10年前の、憲法記念日の前日に放送された、NHKの『その時歴史が動いた』。
「もう戦争はいやだ」
憲法九条 平和への闘争
1時間弱の放送を見て、1950年代の、政治家に翻弄される国民の様子の中に、今と似通ったところがたくさん見受けられたことに驚きました。
そして、吉田茂にせよ岸信介にせよ、国を立て直そうとする気持ちが根底にあったとはいえ、結局は、自らの野望と保身のために、戦勝国アメリカが出してくる条件を受け入れた。
そのことを、改めて認識しながら見たビデオでした。
戦争の放棄、戦力の不保持。
日本国憲法の平和主義は、世界でも類を見ない徹底したものでした。
そんな憲法を制定させておきながら、朝鮮戦争が勃発し、東西冷戦が激化してきた途端、一切の軍備を捨てた日本に再軍備を求めるアメリカ。
その要求を呑めば独立させてやる。
こんな独立は独立ではなかったのです。
その頃のことを、詳しく書いてくださった池田香代子さんのブログ記事を、ここに紹介させていただきます。
2010年11月17日
「沖縄に米軍基地があれば9条は変えなくていい」とマッカーサーは言った
href="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51500783.html"target="_blank">http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51500783.html
沖縄の米軍基地が、仮設のいわゆる「かまぼこ兵舎」から本格的な建造物に変わったのは、いつのことでしょうか。
それには、48年という年が、意味をもっているそうです。
戦後、冷戦がその相貌をあきらかにし始め、アメリカは、日本の軍備を考えるようになりました。
48年、ケナン国務省政策企画本部長が来日し、日本に軍備をもたせろとの米政府の方針を、マッカーサーに伝えます。
前年に、新憲法が施行されたばかりだというのに。
マッカーサーは、この本国からの指令に、異を唱えます。
「占領方針を変えることは、GHQの権威に傷がつく。
9条は歓迎されているので、もしも軍隊を創設するなら、アメリカが強制しなければならず、それは得策ではない」と。
マッカーサーは、それまで自分が行ってきた施策に、本国政府だろうが、口を挟まれたくなかったのでしょう。
「日本が軍隊をもたなくてもだいじょうぶだ」と、マッカーサーはケナンを説得します。
ダグラス・ラミスさんの新著『要石:沖縄と憲法9条』(晶文社)に書いてありました。
ここからは、直接この本から引用します。
マッカーサーは、
「なぜ大丈夫かというと、沖縄があるから」と言いました。
「沖縄に半永久的な基地をつくれば、沖縄から、米軍が軍事力で日本を守ることはできる」と。
「沖縄に大きな基地を作れば、日本の九条は変えなくてもいい」と言ったのです。
だから、マッカーサーの頭の中で、それからアメリカの政策の中で、
沖縄の米軍基地と日本の憲法九条は、同じ政策の裏表だと思っていたんです。
日本を「共産主義の脅威」から守るという米軍基地が、なぜ沖縄に構想されたのか。
それは地理的条件ではなく、当時沖縄がアメリカの施政権下にあって、基地がつくりやすかったという、政治的な条件がすべてだったことが、このエピソードから明らかです。
おそらくマッカーサーの頭には、47年9月に伝えられた、
「米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
米国による沖縄占領は、共産主義の影響を懸念する、日本国民の賛同も得られる」という、
昭和天皇の沖縄メッセージが、強烈にすり込まれていたことでしょう。
沖縄の米軍基地と憲法9条と天皇制は、敗戦直後、絶妙の政策ブレンドとして採用されたのです。
なんというグロテスクな歴史の現実でしょうか。
そして、51年の日米安保条約で、恒久的な(沖縄での)基地提供が法的な根拠を得、
50年代、日本各地で米軍基地反対の声が強まるにつれ、米軍が陸続と沖縄に移っていった、その流れの先端に、2010年は位置するわけです。
↑以上、転載おわり
そう、グロテスク…。
この言葉がぴったりだと思いました。
政治家と戦争屋はこうして、さまざまな国で、グロテスクな歴史を紡ぎ続けています。
そのグロテスクさを隠すために、金とウソをばら撒き散らし、わたしなどはまんまと騙されてきました。
ここ数日、ヘッドホンをして文字起こしをしていると、夫が横から、そういうのが一番疎外感を感じるのでやめてほしいと言われました。
わたしが何を聞き、何に一所懸命になっているのか、それが全く分からないと。
文字起こしをする時は大抵、何度も聞き直さなければなりません。
早口の人の話は特に、少し大きめの音量にして、止めては書き、また止めては書きという作業が続きます。
そういう音を聞くのは苦痛だろうと、こちらとしては気を遣っているつもりだったのですが、長い番組だったので時間がとてもかかったのも原因だったと思います。
いったいどうしてそんなことをしているのか。
それは仕事なのか。
仕事…そう言われて考え込んでしまいました。
