10月29日、九州西国霊場めぐりはいったん糸島半島に入り、実に鮮やかな青空の下、玄界灘を右手に進む。
その中で、沖合いに浮かぶ岩を望むところでレンタカーを停める。ちょうど福岡市から糸島市に入ったところにある桜井二見ヶ浦の夫婦岩である。
その岩の前の海中には白い鳥居が建てられおり、ここは思わず誰でもカメラを向けたくなるスポットに感じられる。
夫婦岩と呼ばれる岩は全国各地にあるようだが、やはり最も知られているのは伊勢の二見浦の夫婦岩であろう。あちらは二つの岩の間から昇る朝日が見事だが、こちらは二つの岩の間に沈む夕日が美しいという。また機会があればそうした時間に来てみたいものである。
伊勢の二見浦には二見興玉神社というのがあり、福岡の二見ヶ浦は桜井神社の社地だという。桜井神社じたいは由緒ある神社なのだが少し陸地に入ったところにある。
その代わり、夫婦岩の正面にはこのような看板が・・。別に悪気はなく、言いたいことはわからないでもないが、ちょっと怪しい雰囲気で、何だか興趣をそぐように見える。
ここで玄界灘と別れて南下する。しばらくは里山の景色だが、そこに急に地形が開け、真新しい建物が並ぶ。九州大学の伊都キャンパスである。従来のキャンパスの狭隘化、老朽化にともない新たに開発され、2005年から10年以上かけてこの地に移転して来た。伸び伸びとした環境で学べそうだが、最寄駅として新たに開業した筑肥線の九大学研都市駅からでもバスで15分ほどかかるそうで、通うのはちょっとしんどそうかな・・。まあ、実際にはクルマで通学する学生が多いのかもしれないが。
この辺りの平野部は、「魏志倭人伝」で「伊都国」として紹介されている一帯である。「魏志倭人伝」では当時の倭人が住んでいた各国について書かれたもので、邪馬台国については現在でも九州か畿内か(あるいはその他の地域かも含めて)すら特定できていないのに対して、伊都国についてはあらゆる発掘調査により、糸島半島の付け根の平野部一帯に存在していたことは確かなものとなっている。ちょうど、「魏志倭人伝」の中で場所が特定されている国とあいまいになっている国の境界である。
その中心に近い一角にある糸島市立の「伊都国歴史博物館」に入る。入口には「魏志倭人伝」の写しとともに、伊都国を中心とした地図も掲げられている。福岡に来ると、このような福岡を中心とした地図を見かけることがあるのだが、九州はもちろん、日本列島、朝鮮半島、はては中国大陸も等距離に置かれていて、東アジアの結節点である自負がうかがえる。似たような感覚は富山でも味わうことができ、こちらは「環日本海」としてロシアの沿海州、サハリンなども一衣帯水のように思わせる。いずれにしても、東京とは違った視点でアジアを俯瞰することができる。
伊都国をメインとした展示で、この日は企画展として「伊都国王誕生」というのをやっていた。2022年は、今から約2000年前の伊都国王の墓である「三雲南小路王墓」が初めて発見されて200年という。その王墓から出土した鏡、勾玉、ガラス玉、鉄製品などが紹介されている。
出土品の中には貨幣も含まれている。もちろん、現在のように通貨として使用されていたわけではなく、アクセサリー、祭祀用としての意味合いが強かったそうだ。
また出土品から、伊都国は朝鮮半島や本州(中国地方、畿内)ともつながりがあり、土器の製造方法を含めて技術の交流もあったのではないかと推測されている。
そして上のフロアでは、伊都国の平原遺跡に関する展示である。発見された墳丘墓の内部を再現し、副葬品として出土した数々の銅鏡やガラス玉などが展示されている。これら数十点が一括して国宝に指定されている。あっさりと「ケースの中はすべて国宝です」と紹介されているのが長い歴史へのプライドを感じさせる。
4階の展望スペースからは、現在の伊都国の景気を望むことができる。そのはるか遠方に見えるのが九州大学の伊都キャンパスで、さしずめ現在の伊都国のシンボルといっていいだろう。
さて、ここまで来たところでとっくに昼を回っており、この日も昼食抜きでの札所めぐりとなりそうだ。これから南の雷山にある千如寺に向かう。ようやく、九州西国霊場の札所である・・・。