溶け始めた泥舟にしがみついている愚かな人たち。
原発産業はもう、行き場のない、欠陥だらけの、止まっている間でさえ膨大な費用がかかる、世にも愚かなものです。
それほどにダメだからこそ、嘘をつき、誤魔化し、税金から吸い上げてきた金にものを言わせて恫喝し、有無を言わさぬ態度で強引に推し進めてきました。
社会の中のこの手の存在は、みな根っこで繋がっています。
その繋がりは、何も当人たちだけでなく、一般の、すっかり騙されてしまっている人たちによっても作られています。
だからなかなか改まらない。
けれども、日本はじわじわと変わり始めています。
ここアメリカは、その変化ということからいうと、日本には到底及びません。
国の成り立ちが違う、連邦と州との兼ね合いがある、何よりも軍が巨大化し過ぎている、
さらには、いろいろな条件や文化の違いもあるかもしれません。
でも、次から次へと戦争を仕掛ける者たちに、はっきりと、全国レベルで、ノーを突きつけることができないでいます。
ただそのかわり、町々の議会などに足を運ぶ人が多いし、議員と直接話し合いをする市民、というのも当たり前のようにいます。
あまりにも巨大な問題について、そうやって町単位で変えていき、それを州に反映させつつ連邦につなげる。
そういう方法を取っている場合も少なくありません。
それらの方法は、原発にも使われています。
もちろん、前々から言われている銃規制についても同じです。
モンサントも然り。
そして医療保険が抱えている深刻な問題についてもです。
でも、際立った効果が出たものはほんの一部で、だから日本の、国全体としての抗議行動は、本当に意味があると思います。
先日の全国一斉に行われた抗議行動の、どの写真を見ても、
そこに立つ方々ひとりひとりの思いが、その日だけの特別なものではなく、日々の暮らしの中で考えてきたものであり、
それをある人は用紙に書き、ある人はTシャツに印字し、ある人は声にして表している様子が写っていて、
本当に、本当に、ものすごく勇気付けられたし、嬉しかったのでした。
戦争法案の廃案を実現したら次はこれ。
建てられてしまった負の遺産『原発』をすべて、廃炉にしましょう。
もう『戦争法案』だけでヘトヘトなところでしょうけれども、そして学業が、仕事が、家事が、子育てがあるでしょうけれども、
そんな暮らしの中に溶け込んだ抗議行動を、これからも続けていけたら、日本はきっと、良い方向に舵を向けて船出ができると思います。
汚染地から動けないでいる人たちを、特に小さな子どもたちを、救い出さなければなりません。
汚染地に戻されようとしている人たちのことも、考えなければなりません。
沖縄の基地も、本土にある基地も、TPPも、モンサントも、ちゃんと報道や検証をしないマスコミのことも、
そして廃炉作業に従事してくださる方々の、環境整備と待遇改善のことも、
次から次へと出てくる、抗議しなければならないことの数々。
でもそれこそが、民主主義の正しい在り方なのだと思います。
たゆまない努力ではあるけれども、何も特別なことをしなくてもよいということに、気づき始めた人が増えてきました。
マスコミはもうあてにできません。
ならば、市民ひとりひとりが放送局になればいいのですよね。
どうかこの東芝の件についても、注意を払っていてください。
守田さんが、とてもわかりやすくまとめてくださいました。
紹介させていただきます。
沈みゆく原子力産業-東芝上場廃止か?(東芝不正会計問題を問う―2)
明日に向けて(1140)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/1f5f8b5a15ca9d5c209ffd515e1a3b7f
守田です。(2015902 16:00)
昨日1日に、東芝をめぐる大きなニュースが飛び込んできました。
不正会計問題による混乱が続く中、東芝が8月31日に、新たに調査が必要な問題が発覚したことを明らかにした、というのです。
このことで、この日に予定されていた2015年3月期の、有価証券報告書の政府への提出期限が守れなくなりました。
再提出期限は7日であり、これが守られなければなんと、東芝は株式市場への上場廃止という、決定的な危機を迎えます。
東芝はこれまで、経団連会長などを輩出してきた日本のトップ企業です。
原子力産業の中核でもあります。
その東芝が、商いの基本中の基本である決算発表ができないでおり、株式の取引の場から退場を求められる瀬戸際にあるのです。
以下、毎日新聞の以下の記事を軸に、問題のアウトラインをトレースしておきたいと思います。
決算発表再延期 東芝、信頼回復遠く 修正、見通し甘さ露呈
【毎日新聞・東京朝刊】2015年09月01日 東京朝刊
http://mainichi.jp/shimen/news/20150901ddm003020031000c.html
歴代3社長が辞任するなど、不正会計問題の混乱が続く東芝は8月31日、新たに調査が必要な問題が発覚したことを明らかにした。
7月に発表した第三者委員会の調査結果で、出し切ったはずの経営の「うみ」がまた表れた形で、調査そのものへの信頼がゆらぎかねない。
自ら31日に設定した、2015年3月期の有価証券報告書の政府への提出期限を守れなかったことで、
失った市場からの信頼回復は、更に難しくなった。
経団連会長など財界トップを輩出してきた名門、東芝は間違いなく「最大の危機」(室町正志会長兼社長)にある。
◇第三者委「うみ」出し切れず
8月31日に発表が予定されていた、2015年3月期決算の発表再延期の直接の原因は、
「複数の国内・海外子会社の会計処理の調査が必要となった」(室町会長兼社長)ためだ。
東芝は詳細を明らかにしていないが、室町氏は31日の記者会見で、
「米国子会社での水力(発電所)案件のコスト見直し」などと説明した。
関連工事の原価総額を低く見積もって、損失の先送りや、売り上げの過大計上を行っていた疑いがある。
こうした問題のある会計処理は、第三者委がすでに、調査報告で指摘していた内容だ。
室町氏によると、第三者委の調査報告書の発表以降、内部通報が増加し、新たな問題の発覚につながったという。
しかし、第三者委の2カ月間にわたる調査などでは、不正会計の「うみ」を出し切れなかったとも言え、
同社の問題の根深さが、改めて浮き彫りになった形だ。
また、市場では、東芝が06年に買収した米原子力大手ウェスチングハウスが、十分な収益を上げていないとして、
会計上の価値を見直し、多額の損失を計上するのではとの懸念があった。
