まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

青春18で金沢の町へ

2009年08月31日 | 旅行記D・東海北陸

それにしても30日の総選挙結果はすさまじかった。4年前の「郵政選挙」で自民党・公明党が獲得した議席もすごかったが、今回の「政権交代選挙」で民主党が単独で308議席。いくら自公連立に逆風、民主に追い風とはいっても、こうも極端な数字となって現れるものだろうか。国民が政権を選ぶといいつつも、何だか見えざる手で踊らされているような気がしないのでもないのだが・・・。

私の住む尼崎市が選挙区となった兵庫8区。こちらは接戦となったが新党日本の田中康夫代表が、長く議席を守った公明党の冬柴鉄三氏を破って当選。個人的には「関西人が田中康夫のキャラクターをどう評価するのか」という見方があったのだが、知名度で辛うじて勝利したというところだろうか。マニフェストで独自色を出そうとしていたのだから、国政の場で少しでも実現されることを期待したいものである。

さて、この週末(29~30日)はそんな総選挙の喧騒を避けるため、またも「青春18」片手に早朝から列車に乗る。目的地は、ナイターでのプロ野球独立リーグの試合が行われる金沢。先週岐阜へ向かったときよりも大阪駅を20分あまりゆったりとした出発なのだが、それでも5時22分発。朝帰りの人、新大阪で新幹線の始発に乗り継ぐ人などを乗せて京都に向かう。

Dscn2756この日は京都から湖西線の列車で近江今津へ。自宅を出るときは雨もぱらついており、ここまでぐずついた天気模様。久しぶりの湖西線乗車で琵琶湖の景色を眺めるが、雲のため対岸までよく見渡すことができない。

Dscn27648時14分発の福井行きに乗車し、新疋田の山越えをこなした後、敦賀着。この列車は福井行きであるが、その先、金沢まで向かう普通列車は敦賀始発となっている。このため、始発から席にありつこうとここで下車した。敦賀の町も港町として観光客の誘致がさかんである。今回は乗り換えのため素通りとするが、またいずれ、ウォーキング目的で散策してみたいものである。

Dscn2768今後の9時53分発の金沢行きは、旧国鉄急行型の455系。それが6両つながっている。車両につけられた銘板を見ると「昭和40年」「昭和43年」など、私が生まれる前から活躍していた車両ばかりである。

Dscn2767それが6両もあるとなるとなかなかどっしりとした壮観が漂ってくる。最近のステンレスやアルミで出来た車両だと、こうはいかない。

朝のラッシュでもないのに6両は多いなと、ボックス席に陣取って発車を待つ。発車直前にホームの向かい側に京阪神からの新快速列車が到着。すると、ここから大勢の乗客が一斉にこちらの列車になだれ込んできた。9割5分くらいが「青春18」利用の「タダの客」である。ボックス席はもちろん埋まり、デッキに立つ人も大勢出た。6両つないでこの有様なのだから、どんだけ乗客が集中しとんねんというところである。まあ、私のように大阪を5時台に出るのは別として、京阪神を7時半~8時台に出るとなればちょうど接続がうまく行く時間である。

乗客は特に中高年が目立ち、その多くが手にしているのは市販の時刻表ではなく、パソコンの画面を印刷したものである。こういう乗り継ぎ検索の場合、特に最短ルートで、待ち時間の少ない乗り継ぎを提示するものだから、それを見た人はおのずと同じ列車に集中することになる。本当、最近は鈍行列車のほうが座席の確保が難しくなっている。

Dscn2773北陸トンネルを抜け、今庄から少しずつ平野部が広がる。車内は中高年女性の話し声で賑やかである。往年の急行列車の車内もこのように乗客の活気ある声が充満していたのだろうか。

途中、特急列車の通過待ちをしながら、地元の人たちも入れ替えながら、敦賀から2時間半で金沢着。高架ホームからの階段には人があふれ、都市部のラッシュ時とさほど変わらぬ賑わいぶり。

Dscn2778さて、この日は金沢の繁華街・香林坊を16時25分に出発する路線バスで市民球場に向かうとして、それまでは金沢散策とする。4年前に初めて金沢の町に降り立ったのだが、その時は兼六園や茶屋街、そしてレンガ造りの近代化遺産の建物を利用した県立博物館を回っている。今回はどうしようか。

・・・とその前に食事。インシュリンを投与した後、駅高架下のレストラン街へ。DM患者とはいえ旅に出たときはそれなりのものを食べたいという欲求があり(それが積み重なるとよろしくないことになるのはわかっているのだが・・・)、地魚を扱っているという「魚菜屋」へ。今夜のナイターでは地元の名物らしきものが食べられないことはわかっているので、北陸の魚は昼のうちに食べてしまおうというもの。

Dscn2777_2注文したのはバイ貝、サザエなどの貝をメインとした刺身と、ホッケ焼のついた定食。刺身ならカロリーもいくらかは抑えられるし、やはり新鮮なものを食べるということで味覚も満足である。朝食の時間がべらぼうに早かったこともあってしっかりといただき、天気も回復してきたので町をどう回ろうかといったところだ。

駅前のロータリーはバス乗り場である。柱に大きく乗り場番号が貼られているが、正直、金沢のバスの系統が飲み込めていない。路線図も入り組んでいるし、途中まで行くのなら別の乗り場から出るバスでも大丈夫というようなところもあってややこしい。そのうえ(これは私の個人的な感想なのだが)、行き先表示や運転手の案内も他所者にとっては非常に無愛想に感じる。

そんな観光客にもわかりやすくということか、一方では観光ルートを回るレトロバスや「まちバス」というのも出している。市内の観光スポットに立ち寄りながら循環するもので、こちらはわかりやすい。結局、100円でルートを回る「まちバス」に乗車し、市内中心部へ向かう。目的地は、金沢の新しい観光スポットとして人気を集めている円形の建物・・・・。(続く)

コメント

石川の底力~BCリーグ観戦記

2009年08月29日 | プロ野球(独立リーグほか)

Dscn2885「石川の底力」といっても、ゴルフの石川遼選手のことではない。プロ野球独立リーグ・BCリーグの石川ミリオンスターズのことである。

Dscn281029日は、総選挙前の喧騒を避けるかのように、青春18を片手に金沢まで遠征。夕方から、金沢市民球場での対富山サンダーバーズ戦の観戦に訪れる。リーグ発足以来、常に激しい優勝争いを展開しているライバルチームである。今回は地元・石川に肩入れしようということで、3塁側ホームの石川応援席に陣取る。

本当はもう少し早くに行きたかったが、ようやく今シーズン初めての「北陸遠征」である。今年は新たなリーグである関西独立リーグに注目していたのだが、ご案内のとおりゴタゴタ続きで、正直関心が薄くなった。やはり「地域密着」を前面に出しているBCリーグのほうがいいかなと。

その中にあって、石川の主催試合に訪れるのは初めてである。もちろん、金沢の球場も初めて。金沢の繁華街・香林坊からほとんど本数のない系統のバスに乗ること20分で現れる。バスから降りたのは私だけで、まあ地元の人はクルマで来るのが当たり前なのだろう。

Dscn2847両翼99.1m、中堅122mという立派なつくりの球場。スタンドも内野席は全て一人ずつのシートになっており、グラウンドも見やすい。なかなかよい球場である。

Dscn2825一つ難を挙げるとすれば、得点表示欄は電光掲示板になっているのに、メンバー表示欄が手書き式で、なおかつポジション名しか表示されないこと。まあよく知っているファンなら表示せずとも誰が誰でというのはわかるのかもしれないが、私のようにごくたまにしか観戦しない客もいるのだから・・・。

ちなみに、NPBプロ野球の地方試合で「金沢」とあるのは、金沢市内にあるもう一つの球場(あちらは石川県営の球場だそうだ)のことらしい。

この記事冒頭のクリアファイルの写真は、何でも前後期制覇、BCリーグ、そして独立リーグ日本一に向けて「個人協賛」を募るというもので、1000円払えば入場券1枚にクリアファイル1冊(4種類の中から選べる)がもらえる。石川県には何の地縁血縁もない現在兵庫県在住の人間が申し込むのも妙な話だが、これもBCリーグの取り組みに賛同してのことである。

