この記事は、先日掲載された後、すぐさま削除されてもう読めへんようになった。
以前は、ありゃ~消されてるがな~と、びっくりしてあきらめるしかなかったんやけど、
賢い人がいるもんで、ウェブ魚拓っちゅう方法を考え出してくれて、消されても読めるようになった。
だいたい、消したりしたら余計読みたいやん。
なんで消さなあかんのかって疑わしなるやん。
いったいこの記事が、読まれて困るのはどこのどいつやねん?て、ついつい思てしまうやん。
ということで、魚拓記事を読んでみた。
ふむふむ……。
別に、さして新しいことが書かれてるわけでもない。
今じゃすっかりゴミ扱いされて、マスゴミと呼ばれてる日本の報道の状態を書いたもんやけど、
まあでも、外から見たってことで、意味があるってことなんやろなあ……。
けどね、このニューヨーク・タイムズかて、キチガイ軍と財閥の希望で、戦争!戦争!戦争!て大騒ぎしてた時、
ひとっ言も意見できんかったし、ほんまのこと伝えんかったし、TM事故の時かて多分、政府や原発マフィアの言うままやったと思う。
そやし、「おまえが言うな!」と言いとうなるけど、一応、記事の中で反省してはったので、まあ許しといたります。
↓
『9.11のあと、アメリカでは、メディアが愛国主義的になり、ブッシュ政権を批判しなくなりました。
その結果、イラク戦争に関わる政策ついて、十分な批判ができませんでした。
イラク戦争をとめることができず、戦争の動機についても、十分疑問を呈することができませんでした』
ということで、わたしなんかが言うても誰もとりあげてくれんのやし、内容的には大賛成やから、ここに載せておきますね。
で、魚拓をそのまんま魚拓するんやから、これって違反ちゃいますやんね~
外国人ジャーナリストが驚いた日本メディアの惨状
ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏に、話を聞いた。
大メディアに対する同氏の批評は、辛らつだ。
「取材源との距離が近すぎ、監視役としての役目を果たしていない」
「ダブルスタンダードで、自国の暗い面は報道しない」と指摘する。
――日本社会は非常に排他的で、属さない人を排除する――と言われてきました。
記者クラブも、そういう排他的な文化の一つの面だと思います。
どう思われますか。
ファクラー:
日本のメディアを見ていて、非常に興味深く思うのは、情報を独占的にコントロールしようとする記者クラブがある一方で、
週刊誌とかタブロイド紙が、非常に元気なことです。
記者クラブは、日本のメディアの保守的な面を表している、と思います。
週刊誌やフリーランス記者、地方紙は、かなり良い仕事をしています。
――朝日新聞や日本経済新聞といった日本の大手新聞と、ニューヨーク・タイムズの最も大きな違いの一つは、世界中の読者に対する影響力です。
世界中の人が、ニューヨーク・タイムズを読みますが、日本の新聞は読みません。
取材先が図る便宜も異なります。
例えばあなたは、トモダチ作戦の時、米軍のヘリに乗る機会を、最初に与えられました。
ファクラー:
最初にそういう機会が与えられたのは、もちろん、私がニューヨーク・タイムズの記者だったからです。
タイム誌の記者も、同乗しました。
同誌も、世界的に影響力を持っています。
確かに、ニューヨーク・タイムズという名前は役に立ちます。
米軍は、アメリカの納税者に対して、こうしたお金を使うことを、正当化しなければなりませんから。
――もしあなたがニューヨーク・タイムズにいなかったら、そういう機会は来なかったでしょうね。
マーティン・ファクラー氏・ニューヨーク・タイムズ東京支局長
1966年生まれ。
イリノイ大学でジャーナリズム修士。
ブルームバーグ、AP通信をへて、ニューヨーク・タイムズ東京支局。
2009年2月から現職。
同支局スタッフは、東日本大震災に関する報道で、ピュリッツァー賞国際報道部門の次点となった。
ファクラー:
そう思います。
世界的に影響力を持つメディアにいる、アドバンテージです。
私はこれまで、ブルームバーグ、AP、ウォールストリート・ジャーナル、ファーイースタン・エコノミック・レビューで仕事をしてきました。
