きーこさんが書き出してくださった『アレクセイ・ネステレンコ所長記者会見』10/20 の内容です。
↓以下、転載はじめ
「人が住んでいるところにもかかわらず、 福島は線量が高い。 想像以上に高い」アレクセイ・ネステレンコ所長記者会見 10/20(内容書き出し)
アレクセイ・ネステレンコ所長記者会見
【自由報道協会ブログより】
ネステレンコ氏はベラルーシの核物理学者であり、
現在はベラルーシの民間研究団体である ベルラド放射能安全研究所の所長を勤めています。
現在、来日中で、18日に福島県の視察を行っており、
本会見では、福島視察の報告、ベラルーシの放射能研究と日本との違い、などを予定しています。
<参考>
ベルラド放射能安全研究所は、 同氏の父ワシリー・ネステレンコ氏が、チェルノブイリ原発事故後、民間の研究機関として設立。
同研究所は、低線量のセシウム137が、人体に与える悪影響や、放射線発病の予防法を研究しています。
非政府組織との協力の下、西欧地域や日本で、子供を国外保養させて、体内の放射性物質を減らし、
健康状態の回復を図る取り組みも行なっています。
司会 おしどりマコ
論者 アレクセイ・ネステレンコ所長
通訳 辰巳雅子
アレクセイ・ネステレンコ所長:
皆さん、わざわざお集まりいただきまして、ありがとうございました。
まず、日本の国に起きたこの悲劇について、心からご同情申し上げます。
日本にきて、数日しかたっておりませんけれども、この短い滞在の間に、いろいろな事を見聞きいたしました。
この日本という、素晴らしい国に起きた悲しみについて、
ベラルーシの悲しみとともに、今までの経験を、日本人の皆様と共有していきたい、と思っております。
まず、津波の被害に遭ったところにも行ったのですけれども、
地震や津波の被害によって、日本の国が変わってしまった事について、感情的な心の中の印象、というものが非常に強いです。
今、大変、心が痛んでいます。
そして、その次に、私の心の中に起こったものというのは、
チェルノブイリ原発事故によって起きたことと、福島の事故によって起こることと、
それを、福島の事故を見て、チェルノブイリ原発で起きた事故を、思い出しました。
福島県にある、村に行ってきたのですけれども、
その村の様子を見て、チェルノブイリ原発で被害に遭った、ベラルーシの村の事を思い出しました。
それから、放射能の被ばくの現状についてなんですけれども、
福島県で、私が得た印象というのは、驚きです。
しかも、悪い方の驚きです。
福島の各地に行った時に、線量計を持って行きまして、地表の線量を測ってみたんですけれども、
予想以上に、高い値が出て、驚きました。
そして、日本の政治的な現状を見ていても、
1986年に、ソ連政府がとっていた行為の事を、鮮明に思いだしました。
ソ連政府がやってきたことを、日本政府という教え子が、繰り返しているような気がします。
そして、一般市民の方とも、お話をする機会に恵まれたんですけれども、
たとえば、
自分の家を残して、別のところに移住して行ったりとかしている人たちのお話を聞いていると、
これはもう、本当に、人間として、人生の中の悲劇であると。
そして、
同じようなことが、チェルノブイリ原発事故が起こった後も、繰り返されていたという事を、強く感じました。
そして、事故被害の規模ですとか、
そういった、
一般市民の声というものを、どうしても隠していく、という気がします。
このように、
日本の現状と、チェルノブイリ原発事故が起こった後の現状と、
共通点が多い、という事に気が付きまして、大変、私は辛い思いをしています。
そして、26年前に、自分が感じていた事を再び今、日本で感じています。
福島を周りまして、すぐに分かった事なんですけど、
人間が住んでいる、人が住んでいるところにもかかわらず、線量が高い。
想像以上に高い、という事。
それが、第一の気がかりです。
で、
汚染地図がありません。
あるんですけれども、あんまり詳しくないと思います。
もっと細かい汚染地図があったら、そこに住んでいる人達は、どのような対策を取ったらいいかが分かりやすい、と思うんですけれども、
住んでいる人々にとって、分かりやすい、細かい地図が、まだできていませんね。
日本は、人口密度が高いですし、建物同士も、密接して建てられています。
ですから必ず、汚染地図の方も、密度を細かくしたほうがいいと思います。
たとえば、私は、福島市の隣の
伊達市に、行って来たんですけれども、
そこの、
小栗地区というところに行きまして、そこの
小栗小学校の近くで、測定を行ったんですけど、
学校を取り巻くフェンスから、5mと離れていない所に、ホットスポットがありまして、
それが、27マイクロシーベルト/h。
毎時27マイクロシーベルトでした。
これは、大変高い値でありますので、