リーグ発足時から続いている「MIKITO AED PROJECT」の呼びかけも継続されているし、試合前やイニングの合間には子どもが参加するミニゲームをやってみたりして、特に子どもたちにはウケているようだ。リーグの中でも石川はあの手この手の取り組みをやっているようである。

Dscn2861さて試合、石川の先発は左腕の山下。ふりかぶった後で体をちょっとセンターの方に向けてから投げる、トルネードがかったフォーム。一方の富山の先発は萩原。小柄ながら身体全体を使ったフォームで、日本ハムの武田久に似た感じかな。

Dscn2845初回、富山のトップバッターは「ガンジー」こと山内。山下の甘い球を振りぬくと、打球はそのままライトの頭上を越え、スタンドイン。先頭打者本塁打で富山が1点先制。しかしその後は山下が3者連続三振を奪い、立ち上がりはまずまず。中盤も満塁のピンチを2回迎えたが、ランナーが溜まると力が出るタイプなのかなと思わせるくらい、後続をしのぐ投球。

Dscn2853一方の萩原。石川の打線に序盤安打を許すものの、ズバッと真っ向勝負で後続を断ち切り、得点を許さない。両チームとも安打や四球でランナーを出すものの、最後は両投手が踏ん張って得点シーンは見られない。

Dscn2950両チームの応援団ともトランペットに太鼓という「日本式応援」を展開するが、地元石川の大きな声援にも関わらず得点につながらないイニングには容赦ないヤジが飛ぶ。やはり、こういう野球場の雰囲気というのは昔懐かしい感じがして個人的には心地よい。8月ではあるがこの日は涼しく、客席を吹き抜ける風も「秋」を思わせる感じだ。真夏の格好で来ていた観客の中には、羽織るものの代わりに応援用のタオルを肩や腕にかけて「寒さよけ」していたくらいだ。

Dscn2940中盤のヤマ場は7回裏。一死二塁で、続くトップでキャプテンの座親(ざおや)がセンターにはじき返す。二塁ランナーの松岡がホームへ突っ込むがセンターからの返球。キャッチャーがつかんで追いタッチの形になったが、判定はアウト。石川は貴重な同点のチャンスを逸した。

Dscn2931山下は結局8回まで投げて、失点は先頭打者本塁打による1点のみでの降板。本人としては納得の投球だったのかどうか笑顔も見られたが、しかしまあ、何とももったいない。このまま「スミ1」で終わるのかなという気がする。

そして迎えた9回裏。萩原は簡単に2死を取り、あと一人で試合終了。ここで、先ほど本塁でタッチアウトとなった松岡がレフトへ流し打ち。最後の望みをつなぐと、ここで代打は、今年信濃グランセローズから移籍してきた平泉。長打力のある打者で、「何か雰囲気あるよ」と、私の周りでも会話があった。

Dscn2956その平泉がバットを振り抜くと高い打球。まさか、と思って総立ちとなった石川ファン。富山のレフトとセンターが追いかけるが途中で足を止めた。

Dscn2957Dscn2959何と、2対1となる「代打逆転サヨナラ本塁打」。スタンドに入った瞬間、これまであきらめムードだったファンたちが一斉に大騒ぎになる。これまで淡々と試合経過をメモしていた私も、この瞬間は鳥肌が立った。

Dscn2964これが、「石川の底力」なんだろうな・・・・。ミリオンスターズやなくて、「ミラクルスターズ」といってもいいかもしれない。

Dscn2971ヒーローインタビューはもちろん逆転サヨナラ本塁打の平泉と、勝ち投手にはならなかったものの投手戦を見せてくれた山下の2人。謙虚にインタビューを受ける姿がすがすがしかった。

Dscn2979試合終了後は球場外でのお見送り。私も石川の勝利をもたらした平泉からサインをもらう。それにしても、初回の1点が本塁打、そして9回裏のサヨナラの2点が本塁打。本当、野球は9回まで何が起こるかわからない。今年はなぜか私が観戦した独立リーグの試合では「9回になって試合が動く」という展開が多い。それだけに余計そう実感する。

これで前後期の地区完全優勝に向けて、石川が少しリードした形になった。こういう試合をすればチームのムードも高まるし、野球ファンの旅行者として、こういう試合に立ち会えたことはまた旅の思い出ともなることだった。

やはりBCリーグは、これからも応援したいですな・・・・。

コメント

最後の「時刻表検定」??

2009年08月29日 | ブログ

少し気が早いのだが、来たる11月15日(日)は「時刻表検定」の日である。主催者のサイトをたまたまのぞいたところ、出願受付が始まっていたということで申し込む。

毎年11月に行われるこの「時刻表検定」、私にとっては「年中行事」の腕試しのようなものである。

これまで、1泊旅行を兼ねてあちらこちらの会場で受験してきた。広島在住時代は広島でも受験したほか、わざわざ東京まで行ったこともある(この時、当時放映していたフジテレビの「トリビアの泉」の取材を受け、OAでは会場で時刻表をめくっている私の姿も映ってた)。この他、大阪時代は高松へ、東京へ移ってからは横浜、名古屋、金沢、仙台と会場を回る。高松、名古屋、金沢では、このブログでおなじみの大和人さんとも、乗り物や郷土グルメを楽しみながらの「受験旅行」でご一緒させていただいた。

このところ2種試験では満点かそれに準ずる成績のところ、1種試験ではどうしても「1級と2級の間の壁」にぶち当たっている。比較的易しい年は1級認定だったが、それ以外は2級ということで、実力的には「1.5級」といったところかな。もちろん、「博士」号は取ってみたいのだが・・・。

Cover_そんな検定であるが、公式サイトを見ても「もしかすると最後の"時刻表検定"」という文字が踊っている。受験者数が3,000人前後と横ばい(おそらく半数以上は「常連」と思われる)ということもあるが、今や数ある「○○検定」の草分け的存在、一応「時刻表を普通に読む」ということも定着してきたのかもしれないし、鉄道ブームとやらもひと時の騒ぎは落ち着いたようだし、15回ということで区切りとするのかもしれない。

今度の受験は関西からまた「受験旅行」ということにする。方向は関東ということにして、東京会場はまた混雑必至だろうから、今年開港150年ということもあるし、横浜会場を指名。4年前にも横浜で受験したがその時は1級を取っており、自分としてはゲンのいい会場と思われる。

前日は久しぶりに都内に出るか、横浜を満喫するか。今から先の楽しみである・・・。

コメント

『日本の農業は成長産業に変えられる』

2009年08月28日 | ブログ

いよいよ30日は総選挙。・・・といっても、もう期日前投票を済ませているために、後は結果を見守るだけ。通勤途中では各党の候補者が相変わらず党の名前と候補者の名前を連呼している。法で定められているから仕方ないのだろうが、もういいかげんに、こういう選挙運動というのは見直したほうがいいのではないか。

投票前日、投票日当日は喧騒を避けるために北陸へ向かう予定。

さて、私が選挙で重要視する点として「農業、漁業といった第一次産業を今後どのようにしていくのか」「日中関係、日露関係を初めとした環日本海経済圏とのつながりをどうしていくのか」ということを挙げた。どの党、どの候補者が私の思いに近いかの話は置いておくとして、このうち「農業」について、うならされる1冊があった。DMで入院している際に散歩先の一つだった書店で見つけたものを読み、さまざまに勉強になったことである。

『日本の農業は成長産業に変えられる』大泉一貫著、洋泉社新書。

著者は農学博士にして、ここ最近の政府の農政改革関係の特命チームのアドバイザーである。発行されたのが今年の6月ということで、やはり来るべき総選挙をにらんでの出版だったことはあるだろう。

4862484034_3日本の農業といえば今や危機的な状況で、政府が米価の高値安定、何とか補助金や所得補償で農家を保護してやらなけれなならないというイメージがある。一方で、記憶に新しい小麦、トウモロコシなどの高騰を受けて、「食料自給率」なるものを高めなければならないというPRもやっている。また、豊作すぎると農家ではあまった野菜を全て廃棄してしまうし、そうかと思えば今年のような天候不順なれば価格がすぐに高騰するという、「何で?」と思わせることもある。

