今から10年前に、NHKで放送された『その時歴史が動いた“憲法施行60年特集”』を観ました。
そして、10年経った今、わたしたちが闘っているものについて、理解が深まったような気がします。
文字起こしは得意ではないし、dailymotionの動画はここにアップロードできないので写真をコマ撮りしなければならないし、
などと言い訳して、ズルズルと先延ばしをしていましたが、日本で、いろんな町や村で、そして自宅や職場で頑張ってくださっている皆さんの姿に励まされ、よぉっし!と始めました。
文字制限があるので、何部かに分けて紹介させていただきます。
『その時歴史が動いた』
憲法九条 平和への闘争
~1950年代 改憲・護憲論~
【NHK 2007年5月2日放送】
昭和20年、大きな犠牲を残して、戦争は終りました。
終戦から2年後の昭和22年5月3日、日本はひとつの宣言をします。
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― 日本国憲法 第9条です ―
戦争の放棄、戦力の不保持。
その平和主義は、世界でも類を見ない徹底したものでした。
しかし、その理念は、施行後すぐに揺らぎはじめます。
朝鮮戦争の勃発、東西冷戦の激化に伴い、アメリカは、一切の軍備を捨てた日本に、再軍備を求めます。
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時の総理大臣・吉田茂は、日本の独立を果たすため、要求を受け入れます。
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保安隊、さらに自衛隊の創設。
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軍備の増強が進められました。
しかし、9条との矛盾の深まりは、2つの政治勢力の対立を生み出します。
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一方は、9条の改正を目指す「改憲」勢力です。憲法で、軍備を明確に認める。
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憲法で、軍備を明確に認める。
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もう一方は、9条を守ろうとする「護憲」勢力です。
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平和憲法を守り抜く。
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そんな中、改憲を目指す、岸信介(きしのぶすけ)を首班とする内閣が成立。
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岸は、改憲への布石として、日米安全保障条約の改定による、防衛力強化を目指します。
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しかしその頃、核実験や、米軍駐留に反対する、反戦運動が拡がります。
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国民の間に、憲法9条の理念が、定着しつつありました。
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岸が進める安保改定は、国民の戦争への不安に火をつけます。
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国会はデモ隊に包まれ、全国で数千万の市民が声をあげるのです。
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― もう戦争はいやだ ―
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特集・その時歴史が動いた。
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今日は憲法9条をめぐり、「改憲」「護憲」論争が火花を散らせた、激動の時代を見つめます。
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松平アナウンサー:
こんばんは、みなさん、松平です。
明日は憲法記念日です。
それも、施行60年という節目の年の憲法記念日。
その前夜にお届けする、『その時歴史が動いた』。
今夜は憲法がテーマです。
それも、あの憲法9条ですね、ここにございますけれども、
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第1項で、国権の発動たる戦争、武力の行使を、永久に放棄する。
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第2項で、陸海空軍その他の戦力を保持しない。国の交戦権は、これを認めないという、
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あの憲法第9条を正面に据えて、これから時間も拡大して1時間、お伝えしていこうというふうに思っております。
この番組では、この憲法60年の歴史の中で、ある一時期にスポットを当てます。
13年という、ある一時期ですね。
何の13年かといいますと、憲法が施行された昭和22年1947年から、いわゆる60年安保闘争があった昭和35年までの13年間、
この13年の間に、日本を二分する論争が生まれた。
従って、その13年を見ることは、憲法9条の意義・課題を考える上で、極めてヒントになるだろうというふうに思うからでございます。
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で、この国を二分した論争といいますのは、
ひとつは、軍備をきちんと憲法に明記して、そのためには憲法9条を改正すべきだという改憲論、
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もうひとつは、あれは平和憲法なんだから、どうしても守らなければいけないんだという護憲論、でございます。
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この改憲・護憲の憲法論争こそ、この今なお燃え盛り続いている憲法9条問題の、まさに原点だというふうに考えられるからでございます。
さあ、『今日のその時』は、昭和35年(1960年)の9月7日といたしました。
この日は、誕生間もない池田内閣が、新しい政策を発表した。
その時に、池田(当時の)総理が、「憲法改正はいま考えていない」と公言した、その日その時でございます。
