ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

米国『おかんの逆襲』事情

2012年12月22日 | 米国○○事情
今日も朝からずっと、ケーブルテレビのニュース局では、銃規制についての論議が盛んに行われてる。
これまでとは違う熱を感じるけど、出てくる意見はこれまでと同じく、推進派と反対派、なんとかその中間を探ろうとしてる人達が、喧々囂々、それぞれの意見を出し合うてる。
現実的に考えたら、と言う人は、いっぺんに銃をこの世から無くすことはできんのやから、とりあえず学校の先生に銃の使い方を訓練させて、自分の教室を守らせたらええと言う。
各学校に、銃の使用に慣れた警備員を配置したらええと言う。

なるほど……。

ほなら、例えば、その警備員とやらを、学校や幼稚園の出入り口すべてに配置させられへんわけやから、たまたま警備員のおらんドアから中に入った狂人が、
自分のクラスに突然現れて、なんの予告も無く、まず先生を撃ったとしたらどないなるん?
仮に撃たれんかっても、自分の目の前でちっちゃい子達が撃たれてて、他の子が泣き叫んでる中で、冷静沈着に自分の銃に弾を入れ、安全ピンを外し、子どもに当たらんように犯人を一発でしとめられる先生っておるん?

なにもかもがバカバカしい想定やと、なんで気がつかんのか。
銃には銃を。
これが終わりのない、さらに悲惨な世界を、じわじわと作っていくことがなんでわからんのか。

今後の銃の売買を禁止するだけではあかん。
今現在、銃を持ってる人らからも取り上げなあかん。
家庭に銃器を置かない。
これを実現せん限り、この問題は片付かん。
これが現実的でないという人は、この究極の真実を恐がってるか、都合が悪いか、挑戦する勇気がないかだけ。
これほどの真実はない。

けども、この国の軍は、世界に誇る大バカもので、
核兵器を、ええもんである我が国はなんぼ持っててもええけど、悪もん(そいつらが勝手に悪もん扱いしてる)の国は持ったらあかんと、堂々と主張して、挙げ句の果てには攻撃までする。
そういう阿呆が国を牛耳ってる中で、全国のおかんが立ち上がって、アホは黙ってろ!と喝を入れる事ができたなら……。
今回こそはがんばろな、おかんよ!!

↓以下の文章は、どこかで見つけたんやけど、アドレスを貼っとくのを忘れてしもた。
すみません、勝手に転載させてもらいます。

転載はじめ

日本国憲法第九条「戦争放棄」の解釈については、政治家から子供たちまで、かれこれ60年も禅問答を繰り返してきましたが、
アメリカ憲法でも、修正第二条「武装の自由」の解釈を巡って、建国以来2世紀を超える論議が続いているのはご存じですか?

トリガー・ロック(引き金錠)
2008年6月26日、首都ワシントンのピストル所持禁止条例について、連邦最高裁が違憲判断を下しました
「(市民が)家庭内で自己防衛のために、(ピストルも含め)銃を所持し使用する権利を奪ってはならない」のだそうです。
 
これまでのワシントンの条例では、ショットガンやライフルなら、トリガー・ロックをかけるか弾丸を抜いた上で、家庭内に所持してよいとも定められていましたが、
判決では、銃の使用を妨げる条件を付与することも違憲に当たる、と説明されています。
条例は、家庭内暴力による事故を防止する効果もあっただけに、歯止めがなくなった後の結果が危惧されます。
 
連邦最高裁の判決は、9名の判事(うち一人は長官)の多数決で決まります。
判事は、上院の助言と同意により、大統領が任命することになっていて
現在は、共和党大統領(フォード/レーガン/父ブッシュ/現ブッシュ)が指名した7名と、民主党大統領のクリントンが指名した2名……。
思想傾向的には、保守派4名、リベラル4名、保守色の強い中道1名に分かれるというのが世間の定評。
今回の判決も、保守+中道とリベラルの5対4、ギリギリの評決によるものでした。
 
いったい、修正第二条には、何が書かれているのでしょうか?
そもそも、修正条項というのは、第一条「信教、言論等の自由」から第十条まであって、アメリカ市民の基本的人権を定めている憲法の中でも、最も重要な部分の一つです。
原文
A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the People to keep and bear Arms, shall not be infringed.

翻訳例 
秩序ある民兵は自由な国家の安全保障に欠かせず、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。


↑転載おわり

この憲法は修正されたもので、日本語に翻訳する際に、the Peopleというのがいったい何を指してるのか、それがわたしにはきっちりとわからなんだ。
この曖昧で、なんとでも解釈できる単語Peopleがクセもんやなと思い、検索してたら、すごく分かりやすう書いてくれてあるブログの記事を見つけた。
Tomさんとおっしゃる、ここ東海岸の田舎町に暮らしておられる方のブログで、これからここに転載させていただく。

↓以下、転載はじめ

合衆国憲法修正第2条(Second Amendment )

「規律ある民兵は自由な国家の安全にとって必要であり、国民が武器を保有、携帯する権利を侵してはならない」
(合衆国憲法修正第2条)


A well regulated militia being necessary to the security of a free State, the right of the People to keep and bear arms shall not be infringed.
(Second Amendment to The United States Constitution)


上記の2文の比較中、 necessary to the security of a free Stateに当るのが「自由な国家の安全にとって必要であり」、である。

皆様御存知であろうが、米国は『The United Sates』であり国の政府は『federal government』である。
従って『a free State』を自由な国家と訳すの不味いのではなかろうか調べてみた。

http://www2.law.ucla.edu/volokh/freestate.pdf


But what did the Framing generation understand “free State” to mean?

しかし、憲法制定時の世代は、『free State』をどのような意味を持つと理解したのであろうか?


Some say it meant a “state of the union, free from federal oppression.”
As one D.C. Circuit judge put it, “The Amendment was drafted in response to the perceived threat to the ‘free[dom]’ of the ‘State[s]’ posed by a national standing army controlled by the federal government.”


『free Sate』の意味は、フェデラルの権力乱用からの自由なる国家を意味した、とある人々は言う。
あるD.C.の裁判官が言うには、
「修正第二条は、各州の自由が、フェデラル・ガバメントの指揮下にある米常備軍に、脅威を覚えた事に応えて草稿された」


修正第二条が出来たのは、米国の国軍の存在に対抗する為に、州民による銃器の保有権を保障したものであるようだ。
もしそれが修正第二条の精神であるならば、現在、連邦政府と州政府による武力の争いは現実問題として皆無であるので、この二条の存在理由は無さそうだ。

それにも拘らず、米国民は何故、拳銃保持を違法化しないのか?
何時かそれについても触れたいと思う。

↑以上、転載おわり


あらら?
連邦政府と州政府による武力の争い?
連邦国家の指揮下にある常備軍に、各州が己の自由を侵害されるような脅威を覚えてる?