小さな子どもが通うような小学校のすぐ隣に、そのような場所があっては決してならないことです。
細かい汚染地図を作ることが、日本人にとっては、必須事項だと思います。
そして、
日本の食品基準値につきましても、教えていただきましたが、少し不明だな、と思う点がいろいろとあります。
たとえば、
この基準値で行きますと、1年に食品を通じて、体内に蓄積していく体内被曝の事を計算しますと、
年間当たり、20ミリシーベルトに達することも予想されますので。
何のための法律。
たとえば法律では、1ミリシーベルト以下にしましょう、というような事をいっていますけれども、
やはり、
同じ法律である食品基準値が、別の法律に対応していないことが、
「ちょっとおかしいな」と、自分自身で思う事です。
そして、
食品の測定なんですけれども、
私の考えるところでは、いくつかの機関が並行してやることが、いいと思います。
つまり、
国の検査だけに頼るのではなく、情報源をもっと増やす。
国の機関、民間機関、そういった色々な機関が、食品の検査をする。
そして、データを出すという事が、いいかと思うんですけれども、
そういった複数の機関が、検査するという体制が、一番いいんですけれども、
なかなかそういった検査体制は、どこの国でも、実施するのが難しいようです。
たとえば、事故が起きてから半年たった時点で、人体の体内蓄積量を測定したとします。
でも、それはやはり、事故が起きてからもう半年も経ったわけで、しかも、
測定は一回しかしていませんよね。
たったそれだけの測定の結果をもって、全てその人について、どうしたらいいのかとか、大丈夫であるとか、
安全であるとか、危険であるとかというのを、即断してしまうというのは、どういう事でしょうか?
それだけでよいのでしょうか?
そして、国のほうは、
いろいろなところを測定して、収集した結果について、必ず公開していかないといけない、と思います。
そして、
公開するだけではなくて、じゃあこれからどうしたらいいのか?という知識、対策方法を、国民に知らせる必要があります。
どうしてかというと、そのような知識があると、被ばく対策になるだけではなく、パニックにならない、という問題を促す、
そういった効果もある、と思います。
それから、除染についてなんですけれども、
私たちが、福島の各地を回っている時に、
「ここのコンクリートをはがした」とか、「ここの土をはがした」というような話を、あちこちで聞きました。除染方法として。
それについては、まぁいい事なんですけれども、
とった後の、汚染されているコンクリートだとか、土を、じゃあこれからどうするのか?
放射性廃棄物として、どうしていくのか?という問題もあります。
そして、みなさんもそうですし、国もそうなんですけれども、
福島県だけが、非常に高い汚染地域にあるという、そういう報道というのがされていますけれども、
日本国全国の食品を、福島産だけでなく、他のところの日本で作られた食品についても、調べていく必要があります。
チェルノブイリ原発事故の詳細については、
事故が起きて2~3年経ってから、秘密にされていたものがようやく明らかになったんですけれども、
それによると、
事故当時、ベラルーシ全土が汚染されていたという事が、その時明らかになりました。
そして、
日本でまず最初にしなければいけないのは、法律の制定を是非して下さい。
ベラルーシでもウクライナでもロシアでも
被害者救済のための法律というものが制定されました。
日本でもそういう法律を早く作る必要があります。
しかし、今回の訪問中に聞いた事なんですけれども、
「ここまでなら大丈夫、ここまで以上なら危ない」といった、そういう事の目安ですね。
その目安が、場所によって違う。市によって違う。
そういった、バラバラの認識があるという事に、一番ショックを感じました。
このような訳で、日本の状況を鑑みますと、
国だけに頼らず、NGO団体、皆さんのように取材されている、ジャーナリストの方々にお願いして、
そういった人たちが、これからも活発に活動していくことが、重要だと思います。
そして、みなさん日本の状況を見ていますと、
これから起こってくるのは、補償の問題だと思います。
それは、だれが責任を持って、誰が払っていくのか、それは、額はどうするのか、
そういった事がどうなるのかが、大変大きな問題になるのではないでしょうか。
残念なことに、ソ連政府が犯した間違いが、繰り返されているように思います。
たとえば、ヨウ素剤の配布なんですけれども、
ヨウ素剤の配布さえしておけば、このように、子ども達が病気になるような事はなかった。
で、そういった教訓が、日本で全く生かされていない。
やはり、官僚主義というものが、邪魔をしているんでしょうか。
もうひとつ気がついたことは、
