ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

脱原発を支える、南ドイツの住民パワー!ど~ん!

2012年10月27日 | 日本とわたし
わたしの夢。
それは、日本中、それぞれの町や村の、小川や川の片隅で、その地域に暮らす人達のための電気を作ってる。
その発電装置は、全然難しくも大げさでもなく、単純そのもので、水の流れを妨げることも、川の生態系を崩すこともなく、
今までもずっとそうしててん、とでも言うような涼しい顔して、その地域に充分な電気を作ってる。

この夢は、ドイツの片田舎、過疎の村で始まった、電力会社との闘い『きらわれものキャンペーン』の記事を書いた時からずっと抱きしめてる。

同じくドイツで、またまた素晴らしい住民パワーの話が誕生してた。
それを取材してくれはったんは、経済ジャーナリストの町田徹さん。

ラジオで聞き、文字起こしをしながら、現代ビジネスも一部まとめてくれてはったので、その文面も混ぜて、ここにまとめてみた。

町田さんのしゃべってはる口調を、書き言葉に変えたので、完全な文字起こしではないのやけど、こちらの方が内容を理解してもらいやすいと思う。




"脱原発"を支えるのは、政府や大企業に頼らない市民の実行力!  
南ドイツの「地域暖房」や「エコハウス」を視察して感じたこと/町田 徹

 
今週のテーマは、脱原発を支える南ドイツの住民パワー。
地域暖房や、住宅断熱の挑戦を見逃すな、というテーマだ。

先週、10月16日火曜日から、6日間の日程で視察した南ドイツで、
センスの悪い政治家や、既得権にこだわるユーティリティ企業に依存することなく、
市民達が自らの手で、再生可能エネルギーへの切替えや、節電に取り組む姿
を、目の当たりにする事ができた。
今日は、その話をしたいと思う。
紹介したい話は、ふたつある。

「黒い森」南部の保養地セント・ペーター村で、地元の林業エンジニアが中心になって、事業化に漕ぎ着けた、
廃材利用の「バイオマス地域暖房」システムの話がひとつ。
もうひとつが、補助金はもちろん、銀行融資さえろくに受けられなかった時代に、市民が建てた、フライブルク市ボウバン地区の、エコマンションの話。

ドイツというと、環境を重視する『緑の党』が有名。
エネルギー・環境・脱原発などで、政治主導の動きと錯覚しがちだが、実態は大きく違った。
むしろ、市民たちのコミュニティーベースの取り組みが端緒になって、国策が見直されていくというケースが少なくない
のが、ドイツの合意形成の実情なのかもしれない。

福島原発事故を機に、原発への反対を強める多くの国民と、
そうした要求を、経済性・実現性を無視した空理空論と決め付ける、経済界の間の大きなギャップを埋められないでいる日本にとって、
このドイツ的なアプローチ(下から積み上げていく)が、とても大きな福音(ヒント)になり得るのではないだろうか。



まずは、セイント・ピーター村という、小さな小さな村の話から。
北九州市など、国内の環境都市のモデルとして名高い、ドイツ南部、フランス国境に近いフライブルク市から、車で約一時間。
海抜720m前後の、カンデル山中腹に広がる、セント・ペーター村。
決して広大な面積を持つわけではないが、1093年に、大きな修道院が築かれたのがきっかけで開かれた歴史ある、非常にヨーロッパらしい古い山村だ。

1890年代に、その修道院が閉鎖された時と、1970年代から80年代にかけて、「酸性雨」に見舞われた時の2度にわたって、
セント・ペーター村は、存亡の危機に見舞われたものの、なんとか切り抜けて現在に至っている、という歴史を持つ。

現在の村の人口は、2550人
ギリシア、スペインの財政破綻に端を発した、欧州経済危機の真っただ中にあって、意外に聞こえるかもしれないが、村の経済は好調で、
「人口は増加傾向にある」と、ルドルフ・シューラー村長は、胸を張って話していた。
環境・エコを売り物に、高成長を維持して、ヨーロッパでは珍しく、失業率を3%前後と非常に低く抑え込んでいる、フライブルク市の北東に隣接する幸運もあってのこと。