今のわたしにとって、日本やアメリカ、そして耳や目に入ってくる国々の問題について考えることは、最早当たり前のことになりました。
考えるだけではなくて、考えたこと、知ったことを、ここに記しておくことも、やはり日常の中の一コマになりました。
こういうことをして、いったい何になるのか。何のためにやっているのか。
ここまできて、改めて気づいたことがあります。
もうそんなことを全く考えなくなった、ということです。
いったい何になるのか、何のためにやっているのか、そういうことが全く気にならないのです。
けれども、正直言うと、もちろん時間をかけてやるわけなので、普段の生活に大変なことが起こったり、とても忙しくなったりした時は、これさえなかったらもう少しは楽だろうに…などと思ったりもします。
でももう止まらないのです。
この感じを、中央公聴会に出席した奥田くんが、見事に表現してくれました。
「こんな不断の努力なくして、この国の憲法や民主主義、それらが機能しないことを自覚しているから」
「もう止まらない。すでに私たちの日常の一部になっている」
「政治のことを考えるのは仕事ではありません。この国に生きる個人としての不断の、そして当たり前の努力です」
前置きが長くなってすみません。
昨日15日の中央公聴会での、奥田愛基さん意見陳述全文です。
岩上さん率いるIWJのぎぎまきさんが、文字起こしをしてくださいました。
9月15日中央公聴会、奥田愛基さん意見陳述全文
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/264668
ご紹介に預かりました、大学生の奥田愛基といいます。
『SEALDs』という学生団体で活動しております。
すみません、こんなことを言うのは非常に申し訳ないのですが、
先ほどから寝ている方が沢山おられるので、もしよろしければお話を聞いていただければと思います。
僕も二日間くらい緊張して寝られなかったので、僕も帰って早く寝たいと思っているので、よろしくお願いします。
初めに、『SEALDs』とは、”Student Emergency Action for Liberal Democracy”。
日本語で言うと、『自由と民主主義のための学生緊急行動』です。
私たちは、特定の支持政党を持っていません。
無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を超えて繋がっています。
最初はたった数十人で、立憲主義の危機や、民主主義の問題を真剣に考え、5月に活動を開始しました。
その後、デモや勉強会、街宣活動などの行動を通じて、
私たちが考える、国のあるべき姿や未来について、日本社会に問いかけてきたつもりです。
こうした活動を通して、今日、貴重な機会をいただきました。
今日、私が話したいことは、3つあります。
1つは、今、全国各地で、どのようなことが起こっているか。
人々が、この安保法制に対して、どのように声を上げているか。
2つ目は、この安保法制に関して、現在の国会は、まともな議論の運営をしているとは言いがたく、あまりにも説明不足だということです。
端的に言って、このままでは、私たちはこの法案に関して、到底納得することができません。
3つ目は、政治家の方々への、私からのお願いです。
まず第一にお伝えしたいのは、私たち国民が感じている、安保法制に関する大きな危機感です。
この安保法制に対する疑問や反対の声は、現在でも、日本中で止みません。
つい先日も、国会前では、10万人を超える人が集まりました。
しかし、この行動はなにも、東京の、しかも国会前(だけ)で行われているわけではありません。
私たちが独自に、インターネットや新聞などで調査した結果、
日本全国2000ヶ所以上、数千回を超える抗議が行わわれています。
累計して、130万人以上の人が、路上に出て声をあげています。
この私たちが調査したものや、メディアに流れているもの以外にも、沢山の集会が、あの町でもこの町でも行われています。
まさに、全国各地で声があがり、人々が立ち上がっているのです。
また、声を上げずとも、疑問に思っている人は、その数十倍もいるでしょう。
強調しておきたいことがあります。
それは、私たちを含め、これまで政治的無関心と言われてきた若い世代が、動き始めているということです。
これは、誰かに言われたからとか、どこかの政治団体に所属しているからとか、いわゆる動員的な発想ではありませ
ん。
私たちは、この国の在り方について、この国の未来について、主体的に一人ひとり、個人として考え、立ち上がっているのです。
SEALDsとして活動を始めてから、誹謗中傷に近いものを含む、さまざまな批判の言葉を投げかけられました。
例えば、『騒ぎたいだけだ』とか、『若気の至り』だとか、そういった声があります。
他にも、『一般市民のくせにして、何を一生懸命になっているのか』というものもあります。
つまり、『お前は専門家でもなく学生なのに、もしくは主婦なのに、お前はサラリーマンなのに、フリーターなのに、なぜ声をあげるのか』ということです。
