大型ハリケーン『サンディ』が、今夜過ぎからここにやって来るらしい。
本格的にどっかりと腰を据えるのは明日の29日。
ちょっとちょっと、去年の、突然の大雪嵐も29日やったやんか!
その嵐のせいで、わたしの演奏を聞きに行こうと、ひとり30ドルものチケットを買うて、楽しみにしてくれてた約30人のニュージャージーの住人さんが、たったの一人も来ることができんかった。
演奏をする本人のわたしでさえ、余裕を持って乗った昼過ぎの電車が、距離にして丁度マンハッタンとうちの半分の駅で止まってしまい、
どうしたらええのかのアナウンスも無く、車掌に聞いても「そんなことボクに聞かれてもわからん」と言われ、
1メートル向こうも見えんぐらいの横降りの雪にベタベタに濡れながら、途方に暮れてたあの日。
それが、10月の29日。
今回の嵐は、数日前からテレビでうるそう警告が流れ、今日はあっちゃこっちゃの市長が、外出禁止と避難警告を繰り返しアナウンスしてた。
明日と明後日は、公立の学校は休校。
マンハッタンの交通機関は、夜7時から全面封鎖。
ほんでもって、ラジオでは、あと5時間の猶予しか無いで~と、避難をやかましく呼びかけてる。
ニュージャージー州も、交通機関が続々と封鎖が始まった。
嵐の前の静けさ。
明日の朝起きたら、ビュウビュウ吹いてるのかなあ……。
こないだの金曜日に、気功瞑想と道教を学びに行った。
夏の間、ほとんど、わたしだけの日が多くて、ミリアムに申し訳なかったんやけど、
彼女は、わたしひとりでも全然かまへんからと、2時間じっくり、一緒に過ごしてくれた。
夏が終って、またメンバーが戻ってきたのに、こないだはまた、わたしひとりのクラスやった。
わたしだけの時は、立ち瞑想を30分、座り瞑想を1時間する。
その後、道教の本を数冊、同じチャプターの、翻訳者の違う文章を読んで、そこに書かれてることについて話し合う。
「さて、クラスの終わりに、なにか言いたいこととか、聞きたいこととかある?」
「全然関係の無いことでもええかな?」
「もちろん」
「立ち瞑想の時、ボールが足元からジワ~っと上がってきて、それで腕も上がる。ほんでもって、胸の辺りで輪っかを作った腕の中で、そのボールはスピンする。
でもわたし、もう何年もやってて、まだ一度も、そのボールが見えたことがない。見えてへんから、スピンもするわけがない。
で、クラスの他の人らは、ボールが見えてて、その色とかスピンする速さとかまではっきりと話さはる。
ミリアムはいっつも、見えても見えんでもどっちでもいい。その腕の間に意識を集中させることができたらいいって言うけど、
わたし、基本的に、ちっちゃい頃から競争の世界で生きてきたから、どうしてもなんか、自分が劣ってるみたいな気分になってしまう。
つまらんこと考えてるってわかってても」
「つまらないことではないし、そういう劣等感は誰でも持ってるわ。
だからこそ、人は、いろんな教室や本を使って、その、自覚してるつまらないことを、自分の世界から少しでも減らそうとするのよね」
「劣等感で思い出した。こんなことは、本当の本当につまらないし、自分でも恥ずかしいから、ほんまは言いとうないのやけど……」
「本当のつまらない話の中には、得てして本当にためになることが隠れてるものよ」
「わたしは、幼い頃から選ばれて、いわゆる県の代表みたいな形で、特別な英才教育を受けてきた。
そのカリキュラムは、家庭の事情で、最後の2年間は充分に学べたとは言えんけど、それでもわたしの土台を築くには充分やった。
もし、っていう話を考えへんように生きてきたけど、もし、順調に生きられてたら、それなりの大学を出て、それなりの留学もしてたと思う。
それが全く叶わず、華々しい履歴書とは程遠いまま大人になり、それでも昔取った杵柄と学び続けることで、なんとか普通以上の評価を得てこられた。
そのことに対しては、自分で自分を褒めてやりたいと思うし、それなりに誇りに思てるのやけど、
日本で居た時は、そんな誇りなんか、床に転がってる綿埃みたいに、何回ともなく吹っ飛ばされた。
そのたびに、『で、どこの大学を出られたんですか?』と聞く人らに、『まず、わたしを見て欲しい!』と、心の中で叫んだ。
こちらに来て、出張レッスンで教え始めたんやけど、初心者の子が多かったし、わたしをすごく気に入ってくれた親から親の口づてで、生徒が増えていった。
そやからか、わたしの出身大学のことについて、気にとめる人もおらんかった。