その中で、著者は日本の農業がまだまだ「成長産業」になる可能性を秘めていると説く。その中身を粗っぽくまとめてみると、

・生産を制限するのではなく、農地を有効に使い生産を拡大すること。コメなどの農産物を輸出品にするくらい、国際的な戦略を持ち、競争力をつけること。

・これまでの家族経営だけにとらわれず、地域の共同体、株式会社化、大企業の参入・・・いずれにしても「ビジネスモデル」を確立し、消費者の視線に立った「経営」を行うこと。

・農地法に代表される「内向き」の政策ではなく、本当の意味で開放された農業政策を取ること。しかしそこには「農林族議員」の壁が立ちはだかっている。

といったところだろう。

中には画期的な農業経営を展開している農家や、農業を後押ししている自治体も多いのだが、残念ながら全国的に水平展開されているわけではない。妙にかしこまって過保護に走り、競争させずに家の中で箱に入れておしいただいているように見える。

著者は何も「農家は保護しなくてもよい」というのではなく、「儲ける」ということを考えれば新たなビジネスチャンスも生まれ、新たな農業の形が出来て産業が活性化することを繰り返し主張する。「日本は国土が狭いから」という見方に対しては、日本よりも国土が狭いヨーロッパの国々がなぜ「食料輸出国」として国際社会でやっていけているのかを解き明かす。そこには、国を挙げての農業に対する戦略があるからという。

読み進めるうちに、「本当にこの主張どおりになれば、日本の未来も明るいなあ」と思う。工業ではあれだけ国際社会で大きな地位を築いた日本だ、農業でもやってやれないことではない・・・・。

しかしそれを阻んでいるのは他ならぬ日本の族議員たち。そして、総選挙後の政権交代をにらんでか、民主党の農業政策についての考え方も紹介しているが、著者は自民党、民主党のどちらにも好評価を与えていない。民主党の政策にしたところで、農家に対する「バラマキ」でしかないとしている。

農産物の高騰や、これも記憶に新しい中国製食品の安全問題など、農業・食糧問題に関心を持っている人は多いと思う。ただ今回の総選挙は「政権交代」が前面に出ていて、その次が「年金・福祉」「雇用問題」で、農業問題や外交問題はどちらかといえば優先順位が下がっていると思う。しかしこれらも「国家の根幹」を成す問題。いずれは国会の場でも真剣に討議しなければならないことであり、今のうちに関心を持って置くことも必要だと思う。

総選挙まで残りわずか。・・・・投票までの1日や2日で読んでというのは結構きつい話だが、今のうちに読んでおいて内容の一部でも頭の片隅に置いておけば、「この問題にどう向き合うべきか」ということを考えなければならない時のヒントが来るはずである。2009年8月30日時点のこととして、損はない一冊といえる。

コメント

朝晩、涼しくなりましたな

2009年08月27日 | ブログ

8月も終わりに近づき、今年は新型インフルエンザ流行による一斉休校の措置を取った分、2学期がいつもより早くなった学校も多いようだ。2学期ともなると、そろそろ秋も近づいてくるかなという気がする。

そのためかどうか、日中はまだまだ暑いものの、このところ朝晩が涼しくなったのはうれしいところ。このために「熱帯夜」という言葉もそろそろおしまいのようである。秋から冬にかけての澄んだ空気というのが私の好きな気候なのだ。

さて、2週間ほど前から、夕食後に近所の公園をウォーキングするようにしている。やはりDM患者としては「運動療法」というものが欠かせない。運動によって、血液中のブドウ糖はエネルギーとして有効に利用されて高血糖状態も解消されるし、筋肉量の増加による基礎代謝量の上昇、よって摂取したカロリーも有効に消費されるというものである。

最近はよほど忙しくない時以外は職場のほうも早く上がるようにしており、帰宅してから少しでも時間を取ろうと思ったものである。そして、東京時代はジムに行っていたのだが、月会費もバカにならないということで、手軽にできるウォーキングを選んだというもの。

最初は普通に歩道を歩いて、例えば町内一周とか、少し離れた駅まで歩いて往復してくるということも考えたのだが、公園に落ち着いた。夜道はクルマや自転車と接触する恐れもあるし、女性と接触するのではと怪しまれるかもしれないし。逆にその公園は一周400mほどのジョギング、ウォーキングコースが設けられており、夜中の22時頃でも10人、15人は回っている。またクルマと接触する恐れもない。なかなかいいコースが近くにあったものである。

最近は耳にウォークマンを当て、さまざまな音楽を聴きながら周回コースを8~10周するのが日課の一つ。聴きながらだと退屈もしないし、テンポのいい曲だったらそれに合わせて歩調をとってみようと試みたりできる。このところ夜は涼しいし、いい感じで汗がかける。

この成果がいつ、どのような形になって現れてくるかが楽しみ。継続して、しかし、焦らず・・・・。

コメント

岐阜の歩き方

2009年08月26日 | 旅行記D・東海北陸

22日、長良川鉄道に乗車後、美濃太田から気動車で岐阜に向かう。国鉄型気動車が4両編成で走るというのはサマになっており、これだけの需要があるのならとっくに電化されていてもおかしくないのに、と思う。

Dscn2696この日は岐阜駅前のダイワロイネットホテルに宿泊。なかなか高級感あふれる部屋だが、旅行サイトの申し込みだと割安で宿泊できる。パソコンのレンタルもやっており、22日付の記事を書いたのはこの部屋からである。

朝と昼が列車内での食事だったこともあり、夜はしっかりと行きたい(こういう発想がDM患者としてよろしくないんだろうが・・・)。すぐに食事するからと部屋でインシュリン注射を行った後、ホテルの近くに20日にオープンしたばかりという店があるのでそちらにおじゃまする。

Dscn2697名店の味というわけにはいかないが名古屋名物のどて煮がある。また手羽先も1本から注文できる。そのあたりを主食に配し、ボリュームたっぷりの生野菜を注文。本当はよろしくないのだがこれまで血糖値もいい感じできているので、「嗜好品」もちょいと口にしてみる。

・・・・翌朝23日。起床して、ちょいと後悔気分である。その一つは、これまでしばらく正常値を記録していた血糖値が、起床時の測定で137まで行ったこと。やはり、まだ食べ物の量などに敏感に身体が反応するようである。

後悔気分はまだまだ。二つ目は、「長良川の鵜飼」を見に行かなかったこと。「鵜飼は高い」「一人では乗れない」という先入観があり、最初からはずしていたのだが、食事なしで、一人でも乗れる乗り合い船も3,000円くらいであったそうで、それならばイベントの参加料として行ってもよかったかなと思ったのだ。もっとも、当日ふらりと行って空きがあったかどうかは別だが。

三つ目は「夜の岐阜城」に行かなかったこと。これは後で知ったのだが、夏の間は22時まで天守閣も開放されており、市街地にある金華山からの夜景は岐阜の名物という。どうせカップルばかりなのだろうがこれも見ればよかったかなと。

四つ目は金津園・・・・は、もうよろしいか(しつこいね)。

23日はどうするか決めていなかったのだが、せめて日中の岐阜城に行こうと、JR駅前からバスに乗る。岐阜の郊外に向かう線のほとんどが岐阜城のある公園前を通るルートなので、数分に1本と頻繁に走っている。これに揺られて15分で公園へ。

Dscn2703そこで私を出迎えたのは織田信長でも斎藤道三でもなく、板垣退助。「板垣死すとも自由は死せず」という有名な文句を残したのはここ岐阜でのことである。実は、板垣の故郷である土佐・高知を訪ねた際、自由民権運動について紹介した資料館に行ったのだが、そこには「板垣退助が襲われた際に使用された短剣」というのが展示されていて、歴史に触れたようで思わずうなったものだった。まさか岐阜で板垣退助に会うとは思わなかった。

Dscn2707ロープウェーに乗ることおよそ5分で、金華山の上に連れて行ってくれる。高度を上げるに連れ、岐阜の市街地が眼下に広がる。その中央を幅の広い長良川が横切る。天候がよければ名古屋市街も望むことができる。う~ん、そりゃ夜景の名所になるわな。

Dscn2709川の向こうには野球ファンには知られる長良川球場。なかなかグラウンドがよさげな球場で、いずれここでの観戦も楽しみたいものだ。そういえば岐阜の野球といえば、地元・県岐阜商が40何年かぶりに甲子園ベスト4に残ったということで、駅前には地元岐阜新聞の号外が出ていた(残念ながらこの日の準決勝で敗れたのだが)。

Dscn2711天守閣はロープウェー駅のさらにその上で、細い山道をハイカー風の人たちとすれ違いながら上る。そして見えた白壁の天守閣。・・・・あれ?岐阜城の天守閣って黒塗りではなかったかな??