しかし、先ほどもご説明させていただきましたように、私たちは一人一人、個人として声をあげています。
不断の努力なくして、この国の憲法や民主主義、それらが機能しないことを、自覚しているからです。
『政治のことは、選挙で選ばれた政治家に任せておけばいい』。
この国にはどこか、そういう空気感があったように思います。
それに対し私、私たちこそが、この国の当事者、つまり主権者であること、
私たちが政治について考え声をあげることは、当たり前なんだということ、そう考えています。
その当たり前のことを当たり前にするために、これまでも声を上げてきました。
そして、2015年9月現在、今や、デモなんてものは珍しいものではありません。
路上に出た人々が、この社会の空気を変えていったのです。
デモや、至るところで行われた集会こそが、『不断の努力』です。
そうした行動の積み重ねが、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権といった、この国の憲法の理念を体現するものだ、と私は信じています。
私は、私たち一人ひとりが思考し、何が正しいのかを判断し声をあげることは、間違っていないと確信しています。
また、それこそが民主主義だと考えています。
安保法制に賛成している議員の方々も含め、戦争を好んでしたい人など、誰もいないはずです。
私は先日、予科練で、特攻隊の通信兵だった方と会ってきました。
70年前の夏、あの終戦の日、20歳だった方々は、今では90歳です。
ちょうど今の私や、SEALDsのメンバーの年齢で、戦争を経験し、そして、その後の混乱を生きてきた方々です。
そうした世代の方々も、この安保法制に対し、強い危惧を抱かれています。
私は、その声を、しっかりと受け止めたいと思います。
そして議員の方々も、どうか、そうした危惧や不安を、しっかり受け止めてほしいと思います。
今、これだけ不安や反対の声が広がり、説明不足が叫ばれる中での採決は、そうした思いを軽んじるものではないでしょうか。
70年の不戦の誓いを、裏切るものではないでしょうか。
今の反対のうねりは、世代を超えたものです。
70年間、この国の平和主義の歩みを、先の大戦で犠牲になった方々の思いを引き継ぎ、守りたい。
その思いが、私たちを繋げています。
私は今日、そのうちのたった一人として、ここで話をしています。
つまり、国会前の巨大な群像の中の一人として、国会にきています。
第二に、この法案の審議に関してです。
各世論調査の平均値を見たとき、初めから、過半数近い人々が反対していました。
そして、月を追うごと、反対世論は拡大しています。
『理解してもらうためにきちんと説明していく』と、現政府の方はおっしゃられておりました。
しかし、説明した結果、内閣支持率は落ち、反対世論は盛り上がり、この法案への賛成の意見は減りました。
選挙の時に、集団的自衛権に関してすでに説明した、とおっしゃる方々もいます。
しかしながら、自民党が出している重要政策集では、
アベノミクスに関しては、26ページ中8ページ近く説明されていましたが、
それに対して、安全保障関連法案に関しては、たった数行でしか書かれていません。
昨年の選挙でも、菅官房長官は、『集団的自衛権は争点ではない』と言っています。
さらに言えば、選挙の時に国民投票もせず、解釈で改憲するような、違憲で法的安定性もない、
そして、国会の答弁をきちんとできないような法案を作るなど、私たちは聞かされていません。
私には、政府は、法的安定性の説明することを、途中から放棄してしまったようにも思えます。
憲法とは国民の権利であり、それを無視することは、国民を無視するのと同義です。
また、本当に、与党の方々は、この法律が通ったらどんなことが起こるのか、理解しているのでしょうか、想定しているのでしょうか。
先日言っていた答弁とはまったく違う説明を、翌日に平然とし、野党からの質問に対しても、国会の審議は、何度も何度も速記が止まるような状況です。
このような状況で一体、どうやって国民は納得したらいいのでしょうか。
SEALDsは確かに注目を集めていますが、現在の安保法制に対して、その国民的な世論を、私たちが作り出したのではありません。
もしそう考えていられるのでしたら、それは、残念ながら過大評価だと思います。
私の考えでは、この状況を作っているのは紛れもなく、現在の与党のみなさんです。
つまり、安保法制に関する国会答弁を見て、首相の、テレビでの理解し難い例え話を見て、
不安を感じた人が国会前に足を運び、また、全国各地で声を上げ始めたのです。
ある金沢の主婦の方が、Facebookに書いた国会答弁の文字起こしは、瞬く間に1万人もの人にシェアされました。ただの国会答弁です。
普段なら見ないようなその書き起こしを、みんなが読みたがりました。
なぜなら、不安だったからです。
今年の夏までに、武力行使の拡大や集団的自衛権の行使の容認を、なぜしなければならなかったのか。
それは、人の生き死にに関わる法案で、これまで70年間、日本が行ってこなかったことでもあります。
一体なぜ、11個の法案を、2つにまとめて審議したか、その理由もよく分かりません。
