ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

たのまれてんねんで!おとな!

2012年12月02日 | 日本とわたし
このちらしは、友人の二朗さんが先日、東京の街中で配り歩かはったものです。
ちらし配りをして感じたことは、街行く人の選挙に対する関心が、ごっつう低いというものでした。
突然の大震災と津波に襲われ、原発の重大事故が起こり、甚大な放射能汚染に見舞われたというこの時期に行われる選挙やというのに、
いったいどういう思考や神経の持ち主なんやろうと、今だ無関心で、今まで通り暮らしてる人のことを考えてしまうのです。

たのむぞおとな!

子どもらは、祈るような気持ちで、黙っておとなの行動を見守ってるのやと思います。
中には、ネットで調べた現実が、あまりにも違うことに気がつき、学校などに直接文句を言い始めた子もいると聞きましたが、
まだまだ子どもは、おとなの手で守ってあげなあかん生き物です。

今回は必ず投票しに行ってください。
そして行く前に、ネットや集会、もし可能なら討論会などを経て、自分でしっかりと下調べをしてください。
わたしは個人的に、断固として原発に反対やし、徴兵や核武装などもっての他やと思てるし、憲法をやみくもにいじるのも大反対。
人の命を蔑ろにすること、誰かの大きな犠牲の上であぐらをかいて快適に暮らすこと、偏った考え方を押し付けること、みんなみんな大っ嫌い。
今までの日本は、アホな国と似たり寄ったりのお粗末な、張りボテの安全安心館で暮らす、現実逃避大好き人間だらけの国でした。
今は、数こそ少ないとはいえ、現実逃避はもう止めようと立ち上がった人が出てきました。
そういう人は、今まで通り、張りボテでもええから、気楽に生きていきたい人らには、ウザイ存在かもしれません。
もしかしたら、今まで通りで死ぬまで行けてしまうかもしれません。
せやのになにが嬉しいて、ややっこしい話聞かなあかんねんと思わはるかもしれません。

けどね、ウザがってる人がこのブログを読んでくれてはるとは思わへんけど、言わせてもらいます。
あんたはただ、鬱陶しがってるだけで済んでいくけど、大勢の子どもが、実際に、命削られてるんです。
日に日に状態は悪うなっていってるんです。
張りボテの館から出る言うたって、それほど今までの暮らしが変わるわけやありません。
あんたに政治せえって言うてるわけでもなく、ボランティアを押し付けてるわけでもなく、今まで通り暮らしながらでええから、ちょっとは現実を自分で見て欲しい言うてるだけです。

下のちらしはちょっと読みにくいやろと思います。

せやからどうぞ、自分自身で調べてみてください。

コメント (2)
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たのむぞおとな!!

2012年12月02日 | 日本とわたし
つい先日、柚木ミサトさんの『たのむぞおとな』の絵をネット上で見つけた。
絵を見た途端、胸が詰まって、しばらくの間、その絵から目が離せんかった。
切のうて、申し訳のうて、ごめんなこども……と、心の中で手を合わせた。
ほんで、よっしゃわかった、がんばるで!と、どこの子どもともなく心に誓い直した。

たのまれてんねんで、おとな!!
たのまれてることも知らんと、のんきに生きてるおとながいたら、これ見せて気づかせたろな!!

その絵をここで紹介したくて検索してたら、マシオン恵美香さんのブログに行き着きました。
絵とともに書かれている恵美香さんの思いとともに、その記事を紹介させてもらいます。


↓以下、転載はじめ

たのむぞ大人

                

赤いブツブツで有名な柚木ミサトさんも、新しい「たのむぞ大人」シリーズで上のように判りやすく呼びかけています。

いよいよ、東京エリアの人々も、脱原発運動をしながらも自衛していなかったといういことに気付き始めた。
環境中に放射能があるというとんでもない事態を、どのように認識し対応するべきなのか、 
 