この中で、ニューヨーク・タイムズは、取材先に対する最高のアクセスを与えてくれます。
もちろん、リスクもあります。
トモダチ作戦の取材の場合、米軍の代弁者にはなりたくありませんでした。
ただし、取材先と距離を置くことは、ジャーナリストにとって危険でもあります。
情報を得られなくなる可能性と、背中合わせですから。
これは、アメリカでも日本でも同じです。
常に直面する、チャレンジの一つです。
ニューヨーク・タイムズのように、名声が確立したメディアは、落とし穴や誘惑に、常に注意しなければなりません。
つまり、情報源との関係を維持するために、批判を鈍らせるとか、トーンダウンするとか、その誘惑に負けてはいけません。
日本メディアは、監視役たり得ていない。
――日本のメディアはウォッチドッグ(監視役)としての機能を果たしていると思いますか。
ファクラー:
彼らは、そういう機能を果たすべきだ、という理想を持っていると思いますが、
情報源とこれほど近い関係になると、実行するのはかなり難しいです。
これは、記者クラブだけの問題ではありません。
もっと大きな問題です。
日本の大メディアは、エリートが支配している階級の中に入っているということです。
東大、慶応、早稲田出身で、みんなが同じバックグラウンドと価値観を持っている。
みんな官僚に同情的で、彼らの側に立ってしまうのです。
3.11の時、この面をはっきり見たと思います。
本当に監視役になっていたのなら、「フクシマは大丈夫だ」「メルトダウンはない」という記事は、書かなかったのではないでしょうか。
もっと厳しい記事が書けたと思います。
それができなかったのは、彼らが、政府と距離を保っていないからです。
大メディアは、政府と対峙することなく、国民に対峙する報道をした。
私はこの点を、痛烈に批判しました。
大メディアが報道していたことが、間違いだとわかったのは、何カ月も経ってからです。
監視役としてみるなら、日本の大メディアは、落第だったと思います。
でも、メディアを監視役ではなく、システムの一部としてみるなら、起こるべくして起こったことだ、と言えるでしょう。
――日本経済新聞に対しても批判的ですね。
ファクラー:
オリンパス事件のときに、よくわかりました。
海外メディアでは、ファイナンシャル・タイムズがスクープし、ニューヨーク・タイムズとウォールストリート・ジャーナルがそれに続きました。
その間、日本経済新聞は、何も報道しませんでした。
沈黙です。
その後、マイケル・ウッドフォード元CEOの記事が、小さく出ました。
ウッドフォード氏は、日本の組織文化を理解することができなかった、というような記事でした。
まったくクレージーです。
ビジネス・ジャーナリズムとして、3.11報道と同じくらいの大きな失敗でした。
チャレンジする精神が、まったくありませんでした。
――3.11以降、大メディアに対して、国民も不信感を持ち始めました。
ファクラー:
今、我々は、非常に興味深い時期にいます。
読者は今まで、メディアの言うことを、ほとんど信じていました。
しかし、放射性物質の問題、SPEEDIデータの隠蔽、食料安全の問題について、国民はメディアに対して不信感を覚えたのです。
国民と大メディアの間に、溝が生じ始めたのです。
「大メディアは、国民の側に立っていない」という意識が、国民の間に広がったと思います。
3.11が、変化の始まりでした。
これほど強い不信感をみたのは、初めてです。
日本の大メディアはダブルスタンダード
――人種差別に対する、日本メディアのスタンスについてうかがいます。
2010年に、オーバーステイで逮捕されたガーナ人男性が、飛行機で強制送還しようとしたところ暴れたので、
入国管理局の職員が集団で、手錠を使って縛り上げ、無理やり飛行機に乗せました。
その後、このガーナ人男性が、機内で死亡した。
この事件について、日本の大メディアが、人種差別として報道しなかったことを指摘されています。
また、東電のOLが、1997年に殺された事件がありました。
犯人とされたネパール人は、やっと最近釈放され、ネパールに強制送還されました。
これも、人種差別でしょうか?