ひとつひとつ審議しては、駄目だったのでしょうか。
まったく納得が行きません。
結局、説明をした結果、しかも国会の審議としては異例の、9月末まで延ばした結果、国民の理解を得られなかったのですから、もう、この議論の結論は出ています。
今国会での可決は無理です。
廃案にするしかありません。
私は毎週、国会前に立ち、この安保法制に対して、抗議活動を行ってきました。
そして、沢山の人々に出会ってきました。
その中には、自分のおじいちゃんやおばあちゃん世代の人や、親世代の人、そして最近では、自分の妹や弟のような人たちもいます。
確かに若者は、政治的に無関心だといわれています。
しかしながら、現在の政治状況に対して、どうやって彼らが、希望を持つことができるというのでしょうか。
関心が持てるというのでしょうか。
私や彼らがこれから生きていく世界は、相対的貧困が5人に1人といわれる、超格差社会です。
親の世代のような経済成長も、これからは期待できないでしょう。
今こそ、政治の力が必要なのです。
どうかこれ以上、政治に対して絶望をしてしまうような仕方で、議会を運営するのはやめてください。
何も、賛成からすべて反対に回れ、と言うのではありません。
私たちも、安全保障上の議論は、非常に大切なことを理解しています。
その点について異論はありません。
しかし、指摘されたこともまともに答えることができないその態度に、強い不信感を抱いているのです。
政治生命をかけた争いだとおっしゃいますが、政治生命と国民一人ひとりの生命を比べてはなりません。
与野党の皆さん、どうか、若者に希望を与える政治家でいてください。
国民の声に耳を傾けてください。
まさに、『義を見てせざるは勇なきなり』です。
政治のことをまともに考えることが、馬鹿らしいことだと思わせないでください。
現在の国会の状況を冷静に把握し、今国会での成立を断念することはできないのでしょうか。
世論の過半数を超える意見は、明確にこの法案に対し、今国会中の成立に反対しているのです。
自由と民主主義のために、この国の未来のために、どうかもう一度、考えなおしてはいただけないでしょうか。
私は単なる学生であり、政治家の先生方に比べ、このようなところで話すような立派な人間ではありません。
もっと言えば、この場でスピーチすることも、昨日から寝られないくらい緊張してきました。
政治家の先生方は、毎回、このようなプレッシャーに立ち向かっているのだと思うと、本当に頭が下がる思いです。
一票一票から国民の思いを受け、それを代表し、この国会という場所で毎回答弁をし、最後には投票により法案を審議する。
本当に本当に、大事なことであり、誰にでもできることではありません。
それは、貴方たちにしかできないことなのです。
では、なぜ私はここで話しているのか。
どうしても勇気をふり絞り、ここにこなくてはならないと思ったのか。
それには理由があります。
参考人として、ここにきてもいい人材なのか分かりませんが、参考にしてほしいことがあります。
ひとつ、仮にこの法案が、強行に採決されるようなことがあれば、全国各地で、これまで以上に声が上がるでしょう。
連日、国会前は人で溢れかえるでしょう。
次の選挙にも、もちろん影響を与えるでしょう。
当然、この法案に関する、野党の方々の態度も見ています。
本当に、できることはすべてやったのでしょうか。
私たちは決して、今の政治家の方の発言や態度を忘れません。
『三連休を挟めば忘れる』だなんて、国民を馬鹿にしないでください。
むしろ、そこからまた始まっていくのです。
新しい時代はもう始まっています。
もう止まらない。
すでに、私たちの日常の一部になっているのです。
私たちは学び、働き、食べて、寝て、そして、また路上で声を上げます。
できる範囲で、できることを、日常の中で。
私にとって、政治のことを考えるのは、仕事ではありません。
この国に生きる個人としての、不断の、そして当たり前の努力です。
私は、困難なこの4ヶ月の中で、そのことを実感することができました。
それが私にとっての希望です。
最後に、私からのお願いです。
SEALDsの一員ではなく、個人としての、一人の人間としてのお願いです。
どうか、どうか、政治家の先生たちも、個人でいてください。
政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の『個』であってください。
自分の信じる正しさに向かい、勇気を持って孤独に思考し、判断し、行動してください。
みなさんには、ひとりひとり、考える力があります。
権利があります。
政治家になった動機は、人それぞれ様々あるでしょうが、どうか、政治家とはどうあるべきなのかを考え、この国の民の意見を聞いてください。
勇気を振り絞り、ある種、賭けかもしれない、あなたにしかできないその尊い行動を取ってください。
日本国憲法はそれを保障し、何より日本国に生きる民、一人ひとり、そして私は、そのことを支持します。
困難な時代にこそ希望があることを信じて、私は、自由で民主的な社会を望み、この安全保障関連法案に反対します。
2015年9月15日、奥田愛基。
