福知山からレンタカーで舞鶴~天橋立を回る1日。まずは舞鶴の東にある西国29番の松尾寺を目指す。福知山からだと40キロあまり離れていて、舞鶴若狭道も通っているのだがここは一般道を通って行くことにする。
大河ドラマで注目の明智光秀が築いたとされる福知山城の復元天守の近くも通る。ちょうど開館時間なので立ち寄ってもいいかなと思ったが、まずは札所めぐりを優先して、もし福知山に戻って時間があれば向かうことにしよう。
この日は天気が不安定で、雪が降るわけではないが雨が降ったり、そうかと思えば日が差してきたりと天気の移り変わりは激しい。特に綾部から舞鶴に向かう辺りではワイパーを速くするほどの雨になった。これから行く松尾寺へは一度小浜線の駅から畑の中や山道を40分ほどかけて歩いて上ったことがあるが、今日のような天候不安な日だったら難儀だろうなと思う。
舞鶴市街を通る。ちょうど海上自衛隊の基地や赤レンガ倉庫群も通るが、この日は横を通過するのみである。舞鶴だけだったら赤レンガ倉庫に立ち寄る時間もあるだろうが、まだまだ先は長い。9時すぎに福知山駅を出発して、舞鶴に入ったのは10時を回っていた。出発前は楽に行けるかなと思ったが、この分だと結構時間もかかりそうである。
国道27号線を東へ進むと、松尾寺口の見覚えのある脇道に出る。後はこれを上ればよい。雨も小降りになってきた。細い山道を上るが、歩行者はおろか対向するクルマもいない。
10時半近くになって松尾寺の駐車場に着いた。他にクルマの姿はなく、どうやら参詣するのは私だけのようだ。冬の時季、平日となるとそんなもので、団体のバスツアーもそうしょっちゅう催行されるものではない。傘をさして山門で一礼し、境内に入る。西国三十三所の徒歩巡礼を記念した「アリの会」の記念碑もある。昨年の西国先達研修会にて、かつてこの会を主宰していた松尾寺名誉住職の松尾心空猊下の記念法話を聴く機会があり、拝見したのは初めてだが、御年92歳にして足腰がしっかりしていて、声もよく通っていたのが印象的だった。
石段を上ると、陰のところに雪がちょっと見える。平年の冬ならもう少し積もっているのだろう。自然の石をくりぬいた手水場で手を清めた後、本堂でのお勤めである。
過去に訪ねたのが土日だったからか、あるいは夏や春だったからか扉を開けて外陣でお参りすることができたが、この日は正面の扉が開いているくらいで、中は見えるが照明もなく薄暗い。「扉が閉まっている時は中には入れません」との文字もあり、扉の外に立ってのお勤めとする。何だか冬の修行らしい。
訪ねる季節によって寺の表情というのもいろいろ変わるようだ。現在西国三十三所めぐりも3巡目だが、なるべく季節を変えて訪ねようとしている(必ずしも全てがそうというわけではないが)。冬のどんよりした曇り空、雨の中に静かにたたずむ風情というのも、これまでとは違った表情が見られたようでよい。
とはいうものの外陣にも入れないのであれば、お勤めをすると後はそれほど広い境内でもないのでお参りは終了である。また石段を下りて別の建物である納経所に向かう。
さて前の記事で、行きに利用した特急の車内で「しまった!」と気づいたことがあることに触れた。それが何かということだが、西国曼陀羅の八角形の用紙を持ってくるのを忘れたのだ。3巡目はこれを33枚集めることをミッションにしていたのだが、よりによって遠方の2ヶ所で忘れるとは、今さら取りに帰れないし、今から行程を中止して後日出直そうかなと思った。
ただ福知山まで来て、そういえば松尾寺、成相寺とも、西国曼陀羅の台紙を扱い、33枚の用紙のコンプリートで1巡とカウントしてくれる窓口だったことを思い出す。用紙と台紙のセットは3000円で売られているそうだから、もう一度ここまでの交通費をかけるくらいなら最悪1セットを買いなおせばよいかと思う。
納経所にはジャズのような音楽が流れ、若い僧が座っている。先達用の納経帳に重ね印をいただいた後、西国曼陀羅の八角形の用紙について訊ねてみた。すると、朱印代500円に用紙代100円を足した600円で1枚いただけるという。よかった、1セット買いなおさずに済んだ。
ここで思い出したのが、この前に施福寺を訪ねて八角形の用紙を出した時、「交換できないから100円で買ってもらわんとあかん」と言われたこと。つまりは用紙の実費という設定があり、一つの札所だけの「単品」でもいけるということだ。
ということで松尾寺の西国曼陀羅は無事に手に入った。この取り扱いなら成相寺も予定通り行けそうだ。
さて次は西国四十九薬師の多祢寺である。地図で見ると直線距離では近く、近道もあるようだが、カーナビはいったん国道27号線に出てぐるり回るルートを示す。まあ、地図に道があるがよほどの山道なのだろう。それでも昼前には多祢寺に着くことができそうだ・・・。