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どのような経緯でこの発言が行われたのか、その背景を探ること、そしてこの発言が、その後の事態にどういう意味を持つことになるのか、ということをこれから見てまいりますけれども、
まずは、この憲法9条が、戦後初めて成立した、そのあたりから今日は番組を起こしていきたいと考えます。
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「本日、日本国憲法を交付せしめた」
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昭和21年11月3日、戦後日本の新たな枠組みを示す法典が交付されました。
日本国憲法です。
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その内容は、それまでの国の在り方を大きく変換させるものでした。
象徴天皇制、国民主権、そして、戦争放棄を定めた第9条です。
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その徹底した平和主義は、当時世界でも類を見ない理想をうたったものでした。
しかし、9条が生まれたのは、先の戦争に対する反省だけではありませんでした。
戦争放棄を新憲法の条文にするよう指示したのは、日本を占領していたGHQの最高司令官、ダグラス・マッカーサーです。
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当時日本は、戦時中に被害を与えた国々から、戦争責任を厳しく追及されていました。
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その矛先は、日本軍の最高責任者、天皇に向けられます。
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しかしマッカーサーは、占領政策を混乱なく遂行する上で、天皇の存在を必要としていました。
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「天皇を起訴すれば、日本人の間に激しい動揺を起こすだろう」(マッカーサーの書簡より)
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マッカーサーは、海外の天皇訴追要求をかわすため、新憲法で『戦争放棄』、そして『戦力の不保持』まで明確に示そうとしたのです。
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時の総理大臣、吉田茂の言葉です。
「敗戦の今日においては、如何にして国家を救い、如何にして皇室の安泰を図るか」(貴族院答弁より)
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日本政府は、天皇制を存続させるために、戦争放棄を受け入れたのです。
国会では、新憲法案が審議され、吉田は、戦争放棄の内容について問われます。
吉田は、この条文が、『自衛権』、つまり「自国を守るための戦争さえも放棄するものだ」と明言しました。
昭和21年10月7日、新憲法案は圧倒的多数で可決。
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ここに、憲法9条は誕生したのです。
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新しい憲法を国民に普及させるため、解説書が作られました。
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『あたらしい憲法のはなし』は、学校の副読本として、また、『新しい憲法・明るい生活』は、地域や家庭に配られました。
「我々はもう戦争をしない」
「まったくはだか身となって平和を守る」
しかし、平和を守るとはいかなることか、深く議論されることなく定められた9条は、世界情勢の変化の中で、いきなり試練に晒されます。
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新憲法が施行された昭和22年、世界では、ソ連率いる共産主義陣営と、アメリカを中心とする自由主義陣営の争いが始まります。
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東西冷戦です。
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昭和25年6月、朝鮮戦争が勃発。
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アメリカは、国連軍として参戦しました。
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冷戦の戦火は、ついに日本の対岸まで迫ったのです。
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(昭和25年)10月6日、日本の海上保安庁の掃海艇20隻が、朝鮮半島に向けて密かに出航します。
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目的は、北朝鮮軍によって敷設された機雷の除去。
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北朝鮮の元山に上陸作戦を計画していた、アメリカ軍からの要請に応じた派遣でした。
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要請を受けたのは、海上保安庁長官・大久保武雄です。
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大久保はすぐに、吉田の判断を仰ぎます。
その時の吉田の反応を、大久保さんは生前、次のように語っています。
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「戦争の行われております前線に出動するんですからね、しかも国内的にもかなり、いろんな深刻な影響を与えて騒然となってもいけないという、まあいう、おもんばかりだと思いますけれども、
『これ大久保君、極秘だよ、極秘でやってくれ』と…」
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吉田が極秘に進めようとしたのは、このことが、戦争の放棄を掲げる憲法9条に抵触する可能性があったからです。
しかし、派遣された掃海艇の壁が機雷に触れて、爆発する事故が起こります。
乗組員のひとり、中谷坂太郎さんは、この時21才の若さで命を落としました。
