・・という画像が流れている。何ともまあ、大胆な演出である。

なかなか集客に苦労しているのがこのところの温泉群らしいが、温泉自体の魅力がなくなっているわけではないし、要は「温泉地での過ごし方」というものが時代とともに多様化してきたということで。その微妙な変化を敏感にとって次なる手を打てたところは現在でも人気を博していることだろうし、それについていけなかったところは建物を残しながらシャッターを下ろす・・・昔ながらの業界とはいえ実に競争が激しいなと思う。ただ。競争だけでは共倒れになることだし、それならば地域全体の魅力をアピールして・・・というのも自然な流れだろう。

話が元に戻って・・・加賀温泉郷か・・・・。行こうと思えば大阪からサンダーバード一本で行けるし、時間的にも長すぎず短すぎず。ただここで降りると「これだからトーシローは困るんだよ・・・」という、鉄道を中心とした「その筋」からの白眼視も覚悟しなければならない。まさか命までは撮られ・・・もとい獲られはしないだろうが。

まあ、観光立国を掲げながら震災の影響もあり例年に比べて人出は少ないという。こういう時だからこそあちらこちらを見て回る、地元の人たちの日常を自分なりの視点で見る・・・これも必要かなと思った。またいずれの日か、多くのプロの方たちの手による技、そしてその技が生まれる瞬間というのをこの目で見てみたいなあ・・・・。

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神戸散歩&あべの・ユーゴー書店が閉店

2011年12月11日 | まち歩き

11日は午後から阪神電車で神戸へ。まずは三宮に降り立ち、B-WAVEにて来年のオリックス・バファローズのカレンダーを購入。来年のカレンダーの話となると、いよいよ年の瀬が来たなとそわそわするものだ。部屋のインテリアを兼ねてもう一種類くらいは購入するか、あるいは会社に来たものをいただくか。

Dscn2194ここからはしばらく歩いてみることに。ちょうど現在開催中の神戸ルミナリエの会場に。昼間のこととてもちろんイルミネーションは点灯されておらず、夜になるとあれだけ幻想的な夜景を見せるオブジェも「こんなものか」というところ。まあ、舞台裏というのはそういうものだろう。関西の冬の風物詩としてすっかり定着しているとはいえ、その運営費用というのも協賛金とか寄付によるもの。その実情はなかなか厳しいのではないだろうか。

Dscn2199そんなことを思いつつ、旧居留地のかつての洋館群を歩く。現在でこそブティックなどを入る商業施設となっているが、ブティックだから似合うということもある。間違っても赤ちょうちんやらチェーンの居酒屋などが入るのは恐れ多いことで・・・。

そのまま歩いて到着したのが高速神戸。先月、友人のKEN氏の応援で神戸マラソンの観戦にやって来たのだが、最後はこの高速神戸駅で選手たちを見送った。普段は多くのクルマが通る国道2号線の高架道路を逆走するというコース設定に驚いたことである。あ、そういえば今日は奈良でマラソンが行われており、KEN氏はそちらにエントリーしているはず。この時間ではとっくにレースは終わっているはずだが、果たしてタイムはどうだっただろうか・・・。

Dscn2205本日高速神戸までやってきたのは、地下街の「デュオ神戸ギャラリー」で開催されている写真展の見学。「KRPC(関西レイルウェイフォトグラファーズサークル)」というところの第18回写真展「美しき列車たち」というものであり、この写真展のメンバーでフェイスブックのほうで交流リストに入っているOさんという方から、フェイスブック上でイベント招待を受けたということでのぞいてみることにしたのだ。

ギャラリーは地下街の通路に面してほとんどオープンに作られており、気軽に出入りできる。招待をいただいたOさんらしい姿もあったようだが、「面識」のないままでいきなり声をかけるのもどうかと思い、あくまで一般の見物客として写真を見せていただいた。

10人ほどのメンバーの作品が合計で20点ほど展示されており、春夏秋冬、その中にあって力強い走りを見せる列車の写真の数々にうなるばかりである。写真をこの場で紹介することはできないが、個人的に気に入ったのは、琵琶湖の朝日を受けて走る湖西線、呉線の穏やかな海岸列車、DD51の重連がこちらに迫ってくる迫力の客車列車、背景の色をあえて加工処理して国鉄カラーを強調した「まほろば」、そして青森の雪の中を走る「日本海」・・といったところ。他の作品も含めて、「鉄道が好き!」というのがよく伝わってくるものであった。