私たちは歴史的にヒロシマ、長崎、チェルノブイリからしか学べないが、そのデータの積み重ねや解析がほぼ、間に合わない状態。
少なくとも、福島原発事故以降、ほとんどの日本人が手放しの状態で、「放射能にやられっぱなし」の状態であることを認めざるを得ない。
食卓から自衛できることは限られている。
本来、国がその責任を負うべきなのに、政治家は自分達の保身のことばかり。



東京新聞は自らも報道機関であるのに、こうした自戒を込めた言葉で選挙報道を批判している。

党の方針や公約内容がまるで違う水と油なのに、単なる数合わせで手を結び、後になってモメ事が絶えず、内も外も巻き込んでのドタバタで時間稼ぎ、
論議続きで何も決まらない国会を数回過ごしては、言葉上の揚げ足取りで問責、誰かを辞めさせては解散という繰り返しに、国民は待たされっぱなしのままだ。
 
昨年のような大きな震災があったときでさえ、その態度が変わらないのは、政権を握った党のせいばかりではなく、
官僚が実権を握り続けてきた日本のシステムそのものが抱えている、根本的な不具合に因るところが大きい気がする。

昨日、報道の取材を受けた。
次の選挙の争点は何だと思うか?という質問に、私なりの回答をした。
TPPと増税には、雰囲気だけで反対する人が多いが、原発問題はそれぞれの判断があると思う。 
 
しかし、大震災後の被災地復興、被災者救援がたち遅れていること、特に福島原発事故への国の対応の遅れと、長期間に渡ることが見込まれるため、TPPも増税も飲まざるをえないとしたら、
「争点」といわれていることたちの問題の始まりは、「原発問題の始末」に集約されるのではないかと思う。

信じられない話だが、若い世代のほうが「選挙へ行こう!」と、SNSなどで呼びかけているのに、
馬鹿みたいなTVのお笑い番組と、嘘しか伝えない大手新聞で洗脳されたシニア(インターネットを使わない層)が、特にどうしようもない発言をしていることにゲンナリする。
 
「どうせ、誰がやっても同じでしょ」と投げやりな態度。
本当に、社会のことに関心がなさそうに見えるから、多分、被災地で何が起こっていようと、原発問題がどの程度自分に関係してくるかも、ほとんど考えない人たちというのは、
それでも平和に生存できる国のよう・・・だから未来が暗い。

多額な債務の始末も、エネルギー問題の棚上げ分も、更には放射能まで背負わされている若い世代には、本当に申し訳ない思いでいっぱいだ。


せめて「原発を止めてから死ぬのが大人の責任だと思う」

<広瀬隆さんからのメール>

今月号(2012年12月号)のDAYS JAPANに、若狭湾と泊原発で大事故が起こった場合の、鮮明な汚染シミュレーション図が出ています。
これは、私が一番信頼している民間シンクタンクの、環境総合研究所の青山貞一さんによる解析です。
インターネットでも公開されていますが、ネットでは鮮明でなかったので、助かりました。
DAYS JAPANをぜひ見てください。
 
若狭湾の場合は、風向きが南に向かった場合、関西地方が壊滅する様子が、ぞっとするほど明確に出ています。

泊原発の場合も同様ですが、こちらも、放射能が南下する場合のシミュレーションになっています。
先週、北海道の東にある網走と北見に、講演会で行ってきましたが、地元の人たちは、泊原発の場合には、シベリアから吹く風で、風が東に(内陸に)向かうことが多いと言っていたので、
このシミュレーションを東向きの風で想像すると、知床まで壊滅するでしょう。
 
そして私がショックを受けたのは、すでに網走の魚から、セシウムが高い数値で出ているとの話でした。
網走がどこにあるかを、みなさん地図で見てください。
すでに海洋汚染が北にまで拡大しているのです!
 

