ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

あんこう鍋

2011年02月11日 | 家族とわたし
拓人が久しぶりに、ゆっくりの里帰り。月曜日の朝までいられるらしい。
三人で鍋をつつきたかったけれど、電車に乗り遅れた彼を待つわけにもいかず(だって1時間に1本しかないので)、旦那とふたりで食べた。
今夜は骨付きの鶏肉とあんこうがメイン。
あとは菊菜やきのこ、大根と白菜。マロニーちゃんは買ってきたのに入れ忘れた。

久々だけに、いつもより話が弾む。
しかも、旦那と話す時はほとんど英語になってるし……これはすごい変化。
うちの中でこんなふうな風景を見られるようになろうとは、ほんと、10年前には、いや、15年前でも全く想像もできなかった。
人生、待ってみるもんだなあ……。

彼の仕事は順調。
今、苦境の真っただ中にいて、かなり喘いでいる旦那は、そんな息子が眩しそう。
でも、それもまた親としてはありがたい。
せめて子供の心配をしなくてもいいだけでも、本当にありがたい。


さて、恭平は、いつもと変わらず週末を楽しんでいる。
けれども彼も、一緒に夕飯を食べられる時には、とても面白い話を聞かせてくれる。
たいていは大学の心理学のクラスで学んだことだ。
今は脳の機能について学んでいるらしく、目が見ていることを脳がどういうふうに取り入れ、それを感覚として我々に伝えているのか、そのことを実証するための実験の話なんかをしてくれる。

見ていると思い込んでいること。
見ている物が、見えているままの色形だと信じ込んでいること。
実はそれが真実ではないということを、小さな実験を交えて説明してくれるのを聞くのは、思いの外楽しい。

ビルもわたしも、内容は違うものの、親との会話が極端に少ない環境で育った。
だからよけいに、こんなふうに、お互いの、別にどうということもない、生活や仕事、学んでいることや趣味の話を、食べながら、飲みながら、延々と話せる関係が嬉しいしありがたい。


ありがとね、拓人、恭平。
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米国気功トリートメント事情

2011年02月11日 | 米国○○事情
わたくし、本日、気功トリートメントなどというものを受けてまいりました。
毎週月曜日に気功を教えてくれているミリアムに、今度はプライベートで気功を使った治療をお願いしたのです。
旦那の鍼も、自分でするお灸も、それなりに効果を見せてくれているのだけど、また別の考え方や方法で診てもらうのもいいなあと思ったわけです。

今日は彼女の自宅の、三階にある屋根裏のほかほかと暖かい部屋で、前半はわたしという人間の歴史を話し、後半は気功のエネルギーを使った治療を受けました。

話している間中、ミリアムはずっと、わたしの左手の小指を愛おしそうに包んでくれていて、はじめはとても冷たかった彼女のてのひらが、子犬のお腹ぐらいの温かさに変わり、しまいには湯たんぽのような心地良い温かさになりました。
怪我や手術、それから疾患の質問に答えたり、育った環境の話などを短くかいつまんで話していると、よくもまあ生き長らえることができたもんだ、としみじみ言ってくれたミリアム。
「まうみ、ひとつ聞いてもいいかしら」
「もちろん」
「あなたは、もしあの時あの事故が無かったらとか、もし別の両親のもとに生まれていたらとか、そんなことを考えたことはある?」
「う~ん……」
「そうやって、事故や災難が起こらなかったら、自分はどんな人生を送ることができたか、そんなことを想像したことはある?」
「無かったと思う」
「え?一度として?」
「うん、一度もそういうふうに考えへんかった」
なんでやろう?と、思い出しながら考え込むわたしの横で、どうして?と、少し驚いたような顔をしてやっぱり考え込むミリアム。
しばらく経って、これしか思い浮かばなかったので、こう言った。
「多分、起こったことはすべて、起こるべくして起こったことやとしか思えへんから、そこには恨みとか後悔とかの感情が芽生えへんのやと思う。恨んでも後悔してもしゃあないし、っていうか、まずそんなことする余裕も無かったし。とにかく生きなあかんかったから。
もちろん、その真っただ中で生きてた時は、へこんだり、泣いたり、困り果てたりしたし、どないせえっちゅうねん!て神さんに突っかかったりしたよ。
心の中で、◯◯なんかもう死んでくれたらええのに、と思たりしたこともあったけど、事が終わったり過ぎたりしたらもうそれで終わり。すっかり忘れるねん。忘れたらもうそれは、ひとつの思い出になって、おもしろ可笑しく話すトピックでしかないのよね。
それになによりも、わたしの今までの人生を振り返るたんびに、ほんまに、なんてわたしはこうもついてる人間なんやろうと思うねん」

