ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

わたしたちの願い 小出裕章

2012年10月02日 | 日本とわたし
わたしたちの願い 小出裕章

たとえば、あなたのクラスに、34人の生徒がいるとします。
その中の33人が、あることを、賛成したとします。
よく考えて賛成、というひともいるし、あまり考えずに、「みんながそうならそうしよう」と、
まわりに合わせてしまうひともいるかもしれません。

クラスは、あなたひとりを除いて、「賛成」の意見でまとまりそうです。
けれど、あなた自身は、どうしても賛成できません。
そのとき、あなたはどうするでしょう。

たったひとりで、33人を前に、「反対」と言えるでしょうか。

「言えない」と、あなたが思うなら、それはなぜでしょう。

みんなとちがうと、クラスで浮いちゃうから?
孤立するから?
みんなに合わせておいたほうが、らくだから?
ひとりだけちがうと、「かっこつけて」とか、「目立ちたがり」とか、「生意気」とかいわれそうだから?
そして、仲間外れや、いじめにあいそうな気がするから?

理由はたぶん、いろいろだと思います。
しかし、反対なのに、反対である自分を消して、まわりに合わせた自分を、
あなたはいつか、「いやだな」と思うようになりませんか?

そうして、いつも、まわりに合わせてしまうことが、あなたのくせになって、
ずっと、そんなふうに生きていくことになったら、
あなたは、自分を好きでいられるでしょうか。

みんなの意見に、無理に自分を合わせることに必死だった、11歳のある子は、ある日、言いました。

「ずっと、ずっと、消しゴムで、ゴシゴシ自分を消しているみたいだった。
そんなのいやだ、と思いながら、ゴシゴシ消していた。
そしたら、自分が消えて、自分でなくなっちゃったみたい」と。

わたしは、日本という国がひとつになって、原子力発電に賛成する人たちが、どんどん多くなっていくときにも、
反対をしてきたひとりです。

「たいへんだったでしょう」と、よく言われます。

けれど、わたしは、そうは思いません。

自分に対して、誠実に生きることは、とても気持ちのよいものです。
自分にウソをつくことのほうが、わたしにはたいへんなことであり、いやなことであるからです。

少なくとも私は、自分の考えを、裏切らずに済みましたので、ありがたい人生だと思います。

しかし、十分に、原発の危険性を伝えることができず、今回の事故が起きてしまったのは、
とてもくやしい思いがします。

原子力発電は、あなたのいのち、あなたの人生に、直接かかわることなのですから、しっかりと学んでください。

私は、やがてはいなくなります。
あなたより、ずっと年上なのですから。

そのときに、自分で考えて、ひとりでも行動できる、そういう人になってほしい、と願います。
そして、思ったことを人に伝えて、みんなで話し合いながら、未来を考え、決めていくような社会が来ることを、心から願います。

起きてしまった原発の事故を、起きなかったことにはできないし、過去を変えることはできないけれど、
現在と未来をつくることができるのは、一人ひとりの「あなた」です。
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「それを、安全だと思ってはいけないのです、本当は」by 小出裕章氏

2012年10月02日 | 日本とわたし
きーこさんが書き出してくださった、小出裕章氏からのメッセージです。

以下、転載はじめ。

「それを安全だと思ってはいけないのです、本当は」小出裕章氏 9/29 佐野市講演(音声書き出し)

会場からの発言
「栃木県塩原の野菜は、測定しても、10ベクレルも出ない。
だから、先程先生が、『栃木県塩原市の野菜が危ない』って言われた言葉を、取り消して欲しい」

小出先生の答です。


音源 http://www.ustream.tv/recorded/25784721
2012年9月29日(土)栃木県 佐野市 小出裕章氏講演会より

会場から:
先生が、先ほどいわれた、「栃木県塩原市の野菜が危ない」って言われましたけれど、
実は、私は、10ベクレル宣言というか、10ベクレル以下は食べれる、と思っていまして、
自分たちで、野菜を作って測っている
んですよ。
そうすると、2~3ベクレル、10っていうのはあんまりないんですね。
ですから、さっきの発言だけ、取り消していただきたいと思います。

小出裕章:
はい、もちろん、みなさんご存じだと思いますけれども、放射能は、むしろ消えていないのです。
福島の事故が起きて以降、ずーっと消えていませんし、今でも、塩原だとしても、土地の汚染は残っています。
それとどうやって戦えばいいのか?って言う事ですけれども、
「放射能と戦ったって勝てません」
「放射能は無敵です」
私たちが、どんなに煮ようと焼こうと叩こうと、放射能を消すことなんてできないですし、
放射能と戦う事は、全く無意味
です。

その私たちが、もし戦うとすれば、国です。行政です。
子どもたちを被曝させないで済むように、どうやって彼らを動かすことが出来るか、という事が、
いま、私たちに課せられている仕事
だ、と思います。

今、野菜が1kgあたり、10ベクレルか、数ベクレル、とおっしゃったでしょうか、
それが、みなさんは、大したことが無い、と思われるんでしょうか?

日本の国は、1kgあたり、100ベクレル以下は全部安全だ、と言っているわけだし、
ほとんどの市町村も、国の基準より下回っていて安全だ、と言ってしまっているわけですけれども、

放射能は、どんなに微量でも、危険なのです。
1kgあたり100ベクレルは、もちろん危険だし、
50ベクレルだって危険だし、10ベクレルだって危険なのです。
福島第一原発の事故の前に、日本の食べ物がどれだけ汚れていたかと言えば、
たとえば、お米の場合は、1kgあたり0.1ベクレルしか汚れていませんでした。
もしいま、1kg当たり10ベクレルのお米があるとすれば、すでに100倍汚れている。

それを安全だと思ってはいけないのです、本当は。

ただし…ですけれども……、
人々は、恐怖を持続することが出来ないのです。
何とか忘れたいんです。
安全だと思いたいのです。
「本当は、危険があったって、安全だと思いたい」
それが、人間という生き物
だ、と思います。
皆さんの周りに住んでいる人も、みんなそうですし、
行政を担っている人も、みんなそう思いたい、という思惑で動いているわけで、

「これが危険だ」、という発言をすれば、周りから煙たがれ、嫌がれる。
「お前黙れ」と、場合によっては、怒られるかもしれない。
でも、危険なのは本当なのです。


それを、やはり言わなければいけない、と思うし、
さっきから私は、何度も聞いていただいていますけれども、
「子どもたちは、やっぱり守る」という事を、大人の責任で、やりたいと思いますので、
周りから、どんなふうに嫌がられても、事実というものを、きちっと周辺に知らせる。
そして、説得しながら、少なくても、子どもが生活する場所からは、放射能をどけるとか、
子どもには、出来る限り、汚染の少ない食べ物を与えるとか、
そういう仕組みを、とにかく作らなければいけない
、と思うのです。

とても難しいです。
わたしは、本当に非力で、そんな事も出来ないできたわけですし、
今の国家、あるいは、行政の仕組みというものを見ていると、
本当に、壁が厚過ぎて、何にも出来ないという事を、日々痛感していますけれども、
でも、やりたいとおもいます。
みなさんも、諦めずに、出来ることを一つ一つずつでも、やっていただければと思います。
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