このような事故が起きた後に対する、原子力発電、原子力エネルギーに対する国の態度というものが、まるで変化がありません。
このような大事故が起こったにもかかわらず、原発は存在し続け、稼働し続けるという事が、日本で続いています。
とにかく、もう二度と、このような原発事故が起きないことを、祈るばかりです。
簡単ですけれども、このような印象を持ちました。
24:25
おしどりマコ:
ありがとうございます。
私、少し、補足の紹介をしておきます。
通訳の辰巳雅子さんは、17年、ベラルーシに住んでおられ、
チェルノブイリの事故後、ご自身でも、子どもたちの保養の支援や、健康被害の聞き取り、ヒアリングなどをされていて、
語学に堪能なだけでなく、今回、素晴らしい能力を発揮して下さっています。
そして、記者の皆様方に、この英文の資料を配布しているのですが、
これは、17日に、ネステレンコさんが、福島で講演をされた時の、講演会の資料です。
今回、記者会見を、急に要請をいたしましたので、この資料を、追加資料として、皆様にお配りさせていただきました。
了承して下さって、ありがとうございます。
それではこれから、質疑応答に移ります。
「二分する被ばくへの対処方と、エートスと決別の理由」上杉隆氏10/20 アレクセイ・ネステレンコ所長記者会見 (質疑応答後半・内容書き出し)
アレクセイ・ネステレンコ所長記者会見 ・質疑応答より
二分される被ばくへの対応、ベラルーシでは?
ベルラド研究所がエートスと決別した理由
1:10:05
上杉隆:
今、日本では、民間が主ですが、たとえば
『球美(くみ)の里』という、沖縄がさきほどありましたが、
療養を進めているグループ、それを実践するグループがあります。
一方で、
福島に戻ってそこで生活しよう、というグループ
たとえば『福島版エートス』ですとか、あるいは、これは、プロジェクトが途中で中断になっていますが、
『ピーチプロジェクト』といって、
大阪の小学生を福島に連れていって、桃を食べて、除染センターを見るという事をしているグループもあります。
どちらも同じく、被ばくに対しての対応なんですが、こういうふうに、はっきりと二分されていると。
これで福島、もしくは、日本の世論が分断しているのですが、
事故、当初のベラルーシは、どのような状況だったのか?
そして、今のベラルーシはどうなのか?
さらに、『エートス』というグループがありますが、それは、ベラルーシにもあると伺ったんですが、
どうされているのかを教えて下さい。
ネステレンコ:
まず、ちょっとお話を伺って、その『ピーチプロジェクト』についてちょっと言いたいんですけれども、
今年、福島に住んでいる子どもたちが、ベラルーシに、保養のためにやってきました。
ベラルーシ側が、日本人が今、とても辛くて大変な状況である、という事を理解して、
ベラルーシ人が日本人を助けるという立場に、ちょっと変わったわけですよね。
つまり、桃の話に戻るんですけれども、
それはつまり、
福島の子供たちが、ベラルーシのような遠いところまで、わざわざ保養に行っているのに、
大阪に住んでいる子ども、要するに、安全と言われている地域の子どもを、
わざわざ福島まで連れていって、桃を食べさせる事は、ちょっとおかしいんじゃないかと、
暗に、言いたいわけですね。
ネステレンコ:
『エートス』の事についてなんですけれども、
ベラルーシにおける『エートス』の活動についていえば、プラスの面もありますし、マイナスの面も両方ありました。
ベラルーシの『エートス』の活動についてなんですけれども、
ベルラド研究所も一時、その『エートス』と、協力関係にありました。
『エートス』との協力のもと、ホールボディーカウンターを搭載して、
巡回車で、ゴメリ州にあるグラミール地区というところに行きまして、子どもの測定をした事もあります。
しかし、その
『エートス』がやっている活動の内容を、よく見たり、一緒に働いているうちに、
協力関係を結び続けるのはちょっとやめておこう、という事になり、たもとを分かちました。
そういうわけで、
『エートス』の活動について、日本人のみなさんに、広くあまり紹介しない方がいいのではないか、と思っています。
皆さんに、唯一アドバイスができるというのは、
そういった福島のみなさん達のために、いろんな団体とかがやってきて、
「こういうプロジェクトをしましょう」とか、「こういう事をやりましょう」「みなさんのためです」と、
いろんな事を言ったりとか、いろんなプロジェクトを提示してきたりする、と思うんですけれども、
一緒に働き始める前にですね、その人たちが提示したものをよくよく見て、
本当に、自分たちのためになるのかどうかを、良く調べて、良く考えてから、
その人たちと協力関係を持つのかどうか、決めた方がいいです。
上杉:
で、ベラルーシの分断、というのはどうなっているのか?