いやもう、いつのことやろう、この話。
これって、全然現実に合うてない恐竜的文章ちゃうかしらん。
こんなんを元に、あーやこーやと、有識者や政治家やらが話し合うてて、中にひとりでも、誰でもわかるトンチンカンを指摘する人はおらんのやろか。

憲法も人が作った文章やから、解釈は、解釈する人の常識や願いでなんぼでも違てくる。
けど、常識で考えて、人道上正しいかおかしいか、倫理に則ってるかぐらい、わからなあかんのとちゃうやろか。
ほんでその事が、その国や国民、世界にとって、良い影響を与えるかどうか、尊厳が守られるかどうか、それが一番大事なこととちゃうやろか。

今、アメリカのおかんは怒ってる。
全国津々浦々で行動が始まってる。
おかんが怒ったら憲法も変わる。
それを叶えるために、これから先、おかんからおかんへ、しつこく粘り強う頑張ろうと決意した。
さて、どない料理したろかしらん。
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米国「銃を手にした悪者を止められるのは、銃を手にした善人だけ」事情

2012年12月21日 | 米国○○事情
今朝、9時半に、アメリカ全土のそれぞれの町や村の教会で、鐘が26回鳴らされた。
先週の金曜日に、銃の乱射攻撃によって殺された、20人のちびっ子達と、そのちびっ子達を守ろうとして殺された6人の先生達への祈りのために。
黙祷しながら、鐘の音を聞いた。
友人の甥の、それはそれは可愛い、オリビア・エンジェルちゃんの顔が浮かんできて、思わずうめき声が出た。

その後、ずっと沈黙してた全米ライフル協会が、やっと声明を出した。
会見したのは、協会の副会長、ラピエール氏。

車のラジオから流れてくるのは、はっきりとした力強い声やった。
「銃を手にした悪者を止められるのは、銃を手にした善人だけ」やと?
「私は議会に対し、武装警官を、この国の全学校に配置するために必要な手段の承認に向け、迅速に行動するよう求める」やと?
「そのための警備要員の訓練の支援、警備体制の強化に向け教師や保護者と協力する用意がある」やと?
ほんで、極めつけは、
「マスコミや政治家は、我々や、銃保持者を、いつも悪者扱いしている」……。

いや……もう……ほんまに……つける薬の無い阿呆というのはこのことちゃうかと……。

このNRA(全米ライフル協会)、こないだの選挙で、銃所持の権利擁護派の候補を支援するため、少なくとも1860万ドル(約15億6千万円)の政治献金を投入してるんやで!
wikipediaの「利益団体」の項目に、全米ライフル協会の名前が挙がるほどなんやで!
全米ライフル協会(NRA)は、共和党のスポンサーで、歴代共和党大統領が名誉会員になる事も多いねんで!
銃規制強化を訴える議員を、次々と落選に追い込んできた「米最強のロビー団体」やねんで!


それにしても……、
「銃を持った悪いやつらを止めるには、ええ人間が銃を持つしかないねん」って……どういう思考回路なんやろか。
これは、
「兵器を持った悪いやつらを止めるには、ええもんが兵器を持つしかないねん」っちゅうのんとおんなじやないか?

銃も兵器も、持ったらあかんねん!持ってしもたらもう、そこにはええもんも悪いもんもあらへんねん。
攻撃されたら攻撃して、また仕返しされたら仕返しする。
終らへんねん、人殺しが!
なんでそんな単純なことが見えへんのか。


オバマ大統領は、これまでもずっと、銃規制をやりとうてやりとうてかなんかったんやけど、ここにきてやっと声明を出した。

バイデン副大統領を筆頭に、閣僚や専門家で構成する特別チームを発足し、1月中に、銃犯罪防止の具体策をまとめる。
特別チームには、司法、厚生、教育、国土安全保障などの、閣僚や専門家が参加する見通し。
銃購入時の犯歴や、精神的な病歴調査の厳格化、銃や暴力を容認しない文化への推進など、包括的な銃犯罪対策をまとめる。

オバマ大統領は、「(国民の)心の奥深くにある感情や、政治的分断をかき立てる複雑な問題だ」と認めながらも、「それが何もしないことの言い訳にはならない」と言うた。

それが何もしないことの言い訳にならない。
ほんまにその通りやと思う。

ヴァージニア工科大の時も調べた、アメリカ合衆国の銃規制について。
また読んでみたけど、やっぱりめちゃくちゃややこしい。
50州がそれぞれ自立してるっちゅうのは、ほんまに難儀や。

NRAの会見後、どこのラジオ番組でも、視聴者からの意見を求めてたけど、カンカンに怒ってる人、呆れてる人の中に、銃を携帯した警備員については賛成する人が数人いた。

今晩もピアーズ・モーガンは、イギリス訛りの英語で吠えとった。
会見で出た、暴力シーンが極めて甚だしいビデオゲームの影響についても話し合うてた。
精神疾患や、環境に暴力が満ちあふれていることなんかも話題に上がってた。
ライフルの種類や、小型銃の説明もあった。

けどな、けどな、みんな、もういっぺんはじめに戻らへんか?
いったいぜんたい、何が問題なんかを考えへんか?
にわとりが先か卵が先か、みたいな話やのうて、どうしたらこういう惨いことが起こるのを防げるのか、それを考えへんか?
いきなりゼロにはならんやろ。
もう世界は暴力に満ちあふれてる。
戦争も紛争も、一日としてとまったことがない。
人間はかくも愚かであるというところに戻らへんか?
そんな生き物に、危ないもんを持たしたらあかん。
ええもんも悪いもんもない。
それだけやんか。

規制の内容をどう必死に考えたって、銃を買えるんやったらおんなじこと。
阿呆は全力投入して手に入れる。
話し合いの中に、何回も出てくる日本。
日本は、平和憲法で守られてる。
この誇らしさ、この清々しさ。
アメリカは今、日本の平和憲法を、憧れの眼差しで見つめてる。
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『うちの子もよその子も戦争には出さん!』全日本おばちゃん党はっさくより

2012年12月20日 | 日本とわたし
もういっぺん、どっか~ん!
『全日本おばちゃん党』はっさく



おばちゃんの逆襲
【東京新聞・私説・論説室から】2012年12月19日

各党の政策で最も合点がいったのは、「全日本おばちゃん党」の「はっさく」だ。
維新八策ではない。
 
オッサン政治に反発して、大阪のおばちゃんが中心となり、ネット上につくった市民団体である。

その「はっさく」。
一番目の政策は、「うちの子もよその子も戦争には出さん!」。
護憲とは言わない。
もっと心のど真ん中な訴え。
これは、国民が政治に求める最大の要求だろう。
二児の父親としては思わず、「そういうこっちゃ」と慣れない関西弁?で頷(うなず)いてしまった。
尖閣諸島問題への勇ましい主張を聞いて、オッサンなんぞに任せられないという危機感が、ひしひしと伝わってくる。
 
「子育てや介護を、みんなで助け合っていきたいねん。そんな仕組み、しっかり作ってや」と、社会保障改革も掲げる。
目指すは支え合い社会。
育児や介護に、日々直面している実感がある。
 
原発事故で放射能汚染に敏感に反応したのは、「子どもを守りたい」と切実に感じた女性たちだ。
「はっさく」も、「核のごみはいらん。放射能を子どもに浴びさせたくないからや」と共鳴する。
 
政治に当事者意識を持ち始めたおばちゃんの思いは、社会の根っこに確実に広がる民意だろう。
空中戦好きで、どこかふわふわしたオッサンの主張より、腹が据わっているようにみえる。
 
選挙は終わったが、本当の第三極はおばちゃんだったりしないか。(鈴木 穣)


いえいえ、おばちゃんだったりしないか、では甘い。ほんまの第三極はおばちゃんやねん!
しょうもないことゴチャゴチャ言うとるおっさんらの耳の穴から指突っ込んで、奥歯ガタガタいわしたんねん!