さて、せっかく神戸まで来たのだからルミナリエを見物してもいいのだが、結局そのまま大阪に向けて帰った。そして乗り換えとなる近鉄あべの橋駅へ。

Dscn2208こちらで行われているのがイルミネーションゲート2011、通称「アベナリエ」。

Dscn2215ルミナリエのように通りを飾ったり大きな広場があるわけではなく商業施設の入口で小ぢんまりと行われているイルミネーションであるが、こちらはこちらで気取らない感じがあって好ましいところである。

Dscn2191さてこのアベナリエを抜けたところ、キューズモールと阪堺電車を挟んで向かい合う昔ながらの商店街の中にある書店でユーゴー書店というのがあるのだが、実は前日の10日、飲みの帰りに立ち寄ろうと向かったところ、シャッターが閉まっていた。

Dscn2192「臨時で休業でもしているのかな?」と思ったのだが、よく見るとシャッターに貼り紙が。そこには「12月6日をもって店舗販売を取りやめ」とあった。「教科書等の販売は新事務所で行います」とはあったのだが・・・。

イルミネーション側の入口からは窓越しに中をうかがえる。電気はついているがあれだけあった書棚の本は一切なくなっておりもぬけの殻。先月ここで買い物をした時には何事もなかったし、12月6日の閉店というのも中途半端だし、何かよろしくないことでもあったのかしらんと勘ぐってしまう。夜逃げとか倒産とか。でもまあ、創業80年以上という中で、向かいのキューズモールを含めた再開発というのも何らかの関係があるのかも。

こちらは学生時代から結構お世話になっているところで、店員が無愛想というのか商売っ気があまりないようにも見えたが、書籍として揃うものは揃っているし、または学術関係、特に教育や芸術系などは結構充実していたのではないだろうか。文庫や新書とも岩波書店のものは結構な数があったし。その点では「売れるものだけ大量に売ろう」という昨今の大型書店とはどこか一線を画していたような気がする。

まあ、先に書いたような再開発を含めた時代の流れというのもあるだろうし、その中で書店の業界も苦しいと聞く(旭屋書店の梅田本店の閉店もその一つかな)。これまで乗り換えの時に気軽に訪れていたスポットの一つだけになくなったのは残念であるが、私も時間の許す限りはいろいろな書物を手にしてみたいものである。

うーん、こうなるなら事前に一言あってほしかったのだけど・・・・。

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熱いぜDeNA!

2011年12月09日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

プロ野球もいわゆるストーブリーグとなり、連日FAやら移籍、背番号変更などのニュースが出てくる時期。このオフはパ・リーグの大物のFAやポスティングが相次いだのも特徴で、ソフトバンクからは川﨑、和田、杉内、ホールトンが移籍、日本ハムがダルビッシュのメジャー挑戦(果たして交渉が成立するのか、という疑問はあるが)、西武は外国人が総入れ替え、楽天も岩隈がメジャー移籍。またロッテにはサブローが復帰の見込みなど、パ・リーグの戦力図がガラリと変わる可能性もある。

その中で我らがオリックス・バファローズといえば、先日は李大浩選手の入団発表が行われ、さらには高橋信二、鶴岡、ミンチェらの獲得、あるいは獲得を目指すということでどのようにプラスになるか。環境が変われば活躍する選手もいることだろうから楽しみである。

とはいうものの、このオフで注目されるのは「横浜DeNAベイスターズ」なのかな・・・と思う。4年連続最下位、勝率3割台もあるという弱小球団にあって、若い世代の経営陣がどのように球団を運営していくのかが楽しみである。

その初代監督には巨人OBの中畑清氏が就任。記者会見では「絶好調!」ならぬ「熱いぜDeNA!」と言ったそうな。まあ、おとなしいイメージのあるチームにあって、こういう明るい雰囲気のある人が監督になるのも面白いかと思う(監督としての采配の力量はまた別の話として)。監督就任要請が破談になった工藤公康氏も投手コーチなどで入ればいいのになと思うのだが。

この監督なら、このたび入団したラミレスと漫才でもいけるかもしれないな。今なら何も失うものはないから、思い切ったことをやるのもいいかな。

どこか昔ながらで、沈滞した感じがあるように見えるセ・リーグにあって、一つくらいはこういう異色のチームがあってもいいなと思う。ぜひともリーグをかき回してほしい。

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会津からの復路編

2011年12月09日 | 旅行記B・東北

会津の大内宿を訪ねての帰り。野口英世が描かれた車体の気動車で南下を始める。目的地にたどり着いたことでホッとしたのか、車中でウトウトとする。

Dscn2179会津田島に到着。ここで次の列車までしばらく時間があるということで、乗り継ぎ客も一度改札の外に出るように案内される。会津鉄道の中心的な駅で、立派な駅舎には地場の土産物や農産物を売る店舗やレストランもある。ここでしばらく時間をつぶした後に次の列車に乗ることに。