しばらく、ふたりともが黙ったままの時間が過ぎました。

「まうみ、あなたをもっと知りたいと思う人はいっぱいいるでしょうね」
「さあ……」
「そういうチャンスと時間がいつか手に入るといいね」
「う~ん、わたしはミリアムの話をいつか聞きたいと思てるの。イスラエルから移住してきて、どうして気功と出会ったのか。気功はミリアムの人生にどんなふうに息づいているのか」

ほんとうだなあ。もっとこの人のことを知りたいと思う人はこの世にいっぱいいるということに気がつきました。それも身近な所に。

マッサージテーブルに仰向けに寝て、気功のエネルギーを使った全身治療を受けました。
小窓の外から、いろんな種類の鳥の鳴き声が聞こえてきます。
まだまだとても寒いけれど、春はやっぱり少しずつ近づいているようです。
とてもリラックスして、彼女から送り込まれてくる温かなエネルギーを感じていました。

「今度の治療までに、これを試してみて」と、彼女はふたつ、宿題をくれました。

*丹田からのエネルギーを左右両側の腕を通して指先まで流す。
 その際の指先は、第一関節(先に一番近い関節)で切り取られていて、その穴から外にエネルギーが放出されている様子を想像する。
*ピアノを弾かないことが一番なのだけど、それを願うことは不可能なので、痛みのある指が鍵盤を押す時に、その痛みが指先から鍵盤に、鍵盤からハンマーに、ハンマーから弦を伝って消えていくことをイメージする。

早速家に戻ってやってみました。
一番おもしろかったのはやはり、痛みをピアノの方に移す、ということでした。
そう強くイメージして打鍵すると、瞬間になにかが作用するのか、いつもより指がリラックスしているのがわかります。
痛みもいつもよりは減っています。

ミリアムは、「痛みをもらったピアノだって、そのままじゃ困るでしょ?だからまうみは、さらにイメージを進めて、ピアノから舞台上の空間に、そして客席の人達に伝わるようにしてみて。そうやって、皆でまうみの心の動きのすべてを受け取ってもらったらいいの。音楽で感じるのはなにも、きれいなことや楽しいことばかりではないはずでしょう?」


明日はふたりの歌手(テノールのマイケルとソプラノのポーレット)の伴奏で5曲演奏します。
ついさっき録音してみたら、あらあら、下手くそ!な部分が山盛り見つかりました。
明日の午前中にそこを修正して、本番に臨みます。
 
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父かえる

2011年02月10日 | 家族とわたし
今日は父の命日。
日本で亡くなったんやから、実際には昨日の夜中の12時半過ぎ、たまたま「今日も守ってくれておおきに」、とお礼を言うてたんが丁度その時やった。
今日はめちゃくちゃ忙しい日やから、天ぷら作れへんかもしれへん。
けど、遺影にしてって言われてもらった写真の額縁だけはきれいに拭いた。
めちゃきれい好きやったもんね。

父が生前、せっせと集めてたカエルコレクション。
それは多分、最後の10年間住んでた6番目の奥さんが持ってくれてるか、もしかしたら捨てられてるか……。
彼女も、事情があって、父の死後数年経って、逃げるようにして外国に移住しはったから、その時多分捨てられてしもたんかもしれん。
父が亡くなってすぐに渡米してから、なぜか突然、今度はわたしがカエルを集めたくなった。
ひとつずつ、お金が貯まったら買う。また貯まったら買う。
なんていうても、高価なんと違て、ものの2千円もせえへんもんばっかり。
けど、買う時は、父のことで胸がいっぱいになる。

これは、どっかのノミ市で買うた。ガラスの支柱の中に、どうやるんか知らんけど入ってる。


ふたつとも、前に住んでた町のちっちゃな雑貨屋さんで見つけた。手前のんは陶器製。奥のんは銅製で、日本酒好きの父が喜ぶと思て。奥でチラッと見えるのは、ふてくされた顔してる縫いぐるみカエル。