うちの子もよその子も戦争には出さん!
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「戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってんだぜ、この国の憲法第九条は」by忌野清志郎

2012年12月20日 | 日本とわたし
これは、忌野清志郎さんからの手紙です。


湯川れい子さんが、ツィッターで公開してくれはりました。
今から12年も前に書かれたもんやのに、なんかもう、ぞっとするほど今の日本のことのように思えます。
「なにしとんねん!九条まもらなあかんやないか!」と、あの清志郎さんのしゃがれ声が、聞こえてきたみたいな気分になりました。

地震の後には戦争がやってくる。
軍隊を持ちたい政治家が、TVででかい事を言い始めてる。
国民をバカにして、戦争にかり立てる。
自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。

阪神大震災から5年。
俺は大阪の水浸しになった部屋で目が覚めた。
TVをつけると、5カ所ほどから火の手がのぼっていた。
「これはすぐに消えるだろう」と思ってまた眠った。
6時間後に目が覚めると、神戸の街は火の海と化していた。
この国は何をやってるんだ。
復興資金は大手ゼネコンに流れ、神戸の土建屋は自己破産を申請する。

これが日本だ。
私の国だ。

とっくの昔に死んだ有名だった映画スターの兄ですと言って、返り咲いた政治家。
弟は、ドラムを叩くシーンで、僕はロックン・ロールじゃありません、と自白している。
政治家は反米主義に拍車がかかり、もう後もどりできゃしない。
そのうち、リズム&ブルースもロックも禁止されるだろう。
政治家はみんな、防衛庁が大好きらしい。
人を助けるとか、世界を平和にするとか言って、実は軍隊を動かして世界を征服したい。

俺はまるで共産党員みたいだな。
普通にロックをやってきただけなんだけど。
そうだよ、売れない音楽をずっとやってきたんだ。
何を学ぼうと思ったわけじゃない。
好きな音楽をやっているだけだ。
それを、何かに利用しようなんて思わない。
せこい奴らとはちがう。
民衆をだまして、民衆を利用して、いったい何になりたいんだ。
予算はどーなってるんだ。
予算をどう使うかっていうのは、いったい誰が決めてるんだ。
10万円のために人を殺す奴もいれば、10兆円とか100兆円とかを動かしてる奴もいるんだ。

一体この国は何なんだ。
俺が生まれて育ったこの国のことだ。
君が生まれて育ったこの国のことだよ。
どーだろう……、

この国の憲法第九条は、まるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか?
戦争を放棄して、世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。
俺達は、ジョン・レノンみたいじゃないか。
戦争はやめよう。
平和に生きよう。
そして、みんな平等に暮らそう。
きっと幸せになれるよ。



ちょっとおまけ


『イマジン』
作詞・作曲/John Lennon
和訳/忌野清志郎

天国は無い ただ空があるだけ
国境も無い ただ地球があるだけ
みんながそう思えば簡単なこと さあ

社会主義も 資本主義も
偉い人も 貧しい人も
みんなが同じならば簡単なこと さあ

夢かもしれない でもその夢を見てるのは
一人だけじゃない 世界中にいるのさ

誰かを憎んでも 派閥を作っても
頭の上には ただ空があるだけ
みんながそう想うさ 簡単なこと言う

夢かもしれない でもその夢を見てるのは
君一人じゃない 仲間がいるのさ

---(「ほら、ここにいるぜ!」)---

夢かもしれない でもその夢を見てるのは
君一人じゃない 夢かもしれない
でも君一人じゃない 一人ぼっちじゃない
仲間がいるのさ

夢かもしれない かもしれない かもしれない
夢じゃないかもしれない

君は一人じゃない 違う 一人ぼっちじゃない

僕らは薄着で笑っちゃう
ああ 笑っちゃう

僕らは薄着で笑っちゃう
ああ 笑っちゃう

「どうもありがとう愛してます!愛と平和!」


この歌詞の、僕らは薄着で笑っちゃう、というのは、『窓の外は雪』という、愛し合うふたりのなんともほのぼのとした嬉しさを歌った歌の歌詞から引っ張ってきたという説があります。

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この反省の無さ、この責任の無さ、これぞ日本の原子力・核燃業界の象徴なり!ど~ん!

2012年12月20日 | 日本とわたし
またまた出ました、原子力施設を運営する人間の、危険逃避願望病。
この人らのこの病は深刻。脳ミソの奥の奥まで、その菌が浸透してる。
普通、その道を極めてる学者が、ここは非常に危ない、なんでかっちゅうたら、こういう経歴を元にした学説や証拠がある、言わはったら、
えらいこっちゃ、ほんまですかと、大慌てで対策練ったり、物事を変更したり、最低でも、とりあえず自分らの金儲けを一旦棚上げしよかと思う。
それを、あろうことか、そんなこと起こるわけないやないか、もし仮に起こったとしても大丈夫なように造ってますねん、と言い返す。

大丈夫なように造ってあって、安全安心を声高らかに吹聴し、あっちゃこっちゃに『明るい未来』の看板建ってた町や村が、壊滅的な被害を受けてる真っ最中やというのに……。

この反省の無さはなんや。
この責任の無さはなんや。
この恥を知らん態度はなんや。
こんな人間らに、あんな世にも恐ろしいもんを任せてることこそが恐ろしい。

↓以下、転載はじめ

六ケ所村で断層調査 規制委方針
【東京新聞・社会】2012年12月19日

原発や核燃料サイクル施設が集中する青森県・下北半島全体が、地質的に、原子力施設を設置するには危険、との見方が専門家の間で広がっている。
このため、原子力規制委員会は、六ケ所村の核燃施設でも、断層調査に乗り出す方針を固めた。
危険と判断されれば、全国の原発から出る、使用済み核燃料の行き場がなくなり、日本の原子力政策は、根幹から修正を迫られる。 
 
断層活動を研究してきた専門家は、下北半島東側沖合にある「大陸棚外縁断層」を、活断層とする学説を注視。
全長百キロあり、下北半島を西側に押しながら、潜り込むような動きをしているという。
半島沿岸には、12万5千年前以降にできた新しい地形(段丘)があちこちで見られ、これらは、断層活動に伴って隆起した証拠とされる。
 
規制委が実施した現地調査で、東北電力東通(ひがしどおり)原発(青森県東通村)内に、活断層がある可能性が高まっている
これらの断層も、大陸棚外縁断層の及ぼす力で形成され、今後も動く恐れがあるという。
 