しかし、室町氏は、その可能性を否定した。
東芝は当初、31日に、経営監視体制の強化や、事業の立て直しなどに注力する姿勢をアピールしたかっただけに、
発表延期の釈明会見を余儀なくされた今回の事態は、同社の見通しの甘さを露呈した。
信頼回復の道のりは、ますます遠のいたと言える。
また、これまでも、同社の会見や資料の発表は、深夜に突然行われたり、予定時間より大幅に遅れたりするケースがあった。
今回も、発表再延期を明らかにしたのは、31日午後5時20分過ぎだった。
室町氏は会見で、
「前日の夜まで、何とか31日に(発表)できないかと(監査法人に)相談していたが、今朝の状況でやはり難しいと判断した」と説明した。
今回のドタバタ劇の背景には、決算発表を急いで信頼回復につなげたい東芝側と、正確性を最重視する監査法人との思惑の違いもありそうだ。
東芝の監査を担当してきた新日本監査法人は、一連の不正会計の発覚で、監査内容に対する批判が出ていることもあり、より厳格に対処しているとみられる。【小倉祥徳、片平知宏】
◇金融当局、責任追及へ
有価証券報告書の提出期限の再延長や、新たな不正会計とみられる問題の発覚で、市場の東芝に対する見方が厳しさを増すのは確実だ。
金融当局や東京証券取引所も、事態を重く見ており、東芝の会計監査を担当する新日本監査法人を含め、関係者の責任を厳しく追及する方針だ。
東京証券取引所によると、有価証券報告書の提出期限の再延長は、
新興株市場であるジャスダック上場の企業が、13年7月に1カ月あまり再延長した1件を除いて、近年では例がない。
東芝が上場している東証1部では、異例中の異例だ。
ある市場関係者は、
「有価証券報告書を提出後に再修正する事態を避けたかったのかもしれないが、あまりにもお粗末」と、東芝の対応にあきれていた。
東芝の株価は、3月下旬につけた今年の最高値(535円)から、一連の騒動の発端となった決算内容を調査すると発表した4月以降、300円台と3割近く下落した。
発表ごとに傷が広がることへの失望が広がっている。
今回の再延長は、自ら市場に約束した延長期限さえ守れなかった形で、金融当局幹部は、
「明らかに投資家の信頼を裏切る行為」と責任の重さを指摘する。
東証は近く、東芝を、社内管理体制に問題があるとして、投資家に注意を促す「特設注意市場銘柄」に指定する方針だ。
また、証券取引等監視委員会は、金融商品取引法に基づく課徴金を科すよう、金融庁に勧告する見通し。
金融庁内には、「監査の品質自体を厳しく問う必要がある」(幹部)との声が高まっており、
東芝の監査を担当する新日本監査法人の責任も、厳しく調べる構えだ。【和田憲二】
==============
◇東芝の不正会計問題を巡る主な動き
2月12日 証券取引等監視委員会から報告命令、開示検査を受ける
4月 3日 会長をトップに特別調査委員会を設置
5月 8日 2015年3月期決算発表の延期と第三者委員会の設置を表明
15日 初めて社長が記者会見し、陳謝
6月25日 定時株主総会で社長が経緯を説明し、陳謝
7月20日 第三者委が調査報告書を提出。組織的関与を認定
21日 歴代3社長らの引責辞任を発表
8月18日 室町会長兼社長が社長専任となり、社外取締役を増員する新たな経営体制などを発表
31日 15年3月期決算の発表を再延期
9月 7日 15年3月期決算を発表? 延期していた有価証券報告書の新たな提出期限
9月下旬? 臨時株主総会開催。新経営体制を提案
==============
原因は「複数の国内・海外子会社の会計処理の調査が必要となった」(室町会長兼社長)ため、とされています。
詳細が明らかにされていませんが、室町社長は、「米国子会社での水力(発電所)案件のコスト見直し」などと説明しています。
関連工事の原価総額を低く見積もって、損失の先送りや売り上げの過大計上を行っていた疑いがあるのです。
ただし、この「米国子会社」は、原子力産業であるウェスティング・ハウス社ではないと、東芝は言明しています。
原子力部門の低迷により、ウェスチング・ハウス社が十分な収益を上げていないとして、
東芝が会計上の価値を見直し、多額の損失を計上するのではとの懸念が広がっているがゆえの言及ですが、
今回の事態でますます、その疑念も深まらざるを得ないしょう。
このことは、東芝のみならず、日本企業全体の危機であるとも言えます。
おりしも、中国経済減速への懸念から、世界同時株安が進行していて、ものすごい幅の株の乱高下が続いていますが、
東芝の信用の失墜も、これを加速させているのは間違いありません。
事実、東芝株は、本年3月の最高値(535円)からどんどん下落を続けており、9月2日15時現在で、349円まで落ちています。
ちなみに、東芝がウェスティング・ハウスを買収するなど、原子力ルネッサンスに全面的に乗り出した時の最高値は1133円(2007年7月13日)。
しかし、直後のリーマンショックで、一時は230円まで下落(2009年2月20日)。
その後の粉飾決算で、浮上していたのでした。
東芝は、経団連会長などを出してきた会社ですから、大規模不正は、日本企業全体への不信を増幅せざるを得ない位置性を持っています。
僕はすでに、この東芝の大不正が、原発部門の破産によって生み出されてきたことを指摘し、以下の記事を配信しました。
↓↓↓
明日に向けて(1117)
東芝不正会計問題の背景にあるのは、原子力産業の瓦解だ!-1
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/6aa800a3bbf14bc67022035818f98209
主要部分をもう一度、ピックアップしておきます。
7月20日に行われた第三委員会の報告によると、
不正が行われたのは2008年度から2014年度第3四半期で、額は計1518億円に上るとされています。
自主チェック分を合わせて、利益のカサ上げは累計1562億円に上るとのこと。
この責任をとって、田中久雄社長、元社長の佐々木則夫副会長、西田厚聰(あつとし)相談役の歴代3社長が辞任。
さらに取締役16人中8人が辞任するという、異例の事態になりました。
背景にあったのは、
アメリカ・ブッシュジュニア政権が、2001年に「原子力ルネッサンス」を打ち出し、小泉政権がこれに飛びついたことでした。
もんじゅやJCO事故によって生み出されていた、原子力見直しの機運にふたをし、原子力推進に舵を切ったのでした。