そのセント・ペーター村に、今年1月、村民の自慢のタネが、またひとつ増えた。
地域ぐるみの暖房施設が、稼働したのだ。
ただの暖房施設ではない。
1970~1980年代にかけて、酸性雨に見舞われながら、地域がなんとか守り切り復活させた、黒い森の林業の副産物である廃材。
この廃材をチップ化したバイオマスを、きたる燃料に使う、地域ぐるみの暖房施設だ。

この暖房施設は、バイオマス燃料でお湯を沸かし、地下に埋設した、全長9.2kmの配管を通じて、200戸に熱湯を循環させ、地域ぐるみで暖房をする仕組みだ。

この設備でのバイオマスの使用率は、全体の95%あまりに達する。
石油は、バックアップ用に限定しており、その使用量は、5%程度に過ぎないのだ。
この結果、これまでと比べると、年間約80万キロリットル分の石油を節約できたばかりか、
同じく、2100トン分の、CO2の排出削減(効果)も実現した、という。
何よりもすごいのは、主燃料の木材チップが、従来は、使い道が無くてただ棄てていた物、廃棄していた物、
そういうもみの木などの廃材を、原料としている
ということだ。

この結果、事業主体は、住民組合の形式であり、営利事業ではないにも関わらず、収益率が30%を超えており、
「ビジネスとして、非常に高い採算性を誇っている」と、事業組合のマルクス・コナード理事は語った。
その省エネ効果の高さや、地元産のバイオマス燃料の使用比率の高さが評価され、
EU、ドイツ連邦政府(復興金融公庫)、バーデンバーデンブルグ州の3主体から、総投資額の520万ユーロ、単純計算で1ユーロ100円前後と考えると、約5億2000万円強になるのだが、
この総投資の4分の1にあたる、約125万ユーロの補助金を、受け取ることができた。

これにより、住民組合は、給湯ネットワーク1mに付き、その建設費用のうち80ユーロ、
住民の住宅配管の引き込み工事1戸に付き、1800ユーロの補助を受けている。

暖房の使用料金は、「民間のユーティリティ会社のそれより、平均で3割程度安い」うえ、料金構成も、住民にとってありがたいものだ。
一般のユーティリティ企業の場合、使おうが使うまいが、必要な基本料が70%、使用量に応じた従量部分が30%の構成になっているが、
セント・ペーターの住民組合では、これが逆になっているという。
従って、住民の方で節約をすれば、さらに安いエネルギー代で済む、という仕組み
になっているわけだ。
 
これ以外に、住民組合は、風力や太陽光の発電設備を保有、発電も行っているが、
潤沢なキャッシュフローを活用して、来年1月をめどに、木材バイオマスのガス化発電を導入する計画だ。

良い事尽くめのような成功話。
セント・ペーター村の、積極的な取り組みの推進役として、見逃すことのできない働きをしているのが、前述のマルクス・コナード理事のような人物である。

コナード氏は、地元の林業のエンジニア出身で、黒い森の2200ヘクタールに及ぶ、地域の維持・管理を担当してきた。
エネルギーの専門家でもなんでもなかった人物であるが、旧ソ連のチエルノブイリ原発事故や、地球温暖化問題に触発されながら、
大量に廃棄されていた、木材の破片の再利用に着目。
エネルギー分野の知識を取得して、当初11人の仲間を集めて、運動の核を作り、最終的に200人のコミュニティをまとめあげ、組合活動を進めてきた。

林業主体の小さな村に、こういう人物がいて、政治家や大企業をあてにせず、自分達でコミュニティ全体をまとめ、こうした仕組みを実現してみせる。
できるんだから邪魔しないでくれと、いう形で、政府や企業を説得し、譲歩させている
のがすばらしい。


今回の視察でもう一つ、筆者が大きな刺激を受けたのが、画期的な節電を可能にするという「パッシブハウス」の、フライブルク市のボウバン地区での誕生の物語だ。

パッシブハウスそのものは、専門家の間では、すでに日本でも随分紹介されているが、
それまで、ドイツの標準的な家屋で、1㎡当たり年220キロワット/毎時程度だった、暖房用のエネルギー消費を、
その15分の1近い、年15キロワット/毎時程度に削減できる、という画期的なエコ住宅
だ。
その誕生物語は、1995年から翌96年頃に遡る。
当時は、公的機関の補助金は、研究開発サイドに限定されており、
一部の商業金融機関からは、こうした住宅の建設は、おかしいとしか思えない、とてもまともな考えとは思われないと言われ、
建設資金の融資さえ受けられなかった時代だったにもかかわらず、
理系の教育を受けた、建築などの知識のある有志が集まり、自腹で、素材の調達費や建設費を出し合い、
同志で、最初のパッシブハウスの、集合住宅を建設した。
最初に建設されたのは、4階建ての、20戸を対象にした集合住宅
だった。

