ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「流れた放射性物質は、阿武隈川から宮城県に行ってしまう。じゃんじゃん雨が降れば良い」石井慶造教授

2012年10月06日 | 日本とわたし
フリー記者の鈴木博喜さんのブログ『民の声新聞』の記事を、紹介させていただきます。

↓以下、転載はじめ

【19カ月目の福島はいま】
いまだ福島市を取り巻く高線量と〝安全安心シンポジウム〟

2012年10月06日(土)

福島原発事故から、間もなく19カ月。
福島市には、依然として、1.0μSVを超す、高い放射線量地域が点在しているが、除染が行われたのは、ごく一部。
市民は、日々の被曝を意識しながらも、市内にとどまって、日常生活を続けている。
低線量被曝や、甲状腺ガンへの不安を、訴える声もあるが、市側は、シンポジウムで大々的に、安全安心を説くのに躍起だ。
秋色に染まり始めた、福島市内を歩いた。


【他に場所が無い、と高線量下で草野球】

福島駅の北方、阿武隈川の支流・松川沿いの野球場では、草野球チームの歓声と打球の音が、心地よく響いていた。
松川運動公園
季節外れの厳しい陽光の下、しかし、手元の線量計は、軽く1.0μSVを超える。
少し移動すると、1.5μSV超。
隣接するコートでは、お年寄りが、グランドゴルフを楽しんでいる。

バッティング練習を終えた男性に、声をかける。

「放射線量が高い?はい、この辺りの線量が高いことは、みんな知っていますよ。
でも、いちいち気にしていられないです。
それに、ここ以外に、練習ができるグラウンドがありませんから」

イオン福島店
駐車場では、0.4μSVに達しない放射線量だったが、黄色い花がきれいに咲いている植え込みでは、0.9μSVを超えた。

店舗のある、矢野目地区の一角に、真新しい住宅が並んでいる。
庭で雑草を刈っている、若い男性は、
「除染?さあ、この辺りは、まだやっていませんね。放射線量が高い?0.6μSV?ああそうですか…」と、素っ気なく答えて、再び作業を続けた。

別の住宅では、50代の女性が、駐車場の溝を掃除していた。
「全然、除染をしてもらえません。
やらないわけにはいかないから、自分で除去をしないとと思い、溝に生えたコケを取っているんです。
こういう所に溜まると言いますからね。
でもね、放射線の影響なんでしょうか、すごく疲れるんですよ」

隣接する、川寒地区の集会所
中では、女性たちが、チューリップの球根を袋詰めしているが、雨どい直下で、4.0μSVほどに達する高線量。
松川に架かる川寒橋の下にある、川寒運動公園では、1.3μSVを超えた
近くの清水学習センターのモニタリングポストも、1.3μSV前後を推移している。
敷地内の遊具前でも、0.9μSV超
歩くほど高線量の街。
同学習センターに飾られた、住民の色紙が、心情を如実に表している。

「安全のレッテル、空気にもほしい」




1.15μSVもの放射線量の中で野球をする人たち。
ナインの1人は「気にしても仕方ないし、他に練習できる場所がないんですよ」と話した(上)=松川運動公園
イオン福島店の植え込みは0.9μSV超(下)



【「急いで除染をするような放射線量ではない」】

「将来に不安を持つ人の、予測は外れる」
「今の福島市は、急いで除染をする放射線量ではない」
「子どもからお年寄りまで、安心して、福島産を食べて欲しい」
─。
5日午後、福島市内で開かれた、市主催のシンポジウムでは、原発事故直後の、政府の記者会見を見ているかのような言葉が並んだ。

わたり病院の齋藤紀医師は、講演で、
「低線量被曝をどうとらえるか、に関する質問が多いが、線量が低くなるほど、外部被曝も内部被曝も、人体へのリスクも低くなる」
としたうえで、
「チェルノブイリ周辺の子どもたちは、汚染されたミルクを飲み続けた結果であり、食品が管理されている福島とは異なる」
「甲状腺医学の長い歴史で、小さなしこり(結節)は、大きくならないことが分かっている。
落ち着いて対応を」

「内部被曝は漸減する。絶対的危険ではない。どんな物質も、必ず排出される」
「放射線量が下がれば、DNA障害との関連性はなくなる。DNAは、仮に切断されても、修復する」
などと話した。