これが原子力政策大綱とされ、2006年に、綜合資源エネルギー調査会原子力部会によって、「原子力立国計画」にまとめられました。
そこで謳われたのが、
既存原発の60年間運転、
2030年以後も、原発依存を30~40%以上に維持、
プルサーマル・再処理の推進。
さらに、
もんじゅの運転再開と高速増殖炉サイクル路線の推進、
核廃棄物処分場対策の推進、
原発輸出と「次世代原子炉」開発、
ウラン資源の確保、
原子力行政の再編と地元対策の強化、などなどでした。
原発輸出も、このときより国策とされたのでした。
原子力政策大綱
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/taikou/kettei/siryo1.pdf
原子力立国計画
http://www.enecho.meti.go.jp/topics/images/060901-keikaku.pdf
東芝は、この国策に全面的にコミットし、2006年に、米原子力大手のウェスチング・ハウス社を、
当時2000億円規模、高値でも3000億円と言われていたのに、なんと倍を越える6400億円強の価格をつけ、
三菱、日立をおさえて買収に成功したのでした。
この買収は、2005年6月に就任した西田社長のもとで行われましたが、
実際の仕切りを行ったのは、原子力部門を登りつめて、西田氏に次いで後に社長となった佐々木則夫専務(当時)だった、と言われています。
しかし、市場価値の倍の値を付けた購入によって、たちまち経営に重圧がかかりだしたところにリーマンショックに襲われ、業績が一気に悪化。
株価も1133円から230円まで落ちてしまいました。
東芝は、この時点で危機に陥り、不正による延命を始めたのでした。
もちろん東芝も、不正で一時期を凌ぎ、健全経営に戻ろうと考えていたのだと思います。
その切り札だったのが原子力部門でした。
もともと東芝は、アメリカGE社と組んで、沸騰水型原発を製造してきましたが、
新たに、加圧水型原発メーカーのウェスティング・ハウス社を傘下に収めることで、
双方の市場への進出を可能とし、輸出にも大きく踏み出して、業績を大きく延ばそうとしたのでした。
ところが、福島原発事故によって、完全にその展望が崩れてしまいました。
なぜか。
そもそも、事故を起こした福島2号機、3号機が、東芝製だったからです。
正確には、2号機はGEとの共同制作、3号機は純然たる東芝製でした。
このため、アメリカで進んでいた東芝製原発の建設が、中止に追い込まれました。
2009年2月25日に発注を発表した、「サウス・テキサス・プロジェクト」でした。
東芝にとっても日本にとっても、初めての原発輸出でした。
さらに、日本中の原発が停まってしまったために、点検料が入らなくなってしまったことも大きな打撃となりました。
このことは、世界の原子力産業全体にとっての大きなダメージとなり、東芝は、そのことでもますます苦境に入っていきました。
象徴的なことは、原子力発電の燃料となる濃縮ウランを供給している、アメリカのユーゼック(USEC)が、3月5日に経営破綻したことでした。
日本の民事再生法に当たる、連邦破産法の適用を申請しました。
ちなみに同社は、ウラン燃料の世界4大メーカーの一つでした。
日本の原発が停止したことで、濃縮ウラン燃料が売れずに、経営に行き詰まってしまったのです。
2010年に、日本は、濃縮ウランの輸入量約700トンのうち、約500トンをユーゼックに依存している状態だったので、当然の事態とも言えました。
実は、「原子力ルネッサンス」に社運をかけていた東芝は、このユーゼックにも出資していたのでした。
東芝は、ユーゼックの経営破綻当時、そこでの損益は少ないと発表しましたが、
トータルとしての原子力産業の展望の崩壊が示され、東芝の苦境が深まったのは間違いありません。
こうした苦境を東芝は、社内において、強引な販売促進を各部署に強いる「チャレンジ」を行って凌ごうとしていた、と報道されています。
経営難を、現場での強引な販売促進によって補おうをしたのですが、このことが、各部門での不正を促進したのでした。
達成不可能な営業目標を課せられた現場が、購入部品の請求次期をずらさせるなどして、架空の営業利益を計上するなどの操作が、常態化されてしまったのです。
このとき現場で行われた、上司によるハラスメントの実態の告発が、日経ビジネス誌上などで公開されています。
原子力部門の展望が失われたことを素直に認め、損失をきちんと計上し、方向転換していたら、こうはならなかったと思いますが、
企業戦略の失敗を認めずに、小手先で凌ごうとすることが、より同社を構造的な苦境に招いてきたと言えます。
それだけではありません。
このような構造的な不正を行う会社が、原発の製造メーカーであること自体が、私たちにとっての脅威なのです。
商いの基本である会計で、これだけの不正を犯す会社が、原発製造の場でだけ誠実だなどと言えるわけがないからです。
株式の売買の相手としての信用が失われ、上場を廃止されようとしている東芝に、原子力などという危険の塊を委ねておくわけにはいきません。
いや、こうした構造的に粉飾決算を行う会社だからこそ、未完の技術である原子力に「チャレンジ」できたのです。
そもそも、事故を起こした福島原発も東芝製であり、原発以外の製品であれば、当然にも製造者責任が問われていたのです。
東芝の作った原発のせいで、たくさんの人が被曝しているからです。
そのことに謝罪の一つもしないことからも、同社の不誠実性は明らかです。
いや、重大なことは、このことは原子力産業全体に通底することだということです。
産業の展望が失われているがゆえに、東芝の経営に歪みが生じ、それを糊塗して進もうとして不正を重ねたのですから、同じことは十分に、他社でも起こり得ます。
実際、三菱重工も、大変な経営難に突き当たりつつあります。
2012年に、アメリカのサンオノフレ原発2、3号機で、三菱製の蒸気発生器でトラブルが発生し、2013年6月に廃炉が決まったからです。
この蒸気発生器は、2009年と2010年に交換されたばかりのものでした。
このため、今年になって三菱重工は、なんと9300億円もの巨額の損害賠償を行えとアメリカ側に提訴されてしまいました。
三菱側が認めている過失は167億円で、あまりの開きがあります。
裁判の行方次第では、三菱も、一気に経営破綻に追い込まれる可能性があります。
私たちが見据えておかねばならないのは、
川内原発の再稼働が、こうした原子力産業・原子力村の構造的行き詰まり、