ありがとうございました。
「もう戦争はいやだ」
憲法九条 平和への闘争
1時間弱の放送を見て、1950年代の、政治家に翻弄される国民の様子の中に、今と似通ったところがたくさん見受けられたことに驚きました。
そして、吉田茂にせよ岸信介にせよ、国を立て直そうとする気持ちが根底にあったとはいえ、結局は、自らの野望と保身のために、戦勝国アメリカが出してくる条件を受け入れた。
そのことを、改めて認識しながら見たビデオでした。
戦争の放棄、戦力の不保持。
日本国憲法の平和主義は、世界でも類を見ない徹底したものでした。
そんな憲法を制定させておきながら、朝鮮戦争が勃発し、東西冷戦が激化してきた途端、一切の軍備を捨てた日本に再軍備を求めるアメリカ。
その要求を呑めば独立させてやる。
こんな独立は独立ではなかったのです。
その頃のことを、詳しく書いてくださった池田香代子さんのブログ記事を、ここに紹介させていただきます。
2010年11月17日
「沖縄に米軍基地があれば9条は変えなくていい」とマッカーサーは言った
href="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51500783.html"target="_blank">http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51500783.html
沖縄の米軍基地が、仮設のいわゆる「かまぼこ兵舎」から本格的な建造物に変わったのは、いつのことでしょうか。
それには、48年という年が、意味をもっているそうです。
戦後、冷戦がその相貌をあきらかにし始め、アメリカは、日本の軍備を考えるようになりました。
48年、ケナン国務省政策企画本部長が来日し、日本に軍備をもたせろとの米政府の方針を、マッカーサーに伝えます。
前年に、新憲法が施行されたばかりだというのに。
マッカーサーは、この本国からの指令に、異を唱えます。
「占領方針を変えることは、GHQの権威に傷がつく。
9条は歓迎されているので、もしも軍隊を創設するなら、アメリカが強制しなければならず、それは得策ではない」と。
マッカーサーは、それまで自分が行ってきた施策に、本国政府だろうが、口を挟まれたくなかったのでしょう。
「日本が軍隊をもたなくてもだいじょうぶだ」と、マッカーサーはケナンを説得します。
ダグラス・ラミスさんの新著『要石:沖縄と憲法9条』(晶文社)に書いてありました。
ここからは、直接この本から引用します。
マッカーサーは、
「なぜ大丈夫かというと、沖縄があるから」と言いました。
「沖縄に半永久的な基地をつくれば、沖縄から、米軍が軍事力で日本を守ることはできる」と。
「沖縄に大きな基地を作れば、日本の九条は変えなくてもいい」と言ったのです。
だから、マッカーサーの頭の中で、それからアメリカの政策の中で、
沖縄の米軍基地と日本の憲法九条は、同じ政策の裏表だと思っていたんです。
日本を「共産主義の脅威」から守るという米軍基地が、なぜ沖縄に構想されたのか。
それは地理的条件ではなく、当時沖縄がアメリカの施政権下にあって、基地がつくりやすかったという、政治的な条件がすべてだったことが、このエピソードから明らかです。
おそらくマッカーサーの頭には、47年9月に伝えられた、
「米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
米国による沖縄占領は、共産主義の影響を懸念する、日本国民の賛同も得られる」という、
昭和天皇の沖縄メッセージが、強烈にすり込まれていたことでしょう。
沖縄の米軍基地と憲法9条と天皇制は、敗戦直後、絶妙の政策ブレンドとして採用されたのです。
なんというグロテスクな歴史の現実でしょうか。
そして、51年の日米安保条約で、恒久的な(沖縄での)基地提供が法的な根拠を得、
50年代、日本各地で米軍基地反対の声が強まるにつれ、米軍が陸続と沖縄に移っていった、その流れの先端に、2010年は位置するわけです。
↑以上、転載おわり
そう、グロテスク…。
この言葉がぴったりだと思いました。
政治家と戦争屋はこうして、さまざまな国で、グロテスクな歴史を紡ぎ続けています。
そのグロテスクさを隠すために、金とウソをばら撒き散らし、わたしなどはまんまと騙されてきました。
ここ数日、ヘッドホンをして文字起こしをしていると、夫が横から、そういうのが一番疎外感を感じるのでやめてほしいと言われました。
わたしが何を聞き、何に一所懸命になっているのか、それが全く分からないと。
文字起こしをする時は大抵、何度も聞き直さなければなりません。
早口の人の話は特に、少し大きめの音量にして、止めては書き、また止めては書きという作業が続きます。
そういう音を聞くのは苦痛だろうと、こちらとしては気を遣っているつもりだったのですが、長い番組だったので時間がとてもかかったのも原因だったと思います。
いったいどうしてそんなことをしているのか。
それは仕事なのか。
仕事…そう言われて考え込んでしまいました。