ファクラー:
どの社会も、偏見を持っています。
日本だけに限ったことではありません。
問題はメディアです。
メディアが、そういう観点から報道しないのです。
国民の意識を変えようとする努力が、まったく見られません。
こういう人種的偏見をなくすには、国民の意識を変えることが重要です。
日本のメディアは、ダブルスタンダードに陥っています。
人種偏見に基づく事件が、海外で起きた場合は報じるのに、自国で起きた場合は報じません。
海外で起きた出来事にも、日本国内で起きた事件にも、同じ尺度を当てはめるべきです。
日本のメディアは、ひょっとしたら、みずからが、ダブルスタンダードであることを、意識していないのかもしれません。
本来は、日本社会の暗い面も報道するべきですが、それを隠す傾向にあります。
もっと自分の足で取材して、調査報道をやってほしいと思います。
貧困問題も同じです。
日本の貧困問題は深刻です。
こういう面をきちんと報道しないのは、ジャーナリズムの機能不全です。
――日本のメディアについて、特に変わってほしいと思うのはどの面ですか。
ファクラー:
メディアのスタンスですね。
大メディアは、本当の意味で、監視役の役割を果たすべき時が来ています。
日本にいる人は、もっと正確な情報を、知る必要があります。
今、メディアがやっていることは、明治時代から変わっていません。
日本社会全体にチャレンジするような、代替メディアも生まれていません。
能力はあるのに、とても残念なことです。
3.11以降、非常に良い仕事をした、日本のメディアもあると思います。
「東京新聞」です。
政府と距離を置いて、批判的な記事を書いていました。
地方新聞では、「河北新報」です。
同紙は、政府や東電側ではなく、被災者の立場から報道しました。
震災記録、300日にわたるその記録は、『悲から生をつむぐ』という本にまとめられています。
地方新聞でも、ネットを使えば、グローバルなメディアになります。
「地方」というのは、関係なくなってきます。
良いジャーナリストの条件とは
――ジャーナリストの心構えについて、
“a good journalist needs a sense of moral outrage”
(良いジャーナリストには正義感――悪に対する人間的な怒り――が必要)と主張されています。
これが、最も重要な要素でしょうか。
ファクラー:
個人的なレベルでは、そう思います。
ジャーナリストは、社会のためにやる仕事です。
銀行家になって、お金儲けするのとは違います。
社会を良くしたいから、する仕事です。
ジャーナリストは、少し理想主義者であると同時に、シニカルである必要があります。
――そして、取材対象と、適切な距離を保つことですね。
ファクラー:
これは、本当に重要なことです。
9.11のあと、アメリカでは、メディアが愛国主義的になり、ブッシュ政権を批判しなくなりました。
その結果、イラク戦争に関わる政策ついて、十分な批判ができませんでした。
イラク戦争をとめることができず、戦争の動機についても、十分疑問を呈することができませんでした。
――それでもジャーナリストは、人脈を作り続けないといけません。
ファクラー:
理想的に言えば、尊敬されることが大事です。
良い情報を得るために、自分を売らなければならないのであれば、そのような情報源の存在は、忘れた方がいいです。
日本は、ジャーナリズムの倫理を、少し変えた方がいいと思います。
その方が、尊敬されるようになる。
長い目でみれば、フレンドリーな関係を作ることよりも、尊敬されるようになることが重要です。
↑以上、魚拓の魚拓おわり
で、これがさっさと消されてしもたんやから、日本の大メディアさんは、反省するどころか、もみ消してしまいたい気満々っちゅうことですね。
変わりませんよ、そんな簡単に。
変われるもんなら、もうとっくに変わってる。
東京新聞や河北新報が、必死で、経営を圧迫されながら頑張ってくれてるこれまでの間、ずっとずっと政府とお友達。
政府にも企業にも、それからマスコミにも、期待も希望も全く持たんようになった。
持ってもしょうがないことを、この19ヵ月で思い知った。
署名もした。
嘆願書も書いた。
抗議文も送った。
住民投票や国民投票が、世の中を動かせると信じてた。
ところが、なにを送っても、運動しても、結局上に上がった途端に、ざ~んねんでした!チャンチャン♪となってもみ消されてしまう。
なんで?
それは、日本の法律に、原発を死守するための法律がガチンゴチンに存在してて、どないもこないもしゃあないからやねん!
この法律、どないしたら変えられるん?
誰が変えられるん?