その後、フライブルク市では、こうしたエコな住宅こそが、時代の先端をゆくものであり、そのような住宅に住むことに価値を見い出す市民が多かったことから、この種の住宅の建設ブームが起きたという。
現在、このパッシブハウスは、フライブルク市だけ、あるいはドイツだけではなくて、フランスなど、EU全体に広がる動きがあるという。

現在、周辺では、パッシブハウスだけでなく、更にもう一段進んだ、使用するエネルギーより生産するエネルギーの方が大きい、「プラス・エナジー住宅」も加わり、様々なエコハウスが、所狭しと建設されている。

この建設ブームが、欧州危機の中でも、当地の経済が、好調を維持している原因のひとつである。

ここでもうひとつ、技術的なことを補足しておく。
パッシブ住宅と他の住宅との違いで、一番にあげられるのが、断熱効果。
パッシブ住宅には、約40センチの断熱材が使われている。
例えば、東京あたりでは、素材なども多少違うとはいえ、エコと言われている住宅でも、10センチぐらい。
厚みだけでみると、東京あたりで10センチぐらい、北海道あたりで30センチぐらい。
それを、フライブルクのパッシブ住宅では、40センチの厚みの断熱材を使い、建物の断熱効果を高めて、一旦温めたらもう逃がさない。

冬季の、外部が非常に寒い時でも、室内は、22℃ぐらいに保たれている。
緯度で言えば、北海道の樺太あたりの高い位置にあるわけなのだが、
冬季であっても一度温めれば、ほとんど熱が逃げることがなく、暖房を使うのは、2週間ぐらいしかない
、という家が多い。
 
ベルリンの出身で、フライブルクに引っ越して、ご本人もプラス・エナジー住宅に居住するという、
フライブルク・フューチャーラボのディレクター、アストリド・マイヤーさんは、
「物件が市場に出回るようなことはなく、コネでもないと、入居できない状態が続いている」と、人気の高さを裏付ける話をしていた。

結局のところ、こうした人気を、無視し続けることができずに、
ドイツでは現在、連邦政府(復興金融公庫)の補助金や、低利融資を行う制度ができている
が、
これらの公的補助制度は、市民が火を付けたブームに、政治が追随したに過ぎない、というのである。
市民発である、という点が、先のセント・ペーター村の、地域暖房施設の話と全く同じ。

政府が手を出すと、細部に手が届かないだけではなく、いらないことをする。
そういうところは、ドイツも、痒い所に手が届かない日本の行政と同じ
である。


さらに、今回の視察では、ようやく整備された政策支援を、批判する声があることも判明した。

この分野の、建築・設計を専門とする、カールスベール工科大学のクリストファー・クム教授は講演で、
「政府は、政策補助の発動基準を設けるにあたって、達成すべき目標を掲げることに徹するべきで、
使用する技術に、細かく口を出すのは不適当だ。
創意工夫の芽を摘んで、技術革新を阻害することになりかねない」
と強調していた。

余談だが、同教授は、今日のように、エネルギーが潤沢でなかった時代にこそ、その土地の風土を活かした建築が為されていたという、
伝統的な建築のノウハウの活用を、重視する人物だ。
2度にわたって訪日したにもかかわらず、見学を許されなかったが、写真などからみて、京都の桂離宮が、湿度の高い日本の風土に適している、という説も披露していた。
この話は、町田氏らが視察に訪れたから言うのではなく、普段彼が、毎年の授業の中で、学生達に学んで欲しいこととして、
『その風土に適した住宅がある』という話を紹介する中での、ひとつの重要なエピソードになっている。