何年かして、同じ町に住んでる、日本人の女性達と出会った。
皆それぞれ、アメリカ人の夫を持つ人、あるいは日本人同士のカップルで、こちらに永住をすると決めてた。
何回かランチして、楽しいおしゃべりをしてる間に、わたしが、出張レッスンをしてるピアノ教師やということも伝えた。
こちらで教え始めてから12年が経ち、出張レッスンを徐々に減らして、今はやっと、全員うちに来てレッスンを受けてくれるようになった。
夏の終わりに、日本からこちらに移住してきた、米国人夫と日本人妻カップルの生徒を教えることになった。
彼女は、わたしが以前教えていたアメリカ人の女の子が日本に引っ越して、そこで偶然友だちになり、わたしのことを知った子やった。
つい最近、久しぶりに、日本人仲間とランチをした時、うちの近所でピアノを教えてる、大好きな友人Sちゃんが、日本人仲間家族の子達のピアノの先生や、ということがわかった。
Sちゃんは、日本の有名音大の大学院を出た後、こちらに留学して、こちらの大学でも教えてたことがある。
まあ言うたら、わたしが得られんかった履歴を持ってる人。
ピアノは聞いたことがないけど、彼女はそれはそれは親切で、行動力があって、人思いで、きっとピアノ教師としてもすばらしいと思う。
そやから、彼女に習ってるって聞いて、正直、そりゃ良かった、と思た。
同じ教師として、ええ加減な人に習てる生徒のことは、ほんまに心の底から気の毒に思うから。
けど、その日わたしは、思いの外落ち込んでしもた。
嫉妬してることがわかって、さらに落ち込んだ。
履歴だけとちゃう、彼女の人柄、それから経験の豊かさ、教師としての信望、そのすべてにおいて、自分の方が劣ってると思たりした。
もしかしたら、もっと軽うて、たまたまタイミングが合うたとか、子ども同士が友だちになったとか、そういう単純な理由やったかもしれん。
けど、やっぱり落ち込んだ。
こちらで、12年かかって、フラフラと親の希望でやってくる子や、練習を全くしようとせん子がおらんようになり、
親も子も、それなりに、ピアノを習うということを理解してくれてる、宿題もきちんとやってくる、遅刻もドタキャンもせん生徒だけになり、
人数も30人を超え、発表会も順調に重ね、やっと形になったなと、この秋から、気分も新たに頑張ろうと思てた。
いや、今もその気持ちには変わりがない。
せやのにこの、いやらしい気持ちはなんやろうと思う。
アホちゃうかと」
「ついつい競争してしまう。ついつい比べてしまう。ついつい嫉妬してしまう。
わたしもそうだったからよくわかる。
森羅万象の中にいて、そんなことはもう、ミクロの見えないほどの、ちっぽけなものだけど、自分の世界が小さいと気になるのよね、つい」
「……」
「名前がついてるからややこしいのね。宇宙は名前なんか興味ないし、名前などそもそも必要がないのに」
「名前は人間がつけたんやもんね」
「人間は、生きる上で必要なことはなにか、それをすぐに忘れてしまう。
あまりにたくさんの物と、その名前の洪水の中に身を置くと、忙し過ぎて考えられなくなる。
考えられないくらい忙しいくせに、考えなくてもいいことは考える。
困った生き物よね。
宇宙には、名前も感情もない。
何も決めない。
あるがままに変化するだけ。
そんなのが、自分の肌の周りに存在してるってことを、すっかり忘れてしまうのね。
そんな、自分では全くコントロールできないものが、自分の身体にまとわりついているのに、無事に一日を終えられている奇跡を喜ばない。
喜んでいないから、いろんな感情が忍び込んでくる。
今のまうみが話してくれた嫉妬とか、本当なら得られたかもしれない物事に対する未練とか、得られない状況にした親への怒りとか」
「親への怒り?」
「まうみはいつも、親に対しては、怒りを持ってないって言うわよね。
わたしは、その言葉を信じてる。
親には親の事情があったと、しょうがなかったのだと、自分に言い聞かせてる、子どもだったまうみが見える。
わたしもそうだった。
どこからも迫害され、追い込まれ、そしたらまた迫害され、いつも戦争と紛争が続いていたのに、
イスラエル人はずっと、どうか平和な気持ちが、皆に広がりますように、と毎晩祈り続けていた。
世界には世界の、国には国の、家庭には家庭の事情があるのだ、しょうがないのだと言い聞かせながら。
ある時、急に、もう祈りなどまっぴらだ!我々にだって怒る権利はある!