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数日後、中谷さんの実家に、アメリカ軍の将校と海上保安庁の職員が訪ねてきました。
兄の藤一さんは、その話を聞いて驚きました。
「出来ることならですね、瀬戸内海の掃海作業中に機雷に触雷して、お宅の息子さんが殉職したと、こういうことにしてもらえないだろうかと」
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「もう口外してはまかりならんぞと、そういう半強制的な箝口令が敷かれたわけですね」
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なぜ吉田は、こうまでして、9条抵触の恐れのあるアメリカの要請を受け入れたのか。
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実はその頃吉田は、日本の独立に向けた講和交渉を控えていました。
その鍵を握るのはアメリカ。
要請を拒めば有利な講和条件を得られないと、考えたからです。
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しかし、アメリカとの講和交渉が始まると、吉田は愕然とします。
全権大使のダレスは、講和の条件として、日本に再軍備を求めてきたのです。
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冷戦が進む中で、アメリカは日本を、アジアの共産勢力の拡大を防ぐ、反共の砦と位置付けました。
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そのため、憲法9条により、戦力を放棄されたこれまでの対日政策を、180度転換したのです。
しかし吉田は、これを拒否します。
再軍備となれば、掃海艇の場合とは異なり、国民に隠し通せないからでした。
交渉は行き詰まり、遠のく日本の独立。
吉田は苦渋の末に、ダレスに伝えます。
「総数5万人にのぼる、陸・海の保安部隊を創設する」
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かつて、自衛権さえも放棄すると明言した吉田は、アメリカに従い、ついに再軍備を決断したのです。
昭和26年、1951年9月、サンフランシスコで講和条約が結ばれ、日本は独立を果たします。
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この時、日米二国間で、日本の再軍備と米軍の駐留を約束した、日米安全保証条約も結ばれました。
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アメリカとの約束を履行すべく、吉田は昭和27年、11万人からなる保安隊の組織、
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そして2年後の昭和29年には、陸海空の、近代的軍備を備えた自衛隊を発足させます。
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軍備増強のたびに、国会で激しく追求される吉田。
内閣として、次のように答弁します。
「保安隊については、警察上の組織」
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「自衛隊については、戦力に至らしめない軍隊」
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戦力の不保持をうたった憲法9条2項と、軍備増強の整合性をつけるため、吉田は苦しい解釈を重ねていくのです。
それは、池田内閣が、改憲・護憲論争に終止符を打つ、6年前のことでした。
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スタジオ
松平アナウンサー:
今日はこのスタジオに、おふたりのゲストをお招きしております。
まず、憲法史がご専門の獨協大学教授の古関彰一さんでいらっしゃいます。どうぞよろしくお願いいたします。
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もうひと方、外交史がご専門の、大阪大教授の坂元一哉さんでいらっしゃいます。どうぞよろしくお願いいたします。
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まず古関さん、マッカーサー、あるいは吉田茂、この二人の意図とは、どんなところにあったのですか。
古関氏:
海外では、昭和天皇の戦争責任の追求というのは、かなり厳しく論ぜられていたわけですね。
そういった中でマッカーサーは、昭和天皇の戦争責任をできるだけ無くすためには、再び日本が他国の脅威にならない、憲法9条ですけれども、
そういうことをはっきりとした形で打ち出す、それが必要だというふうに考えます。
とにかく天皇制を残すということができたわけで、日本の政府の考え方と一致した。
そういう背景でできましたから、(憲法9条を作るにあたり)戦争に対する深い反省とか、あるいは平和への決意というものを十分持ったうえで作ってこなかったといいましょうか、不十分であったというふうに私はみております。
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松平アナウンサー:
坂元さん、その世の中は東西冷戦時代に入っていくと。
この中で日米両国、とりわけ日本政府・吉田茂は、この憲法9条とどう整合性を持たせたか、どういうふうに考えていらっしゃいますか。
坂元氏:
吉田は憲法改正の必要を認めません。
改正ではなくて解釈でと。
つまり「軍事はもうこりごり」という国民の世論、あるいは対外に軍国主義復活を警戒する声があると。
それに、経済復興を優先しておりました。
それに配慮した結果でした。
「憲法9条は自衛権を否定していない」という解釈で、そのもとで自衛隊を作るわけです。
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しかしそれは、憲法9条は自衛権も否定しているんだという、過去の自分の国会答弁とは矛盾するわけですね。
ただこの吉田は、国会答弁の中で、「自衛権というようなものは、国連のような国際的な平和団体がうまく動くようになればいらないんだ」ということも言っているんですね。
しかし実際には、国連は期待通りには動かなかったわけです。
松平アナウンサー:
憲法9条のもとで再軍備を進める吉田に対して、国民から批判が寄せられる。
そしてそれは、憲法施行後6年後、政治の舞台に、新たな動きを生み出すことになるのであります。
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この続きはまた後日。