友人のさやかが、どっかで見つけて買うてきてくれた、カエルがくわえてる棒で背中を擦ると、ギロみたいな音が出るカエルくん。


ビルの両親に連れてってもろたアフリカ旅行で、拓人がお土産に、言うて買うてきてくれたビーズカエル。


これはまた違う、町のちっちゃな雑貨屋さんで見つけた吊りカエル。ちょっとOKAMAチックな王様。


父が末期のガンやとわかってすぐに、わたしの腸にもガンっぽい腫瘍が発見されて、ビル父が手配してくれた病院で検査を受けた際に、アメリカで買うてきたカエル。この子が父の最期の最期まで、枕元か、肩の上で居てくれた。
多分父は、このカエルをわたしやと思て、なかなか見舞いに来てもらえない寂しさを紛らわすために、ずっと抱っこしてたんやと思う。
父と一緒に棺の中に入れようとしたら、「今度はおやっさんの代わりにあんたのそばでおるわ」って言うてくれたような気がして、一緒に越してきた。


はじめの数年間は、命日が来るたんびに泣いとったけど、11年経って、いっぱい心の中でしゃべってきて、やっとにっこりしながら思い出せるようになった。

この写真、なんべん見ても笑えるわ。
おんなじような頭してる者同士、仲良う写ってんねんもん。


パパ、きげんよう暮らしてるか?それともまた、どっかで生まれ変わってやんちゃしてるんか?
愛してるで。わたしを娘として愛してくれてありがとうな。



今夜はビルはマンハッタン、恭平は大学、ひとりぼっちの夕飯でした。
なので、やっぱり、遅くなったけれど、仕事が終わってから命日メニューを作りました。


あるもんで作ったので、ちょっと色合いが悪いけど、それに海老がちっちゃいのしかなかったので、ネギと椎茸を混ぜたかき揚げになってしもたけど、なぜだかそれがとっても美味しくて、美味しいなあ美味しいなあと言いながら、遺影の父と一緒に食べました。





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父の詫び状

2011年02月10日 | 家族とわたし
そういう題名の小説があった。
向田邦子さんの小説だと記憶している。

去年の夏、日本からH師匠が来てくださり、その際に、お土産だと言って、とんでもなく高価な品物をいただいた。
ブラックパールのネックレスだった。


H師匠は、人生の巨大な落とし穴にはまっていたわたしに、長い長いはしごを垂らしてくださったばかりか、へとへとなあまり自棄自暴になりかけていたわたしの手を掴んで、もう一度、明るい光の差す部屋で生きられるよう、引っ張り上げてくださった人だ。
なにかお返しを、お礼をしたいと思いながらできずに居たわたしは、やっと実現した訪米旅行で、少しはお返しできるかと意気込んでいた。
それなのに、こんな高価な物をいただいてしまったらなにもならないではないか……と恐縮するやら申し訳が無いやらで狼狽えてしまったが、もちろんとても嬉しかったので、ありがたくいただいた。

そして何日か経って、急に甦ってきた思い出があった。

H師匠のおかげで、学生としての締めの4年間、音楽をたっぷり学べたわたしは、22才の春に、結婚と同時にヤマハの音楽講師になった。
ピアノや音楽の基礎知識、それから音感などの訓練は、8才から15才までに受けた英才教育でしっかり身についていたので、採用試験は難しいものではなかった。
採用されてから、必死でシステムを学び、働いて、それなりの評価もいただき、勤続10年の褒美として、振興会から見事なブラックパールの粒をいただいた。
とても大きくて、鈍い光を放つ、本当に美しい真珠だった。
わたしはすごく嬉しくて、里帰りした時わざわざ持ってって、父にも一緒に喜んでもらおうと思い、それを父に見せた。
「ああ、これはええ真珠やなあ。パパに預けなさい。ええ指輪にしたげるさかい」と、父もすごく感心しながら言ったので、わたしはワクワクしながら、その真珠を化粧箱とともに父に手渡した。

わたしがその真珠を見たのは、それが最初で最後になった。
その当時も、父は事業に失敗しては借金をくり返していたので、多分その真珠は、金策に手段として使われたんだろうと思う。
それか、その当時のガールフレンドにあげたか……。
どちらにしても、かなり長いこと待って、一向に指輪のことを話さない父に、「あの真珠はどうなったん?」と初めて聞いた時の父の顔を見て、すぐに事情を察したわたしは、もう二度とそのことは聞くまい、と心に決めた。
けれどもさすがに悔しかった。腹が立った。あの真珠にこめられたわたしの10年間の毎日まで踏みにじられたような気がした。
でも、すぐに忘れた。
そんなことさえも、取るに足らないことに値するほどに、悩ましいことがたくさん転がっていた。


