ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

日本にいる人は、もっと正確な情報を、知る必要があります!

2012年10月16日 | 日本とわたし
この記事は、先日掲載された後、すぐさま削除されてもう読めへんようになった。
以前は、ありゃ~消されてるがな~と、びっくりしてあきらめるしかなかったんやけど、
賢い人がいるもんで、ウェブ魚拓っちゅう方法を考え出してくれて、消されても読めるようになった。

だいたい、消したりしたら余計読みたいやん。
なんで消さなあかんのかって疑わしなるやん。
いったいこの記事が、読まれて困るのはどこのどいつやねん?て、ついつい思てしまうやん。

ということで、魚拓記事を読んでみた。
ふむふむ……。
別に、さして新しいことが書かれてるわけでもない。
今じゃすっかりゴミ扱いされて、マスゴミと呼ばれてる日本の報道の状態を書いたもんやけど、
まあでも、外から見たってことで、意味があるってことなんやろなあ……。
けどね、このニューヨーク・タイムズかて、キチガイ軍と財閥の希望で、戦争!戦争!戦争!て大騒ぎしてた時、
ひとっ言も意見できんかったし、ほんまのこと伝えんかったし、TM事故の時かて多分、政府や原発マフィアの言うままやったと思う。
そやし、「おまえが言うな!」と言いとうなるけど、一応、記事の中で反省してはったので、まあ許しといたります。

『9.11のあと、アメリカでは、メディアが愛国主義的になり、ブッシュ政権を批判しなくなりました。
その結果、イラク戦争に関わる政策ついて、十分な批判ができませんでした。
イラク戦争をとめることができず、戦争の動機についても、十分疑問を呈することができませんでした』

ということで、わたしなんかが言うても誰もとりあげてくれんのやし、内容的には大賛成やから、ここに載せておきますね。
で、魚拓をそのまんま魚拓するんやから、これって違反ちゃいますやんね~


外国人ジャーナリストが驚いた日本メディアの惨状
ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏に、話を聞いた。
大メディアに対する同氏の批評は、辛らつだ。
「取材源との距離が近すぎ、監視役としての役目を果たしていない」
「ダブルスタンダードで、自国の暗い面は報道しない」と指摘する。

――日本社会は非常に排他的で、属さない人を排除する――と言われてきました。
記者クラブも、そういう排他的な文化の一つの面だと思います。
どう思われますか。


ファクラー:
日本のメディアを見ていて、非常に興味深く思うのは、情報を独占的にコントロールしようとする記者クラブがある一方で、
週刊誌とかタブロイド紙が、非常に元気なことです。
記者クラブは、日本のメディアの保守的な面を表している、と思います。
週刊誌やフリーランス記者、地方紙は、かなり良い仕事をしています。


――朝日新聞や日本経済新聞といった日本の大手新聞と、ニューヨーク・タイムズの最も大きな違いの一つは、世界中の読者に対する影響力です。
世界中の人が、ニューヨーク・タイムズを読みますが、日本の新聞は読みません。
取材先が図る便宜も異なります。
例えばあなたは、トモダチ作戦の時、米軍のヘリに乗る機会を、最初に与えられました。


ファクラー:
最初にそういう機会が与えられたのは、もちろん、私がニューヨーク・タイムズの記者だったからです。
タイム誌の記者も、同乗しました。
同誌も、世界的に影響力を持っています。
確かに、ニューヨーク・タイムズという名前は役に立ちます。
米軍は、アメリカの納税者に対して、こうしたお金を使うことを、正当化しなければなりませんから。


――もしあなたがニューヨーク・タイムズにいなかったら、そういう機会は来なかったでしょうね。
マーティン・ファクラー氏・ニューヨーク・タイムズ東京支局長
1966年生まれ。
イリノイ大学でジャーナリズム修士。
ブルームバーグ、AP通信をへて、ニューヨーク・タイムズ東京支局。
2009年2月から現職。
同支局スタッフは、東日本大震災に関する報道で、ピュリッツァー賞国際報道部門の次点となった。


ファクラー:
そう思います。
世界的に影響力を持つメディアにいる、アドバンテージです。
私はこれまで、ブルームバーグ、AP、ウォールストリート・ジャーナル、ファーイースタン・エコノミック・レビューで仕事をしてきました。
この中で、ニューヨーク・タイムズは、取材先に対する最高のアクセスを与えてくれます。