東京大学の池田安隆准教授(地形学)は、音波探査の研究結果を基に、
「この断層は、西側に向かって傾きながら、深さ15キロほどまで延びており、下北半島を横断している」と指摘。
地下深くにある活断層の上に、原子力施設が位置する危険性に、警鐘を鳴らす。
 
東洋大学の渡辺満久教授(変動地形学)は、六ケ所村の核燃料施設近くに見られる段丘や、海側に向かって下がる地形も、大陸棚外縁断層の活動によると主張。
さらに、大陸棚外縁断層から分岐した断層が、施設の直下を通っているとし「大陸棚外縁断層が動いたとき、一緒に動く危険性が高い」と警告する。
 
池田氏は、大陸棚外縁断層が動けば、沿岸部では、マグニチュード(M)8級の地震が起きると予測する。
核燃施設を運営する日本原燃は、大陸棚外縁断層が活動する可能性を否定。
M8級の地震も考慮して、耐震性を確保しているとするが、震源はずっと遠い沖合を想定しており、大陸棚外縁断層が動けば、より大きな揺れに襲われる恐れ
がある。
 
規制委の田中俊一委員長は、下北半島全体で、断層の影響を調べる必要性を、記者会見などで認めている。
 
六ケ所村の核燃料サイクル施設 
使用済み核燃料を溶かし、再利用するプルトニウムを取り出す再処理工場(未完成)と、
そこで出た高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)を、数十年間保管する貯蔵管理センター、
取り出したプルトニウムを、混合酸化物(MOX)燃料に加工する工場(未完成)などからなる。
既に、貯蔵管理センターには、約1400体のガラス固化体が保管されている。
 
巨額の資金投入にもかかわらず、再利用の輪(サイクル)が完成するめどは立っていない


↑以上、転載おわり


日の丸にこんなもん入れられて……悔しい……いつか追い出したる。
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「まず、総理から前線へ、賛同しておられる方々も続いてどうぞ」ど~ん!

2012年12月19日 | 日本とわたし


この写真は、今から30年も前の1982年に、広告批評という雑誌のグラピアの6月号に掲載されたものだそうです。
どこの国でも、軍隊を保持している国では、爺さん連中が軍隊や兵器工場を次々におっ建て、ウハウハ儲け、
アドレナリン満開のおっさん連中が、自分らの好奇心と支配欲を満たすために指図をし、
女子どもを容赦なく殺せるように、人格をぶっ壊す訓練を集中的に受けた若者達が、現場でハタと気がついて、おかあさん!と叫びながら傷つき死んでいく。
こんな愚かな国の仲間入りをしようとする動きは、絶対に許したくないと思っています。

以下の記事は、今から10日も前に掲載されたものですが、関連している内容なのでここに転載させていただきます。

↓以下、転載はじめ

憲法改正のマジック
【東京新聞・社説】2012年12月9日

憲法で禁じた集団的自衛権の行使を法律によって可能にする、こんなからくりが国会で進みつつあります。
実現すれば、平和憲法はなし崩しになります。
 
16日投開票の衆院選挙で、集団的自衛権の行使容認を訴えているのは、自民党、日本維新の会、国民新党など複数あります。
公約には掲げていないものの、野田佳彦首相が、「見直す議論を詰めていきたい」と述べるなど、民主党の中にも容認派はいるようです。
尖閣諸島などの問題や、国内の行き詰まった状況が、ナショナリズムを高めているのでしょうか。

◆集団的自衛権行使へ
 
集団的自衛権とは何なのか。
あらためておさらいします。
1981年、政府は答弁書で、集団的自衛権について、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、実力をもって阻止する権利」と定義したうえで、
「わが国が主権国家である以上、集団的自衛権を有しているが、憲法九条で許容される必要最小限の範囲を超え、行使は許されない」としています。
政府見解は定着しており、憲法改正を経なければ、集団的自衛権行使は認められないはずですが、「国家安全保障基本法」の制定によって行使が可能になるとの見方が、政党間で急浮上しています。
例えば、自民党は、7月の総務会で、国家安全保障基本法の制定を決めました。
まだ法案の概要しかありませんが、次に、政務調査会が、詳細な中身を定めていきます。
法案の概要をみると、第10条「国連憲章に定められた自衛権の行使」は、国連憲章51条の規定を根拠に、集団的自衛権の行使を認めています。
第11条「国連憲章上の安全保障措置への参加」は、国連安保理決議があれば、海外における武力行使を認める内容となっています。



◆憲法解釈変える法律
 
どちらも、憲法九条の解釈に、明らかに反します。
憲法違反の法案は、国会提出さえできないのでは、そんな疑問が浮かびます。
 
一面はその通りです。
行政府の中央省庁が、法案をつくる内閣立法なら、憲法との関係を審査する内閣法制局の段階でストップがかかり、国会提出には至りません。
国会議員が法案をつくる議員立法となれば、話は別です。
衆院、参院、それぞれの法制局が審査して意見を述べますが、提出を決めるのは、立法権のある国会議員。
国会で法案を説明するのは、提出議員のため、答弁に窮するような問題のある法案が、提出に至ることはまずないのですが、前例があります。
 
2010年5月、中谷元・元防衛庁長官ら5人の議員が、「国際平和協力法案」を衆院に提出しました。
先月の衆院解散により、審議未了で廃案となりましたが、海外での武力行使が不可避な自衛隊の活動が3項目含まれ、憲法違反が疑われる内容でした。
 
国家安全保障基本法案も、議員立法の手続きが予定されています。
自民党は、この法律とともに、集団自衛事態法、前出の国際平和協力法を制定し、自衛隊法を改定するとしています。

 
これらの法律が成立すれば、集団的自衛権行使や海外の武力行使が、解禁されることになります。
法律が憲法違反か審査する憲法裁判所のような規定が、わが国にはないため、法律によって憲法解釈が変更され、「国のかたち」を変えるのです。
やがて、憲法が、自衛隊活動の実態に合わないとの批判が起こり、新たな憲法が制定に至ると見込んでいるのではないでしょうか。
まるでマジックです。
 
国会で過半数を占めさえすれば、国家安全保障基本法は成立します。
3分の2の国会議員の賛成や、国民投票が必要な憲法改正と比べ、なんとお手軽なことか。
与党であっても党内で反対され、この裏ワザはとらなかったのですが…。
 
07年、自民党の安倍晋三総裁は、首相だった当時、自衛艦と並走する米軍艦艇の防御、米国を狙った弾道ミサイルの迎撃など4類型を示し、集団的自衛権行使の容認を目指しました。
いったいどの国が、世界一の軍事力を誇る米国に対して、正規戦を挑むというのでしょうか。



◆海外の武力行使が可能に
 
起こりそうなのは、米国による海外の戦争に参加して、武力行使することではないでしょうか。
第二次世界大戦後、各地で起きた戦争や紛争の多くは、米国や旧ソ連が介入して始まりました。
「大量破壊兵器を隠し持っている」と言いがかりをつけて、米国が始めたイラク戦争に、英国は集団的自衛権を行使して参戦しました。
イラクへは、陸上自衛隊も派遣されましたが、憲法の規定から、人道復興支援にとどまりました。
 