そして、10年経った今、わたしたちが闘っているものについて、理解が深まったような気がします。
文字起こしは得意ではないし、dailymotionの動画はここにアップロードできないので写真をコマ撮りしなければならないし、
などと言い訳して、ズルズルと先延ばしをしていましたが、日本で、いろんな町や村で、そして自宅や職場で頑張ってくださっている皆さんの姿に励まされ、よぉっし!と始めました。
文字制限があるので、何部かに分けて紹介させていただきます。
『その時歴史が動いた』
憲法九条 平和への闘争
~1950年代 改憲・護憲論~
【NHK 2007年5月2日放送】
昭和20年、大きな犠牲を残して、戦争は終りました。
終戦から2年後の昭和22年5月3日、日本はひとつの宣言をします。
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― 日本国憲法 第9条です ―
戦争の放棄、戦力の不保持。
その平和主義は、世界でも類を見ない徹底したものでした。
しかし、その理念は、施行後すぐに揺らぎはじめます。
朝鮮戦争の勃発、東西冷戦の激化に伴い、アメリカは、一切の軍備を捨てた日本に、再軍備を求めます。
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時の総理大臣・吉田茂は、日本の独立を果たすため、要求を受け入れます。
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保安隊、さらに自衛隊の創設。
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軍備の増強が進められました。
しかし、9条との矛盾の深まりは、2つの政治勢力の対立を生み出します。
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一方は、9条の改正を目指す「改憲」勢力です。憲法で、軍備を明確に認める。
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憲法で、軍備を明確に認める。
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もう一方は、9条を守ろうとする「護憲」勢力です。
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平和憲法を守り抜く。
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そんな中、改憲を目指す、岸信介(きしのぶすけ)を首班とする内閣が成立。
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岸は、改憲への布石として、日米安全保障条約の改定による、防衛力強化を目指します。
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しかしその頃、核実験や、米軍駐留に反対する、反戦運動が拡がります。
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国民の間に、憲法9条の理念が、定着しつつありました。
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岸が進める安保改定は、国民の戦争への不安に火をつけます。
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国会はデモ隊に包まれ、全国で数千万の市民が声をあげるのです。
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― もう戦争はいやだ ―
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特集・その時歴史が動いた。
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今日は憲法9条をめぐり、「改憲」「護憲」論争が火花を散らせた、激動の時代を見つめます。
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松平アナウンサー:
こんばんは、みなさん、松平です。
明日は憲法記念日です。
それも、施行60年という節目の年の憲法記念日。
その前夜にお届けする、『その時歴史が動いた』。
今夜は憲法がテーマです。
それも、あの憲法9条ですね、ここにございますけれども、
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第1項で、国権の発動たる戦争、武力の行使を、永久に放棄する。
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第2項で、陸海空軍その他の戦力を保持しない。国の交戦権は、これを認めないという、
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あの憲法第9条を正面に据えて、これから時間も拡大して1時間、お伝えしていこうというふうに思っております。
この番組では、この憲法60年の歴史の中で、ある一時期にスポットを当てます。
13年という、ある一時期ですね。
何の13年かといいますと、憲法が施行された昭和22年1947年から、いわゆる60年安保闘争があった昭和35年までの13年間、
この13年の間に、日本を二分する論争が生まれた。
従って、その13年を見ることは、憲法9条の意義・課題を考える上で、極めてヒントになるだろうというふうに思うからでございます。
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で、この国を二分した論争といいますのは、
ひとつは、軍備をきちんと憲法に明記して、そのためには憲法9条を改正すべきだという改憲論、
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もうひとつは、あれは平和憲法なんだから、どうしても守らなければいけないんだという護憲論、でございます。
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この改憲・護憲の憲法論争こそ、この今なお燃え盛り続いている憲法9条問題の、まさに原点だというふうに考えられるからでございます。
さあ、『今日のその時』は、昭和35年(1960年)の9月7日といたしました。
この日は、誕生間もない池田内閣が、新しい政策を発表した。
その時に、池田(当時の)総理が、「憲法改正はいま考えていない」と公言した、その日その時でございます。