今のわたしにとって、日本やアメリカ、そして耳や目に入ってくる国々の問題について考えることは、最早当たり前のことになりました。
考えるだけではなくて、考えたこと、知ったことを、ここに記しておくことも、やはり日常の中の一コマになりました。
こういうことをして、いったい何になるのか。何のためにやっているのか。
ここまできて、改めて気づいたことがあります。
もうそんなことを全く考えなくなった、ということです。
いったい何になるのか、何のためにやっているのか、そういうことが全く気にならないのです。
けれども、正直言うと、もちろん時間をかけてやるわけなので、普段の生活に大変なことが起こったり、とても忙しくなったりした時は、これさえなかったらもう少しは楽だろうに…などと思ったりもします。
でももう止まらないのです。
この感じを、中央公聴会に出席した奥田くんが、見事に表現してくれました。
「こんな不断の努力なくして、この国の憲法や民主主義、それらが機能しないことを自覚しているから」
「もう止まらない。すでに私たちの日常の一部になっている」
「政治のことを考えるのは仕事ではありません。この国に生きる個人としての不断の、そして当たり前の努力です」
前置きが長くなってすみません。
昨日15日の中央公聴会での、奥田愛基さん意見陳述全文です。
岩上さん率いるIWJのぎぎまきさんが、文字起こしをしてくださいました。
9月15日中央公聴会、奥田愛基さん意見陳述全文
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/264668
ご紹介に預かりました、大学生の奥田愛基といいます。
『SEALDs』という学生団体で活動しております。
すみません、こんなことを言うのは非常に申し訳ないのですが、
先ほどから寝ている方が沢山おられるので、もしよろしければお話を聞いていただければと思います。
僕も二日間くらい緊張して寝られなかったので、僕も帰って早く寝たいと思っているので、よろしくお願いします。
初めに、『SEALDs』とは、”Student Emergency Action for Liberal Democracy”。
日本語で言うと、『自由と民主主義のための学生緊急行動』です。
私たちは、特定の支持政党を持っていません。
無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を超えて繋がっています。
最初はたった数十人で、立憲主義の危機や、民主主義の問題を真剣に考え、5月に活動を開始しました。
その後、デモや勉強会、街宣活動などの行動を通じて、
私たちが考える、国のあるべき姿や未来について、日本社会に問いかけてきたつもりです。
こうした活動を通して、今日、貴重な機会をいただきました。
今日、私が話したいことは、3つあります。
1つは、今、全国各地で、どのようなことが起こっているか。
人々が、この安保法制に対して、どのように声を上げているか。
2つ目は、この安保法制に関して、現在の国会は、まともな議論の運営をしているとは言いがたく、あまりにも説明不足だということです。
端的に言って、このままでは、私たちはこの法案に関して、到底納得することができません。
3つ目は、政治家の方々への、私からのお願いです。
まず第一にお伝えしたいのは、私たち国民が感じている、安保法制に関する大きな危機感です。
この安保法制に対する疑問や反対の声は、現在でも、日本中で止みません。
つい先日も、国会前では、10万人を超える人が集まりました。
しかし、この行動はなにも、東京の、しかも国会前(だけ)で行われているわけではありません。
私たちが独自に、インターネットや新聞などで調査した結果、
日本全国2000ヶ所以上、数千回を超える抗議が行わわれています。
累計して、130万人以上の人が、路上に出て声をあげています。
この私たちが調査したものや、メディアに流れているもの以外にも、沢山の集会が、あの町でもこの町でも行われています。
まさに、全国各地で声があがり、人々が立ち上がっているのです。
また、声を上げずとも、疑問に思っている人は、その数十倍もいるでしょう。
強調しておきたいことがあります。
それは、私たちを含め、これまで政治的無関心と言われてきた若い世代が、動き始めているということです。
これは、誰かに言われたからとか、どこかの政治団体に所属しているからとか、いわゆる動員的な発想ではありませ
ん。
私たちは、この国の在り方について、この国の未来について、主体的に一人ひとり、個人として考え、立ち上がっているのです。
SEALDsとして活動を始めてから、誹謗中傷に近いものを含む、さまざまな批判の言葉を投げかけられました。
例えば、『騒ぎたいだけだ』とか、『若気の至り』だとか、そういった声があります。
他にも、『一般市民のくせにして、何を一生懸命になっているのか』というものもあります。
つまり、『お前は専門家でもなく学生なのに、もしくは主婦なのに、お前はサラリーマンなのに、フリーターなのに、なぜ声をあげるのか』ということです。
しかし、先ほどもご説明させていただきましたように、私たちは一人一人、個人として声をあげています。