東芝の上場廃止という、「一流企業」としての消滅の危機の中で、強行されていることです。
とにもかくにも原発ゼロ状態を無くすことで、原子力産業の世界的衰退に歯止めをかけようとの意図が、明確に働いているのだと思えますが、
しかしそれは、戦略的展望を欠いた、だからこそあまりに危険なものでしかないのです。
確かな展望もないままに、既存産業の延命だけを求めて再稼働を行い、それを無理やり原発輸出につなげようとしているのであって、
その強引な構造は、当然にも、安全性の軽視に直結します。
いや、すでに直結しているがゆえに、「重大事故」=過酷事故が起こる可能性があると開き直りつつ、
避難対策などなんら施さないままに、川内原発の再稼働が行われてしまったのです。
しかも、誰も「安全性」を保証しない。
規制委員会は繰り返し、
「新規制基準に通ったからと言って、安全だとは言えない」と責任逃れをしており、
政府は、
「規制委員会が安全だと言った原発から動かす」と、意図的に、規制委員会の発言を無視しています。
再び、三度、嘘のかたまりであり、だからこそ深刻な事故が起きる可能性があります。
私たちはこの点をこそ、東芝の不正問題からしっかりとくみとっておく必要があります。
東芝不正問題のウォッチを続けます。
↑以上、転載おわり
さて、もう少しだけお付き合いください。
守田さんの記事中にもある、『小泉政権と原発』
小泉氏は、先の選挙で『脱原発宣言』なるものをし、世間をアッと驚かせました。
わたしも驚いた者のひとりですが、実はずっと、待ち続けていたことがありました。
それは、小泉氏の謝罪でした。
原発事故によって故郷を追われ、生活のすべてを奪われ、放射能汚染を被りながら生きているすべての人たちへの謝罪でした。
小泉氏の原発推進にかけたエネルギーの大きさを知れば知るほど、自らが犯した過ちが、いったいどれほどの被害をもたらしたかに言及しない彼の姿勢に、とても反感を覚えました。
そのことについて、とてもわかりやすくまとめてくださった方がいらっしゃいます。
竜 奇兵(りゅう・きへい)さんとおっしゃる方です。
2013年12月1日に書かれた記事より、その部分を引用させていただきます。
友への手紙――小泉純一郎「脱原発発言」の思惑を解明する~反原発闘争の軸はどこにあるのか(上)より
http://blog.goo.ne.jp/shiren-shinsayoku/e/7271a84819bd341f76ee8bc9664194df
↓以下引用はじめ
小泉政権(当時)は、「原子力政策大綱」を閣議決定(05年10月)し、その具体化である「原子力立国計画」を策定したのでした(06年6~8月)。
それは、小泉政権の、「骨太方針」の重要な柱の一つでした。
その中身は、
①既存原発を何と60年間も運転させること、
②危険性が明らかな老朽原発の稼働率を上げること、
③2030年以降も、原発依存を30~40パーセント以上に維持すること、つまり新規原発を建設すること、
④プルサーマル計画推進・六ヶ所再処理施設建設など、核燃料サイクルを戦略的に強化すること、
⑤「もんじゅ」の運転再開と、高速増殖炉サイクルを早期実現すること、
⑥核廃棄物の処分場を確保すること、
⑦三菱重工、東芝、日立など、原子力発電メーカーを念頭に置いて、それらの海外での原発建設と原発輸出へ、官民一体で「次世代原子炉」を開発すること、
⑧ウラン資源を確保すること、
⑨原子力行政の再編と、交付金増額による地元対策=買収を強化することなど、
実に恐ろしいものなのです。
そこでは、
「『中長期的にブレない』確固たる国家戦略と政策枠組みの確立」を謳って、
「原子力は市場にゆだねるだけで推進できるものではなく……原子力政策を『国家戦略」として推し進めるべきである」としています。
そして、
「国、電気事業者、メーカー間の建設的協力関係を深化」し、
「真のコミュニケーションを実現し、ビジョンを共有する」、
「米国、フランスと並んで三極の一極を担う」としたのです。
1950年代以来の日本の核原子力推進の流れの中で、原子力政策を露骨に「国家戦略」と明記したのは、これが初めてなのです。
いわゆる原子力村は、小泉政権時代に、強力なテコ入れで強化されてきたのです。
小泉構造改革のもう一つの要素が、原発政策だったのです。
つまり、こういうことです。
原発政策は、1979年のスリーマイル島原発事故以後、とくに1986年のチェルノブイリ原発事故以後、国際的には脱原発の動きが強まり、
また国内でも、福島第二原発事故(1989年)、福島第一原発事故(1990年)、美浜原発事故(1991年)、もんじゅナトリウム漏えい事故(1995年)、志賀原発臨界事故(1999年)、東海村JOC臨界事故(1999年)、浜岡原発事故(01年、02年)、東電のシュラウドひび割れ隠し事件(02年)、美浜原発事故(04年)など、
多発する原発事故のため、次々と原発が稼働停止となり、原発推進政策が困難に陥っていました。
各地の反原発運動が、怒りを燃やして広がっていったのです。
そうした状況を、まさしく逆転的に立て直そうとしたのが、小泉の無謀きわまりない原子力立国政策だったのです。
それをめぐっては、「原発ルネッサンス」という言葉さえ生まれたのでした。
加えてそれは、
アメリカが06年に「国際原子力エネルギーパートナーシップ」構想と銘うって、高速炉開発や原発の新設などを打ち出したことに参入し、呼応したものでした。
そのことで、アメリカから、再処理の核燃料サイクル推進のお墨付きをえて、
核兵器の原料=核物質であるプルトニウムを、国内で生産する国際的承認を得るものだったのです。
核戦争政策=原発政策の面で、日米同盟を推進するものだったのです。
なお、プルトニウムを原子炉(実際には軽水炉)の燃料に使用するプルサーマル方式は、技術的問題が解決しておらず、実効性が疑問視されていることは周知のところです。
毒性が高く、環境と人体にとってきわめて危険な物質なのです。
ですからプルトニウムは、現実には、核武装・核戦争以外に使い道がないのです。
したがって、今回の福島原発事故は、
小泉政権の国家的な原発推進政策のベースの上で、必然的に起こるべくして起こった核人災事故だったのです。
ですから、福島原発事故をもたらした重大な国家的犯罪者の一人が、小泉その人だということなのです。
小泉は、初期に原発導入を進めた正力松太郎や中曽根康弘、電源三法体制を築いた田中角栄に続き、
日本帝国主義の核原子力政策を強行してきた歴史的な国家的犯罪者として、断罪されなければならない存在なのです。