瀬戸孝則福島市長も加わった、パネルディスカッションでは、昨年7月から、市の放射能対策アドバイザーを務めている、東北大学の石井慶造教授が、
「福島市の食品は、まったくもって安全。仮に、基準値超でも、絶対に食べてはいけないというわけではない」
「放射線量が高いと言っても、8時間もずっと、その場所にいるわけではない」
「降雨には、除染効果があり、泥水と一緒になって、川に流れてしまう。
駅前の線量が下がったのは、雨の力もある。
流れた放射性物質は、阿武隈川から、宮城県に行ってしまう。じゃんじゃん雨が降れば良い」
「福島市は、急いで除染をするような、放射線量ではない。じっくりやるべき」
などと発言。
コープふくしまの、小澤和枝理事は、
「店に並んでいるものであれば、子どもからお年寄りまで、安心して食べてほしい」
果樹農家の安斎さと子さん(飯坂町)は、
「50ベクレル超の野菜や果物は、出荷していない。安心して食べて」と呼びかけた。

福島市の冨田光危機管理監は、
「2年間で、市内全域を1.0μSV以下にすることを目標に、除染を進めていきたい。
市内を線量で区切るため、大半の地域は、再来年に着手することになる。
除染が来ないと、お叱りを受けているが、理解してほしい」。
瀬戸市長は、除染で生じた、汚染土の仮置き場について、
「4-5カ所あてはあるが、誰だって、自分の地域には持ってきたくない。
近隣の方から『はんたーい』と声があがるので、慎重に確実に進めていきたい」と話した。


福島市が主催したシンポジウム「これからも福島市で暮らしていくということ」。
わたり病院の齋藤紀医師は「世界には自然放射線量が高地域があるが、奇妙なことに、発ガンの増加には全く結びついていない。
原爆投下当時、10歳未満だった人の88%は、今も存命している。
落ち着いて対応してほしい」と呼びかけた=福島テルサ



【福島駅前でも金曜日の抗議行動】

総理官邸前デモに、呼応して始まった、福島駅前抗議行動。

3連休を控えた、人々が行き交う5日夜も、原発再稼働だけでなく、福島市民に、現在進行形の被曝に対する関心を高めてもらおうと、母親らが、危機的な現状を、アピールした。

道行く人の多くは、迷惑そうな表情で、足早に通り過ぎる。
参加した女性は、「もっと多くの市民に、この危機的状況を理解してほしいのに…」と残念がった。

女性は、原発事故直後に、小学5年生と中学3年生の子どもを、いち早く、山形県米沢市の学校に転校させた。
自身も、同市から、福島市内の勤務先まで、毎日往復約2時間かけて、通勤している。
夫も、避難には理解を示しているが、仕事の都合などがあるため、福島市内に、親と共にとどまった。

子どもたちは、自分の責任で、逃げることはできません。
大人が、逃がしてあげないといけないんです。
地元メディアが、危機的状況を報じないから、危機意識が高まらないんです
」と、怒りの声をあげた。
高校生や保護者の突然死、職場の同僚にも、発ガンの疑いがあるなど、周囲では、体調不良が少なくないという。
だが、いずれも、原発事故との因果関係を、証明することはできないため、一笑に付されて終わることがほとんどだ。

福島市では、「地産地消」の名の下に、学校給食に、福島産の食材を積極的に使おう、という動きが進んでいる。
抗議行動に参加した、別の女性は、
「市会議員も、きちんと勉強しないで、『地産地消を進めよう』などと言っている。分かっていない。
FAXや手紙などを、どんどん出して、福島産食材の使用をやめさせたい」と話した。

福島駅東口で毎週金曜日に行われている抗議行動。
「子どもたちは、自分の責任で、逃げることができない」と、大人たちに呼びかけている=福島駅東口


↑以上、転載おわり


もう、こういうことは、反吐が出るほど読んできた。
けど、当地福島で、不安に苛まれながら暮らしてる人を相手に、その人らの命を左右するかもしれんことやのに、デタラメを言うてるのが、
放射線アドバイザーとかしてる東北大の教授であったり、病院の医者であったり、食べ物を管理するコープの理事やったり、農家の人やったり、
それが、事故から19ヵ月も経った今も続いてて、それを鵜呑みにしてる人、したい人がいることの恐ろしさに圧倒されてしまう。
この異常さは、いったいいつまで続くんやろか。
なんで福島の人らは救われへんのやろか。
なんで、福島だけやと、まるで、県境で放射能がスッと消えて無くなるみたいに思てる人が、今だにいるのやろか。
宮城も栃木も群馬も茨城も、それから東京も千葉も埼玉も、じわじわと、大なり小なり広がっていってるのに。
せめて、口から汚れを取り込まんように、万全の対策を必死で考えて、それを実施してやるのが、大人の、長の務めやというのに、
勉強もせんままに『地産地消を進めよう』『みんなの絆で助けよう』とかいう、無責任極まりないキャッチフレーズを吹聴したいがために、
「福島市の食品は、まったくもって安全。仮に、基準値超でも、絶対に食べてはいけないというわけではない」とか言う、これまた無責任な大学教授を壇上に立たせる。

