ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

いろいろいきものがたり

2015年09月08日 | ひとりごと
今から6年前のこと。
インターネットの売り家サイトで、毎日100件ほどの(これは誇張ではございませぬ)家を検索しては、気になる所を翌日の午前中に見に行くという、
なんとも気の遠くなるようなことをコツコツと続けていた。
何軒か、ほとんど買いそうになった家もある。
でも、どうしてもピアノを教える環境とは思えなかったり、土の中に埋められたオイルタンクに穴が空いていてものすごい汚染が生じているのを見つけたり、
それでまた一から出直し…そんな毎日が1年近く続いていて、さすがのわたしももう限界かもしれないと思った頃に、

この階段、いいなあ…という家が目に入った。

ただそれだけで、とりあえずその家の住所を調べ、翌日にこっそり、わたしひとりで見に行った。
その時は4月で、その家のお向かえでは、小ぶりだけれど、それはそれはのびのびと枝を張った桜の木が、見事な満開を迎えていた。
もちろん家の中には入れなかったけれども、その家のすぐ横の、多分その家のものらしき庭には、カエデの巨大な老木が天に向かって静かにそびえ立っていた。
わたしはその桜とカエデの木に一目惚れして、よし、この家に住もうと心に決めた。

無念なことに、家は横の庭と別々に売られていて、わたしたちの甲斐性ではどうしても買うことができなかった。
その隣の土地は、ある不動産業を営む男性が手に入れて、『空き地売ります』の看板が立てられた。
わたしはひたすら、誰にも売れるな~誰も買うな~と祈るしかなかった。
毎日外に出ては、カエデの爺さんのゴツゴツした肌を撫で、爺さんが切り倒されないように頑張るからねと話しかけた。
でもわたしがいくら頑張っても、その日が来たらそれまでだということを、カエデの爺さんはとっくの昔からお見通しだと分かってもいた。

業者が草刈りに来るのを見てはドキリとし、見知らぬ人たちが土地の中を歩き回るのを見てはとうとうか…とやるせない気持ちになり、
そんなふうに気を揉みながら見守るという毎日が、気がつくともう6年も経っていた。
看板はどんどん薄汚くなり、台風や嵐が通り過ぎるたびに、通りからは見えない所に吹き飛ばされていたり倒れていたりした。
それをもちろんわたしは喜んで、このまま気がつかずにいればいいのに、などと願ったりした。
この夏、突如その看板が撤去され、新たな、とてもオフィシャルな、見栄えの良い看板が立てられた。
イヤな予感がした。

実はこの土地は、美しい庭として、ご近所さんにとっても気になる場所だった。
前に一度、皆と一緒に町議会に通った時に、カエデ爺さんに寄せるわたしの熱い思いを知ったケリーが、特に気をつけてくれるようになった。
その彼女が発起人となり、町の役人を巻き込んだミーティングが、夏のはじめに開かれた。

もうこうなったら土地を町に買ってもらい、公共の広場として使えるようにできないか、というのがミーティングのテーマだった。
そのミーティングでは、一番の当事者としての(土地を挟んだ家に住む)わたしたちとエステラ&ロバート夫妻の意見が、最も尊重されることになった。
わたしと夫は、その土地が公共の広場になることに反対ではなかったが、エステラは絶対にそれはイヤだと明言した。
そのテーブルでの反対はエステラひとりだったけれども、だからこそ尊重しなければならないと、皆がそう思いながら散会となった。
正直言うと、わたしはとてもがっかりした。
彼女さえ賛成してくれたら…と思いながら、カエデの爺さんにその日の報告をしに行った。
カエデの爺さんは、もちろん何も言わなかったけれども、「なるようになる、それでいい」と、木肌にくっつけた耳に聞こえたような気がした。

そして…。

今、わたしたち2軒の夫婦は、なんとその土地のオーナーとして、次々に差し出される書類にサインをしている。
それぞれの思い、考え、願いを話し合っているうちに、じゃあ一緒に買おうか、ということになったのだ。
それはもう、なんともいえない、月並みな言葉になってしまうけれども、運命としかいえない流れだった。
ここに骨を埋めると(多分法律では許されないのだろうけれども)決めたわたしとエステラというふたりの女が、隣同士で暮らし始めたという運命。
決めてから値段の交渉が始まった。
わたしたちの希望価格はあっという間に却下され、それからはジリジリと、互いの様子を伺いながらの交渉だった。
最後に手を打った価格は、わたしと夫がこれ以上は出さないと決めた金額を2倍しても届かず、ああこれでおしまいかと観念しかけた時、
「足りない分を余分に出してもいいよ」と、エステラとロバートが言ってくれた。
わたしは、カエデの爺さんが生き長らえることさえできたらそれでいいので、土地がちょうど半分得られなくても全然かまわなかった。
もうだから、ありがたくて嬉しくて、エステラにガバリと抱きついてお礼を言った。