原発産業はもう、行き場のない、欠陥だらけの、止まっている間でさえ膨大な費用がかかる、世にも愚かなものです。
それほどにダメだからこそ、嘘をつき、誤魔化し、税金から吸い上げてきた金にものを言わせて恫喝し、有無を言わさぬ態度で強引に推し進めてきました。
社会の中のこの手の存在は、みな根っこで繋がっています。
その繋がりは、何も当人たちだけでなく、一般の、すっかり騙されてしまっている人たちによっても作られています。
だからなかなか改まらない。
けれども、日本はじわじわと変わり始めています。
ここアメリカは、その変化ということからいうと、日本には到底及びません。
国の成り立ちが違う、連邦と州との兼ね合いがある、何よりも軍が巨大化し過ぎている、
さらには、いろいろな条件や文化の違いもあるかもしれません。
でも、次から次へと戦争を仕掛ける者たちに、はっきりと、全国レベルで、ノーを突きつけることができないでいます。
ただそのかわり、町々の議会などに足を運ぶ人が多いし、議員と直接話し合いをする市民、というのも当たり前のようにいます。
あまりにも巨大な問題について、そうやって町単位で変えていき、それを州に反映させつつ連邦につなげる。
そういう方法を取っている場合も少なくありません。
それらの方法は、原発にも使われています。
もちろん、前々から言われている銃規制についても同じです。
モンサントも然り。
そして医療保険が抱えている深刻な問題についてもです。
でも、際立った効果が出たものはほんの一部で、だから日本の、国全体としての抗議行動は、本当に意味があると思います。
先日の全国一斉に行われた抗議行動の、どの写真を見ても、
そこに立つ方々ひとりひとりの思いが、その日だけの特別なものではなく、日々の暮らしの中で考えてきたものであり、
それをある人は用紙に書き、ある人はTシャツに印字し、ある人は声にして表している様子が写っていて、
本当に、本当に、ものすごく勇気付けられたし、嬉しかったのでした。
戦争法案の廃案を実現したら次はこれ。
建てられてしまった負の遺産『原発』をすべて、廃炉にしましょう。
もう『戦争法案』だけでヘトヘトなところでしょうけれども、そして学業が、仕事が、家事が、子育てがあるでしょうけれども、
そんな暮らしの中に溶け込んだ抗議行動を、これからも続けていけたら、日本はきっと、良い方向に舵を向けて船出ができると思います。
汚染地から動けないでいる人たちを、特に小さな子どもたちを、救い出さなければなりません。
汚染地に戻されようとしている人たちのことも、考えなければなりません。
沖縄の基地も、本土にある基地も、TPPも、モンサントも、ちゃんと報道や検証をしないマスコミのことも、
そして廃炉作業に従事してくださる方々の、環境整備と待遇改善のことも、
次から次へと出てくる、抗議しなければならないことの数々。
でもそれこそが、民主主義の正しい在り方なのだと思います。
たゆまない努力ではあるけれども、何も特別なことをしなくてもよいということに、気づき始めた人が増えてきました。
マスコミはもうあてにできません。
ならば、市民ひとりひとりが放送局になればいいのですよね。
どうかこの東芝の件についても、注意を払っていてください。
守田さんが、とてもわかりやすくまとめてくださいました。
紹介させていただきます。
沈みゆく原子力産業-東芝上場廃止か?(東芝不正会計問題を問う―2)
明日に向けて(1140)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/1f5f8b5a15ca9d5c209ffd515e1a3b7f
守田です。(2015902 16:00)
昨日1日に、東芝をめぐる大きなニュースが飛び込んできました。
不正会計問題による混乱が続く中、東芝が8月31日に、新たに調査が必要な問題が発覚したことを明らかにした、というのです。
このことで、この日に予定されていた2015年3月期の、有価証券報告書の政府への提出期限が守れなくなりました。
再提出期限は7日であり、これが守られなければなんと、東芝は株式市場への上場廃止という、決定的な危機を迎えます。
東芝はこれまで、経団連会長などを輩出してきた日本のトップ企業です。
原子力産業の中核でもあります。
その東芝が、商いの基本中の基本である決算発表ができないでおり、株式の取引の場から退場を求められる瀬戸際にあるのです。
以下、毎日新聞の以下の記事を軸に、問題のアウトラインをトレースしておきたいと思います。
決算発表再延期 東芝、信頼回復遠く 修正、見通し甘さ露呈
【毎日新聞・東京朝刊】2015年09月01日 東京朝刊
http://mainichi.jp/shimen/news/20150901ddm003020031000c.html
歴代3社長が辞任するなど、不正会計問題の混乱が続く東芝は8月31日、新たに調査が必要な問題が発覚したことを明らかにした。
7月に発表した第三者委員会の調査結果で、出し切ったはずの経営の「うみ」がまた表れた形で、調査そのものへの信頼がゆらぎかねない。
自ら31日に設定した、2015年3月期の有価証券報告書の政府への提出期限を守れなかったことで、
失った市場からの信頼回復は、更に難しくなった。
経団連会長など財界トップを輩出してきた名門、東芝は間違いなく「最大の危機」(室町正志会長兼社長)にある。
◇第三者委「うみ」出し切れず
8月31日に発表が予定されていた、2015年3月期決算の発表再延期の直接の原因は、
「複数の国内・海外子会社の会計処理の調査が必要となった」(室町会長兼社長)ためだ。
東芝は詳細を明らかにしていないが、室町氏は31日の記者会見で、
「米国子会社での水力(発電所)案件のコスト見直し」などと説明した。
関連工事の原価総額を低く見積もって、損失の先送りや、売り上げの過大計上を行っていた疑いがある。
こうした問題のある会計処理は、第三者委がすでに、調査報告で指摘していた内容だ。
室町氏によると、第三者委の調査報告書の発表以降、内部通報が増加し、新たな問題の発覚につながったという。
しかし、第三者委の2カ月間にわたる調査などでは、不正会計の「うみ」を出し切れなかったとも言え、
同社の問題の根深さが、改めて浮き彫りになった形だ。
また、市場では、東芝が06年に買収した米原子力大手ウェスチングハウスが、十分な収益を上げていないとして、
会計上の価値を見直し、多額の損失を計上するのではとの懸念があった。