Dscn2715中の展示でわかったのだが、戦後復元された際は黒塗りだったのだが、平成の大修理で白くなったのだそうである。本当、昨夜のライトアップや鵜飼見逃しから、あちこちの土地を訪ねているようで結局何も知らずに行っているのだ。旅人失格やな。

天守閣からもう一度岐阜の街並みを眺め、涼しい風に触れた後にロープウェーで下山。麓にある岐阜市歴史博物館へ。ちょうど企画展示で長良川の鵜飼のことをやっており、せめてこちらで岐阜の名物ともいえる鵜飼の風情に触れることにする。

Dscn2722帆を張った小船が展示室の中央にデンと置かれ、鵜の馴らし方から鵜飼のテクニック、歴史がわかりやすく解説されている。鵜のくちばしが捕まえた鮎などの魚を一瞬でシメるそうで、そのために魚が暴れたりすることもなく、普通に釣りや網で獲った魚よりも素材の味がするということで行われてきた漁法である。現在は自治体が観光とタイアップして保護しており、鵜匠は半ば公務員的なところがあるのも意外。

Dscn2727博物館の2階は岐阜の歴史を通史的に紹介するコーナー。この手の博物館を訪れるのも旅の楽しみの一つだが、どの時代の展示に力を入れているかによって、その土地が歩んできた性格がわかる気がする。その伝でいけばここ岐阜は間違いなく「戦国時代」に力を入れている。「国盗り物語」の斎藤道三に「天下布武」の織田信長である。

「岐阜」の戦国時代当時の様子を復元した一角がある。素材も本格的なもので、一時「楽市楽座」の町の商人に成りきる。

Dscn2734なかなかに充実した博物館を後にして、ほど近い長良川のたもとに出る。観光鵜飼船の発着地である。せめて乗れなかった客船の写真でも撮っておこう。いずれは、優雅な夕涼みをやってみたいものだ。

Dscn2737この近くが川原町という一角。この通りこそ「来る前はその存在も知らなかった」という、お恥ずかしい限りのところである。どうやら知らなかったのは私だけのようで、観光客らしいのもぞろぞろ歩いているではないか。

Dscn2742Dscn2743ちょうど塀の間から金華山の上にそびえる岐阜城の天守閣を見る。こうするといかにこの「山城」ぶりかわかるというもの。街のシンボルにふさわしい感じだ。

Dscn2741黒塗りのシックな感じの町家が立ち並ぶ。規模は小さいが「小京都」の趣きを感じさせる。岐阜というところ、なかなか奥が深いぞ。どうしても名古屋と関西の間に挟まれて、「東海道線で走り抜ける」というイメージが強いが、こうして街中に出てみると結構面白いものだ。

Dscn2745満足感をもって再びバスでJR駅に戻る。そろそろ昼が近いということで駅ビル内で昼食を取る。次はどうしようかと思ったが、どこか行くにも中途半端な時間でもあり、まあ今回はウォームアップみたいなものかなと、この後は東海道線で帰宅コースを取る。117系の元新快速車両にも乗車。

日本のまんなかにありながら普段なかなか目的地にならない岐阜県。まだまだ訪れたことのない町も多いし、知らないスポットもたくさんある。今度は少しは傾向と対策を練ったうえで訪問してみたいところである。

※帰宅後の血糖値は再び安定に戻っていた。少しずつ、旅先でも大丈夫な感じにもっていくようにしたいなあ・・・・。

コメント

水の町・郡上八幡

2009年08月25日 | 旅行記D・東海北陸

真昼の郡上八幡駅に降り立つ。ホームの柱にあった温度計は34度を指していた。山の中の暑さはこたえる。町の中心部はここから15分ほど歩いたところにある。タオルを片手にとぼとぼと向かう。

Dscn2660たどり着いたのは、「やなか水のこみち」。昔ながらの建物に囲まれた憩いの場である。ここには清らかな水も湧き出ており、観光客も湯呑みで味わうことができる。暑い中を歩いてきた身には、身体の隅々まで浸透していくのを感じる。こういうスポットのある「小京都」というのは、私の好きな観光地の要素である。

Dscn2665郡上八幡は「水の町」と称される。長良川につながる吉田川にかかる橋を渡り、商店の間の小道を下りて行くところにあるのが「宗祇水」。「宗祇」といえば室町時代の連歌師・飯尾宗祇のことで、彼が一時この郡上八幡に構えた庵のそばに湧いていた水ということで、600年の歴史を持つ由緒ある水。また「日本の名水百選」の第1号にも選ばれたところ。

現在も地元の人たちの生活用水としても利用されているようで、いくつかに分かれているそれぞれの層は飲料用、炊事用、洗い物用という区別がある。もっとも、観光客が大勢訪ねているこの時間では生活用水の姿はなかったが。

Dscn2666ここで、先ほど道の駅で買い求めた天然水のペットボトルが空いていたので、由緒ある「宗祇水」を汲む。そして口にする。成分的には市販のボトルと変わらないのかもしれないが、やはり「歴史」を飲んでいると思うと身体に元気を与えてくれるように思われる。

Dscn2671「宗祇水」の脇は、吉田川に注ぐ小駄良川。ちょうど段差で水量が増しているところがあるが、地元の子どもたちが水遊びを楽しんでいる。見るからに透明な水で、21世紀の現在でもこういう清流で遊べる子どもたちが羨ましい。

Dscn2675昼食がパンと天然水というのでは、いかに糖尿病患者とはいえ少ないところ。ちょうど、橋のたもとで鮎の塩焼きを売っており、清流を味わうならということで、「宗祇水」とともに味わう。串に刺さった大ぶりの鮎をワシワシとやるのも夏らしい。

Dscn2679さて、夏の郡上八幡といえば夏祭りとして有名な「郡上踊り」である。お盆の「徹夜おどり」の時期は過ぎていたが、今夜も踊りの行事が組まれている。観光客の中にはこの踊り目当ての人も多いのだが、始まりは夜の20時。この日は岐阜に宿泊する予定にしているので、最初から踊りは眼中になし。

Dscn2682再び、郡上八幡城の天守閣も望める吉田川に出る。旧庁舎のたもとにある新橋に差し掛かる。ここは「飛び込みの名所」として知られる。子どもや若者がこの橋から、およそ12m下の川面をめがけて飛び込む光景が見られるのだ。

ちょうど行ったときには高校生くらいの5~6人のグループが上半身裸になって橋の下を覗き込んでいたところ。それを見てか、観光客が橋の上や川岸に集まってきた。12m下、飛び込んでも大丈夫ということは頭ではわかっていても、スリルあるものだ。高いところが苦手な私など、橋の上から覗き込むだけでビビってしまう。

Dscn2684彼らもいろんなタイプがいるようで、欄干の外に出たかと思うとあっさりと飛び込むのもいれば、躊躇するのもいる。身を投げ出しかけてやめて、観客も大きな息を吐く場面も。

Dscn2687そんな中、ちびっ子たちから「がんばれ~」という声援も飛ぶ。ただ、ある男の子の目線はちびっ子ではなく、観光で来ているのか、浴衣姿の女の子のグループのほうを向いていた(先に飛び込んだ仲間に向かってさりげなく指さしていた)。それを見ていたおばちゃんが「やっぱりカッコイイところ見せたいんだよね」と冷静な解説。

Dscn2686女の子たちはその子を意識するというよりは「あ~、飛び込むんだ~」ってな感じでようやく橋の上に目をやる。それを見てか、男の子も意を決してエイヤッとダイビング。見事に決めて大きな拍手を受ける。それを見た女の子たちは「さっ、次行こ」みたいな感じでまた町中の雑踏に消えていった。