今現在、26年後のその活動ですね、現状ベラルーシは、どちらの方へ動いたのか?
そして、
ベルラド研究所が、『エートス』と関係を解消するにあたった具体的な理由を、一点でもお聞かせ願えないでしょうか?
辰巳:
どのように分断されているのかを?
上杉:
被曝の対処法については、二つありますよね?
一つは、被ばくのリスクを減らすために避難、避難というか、いったん何処かへ行くと、1か月ほど。
もうひとつは、今申し上げたように、福島の中で生活して対応すると。
この二つが今、現在ベラルーシでは、どうなっているのか?ということと、
ベルラド研究所が、『エートス』と解消した具体的な理由を、一つでも、
申しあげにくかったらいいんですが、具体的な理由として、何か教えていただけたらと思います
辰巳:
はい
ネステレンコ:
まず、避難する、あるいは移住する、あるいは、その場に残るといった、分断についてなんですけれども、
現在のベラルーシの状況といえば、もう事故が起きてからだいぶ時間が、26年も経っておりますので
移住したいと思った人は、もうとうの昔に移住しているわけですね。
というわけで、結局、移住したい人が移住してしまった後で、
じゃあこれから、そういった地域でどうやって生活していくか、という事を考える人の方が多いです。
他に、このような問題が、ベラルーシにありました。
チェルノブイリの事故の後、人々が避難、あるいは移住をしてしまって、その村が無人になっていますよね。
だけども、家はそのまま残っている訳で、ようするに、住もうと思えば住めるわけです。
ちょうど、
90年代の初めの頃に、内戦がいろいろなところでありまして、
例えばアゼルバイジャン、アルべニア、アルバ、チェチェン、と言ったところで、難民になってしまった人が、
自分たちの家がもうなくなってしまったので、汚染地域に残っていた無人の家に、勝手に引っ越してきて、勝手に住む、というケースもあります。
で、その人たちに言わせれば、
爆弾や弾に当たって死ぬよりも、放射能の方が安全、という事ですね。
ベラルーシでは、国が、プロパガンダというものを、積極的にやっておりまして、
その
ベラルーシが言っている、国のプロバガンダというのは、
「安全である」
「放射能は危険ではない」
「住民は住むことができる」
「安心していい」
そういった事ばかりを、よく言っていますので、それについていろいろと聞いて、やっぱり信じる人と、信じない人がいます。
人によっていろいろです。
それから、
『エートス』との問題についてなんですけれども、
いろいろなことがあったんですけれども、たもとを分かつ一番の理由になったこと、というのは、
測定はする。
けれども、その結果について、「被ばくをしている子どもに対しての、対策はしちゃダメ」と、『エートス』の方から言われました。
ベルラド研究所としては、ペクチンサプリを子どもたちに渡して、被ばく量を減らそうと、「そういうふうにした方がいい」と言ったのに、
『エートス』は、「そのようなものはあげなくていい」「そんなことは我々はしない」と言われたので、
それで我々は、『エートス』から離れることにしました。
↑以上、転載おわり