人々が口々に、怒りの言葉を言うようになったの。
わたしはそれまで、怒る、という感情を知らなかった。
けれども、人々が立ち上がり、顔を真っ赤にして怒鳴り、自分達を殺しにくる同朋を殺し始めた時初めて、
わたしは自分の、自分の国の運命を呪い、心の底から、殺しを始めたイスラエル人に、激しい怒りを感じたの。
まうみが今、自分の肝臓がだめになるくらい怒っているのは、日本のこと?日本を大変な状況に陥れた宇宙の営み?」
「違う。
日本人は、地震とともに生きてきた。
地震に怒っても仕方が無い、と悟ってる。
けど、今回のこの混乱は、天災によって引き起こされた人災が原因。
そやから怒ってる。
そして、なんとかせえへんかったら、この人災はまたいつか、もっと酷い形になって現れる」
「まうみ、こないだの水曜日はね、イスラエルの空は大変だったの」
「え?」
「朝から晩まで一日中、イスラエルを爆撃しようとする爆弾と、それを空中で阻止しようとするアメリカの小型ミサイルがぶつかってたの」
「知らんかった……」
「もうね、その音の凄さといったら、まうみには絶対に想像ができないと思う。本当に恐ろしいの。
そしてその空の下には、普通に暮らしている家族の家があるのよ。
前に一度、わたしの弟家族の家のすぐ横に、爆弾が落ちたことがあったの。
その時は、生まれてすぐの赤ん坊だった、甥の部屋の窓が割れて、病院に駆け込んだ弟からの連絡を、2時間ばかり、狂いそうになりながら待った。
でもね、その2時間だけ、それだけにしようと懸命に努力したの。
で、こないだの水曜日は、心配や怒り、恐ろしい場面の想像とかを一切やめて、わたしの精一杯の良い気を送った。
平和や静けさを一所懸命想像して、その気を送ったの。
人がこの、本当に、いつ何が起こるかわからないような世界で生き長らえていることの奇跡。
それを思う時、わたしはいつも自分が、なにかとても大きな流れや動きの中でうごめいている、ちっぽけな粒になったような気がするの。
なにかこう、とてもゆったりとしていて、動いているんだけど心地良くて、何も考えていないんだけどなんとなく嬉しくて、
ああ、自分は宇宙の一部なんだなあって思うの。
そこには名前も何もなくて、目に見えないほどの小さな自分が、他の、目に見えないほどに小さな無数の粒と一緒に、気持ちよく揺れてるの」
わたしはミリアムの話を聞きながら、自分がミクロの粒になったような気がした。
そしたらどんどんリラックスしてきて、そんなちっちゃな自分が考えてるいろんなことが、もっとちっちゃいもんに思えて楽しくなった。
そして、なぜか、すごく感謝しとうなった。
ありがとう、ほんまにありがとうと、誰にともなく言い続けてた。
放射能の汚染が酷い地域に暮らす子ども達も家族も、避難できた人、できない人、したけれども戻った人、みんなそれぞれ、とても辛い思いを抱えてる。
その人達の周りから、名前が消えて無くなったらええのに。
名前にくっついてるしがらみや、名前が連れてくる嫉妬や怒り、そんなもんも一緒に消えて無くなるはずやから。
みんな、宇宙の営みの中に生かされてるちっちゃいちっちゃい粒のひとつひとつでしかあらへんのに、
なんでこうも、ややっこしい感情に振り回されてしまうのか。
もっともっと、自分にありがとうって言おう。
もっともっと、自分を大事にしてあげよう。
もっともっと、自分の声を聞いてあげよう。
もっともっと、自分の気持ちに沿うてあげよう。
わたしはこれから毎日、『平和』と『希望』を一所懸命想像して、その気を日本に向けて送るから。
本格的にどっかりと腰を据えるのは明日の29日。
ちょっとちょっと、去年の、突然の大雪嵐も29日やったやんか!