広瀬隆 

**************************

上記のような内容は、地元新聞では絶対に報道しない。
 
自治体も、地域の実際の被害よりも、その後に起こる「風評被害」を心配して静かにしている。
 
経済への影響を懸念し、あるいはまた、心配事にはなるべく長く蓋をして、問題を先送りにしようということなのか、
フクイチの放射能だだ漏れ状態の放置と同様に、汚染問題を語りたがらない地方自治体の、緩い認識と対応の遅れよって、市民の健康は日々、傷つけられ続けている。

近未来の見通しとして、私は、「早めのアナウンス」を奨めたい。
「あそこよりはまし」という比較論で、生き残りを図るしか、もうどっちみち道がないからだ。

昨年、釧路市のがれき問題への対応については、蝦名釧路市長が、全道のどの自治体よりも早く、清々しく「災害瓦礫を受け入れない」ことを宣言してくれたことに敬意を表したい。
結果、世界遺産になるかも?と噂の「まりも」のPRにとって、その態度が有効であったと感じるし、市民の健康を第一に考える首長の株は、確実に上がった。

↑以上、転載おわり
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書きたい放題する『政治のイロハもわきまえない未熟児』たち

2012年12月02日 | 日本とわたし
現在フリー編集者であり、志木電子書籍の設立者でもある京谷氏のブログ『誰も通らない裏道』
某全国紙の社会部記者として13年活動しておられた新氏のブログ『永田町異聞』より。それぞれ記事を紹介させていただきます。

↓以下、転載はじめ

嘉田由紀子氏の「再稼動容認発言報道」は、「小沢が嫌」なメディアの捏造

日本未来の党の嘉田由紀子代表が「原発再稼動を容認」というニュースが流れた。
これを見た時には私も「あれっ?」と思ったが、結論から言うと捏造報道だった。

東京新聞

「再稼働今は困難」 嘉田氏 あらためて強調
 
『日本未来の党代表の嘉田由紀子滋賀県知事は一日、原発の再稼働について、
「放射性廃棄物の処理が担保されないまま、毎日使用済み核燃料が出ることをどうするのか。今は困難で必要もない」と、認めない考えを示した。
都内で記者団に語った。
 
これに先立つ民放番組で、「原子力規制委員会が安全性を担保し、政府が必要と判断した場合は再稼働になる」と発言し、再稼働容認との見方が一部で出たことに対しては、
「規制委が安全基準をつくり、(現在の)政府が必要性を判断したら、という手続きの説明をした。誤解を与えたら、おわび申し上げる」と釈明した。
 
嘉田氏は、安全基準が作成された後の稼働の是非は、明言してこなかった。
 
今後示す「卒原発」の具体的なプロセスでの再稼働の可能性については、安全面や経済面の上で、「そう簡単ではない」と否定的な見通しを述べた』



日刊スポーツ

嘉田知事「再稼働あり得ない」
 
『日本未来の党代表の嘉田由紀子滋賀県知事は1日、原発再稼働について「今の段階ではあり得ない」と明言した。
東京都内で記者団の質問に答えた。
これに先立ち民放番組でも、
「『安全基準があるなら永久に動かしたらいい』というのは理屈として正しそうだが、核のごみは処理できない。私たちはごみをこれ以上、増やさない」と訴えた。
 
ただ番組では同時に、「原子力規制委員会が安全を担保し、政府が認めれば」とも指摘。
政権が判断すれば、再稼働を阻止することは難しいとの認識を示した。
この発言について、都内で記者団に「再稼働を容認すると誤解を与えたならおわびする」と語った』
(共同)


要するに嘉田氏が言いたかったのは、「再稼動の手続き論はあるが、現実にはこれ以上核のごみは処理できないから再稼動はできない」ということだ。
ところがその前半だけを切り取ってフレームアップする。
この編集手法こそ、マスメディアの得意中の得意技だ。
当ブログではいつも主張していることだが、「事実と真実は異なる」
ところがメディアは、「事実」のみを切り貼りして、あたかも「真実」のごとく報道する
しかもその際、たとえあとで訂正を出さなければならないとわかっていても、平気でこの手を使うことはよくある。
つまり、一度洪水のごとくウソの情報を流して、あとでこっそり訂正しても、すでにこのウソの情報に一般読者はハマってしまうことを、メディアの人間はよく知っているのである。
そしてこれを、印象操作という。