こんなことがこうやって続くのは、東北の土地柄や、と言い訳すんのはもう止めて欲しい。
ただの、無責任で無気力で、さっさとあきらめてしもてる大人が多いだけ。
そんな人間がうじゃうじゃしてるとこで、頑張ってる人は、どんだけしんどいやろか。
気の毒にもほどがある。
残りたい人は残ったらいい。
食べたい人は食べたらいい。
けども、それを他の誰にも強要するな!
特に、子どもに近づくな!

津波の襲われて、なにもかもを流されて、命だけ辛うじて助かった人。
別に、なんの被害にも遭わんと済んだのに、放射能の汚染のせいで、それまでの生活すべてを失うた人。
その日まで、ひとつのことに必死でこだわって、努力に努力を重ねて成功しかかってたのに、みんなあきらめなあかんようになった人。
いろんな人がいるやろう。
いろんな思いがあるやろう。
けど、どんな大人もまず、子どもの健康を守ったらなあかんことに気がついて欲しい。
自分の地位、金、名誉、しがらみ、暮らし、大人には、いろんな捨て難い、あきらめにくいことがある。
でもな、ほんまにいっぺん、ひとりになって、じっくり時間かけて考えてみて。
いったいなにがこの世で一番大切なことか。
いったいなにが人の世で一番尊いことか。

目を覚まして。
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はがきを出して、郵便屋さんに『あさこはうす』に通ってもらお!これならできるよね!

2012年10月06日 | 日本とわたし
久しぶりに、文字起こしをしました。
『あさこはうす』のことについて、まだ一度も、きちんとお伝えしていませんでした。
『あさこはうす』の管理人であり、日本の55基目となるはずの原発と真っ向から対峙して、闘い続けておられる厚子さん。
おかあさまの遺志を継いだとはいえ、大変な思いをして、これまでこられた厚子さん。
ほんの一端に過ぎないのですが、ここでご紹介させていただきたいと思います。

大間原発建設の真実 孤軍奮闘の『あさこハウス』



日本は、エネルギーに飢え、原子力に深く依存していますが、その流れは変わりつつあります。
かつては確かだと思われていたものを、津波が押し流してしまいました。
今や、原子力産業に対する怒りの波が、ふくれ上がってきています。

日本は、魚が大好きな国。
なかでもここは、有数のマグロの町として知られています。
弾丸のような形をした、この巨大な魚が、かつて小さな村だった大間を、豊かにしました。
一尾に、数十万ドルもの値がつくのです。

でも、今日のマリンフェスティバルに集まった群衆を見渡せば、大間の向かう未来が見えてきます。
それは、マグロではありません。原子力です。
電源開発(株)(Jパワー)と日本政府は、大間町の町外れに、原子力発電所を建設させてもらうため、懸命に、地域住民の説得を続けてきました。
原発が完成すれば、日本で55基目の原子炉となります。
化石燃料の少ない日本は、エネルギーの4分の1を、原子力に依存しています。
地元の猟師は、原発建設を承諾する見返りに、一人当たり、13万ドル[約1000万円]を受け取りました。

小笠原厚子さん
「いえ、売らないです。お金ではないです、人の命は」
「売りません。売るつもりもありません。お金ではありませんので」

小笠原厚子さんは、買収に屈していない数少ない一人です。
大間の新原発は、彼女の小さな家から、250mしか離れていません。

リポーター:
「原発はあそこですね。全然遠くないですね」
小笠原さん:
網とか、あと有刺鉄線とか、やられるようになってきたらほんとにもう威圧感があって、
なんかほんとにもう、なんちゅうの、檻でもないですけど、そういうふうに囲まれたような感じ、
ほんとにもう、息苦しくなるし、憂鬱にもなるし、わたしはほんとに、人間として扱われてないんじゃないかな、と思うくらい」

母親の遺志を継ぎ、厚子さんも頑なに、原発建設への協力を拒んでいます。
そこで、原発を運転するJパワーは、単純に、彼女の家の周りに、原発をつくり始めました。

彼女の土地に行くには、ここを通るしかありません。
Jパワーによって、フェンスで囲い込まれた細い道です。
この道を通る人すべてに、Jパワーの警備員が、目を光らせています。