ということで、今後は一切、カエデ爺さんの命を心配することはなくなった。
エステラは早速、木のお医者さんに連絡して、爺さんの健康状態を調べてもらおうと言ってきた。
土地だけなのだからと油断していたら、地質検査、手続き料、弁護士料などなど、あれよあれよという間に費用が嵩んでいく。
夏のこの時期のこの出費はめちゃくちゃ痛い。
だけど同時に、働き甲斐が出てきたという感がして、しんどいけれども清々しい。
半分こにするけれど、境界なんて気にしないで、一緒に庭を造っていこうね。
エステラとわたしは、数年後の庭を目に浮かべながら、ウキウキと話を弾ませる。
いろんなガッカリが続いた今年の夏の嬉しいこと。


でも、現実はなかなかに厳しい。
例の台所の天井に空けた穴は、いまだにこの通り、しっかり空いたままである。


空いているだけではなくて、なんの前置きもなく、埃やチリや、時には当たるとけっこう痛いコンクリートの塊が落ちてくる。

さらに、
壁の反対側にあるピアノ部屋の天井にも、夫が穴を空けると言いだしたので、わたしは慌てて物を退けた。


その面倒なことったら。
黒い棚にぎっしり詰まっている大量のピアノの本や細かな飾り物を、まずはピアノの上に移動させ、


その上にカバーをかけて、細かくて白い埃から守ろうとした。


カバーをかける前の一瞬に、もうこの方が…。


追い出すと今度はこっちに。


そんなことをする勇気が無いこの方は、


と思いきや、いきなりピアノの上から襲い掛かかられてしまった。


エイ!ボカスカ!


ちょっと君、いい加減にしたまえ。


にゃにおぉ~、ちょっと年上やからって偉そうに!


あ、すんません、聞かんかったことにしといてんか。


と、喧嘩もするけど、すぐに仲直り。


ふたりしてこの方にからかわれている。(ほぼ毎日)



話が横道にそれた。
夏のレッスンが少ない間に、なんとか終えてしまいたかった水道管のやり直し工事。
何人かの配管工に見積もりに来てもらう。
来ると一応調子良く、「⚪︎⚪︎に来るように言っとくよ」とか、「工事の予定は明後日と明々後日の二日にしよう」とか言って帰って行くのだけれども、
その後はそれっきり何の連絡も無く、誰も来ないし工事も始まらない。
そのことに呆れてわたしが文句を言うと、夫は決まって、「夏はこんなもんだ」とか「彼らだってこの時期に無理はしたくないだろう」などと言う。
いや、それならばそれでいいから、守れもしない約束や、工事の予定を言わないで欲しい。
こっちだって、必要でもないのに片付けたり、埃除けのためのテープを貼ったりなんかしたくない。
というわけで、ふた部屋の天井に穴が空き、埃や塊が静かに、時にはゴトンと落ちてくる毎日が、もう1週間も続いている。
そして、二階の新しい(はずの)浴室は、全く使えないままである。


うちの今年の一番さんは桃。

梅よりちょびっと大きいぐらいのチビ桃さんだけど、木で熟しているのでとても甘い。
来年はちゃんと勉強して、ちゃんと世話するね。

そしてこの方々。なぜかみんな同じサイズ。


今年は畑を真面目に世話しなかった。なのにスイカさんがメキメキとおっきくなっている。ありがたやありがたや。


なんだなんだ?


海ちゃんが仰向けで、バンザイして寝ていた…。





夏がかけ足で去っていこうとしている証拠に、夜が早くやって来る。
ちょっと前はまだ、昼間みたいに明るかった8時過ぎが、もうこんなに真っ暗。
そんな真っ暗な裏庭の片隅で、まなっちゃんが何やら始め出した。


花のある暮らし。FLOWER for EVERYTHINGというサイトを立ち上げた彼女。
また何かアイディアが浮かんだのかな?


ものすごく頑張っているのに、今だプー太郎続行中の次男くん。


この夏は誰よりも、君が一番ストレスフルだった。
でもメゲずに、平常心を保てているのは見事だと思う。
トーナメントにも勝った。
そろそろ出てくるよ、これまでのことがつながった良い結果が。
そう信じて焦らずに、けれども疲れたら休憩して、クサクサしてきたら息抜きもして、自分が納得できる、好きになれる仕事を見つけてね。