もちろん、リスクもあります。
トモダチ作戦の取材の場合、米軍の代弁者にはなりたくありませんでした。
ただし、取材先と距離を置くことは、ジャーナリストにとって危険でもあります。
情報を得られなくなる可能性と、背中合わせですから。
これは、アメリカでも日本でも同じです。
常に直面する、チャレンジの一つです。

ニューヨーク・タイムズのように、名声が確立したメディアは、落とし穴や誘惑に、常に注意しなければなりません。
つまり、情報源との関係を維持するために、批判を鈍らせるとか、トーンダウンするとか、その誘惑に負けてはいけません。


日本メディアは、監視役たり得ていない。

――日本のメディアはウォッチドッグ(監視役)としての機能を果たしていると思いますか。

ファクラー:
彼らは、そういう機能を果たすべきだ、という理想を持っていると思いますが、
情報源とこれほど近い関係になると、実行するのはかなり難しいです。

これは、記者クラブだけの問題ではありません。
もっと大きな問題です。
日本の大メディアは、エリートが支配している階級の中に入っているということです。
東大、慶応、早稲田出身で、みんなが同じバックグラウンドと価値観を持っている。
みんな官僚に同情的で、彼らの側に立ってしまう
のです。

3.11の時、この面をはっきり見たと思います。
本当に監視役になっていたのなら、「フクシマは大丈夫だ」「メルトダウンはない」という記事は、書かなかったのではないでしょうか。
もっと厳しい記事が書けたと思います。
それができなかったのは、彼らが、政府と距離を保っていないから
です。

大メディアは、政府と対峙することなく、国民に対峙する報道をした。
私はこの点を、痛烈に批判しました。
大メディアが報道していたことが、間違いだとわかったのは、何カ月も経ってからです。
監視役としてみるなら、日本の大メディアは、落第だったと思います。
でも、メディアを監視役ではなく、システムの一部としてみるなら、起こるべくして起こったことだ
、と言えるでしょう。


――日本経済新聞に対しても批判的ですね。

ファクラー:
オリンパス事件のときに、よくわかりました。

海外メディアでは、ファイナンシャル・タイムズがスクープし、ニューヨーク・タイムズとウォールストリート・ジャーナルがそれに続きました。
その間、日本経済新聞は、何も報道しませんでした。
沈黙です。


その後、マイケル・ウッドフォード元CEOの記事が、小さく出ました。
ウッドフォード氏は、日本の組織文化を理解することができなかった、というような記事でした。
まったくクレージーです。
ビジネス・ジャーナリズムとして、3.11報道と同じくらいの大きな失敗でした。
チャレンジする精神が、まったくありませんでした。



――3.11以降、大メディアに対して、国民も不信感を持ち始めました。

ファクラー:
今、我々は、非常に興味深い時期にいます。
読者は今まで、メディアの言うことを、ほとんど信じていました。
しかし、放射性物質の問題、SPEEDIデータの隠蔽、食料安全の問題について、国民はメディアに対して不信感を覚えたのです。
国民と大メディアの間に、溝が生じ始めたのです。
「大メディアは、国民の側に立っていない」という意識が、国民の間に広がった
と思います。
3.11が、変化の始まりでした。
これほど強い不信感をみたのは、初めて
です。


日本の大メディアはダブルスタンダード

――人種差別に対する、日本メディアのスタンスについてうかがいます。
2010年に、オーバーステイで逮捕されたガーナ人男性が、飛行機で強制送還しようとしたところ暴れたので、
入国管理局の職員が集団で、手錠を使って縛り上げ、無理やり飛行機に乗せました。
その後、このガーナ人男性が、機内で死亡した。
この事件について、日本の大メディアが、人種差別として報道しなかったことを指摘されています。
 
また、東電のOLが、1997年に殺された事件がありました。
犯人とされたネパール人は、やっと最近釈放され、ネパールに強制送還されました。
これも、人種差別でしょうか?