市民のわたしらができる一番の抵抗は、いったいなんやねん?
以前は、ありゃ~消されてるがな~と、びっくりしてあきらめるしかなかったんやけど、
賢い人がいるもんで、ウェブ魚拓っちゅう方法を考え出してくれて、消されても読めるようになった。
だいたい、消したりしたら余計読みたいやん。
なんで消さなあかんのかって疑わしなるやん。
いったいこの記事が、読まれて困るのはどこのどいつやねん?て、ついつい思てしまうやん。
ということで、魚拓記事を読んでみた。
ふむふむ……。
別に、さして新しいことが書かれてるわけでもない。
今じゃすっかりゴミ扱いされて、マスゴミと呼ばれてる日本の報道の状態を書いたもんやけど、
まあでも、外から見たってことで、意味があるってことなんやろなあ……。
けどね、このニューヨーク・タイムズかて、キチガイ軍と財閥の希望で、戦争!戦争!戦争!て大騒ぎしてた時、
ひとっ言も意見できんかったし、ほんまのこと伝えんかったし、TM事故の時かて多分、政府や原発マフィアの言うままやったと思う。
そやし、「おまえが言うな!」と言いとうなるけど、一応、記事の中で反省してはったので、まあ許しといたります。
↓
『9.11のあと、アメリカでは、メディアが愛国主義的になり、ブッシュ政権を批判しなくなりました。
その結果、イラク戦争に関わる政策ついて、十分な批判ができませんでした。
イラク戦争をとめることができず、戦争の動機についても、十分疑問を呈することができませんでした』
ということで、わたしなんかが言うても誰もとりあげてくれんのやし、内容的には大賛成やから、ここに載せておきますね。
で、魚拓をそのまんま魚拓するんやから、これって違反ちゃいますやんね~
外国人ジャーナリストが驚いた日本メディアの惨状
ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏に、話を聞いた。
大メディアに対する同氏の批評は、辛らつだ。
「取材源との距離が近すぎ、監視役としての役目を果たしていない」
「ダブルスタンダードで、自国の暗い面は報道しない」と指摘する。
――日本社会は非常に排他的で、属さない人を排除する――と言われてきました。
記者クラブも、そういう排他的な文化の一つの面だと思います。
どう思われますか。
ファクラー:
日本のメディアを見ていて、非常に興味深く思うのは、情報を独占的にコントロールしようとする記者クラブがある一方で、
週刊誌とかタブロイド紙が、非常に元気なことです。
記者クラブは、日本のメディアの保守的な面を表している、と思います。
週刊誌やフリーランス記者、地方紙は、かなり良い仕事をしています。
――朝日新聞や日本経済新聞といった日本の大手新聞と、ニューヨーク・タイムズの最も大きな違いの一つは、世界中の読者に対する影響力です。
世界中の人が、ニューヨーク・タイムズを読みますが、日本の新聞は読みません。
取材先が図る便宜も異なります。
例えばあなたは、トモダチ作戦の時、米軍のヘリに乗る機会を、最初に与えられました。
ファクラー:
最初にそういう機会が与えられたのは、もちろん、私がニューヨーク・タイムズの記者だったからです。
タイム誌の記者も、同乗しました。
同誌も、世界的に影響力を持っています。
確かに、ニューヨーク・タイムズという名前は役に立ちます。
米軍は、アメリカの納税者に対して、こうしたお金を使うことを、正当化しなければなりませんから。
――もしあなたがニューヨーク・タイムズにいなかったら、そういう機会は来なかったでしょうね。
マーティン・ファクラー氏・ニューヨーク・タイムズ東京支局長
1966年生まれ。
イリノイ大学でジャーナリズム修士。
ブルームバーグ、AP通信をへて、ニューヨーク・タイムズ東京支局。
2009年2月から現職。
同支局スタッフは、東日本大震災に関する報道で、ピュリッツァー賞国際報道部門の次点となった。
ファクラー:
そう思います。
世界的に影響力を持つメディアにいる、アドバンテージです。
私はこれまで、ブルームバーグ、AP、ウォールストリート・ジャーナル、ファーイースタン・エコノミック・レビューで仕事をしてきました。