日本の平和を守り、国民の安全を守ってきた憲法を、法律でひっくり返す「法の下克上」は、断じて認めるわけにはいかないのです。

↑以上、転載おわり


ここ数日、先週の金曜日に起こったコネチカット州の小学校での乱射事件が発端となり、
これまでにもこういう事件が勃発するたびに論議されてはうやむやになり続けてきた銃規制について、いよいよ今回ばかりはうやむやにはせんぞ!という気運が生まれてきてる。

『今日はまだやらへん?ほないつするっちゅうねん?』というプラカードを掲げて抗議する人が街角で立ってたり、
英国人としてアメリカを客観視する役回りを与えられてるCNNのピアース・モーガンが、毎晩顔を真っ赤にして、全米ライフル協会の関係者とやり合うてたり、
フロリダの女性民主党上院議員が、1月の新議会で、1994年から2003年まで有効やった「自動小銃および連射用マシンガンの禁止」を立法として提出すると決めたり、
オバマ大統領がついに、銃規制特別審議会を来月早々に開くと宣言したり、
ほんで、ニュータウン町の住民が一致団結して、「ワシントンへ向けて銃規制の実施を訴える」運動を開始すると表明したり……。

全米ライフル協会の人間が、「校長もM4ライフル持ってたらよかったのに」と言うたのを聞いた時、腹の底から怒りがわいてきて吐き気がした。
目には目を、銃には銃を、兵器には兵器を、軍には軍を。
こういう暴力対暴力が、なんの解決にもならんことが、なんでわからんのやろか。
もちろん、そんな思想だけのこととちゃう。
ライフルや兵器の陰には、大儲けしとうてウズウズしてる人間のクズがいて、そいつらが権力や金を有り余る程持ってる人間に近づいていく。
銃メーカーは、2008年に、ブッシュ政権が憲法をいじって作った新たな法律で、銃がもっと簡単に買えるようにしたおかげで、この4年の間にとんでもなく儲かった。
株も上がった。
州によって法律がちゃうから、車で州境を通るたび、ここはどっちやったっけかと、ふと考えることがある。
もし、銃の規制が緩いとこに入り込んでたら、人の動きにもっと注意を払わなあかんから。

もうやめような。
間違うてることは、どこでどう誤摩化したって間違うてるねん。
人殺しに国の若いもんを行かせる国は、絶対に間違うてるし、いつかきっとバチが当たる。
日本の平和憲法は、世界に誇れる宝もの。
そんな大切なもんに、汚い手で触るな! 
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誕生日を祝える幸せを感謝しつつ

2012年12月18日 | 家族とわたし
今日は大切な日やった。
上の息子の誕生日やった。
息子はなんと、早26才。
お祝いの電話をして、おっさんと呼んだった。
そしたら、しみじみと、そやなあ、おっさんや……と言いよった。
なに言うとんねん若者よ、君はこれからまだまだ生きて、世界を見ていかなあかん。

このブログを書き始めてからずっと、毎年この日はおんなじ話を書く。
それしかないんかっ!と怒らんといてほしい。
この日はこれしかないんやから、わたしの心の中には。

上の息子は、わたしにとって初めての妊娠やった。
田舎に嫁いだ嫁として、一番起こったらあかんこと(不妊)が何年も続いてた。
婦人会の公民館の掃除では、石女と呼ばれた。
草引きでは、あんた、なんの病気?と聞かれた。
舅には、こんな弱いとは思わんかった。大阪に帰ってもええでと言われた。
悩んで望んでいろんなこと試してはがっかりして、8年間全くあかんかって、それでやっと踏ん切りついて、いろんな新しいことを始めよう思た矢先に、いきなり妊娠した。
嬉しいて嬉しいて、今まで散々なこと言うてた人らに言うて回ったろかと思たけど、ほんまに安定するまでは絶対に公言したらあかん言われてがまんした。

お腹の中でだんだんおっきなってくる子に、毎日毎日話しかけた。
ぐるっと回るたんびに、へその緒を巻きはせんかと心配した。
CTスキャンに写った白黒のぐにゃぐにゃしたん見て涙ぐんだ。
初めてで、ほんで医者もなんも言わんかったから、ぶくぶく太った。
妊娠中には、流産と早産しかけて、安静にせなあかん時期があった。
もともと便秘ぎみやったのが、もっとひどなって、臨月のんは最悪で、病院のトイレで看護士さんの指で掻き出してもろたりした。

予定日が近づいてきて、お知らせみたいなんがあったんで、かかりつけの産婦人科に行ったら、いきなり軽い陣痛促進剤を投与された。
医者が部屋にやってきて、子宮口の開き具合を確かめる。
痛みはどんどん強うなり、痛む時間と痛みが引く時間より長なっても、やっぱり4センチ以上には広がらへんかった。
翌日医者はゴルフに行き、出先から電話で看護士に指示をした。
翌日の朝からずっと、極期の痛みが1時間続き、引くのはわずが10秒ぐらいしか無く、食べるのはもちろん、トイレに行くことも、しゃべることもできんようになった。
付き添うてくれた母は、その日の朝からずっと、痛む時に背中をさすり続けてくれた。
結局、丸二日と半日続いたその痛みを、ちょっとでも和らげようとさすってくれた母の爪は、何本か剥がれてしもた。
三日目の朝、いきなり医者がやってきて、結局4センチ以上は開かんとわかったのに、いきなりハサミを入れて羊水を全部流してしもた。
お腹の中の息子は、突然のことに狼狽えて、逆にわたしの喉元に上がってきた。
心臓を蹴られたような痛みを感じた。
息が苦しくなって、意識が朦朧とし出した。
耳元で、いつもは厳しい母が「痛いって言いなさい!しんどいって言いなさい!」と叫んでた。
そんなこと急にあんた、言わんとってよ。病院で痛い痛い言うて騒ぐ人いるけど、あれはみっともない、あんな真似は絶対にせんときやって言うてたやんか。
笑たろ思たけど、全くほっぺたが動かんかった。
唇はとうの昔にひび割れて、血がいっぱい出てた。
いきなり看護士がベッドに乗り上がってきて、わたしに馬乗りになり、肘で息子の体を押し出そうとした。
息子は嫌がって逃げようとする。
それを看護士はグイグイ押す。
ああ苦しい、息が止まりそうや。

そう思た時、はっと正気に戻った。
なんちゅうこっちゃ。なんでわたしは、こんな、一生のうちで一番幸せを感じられるはずの日に、息が止まりそうになってるん?
わたしの息が止まったら、いったいお腹の中の子はどないなるん?
かなんかなん、死んだらかなん。
神さん、仏さん、ご先祖さん、どうか、どうか、お腹の中の子だけは助けたってください!頼みます!お願いします!