ファクラー:
どの社会も、偏見を持っています。
日本だけに限ったことではありません。
問題はメディアです。
メディアが、そういう観点から報道しないのです。
国民の意識を変えようとする努力が、まったく見られません。
こういう人種的偏見をなくすには、国民の意識を変えることが重要です。

日本のメディアは、ダブルスタンダードに陥っています。
人種偏見に基づく事件が、海外で起きた場合は報じるのに、自国で起きた場合は報じません。
海外で起きた出来事にも、日本国内で起きた事件にも、同じ尺度を当てはめるべきです。
日本のメディアは、ひょっとしたら、みずからが、ダブルスタンダードであることを、意識していないのかもしれません。
本来は、日本社会の暗い面も報道するべきですが、それを隠す傾向にあります。

もっと自分の足で取材して、調査報道をやってほしいと思います。
貧困問題も同じです。
日本の貧困問題は深刻です。
こういう面をきちんと報道しないのは、ジャーナリズムの機能不全です。



――日本のメディアについて、特に変わってほしいと思うのはどの面ですか。

ファクラー:
メディアのスタンスですね。
大メディアは、本当の意味で、監視役の役割を果たすべき時が来ています。
日本にいる人は、もっと正確な情報を、知る必要があります。
今、メディアがやっていることは、明治時代から変わっていません。
日本社会全体にチャレンジするような、代替メディアも生まれていません。
能力はあるのに、とても残念なことです。


3.11以降、非常に良い仕事をした、日本のメディアもあると思います。
「東京新聞」です。
政府と距離を置いて、批判的な記事を書いていました。
地方新聞では、「河北新報」です。
同紙は、政府や東電側ではなく、被災者の立場から報道しました。
震災記録、300日にわたるその記録は、『悲から生をつむぐ』という本にまとめられています。
地方新聞でも、ネットを使えば、グローバルなメディアになります。
「地方」というのは、関係なくなってきます。


良いジャーナリストの条件とは

――ジャーナリストの心構えについて、
“a good journalist needs a sense of moral outrage”
(良いジャーナリストには正義感――悪に対する人間的な怒り――が必要)と主張されています。
これが、最も重要な要素でしょうか。


ファクラー:
個人的なレベルでは、そう思います。
ジャーナリストは、社会のためにやる仕事です。
銀行家になって、お金儲けするのとは違います。
社会を良くしたいから、する仕事です。

ジャーナリストは、少し理想主義者であると同時に、シニカルである必要があります。


――そして、取材対象と、適切な距離を保つことですね。

ファクラー:
これは、本当に重要なことです。
9.11のあと、アメリカでは、メディアが愛国主義的になり、ブッシュ政権を批判しなくなりました。
その結果、イラク戦争に関わる政策ついて、十分な批判ができませんでした。
イラク戦争をとめることができず、戦争の動機についても、十分疑問を呈することができませんでした。


――それでもジャーナリストは、人脈を作り続けないといけません。

ファクラー:
理想的に言えば、尊敬されることが大事です。
良い情報を得るために、自分を売らなければならないのであれば、そのような情報源の存在は、忘れた方がいいです。
日本は、ジャーナリズムの倫理を、少し変えた方がいいと思います。
その方が、尊敬されるようになる。
長い目でみれば、フレンドリーな関係を作ることよりも、尊敬されるようになることが重要です。

↑以上、魚拓の魚拓おわり


で、これがさっさと消されてしもたんやから、日本の大メディアさんは、反省するどころか、もみ消してしまいたい気満々っちゅうことですね。
変わりませんよ、そんな簡単に。
変われるもんなら、もうとっくに変わってる。
東京新聞や河北新報が、必死で、経営を圧迫されながら頑張ってくれてるこれまでの間、ずっとずっと政府とお友達。

政府にも企業にも、それからマスコミにも、期待も希望も全く持たんようになった。
持ってもしょうがないことを、この19ヵ月で思い知った。
署名もした。
嘆願書も書いた。
抗議文も送った。
住民投票や国民投票が、世の中を動かせると信じてた。
ところが、なにを送っても、運動しても、結局上に上がった途端に、ざ~んねんでした!チャンチャン♪となってもみ消されてしまう。
なんで?
それは、日本の法律に、原発を死守するための法律がガチンゴチンに存在してて、どないもこないもしゃあないからやねん!
この法律、どないしたら変えられるん?
誰が変えられるん?
市民のわたしらができる一番の抵抗は、いったいなんやねん?
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「福島は、他人の問題と思っている人が多いと思うが、次はあなたの番だよと言いたい」by 園子温監督