しかし、室町氏は、その可能性を否定した。
東芝は当初、31日に、経営監視体制の強化や、事業の立て直しなどに注力する姿勢をアピールしたかっただけに、
発表延期の釈明会見を余儀なくされた今回の事態は、同社の見通しの甘さを露呈した。
信頼回復の道のりは、ますます遠のいたと言える。
また、これまでも、同社の会見や資料の発表は、深夜に突然行われたり、予定時間より大幅に遅れたりするケースがあった。
今回も、発表再延期を明らかにしたのは、31日午後5時20分過ぎだった。
室町氏は会見で、
「前日の夜まで、何とか31日に(発表)できないかと(監査法人に)相談していたが、今朝の状況でやはり難しいと判断した」と説明した。
今回のドタバタ劇の背景には、決算発表を急いで信頼回復につなげたい東芝側と、正確性を最重視する監査法人との思惑の違いもありそうだ。
東芝の監査を担当してきた新日本監査法人は、一連の不正会計の発覚で、監査内容に対する批判が出ていることもあり、より厳格に対処しているとみられる。【小倉祥徳、片平知宏】
◇金融当局、責任追及へ
有価証券報告書の提出期限の再延長や、新たな不正会計とみられる問題の発覚で、市場の東芝に対する見方が厳しさを増すのは確実だ。
金融当局や東京証券取引所も、事態を重く見ており、東芝の会計監査を担当する新日本監査法人を含め、関係者の責任を厳しく追及する方針だ。
東京証券取引所によると、有価証券報告書の提出期限の再延長は、
新興株市場であるジャスダック上場の企業が、13年7月に1カ月あまり再延長した1件を除いて、近年では例がない。
東芝が上場している東証1部では、異例中の異例だ。
ある市場関係者は、
「有価証券報告書を提出後に再修正する事態を避けたかったのかもしれないが、あまりにもお粗末」と、東芝の対応にあきれていた。
東芝の株価は、3月下旬につけた今年の最高値(535円)から、一連の騒動の発端となった決算内容を調査すると発表した4月以降、300円台と3割近く下落した。
発表ごとに傷が広がることへの失望が広がっている。
今回の再延長は、自ら市場に約束した延長期限さえ守れなかった形で、金融当局幹部は、
「明らかに投資家の信頼を裏切る行為」と責任の重さを指摘する。
東証は近く、東芝を、社内管理体制に問題があるとして、投資家に注意を促す「特設注意市場銘柄」に指定する方針だ。
また、証券取引等監視委員会は、金融商品取引法に基づく課徴金を科すよう、金融庁に勧告する見通し。
金融庁内には、「監査の品質自体を厳しく問う必要がある」(幹部)との声が高まっており、
東芝の監査を担当する新日本監査法人の責任も、厳しく調べる構えだ。【和田憲二】
==============
◇東芝の不正会計問題を巡る主な動き
2月12日 証券取引等監視委員会から報告命令、開示検査を受ける
4月 3日 会長をトップに特別調査委員会を設置
5月 8日 2015年3月期決算発表の延期と第三者委員会の設置を表明
15日 初めて社長が記者会見し、陳謝
6月25日 定時株主総会で社長が経緯を説明し、陳謝
7月20日 第三者委が調査報告書を提出。組織的関与を認定
21日 歴代3社長らの引責辞任を発表
8月18日 室町会長兼社長が社長専任となり、社外取締役を増員する新たな経営体制などを発表
31日 15年3月期決算の発表を再延期
9月 7日 15年3月期決算を発表? 延期していた有価証券報告書の新たな提出期限
9月下旬? 臨時株主総会開催。新経営体制を提案
==============
原因は「複数の国内・海外子会社の会計処理の調査が必要となった」(室町会長兼社長)ため、とされています。
詳細が明らかにされていませんが、室町社長は、「米国子会社での水力(発電所)案件のコスト見直し」などと説明しています。
関連工事の原価総額を低く見積もって、損失の先送りや売り上げの過大計上を行っていた疑いがあるのです。
ただし、この「米国子会社」は、原子力産業であるウェスティング・ハウス社ではないと、東芝は言明しています。
原子力部門の低迷により、ウェスチング・ハウス社が十分な収益を上げていないとして、
東芝が会計上の価値を見直し、多額の損失を計上するのではとの懸念が広がっているがゆえの言及ですが、
今回の事態でますます、その疑念も深まらざるを得ないしょう。
このことは、東芝のみならず、日本企業全体の危機であるとも言えます。
おりしも、中国経済減速への懸念から、世界同時株安が進行していて、ものすごい幅の株の乱高下が続いていますが、
東芝の信用の失墜も、これを加速させているのは間違いありません。
事実、東芝株は、本年3月の最高値(535円)からどんどん下落を続けており、9月2日15時現在で、349円まで落ちています。
ちなみに、東芝がウェスティング・ハウスを買収するなど、原子力ルネッサンスに全面的に乗り出した時の最高値は1133円(2007年7月13日)。
しかし、直後のリーマンショックで、一時は230円まで下落(2009年2月20日)。
その後の粉飾決算で、浮上していたのでした。
東芝は、経団連会長などを出してきた会社ですから、大規模不正は、日本企業全体への不信を増幅せざるを得ない位置性を持っています。
僕はすでに、この東芝の大不正が、原発部門の破産によって生み出されてきたことを指摘し、以下の記事を配信しました。
↓↓↓
明日に向けて(1117)
東芝不正会計問題の背景にあるのは、原子力産業の瓦解だ!-1
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/6aa800a3bbf14bc67022035818f98209
主要部分をもう一度、ピックアップしておきます。
7月20日に行われた第三委員会の報告によると、
不正が行われたのは2008年度から2014年度第3四半期で、額は計1518億円に上るとされています。
自主チェック分を合わせて、利益のカサ上げは累計1562億円に上るとのこと。
この責任をとって、田中久雄社長、元社長の佐々木則夫副会長、西田厚聰(あつとし)相談役の歴代3社長が辞任。
さらに取締役16人中8人が辞任するという、異例の事態になりました。
背景にあったのは、
アメリカ・ブッシュジュニア政権が、2001年に「原子力ルネッサンス」を打ち出し、小泉政権がこれに飛びついたことでした。
もんじゅやJCO事故によって生み出されていた、原子力見直しの機運にふたをし、原子力推進に舵を切ったのでした。
これが原子力政策大綱とされ、2006年に、綜合資源エネルギー調査会原子力部会によって、「原子力立国計画」にまとめられました。