その嵐のせいで、わたしの演奏を聞きに行こうと、ひとり30ドルものチケットを買うて、楽しみにしてくれてた約30人のニュージャージーの住人さんが、たったの一人も来ることができんかった。
演奏をする本人のわたしでさえ、余裕を持って乗った昼過ぎの電車が、距離にして丁度マンハッタンとうちの半分の駅で止まってしまい、
どうしたらええのかのアナウンスも無く、車掌に聞いても「そんなことボクに聞かれてもわからん」と言われ、
1メートル向こうも見えんぐらいの横降りの雪にベタベタに濡れながら、途方に暮れてたあの日。
それが、10月の29日。
今回の嵐は、数日前からテレビでうるそう警告が流れ、今日はあっちゃこっちゃの市長が、外出禁止と避難警告を繰り返しアナウンスしてた。
明日と明後日は、公立の学校は休校。
マンハッタンの交通機関は、夜7時から全面封鎖。
ほんでもって、ラジオでは、あと5時間の猶予しか無いで~と、避難をやかましく呼びかけてる。
ニュージャージー州も、交通機関が続々と封鎖が始まった。
嵐の前の静けさ。
明日の朝起きたら、ビュウビュウ吹いてるのかなあ……。
こないだの金曜日に、気功瞑想と道教を学びに行った。
夏の間、ほとんど、わたしだけの日が多くて、ミリアムに申し訳なかったんやけど、
彼女は、わたしひとりでも全然かまへんからと、2時間じっくり、一緒に過ごしてくれた。
夏が終って、またメンバーが戻ってきたのに、こないだはまた、わたしひとりのクラスやった。
わたしだけの時は、立ち瞑想を30分、座り瞑想を1時間する。
その後、道教の本を数冊、同じチャプターの、翻訳者の違う文章を読んで、そこに書かれてることについて話し合う。
「さて、クラスの終わりに、なにか言いたいこととか、聞きたいこととかある?」
「全然関係の無いことでもええかな?」
「もちろん」
「立ち瞑想の時、ボールが足元からジワ~っと上がってきて、それで腕も上がる。ほんでもって、胸の辺りで輪っかを作った腕の中で、そのボールはスピンする。
でもわたし、もう何年もやってて、まだ一度も、そのボールが見えたことがない。見えてへんから、スピンもするわけがない。
で、クラスの他の人らは、ボールが見えてて、その色とかスピンする速さとかまではっきりと話さはる。
ミリアムはいっつも、見えても見えんでもどっちでもいい。その腕の間に意識を集中させることができたらいいって言うけど、
わたし、基本的に、ちっちゃい頃から競争の世界で生きてきたから、どうしてもなんか、自分が劣ってるみたいな気分になってしまう。
つまらんこと考えてるってわかってても」
「つまらないことではないし、そういう劣等感は誰でも持ってるわ。
だからこそ、人は、いろんな教室や本を使って、その、自覚してるつまらないことを、自分の世界から少しでも減らそうとするのよね」
「劣等感で思い出した。こんなことは、本当の本当につまらないし、自分でも恥ずかしいから、ほんまは言いとうないのやけど……」
「本当のつまらない話の中には、得てして本当にためになることが隠れてるものよ」
「わたしは、幼い頃から選ばれて、いわゆる県の代表みたいな形で、特別な英才教育を受けてきた。
そのカリキュラムは、家庭の事情で、最後の2年間は充分に学べたとは言えんけど、それでもわたしの土台を築くには充分やった。
もし、っていう話を考えへんように生きてきたけど、もし、順調に生きられてたら、それなりの大学を出て、それなりの留学もしてたと思う。
それが全く叶わず、華々しい履歴書とは程遠いまま大人になり、それでも昔取った杵柄と学び続けることで、なんとか普通以上の評価を得てこられた。
そのことに対しては、自分で自分を褒めてやりたいと思うし、それなりに誇りに思てるのやけど、
日本で居た時は、そんな誇りなんか、床に転がってる綿埃みたいに、何回ともなく吹っ飛ばされた。
そのたびに、『で、どこの大学を出られたんですか?』と聞く人らに、『まず、わたしを見て欲しい!』と、心の中で叫んだ。
こちらに来て、出張レッスンで教え始めたんやけど、初心者の子が多かったし、わたしをすごく気に入ってくれた親から親の口づてで、生徒が増えていった。
そやからか、わたしの出身大学のことについて、気にとめる人もおらんかった。
何年かして、同じ町に住んでる、日本人の女性達と出会った。