リポーター:
「ここがその家ですね。かの有名な」
小笠原さん:
「そうです」
リポーター:
「とても有名な」
小笠原さん:
「はーい」

ここが、彼女が受け継いだ土地に建つ、一間の木造の小屋です。
このあたりには、176人の土地所有者がいましたが、Jパワーに金の山を積まれても、首を縦に振らなかったのは、彼女の母親だけでした。

小笠原さん:
「母の時はやっぱりその、2億、とは言ってましたけども、だから母は、お金ではないので、結局、2億だろうが10億だろうが、売らないっていうことは言ってたみたいです、会社さんに」

途方もない額の提示を、母親がはねつけると、Jパワーは、嫌がらせを始めるようになったと、彼女は言います。

小笠原さん:
「母の時は、まずですね、ストーカー行為。
もう常に、母が車を運転するんですが、必ず後ろをずっとついて歩いて、どこへ行くんでもついて歩く。
あとは、やくざを呼んで説得に来る。
あとはあの、脅迫の手紙、ハガキ。
あとは、町長とか、自治体の上の幹部の人達が、毎日のように説得に来る。

それによってやっぱり、体の方に異常をきたしましたし、そういう圧力みたいな感じ(心的な圧力を受け続けることによって)、精神的に病的になっちゃったこともありますしね。

かつて大間の人々は、海に頼って行きのびてきました。
小笠原さん:
「弟がマグロ獲るんですよ。これだいたいもう200キロぐらい?で、これが160?130キロぐらい」と、捕獲したマグロの横で立つ弟さんの写真を指差して説明する厚子さん。

今やこの町は、原子力産業から支払われる金に頼っています。

小笠原さん:
「漁業で栄えればいいことであって、そういう交付金とか、そういうのをいただいて、やっぱり人間て弱いもんで、やっぱり、楽して働かないで得ると、それこそ麻薬みたいなもんで……」

大間原発の運転者であるJパワーは、外国特派員と話すことも、小笠原厚子さんが訴える嫌がらせについて回答することも、拒みました。
もしかしたら、メディアが苦手なのかもしれません。
でも、この町では、Jパワーが、あらゆるところで、大きな影響力をふるっています。
年に一度、大間で開かれるマリンフェスティバルを見渡してみれば、
Jパワーの文字の入ったシャツやうちわが、いたるところで目につきます。
Jパワーのブースまであって、子どもたちが楽しみながら、自分で発電できるようになっています。
大間はマグロの町とはいえ、魚はほとんど獲れなくなっています。
外国のトロール船による乱獲が原因です。
都会に出て行く若者が多いため、地元で商売をするミヤノ・ナリアツさんのような人は、原子力を大間町の救世主と見ています。

ミヤノさん:
「今まで、総額150億とか言われてますけれども、要は今、消防の職員、保育所の保母さんとか、そういう人件費に(オオマノ?)使えるようになりましたね。

小笠原厚子さんにとって、これは、非常に個人的な問題です。
今際の際の母親と、交わした約束を守っているのです。
しかし、国全体で見ても、原子力をめぐる議論には、強い感情が結びついています。



故・熊谷あさ子の遺した『あさこはうす」
http://www.soramori.net/2011/05/31/6440.htm


原発開発がつくった、嫌がらせ道路





小笠原厚子さんのスピーチは、9分15秒あたりからはじまります。

青森県大間・『あさこはうす』
大間原発の建設差し止め訴訟原告
小笠原厚子

こんにちは
大間から来ました、『あさこはうす』の小笠原です。はじめまして。
また、ご存知の方、お久しぶりでございます。
今、大間原発は、一旦工事は中止しております。
でも、その中止というのは、本工事が中止であって、まだ、関係のない工事の方は、粛々と続いております。
実はあの、最初、大間原発が始まった頃、うちの熊谷あさ子の私有地が、大間原発の敷地内のど真ん中にあったんです。
その時に、むこうの原発計画では、原子炉から50メートルの所に私有地がありました。
でも、買収ができず、やむなく電源開発は、200メートル移動して、建設計画を申請いたしました。
申請してから間もなく、電源開発は、共有地の裁判にかけて、(『あさこはうす』)は訴えられました。
平成15年に訴えられまして、平成16年の4月に結審する予定だったんですが、ちょっとあの、いろいろとありまして、2年間、延ばすことができました。
で、その後、一応、電源開発の工事計画は、平成17年に工事着工、そして、稼働が平成22年という計画でした。
で、200メートル移動させたってことで、買収できなかったものですから、工事再開計画が平成18年になりまして、稼働年が平成24年になりました。
だからこの200メートルがもし、買収されていたなら、そして裁判が、平成16年に結審されていたならば、平成22年に、大間原発は稼働されていたことになるんですよ。
なので、今現在、大間原発の工事状況は、一応、原子炉は取り付けられました。
だけれども、まだ、燃料棒はまだ入っていないんです。
なので、ただの箱ものなんです。
ですから、ぜひ、この大間原発を、放射能を入れさせない、燃料棒を入れさせない、稼働させないために、今まで大間の方で細々と頑張ってまいりましたが、
なんせ、地元の方ではなかなか、声を上げることができません。
なので、できるなら、こういう本部っていいますか、東京の方で、皆さんが一緒になって、声を上げていただいて、