福島原発事故以降、政府のエネルギー・環境政策の見直し議論を、一環して取材してきた筆者が、これまで何度も直面したのは、
実現性や経済性の議論は二の次にして、原発の再生可能エネルギーへの、早急な置き換えを求める市民団体の声と、
そうした対応は、エネルギーコストの急騰を招いて、企業の国際競争力を削ぐと反発する、経済界の深刻な意見のすれ違い
だ。

しかし、今回のドイツ視察で、日本でも、重要性が指摘されながら、
政府の「画期的エネルギー環境戦略」(9月18日決定)などでは、ほとんど顧みられることのなかった、住宅分野の節電の重要性や、
コミュニティレベルで採算が取れる、地産地消型のエネルギーシステムの構築に関して、
日本は、そうしたことが、積極的に行われているという話もあまり聞かない。
たとえ、いくつかはあっても、むしろ政府が放置して、育てなかったという議論もある。
そうしたことへの政策支援の存在も、耳にしない
しかし、ドイツでは、そもそも、そういうものが無い所で、政府やユーティリティの大企業に決して頼ることなく、
市民発で、市民が独力で答えを作り出していく、逞しい姿を目の当たりにした。

そうした実行力が、冷ややかだった政治家や、企業の抵抗姿勢を改めさせ、新しい物事を普及させていく、起爆剤になっていたのである。
こうした土壌があるからこそ、脱原発も、空理空論ではなく、やれるのではないか、という話につながった。
もちろん、なんでもかんでも、外国のものを真似しようというのではない。


今回の視察では、太陽熱の利用のように、日本企業が、採算が採れないと、5年から7年前に事業化を断念した技術を、
ドイツでは引き続き、何とかして、これを商業ペースに乗せることができないかという、試行錯誤が続いている。
約2日間に渡り、7カ所ぐらいの事業所を見学したが、残念ながら、採算に乗っているものは、今だにひとつも存在していない。
中には、巨額の政府の補助金を入れてもまだ、15年ぐらいかからないと、投資の回収すらできないといったようなモデルも存在した。
このように、開発に拘るドイツ企業を始め、容易にはお手本にできない、と映るものも存在した。
そういった形の技術について、日本でも、補助金漬けにして進行するような政策は、いいとは思わない。
しかし、ここに紹介した市民の取り組みや、新技術の実用化の障害になりがちとされる、ドイツ独特の徒弟制度(マイスター制度)の弱点を補うための、地元中小企業と専門学校の人材育成の試みなど、無視できないものも豊富にあった。


日本では、国会の周りを、主催者側の発表で、10万人の人々が、早期の脱原発を求めてデモをしているというのに、
政府や財界は、実現のしようのない、コスト採算の合わない、再生可能エネルギーの導入を強制して、国の経済基盤を破壊するつもりかと、冷ややかに見ている。
そういったギャップが大きいのが実情ではないか。
経済ジャーナリストの立場で見ても、1キロワット/毎時あたり42円で、20年間も全量買い取りをやる、太陽光発電であるとか、
過去に、補助金をもらって事業を始めながら、放漫経営で事実上経営破綻している、風力発電会社への政策支援の継続であるとか、
そういった行為は、明らかに、税金の無駄使いであり、
ドイツあたりが、すでに失敗と認めて縮小し始めているものを、冷静な分析も無く、追従する動きとしかとれないものである。
こういうものは、利権を追い求める、新興の企業の政治力が、原動力になっているもので、
経団連企業の中には、忌み嫌うところがあるのも、ある程度うなづけると言わざるを得ない。
そういう意味では、一体、海外から何を選んで、何を学んで、何を取り入れるのか、あるいは、何を反面教師と見なして導入しないのか、
今一度、ドイツに限らず、こうした海外の経験を総点検して学ぶ姿勢が、
閉塞感の強い、日本のエネルギー環境問題の見直しには、欠かせない
のかもしれない。

↓以上、文字起こしおわり


その土地、その地域特有の地形、環境、風土を活かした発電方法。
そういうのん見つけるのって、日本人は絶対に得意やと思うねん。
ただ、ほならいったい誰が、どうやって、そのきっかけを作るねん?いうことやんな。
いっちゃんはじめはそらひとりやけど、ひとりがふたり、ふたりが三人になって、きっと仲間が増えていくよ。
ほんで、いろんなとこに住んでるいろんな人が、きっと支えてくれる。

がんばってみやへんか。
コメント (4)
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