思い起こすのは2009年の総選挙。
当時は新党日本だった有田芳生氏が、東京11区から出馬したが、参議院議員だった田中康夫氏が、衆議院に鞍替えして出馬したことで、
前回の参議院選挙で、新党日本の比例名簿2位だった有田氏に、繰り上げ当選の権利がきた。
すると、有田氏にはまったく取材することなく、関係者の話として(もちろんそんな関係者はいない)、
「有田さんは衆議院選挙出馬をとりやめて、参議院議員になる」とメディアが報じたのだ。
このダメージは大きく、それを打ち消すだけに大変な労力が必要だった。
結果的に有田氏は、3700差で負けたが、あの捏造報道がなければな……と当時は思ったものだった。

今回、嘉田氏の発言は、読売系のメディア内で放送されたものだ。
読売は、「小沢がイヤ」だから叩くという、ジャーナリズムとしての体をなしていない媒体である。
それだけに、今後も選挙終了まで、あらゆる手段で、日本未来の党の足を引っ張ろうとすることは間違いない。
十分な監視と注意が必要
だ。

・永田町異聞
日本記者クラブの品格とは?



しかし、ホントに「小沢問題」ってなんなのかね。



卒原発への小沢関与を嫌悪する大メディアの政治的未熟

小沢一郎が脱原発勢力の結集に向けて、滋賀県知事、嘉田由紀子を口説き落としたのが、このひと言だったという。 

「嘉田さんが国のために動いてくれるなら、国民の生活が第一がなくなっても、自分が代表から降りてもいい」(産経)

多くの人が知っている通り、「日本未来の党」は、小沢という政治家がいなければ生まれなかった。

09年の政権交代も、93年の非自民連立政権誕生も、江藤淳が「構想力雲のごとき」と形容した小沢のひらめきと、分析、決断、行動力がなければ、なし得なかっただろう。

民も自も維新も、大飯で明らかなように、原発再稼働を容認する政党だ。
日本未来の党は、「段階的に原発を減らして、10年以内にゼロにする」という。
脱原発に賛同する民意の受け皿として、日本未来の党が明瞭に浮かび上がってきたことは間違いない。

この動きに嫌悪感を示しているのが、読売と産経だ。

「国力を衰退させる脱原発を政治目標に掲げる政党に、日本の未来を託せない」(読売社説)

「脱原発を掲げる政党は理念ばかりが先行し、現実を見ていない。企業が上げる悲鳴に、逃げない答えを示すべきだ」(産経主張)



朝日は、その意義について評価するが、小沢が水面下で動いたことは他紙と同様、気にくわぬらしい。
マックスウエーバー流にいえば、「それこそ政治のイロハもわきまえない未熟児」だろう。

政治的未熟児の論説はこうだ。

「ただ、気になる点もある。
一つは小沢一郎氏の存在だ。
自らの党の埋没に危機感を抱いていた小沢氏は、選挙の顔として嘉田氏をかつぎ、生き残りのために結党をおぜんだてした。
そうした見方があるのは事実だ。
新党を作っては壊し、力を保ってきた小沢氏の政治スタイルが復活するようなら、脱原発も選挙むけの口実に終わる」(朝日社説)


未来の党への評価は異なるが、小沢に対する見方は、いずこの大メディアも同じだ。

だが、09年の政権交代、93年の非自民連立政権誕生と、政治改革は朝日の言う「小沢氏の政治スタイル」がつくり上げたものではなかったか。
冷戦終焉後の世界の変化に対応するため、自民党長期政権にあぐらをかいてきた統治機構を、改革しようともがき、試行錯誤する過程で、壊してはつくるという繰り返しになったのではないか。

どうやら大メディアは、日本の政治史に小沢が登場せず、自民党政権がつねに安泰であり続けていたほうがよかったようだ。

国有地を払い下げてもらい、再販制による新聞価格維持、テレビ電波、記者クラブ利権など甘い汁を吸いながら、
旧態依然とした紙面をつくり続ける大新聞の記者諸氏には、壊す決断の難しさなど理解できないに違いない。