皆それぞれ、アメリカ人の夫を持つ人、あるいは日本人同士のカップルで、こちらに永住をすると決めてた。
何回かランチして、楽しいおしゃべりをしてる間に、わたしが、出張レッスンをしてるピアノ教師やということも伝えた。
こちらで教え始めてから12年が経ち、出張レッスンを徐々に減らして、今はやっと、全員うちに来てレッスンを受けてくれるようになった。
夏の終わりに、日本からこちらに移住してきた、米国人夫と日本人妻カップルの生徒を教えることになった。
彼女は、わたしが以前教えていたアメリカ人の女の子が日本に引っ越して、そこで偶然友だちになり、わたしのことを知った子やった。
つい最近、久しぶりに、日本人仲間とランチをした時、うちの近所でピアノを教えてる、大好きな友人Sちゃんが、日本人仲間家族の子達のピアノの先生や、ということがわかった。
Sちゃんは、日本の有名音大の大学院を出た後、こちらに留学して、こちらの大学でも教えてたことがある。
まあ言うたら、わたしが得られんかった履歴を持ってる人。
ピアノは聞いたことがないけど、彼女はそれはそれは親切で、行動力があって、人思いで、きっとピアノ教師としてもすばらしいと思う。
そやから、彼女に習ってるって聞いて、正直、そりゃ良かった、と思た。
同じ教師として、ええ加減な人に習てる生徒のことは、ほんまに心の底から気の毒に思うから。
けど、その日わたしは、思いの外落ち込んでしもた。
嫉妬してることがわかって、さらに落ち込んだ。
履歴だけとちゃう、彼女の人柄、それから経験の豊かさ、教師としての信望、そのすべてにおいて、自分の方が劣ってると思たりした。
もしかしたら、もっと軽うて、たまたまタイミングが合うたとか、子ども同士が友だちになったとか、そういう単純な理由やったかもしれん。
けど、やっぱり落ち込んだ。
こちらで、12年かかって、フラフラと親の希望でやってくる子や、練習を全くしようとせん子がおらんようになり、
親も子も、それなりに、ピアノを習うということを理解してくれてる、宿題もきちんとやってくる、遅刻もドタキャンもせん生徒だけになり、
人数も30人を超え、発表会も順調に重ね、やっと形になったなと、この秋から、気分も新たに頑張ろうと思てた。
いや、今もその気持ちには変わりがない。
せやのにこの、いやらしい気持ちはなんやろうと思う。
アホちゃうかと」
「ついつい競争してしまう。ついつい比べてしまう。ついつい嫉妬してしまう。
わたしもそうだったからよくわかる。
森羅万象の中にいて、そんなことはもう、ミクロの見えないほどの、ちっぽけなものだけど、自分の世界が小さいと気になるのよね、つい」
「……」
「名前がついてるからややこしいのね。宇宙は名前なんか興味ないし、名前などそもそも必要がないのに」
「名前は人間がつけたんやもんね」
「人間は、生きる上で必要なことはなにか、それをすぐに忘れてしまう。
あまりにたくさんの物と、その名前の洪水の中に身を置くと、忙し過ぎて考えられなくなる。
考えられないくらい忙しいくせに、考えなくてもいいことは考える。
困った生き物よね。
宇宙には、名前も感情もない。
何も決めない。
あるがままに変化するだけ。
そんなのが、自分の肌の周りに存在してるってことを、すっかり忘れてしまうのね。
そんな、自分では全くコントロールできないものが、自分の身体にまとわりついているのに、無事に一日を終えられている奇跡を喜ばない。
喜んでいないから、いろんな感情が忍び込んでくる。
今のまうみが話してくれた嫉妬とか、本当なら得られたかもしれない物事に対する未練とか、得られない状況にした親への怒りとか」
「親への怒り?」
「まうみはいつも、親に対しては、怒りを持ってないって言うわよね。
わたしは、その言葉を信じてる。
親には親の事情があったと、しょうがなかったのだと、自分に言い聞かせてる、子どもだったまうみが見える。
わたしもそうだった。
どこからも迫害され、追い込まれ、そしたらまた迫害され、いつも戦争と紛争が続いていたのに、
イスラエル人はずっと、どうか平和な気持ちが、皆に広がりますように、と毎晩祈り続けていた。
世界には世界の、国には国の、家庭には家庭の事情があるのだ、しょうがないのだと言い聞かせながら。
ある時、急に、もう祈りなどまっぴらだ!我々にだって怒る権利はある!