ひと夏の光景ですな。

Dscn2661灼熱の郡上八幡であるが、こうして川面や水に接している間は涼しげな風も受け、ひと時、暑さを忘れさせるものだった。暑い暑いといいながらエアコンに接することが多い中、久しぶりに、こういう自然の涼しさというのを味わえたことである。水を楽しむうちに、予定の途中下車の時間も残り少なくなった。結局お城も博物館も入る時間はなかったが、十分満足した。再び駅に戻り、長良川鉄道の旅を再開する。

Dscn2632午後の日差しはきつい。列車の全ての窓にカーテンが下ろされていた。ここで南に揺られることしばしで、「みなみ子宝温泉」駅に到着。駅のホームと町の温泉施設が併設されているところ。通常は大人の入浴が500円だが、長良川鉄道で来た客は入湯税50円だけで利用できる。下車時に「温泉行くの?」と運転手に声をかけられ、引き換え券を渡される。

子宝温泉。子宝どころか子を為す相手も見つかっていない私が入るのはどうかと思わせる名前の温泉であるが、別に独身男性が禁忌性というわけではない。列車の利用客もそうだが、ドライブの途中や、長良川でラフティングを楽しんだ様子のグループなど、列車以外の利用客も多い。

Dscn2692今日は歩くことで大汗もかいたので、この休憩はありがたい。さっぱりしたところで入浴後のビール・・・・と行きたいところだがやはりここは自重。入浴後のアルコールは低血糖にもつながりかねない、結構デンジャラスな行為であるからして。

そろそろ夕刻も近くなり、後はこのまま次の列車で美濃太田に戻る。座席がほぼ埋まるくらいの乗車率で、またカーテンが閉められていたので後は淡々と走るだけ。早起きだったし、歩いたし、風呂にも入ったしということで今度は眠気。なんだか充実感を覚えた長良川鉄道の旅であった・・・・(まだ続く)。

コメント

うだつの上がる町、うだるような暑さ・長良川鉄道

2009年08月24日 | 旅行記D・東海北陸

Dscn260722日の朝、高山線の美濃太田駅から改札を出て、長良川鉄道の乗り場に向かう。これから乗るのは、8時58分発の美濃市行き。大阪からの乗り継ぎ列車が少しずつ早くなったおかげで、美濃太田でも1本早い列車に乗ることができた。とりあえず終点の美濃市まで行ってみることにする。

Dscn2608長良川鉄道では土日祝日限定発売の1日フリーきっぷを有人駅で発売している。大人2,000円。美濃太田から終点の北濃まで片道1,650円、途中の郡上八幡までの往復で2,640円だから、なかなかお買い得なきっぷである。

小ぶりな気動車に10人ほどの乗客を乗せて出発。第三セクター化されてから駅の数を増やしたということで、2~3分もすれば次の駅が現れる。刃物で有名な関までで地元の人たちは全て降りてしまい、美濃市まで乗ったのは私と、同じくフリーきっぷを買い求めていた男性客の2人のみ。

次の列車まで50分ほどの時間がある。駅にあった町のパンフレットによれば、「和紙とうだつのまち」とある。駅から歩いて10分ほどのところに昔ながらの家並みが並ぶ一角があるそうで、そちらを目指す。

Dscn2611その途中、柵の向こうに何やら路面電車の車両が見えてきた。かつて走っていたという名鉄の車両だろうか。

Dscn2613果たしてそうで、もう少し行くとレトロ建築の建物が現れ「旧名鉄美濃駅」とあった。かつて岐阜の市街地と美濃市を結んでいた名鉄美濃町線の終着駅で、途中の関から美濃市までは10年前に廃止になったという。路線の名前は聞いたことがあるがついぞ乗車することがなかった。

Dscn2614入場は無料ということで、昔ながらの看板も残る駅舎内を抜けると、4両の車両が停まっていた。子どもの遊び場としても開放しているのか、ホーム上にはプラレールが散乱していたり、車内もちょっと雑然とした感じだったが、路面電車の小ぶりなホームというのも、見ていてなんだか微笑ましい。往年の、トコトコと走っていたであろう姿を想像する。

かつての駅務室は鉄道グッズやチョロQなどを売る店になっており、しばらくあれこれと見て回る。オリジナルグッズとして路面電車を形どった土鈴を土産に買い求める。これは思わぬ出会いということになった。

Dscn2628旧美濃駅でしばし時間を過ごすことになり、少し早足で町の中心部へ。昔ながらの商店が並ぶ一角の向こうに、伝統的な建物が並ぶ通りがあった。

Dscn2623そして見つけた「うだつ」。家の壁が黒い分、重厚なつくりに見える。「うだつ」の上がる町並みは各地にあるそうだが、美濃市の町並みの範囲は狭いながら、なかなか立派に保存されているように見える。途中下車でちょいと見て回る分にはちょうどいい。

Dscn2627それにしても午前中からうだるような暑さである。盆地的な地形ということか、美濃市の夏は猛暑になることが多く、2年前には全国2位の最高気温も記録したという。このため町では「打ち水」の取り組みを行っており、家の前に水をひたした甕やバケツが置かれている。私もちょいとひしゃくを拝借して路面に水をまいてみる・・・が、余計暑さが増すようにも思われた。

そろそろ列車の時刻が近づき、駅に戻る。やってきたのは10時23分発の北濃行き。元々のプランでは美濃太田からこの列車に乗る予定だったのだが、1本早く来たことで穴場的スポットを見物することができて得した。

今度は座席が全て埋まっており、車両の最後尾に陣取って、流れ行く景色を眺める。いつしか雲も切れ、すっきりとした青空が広がりだした。ただそれに連れて暑さも本格的になってきたが、しばし我慢である。

Dscn2633長良川の流れが沿うようになり、見た感じで涼しげな印象を与えてくれる。この時期は鮎釣りを楽しむ人が多く、流れに腰までつかり、長い竿を川のあちこちに垂らしている景色が目に入る。夏の清流ならではである。何だか、川面を流れる風に当たりたくもなった。

郡上八幡着。ここで大半の客が下車し、残ったのは12~13人ばかり。郡上八幡は帰りに立ち寄るとして、先に北濃に向かう。ここからが初めての乗車区間となる。川幅も少しずつせまくなり、両側から山並みが迫ってくる。

11時44分に終点北濃に到着する。と、その一つ前の白山長滝駅を出る時である。ワンマンの運転手が客室にやってきて、「皆さん北濃からは折り返しでしょうか?」と尋ねる。中にはうなずく人もいたので、「北濃は12時19分に発車しますが、駅の周りは何もありません。よろしければ、北濃の手前に道の駅がありますから、そこで時間をつぶされて、帰りはここ白山長滝から乗られてはいかがでしょうか」という案内がある。なるほど、そろそろお腹も空いてきたし、道の駅で何か調達するか。

Dscn2637道の駅が並行する国道沿いにあることを確認した後、北濃着。ホーム1本きり、簡素な木造駅舎のあるところ。もちろん無人駅だ。

Dscn2638長良川鉄道はここが終着駅だが、線路はこの先少しだけ伸びていた。旧国鉄時代は「越美南線」と呼ばれた路線。その名前のとおり、越前と美濃を結ぶ路線として、福井からの越美北線と合わせて建設されたものの、いつしか工事は凍結。結局南線は国鉄から第三セクターに移管された。

数年前までは北線の終着駅・九頭竜湖駅とを結ぶバスもあったそうだが、現在はそのバスもなく、南北を結ぶ公共交通機関はない。国道を走るクルマはそんな事情など関係なくビュンビュン走っているが、鉄道の周辺だけが一時代ゆっくりした時間が流れているようである。

せっかくなので国道に沿って道の駅まで向かう。歩いて10分ちょっと。ちょうど昼どきとあって休憩の家族連れなども結構いる。敷地内には、白山信仰に関する資料館もあるようだが今回は見送り、ここで昼食の調達とする。ただ、レストランに入らなければちゃんとしたものはなさそうだ。結局こちらのトイレを拝借してインシュリンを打ち、パンとミネラルウォーター(長良川の天然水ですぞ)を買い求め、白山長滝駅まで歩く。両駅の間は徒歩15分といったところ。もう少し道の駅でゆっくりできるかと思ったが、結構早歩きが必要で、慌しい。

Dscn2647ホームに向かうと、先ほどの車内にいた男性客一人が待っていた。どうやら、運転手の勧めに乗ったのは2名だけのようである。セミの鳴く中でじっと汗を垂らして待つことしばし、先ほどの気動車がやってきた。いや~、冷房に触れて生き返ったような気分。

車内の顔ぶれを見ると、先ほど乗っていた顔は意外にもそれほどいなかった。他の人はどこに行ったのだろうか?