もし自民党に、93年以降に生まれた政権交代の危機感がなかったら、もっと永田町、霞ヶ関の腐敗は進んでいただろうが、そんなことには一顧だにしない。

経済界も巻き込んで、10年後の原発ゼロをめざすドイツを視察し、小沢は、日本でも可能なはずだとの確かな手ごたえをつかんだ。
選挙戦術としての脱原発という側面がないとはいえぬが、そのように選挙で、国民に公約する内容を判断させていくのが、民意の力である。

いずれにせよ、嘉田は、小沢という政治力の担保があってこそ、新党の顔になる決断ができた。
小沢は、政治家としても環境社会学者としても、芯の通った嘉田を押し立て、自らは裏方にまわることで、
「卒原発」「脱原発」の旗を明確に掲げて、選挙を戦うことができる。

土壇場になって、こういう芸当のできる政治家は、やはりいまの日本には、他に見当たらない。

新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)

↑以上、転載おわり



このおふたりの文章を読んで、やっと落ち着く事ができました。
わたしはもしかしたら、自分の思いに添う、自分にとって居心地の良い意見を求めてしまっているのかもしれません。

『原子力規制委員会が安全性を担保し、政府が必要と判断した場合は再稼働になる』という嘉田氏の意見を読んだ時、
そうや、そやからこそ、今の今まで、なにひとつ、わたしらは、その暴走する政府を止める事ができなんだ。
そやから彼女は、政界に乗り込んで、原子力寄生委員会が何言おうと、まず事故の処理もできてない、使用済み燃料もどうしようもない原発は必要無いと、きっぱり言い切れる政府を作ろう思てはる、と解釈しました。
この違いはなんなんやろう?
言葉ってほんまに恐ろしいですね。
歪曲しよう思たらなんぼでもできる。
ほんで、それを公言できる力を持った人間がしたら……。
そうやってわたしらは、長い長い間、騙され続けてきたんやなあと、疑わんと呑気に読んできた自分を反省しつつ、この記事を書いてます。

もう騙されへんで~!
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この世で国ほど愚かなもんはない!

2012年12月02日 | 世界とわたし
先日の金曜日は、久方ぶりの、気功瞑想のクラスがあった。
11月は、ハリケーンサンディがやってきて、町のほとんどの家の電気を止めてしまい、
そんな中、わたしはというと、肩と腕の治療が生んだ好転反応の症状に悩まされながら、生徒達の発表会の最終仕上げと当日を迎え、
すべてがなんとか無事に終ったと、ホッと一息ついてたら、イスラエルとハマスの戦闘がいきなり始まった。

すぐに、ミリアムに電話しようと思たけど、毎回こんなことがあるたびに、彼女はパソコンと電話を自分のすぐそばに置き、起きてる間中、イスラエルの家族と連絡を取り合うてると聞いてたから、気になりながらもできずにいた。


クラスはまた、わたしひとりだけが参加した。
彼女の家族の無事を確認したかったけど、クラスができるということは無事やということやと思い、聞かんまま瞑想に入った。
瞑想が終わり、道教を学んだ。
『沈黙は金なり』という内容の教えやった。
それについてどう思うか、それをふたりで話し合うてる時に、彼女の家族の安否を尋ねてみた。

彼女の弟家族、妹家族は、ガザとイスラエルのほぼ中間に暮らしている。
今回、イスラエルが、ガザ地区を実効支配してるハマスの幹部を15日に、空からの遠隔攻撃で殺害した時、そのニュースが車のラジオから流れたのを聞いた彼女の弟は、すぐさま自分の妻に電話した。
その時妻は、3人の息子のうちの、赤ん坊と3才の息子達を連れて、公園で遊ばせていた。
6才の息子だけが、家に残って留守番をしていた。
彼らは、その殺害の直後に、空爆を加えることを実感していたので、とにかく大急ぎで、空爆にも耐えられるよう作られている防空壕に逃げなければならなかった。
けれども、夫婦がそうやって、叫ぶように電話している間に、空爆は始まってしまった。
弟夫婦は、家に残してきた6才の子の命を思った。
どうか、その子が、機転を利かせて、防空壕に避難してますように。
耳をつんざく爆音に驚いて、いつもなにかというと出かけている近所の家に行こうとしませんように。