鬼怒川温泉からのスペーシアの指定席を押さえており、どこか一か所なら40分程度であるが途中下車できる。どこか温泉でも行ければいいのだが、朝に訪れた川治温泉となると温泉街まで遠く時間がない。

そこでパンフレットを見ると、栃木県に入り、途中の野岩鉄道の湯西川温泉駅が道の駅を併設しており、何とそこには日帰り温泉施設があるという。それは意外であった。それなら40分くらいでも十分に楽しめることである。これまで足湯、手湯と来ていたが肝心の全身浴をしたいなと思っていたところだ。

Dscn2182その湯西川温泉、鉄橋を渡りトンネルに入ったところに駅がある。駅のホームからトンネルの出口は見えるのだが、ここは川の土手をほじくり返したトンネル駅である。これも下野と岩代を最短距離で結ぶ野岩鉄道らしい駅というべきか。ここで降り立ったのは私一人。

Dscn2183階段を上がる。そして改札を出るとそこは道の駅。ただ日暮れ迫るこの時間帯、人の姿はほとんど見られない。駅名でもある湯西川温泉やら平家の落人伝説のある集落へはここからクルマで行く必要があるが、こちらの道の駅では、目の前に広がるダム湖を周遊する水上バスがあったり、ちょっとした立ち寄りスポットになっている。昼間に来ればそれなりに賑わっていることだろう。

そんな時間帯だからか、浴槽は貸切状態で利用できた。さすがに日が暮れると冷えてくる感じがして、それだけに温泉の温かさを感じることができる。朝の入浴はできなかったが、最後に来て(栃木県まで戻ったが)会津の旅を閉めることができた。

Dscn2188次の列車は単行の気動車。ただ会津若松から鬼怒川温泉までの直通ということもあって立ち客も出るほどの盛況。そして鬼怒川温泉に到着すると、ホームの反対側に停まっていたスペーシアに1分の乗り継ぎ。やれやれ慌ただしい。

鬼怒川温泉を出発時点ではガラガラであったが、「途中から乗車されるお客様もいらっしゃいます。この列車は本日満席です」との案内がある。やれやれ、朝の浅草で指定券を確保しておいてよかった。これに乗れないとなると東京から帰阪の新幹線にも間に合わないという事態にもなったので・・・。

Dscn2189スペーシアにはありがたいことに売店も備えられており、先ほどの湯西川温泉では湯上りにいただけなかった(まあ、道の駅だから仕方ないか)ビールを味わって一息つく。シートもゆったりとしているし、浅草までの2時間の道のりも快適に過ごすことができる。果たして途中の下今市で日光方面からの客がどっと乗ってきて、また新鹿沼でも結構な乗車があり果たして満席となった。

東京在住時代であれば北千住で下車するのが便利であったし、本日でも例えばサイコロの出目によって行き先が栃木だったり日光だったりすれば北千住で下車して駅前の大衆酒場でひっかける・・・ということになったが、そのまま浅草まで乗車。今度は吾妻橋はらスカイツリーを見るということもなく、そのまま地下鉄と山手線を乗り継いで東京駅へ。夕食に駅弁を買い求めてのぞみに乗車する。

のぞみのシートに腰かける。N700系を最新型の快適な車内空間とうたってはいるものの、先ほどまでスペーシアに乗ってきた身にとっては何とも貧相な、「乗せてやる」「座れるだけありがたいと思え」と言わんばかりの車内に見えた。乗客も軒並み疲れたご様子であるし・・・(相手から私を見れば同じように思うのだろうが)。まあ、私鉄の特急には旅の面白さを感じることができるが、新幹線(特に東海道新幹線)の場合は仕方なくビジネスライクに割り切って乗るようなところが。まあ、N700系の場合は窓側の座席ごとにコンセントがあって携帯電話の充電もできるし、トンネル内も関係なくネットが利用できる(今回のお散歩~サイコロの旅についてのブログ記事も途中まで書き上げることができた)というメリットはあるのだが・・・。

Dscn2106日付が変わる手前で自宅に帰りつく。おそらく次の「お散歩だんらんの会」参加のための関東遠征は年が明けてからになるだろうが、また「サイコロの旅」をやろうかなと。参加者の皆さんに、今度は1投目から振ってもらうとするかな・・・・?

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