不断の努力なくして、この国の憲法や民主主義、それらが機能しないことを、自覚しているからです。
『政治のことは、選挙で選ばれた政治家に任せておけばいい』。
この国にはどこか、そういう空気感があったように思います。
それに対し私、私たちこそが、この国の当事者、つまり主権者であること、
私たちが政治について考え声をあげることは、当たり前なんだということ、そう考えています。
その当たり前のことを当たり前にするために、これまでも声を上げてきました。
そして、2015年9月現在、今や、デモなんてものは珍しいものではありません。
路上に出た人々が、この社会の空気を変えていったのです。
デモや、至るところで行われた集会こそが、『不断の努力』です。
そうした行動の積み重ねが、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権といった、この国の憲法の理念を体現するものだ、と私は信じています。
私は、私たち一人ひとりが思考し、何が正しいのかを判断し声をあげることは、間違っていないと確信しています。
また、それこそが民主主義だと考えています。
安保法制に賛成している議員の方々も含め、戦争を好んでしたい人など、誰もいないはずです。
私は先日、予科練で、特攻隊の通信兵だった方と会ってきました。
70年前の夏、あの終戦の日、20歳だった方々は、今では90歳です。
ちょうど今の私や、SEALDsのメンバーの年齢で、戦争を経験し、そして、その後の混乱を生きてきた方々です。
そうした世代の方々も、この安保法制に対し、強い危惧を抱かれています。
私は、その声を、しっかりと受け止めたいと思います。
そして議員の方々も、どうか、そうした危惧や不安を、しっかり受け止めてほしいと思います。
今、これだけ不安や反対の声が広がり、説明不足が叫ばれる中での採決は、そうした思いを軽んじるものではないでしょうか。
70年の不戦の誓いを、裏切るものではないでしょうか。
今の反対のうねりは、世代を超えたものです。
70年間、この国の平和主義の歩みを、先の大戦で犠牲になった方々の思いを引き継ぎ、守りたい。
その思いが、私たちを繋げています。
私は今日、そのうちのたった一人として、ここで話をしています。
つまり、国会前の巨大な群像の中の一人として、国会にきています。
第二に、この法案の審議に関してです。
各世論調査の平均値を見たとき、初めから、過半数近い人々が反対していました。
そして、月を追うごと、反対世論は拡大しています。
『理解してもらうためにきちんと説明していく』と、現政府の方はおっしゃられておりました。
しかし、説明した結果、内閣支持率は落ち、反対世論は盛り上がり、この法案への賛成の意見は減りました。
選挙の時に、集団的自衛権に関してすでに説明した、とおっしゃる方々もいます。
しかしながら、自民党が出している重要政策集では、
アベノミクスに関しては、26ページ中8ページ近く説明されていましたが、
それに対して、安全保障関連法案に関しては、たった数行でしか書かれていません。
昨年の選挙でも、菅官房長官は、『集団的自衛権は争点ではない』と言っています。
さらに言えば、選挙の時に国民投票もせず、解釈で改憲するような、違憲で法的安定性もない、
そして、国会の答弁をきちんとできないような法案を作るなど、私たちは聞かされていません。
私には、政府は、法的安定性の説明することを、途中から放棄してしまったようにも思えます。
憲法とは国民の権利であり、それを無視することは、国民を無視するのと同義です。
また、本当に、与党の方々は、この法律が通ったらどんなことが起こるのか、理解しているのでしょうか、想定しているのでしょうか。
先日言っていた答弁とはまったく違う説明を、翌日に平然とし、野党からの質問に対しても、国会の審議は、何度も何度も速記が止まるような状況です。
このような状況で一体、どうやって国民は納得したらいいのでしょうか。
SEALDsは確かに注目を集めていますが、現在の安保法制に対して、その国民的な世論を、私たちが作り出したのではありません。
もしそう考えていられるのでしたら、それは、残念ながら過大評価だと思います。
私の考えでは、この状況を作っているのは紛れもなく、現在の与党のみなさんです。
つまり、安保法制に関する国会答弁を見て、首相の、テレビでの理解し難い例え話を見て、
不安を感じた人が国会前に足を運び、また、全国各地で声を上げ始めたのです。
ある金沢の主婦の方が、Facebookに書いた国会答弁の文字起こしは、瞬く間に1万人もの人にシェアされました。ただの国会答弁です。
普段なら見ないようなその書き起こしを、みんなが読みたがりました。
なぜなら、不安だったからです。
今年の夏までに、武力行使の拡大や集団的自衛権の行使の容認を、なぜしなければならなかったのか。
それは、人の生き死にに関わる法案で、これまで70年間、日本が行ってこなかったことでもあります。
一体なぜ、11個の法案を、2つにまとめて審議したか、その理由もよく分かりません。
ひとつひとつ審議しては、駄目だったのでしょうか。