Dscn2653郡上八幡着。ここで下車する。沿線の中心駅だが、これも昔懐かしい感じがする木造駅舎。国鉄時代の姿を今に残す貴重な姿と言ってもいいだろう。

町の中心部は少し離れている。また、大汗をかきながらの街歩きである・・・・(続く)。

コメント

東海道線を走り抜ける

2009年08月23日 | 旅行記D・東海北陸

22日、「青春18きっぷ」を片手に自宅を出る。時刻はまだ夜が明けない4時20分。起床したのは3時半である。本当、何の因果でこのようなことをやっているのかと、肩から担ぐバッグが重い。

阪急神戸線の始発電車で、4時54分に梅田着。改札を出るとJRの大阪駅に向けて小走りに走る人が何人かいる。私もその中に加わる。目指すのは、4時58分発の京都行き。これも東海道線の大阪からの始発電車だ。まあ、普段乗り換えている時の感覚では4分間の乗り換えは間に合うかどうか微妙なところだし、別に間に合わなければ次の列車で行けばいいことなんだが・・・・。

有人改札で青春18に日付印を押してもらい、エスカレーターを駆け上がって先頭車両に乗り込んだところでドアが閉まった。

そんなわけで間に合った。これでこの後の乗り継ぎ行程が少しずつ早くなったのはいいが、あまりやるものではないな・・・。それはそうと、5時前の始発電車というのに座席が埋まるくらいの乗客がいる。明らかに夜通し遊んでいた人は別として、これから出かけようという出で立ちの人はどこから来たのだろうか。

Dscn2594そろそろ夜が明ける中、各駅ごとに朝帰りの客を下ろし、大きな荷物を持った人たちを乗せる。今朝はさすがに早く起きたので、しばしウトウトしながら向かう。京都ではこれも4分後に出る米原行きに階段を上り下りして乗り継ぎ、ひたすら東へと向かう。滋賀県は小雨模様で、この先の行程に「徒歩」も含まれているだけに気がかりだ。

6時54分、米原着。ここで乗り継ぐのは6時57分の大垣行きで、またも階段を上り下りして乗り換えなければならない。乗り継ぎ時間が短いのは、少しでも早く目的地にたどり着けるようにという利用者の便を図ったつもりなのだろうが、階段から遠い車両に乗っていた場合などでは短すぎやしないだろうか。

大きな荷物を抱えた乗客が次々と階段を駆け上がり、連絡通路を走り抜ける。そして大垣行きに乗り込む。その多くの乗客を待っていたのは・・・・。

Dscn2600この間まで東京~大垣間の「ムーンライトながら」でも活躍していた、JR東海の特急型車両である。

Dscn2601「大垣行き 自由席」などという方向幕を見ると、「ムーンライトながら」が来たかのようである。ただし、3両しか連結されておらず、デッキには席に座れなかった客があふれている。

Dscn2595なぜまた、こういう車両がこの時間に走っているのだろうか。というか、走らせる意味があるのかな・・・?

関が原を越え、濃尾平野に入ってくると天気が回復してきた。東海地方の予報は晴れ。また、厳しい暑い一日になりそうだ。

大垣でもまた走らされて、岐阜着。ここで私は東海道線を離れ、高山線に乗り換えになる。次の美濃太田行きまで少し時間が空いたので、改札を出てコンビニへ朝食の買出しに出かける。起床が3時半で、朝食が8時。ちょっと、時間が空きすぎたかな。

さて、現在の私は食事前にインシュリン注射を打つ身。普通に自宅で食事する分には問題ないが、気分転換で外食する場合は食事前に店のトイレを拝借してということになる。

こういう列車の乗り継ぎの場合もどこか場所を探して・・・ということになり、手間としては2~3分のこととはいえ、タイミングも気をつかうものである。ただ今後、鉄道の旅を続けたいということであれば、面倒でもこの手間を惜しむことはできない。まあ、こうやって実際に慣らすしかない。

朝食の野菜はトマトジュースで代行。最近では「一日分の野菜と果物が取れる」というのを売りにしているジュースもいろいろと出ているが、どうも「野菜」と「果物」がミックスされたものは、思ったよりも糖質が高いようである(決して飲んではいけないというわけではないが)。また、「噛む」という行為がないために、唾液の量を増やすとか、満腹中枢を刺激するというのには少し足りない。まあ、旅に出るということは通常の生活とは異なるのだから、そのあたりは臨時と割り切って、どこかで帳尻を合わせるしかない。

Dscn2605美濃太田までは国鉄型のキハ48に揺られる。しばらくは岐阜近郊の工場や住宅街を走っていたが、犬山城の天守閣が遠くに見えてからは、長良川の流れに沿って走る。一気に、ローカル線ムードが増してきた。途中の列車行き違いでしばし停車する場面というのも出てきた。

終点の美濃太田着。ここで、長良川鉄道・越美南線に乗り換える。この線には5年ほど前に郡上八幡まで乗ったことがあるが、今回は終点の北濃まで行くのが目的。暑い一日になりそうだが、これから楽しみである・・・・(続く)。

コメント

岐阜に来ています

2009年08月22日 | 旅行記D・東海北陸

今夜は岐阜に来ています。本日宿泊している岐阜駅前のホテルでパソコンのレンタルサービスがあったので、書き込んでいる次第です。

この夏の青春18きっぷを少しでも消化するということで、大阪駅を早朝に発ち、東海道線と高山線を乗り継いで長良川鉄道の乗車を楽しんだ後、岐阜に落ち着いたという行程。教育入院以降初めての「外泊」ということで、やはり食事には気を使いますな。

岐阜といえば柳ヶ瀬とか金津園という「夜のお楽しみ」のスポットがあるのだが、さすがに今夜はそれらはパスということで・・・・(復調したら行くということかいな?)。

旅行中はとかく日常生活とはパターンが異なる。食事にしても量や栄養のバランスを同じようにするというのはまず不可能で、そのところをどのように補っていくかが問題なのと、インシュリン注射ということになればそのタイミングも問題。ただ、今後病気と共存する中ではこれらはクリアにする(決して理想的な形、状況でない中で、どの程度自分でコントロールできるか)ということも必要ではないだろうか。今回の試みはその実験の一環でもあると自分に言い聞かせている。

プランについては入院中に時刻表で検討したものだが、実行するにあたりそれがいとも簡単に変わってしまう。まあ、鉄道の旅とはそういうところもある。

長良川鉄道の乗車記、およびまだ具体的にどうするかを決めていない翌日23日の動きについては、また帰宅してからまとめますので、ご期待のほどを。

コメント

『地図だけが知っている日本100年の変貌』

2009年08月21日 | ブログ

「政権交代によってこの国の形を変えよう」とアピールする選挙戦真っ只中である。これまでの「中央の官僚主導」で進められてきた日本の国づくりというものがこれからどうなるのか、もう投票は済ませてしまったが、選挙の結果を見守りたい。

さて、日本が近代国家の仲間入りを果たして100年あまり。その間に、この国がどのように姿を変えてきたのかを語るのに「地図」を用いた一冊がある。

32288034『地図だけが知っている日本100年の変貌』。竹内正浩著、小学館101新書。

国土地理院発行の2万5千分の1や5万分の1などの地図。この規格というのは明治以来続いているものである。このため昔と現在の地図を並べることができ、それらを比較することで、どこがどう変わったのかが一目でわかり、驚きである。地図を見比べると、その土地の近代化の歴史や産業史、自然史が浮かび上がってくる。

各都道府県で一つのスポットを取り上げているが、それらを分類してみると、

・自然災害により地形が変わってしまったもの:昭和新山(北海道)、磐梯山(福島)など

・埋め立てや干拓により、自然の姿を改造したもの:八郎潟(秋田)、浦安(千葉)など

・巨大な建造物をおっ建てたもの:瀬戸大橋(岡山・香川)、御母衣ダム(岐阜)など

・戦災や開発計画により都市の姿が変わったもの:名古屋(愛知)、つくば(茨城)など

・鉄道敷設の歴史を語るもの:清水トンネル(群馬)、山形新幹線(山形)など

・産業の興亡の痕跡が見られるもの:足尾銅山(栃木)、軍艦島(長崎)など

こうして見れば、それぞれのスポットが近代日本の諸相を表すことが見て取れる。それも、1枚の地図で。郷土の歴史については多くの人がさまざまな言葉で語り継いでおり、各都道府県ごとの歴史書もあるのだが、まさに「百聞は一見に如かず」。そこから、地図の変遷の間に何が起こったかを知ることで「なるほど」と思わせ、それが歴史への理解につながる。

子どもたちというのは結構地図を見るのが好きではないだろうか。であれば、歴史や地理を教えるのにこういう地図というのを取り入れてやれば、話のとっかかりになるのではないのかと思うのだが・・・・。

今回は各都道府県を代表して1枚であったが、他にもまだまだ歴史を語るスポットがあるはず。ぜひとも続編を期待したいものである。

コメント

また、パニックになるのか?

