早いもので6月も最終日。2007年という年ももう半分を経過したことになり、実に早く感じられるものだ。
この週末は梅雨空で不安定な天気ということだが、どこか近場でもでかけなくなった。そこで、西のほうには先日行ったし、房総には7月の「クジラ学」で行くことにしているからということで、北関東、東武電車に乗って出かけるのがいいかな。思い立ったのが朝もかなり時間が経ってからだったので、桐生やらその先のわたらせ渓谷は遠い。ということで、前に一度降りたことのある栃木に向かうことに。
栃木への足はスペーシア号ではなく、同じ特急でも臨時の「きりふり」号。350系という、いかにも一昔前の面構えの車両。車内は2人掛けだがリクライニングしないというものだ。でも、こうした古い車両、ローカル然とした特急というのに乗る機会はそうあるものでもなく、面白いものだ。ちなみに、この車種って、どこかでローカル運用してなかったっけ・・・? 北千住から1時間、栃木駅着。以前に訪れたときは駅前が整備工事中だったように記憶しているが、広いロータリーや新たなマンション、店舗も並んでいる。
栃木を訪れようと思ったのが、「蔵の街」というその町並み見物のため。川越・佐原と並び「小江戸」と称される街だが、その一方で全国の「小京都」を名乗る街のリストに入っていたりもする。「小江戸」と「小京都」。どっちがどう違うのかという話があるが・・・・。かつて日光例幣使街道の宿場町として、また巴波(うずま)川の水運で栄えた町である。以前に栃木を訪れたのは、当時参加していた旅サークルの集会の帰途、この地に居を構える会員の自宅に立ち寄ったため。その時は時間がなかったのと、同行者に古い町並み歩きを好む人間がいなかったために「蔵の街めぐり」はせずに、女優・山口智子の実家が経営する「ホテル鯉保」(今は廃業してしまったとか)で食事をしただけだった。
駅から10分ほど歩くと巴波川の流れに出る。川の両側は柳並木の遊歩道になっており、鯉が泳いでいる。心安らぐ光景だ。そして対岸に並ぶ黒塀に蔵の数々・・・。ここが、栃木のパンフレットには必ず登場する塚田歴史記念館。塚田家というのは木材回漕問屋を営んでいたとのことで、巴波川から利根川を経て、江戸へと材木を輸送していたとのこと。中を開放しているので入場料を払って入るが、この地に伝わる「人柱伝説」を人体型ロボットで紹介する芝居の上映やら山車の展示、塚田家で収集した屏風や陶磁器の展示とあるが、うーん、ここは入るより外からその建物の風格を眺めるのがよいなと思った。
ここで「蔵」「水運」「江戸」「山車」という言葉が出てきたが、これらをキーワードとして従来の「小京都」と一味違う魅力をアピールしようというのが「小江戸」というのだとか。なるほど、川越、佐原、栃木にはこれらの共通点がある。そんなことを感じながら川べりを歩く。アジサイも見ごろで、見た目には涼しさを感じさせるのだが、昼間ということで真夏日になったんと違うか・・・というくらい暑い。汗がこれだけ出るものかと自分でも呆れ返る。
母屋の両側に蔵を並べた横山郷土館や、蔵造りとは違うがかつての栃木県庁の面影を残す建物を見てはうなる。昔からの江戸との水運を通したつながりから、栃木に県庁が置かれたのはうなずけるが、それが宇都宮に移ったのは・・・やはり鉄道の開通によるものか。そのために街がさびれたと見るか、いやいやこうして「小江戸」と呼ばれる情緒ある町並みが残ったじゃないですかと見るか・・・。観光客は勝手なもので「情緒あっていいですね」というが、地元の人の思いはいろいろあるだろうな。
ただ「蔵の街」としてPRしようという思いは強いようで、今はクルマの激しく行きかう大通り沿いにも黒塀の蔵を生かした商店がビルの間に残っているし、電柱もなくすっきりした景観を作り出している。商店に入り込んで商品を冷やかすのが好きではないので外から見ることになるが、地道に商売している雰囲気が出ており落ち着いている。
その一角にあるのが「山本有三ふるさと記念館」。こちらも蔵を活かした記念館であり、山本有三についてのさまざまな資料を見ることができる。やはり蔵の中、外の暑さはある程度遮断できるし、その上冷房が入っており、ゆっくり見学しながら涼むことができた。
山本有三といえば「路傍の石」「真実一路」、最近では小泉前首相が口にした「米百俵」ということでその名が取り上げられる。中には「山本有三が米百俵の精神を説いた」なんていう誤解があるようだが・・・。「路傍の石」は、確か小学校の時に国語か道徳の教科書で、主人公の吾一が友人との意地の張り合いの末、鉄橋にぶらさがる・・・という場面を抜粋してたのがあったように記憶しているが、果たしてあの時、あの作品から子どもたちに何を教えようとしていたんだろうか?その頃は私自身道徳教育とかに対して斜に構えていたようなところがあったから、よく理解できなかったんじゃないかな。
これでは大人としていかんなということで、早速「路傍の石」の文庫版を栃木の街の書店で購入。帰りの車内で一気に読み通す。そこで目に入ったのが、栃木の駅前にも石碑のあるあの一節。鉄橋にぶら下がったところ間一髪で助かった吾一に、担任の次野先生が諭すという場面だ。少し前から引用する。
「人生は死ぬことじゃない。生きることだ。これからのものは、何よりも生きなくてはいけない。自分自身を生かさなくってはいけない。たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか。」
石碑にされているのを見ただけならなんとも思わないだろうが、初めて作品を読み通し、この言葉が吾一に与えたものを見ると、その意味も深く伝わってくる。逆境に耐えながらひたむきに生きる吾一はじめ、この作品に登場するさまざまな人の生き方というのを、時代背景を絡めながら描いている。それぞれが、一度しかない人生を生きている・・・。
さて、蔵の街を回った後は、今度はJRで小山経由で現在の県庁所在地・宇都宮へ。といっても歴史探訪ではなく、遅い昼食に餃子を食べるため。というわけで、駅ビル内の「宇都宮みんみん」へ。最近消費量で浜松に抜かれたというが、宇都宮といえば餃子である。「みんみん」は一番の人気店で、市内の本店は常に長蛇の列とか。そりゃ本店に行くのがいいんだろうが、食事で行列をつくるのは食糧配給を待っているようで嫌いだし、駅ビルだからと味が変わることはないだろう・・・ということで、だいたいこちらを訪れている。こちらは回転がいいので行列時間も短いし。
焼き餃子、水餃子ともおいしくいただきました・・・・。
そして帰りは宇都宮線のグリーン車。今日は車端部の小スペースに陣取り、他に客がいなかったので個室のような感覚でくつろぐ。そこで「路傍の石」を読む・・・。
今日は行かなかったが東武線・両毛線の沿線には風情のある街が多く、今日行こうかなと思っていた桐生も、近代化遺産に値する建物が点在するとか。機会見つけて、わたらせ渓谷鉄道とセットで、上州を目指すことにするか・・・。