「呼吸停止!」という看護士の叫び声を最後に、わたしは意識を失うた。


息子の誕生日が来るたびに、あの三日間を思い出す。
母の、爪が剥がれた指を思い出す。
点滴の管を両腕と両足につけられて、身動きがとれんまま、赤ん坊を抱くこともできんままに過ごした2週間を思い出す。

お互い、しんどい思いしたな。
あんたは全然覚えてへんのやろけど。
こうやって26年、いろいろ危ない時はあったものの、無事に生きてくれてありがとう。
わたしに、母親業をさせてくれてありがとう。
これからも、どんくさいしあんまり頼りにもならんけど、よろしゅうにね。

誕生日、おめでとう。
こんな大事な息子を、戦争なんかに行かせてたまるか!
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原発狂の自民党が、福島の人らに約束したこと!ど~ん!

2012年12月17日 | 日本とわたし
これが、福島県で配られていた自民党の約束パンフレット。







県内の原発10基すべて、廃炉を実施します、から始まって、災害復旧、鉄道全線開通、がれき処理の早期完了、土の再生に補償・賠償、就労支援の充実、
ほんでもって復興公営住宅整備に、県内外の避難者への支援の充実などなど……、

そうか、新聞テレビの大々的で露骨そのものやった宣伝活動と、選挙管理委員会も巻き込んだ時間差ちょろまかしだけやなかったんやな、
自民党の圧勝とか言うてるけど、あんなけったいな選挙方法で圧勝言われたかて……圧勝ちゃうし、全然。
結局は、前より支持されてへんし……。
違反とも言われてる選挙制度で、ゴリ押ししてるだけやし。
法律家が必死になって訴えてるけど、裁判所もグルやし。
細かいことはもうめんどくさいから言わへんけど、もしもっと有権者がまともな社会的知識もってたら、やり直しの抗議行動がとっくに勃発してるはずやし。
自分らに与えられてる、それはそれは尊い参政権が、まるででたらめの代物やというのに。

えらい震災と津波に襲われて、そのあとごっつい原発事故が起こって、放射能でめちゃくちゃに汚されて、
そんなんがいっぺんに起こってヘトヘトに弱り切ってるのに、思いっきり放っとかれて、
ええ加減、生きてるのもアホらしなってきてる人らの手に、こんなパンフレットが渡されたら、ほんで、新聞テレビがあれだけでたらめ垂れ流してたら、
そら、もうここにしとこ、って思うのもわかるような気がする。

知らんかった時は、こんな人災を起こした本元に、なんでまた期待するねん?!と、思いっきり首傾げてた。

せやけどな、ぱっくり開いた深い傷に、カラシ塗られたり塩かけられたり、踏んだり蹴ったりで疲弊してる大人の、半分ぐらいしかない背丈の、
心配そうに見上げてる子どもらの顔を思い浮かべたら、やっぱり腹の底からムカついてきて、それでももっと考えてえな!と叫びとうなる。

逃げてください。
この選挙でも、ようよう分かったんちゃいますか?
誰も助けてくれへんのです。
助けるどころか、利用したいと思てます。
市井の市民ができる、一番効果的な攻撃は、逃げることです。立ち去ることです。おらんようになってしまうことです。
福島に限らず、ここはヤバいと思う所から、人が我も我もと逃げ出したら、町も村も市も県も、そらもう困るんです。
お金が儲からへんから。
わたしらは、お金の成る木なんです。
それも、水をかけたることもいらん、まったく都合のええ便利な木なんです。
立ってたら根っこから腐ってしまうような土のとこで、いつまでもいたらあきません。
木やけど、幸いなことに歩ける。
逃げてしまいさえしたら、リコールする必要もない、その県や町の極悪役人は弱り果てます。
ものすごシンプルで効果的な攻撃です。

やってみませんか?
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「高学歴の人間から一定の割合で発生する悪性腫瘍の為に、声なき者から死んでいく」by山崎マキコさん

2012年12月17日 | 日本とわたし
今日、ひょんなことから、山崎マキコさんという人を知った。
栃木に住んではって、原発事故後にいったん避難して、今は高知に落ち着かはった。
今、彼女が書いたエッセイを、片っ端から読みまくってる。
いろんな、ぜひぜひ紹介したいもんがてんこ盛り。

これから紹介させてもらうのは、今からもう半年も前の、6月の末に書かれたもので、これをもって最終回にします、というさよなら記事。
もともとから地元の人間ではないけど、良い農業をしようと移住して、土地の人達にもしっかりつながってきてた矢先に事故が起こり、
化学に詳しいマキコさんが、即座に避難を決定し、脱兎のごとく避難してから以降の様子が書かれてる。

↓以下、転載はじめ

山崎マキコの時事音痴
最終回 2012.06.27
それでは皆様、さようなら
もう終わりにしよう。
叙情に流れっぱなしの、このエッセイにも、そろそろ終止符を打とう。
栃木で最後に言えることは、わたしは人の命を金で買ったということだ。
 
夫は集落の人にさんざん罵倒されたあと、無言で草を刈っていた。
怖かった。
夫と地面の距離が怖かった。
さんざんフォールアウトした土地の土ぼこりを、夫に吸わせるのが怖かった。
日没を待って、それとはないそぶりで声をかけた。
「疲れたでしょう?
それにね、栃木に滞在していられる時間はもう残り少ないでしょう?
不動産屋を巡るとか、荷物を処分するとか、色々あるし。
そっちが優先事項じゃないかと思うんだなあ。
産廃の人にはどうしても頼らなくちゃならないから、その人たちにお願いしようよ」
 
我ながらとても、薄気味が悪い。
自分の、優しさを装った声が、気味がわるい。
だれが知らなくとも、わたしだけは自分自身に騙されない。
人の良い夫は、わたしに容易く騙された。
本音を言ったら、この人はむしろ引かない。
それと同時に、原発の構造自体を、自分のなかの醜さを通して理解した。
 
人の命を、金で買う。
経済が、経済がと言いながら、人の命を金で買う。
翌日には産廃業者がやってきて、国の基準値が甘くなったので、雑草も燃やせますと嬉しそうに胸を張った。
もっとも効果的な方法なのだ、燃やすというのは、放射性物質を拡散させる手立てとして。
現在進行している瓦礫の受け入れと焼却。
それが、放射性物質をばら撒く、もっとも効果的な手段なのだ。

わたしたちに草を枯れと迫った集落の人たちは、この枯れ草を燃やしたら、自分たちの身になにが降りかかるのかを知っているのか。
そしてこの産廃業者の人たちは、わたしの代わりに被曝する。
金を握らされて、被曝する。
かき集められた枯れ草は、燃やされて拡散する。
わたしが夫を連れて高知に逃げたあとに、すべての事態は進行する。
 
なるほどなあと、淡々と思った。
ああ、わたしはこんなに醜悪な人間なのかと。
それを認めると、世間の輪郭が妙にクリアに見えてきた。
わたしはわたし自身を善人だと思い込みたいがために、これまで歪んだ鏡で自分を写し、それを基準にして世間に当てはめていたから、輪郭がクリアにならなかったのだ。
輪郭がクリアになれば、物事はとてもシンプルになる。
 
バイスタンダー効果を理解してみればいい。
線量に閾値があるのかないのかなんてくだらない論争は、一発で終止符を打つ。
科学は為政者の都合で、平気で嘘をつく。
 
線量は、蓄積する。
確実に。
 
水俣病の被害者たちの過去に学んでみればいい。
まったく今と同じ構造だ。
念のため過去最大の公害病を振り返ってみよう。
わたしは我が目を疑ったのだが、皆さんはどうだろう。
あまりの類似性に、いまの事態が予言されていたのではと思うほどである。
 