2009年08月20日 | ブログ

30日の投票日を前に盛り上がる(本当に国を挙げて盛り上がっているのか?)選挙戦を尻目に、今夜は早々と「期日前投票」に向かう。どの候補者、どの党に入れたかというのは内緒だが・・・。

事前には自分できちんと判断したつもりでも、「本当にこの候補者、この党に投票してよかったのか?」と、いつも投票所を出る時はすっきりしない表情を浮かべているように見える。果たして今回の選挙、特にいびつな対立構造として全国的に注目されている選挙区の一つだけに、その動向を見守りたい。30日は現在のところ出かける予定にしているが、いわゆる「選挙特番」には間に合って帰宅するようにしよう。

さて、本日大きなニュースで取り上げられていたのが、新型インフルエンザの流行について。夏場に来て急激な流行である。春先にメキシコなどで流行した際には、やれ空港での検疫強化だとか、マスクや消毒液が日本から消え去ってしまったとか大騒ぎだったのだが、それももうだいぶ昔の話に聞こえる。その時大騒ぎした割には、結局国内で何千人という患者を発生させ、患者数では世界でもワーストの部類に入るというのだから、日本の衛生の現状というのはこの程度である。

また、マスクや消毒液をめぐってのパニックになるのかな。会社のほうでもそろそろ「マスクの調達」の業務命令が出るかもしれず。

その新型インフルエンザではお亡くなりになった方も。ニュースによれば、その方は糖尿病の持病があったという。それで、糖尿病などの持病のある患者は重症化するリスクが高いということで、厚生労働省も警告を出すとともに、ワクチンの優先供給も検討しているという。

ここでも出るな、糖尿病。

その理屈というのは、高血糖状態が続くと白血球の増殖能力が落ち、身体の抵抗力が弱くなること。また、腎臓に合併症を発症していると体内の毒素を排出する機能が低下しているため、これも身体の抵抗力を弱めるというものである。

こういう記事を目にすると、やはりこの病気がもたらすさまざまな悪影響が感じられ、腹のあたりが何だかムズムズしてしまう。

「シックデイ」という用語がある。万が一、糖尿病患者が風邪や怪我など、「糖尿病以外の病気にかかった場合の対処法、注意点」について説明したものである。一般人がこれらの病気にかかった場合以上に、食事の摂取、水分補給、インシュリン注射の可否など、細心の注意を払わなければならないことが増える。これも「抵抗力が弱っている」ところから来ているといっていいだろう。

・・・・それだけに、量とバランスのよい食事、適度な運動で「病気にかかりにくい身体」を作る必要があるし、これに加えて手洗いにうがいですか。結局、行き着くところはそういう「規則正しい生活による予防」なんだよな・・・・。

さて私のこの週末は、退院後初の1泊鉄道旅行である。まだまだ暑いさかりだし、無理したりハメを外しすぎて体調を崩す、夏風邪を引くということのないように気をつけたいものである・・・・。

コメント (4)

退院後初の通院

2009年08月18日 | ブログ

阪急西宮ギャラリーでしばし野球の風情を味わった後、阪急塚口に戻る。本日衆議院議員選挙が公示されたこともあり、駅前のロータリーではちょうど候補者による演説が行われていた。これからしばらくの間は、選挙カーによる候補者名の連呼で騒がしくなることだろう。まあ、尼崎市民とはいっても日中は会社に出ていて尼崎にいないのだから、いくら選挙カーが怒鳴っても多くの有権者の耳には届かないことだろう(だから年寄りしか選挙に行かないのか?)。選挙カーの費用は国費でまかなわれるということだが、その費用は選挙カーにしか使えないというではないか。そうであれば、一定の選挙費用を国費でまかなうのもやむを得ないから、ネットや文書による運動も認めるとか、その範囲内で自由に運動させればよいと思うのだが、どうだろうか。今やさまざまなことをネットでまかなうのが「主流」になりつつある中、選挙に関心を持たそうと思えばありと思うのだが・・・。

今度の総選挙では「公職選挙法をそんな風に改正します!」という候補者に一票を入れようかな・・・ということはさておき。

時間も夕方となり、今日は一週間前の退院後初めて糖尿病の専門医を訪れる。退院してからもインシュリン注射と血糖測定を続けており、その経過を記したノートも持参である。

退院時に指示されたインシュリンの量は、超速効型を朝6単位、昼3単位、夕方6単位、そして持続型を夕方10単位というものであった。これに、すい臓の働きをよくする錠剤を朝夕に1錠ずつ、インシュリンの効きをよくする錠剤を朝に1錠という布陣である。

で、これに食事療法、運動療法を生活の中で取り入れる中で血糖値のチェックを続けていたのだが(その間には大阪での野球観戦に行きながらドーム内で測定という荒業もあり)、全般的に80~130の正常値をヒット、いや途中からは正常より低い70台、時には60台も出るようになり、理論でいうところのいわゆる「低血糖症状」のレベル寸前のものもあった。

低血糖の症状には動悸や冷や汗、気分が悪いなど、その人ごとの症状が現れるのだが、私の場合はどうやら時に感じる「強い空腹感」が該当するようだ。確かに以前より食べる量を少しずつ減らしているので空腹感があるのかなと思っていたのだが、どうやらそれは低血糖症状の一つに当たるらしい。

採尿、体重・血圧測定、採血と一通りの検査を終えた後、主治医の前に面談した栄養士にその旨を話す。「インシュリンが効きすぎているのかもしれないね」とのことだったが、「次からは、やけに空腹を感じたら一度血糖値を測ってみてください」とのアドバイス。

※「インシュリンを打って低血糖になるくらいなら、最初から血糖値を上げる原因になる炭水化物を取らなければよい(「糖尿病は薬なしで治せる」という内容の書籍、ネット記事はこういう考えから来る)」という考えからすればこういうやり取りこそ無駄なんでしょうが・・・。※

さて、先ほどの採血の結果が出たので主治医に呼ばれる。夕食前という時間の血糖値は87、そしてHbA1c(ヘモグロビン・エーワンシー)は9.1%という値。血糖値はその時の「瞬間風速」のようなもので、1回の測定でその人の全てがわかるわけではないが、HbA1cは過去1~2ヶ月の赤血球の状態がある程度はっきりとわかる。正常は4~5%台で、それに比べれば倍の数値で正常ではないのだが、糖尿病の疑いで初めて病院に来た1ヶ月前はこれが12%を超えて極悪人状態だったのだ。途中半月の入院期間があることを考慮してもこの下げ幅には主治医も「ものすごい回復力ですね」と驚いていた。

ただ、いろんなものがそうなのだろうが、最初は伸びしろも結構大きく、効果も目につくものが、ある程度まで落ち着いてくると伸びしろも小さくなり、少し伸ばすのにもより多くの労力を必要とするものである。

私が入院していた時に検査入院でやってきた、比較的病歴の長い人がいたのだが、その人がこうつぶやいていた。

「7%台まではトントンと来るんやけど、7%から6%の壁を破るのが苦労で、なかなか難しいんや・・・」

診察の結果、やはりクスリが効きすぎているのかなという結論に達し、インシュリンの注射も超速効型が朝6→4単位、昼3→2単位、夕6→4単位、持続型が夕10→6単位に緩和、錠剤はこれまで通りということになった。うまく行けば今後インシュリン注射をさらに減らすことも期待できるということに。