H師匠からいただいたネックレスを、秋になって初めて身につけた時、あっと気がついた。
これは父からの詫び状だと。
H師匠と父は、ひとまわり違う同じ干支の、同じ生年月日。
もちろん、全く違う人となりで、どこにも共通点など無いのだけれど、父が図らずも作ってしまったゴタゴタに巻き込まれて動きが取れなくなっていたわたしを、救い上げてくださったH師匠。
父が、多分その時も、心のどこかでは申し訳ないと思いながらも、ついやってしまい、娘に返せなくなった黒真珠の件も、まさにそれとそっくりそのままの物を、20年経って、ネックレスにして持ってきてくださったH師匠。
すっかり散財させてしまったH師匠には、本当に申し訳ないのだけれど、わたしはすっかり信じている。

これから一生、この真珠を大切にしよう。


H師匠、本当にありがとうございました。
パパ、もうええねんで。

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こたつ(ラジエーター)猫

2011年02月09日 | 家族とわたし
ただいま瞑想中……。


ひたすら瞑想中……。


デブちゃいまんねんラブでんねん。

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天国ことば

2011年02月08日 | ひとりごと
今日はちゃ~んと家の鍵を左のポケットに入れて出かけた。
えっへん!
失敗は成功のもと!(そういうのは成功言わへんねん!当たり前のことやねん!と心の中で叫んでるあなた、まあまあ、そっとしといたってください)

ピラテスのインストラクターメリッサ、ここ数週間、ずっと調子が悪そうだった。
いつもポーズの見本をおもしろ可笑しく見せてくれるのに、それも無く、どうも左側の脇から肋骨辺りにかけて問題が生じたみたいだった。
2年前も同じ箇所を痛めて困っていた彼女に、わたしは旦那の鍼を勧めたのだけど、未経験の彼女はもうあと一歩踏み出せないでいた。
そんなこともあって、押し売りになったらイヤだしなあ……と躊躇していたのだけど、彼女の、ふとした動きをした時の痛々しい姿を見ているとたまらなくなって、ダメもとでいいから、一回でもいいから、とにかくビルのオフィスに行くように強く勧めた。
「まうみ、わたしも丁度、そのことを考えてたのよ。医者に行っても検査だけ。くれるのは痛み止めの強い薬でしょ。その強い副作用でひどい下痢しちゃって……それで違う方面の治療をと思ってたの。手術をしなくても治るけど、それには2ヶ月以上の時間がかかるって。でも、この刃物で刺されるような強烈な痛みを、あと2ヶ月もなんて我慢したくないの」

旦那よ、なんとか助けてやっておくれ~!


さて、今日はわたし的に、すご~く興味深いことがあったのでそれを書き留めておこうと思う。

少し前に、あさこのブログの記事で、斎藤一人さんという方が提唱されている『天国ことば』についての話を見つけた。
なんのこっちゃ?と思い、ネットで調べてみた。
あさこは常日頃から、スピリチャルな世界についていろいろと洞察している人で、なにかと重っ苦しくなるわたしの心を、ヒョイヒョイッと軽くしてくれる。
この1年、彼女が近くに居てくれたおかげで、わたしの心の中のヘドロのように溜まった負の思いが、ずいぶんと減ってきたような気がする。

で、この斎藤さんの『天国ことば』なのだが、とにかくなんでもいいから、今から言う八つの言葉(愛してます・ついてる・嬉しい・楽しい・感謝してます・幸せ・ありがとう・許します)を、繰り返し、ゆっくりと、声に出して言ってみてください、というのである。
わたしはこういう、なんでもいいからとにかくやってみろ、後で必ずいいことがあるから、という事を本気で信じている。
どうしてかというと、そう言われてとにかくやってみたら、必ず後でいいことがあったからだ。