2012年10月16日 | 日本とわたし
園子温監督、映画『希望の国』オフィシャルサイトより引用

*ストーリー
舞台は、東日本大震災から数年後の20XX年、日本、長島県。
酪農を営む小野泰彦は、妻・智恵子と息子・洋一、その妻・いずみと、満ち足りた日々を送っていた。
あの日が来るまでは。
長島県東方沖を襲った、マグニチュード8.3の地震と、それに続く原発事故は、人々の生活をたちまち一変させる。
原発から、半径20キロ圏内が、警戒区域に指定される中、強制的に家を追われる、隣の鈴木家と、
道路ひとつ隔てただけで、避難区域外となる小野家。
だが、泰彦は、かつてこの国で起きた、未曾有の事態を忘れていなかった。
国家はあてにならないと言い、自主的に、洋一夫婦を避難させ、自らはそこに留まる泰彦。
一方、妊娠がわかったいずみは、子を守りたい一心から、放射能への恐怖を募らせていく。

「これは見えない戦争なの。弾もミサイルも見えないけど、そこいらじゅう飛び交ってるの、見えない弾が!」

その頃、避難所で暮らす、鈴木家の息子・ミツルと恋人のヨーコは、消息のつかめないヨーコの家族を探して、
瓦礫に埋もれた海沿いの町を、一歩一歩と歩き続けていた。

やがて、原発は制御不能に陥り、最悪の事態を招いてしまう。
泰彦の家が避難区域となり、強制退避を命じられる日も、刻一刻と迫ってきた。
帰るべき場所を失い、放射能におびえる人々。
終わりなき絶望と不安の先に、果たして、希望の未来はあるのだろうか?



この映画の特別試写会と、園子温監督との討論会の様子を、岩上安身さんが実況ツィートをしてくださいました。

以下は、そのツィートです。

1)
2012年10月16日17時半、
映画『希望の国』特別試写会&園子温監督との討論会」の実況ツイート開始。
ゲストは、園監督、写真家・桃井和馬氏、谷岡郁子議員。
国会議員、多数視聴。
参議院議員会館講堂で、エネシフジャパン主催


2)
映画「希望の国」は、夏八木勲、大谷直子、村上淳、神楽坂恵らが出演。
東日本大震災の数年後、再び起きた巨大地震と津波で、「長島第1原発事故」が発生。
故郷を追われ、人間関係をズタズタにされる人々の、葛藤を表現した映画。

3)
監督
「3.11を無視して、映画を撮っていていいのか、という葛藤があった。
そんな時、南相馬の鈴木さんの家の庭が、20キロ圏内と圏外で、真っ二つに分かれている状況を見た。
この状況を表現した


4)
監督
「昨年12月末に、シナリオを完成した。
原発事故が風化しつつあることに、危惧を覚えた。
再稼動が迫る中、本当は、夏に間に合わせたかった」

5)
谷岡議員
「映画をつくらなきゃという思いは、私が、『法律作らなきゃ』という思いと重なる。
一方で、『終わらない物語』として、課題を抱えてしまっている部分があると思う」

6)
監督
「この映画での僕の取材は、最初は、お役所が紹介してくれる人を取材していたが、
居心地が悪く、役人が後ろに立っているので、取材対象の人も、歯切れが悪かった。
そこで、自分の足で歩いて、取材先を探すことにした」

7)
監督
「そうやって、南相馬の、鈴木さんの庭を見つけた。
ある日、飯館の学校の校庭の桜が、満開だった光景を見て、僕は何ができたんだろうって、
何もかも、大雑把にやってしまったんじゃないだろうかって」

8)
谷岡議員
「監督に感謝したい。
『怖がっちゃいけない』、と言われている人がいる。
映画が出してくれたメッセージ、『怖がるのが当然』
と、現実がよく見えるようにしてくださった。
被災地域以外の人にも、イメージしやすい映画」