まったく納得が行きません。
結局、説明をした結果、しかも国会の審議としては異例の、9月末まで延ばした結果、国民の理解を得られなかったのですから、もう、この議論の結論は出ています。
今国会での可決は無理です。
廃案にするしかありません。
私は毎週、国会前に立ち、この安保法制に対して、抗議活動を行ってきました。
そして、沢山の人々に出会ってきました。
その中には、自分のおじいちゃんやおばあちゃん世代の人や、親世代の人、そして最近では、自分の妹や弟のような人たちもいます。
確かに若者は、政治的に無関心だといわれています。
しかしながら、現在の政治状況に対して、どうやって彼らが、希望を持つことができるというのでしょうか。
関心が持てるというのでしょうか。
私や彼らがこれから生きていく世界は、相対的貧困が5人に1人といわれる、超格差社会です。
親の世代のような経済成長も、これからは期待できないでしょう。
今こそ、政治の力が必要なのです。
どうかこれ以上、政治に対して絶望をしてしまうような仕方で、議会を運営するのはやめてください。
何も、賛成からすべて反対に回れ、と言うのではありません。
私たちも、安全保障上の議論は、非常に大切なことを理解しています。
その点について異論はありません。
しかし、指摘されたこともまともに答えることができないその態度に、強い不信感を抱いているのです。
政治生命をかけた争いだとおっしゃいますが、政治生命と国民一人ひとりの生命を比べてはなりません。
与野党の皆さん、どうか、若者に希望を与える政治家でいてください。
国民の声に耳を傾けてください。
まさに、『義を見てせざるは勇なきなり』です。
政治のことをまともに考えることが、馬鹿らしいことだと思わせないでください。
現在の国会の状況を冷静に把握し、今国会での成立を断念することはできないのでしょうか。
世論の過半数を超える意見は、明確にこの法案に対し、今国会中の成立に反対しているのです。
自由と民主主義のために、この国の未来のために、どうかもう一度、考えなおしてはいただけないでしょうか。
私は単なる学生であり、政治家の先生方に比べ、このようなところで話すような立派な人間ではありません。
もっと言えば、この場でスピーチすることも、昨日から寝られないくらい緊張してきました。
政治家の先生方は、毎回、このようなプレッシャーに立ち向かっているのだと思うと、本当に頭が下がる思いです。
一票一票から国民の思いを受け、それを代表し、この国会という場所で毎回答弁をし、最後には投票により法案を審議する。
本当に本当に、大事なことであり、誰にでもできることではありません。
それは、貴方たちにしかできないことなのです。
では、なぜ私はここで話しているのか。
どうしても勇気をふり絞り、ここにこなくてはならないと思ったのか。
それには理由があります。
参考人として、ここにきてもいい人材なのか分かりませんが、参考にしてほしいことがあります。
ひとつ、仮にこの法案が、強行に採決されるようなことがあれば、全国各地で、これまで以上に声が上がるでしょう。
連日、国会前は人で溢れかえるでしょう。
次の選挙にも、もちろん影響を与えるでしょう。
当然、この法案に関する、野党の方々の態度も見ています。
本当に、できることはすべてやったのでしょうか。
私たちは決して、今の政治家の方の発言や態度を忘れません。
『三連休を挟めば忘れる』だなんて、国民を馬鹿にしないでください。
むしろ、そこからまた始まっていくのです。
新しい時代はもう始まっています。
もう止まらない。
すでに、私たちの日常の一部になっているのです。
私たちは学び、働き、食べて、寝て、そして、また路上で声を上げます。
できる範囲で、できることを、日常の中で。
私にとって、政治のことを考えるのは、仕事ではありません。
この国に生きる個人としての、不断の、そして当たり前の努力です。
私は、困難なこの4ヶ月の中で、そのことを実感することができました。
それが私にとっての希望です。
最後に、私からのお願いです。
SEALDsの一員ではなく、個人としての、一人の人間としてのお願いです。
どうか、どうか、政治家の先生たちも、個人でいてください。
政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の『個』であってください。
自分の信じる正しさに向かい、勇気を持って孤独に思考し、判断し、行動してください。
みなさんには、ひとりひとり、考える力があります。
権利があります。
政治家になった動機は、人それぞれ様々あるでしょうが、どうか、政治家とはどうあるべきなのかを考え、この国の民の意見を聞いてください。
勇気を振り絞り、ある種、賭けかもしれない、あなたにしかできないその尊い行動を取ってください。
日本国憲法はそれを保障し、何より日本国に生きる民、一人ひとり、そして私は、そのことを支持します。
困難な時代にこそ希望があることを信じて、私は、自由で民主的な社会を望み、この安全保障関連法案に反対します。
2015年9月15日、奥田愛基。
ありがとうございました。