その中でも一番強烈に覚えているのは、超~うまくいってなかった(というより、彼女はわたしを殺したいに違いない、などと思い込むほどに悪化していた)継母との関係に悩んでいた18才のわたしが、その頃入信していたある新興宗教の教祖に、そのことを相談した時のことだ。多分、前にも記事に書いたことがあると思う。
切々と窮状を訴えるわたしの話を、しばらくじっと聞いてくださっていた教祖が、おもむろにわたしの話を中断して、そしてゆっくりこう言われた。
「まうみさん、これからおかあさんになにかイヤなことを言われたりされたりしたら、その時その場所で、必ず3回、おかあさんありがとう、と言いなさい」
気でも狂われたかと、あまりのことに唖然と見返したわたしに、さらに教祖は、
「口に出して言えない間は、心の中でもいいから、必ず3回、そう言いなさい。心がこもってなくてもいい。機械の声みたいなのでもいい、とにかく言ってみなさい。以上」と告げて、席から離れて行かれた。

ああ、彼にはわたしの状況など、まるで理解できないのだろう。
なんてこった。せっかくわざわざこのスケジュールに合わせるために、いろんなことに都合つけて来たのに……と、心の中は不満でいっぱいだった。
けれども、教祖のことはとても好きだったし尊敬していたので、ものすごく抵抗はあるけど、とりあえず言われたようにやってみようと思った。
今でもはっきりと、初めて心の中で「おかあさんありがとう、おかあさんありがとう、おかあさんありがとう」と言った時のことを覚えている。
心がグニャリとねじれてしまいそうなぐらいの激しい葛藤だった。
ところがその最初の3回の後、だんだんに慣れてきて、気がついたら反射的に、癖のように言うようになった。
そしてある日、なんの時だったかすっかり忘れたけれど、いつも心の中でしか言わなかったありがとうが、ひょいっと声に出て、それを聞いた彼女が目をまん丸くしていたこともあった。
そしてまたある日、かなり長い時間が経ってからだと記憶しているが、わたしが差し出した母の日のプレゼントを、にっこり笑って受け取ってくれたのだ!
ものすごく驚いて、心臓をドキドキさせながら、ありがとう、ありがとう、ありがとう、と、いつもとは全く違う気持ちで、心の中でくり返した。
それから劇的にわたし達の関係が良くなったのかというと、そうでもなく、結局は一家離散となって家族ごっこどころではなくなったので、良い結果が得られたかどうかは定かではないけれど、少なくともわたしにとってはいい思い出が残った。


それで、今回の『天国ことば』
もちろん、あさこの記事を読んだ一週間前から、始めてまっせ~!
最初はやっぱり、なんかぎこちなくて、気持ちも入らなくて、なにやってんねやろわたし?みたいな空気が充満してたけど、
最近は慣れて、ちょっとしたチャンスを見つけたら無意識に言い始めている。

そして今日のちょっとした事件が発生した。
わたしは運転をしている時、いつもより気が短くなる。
荒っぽい運転、トロい運転、非常識な運転を見るとカッとして、相手にかなり酷い言葉を投げ掛けたりする。(もちろん直接ではなく)
今日も、わたしの目の前で、とんでもないスピードで交差点に飛び出してきて、左折するや否や、強引に車線に割り込もうとした車があった。
「危ないなあ……どうぞ事故とかを起こさんように、無事に運転し続けられますように」
そう心の中で思った自分に仰天した。
だって、いつものわたしなら絶対、「おまえみたいなんは、他人に迷惑かからんようなとこで曲がり損ねて、事故にでも遭うて痛い目に遭え!」と言っているはず。

もしかしてわたし、いい感じに進化し始めてるん?
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北の国から

2011年02月07日 | お家狂想曲
気功のクラスに行く前は、やっぱりなんとなく体がだるくて重くて(注・体重ちゃいまっせ)、行くか行くまいか、かなり迷った。
けれども、こういう時にこそ、気功はきっと良いはずだと決心して行った。

今日のメインは『太極拳の筒』。
説明を受けても今ひとつわかっていないけれど、イメージとしては、精神が一本の筒のような物になって、それが胴体の中で伸びたり縮んだりしている。
どんな動きをしていても、その筒は胴体の中心に存在していて、それが伸び縮みすることによって、エネルギーが天に開放されたり、地にしみ込んでいったり、またはその逆で、天地からのエネルギーを吸い取ったりする。