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どのような経緯でこの発言が行われたのか、その背景を探ること、そしてこの発言が、その後の事態にどういう意味を持つことになるのか、ということをこれから見てまいりますけれども、
まずは、この憲法9条が、戦後初めて成立した、そのあたりから今日は番組を起こしていきたいと考えます。
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「本日、日本国憲法を交付せしめた」
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昭和21年11月3日、戦後日本の新たな枠組みを示す法典が交付されました。
日本国憲法です。
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その内容は、それまでの国の在り方を大きく変換させるものでした。
象徴天皇制、国民主権、そして、戦争放棄を定めた第9条です。
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その徹底した平和主義は、当時世界でも類を見ない理想をうたったものでした。
しかし、9条が生まれたのは、先の戦争に対する反省だけではありませんでした。
戦争放棄を新憲法の条文にするよう指示したのは、日本を占領していたGHQの最高司令官、ダグラス・マッカーサーです。
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当時日本は、戦時中に被害を与えた国々から、戦争責任を厳しく追及されていました。
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その矛先は、日本軍の最高責任者、天皇に向けられます。
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しかしマッカーサーは、占領政策を混乱なく遂行する上で、天皇の存在を必要としていました。
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「天皇を起訴すれば、日本人の間に激しい動揺を起こすだろう」(マッカーサーの書簡より)
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マッカーサーは、海外の天皇訴追要求をかわすため、新憲法で『戦争放棄』、そして『戦力の不保持』まで明確に示そうとしたのです。
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時の総理大臣、吉田茂の言葉です。
「敗戦の今日においては、如何にして国家を救い、如何にして皇室の安泰を図るか」(貴族院答弁より)
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日本政府は、天皇制を存続させるために、戦争放棄を受け入れたのです。
国会では、新憲法案が審議され、吉田は、戦争放棄の内容について問われます。
吉田は、この条文が、『自衛権』、つまり「自国を守るための戦争さえも放棄するものだ」と明言しました。
昭和21年10月7日、新憲法案は圧倒的多数で可決。
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ここに、憲法9条は誕生したのです。
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新しい憲法を国民に普及させるため、解説書が作られました。
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『あたらしい憲法のはなし』は、学校の副読本として、また、『新しい憲法・明るい生活』は、地域や家庭に配られました。
「我々はもう戦争をしない」
「まったくはだか身となって平和を守る」
しかし、平和を守るとはいかなることか、深く議論されることなく定められた9条は、世界情勢の変化の中で、いきなり試練に晒されます。
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新憲法が施行された昭和22年、世界では、ソ連率いる共産主義陣営と、アメリカを中心とする自由主義陣営の争いが始まります。
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東西冷戦です。
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昭和25年6月、朝鮮戦争が勃発。
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アメリカは、国連軍として参戦しました。
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冷戦の戦火は、ついに日本の対岸まで迫ったのです。
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(昭和25年)10月6日、日本の海上保安庁の掃海艇20隻が、朝鮮半島に向けて密かに出航します。
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目的は、北朝鮮軍によって敷設された機雷の除去。
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北朝鮮の元山に上陸作戦を計画していた、アメリカ軍からの要請に応じた派遣でした。
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要請を受けたのは、海上保安庁長官・大久保武雄です。
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大久保はすぐに、吉田の判断を仰ぎます。
その時の吉田の反応を、大久保さんは生前、次のように語っています。
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「戦争の行われております前線に出動するんですからね、しかも国内的にもかなり、いろんな深刻な影響を与えて騒然となってもいけないという、まあいう、おもんばかりだと思いますけれども、
『これ大久保君、極秘だよ、極秘でやってくれ』と…」
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吉田が極秘に進めようとしたのは、このことが、戦争の放棄を掲げる憲法9条に抵触する可能性があったからです。
しかし、派遣された掃海艇の壁が機雷に触れて、爆発する事故が起こります。
乗組員のひとり、中谷坂太郎さんは、この時21才の若さで命を落としました。