この中で、ニューヨーク・タイムズは、取材先に対する最高のアクセスを与えてくれます。
もちろん、リスクもあります。
トモダチ作戦の取材の場合、米軍の代弁者にはなりたくありませんでした。
ただし、取材先と距離を置くことは、ジャーナリストにとって危険でもあります。
情報を得られなくなる可能性と、背中合わせですから。
これは、アメリカでも日本でも同じです。
常に直面する、チャレンジの一つです。
ニューヨーク・タイムズのように、名声が確立したメディアは、落とし穴や誘惑に、常に注意しなければなりません。
つまり、情報源との関係を維持するために、批判を鈍らせるとか、トーンダウンするとか、その誘惑に負けてはいけません。
日本メディアは、監視役たり得ていない。
――日本のメディアはウォッチドッグ(監視役)としての機能を果たしていると思いますか。
ファクラー:
彼らは、そういう機能を果たすべきだ、という理想を持っていると思いますが、
情報源とこれほど近い関係になると、実行するのはかなり難しいです。
これは、記者クラブだけの問題ではありません。
もっと大きな問題です。
日本の大メディアは、エリートが支配している階級の中に入っているということです。
東大、慶応、早稲田出身で、みんなが同じバックグラウンドと価値観を持っている。
みんな官僚に同情的で、彼らの側に立ってしまうのです。
3.11の時、この面をはっきり見たと思います。
本当に監視役になっていたのなら、「フクシマは大丈夫だ」「メルトダウンはない」という記事は、書かなかったのではないでしょうか。
もっと厳しい記事が書けたと思います。
それができなかったのは、彼らが、政府と距離を保っていないからです。
大メディアは、政府と対峙することなく、国民に対峙する報道をした。
私はこの点を、痛烈に批判しました。
大メディアが報道していたことが、間違いだとわかったのは、何カ月も経ってからです。
監視役としてみるなら、日本の大メディアは、落第だったと思います。
でも、メディアを監視役ではなく、システムの一部としてみるなら、起こるべくして起こったことだ、と言えるでしょう。
――日本経済新聞に対しても批判的ですね。
ファクラー:
オリンパス事件のときに、よくわかりました。
海外メディアでは、ファイナンシャル・タイムズがスクープし、ニューヨーク・タイムズとウォールストリート・ジャーナルがそれに続きました。
その間、日本経済新聞は、何も報道しませんでした。
沈黙です。
その後、マイケル・ウッドフォード元CEOの記事が、小さく出ました。
ウッドフォード氏は、日本の組織文化を理解することができなかった、というような記事でした。
まったくクレージーです。
ビジネス・ジャーナリズムとして、3.11報道と同じくらいの大きな失敗でした。
チャレンジする精神が、まったくありませんでした。
――3.11以降、大メディアに対して、国民も不信感を持ち始めました。
ファクラー:
今、我々は、非常に興味深い時期にいます。
読者は今まで、メディアの言うことを、ほとんど信じていました。
しかし、放射性物質の問題、SPEEDIデータの隠蔽、食料安全の問題について、国民はメディアに対して不信感を覚えたのです。
国民と大メディアの間に、溝が生じ始めたのです。
「大メディアは、国民の側に立っていない」という意識が、国民の間に広がったと思います。
3.11が、変化の始まりでした。
これほど強い不信感をみたのは、初めてです。
日本の大メディアはダブルスタンダード
――人種差別に対する、日本メディアのスタンスについてうかがいます。
2010年に、オーバーステイで逮捕されたガーナ人男性が、飛行機で強制送還しようとしたところ暴れたので、
入国管理局の職員が集団で、手錠を使って縛り上げ、無理やり飛行機に乗せました。
その後、このガーナ人男性が、機内で死亡した。
この事件について、日本の大メディアが、人種差別として報道しなかったことを指摘されています。
また、東電のOLが、1997年に殺された事件がありました。
犯人とされたネパール人は、やっと最近釈放され、ネパールに強制送還されました。
これも、人種差別でしょうか?