9)
桃井氏
「映画を見終わって、5分ぐらい立てなかった。
『タブー』を僕らに突きつけてくれた。
こんな凄い日本人が居たのか、と感じた」

10)
監督
「映画のポスターは、当初、黄色を前面に出し、危険性を訴えるものを考えていたが、結果としては、ニュートラルなものを心がけた。
なぜなら、脱原発ドキュメンタリー色を強めると、見に来る人は限られてくるから」

11)
監督
「いわば、『脱原発ホームパーティ』になってしまうのは避けたい。
原発が有ってもいいんじゃないのか、と思っている人にも見てもらいたいと思い、ポスター等は、ニュートラルなものを心がけた」

12)
監督
「『希望の国』というタイトル。
当初は、『大地の歌』というタイトルにしようと思っていたが、取材しているうちに、しっくり来なくなった。
取材しているうちに、絶望感が出てきた

13)
監督
「その絶望感を、なんと言ったらいいのかとよく考えた結果、『希望の国』という、皮肉を込めたタイトルに設定した」

14)
谷岡議員
「一歩一歩、という言葉が心に残った」 
監督
「大事にしたい言葉。
日本は、イケイケドンドンで、凄いスピードで進化を遂げたが、3.11以降、日本はもっと、ゆっくり歩いていけばいい。
今までのスピードでは駄目
だと」

15)
桃井氏
「同じ表現者として、忸怩たる思いがある。
僕は、被災者の人たちに、悲しい思いをさせてはいけない、という思いがある。
が、この映画を見終わって、立てないほどの重量感があった。
この映画には、覚悟を感じる」

16)
桃井氏
「今の社会、予定調和があるじゃないですか。
それを、この映画は打ち破った」
谷岡氏
「今は非常事態。
原発事故がなかったかのような、シャンシャンにしよう、というような空気はよろしくない」

17)
監督
「戦前、家に赤紙が来た際、息子を戦地に送らなくていいように、知恵を絞った父親が居た。
国や世の中が、頼りにならない場合、自分や家族で考えなければならない。
今、そのときが来たんだな、と思う


18)
監督
非国民といわれようが、あとで、オセロの目が、裏返るときが来るかもしれない。
日本人は、逃げないことの勇気よりも、逃げることの勇気を持ったほうがいい、と思う。
国の命令だけを守っている人間には、なってほしくない、と思う


19)
質疑応答。
男性「監督は、どのシーンを、象徴的場面とみているか」
監督「取材した方々の声がなければ、出来なかった作品。
これが象徴、というシーンはない。
強いて言えば、ラストシーンで、「次は貴方の番だよ」と指差している場面」

20)
監督
「僕は 通信販売で買ったガイガーカウンターで、下北沢の自宅で放射線量を図っていたが、いつも0.16とか0.18が出る。
最初はとても怖かったが、そのうち慣れてしまった」

21)
監督
「こないだカナダに行ったときに、ガイガー持っていって線量を測ったが、数値が限りなくゼロで驚いた。
日本も以前は、これが当たり前だったんだよなって、つまり、0.16に慣れてしまった自分にびっくりした

22)
監督
「もう、日本に住んでいる限り、原発問題から逃げられない、それが言いたい映画。
福島は、他人の問題と思っている人が多いと思うが、次はあなたの番だよ と言いたい。

23)
監督
「ヒット作が出ていたので、周りから、『次も一発ぶちかまして下さいよ、タブーを破って下さいよ』と言われたが、
原発問題をやるというと、クモの子を散らすように逃げていった。
別の意味のタブーが 明らかになった(笑)」

24)
女性
「議員には、今日の試写会を、何人くらいに知らせたのか」 
司会者
「参議院・衆議院の議員全員に告知した。
所用で来られない人も、大勢居た。
ぜひ、映画館で見てくださるように、お伝えしたい」

25)
監督
代案を考えてから脱原発を言え、という意見があるが、僕はそうは思わない。
原発自体が、中途半端。

例えば、フグ職人は、中途半端な状態で、客にフグを出さないし、ライト兄弟は、試作機に、客を乗せることはしないはず


26)
これにて、「映画 『希望の国』 特別試写会&園子温監督との討論会」の実況ツイートを終了します。
アーカイブは、会員のみ視聴可能。
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