最初の公式患者は5歳の女児だった。
よだれ・嘔吐・歩行障害・言語障害・痙攣。
1953年12月頃からこうした症状に苦しみ、59年に死亡する。
 
熊本大学水俣病研究班は、調査・研究の結果、相次ぐこうした不審死の原因物質は、有機水銀だと特定するに至る。
すると次にどうなったか?
清浦雷作・東京工業大学教授が「有毒アミン説」を提唱し、戸木田菊次・東邦大学教授は「腐敗アミン説」を発表する。
「患者は腐った魚を食べた」
 
そういうことにさせられたのだ。  
結局、1956年に公式に患者が“発見”されてから、チッソ水俣工場から流出したメチル水銀化合物が原因だという政府の公式見解が出るまでに12年、
裁判で元社長らの業務上過失致死罪が確定するまでに32年かかった。  
その間、有機水銀説を認めず、チッソに有利な説を唱えていた学者たちの責任が問われることはなかった。
そして最高裁が国と県の責任を認めたのは、手を汚した人間たちが「おはかに避難」したあとの2004年。
患者の“発見”から48年後だった。
 
為政者はこうして、そしてそれにおもねる「学者」たちは自分たちの利益のために、いけしゃあしゃあと嘘をつく。
今回の原発も、50年たてば誰の言っていることが正しかったかわかるだろう。
 
この国は原発推進派の「真っ赤なデマ」は批判しないのに、反原発派の誤りを重箱の隅をつつくように探す。
そして「不安を煽った」として、糾弾するのだ。
 
どうしてか知っているか。
わたし自身は気づいているが、自分自身でその理由に気づいているか。
 
わたしは長らく不思議だった。
どうして「愛国者」を自称する人たちが、「経済が」と言いながら、おのれの子孫を喰らうような真似をするのかが。
いわゆる「核のごみ」の処理は、「自分たちでするのは危険だ」という理由で、子孫につけを押し付けたものだ。
そんな方法がないことなんて、薄々気づいていたはずなのに。
 
理由は単純だ。
彼らの本音は、単純だ。
「お上に逆らうな」。
愛国者の化けの皮を剥げば、「お上には逆らうな」という、唾棄すべきへつらいがあるだけだ。
五人組制度と隣組制度の卑しい性根を残したまま「愛国者」たちは言う。
「放射能は安全だとお上が言っている」
「お上に逆らうのは、非国民である」
戦時中とどこが違うのだ? 
「一億総玉砕とお上が言っている」
「死なない者は非国民である」
そして生き残ったあとはこう言うのだ。
「戦争はいかんですよ!」。
 
なぜ、言わない?
「お上に逆らわなかったわたしたちが悪いですよ」
「そうなんです、相互監視しあってました」。
「お上に逆らった奴は、率先して密告してました」
 
なぜ、言わない?
「お上に従えば、身の安全は保障されると思ったんです」
「だから“愛国者”じゃない人間は、一致団結して虐殺してまわりました。侮辱と汚名をかぶせて、殺しました」
「いちばんこの国でえらいのは、お上です。つまり役人だと思います」
「わたしたちもはやく、役人になりたーい」

なぜ、ごまかす?
「わたしたちは、“騙された”」

違う、民意だ。
すべて、民意だ。
周囲の顔色をおもんぱかり、風潮に必死に乗り、若者を特攻機に載せ、死ぬために死ねと命じて、卑怯に生き残り、そして言う。
「戦争は悲しみしか生みません」
今度はこう言っている。
「放射線は安全だ」
「瓦礫も安全安心だ」
「なぜなら、お上がそう言っているから」
こうして必死に「風評被害」という新たな風潮に乗り、「被災者のため」という名目のもとに瓦礫を我先にと引き受け、
そしてその瓦礫の処分の費用が被災地の自治体の借金となって残るのも無視して、「これが被災地のため」と、美辞麗句にのみ浸る。
さらに相互監視して、「避難」という自主的な行為に及んだ人間を、「非国民」としてなぶり殺しにしようとするのだ。
精神的に。

「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは、平然と「国民の自業自得(自己責任)」だとうそぶく。
「(ドイツ)国民が地獄を味わうのは当然の義務。われわれを(選挙で合法的に)選んだのは国民なのだから、最後まで付き合ってもらうさ」

わたしには反論する術がない。
そう、民意だ。
すべて、民意だ。
歴史は、選択と選択の連続だ。
 
ここに言おう。
この国の成人は、これからおのれの身にどれだけの重篤な健康被害が現れようと、決して、「騙された」などとは口にしてはならない、と。
騙された、ふりをした。
騙された、ふりをすれば、自分自身に受ける被害よりも、貰えるおこぼれのほうが多いと判断したからこそ、騙されてみた。
そこにはそろばん勘定がある、と。

「知らなかった」。
これも、口に、するな。
怠惰もまた、選択のひとつだ。
自国の原発が爆発したというのに、必死に目を背けて、AKB48の選挙に熱中することを、「選んだ」のだ。
 
そう、あなたたちは薄々気づいている。
この国の行動の異様さに。
封じ込められた核汚染物質が、なぜ拡散されようとしているのかに。
その裏にある権力の強大さを、ひしひしと感じているから、必死におもねって、自分だけは生き残ろうと利己的になる。
健康被害にしてもそうだ。
「子供たちに重篤な健康被害がでようが、おのれの世代は癌になる確率が少しあがるだけ」。
そう思えるから、平気で子供たちに、高線量の被曝を強いる。
声なきものから死んでいくのを、よくよく承知しているからだ。

わたしは昨日、NHKのドキュメンタリー番組を見ていた。
11年前、「地下鉄サリン事件」を起こしたオウム真理教にまつわる番組だった。
番組では、ナレーターがこう語っていた。
「命じられるままに、無差別テロを引き起こしていった若者たち」
 
オウム真理教には、高学歴の幹部たちが多かったのも、世間を驚かせた。
なぜ、高学歴の若者が、安易に「洗脳された」のかと。
違う、逆なのだ。
安易に「洗脳される」からこそ、高学歴なのだ。
彼らは、洗脳してくれる存在を求めている。
そしてその命令を、おのれの能力によって実行して、幹部という名誉で「称えられる」ことを欲している。
オウム真理教が霞ヶ関を狙ったのも、偶然ではないのだ。
必然だ。
なぜなら、彼らは、高学歴の人間から一定の割合で発生する、悪性腫瘍であるからだ。
霞ヶ関の人間は、自分たち自身の組織が変異して、正常なコントロールを失い、自立的に増殖された細胞によって、攻撃を受けたのだ。