人々が口々に、怒りの言葉を言うようになったの。
わたしはそれまで、怒る、という感情を知らなかった。
けれども、人々が立ち上がり、顔を真っ赤にして怒鳴り、自分達を殺しにくる同朋を殺し始めた時初めて、
わたしは自分の、自分の国の運命を呪い、心の底から、殺しを始めたイスラエル人に、激しい怒りを感じたの。
まうみが今、自分の肝臓がだめになるくらい怒っているのは、日本のこと?日本を大変な状況に陥れた宇宙の営み?」
「違う。
日本人は、地震とともに生きてきた。
地震に怒っても仕方が無い、と悟ってる。
けど、今回のこの混乱は、天災によって引き起こされた人災が原因。
そやから怒ってる。
そして、なんとかせえへんかったら、この人災はまたいつか、もっと酷い形になって現れる」
「まうみ、こないだの水曜日はね、イスラエルの空は大変だったの」
「え?」
「朝から晩まで一日中、イスラエルを爆撃しようとする爆弾と、それを空中で阻止しようとするアメリカの小型ミサイルがぶつかってたの」
「知らんかった……」
「もうね、その音の凄さといったら、まうみには絶対に想像ができないと思う。本当に恐ろしいの。
そしてその空の下には、普通に暮らしている家族の家があるのよ。
前に一度、わたしの弟家族の家のすぐ横に、爆弾が落ちたことがあったの。
その時は、生まれてすぐの赤ん坊だった、甥の部屋の窓が割れて、病院に駆け込んだ弟からの連絡を、2時間ばかり、狂いそうになりながら待った。
でもね、その2時間だけ、それだけにしようと懸命に努力したの。
で、こないだの水曜日は、心配や怒り、恐ろしい場面の想像とかを一切やめて、わたしの精一杯の良い気を送った。
平和や静けさを一所懸命想像して、その気を送ったの。
人がこの、本当に、いつ何が起こるかわからないような世界で生き長らえていることの奇跡。
それを思う時、わたしはいつも自分が、なにかとても大きな流れや動きの中でうごめいている、ちっぽけな粒になったような気がするの。
なにかこう、とてもゆったりとしていて、動いているんだけど心地良くて、何も考えていないんだけどなんとなく嬉しくて、
ああ、自分は宇宙の一部なんだなあって思うの。
そこには名前も何もなくて、目に見えないほどの小さな自分が、他の、目に見えないほどに小さな無数の粒と一緒に、気持ちよく揺れてるの」
わたしはミリアムの話を聞きながら、自分がミクロの粒になったような気がした。
そしたらどんどんリラックスしてきて、そんなちっちゃな自分が考えてるいろんなことが、もっとちっちゃいもんに思えて楽しくなった。
そして、なぜか、すごく感謝しとうなった。
ありがとう、ほんまにありがとうと、誰にともなく言い続けてた。
放射能の汚染が酷い地域に暮らす子ども達も家族も、避難できた人、できない人、したけれども戻った人、みんなそれぞれ、とても辛い思いを抱えてる。
その人達の周りから、名前が消えて無くなったらええのに。
名前にくっついてるしがらみや、名前が連れてくる嫉妬や怒り、そんなもんも一緒に消えて無くなるはずやから。
みんな、宇宙の営みの中に生かされてるちっちゃいちっちゃい粒のひとつひとつでしかあらへんのに、
なんでこうも、ややっこしい感情に振り回されてしまうのか。
もっともっと、自分にありがとうって言おう。
もっともっと、自分を大事にしてあげよう。
もっともっと、自分の声を聞いてあげよう。
もっともっと、自分の気持ちに沿うてあげよう。
わたしはこれから毎日、『平和』と『希望』を一所懸命想像して、その気を日本に向けて送るから。