嗚呼、深い……。

今日もまた円、やりました。
おへその少し下の丹田の辺りに、短い鉛筆を突っ込んで(イメージです、あくまでも)、それで小さな円を描く。
両手は胸の辺りでパーの形に開いて、体の動きに合わせる。
気功版腹芸。
後ろに居るおっちゃんの目に、わたしの後ろ姿はどんなふうに見えてんのやろ……そんなこと思たらあかん!集中集中!
これは消化器官にとっても良い気功なんだそうな。

そして素晴らしい瞑想を終え、なかなかすっきりとした気分で家に戻ると……、

あっ!
家の鍵無いし……。

出がけにバタバタと急いでいて、しかも今日は少し暖かめだということで、いつも着ているコートを羽織らなかった。
急ぐとろくなことは無い。
さらに、そういう時に、いつもと違うことをしたら、もっとろくなことは無い。
わたしは家の鍵をいつも、コートの左ポケットに入れておく。
けれどもピラテスに行く時だけは、汗まみれのまま羽織れるように、かなりボロくなった方のコートを着るので、ピラテス前日の月曜日と水曜日の晩は、そのコートの左ポケットに、家の鍵を移し入れる。
合鍵は事情があって、とてもじゃないが取りに行けない所にあるので、この入れ替えはめちゃくちゃ大事なことなのだった。
なのに今日はウダウダと迷った挙げ句、ギリギリになって慌てて出かけたので、思いついて着替えた薄めのコートのポケットのことまで気が回らなかった。

しばらく考える。
予備の鍵を隠してある場所は、いつもなら簡単に行ける所だけど、今の雪だらけの状態では、とんでもなく遠い。
しばらくの間、目の前の景色を眺める。
ムクムクと、よぉ~し、やったろやないの!という気持ちが沸き上がってくる。
幸い、ショベルは玄関脇に置いてある。
いきなりの特攻雪かき開始!

まずはドライブウェイから。
まだ50㎝はあろうかという、堂々たる積もりっぷり。
しかも、積もった雪の上に雨やら霰やらが降ったのが、分厚いカサブタのように固まっていて、まずそれを割ってからでないとひとかきすらもできない。
靴もパンツも、気功のクラスに行くだけだったから、雪かきユニフォームからは程遠い。
なのに、すぐに汗が噴き出してきた。

自分ひとりが通れりゃええんやからと、最小幅の小径をせっせせっせと掘っていく。
いきなり、『北の国から』のテーマソングが頭の中に流れてきた。
♪あ~あ~、あああああ~ああ~♪さだまさしさんのあの声で。
「ほたるぅ~」田中邦衛さんの声がこだまする。


目指すはあのバーベキューグリル!あのフタさえ開けられたら!

とうとうのとうとう辿り着き、ようやった自分!と自画自讃しながらフタを開けた。
カラやし……。


そういや、もうあと2メートル向こうにある、ちっちゃい方のやったし……。
って……どこよそれ?どこにも見当たらへんし……埋もれてしもてるし……しかも、その辺りはどんどん深なってるし……。

あきらめようかと思った。こんなことまでして部屋に入らなくても、車に乗れるんだから、どこかに食べに行ってる間に旦那が帰ってくるかもしれない。
汗はまあ、ええやん、一回ぐらい、汗臭いままでレッスンに行っても。

するとまた、あの歌が聞こえてきた。「まうみぃ~、あきらめんじゃねえぞ~」と、五郎父ちゃんも、遠く向こうから叫んでるやないか!
うぉ~、やったろやんけ~!
ショベルをしっかと握りしめ、掘って掘って掘りまくり、雪山の救助隊のような鋭敏さで、埋もれたグリルを発見っ!
(右端の丸くて黒い穴のように見えるやつ)


偉過ぎや自分!ようやった自分!
震える手(感動と雪かき疲れ)でフタに手をかけ、手品師のおっちゃんのように、晴れやかに勢い良く開ける。

あれへんし!!

これって、骨折り損のくたびれ儲けっていうん?
これってこれって、これってなぁ~に?!

トボトボと小径を後戻りし、玄関ホールの日だまりに立ち、汗がひくのをしばらく待った。
携帯を確かめると、旦那からのメッセージがあって、もう少ししたら帰ってくることがわかった。
不思議と、いつものように、誰やねん!合鍵をあそこから出したまんま戻さんかったやつは!などという怒りが全くわいてこなかった。
それよりなにより、鍵を持たずに慌てて出た自分が悪かったんだし、雪かきはいい運動になったし、旦那はもう少ししたら戻ってきてくれる。
そんなふうに思えたのは、気功のおかげかしらん?
それとも、最近唱え出した、斎藤ひとりさんの『天国ことば』のおかげかしらん?