そこで謳われたのが、
既存原発の60年間運転、
2030年以後も、原発依存を30~40%以上に維持、
プルサーマル・再処理の推進。
さらに、
もんじゅの運転再開と高速増殖炉サイクル路線の推進、
核廃棄物処分場対策の推進、
原発輸出と「次世代原子炉」開発、
ウラン資源の確保、
原子力行政の再編と地元対策の強化、などなどでした。
原発輸出も、このときより国策とされたのでした。
原子力政策大綱
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/taikou/kettei/siryo1.pdf
原子力立国計画
http://www.enecho.meti.go.jp/topics/images/060901-keikaku.pdf
東芝は、この国策に全面的にコミットし、2006年に、米原子力大手のウェスチング・ハウス社を、
当時2000億円規模、高値でも3000億円と言われていたのに、なんと倍を越える6400億円強の価格をつけ、
三菱、日立をおさえて買収に成功したのでした。
この買収は、2005年6月に就任した西田社長のもとで行われましたが、
実際の仕切りを行ったのは、原子力部門を登りつめて、西田氏に次いで後に社長となった佐々木則夫専務(当時)だった、と言われています。
しかし、市場価値の倍の値を付けた購入によって、たちまち経営に重圧がかかりだしたところにリーマンショックに襲われ、業績が一気に悪化。
株価も1133円から230円まで落ちてしまいました。
東芝は、この時点で危機に陥り、不正による延命を始めたのでした。
もちろん東芝も、不正で一時期を凌ぎ、健全経営に戻ろうと考えていたのだと思います。
その切り札だったのが原子力部門でした。
もともと東芝は、アメリカGE社と組んで、沸騰水型原発を製造してきましたが、
新たに、加圧水型原発メーカーのウェスティング・ハウス社を傘下に収めることで、
双方の市場への進出を可能とし、輸出にも大きく踏み出して、業績を大きく延ばそうとしたのでした。
ところが、福島原発事故によって、完全にその展望が崩れてしまいました。
なぜか。
そもそも、事故を起こした福島2号機、3号機が、東芝製だったからです。
正確には、2号機はGEとの共同制作、3号機は純然たる東芝製でした。
このため、アメリカで進んでいた東芝製原発の建設が、中止に追い込まれました。
2009年2月25日に発注を発表した、「サウス・テキサス・プロジェクト」でした。
東芝にとっても日本にとっても、初めての原発輸出でした。
さらに、日本中の原発が停まってしまったために、点検料が入らなくなってしまったことも大きな打撃となりました。
このことは、世界の原子力産業全体にとっての大きなダメージとなり、東芝は、そのことでもますます苦境に入っていきました。
象徴的なことは、原子力発電の燃料となる濃縮ウランを供給している、アメリカのユーゼック(USEC)が、3月5日に経営破綻したことでした。
日本の民事再生法に当たる、連邦破産法の適用を申請しました。
ちなみに同社は、ウラン燃料の世界4大メーカーの一つでした。
日本の原発が停止したことで、濃縮ウラン燃料が売れずに、経営に行き詰まってしまったのです。
2010年に、日本は、濃縮ウランの輸入量約700トンのうち、約500トンをユーゼックに依存している状態だったので、当然の事態とも言えました。
実は、「原子力ルネッサンス」に社運をかけていた東芝は、このユーゼックにも出資していたのでした。
東芝は、ユーゼックの経営破綻当時、そこでの損益は少ないと発表しましたが、
トータルとしての原子力産業の展望の崩壊が示され、東芝の苦境が深まったのは間違いありません。
こうした苦境を東芝は、社内において、強引な販売促進を各部署に強いる「チャレンジ」を行って凌ごうとしていた、と報道されています。
経営難を、現場での強引な販売促進によって補おうをしたのですが、このことが、各部門での不正を促進したのでした。
達成不可能な営業目標を課せられた現場が、購入部品の請求次期をずらさせるなどして、架空の営業利益を計上するなどの操作が、常態化されてしまったのです。
このとき現場で行われた、上司によるハラスメントの実態の告発が、日経ビジネス誌上などで公開されています。
原子力部門の展望が失われたことを素直に認め、損失をきちんと計上し、方向転換していたら、こうはならなかったと思いますが、
企業戦略の失敗を認めずに、小手先で凌ごうとすることが、より同社を構造的な苦境に招いてきたと言えます。
それだけではありません。
このような構造的な不正を行う会社が、原発の製造メーカーであること自体が、私たちにとっての脅威なのです。
商いの基本である会計で、これだけの不正を犯す会社が、原発製造の場でだけ誠実だなどと言えるわけがないからです。
株式の売買の相手としての信用が失われ、上場を廃止されようとしている東芝に、原子力などという危険の塊を委ねておくわけにはいきません。
いや、こうした構造的に粉飾決算を行う会社だからこそ、未完の技術である原子力に「チャレンジ」できたのです。
そもそも、事故を起こした福島原発も東芝製であり、原発以外の製品であれば、当然にも製造者責任が問われていたのです。
東芝の作った原発のせいで、たくさんの人が被曝しているからです。
そのことに謝罪の一つもしないことからも、同社の不誠実性は明らかです。
いや、重大なことは、このことは原子力産業全体に通底することだということです。
産業の展望が失われているがゆえに、東芝の経営に歪みが生じ、それを糊塗して進もうとして不正を重ねたのですから、同じことは十分に、他社でも起こり得ます。
実際、三菱重工も、大変な経営難に突き当たりつつあります。
2012年に、アメリカのサンオノフレ原発2、3号機で、三菱製の蒸気発生器でトラブルが発生し、2013年6月に廃炉が決まったからです。
この蒸気発生器は、2009年と2010年に交換されたばかりのものでした。
このため、今年になって三菱重工は、なんと9300億円もの巨額の損害賠償を行えとアメリカ側に提訴されてしまいました。
三菱側が認めている過失は167億円で、あまりの開きがあります。
裁判の行方次第では、三菱も、一気に経営破綻に追い込まれる可能性があります。
私たちが見据えておかねばならないのは、
川内原発の再稼働が、こうした原子力産業・原子力村の構造的行き詰まり、