政府と、許可を出した原子力保安院の方々、多分あの、現場を見てないと思うんですね。
それで、『あさこはうす』は、今現在、裁判が負けた後すぐ、電源開発が、新しい電源開発の道路を、わたし達の『あさこはうす』に行くために、道路を設置しました。
それも、1キロもの距離をつくって、周りを畑ごと全部、フェンスで囲んであります。
で、その道路は、電源開発の道路なので、わたしが『あさこはうす』に行くためにつくった道路なんです。
で、もしわたしが行かないっていうか、たびたびとか、少なくなれば、多分向こうとしては、もう道路を使用しないじゃないか、それだったらもうこの道路はいらないじゃないか、ということで多分、道路を封鎖される可能性があります。
それで、もしわたしが居なくても、郵便屋さんなら毎日来てくれるんじゃないか。
あそこの道路を使ってくれる。
ならば、ポストを置いて、毎日郵便屋さんに運んでもらおう。
ということで、『あさこはうす郵便』、というのをつくりました。

それで、多い時では、朝と午後の2回、来てくれます。
それと宅急便屋さん、あと、郵便屋さんの郵パックとかいろいろ来てくれるので、常に『あさこはうす』には出入りしてる、ということは、
あんな近い所であっても、人の出入りがある。そんな所に、電源開発は、原発を造ろうとしています。
ひとりの命も、東京の何十万何百万人の命も、命の重さは一緒だと思うんですね。
なので、もうこれ以上、原発は造らないでほしい。
そうでなくても、今の原発あるだけでも、子ども達は(自分達は)、原発造ってもいいですよ、造っちゃだめですよって、ひと言も言ってないんです。
なのに、子ども達はこれから、いっぱい背中に背負って、背負っていかなければならないんです。
これは大人の責任です。
わたし達がお詫びをし、そして、これからどうやって子ども達を守っていくか、それを一緒に考えながら、もう原発はこれ以上造らない、これ以上子ども達に負担を背負わさない、そう思いながら頑張っていきたい
と思います。
そして、母は、35年間、あの土地を売らないで守りました。
母としたら、別にその、難しいことは分からなかったと思うんです。
ただ、自分の子ども達や海を守りたい。
あと、友人やらみんなを守りたい。
そのことだけを思って、守ってきたんだと思います。
これからは、わたしがそう思いながら、守っていきたいと思います。
みなさんもどうぞ、ご協力お願いします。


それで、これが『あさこはうす郵便』なんですが、

〒番号039-4601
青森県下北郡大間町大字大間字小奥戸396
あさこはうす内 小笠原厚子 宛


ぜひ、こちらを利用して、郵便屋さんに通っていただけたら、と思います。
ご協力よろしくお願いします。



市民ジャーナリストチーム青森のブログ
http://yori1335.blog89.fc2.com/blog-entry-19.html

上記ブログでは、実際の『あさこはうす』と、小笠原厚子さんの話などが、映像として見れるようになっています。
上記市民ジャーナリストチーム青森のブログの一部も、以下に転載します。

〒039-4601 
青森県下北郡大間町字小奥戸396

【あさこはうすゆうびん】は一枚200円、生活の維持のためのカンパを含んでいます。
購入を希望の方は、厚子さんのゆうちょの講座へ、代金を振り込んでください。
あさこはうす郵便・振込先 
ゆうちょ02760-3-66063 
『あさこはうすの会』
「あさこはうすゆうびん◯◯枚購入希望」と記入
ください。

心温まるメッセージをお待ちしてます。

『あさこはうす』に遊びに行きたい!イベントに呼びたい!などは、厚子さんに聞いてみてね♪
厚子さんの携帯電話 090-9528-4168(公開の許可はとっています)
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