どちらにしてもまあ、よかったよかった。
でも、もうあのグリルに合鍵を戻すわけにはいかない。
だって、あの小径、いかにもそこに大事なブツがありまっせ~と教えてるようなもんだもんなあ……やれやれ。

汗はほれ、これでヒヤシンス


いやあ~、そんなナイスギャグ、わてら照れまんがな~(注・ヒヤシンスさんのつぶやき)


 

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スーパーボールパーティ!

2011年02月06日 | 友達とわたし
と、とりあえずそう言うとこ。

今日のメニューは、ほうれん草とラムのカレー、グァカモリ。すべて旦那が作ってくれた。


それとうめぇ~ワインとビール。

そこに、K&K夫妻が今流行りのケーキ、デブラが手作りのコーンブレッドを差し入れしてくれた。


毎回のごとく、居間のおっきな方のテレビで観戦するわけでもなく(もちろんつけてあったけど)、台所のちっさいテレビを、しかも音声をちっそうして、大いに食べてしゃべりまくるパーティ。
試合は時々、誰かが観てて、「あ!」とか「おや?」とか言うと皆がそちらを一斉に観るだけ。

ハーフタイムのショーも、「あれ誰?」モード……恭平とニーナちゃんはしっかり知ってたけど……なんや有名なミュージシャンらしい……。
今日はなんか光る服着てて、北京オリンピックを彷彿させるような感じやったけど、やっぱここはアメリカ、揃てへんがな~!

どっちのチームも別に地元でもないので、応援が盛り上がらないまま、けれども試合としてはなかなかにおもろい内容だった。

今日の料理は旦那が一手に引き受けてくれて、わたしはその間中、せっせとピアノの練習。
あんまりおんなじとこで間違うので、ムカッとしてムチャクチャ弾くと、台所から「こらっ!」という声が聞こえてきた。
なんかちょっと、子供の頃のことを思い出して懐かしくなった。


食器の洗い物をしていると、旦那がYouTubeを観てて、おもろいことを教えてくれた。
「なんや今日国家歌た歌手、歌詞間違うたらしいで。えらいこっちゃな」

しもた……そんなおもろいことあったんやったら、もうちょっと真面目に観といたらよかった!

「いやしかし、こともあろうに、めちゃくちゃな視聴率のライブやのに……」と言うと、
「ボクかてたまに間違うけどな」と旦那。
あんな、あんたが家の中で、鼻歌混じりに、しかも聞いてるのわたしだけやし……そんなんと一緒にされてもなあ……彼女にとってはなんの慰めにもなるまいて。

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米国今冬限定私設(雪)駐車場事情

2011年02月06日 | 米国○○事情
今日はまったく久しぶりの、ぴっかぴかの暖かい青空
とってつけたほどに素晴らしいスーパーボール日和です。
散歩嫌いのわたしも、こんな日はやっぱり外に出たくなりました。

せっかくなので、溶けてちっちゃくなる前に、これをご紹介いたしましょう。
今年の冬のどか雪が作った(というか、人が勝手に作った)私設駐車場です。


雪の山と山の間に、自分ちの、もしくはお客さんの車が辛うじて入るだけの穴が空いています。

この方だけは、どんなことがあっても埋もれたままでいてもらうわけには……。


その山の中でも一番デカイというので、この界隈では有名な山。
写真を撮っていると、近くの道の氷を割っている男性が、「知ってる?この山の下に、車が2台埋もってるんだよ」と言うので「ええっ!」とびっくりしたら、「ジョークジョーク」って……いや、ジョークに思えん大きさなので、どっちが本当なんだか……。


延々とこんな感じの歩道を歩きます。車道だけではなく、歩道もすっかり幅が狭くなってしまいました。


雪山銀座。


と、やっぱりいつもこの方が〆に現れる……。


あ~チベたかった……。
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あんた誰?