東芝の上場廃止という、「一流企業」としての消滅の危機の中で、強行されていることです。
とにもかくにも原発ゼロ状態を無くすことで、原子力産業の世界的衰退に歯止めをかけようとの意図が、明確に働いているのだと思えますが、
しかしそれは、戦略的展望を欠いた、だからこそあまりに危険なものでしかないのです。
確かな展望もないままに、既存産業の延命だけを求めて再稼働を行い、それを無理やり原発輸出につなげようとしているのであって、
その強引な構造は、当然にも、安全性の軽視に直結します。
いや、すでに直結しているがゆえに、「重大事故」=過酷事故が起こる可能性があると開き直りつつ、
避難対策などなんら施さないままに、川内原発の再稼働が行われてしまったのです。
しかも、誰も「安全性」を保証しない。
規制委員会は繰り返し、
「新規制基準に通ったからと言って、安全だとは言えない」と責任逃れをしており、
政府は、
「規制委員会が安全だと言った原発から動かす」と、意図的に、規制委員会の発言を無視しています。
再び、三度、嘘のかたまりであり、だからこそ深刻な事故が起きる可能性があります。
私たちはこの点をこそ、東芝の不正問題からしっかりとくみとっておく必要があります。
東芝不正問題のウォッチを続けます。
↑以上、転載おわり
さて、もう少しだけお付き合いください。
守田さんの記事中にもある、『小泉政権と原発』
小泉氏は、先の選挙で『脱原発宣言』なるものをし、世間をアッと驚かせました。
わたしも驚いた者のひとりですが、実はずっと、待ち続けていたことがありました。
それは、小泉氏の謝罪でした。
原発事故によって故郷を追われ、生活のすべてを奪われ、放射能汚染を被りながら生きているすべての人たちへの謝罪でした。
小泉氏の原発推進にかけたエネルギーの大きさを知れば知るほど、自らが犯した過ちが、いったいどれほどの被害をもたらしたかに言及しない彼の姿勢に、とても反感を覚えました。
そのことについて、とてもわかりやすくまとめてくださった方がいらっしゃいます。
竜 奇兵(りゅう・きへい)さんとおっしゃる方です。
2013年12月1日に書かれた記事より、その部分を引用させていただきます。
友への手紙――小泉純一郎「脱原発発言」の思惑を解明する~反原発闘争の軸はどこにあるのか(上)より
http://blog.goo.ne.jp/shiren-shinsayoku/e/7271a84819bd341f76ee8bc9664194df
↓以下引用はじめ
小泉政権(当時)は、「原子力政策大綱」を閣議決定(05年10月)し、その具体化である「原子力立国計画」を策定したのでした(06年6~8月)。
それは、小泉政権の、「骨太方針」の重要な柱の一つでした。
その中身は、
①既存原発を何と60年間も運転させること、
②危険性が明らかな老朽原発の稼働率を上げること、
③2030年以降も、原発依存を30~40パーセント以上に維持すること、つまり新規原発を建設すること、
④プルサーマル計画推進・六ヶ所再処理施設建設など、核燃料サイクルを戦略的に強化すること、
⑤「もんじゅ」の運転再開と、高速増殖炉サイクルを早期実現すること、
⑥核廃棄物の処分場を確保すること、
⑦三菱重工、東芝、日立など、原子力発電メーカーを念頭に置いて、それらの海外での原発建設と原発輸出へ、官民一体で「次世代原子炉」を開発すること、
⑧ウラン資源を確保すること、
⑨原子力行政の再編と、交付金増額による地元対策=買収を強化することなど、
実に恐ろしいものなのです。
そこでは、
「『中長期的にブレない』確固たる国家戦略と政策枠組みの確立」を謳って、
「原子力は市場にゆだねるだけで推進できるものではなく……原子力政策を『国家戦略」として推し進めるべきである」としています。
そして、
「国、電気事業者、メーカー間の建設的協力関係を深化」し、
「真のコミュニケーションを実現し、ビジョンを共有する」、
「米国、フランスと並んで三極の一極を担う」としたのです。
1950年代以来の日本の核原子力推進の流れの中で、原子力政策を露骨に「国家戦略」と明記したのは、これが初めてなのです。
いわゆる原子力村は、小泉政権時代に、強力なテコ入れで強化されてきたのです。
小泉構造改革のもう一つの要素が、原発政策だったのです。
つまり、こういうことです。
原発政策は、1979年のスリーマイル島原発事故以後、とくに1986年のチェルノブイリ原発事故以後、国際的には脱原発の動きが強まり、
また国内でも、福島第二原発事故(1989年)、福島第一原発事故(1990年)、美浜原発事故(1991年)、もんじゅナトリウム漏えい事故(1995年)、志賀原発臨界事故(1999年)、東海村JOC臨界事故(1999年)、浜岡原発事故(01年、02年)、東電のシュラウドひび割れ隠し事件(02年)、美浜原発事故(04年)など、
多発する原発事故のため、次々と原発が稼働停止となり、原発推進政策が困難に陥っていました。
各地の反原発運動が、怒りを燃やして広がっていったのです。
そうした状況を、まさしく逆転的に立て直そうとしたのが、小泉の無謀きわまりない原子力立国政策だったのです。
それをめぐっては、「原発ルネッサンス」という言葉さえ生まれたのでした。
加えてそれは、
アメリカが06年に「国際原子力エネルギーパートナーシップ」構想と銘うって、高速炉開発や原発の新設などを打ち出したことに参入し、呼応したものでした。
そのことで、アメリカから、再処理の核燃料サイクル推進のお墨付きをえて、
核兵器の原料=核物質であるプルトニウムを、国内で生産する国際的承認を得るものだったのです。
核戦争政策=原発政策の面で、日米同盟を推進するものだったのです。
なお、プルトニウムを原子炉(実際には軽水炉)の燃料に使用するプルサーマル方式は、技術的問題が解決しておらず、実効性が疑問視されていることは周知のところです。
毒性が高く、環境と人体にとってきわめて危険な物質なのです。
ですからプルトニウムは、現実には、核武装・核戦争以外に使い道がないのです。
したがって、今回の福島原発事故は、
小泉政権の国家的な原発推進政策のベースの上で、必然的に起こるべくして起こった核人災事故だったのです。
ですから、福島原発事故をもたらした重大な国家的犯罪者の一人が、小泉その人だということなのです。
小泉は、初期に原発導入を進めた正力松太郎や中曽根康弘、電源三法体制を築いた田中角栄に続き、
日本帝国主義の核原子力政策を強行してきた歴史的な国家的犯罪者として、断罪されなければならない存在なのです。