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数日後、中谷さんの実家に、アメリカ軍の将校と海上保安庁の職員が訪ねてきました。
兄の藤一さんは、その話を聞いて驚きました。
「出来ることならですね、瀬戸内海の掃海作業中に機雷に触雷して、お宅の息子さんが殉職したと、こういうことにしてもらえないだろうかと」
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「もう口外してはまかりならんぞと、そういう半強制的な箝口令が敷かれたわけですね」
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なぜ吉田は、こうまでして、9条抵触の恐れのあるアメリカの要請を受け入れたのか。
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実はその頃吉田は、日本の独立に向けた講和交渉を控えていました。
その鍵を握るのはアメリカ。
要請を拒めば有利な講和条件を得られないと、考えたからです。
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しかし、アメリカとの講和交渉が始まると、吉田は愕然とします。
全権大使のダレスは、講和の条件として、日本に再軍備を求めてきたのです。
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冷戦が進む中で、アメリカは日本を、アジアの共産勢力の拡大を防ぐ、反共の砦と位置付けました。
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そのため、憲法9条により、戦力を放棄されたこれまでの対日政策を、180度転換したのです。
しかし吉田は、これを拒否します。
再軍備となれば、掃海艇の場合とは異なり、国民に隠し通せないからでした。
交渉は行き詰まり、遠のく日本の独立。
吉田は苦渋の末に、ダレスに伝えます。
「総数5万人にのぼる、陸・海の保安部隊を創設する」
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かつて、自衛権さえも放棄すると明言した吉田は、アメリカに従い、ついに再軍備を決断したのです。
昭和26年、1951年9月、サンフランシスコで講和条約が結ばれ、日本は独立を果たします。
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この時、日米二国間で、日本の再軍備と米軍の駐留を約束した、日米安全保証条約も結ばれました。
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アメリカとの約束を履行すべく、吉田は昭和27年、11万人からなる保安隊の組織、
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そして2年後の昭和29年には、陸海空の、近代的軍備を備えた自衛隊を発足させます。
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軍備増強のたびに、国会で激しく追求される吉田。
内閣として、次のように答弁します。
「保安隊については、警察上の組織」
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「自衛隊については、戦力に至らしめない軍隊」
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戦力の不保持をうたった憲法9条2項と、軍備増強の整合性をつけるため、吉田は苦しい解釈を重ねていくのです。
それは、池田内閣が、改憲・護憲論争に終止符を打つ、6年前のことでした。
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スタジオ
松平アナウンサー:
今日はこのスタジオに、おふたりのゲストをお招きしております。
まず、憲法史がご専門の獨協大学教授の古関彰一さんでいらっしゃいます。どうぞよろしくお願いいたします。
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もうひと方、外交史がご専門の、大阪大教授の坂元一哉さんでいらっしゃいます。どうぞよろしくお願いいたします。
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まず古関さん、マッカーサー、あるいは吉田茂、この二人の意図とは、どんなところにあったのですか。
古関氏:
海外では、昭和天皇の戦争責任の追求というのは、かなり厳しく論ぜられていたわけですね。
そういった中でマッカーサーは、昭和天皇の戦争責任をできるだけ無くすためには、再び日本が他国の脅威にならない、憲法9条ですけれども、
そういうことをはっきりとした形で打ち出す、それが必要だというふうに考えます。
とにかく天皇制を残すということができたわけで、日本の政府の考え方と一致した。
そういう背景でできましたから、(憲法9条を作るにあたり)戦争に対する深い反省とか、あるいは平和への決意というものを十分持ったうえで作ってこなかったといいましょうか、不十分であったというふうに私はみております。
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松平アナウンサー:
坂元さん、その世の中は東西冷戦時代に入っていくと。
この中で日米両国、とりわけ日本政府・吉田茂は、この憲法9条とどう整合性を持たせたか、どういうふうに考えていらっしゃいますか。
坂元氏:
吉田は憲法改正の必要を認めません。
改正ではなくて解釈でと。
つまり「軍事はもうこりごり」という国民の世論、あるいは対外に軍国主義復活を警戒する声があると。
それに、経済復興を優先しておりました。
それに配慮した結果でした。
「憲法9条は自衛権を否定していない」という解釈で、そのもとで自衛隊を作るわけです。
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しかしそれは、憲法9条は自衛権も否定しているんだという、過去の自分の国会答弁とは矛盾するわけですね。
ただこの吉田は、国会答弁の中で、「自衛権というようなものは、国連のような国際的な平和団体がうまく動くようになればいらないんだ」ということも言っているんですね。
しかし実際には、国連は期待通りには動かなかったわけです。
松平アナウンサー:
憲法9条のもとで再軍備を進める吉田に対して、国民から批判が寄せられる。
そしてそれは、憲法施行後6年後、政治の舞台に、新たな動きを生み出すことになるのであります。
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この続きはまた後日。