次の外来診察は9月(HbA1cの測定は過去1~2ヶ月の血糖値の平均値を取ることなので、そう頻繁に行っても仕方ない)ということになり、今度はどのような数値が出るかが楽しみである。やはり、具体的に目に見える形で回復を実感できるというのは張り合いがありますな・・・・。

コメント

在りし日の西宮球場に思いを馳せる

2009年08月18日 | まち歩き

お盆は出勤していたこともあり、18日は夏休みを一日取得する。私の職場の場合、一斉のお盆休みというのがない分、仕事の状況や他の人との調整で夏休みを取得することになっており、個人的には「平日に休む」分は得したような気分だ。

Dscn2587午前中は部屋の片付けなど行い、午後から少し出かけてみる。やってきたのは阪急西宮北口駅。ここから連絡通路を渡り、昨年開業した「阪急西宮ガーデンズ」に向かう。尼崎と西宮、隣同士の市ではあるが、西宮は大体素通りになることも多く、ガーデンズにも行ったことがなかったので、どんなものかのぞいてみる。

Dscn2568ご案内の通り、阪急西宮ガーデンズは、旧・西宮球場の跡地である。西宮球場といえば、かつてのパ・リーグの名門球団である阪急ブレーブスの本拠地。幾多の名選手がプレーし、多くの名勝負が生まれた。

南河内は藤井寺で育った私は、これも今はなき藤井寺球場を本拠地としていた近鉄バファローズのファンで(その流れで、現在もオリックス・バファローズを応援するに至る)、球場が近くにありすぎた分、阪急はビジターのチームで、子どものころとてわざわざ西宮まで行くということはなかった。結局一度も行く機会もなく、西宮球場からはプロ野球は撤退し、気がつけばついには球場そのものも壊された。この地に立ったのも生まれて初めてということになる。

現在は好きなものののひとつに「野球場めぐり」は欠かせず、おそらく昭和の当時に大人だったら、藤井寺、日生、大阪、西宮のこの4球場をローテーションのごとく回っていたことだろう。

Dscn2567真新しい建物のエントランスから屋上のテラスにあがる。フロアガイドに従って辺りを見渡すと、ホームベースのペイントを見つけた。ここがベースのあったところというが、周りを見渡すと全く球場の感じがしない。新しい建物の建設にあたっては、かつてどこに何があったかというのはほとんど考慮されないものだ。

Dscn2570今日は猛暑とあって噴水で水遊びをする子どもたちも大勢いたが、この子たちはもちろん、その親の世代(私の世代ともいえるが)でも野球にそれほど興味のない人は、ここがかつての球場で、阪急ブレーブスというチームがあったことすら知らないだろう。

余談だが、先日京セラドーム大阪に観戦に訪れた際、グッズショップに「オリックス20年」なる本が山積みされていた。近鉄一筋のファンならちょっと抵抗がある書籍だろうが(私は気になるページがあったので買い求めたのだが)、阪急ブレーブス、南海ホークスの球団売却からもう21年も経っているのである。藤井寺で最初で最後の日本シリーズからも20年だ。年月はあっという間やなあ。

5階に上がると「阪急西宮ギャラリー」というコーナーがある。ここでは阪急電鉄の歴史をパネルで紹介するとともに、かつてこの地に存在した阪急ブレーブスの歴史について、かなりの敬意をもって紹介されていた。

Dscn2575まず出迎えてくれるのは、ブレーブスゆかりの「野球殿堂入り」の人たちのレリーフ。本物は東京ドーム内の野球体育博物館に展示されているのでおそらく複製と思われるが、西本監督、上田監督、ヨネ・カジ、山田久志、福本豊・・・日本のプロ野球の一時代を築いた人たちの精悍な顔、勇者の顔が光る。

Dscn2572中でもブレーブスの一番の功労者は西本監督ではないか、と思う。いやブレーブスにとどまらず、我らが近鉄バファローズ、そして阪急の前は大毎オリオンズでも優勝しているパ・リーグの功労者であり、パのファンとしては敬意を表さずにはいられない。

Dscn2580Dscn2579その次にうなったのが、西宮球場と阪急西宮北口の模型。電車の模型の大きさから見て、球場も「Nゲージサイズ」だろうか。細部までリアルに作成されており(スコアボードは在籍選手の顔ぶれからして1980年代前半のものだろうか)、近代的なビルを思わせるエントランス部に、当時として画期的な二層式の客席など、当時の様子がよく伝わってくる。ボタンを押すとグラウンドレベルの映像も楽しめ、在りし日の姿をイメージすることができる。

Dscn2585西宮北口で神戸線と今津線の線路が十字にクロスしている様子も復元されており、当時の車窓ではこんな感じで見えたのかなと想像してみる。

Dscn2581他にも1975年に初の日本一に輝いた際のチャンピオンフラッグ、山田久志のMVP表彰の盾、ユニフォームなどの展示にも目を見張る。かつての球団の展示物がもっとも充実しているのは千葉マリンスタジアム横のミュージアムといえるが、かつて球団を持っていた球団として、歴史の証人としてこういうものをきちんと展示している阪急の姿勢も評価したい。

Dscn2584同じ私鉄球団でも、近鉄はその「遺品」がこうして残されることなく、かつて球団を持っていたという事実すら消そうとしているのではないかと思いたくなる。何とか「遺品」が散逸することのないようにしてもらいたいものだ。

しばらく在りし日の球場に思いを馳せた後、せっかく来たのだからと館内をあれこれ見て回る。平日だが夏休み中ということで、子ども連れの姿も多い。安・近・短のレジャーが定着する中で、こういうショッピングモールというのも、テーマパークのように高い入場料を払うことなく楽しめるスポットである。お盆の時期などはもっと多くの人で賑わっていたことだろう。

さて西宮に対抗してか、尼崎でもこの秋にJR尼崎駅横に大規模なショッピングモールが誕生する。こちらも交通至便ということで多くの人で賑わうことだろう。それぞれ、街の新たな顔として大いに成長してほしいものである・・・・。

コメント (2)

総選挙、どうしましょう?

2009年08月17日 | ブログ

いよいよ明日18日は衆議院議員選挙の公示日である。

今月の30日が投票日ということではあるが、この日に私が投票に行く可能性は低い。

・・・というのは、29日から30日にかけては「青春18」をつかって出かける計画を立てているため。自分のスケジュールから見て、その週末が使用の最終チャンスである。

以前に「投票所一番乗り」の経験について書いたが、今回についてはそういうこともない見込みである。

では、投票はどうするか。何とか時間を作って「期日前投票」を行おうとは考えている。

・・・しかし、本当に今回の総選挙はどうしようか迷っている。

私の住む尼崎市は兵庫8区。そう、公明党の冬柴氏に対して新党日本の田中康夫が挑み、これに共産党、社民党、幸福実現党の候補が加わるという図式。「自民対民主」ではなく、「公明対新党日本」という、全国でも珍しいいびつな対立図になっている選挙区である。

この選択肢は、私を非常に当惑させているものである。まあ、比例代表と合わせて「一人2票」持っているのだから有意義には使いたいとは思うのだが。

ただ、今日行われた6党の党首会談の記事を見るに、何とまあ「誰にも入れたくない」と思わせることか。元々私のポリシーとして「何があっても絶対に投票したくない党」も中にはあるのだが、ちょいと期待した政党でも結局は「本当にどういうことをしたいのか」が伝わってこないし、「確か昭和のはじめに軍部がのし上がって政治を支配したのは、不況の中での政党政治の体たらくから来たんやったっけ」てなことを思い浮かべていた。

「棄権」は考えていないが、これでは「ラーメン党」「甘党」にでも1票を入れざるを得ないかな・・・と思うのである。

マスコミのいうところの争点としては「政権交代」というのが前面に出ているが、ちなみに私個人としては「年金・社会保障」もそうだが、それよりも「この国の第一次・第二次産業の構造をどうするか」「環日本海経済圏を構成する対アジア・ロシア外交をどうするか」という点が気になっている。

コメント