ウード奏者 松尾 賢 のブログ(アラディーン主宰者)

ウード奏者、ダラブッカ奏者、サズ奏者、歌手、アラブ、トルコのオリエンタル音楽演奏家・作曲家である松尾賢のブログ。

教えることについて(今日のマドラサの感想)

2005-08-29 02:46:58 | 音楽
今日、タブラ・クワイエサのメンバーでおなじみの代々木公園WSのマドラサを行いました。

私は、Kさんという方に付きっ切りで、ほぼマンツーマン・レッスンを行いました。

最終的にマスムーディを叩けるまでになり、雑談もいっぱいして満足されて帰って行かれたのですが、正直言って「その教授過程」は凄く大変でした。

こういう場合、教える方は「忍耐」と「この人は必ず出来るという信念」は勿論のこと「相手の能力」もはっきり読み取らないといけません。

つまりバランスが大事なんですね。

こんなことを書くと、「その方に失礼じゃないか!」というような事を思う方もいるかもしれませんが、そういう意味でこれを書いているわけではありません。

教える方も実は人間なので「教える能力の限界」というものが列記と存在するのです。体調や精神面などのコンディションも微妙に関係してきますしね。

教える方は「なぜその人が出来ないのか?」という科学者的な冷静さと、相手を思いやる思慮深さ、が必要になってくるのは当然なのですが、「習っている人が今日はどの辺まで出来たら満足するのか?」ということも見極めなければ成らないため、演奏時と同じぐらいの集中力を発揮しないといけません。

教えることってデリケートです。

去年、私は一回、ダラブッカをまったく叩けない人に教えすぎて大失敗した経験があり、それ以来、常にその「相手の能力」のことを考えています。

要は、教える方も教わる方も満足できればいいんですけどね。

昔塾講師をしていたころ、数学がコンピューター並みにずば抜けて出来る、筋肉モリモリの東京工業大学出身の「おっさん教師」がいたのですが、この「おっさん教師」、やさしげな雰囲気のある反面、講師間のミーティングでは「あいつは馬鹿だよ」とか「あいつには能力がない」などと、よく平気に言い放ち、結局は「教えることに特別な労力をかけなければならない生徒に対しては自分は感知しない」という、まさしく数学的な態度を示していました。

「その数学的能力を教育面に発揮しろよ!」と良く思っていたのですが、残念ながら、これがこの人の「教える能力の限界」なんですね。

ちなみに今の木曜クラスは、結構高度なことも教えています。

みなさんのCS指数は如何に?