わたしたちの願い 小出裕章
たとえば、あなたのクラスに、34人の生徒がいるとします。
その中の33人が、あることを、賛成したとします。
よく考えて賛成、というひともいるし、あまり考えずに、「みんながそうならそうしよう」と、
まわりに合わせてしまうひともいるかもしれません。
クラスは、あなたひとりを除いて、「賛成」の意見でまとまりそうです。
けれど、あなた自身は、どうしても賛成できません。
そのとき、あなたはどうするでしょう。
たったひとりで、33人を前に、「反対」と言えるでしょうか。
「言えない」と、あなたが思うなら、それはなぜでしょう。
みんなとちがうと、クラスで浮いちゃうから?
孤立するから?
みんなに合わせておいたほうが、らくだから?
ひとりだけちがうと、「かっこつけて」とか、「目立ちたがり」とか、「生意気」とかいわれそうだから?
そして、仲間外れや、いじめにあいそうな気がするから?
理由はたぶん、いろいろだと思います。
しかし、反対なのに、反対である自分を消して、まわりに合わせた自分を、
あなたはいつか、「いやだな」と思うようになりませんか?
そうして、いつも、まわりに合わせてしまうことが、あなたのくせになって、
ずっと、そんなふうに生きていくことになったら、
あなたは、自分を好きでいられるでしょうか。
みんなの意見に、無理に自分を合わせることに必死だった、11歳のある子は、ある日、言いました。
「ずっと、ずっと、消しゴムで、ゴシゴシ自分を消しているみたいだった。
そんなのいやだ、と思いながら、ゴシゴシ消していた。
そしたら、自分が消えて、自分でなくなっちゃったみたい」と。
わたしは、日本という国がひとつになって、原子力発電に賛成する人たちが、どんどん多くなっていくときにも、
反対をしてきたひとりです。
「たいへんだったでしょう」と、よく言われます。
けれど、わたしは、そうは思いません。
自分に対して、誠実に生きることは、とても気持ちのよいものです。
自分にウソをつくことのほうが、わたしにはたいへんなことであり、いやなことであるからです。
少なくとも私は、自分の考えを、裏切らずに済みましたので、ありがたい人生だと思います。
しかし、十分に、原発の危険性を伝えることができず、今回の事故が起きてしまったのは、
とてもくやしい思いがします。
原子力発電は、あなたのいのち、あなたの人生に、直接かかわることなのですから、しっかりと学んでください。
私は、やがてはいなくなります。
あなたより、ずっと年上なのですから。
そのときに、自分で考えて、ひとりでも行動できる、そういう人になってほしい、と願います。
そして、思ったことを人に伝えて、みんなで話し合いながら、未来を考え、決めていくような社会が来ることを、心から願います。
起きてしまった原発の事故を、起きなかったことにはできないし、過去を変えることはできないけれど、
現在と未来をつくることができるのは、一人ひとりの「あなた」です。
たとえば、あなたのクラスに、34人の生徒がいるとします。
その中の33人が、あることを、賛成したとします。
よく考えて賛成、というひともいるし、あまり考えずに、「みんながそうならそうしよう」と、
まわりに合わせてしまうひともいるかもしれません。
クラスは、あなたひとりを除いて、「賛成」の意見でまとまりそうです。
けれど、あなた自身は、どうしても賛成できません。
そのとき、あなたはどうするでしょう。
たったひとりで、33人を前に、「反対」と言えるでしょうか。
「言えない」と、あなたが思うなら、それはなぜでしょう。
みんなとちがうと、クラスで浮いちゃうから?
孤立するから?
みんなに合わせておいたほうが、らくだから?
ひとりだけちがうと、「かっこつけて」とか、「目立ちたがり」とか、「生意気」とかいわれそうだから?
そして、仲間外れや、いじめにあいそうな気がするから?
理由はたぶん、いろいろだと思います。
しかし、反対なのに、反対である自分を消して、まわりに合わせた自分を、
あなたはいつか、「いやだな」と思うようになりませんか?
そうして、いつも、まわりに合わせてしまうことが、あなたのくせになって、
ずっと、そんなふうに生きていくことになったら、
あなたは、自分を好きでいられるでしょうか。
みんなの意見に、無理に自分を合わせることに必死だった、11歳のある子は、ある日、言いました。
「ずっと、ずっと、消しゴムで、ゴシゴシ自分を消しているみたいだった。
そんなのいやだ、と思いながら、ゴシゴシ消していた。
そしたら、自分が消えて、自分でなくなっちゃったみたい」と。
わたしは、日本という国がひとつになって、原子力発電に賛成する人たちが、どんどん多くなっていくときにも、
反対をしてきたひとりです。
「たいへんだったでしょう」と、よく言われます。
けれど、わたしは、そうは思いません。
自分に対して、誠実に生きることは、とても気持ちのよいものです。
自分にウソをつくことのほうが、わたしにはたいへんなことであり、いやなことであるからです。
少なくとも私は、自分の考えを、裏切らずに済みましたので、ありがたい人生だと思います。
しかし、十分に、原発の危険性を伝えることができず、今回の事故が起きてしまったのは、
とてもくやしい思いがします。
原子力発電は、あなたのいのち、あなたの人生に、直接かかわることなのですから、しっかりと学んでください。
私は、やがてはいなくなります。
あなたより、ずっと年上なのですから。
そのときに、自分で考えて、ひとりでも行動できる、そういう人になってほしい、と願います。
そして、思ったことを人に伝えて、みんなで話し合いながら、未来を考え、決めていくような社会が来ることを、心から願います。
起きてしまった原発の事故を、起きなかったことにはできないし、過去を変えることはできないけれど、
現在と未来をつくることができるのは、一人ひとりの「あなた」です。