ファクラー:
どの社会も、偏見を持っています。
日本だけに限ったことではありません。
問題はメディアです。
メディアが、そういう観点から報道しないのです。
国民の意識を変えようとする努力が、まったく見られません。
こういう人種的偏見をなくすには、国民の意識を変えることが重要です。
日本のメディアは、ダブルスタンダードに陥っています。
人種偏見に基づく事件が、海外で起きた場合は報じるのに、自国で起きた場合は報じません。
海外で起きた出来事にも、日本国内で起きた事件にも、同じ尺度を当てはめるべきです。
日本のメディアは、ひょっとしたら、みずからが、ダブルスタンダードであることを、意識していないのかもしれません。
本来は、日本社会の暗い面も報道するべきですが、それを隠す傾向にあります。
もっと自分の足で取材して、調査報道をやってほしいと思います。
貧困問題も同じです。
日本の貧困問題は深刻です。
こういう面をきちんと報道しないのは、ジャーナリズムの機能不全です。
――日本のメディアについて、特に変わってほしいと思うのはどの面ですか。
ファクラー:
メディアのスタンスですね。
大メディアは、本当の意味で、監視役の役割を果たすべき時が来ています。
日本にいる人は、もっと正確な情報を、知る必要があります。
今、メディアがやっていることは、明治時代から変わっていません。
日本社会全体にチャレンジするような、代替メディアも生まれていません。
能力はあるのに、とても残念なことです。
3.11以降、非常に良い仕事をした、日本のメディアもあると思います。
「東京新聞」です。
政府と距離を置いて、批判的な記事を書いていました。
地方新聞では、「河北新報」です。
同紙は、政府や東電側ではなく、被災者の立場から報道しました。
震災記録、300日にわたるその記録は、『悲から生をつむぐ』という本にまとめられています。
地方新聞でも、ネットを使えば、グローバルなメディアになります。
「地方」というのは、関係なくなってきます。
良いジャーナリストの条件とは
――ジャーナリストの心構えについて、
“a good journalist needs a sense of moral outrage”
(良いジャーナリストには正義感――悪に対する人間的な怒り――が必要)と主張されています。
これが、最も重要な要素でしょうか。
ファクラー:
個人的なレベルでは、そう思います。
ジャーナリストは、社会のためにやる仕事です。
銀行家になって、お金儲けするのとは違います。
社会を良くしたいから、する仕事です。
ジャーナリストは、少し理想主義者であると同時に、シニカルである必要があります。
――そして、取材対象と、適切な距離を保つことですね。
ファクラー:
これは、本当に重要なことです。
9.11のあと、アメリカでは、メディアが愛国主義的になり、ブッシュ政権を批判しなくなりました。
その結果、イラク戦争に関わる政策ついて、十分な批判ができませんでした。
イラク戦争をとめることができず、戦争の動機についても、十分疑問を呈することができませんでした。
――それでもジャーナリストは、人脈を作り続けないといけません。
ファクラー:
理想的に言えば、尊敬されることが大事です。
良い情報を得るために、自分を売らなければならないのであれば、そのような情報源の存在は、忘れた方がいいです。
日本は、ジャーナリズムの倫理を、少し変えた方がいいと思います。
その方が、尊敬されるようになる。
長い目でみれば、フレンドリーな関係を作ることよりも、尊敬されるようになることが重要です。
↑以上、魚拓の魚拓おわり
で、これがさっさと消されてしもたんやから、日本の大メディアさんは、反省するどころか、もみ消してしまいたい気満々っちゅうことですね。
変わりませんよ、そんな簡単に。
変われるもんなら、もうとっくに変わってる。
東京新聞や河北新報が、必死で、経営を圧迫されながら頑張ってくれてるこれまでの間、ずっとずっと政府とお友達。
政府にも企業にも、それからマスコミにも、期待も希望も全く持たんようになった。
持ってもしょうがないことを、この19ヵ月で思い知った。
署名もした。
嘆願書も書いた。
抗議文も送った。
住民投票や国民投票が、世の中を動かせると信じてた。
ところが、なにを送っても、運動しても、結局上に上がった途端に、ざ~んねんでした!チャンチャン♪となってもみ消されてしまう。
なんで?
それは、日本の法律に、原発を死守するための法律がガチンゴチンに存在してて、どないもこないもしゃあないからやねん!
この法律、どないしたら変えられるん?
誰が変えられるん?
市民のわたしらができる一番の抵抗は、いったいなんやねん?