八栗ケーブルに乗る。戦前は八栗登山鉄道という会社がケーブルカーを運営していたが、戦時中に不要不急路線として休止された。戦後の1964年に八栗ケーブルによって再開され、現在は四国ケーブルが運営している。四国ケーブルは八十八所めぐりの第21番の太龍寺、そして第66番の雲辺寺のロープウェイも運営しており、公共交通機関での八十八所めぐりにとっては頼もしい存在である。
八栗寺はケーブルカーが敷かれるくらいの山の上にあるということもそうだし、ケーブルカーの需要があるくらい多くの人が参詣しているとも言える。屋島のようにスカイウェイがあるわけでもないから、クルマで上がるのもきついのだろう。



待合室でしばらく過ごして、15時30分、数人の客と共に乗り込む。車両は1964年の開業時の日立製作所の車両である。先日も近畿三十六不動めぐりで生駒聖天の宝山寺に行ったが、その時もケーブルカーに乗っている。電車ともロープウェイとも違う独特の乗り心地、悪くない。





5分ほどで八栗山上駅に着く。出迎えるのは鳥居である。少し歩くと境内だがケーブルからだと裏から入る形になる。先に多宝塔と大師堂に着くが、やはり本堂から先にお参りしたほうがよいと一旦素通りする。さらに、やはり山門から入らないとということで本堂の前も素通りして山門から入り直す。遍路道をずっと歩いて来るとこの山門から入るわけで、先ほどの屋島寺とは逆のパターンだ。
弘法大師がここで虚空蔵求聞持法を修めた時、天から五本の剣が降り、蔵王権現が現れてこの地が霊地であると告げた。そこで弘法大師は剣を山に埋め、大日如来の像を祀った。それが五剣山の由来だという。また、五剣山の頂上から8つの国が見えたことから「八国寺」とされた。「八栗寺」という名前は、弘法大師が唐に渡る前に入唐求法の効力を試すために焼き栗を八つ植えておき、唐から戻った時にそれが成長していたのを見たことからついたという。梨の実を石のようにしたり、焼き栗から栗の木が生えたり、弘法大師も食べ物に対していろいろと忙しいのである。
改めて本堂を見ると、背後の五剣山の異様な姿を仰ぎ見る形である。この五剣山も信仰、修行の地であるが、現在では落石の危険があるために入山が禁止されている。もっとも、個人のブログなどでは結構登頂している人もいるようだが。
八栗寺は長宗我部元親の兵火で焼かれたが(この武将、いったいいくつの札所の寺を焼いたことやら)、江戸時代に高松松平家の保護もあって再興され、その時に本尊が聖観音となった。


また本堂の手前の聖天堂で歓喜天が祀られている。ケーブルカー、崖の下の本堂、歓喜天・・生駒聖天と共通している。この聖天堂は、江戸時代に木食以空上人がこの地こそ歓喜天を祀るのにふさわしいとして建てられたものである。五剣山というのがそれだけ霊地として魅かれるものがあるのだろう。
私はいただかなかったが、納経所では八十八所の通常の朱印のほかに、八十八所で唯一という歓喜天の朱印もいただける。



順序が逆になるが、ケーブル駅へ戻る途中で大師堂でお勤めとして、八十八所の石仏が集まる一角にも立ち寄る。この石仏は五剣山の中に点在していたものを集めて祀ったものである。
次のケーブルは16時15分。待つ間、梅昆布茶のお接待を受ける。下りの乗車は私一人。この日は17時15分が最終便だが、初詣の期間は運転時間を延長、大晦日から元日にかけては終夜運転とある。高松の人たちにとっては初詣の名所の一つなのだろう。
12月23日、冬至の次の日ということで日がもっとも短い時季である。また午後から曇り時々雨の空模様ということもあって外も暗くなってきた。帰りのバスまで時間はあるが、早く高松の駅まで戻りたくなった。行きに見たうどんの山田家は営業しているが、見送ることにする。もったいないと言えばもったいないのかもしれないが・・。
ケーブルの駅から歩くこと20分でことでんの八栗駅に着くが、時刻表を見るとちょうど瓦町行きが出たばかりで、次は20分待ちである。そこで向かったのは少し南にあるJR高徳線の古高松南。ちょうど16時47分発の列車に間に合った。高松までは20分、こちらのほうが速い。

帰りも青春18きっぷを使って鈍行乗り継ぎとするか高速バスにするか迷っていたのだが、結局19時ちょうど発の高速バスに乗ることにした。乗り換えなしで大阪まで戻れるというのはやはりポイントである。

それまでの間に入ったのは、高松駅横の庄や。チェーンの居酒屋だが、そのエリアの名物も結構メニューにあるのが特徴で、高松店では中四国のメニューがいろいろと並ぶ。この日はそれなりに歩いたのでビールが美味しい。料理ではオリーブの葉の粉末を餌に混ぜて養殖したオリーブハマチの刺身が、身が締まった感じでよかった。
また、今ではすっかり高松名物となった骨付鳥もある。今回は親鳥をいただいたがもちろん雛鳥もあり、食べ比べもできる。

19時の高速バスは阪急バス。この便の乗客は10人ほど。連休中ではあるが年末ということで遠出する人もそれほどいなかったのだろう。おかげで帰途もゆったりと過ごし、途中渋滞もなく順調に大阪まで戻ることができた。
さて、四国八十八所めぐりもこれで残すのは3ヶ所となった。これまでつないでつないで来たが、最後は一気に行こうと思う。何だか名残惜しい気もするのだが・・・。
八栗寺はケーブルカーが敷かれるくらいの山の上にあるということもそうだし、ケーブルカーの需要があるくらい多くの人が参詣しているとも言える。屋島のようにスカイウェイがあるわけでもないから、クルマで上がるのもきついのだろう。










弘法大師がここで虚空蔵求聞持法を修めた時、天から五本の剣が降り、蔵王権現が現れてこの地が霊地であると告げた。そこで弘法大師は剣を山に埋め、大日如来の像を祀った。それが五剣山の由来だという。また、五剣山の頂上から8つの国が見えたことから「八国寺」とされた。「八栗寺」という名前は、弘法大師が唐に渡る前に入唐求法の効力を試すために焼き栗を八つ植えておき、唐から戻った時にそれが成長していたのを見たことからついたという。梨の実を石のようにしたり、焼き栗から栗の木が生えたり、弘法大師も食べ物に対していろいろと忙しいのである。










次のケーブルは16時15分。待つ間、梅昆布茶のお接待を受ける。下りの乗車は私一人。この日は17時15分が最終便だが、初詣の期間は運転時間を延長、大晦日から元日にかけては終夜運転とある。高松の人たちにとっては初詣の名所の一つなのだろう。
12月23日、冬至の次の日ということで日がもっとも短い時季である。また午後から曇り時々雨の空模様ということもあって外も暗くなってきた。帰りのバスまで時間はあるが、早く高松の駅まで戻りたくなった。行きに見たうどんの山田家は営業しているが、見送ることにする。もったいないと言えばもったいないのかもしれないが・・。








さて、四国八十八所めぐりもこれで残すのは3ヶ所となった。これまでつないでつないで来たが、最後は一気に行こうと思う。何だか名残惜しい気もするのだが・・・。