2011年02月05日 | ひとりごと


なぜだか右目の目頭から鼻にかけて思いっきり腫れてしまっていた。
朝起きて、トイレに行き、おしっこしてから鏡を覗いて仰天した。
アバター顔の自分……思わず緑色の絵の具で顔塗ったろか、などと考えるほどの立派なアバター。

いやあ、ほんの少しのことが違うだけで、こんなにもビックリできるのもおもろい。
こりゃもう、数日間の頭部右側の痛みは、インフェクションに決定!
となりゃ、はい、お灸ね。

ということで、腕の肘の近く、足の親指と人差し指(人なんか指さへんけど)の付け根辺り、それと小指と薬指(別に薬塗ったり溶かしたりせえへんけど)の付け根辺りにお灸するべし!という指令が出た。
今や、お灸エキスパートとなったわたし、へいへ~い!とばかりに、ボールペンで印をつけられた所に灸を据えていく。


今日は朝から、雪のせいで来られなかった生徒達を教え、それからすぐ後に、ブルックリンから来てくれたポーレットと3曲合わせをした。
彼女とは来週末のコンサートで演奏する予定。
ヴァレンタインデーにちなんで、愛の歌を3曲歌うというのに、なんと彼女は一昨日の木曜日に、恋人から「別れて欲しい」といきなり言われたらしい。
なんてこった……と思いながら彼女の話を聞いた。
彼女は33才、彼は30才。育った境遇がとてもよく似ている。
彼らの父親はどちらも83才。父親は息子、娘を溺愛するあまり、ほぼ家の中に閉じ込めるようにして育てた。
怪我や事故を心配するあまり、自転車にも乗せず、旅行にも行かせず、学校でも運動クラブには入らせなかった。
だからふたりとも、自転車をこぐことはできない。家の周りから外に出たことがない。泳ぐこともできない。車の運転もだめ、という状態で大人になった。
お互いの、少し変わった境遇に惹かれ合ったのか、彼らは二年半前から付き合うようになったのだけど、
そういう境遇から抜け出そうとするポーレットに対して、彼はそのまま、ほぼ引きこもり(親公認の)のような状態をまだ続けていて、彼女は「今になって思い返すと、彼の世話ばかりをしていたような気もする」、と言った。
突然話を聞いただけのわたしが、なにも言える立場ではないけれど、もしかしたらこれは一時的に、彼自身が彼自身の力で変わろうとしていて、そのためには、すぐそばで居るとつい甘えてしまうポーレットから離れる方が懸命だと思ったのではないか?
そしてもし、距離を置いたことで彼が本当に変わることができたなら、外に向かって生きる気持ちを強く持てたなら、その彼と今度は、世話のためではなくて、愛するために一緒に居ることができるかもしれないよね、などと、勝手な考えを言った。
その話をしている間、彼女は涙ぐむこともなく、淡々と、まるで遠い昔にあった話のように落ち着いている。
彼女の母親はジャマイカ出身で、長い間イギリスの統治下に置かれていたことから、昔のイギリス人魂が心身ともに深くしみ込んでいて、だから母親はどんなことがあっても、人前で涙を流したりすることはいけないことなんだと教え込まれていて、それは彼女の娘であるポーレットにも引き継がれていた。
わたしもまた、違う理由で、ただの一回として目の前で泣かなかった母に13才まで育てられ、その後も、何があっても平気なふりをして生きることがせめてもの意地になってしまい、ビルと出会うまではちゃんと泣くことができない人間だった。
ビルが、わたしの悲しむ様子を見て、それがものすごく異様だったので、普通に泣けるように、何年もかけて、根気良く教えてくれた。
わたしもポーレットにその話をして、泣くことは決して恥ずかしいことでも弱いことでもないよ、と一所懸命伝えようとしたけど、こればっかりは時間がかかることなので、彼女自身がこの先、いいパートナーを見つけられることを祈るしかない。
 


夜は、ネットでインスタントに観られる映画を、旦那とふたりで観た。
今夜は英語を聞いたり読んだりするのが面倒な気分だったので、邦画の『母べえ』を観た。
山田洋次監督、吉永小百合主演の、静かな静かな反戦映画だった。
今では全く自由に、思うことを言える世の中だけど、少し、ほんの少し、時代がずれたことで、あんなふうに、辛い思いをして生きなければならなかった人達は、たくさんいたんだろうなあ、と思う。
何度も悲しくなって、たくさん泣いた。
珍しく、旦那も少し泣いた。
あ~あ、また明日の朝も目が腫れてるわ……。



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