「命じられるままに、原発推進を行った若者たち」
「命じられるままに、瓦礫の拡散を行った若者たち」
「命じられるままに、原発の再稼動を行おうとしている若者たち」
 
上祐の喋り方は、なんと、霞ヶ関の役人と似ていることか。
彼は平然と嘘をついていたが、それは麻原によって「命じられている」という、主体性の放棄が完了していたからだ。
自分自身は手を汚していないと、彼は信じている。
だから平気でいられるのだ。
「ああ言えば上祐」と言われようが、それは、おのれの罪ではない。
主体性を持つ「大人」の命令を、素直に実行に移せる「良い子」なのだ、彼らも、霞ヶ関の役人も。
そして賞賛を待っている。
「素直な良い子ね」

彼らは、「大人」が方針を転換しない限り、永遠にその立場を貫き通すだろう。
決して、真の意味で、自分自身で思考しようとはしない。
 
ワイマール共和国は、まもなく滅亡する。
 
それは事実かもしれない。
だが、わたしは、滅亡の先を見ようと思うのだ。
自分の足でたどり着けない未来であっても、その先を望むのだ。
虚無に喰われていた時間の空虚さと、息をしているのもしんどかった日々を知っているからこそ、望むことを選択する。
 
栃木で、産廃に出す荷物の整理を黙々と夫と行っていたとき、玄関のチャイムが鳴った。
とっさにわたしは、夫を制した。
「わたしが行く」
これ以上、夫が言葉の暴力に晒されるのを、わたしは防御したかった。
わたしは平気だ。
なぜなら、平気で人を見下せるからだ。
嘲笑という武器が、わたしにはある。
夫のように、他者と理解しあえる日を、期待しない。
わたしは荒っぽい足取りで玄関にむかった。
引き戸をあけた。
するとそこにいたのは、酪農を営む生産者の若奥さんだった。
「わあ!本当だ。戻ってきたんだ、戻ってきたんだ!」
恨むどころか、満面の笑顔でわたしとの再会を喜んだ。
何度も全国の品評会で表彰されるような、凄い肉牛を育ている、真剣に生きているご家族だった。
その若奥さんだった。
綺麗な人だった。
「元気だったんだ、元気だったんだ、よかった、よかった」
わたしはとっさに、彼女と抱擁を交わしていた。
「会えたね、また、また会えたね」
自分の醜さを認めたら、人の尊さも見えてきた。
わたしは正しく、尊い人と再会した。
生きているってそれだけで素晴らしい。
こんな時代にあろうが、生きているって、それだけで素晴らしい。
わたしはまた出会う。
そして驚く。
目を見張る。
世の中には、だれに知られることもなく、尊い努めを果たしている人がいることを知る。
 
高知の借家は、生き物の気配で満ちている。
冬場は野うさぎが家のまわりを徘徊し、山側から春先はうるさいぐらいに、ホトトギスが鳴き声の練習を重ね、
それが終わると、田んぼの側から、カエルたちが異性を求めてゲコゲコと鳴き、猫が玄関先に殺気を漂わせた目でたたずみ、屋根裏はねずみが、猫の捕獲から逃れようと走り回る。
 
生きているって、それだけで素晴らしい。
さよなら、皆様。
いつかまた会えるかもしれないし、もう会えないかもしれない。
だけどいままでありがとう。
それではこれにて「時事音痴」を終了します。
さようなら。


↑以上、転載おわり

朝からイッキ読みをしていて、なんだか口調まで似てしまいそうなぐらい。
けれども、この最終回と、最終回前の栃木行きその①からその⑤を読んで、胸がつまった。
どうか皆さんもぜひ、読んでみてください。
避難する、ということが、どういうことなのか、これはマキコさんの場合、というお話ですが、その胸中を自分のことのように考えてみてください。


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米国『ENOUGH IS ENOUGH!』事情

2012年12月17日 | 米国○○事情
interfaith in New Town



インターフェイスという言葉は、異なった宗教間の、という意味。
今夜、乱射事件のあったNew Townで、異なる宗教が一同に集まり、犠牲者への弔いをした。

わたしはこの、インターフェイスの慰霊を、9.11の記念慰霊祭で経験して、しみじみと感動したことがある。
出身国を問わず、宗教も問わず、みなが心を寄り添わせて祈る。
このことに、アメリカの人達の寛容と、文化の懐の深さを感じる。

今夜は、オバマ氏も参加し、こんな言葉を伝えてくれた。

「言葉は、皆さんが受けた悲しみに対してあまりにも軽く」という、悲しみにあふれた言葉から始まり、
「 米国は、こうした事態をあまりに頻繁に繰り返してきた。
ニュータウンの小学校、オレゴンのショッピングモール、ヴィスコンシンの教会、オーロラの映画館、シカゴの街頭。これは全て私たちの町であり、私たちの住む地区だ。
この子どもたちは私たちの子どもたちだ。
こうした悲劇を二度と繰り返さないために、我々は決心を固め、効力ある措置をとらねばならない。
政治に気をとられている場合ではない。
こうした出来事が繰り返されるのを受け入れることはできない。
法執行から精神医療の専門家、親や教師に至るまで、市民の皆さんに再発阻止に向けた努力に取り組んでもらうため、今後数週間のうちに大統領として持てる全ての力を使う」

と、政府として初めて、銃規制や市民側の対策を、早急に考え直す意味合いの言葉を公に発言した。

旦那ははじめ、わたしがこの会を観ようとするのを止めたがった。
彼は、こういう事件が起こるたびに、ハエのように群がってきて、可哀相でショーを嬉々として展開するマスコミに、ほとほと嫌気がさしてるからや。
わたしもそれはわかる。
もうええ加減にして欲しいと思う。
効果音的な音楽を流し、そこら中の人間を捕まえてはおんなじような質問をし、カメラとマイクを持ち歩いては獲物を狙てる看板キャスターたち。
もちろん、心の中にある気持ちを声に出すことで癒されることもある。
そうやって、大勢の人達に観てもらってるということが、もしかしたら心の支えになる人もいるかもしれん。
けれども、バージニア工科大での時もそやったけど、頼むからそっとしといて欲しいと、げっそりした顔で言うてた人もいるはず。

それに、こんなことを今思たり比べたりするのは、あんまり適切ではないかもしれんけど、
例えばアメリカの軍の人間は、空からコンピューターでガンガン爆弾を落とし、ちょっとズレてしもたからと、学童を何人も殺してきたやないかと思たりする。
その子達は、こうやって名前を呼ばれることもなく、国全体が喪に服すこともなく、死んだ人間の数字の中に組み込まれてしまう。

凶器を持った人間の狂気の為せる業。
銃も、兵器も、軍もいらん。
こんなクソったれなもんを、誰もが持てる国なんか、絶対の絶対に間違うてる。
年に3万人もの人間が、銃で死んでる。
そのうちの500人は、なんと、ちょっとした不注意で誤射した理由で亡くなってる。
日本は、年に多くても7~11人。
けど、銃やのうて、刃物や薬や飛び込みで、年に3万人もの人達が自殺してる。

なんとも悲しい国やこと。
今回のオバマ氏の、大統領として持てる全ての力を使て、いったいどういうことをするのか、それをじっくりと見させてもらおうと思う。
もちろん、わたしら市民の側からも訴える。
もうほんまに充分やっちゅうたら充分やねん!

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