攻撃するロケット弾を追撃するミサイル。
このふたつが頭上の空でぶつかって爆発した時の音を、まうみは想像できないと思う。
ミリアムは何度も何度もそう繰り返した。
「それはもう、その音を聞いただけで、体の中の細胞が粉々になってしまうほどの、恐ろしい音なの」

1週間に及ぶ、今回の激しい空爆は、その真下に暮らす人々を、恐怖と疲弊の暗い穴に閉じ込めた。
あまりに突然だったため、食料などの補充も満足にできずに、大人は子ども達を防空壕に残し、命からがら買い物に出かけた。
赤ん坊が泣き、幼児がぐずり、病人の症状は悪化した。

ミリアムは、途絶えがちになる連絡に心をかき乱されながら、それでもとりあえず無事にいてくれる家族のために祈った。

感謝祭の前日の夜に停戦が決まり、行かないと決めていた感謝祭ディナーに、じゃあ行こうか?と夫に言われたけれど、
彼女は疲弊しきっていたし、行って当たり障りの無い会話をする気分にもなれなかったので、やはり行かないことにした。

「イスラエル人のことは、イスラエル人でない人達にはきっと、理解してもらえないと思う。
長い長い間、それはもうイエス・キリスト以前からの、いつも誰かに、どこかの国に、敵対されてきた歴史を、遺伝子に組み込まれている人種なのだから。
どうしてこうも厭われるのか、それを理解しろと言われても、わたしはその歴史の中のほんの一部を生きただけだからできないの。
日本のように、国境が海ではっきり示されている国は、さらにこの、国境の線が動き続けること、国そのものがあったり無かったりすることが理解できないでしょう。
その時その時に支配していた国によって、勝手に線が引かれたり、追い出されたり、殺されたり。
それで散らばったら散らばったでまた嫌われる。
弱肉強食の世界で淘汰されて、それでもなお生き残った人達だからこその強さや運の良さが、さらにまた鼻につく。
でもねまうみ、わたしはイスラエル人だけど、イスラエル国のことはもう全然理解できない。
あまりに混沌としているし、彼らの、特にアラブの世界の政治家達や、過激な宗教団体の首長達の主張や行動は、終わりの無い、そして限り無ない愚かな殺し合いの繰り返しだもの。
あの人達は、自分達の都合で攻撃をして、わたし達市民の命と暮らしを破壊し、そして何も直さない。放りっ放し。
壊すだけ壊して、殺すだけ殺して、そして何もしない。
みんな、本当にそのことに疲れているの。怒ることも面倒になるくらいに。
さっき、『沈黙は金』という教えを学んだけれど、わたしはこのことに関しては異議があるの。
イスラエルでは子どもに、物事のどんな小さなことにでも、自分でよく考え、それを言葉にし、人に伝えなさい。そう教えるのよ。
だから、イスラエル人はよく話すし、その話の内容は深くなる。
当たり障りのない、本当は困ってたり悩んでたりするのに、全然大丈夫なように繕う、このアメリカでよくされる会話とは全く違う。
まうみも、原発事故の後ずっと、わたし達に日本のことを話してきてくれたわよね、時には泣きながら。
わたしは、その態度に賛成する。
正しいとか間違っているとかではなくて、賛成なの。

6才の子どもが、ひとりで留守番をしている時に、突然自分の真上の空で、恐ろしい爆音が轟くような社会は間違っている。
幸いにして甥は、親からの言いつけを覚えていて、自分で防空壕の中に入ることができたけれど、
だからこそ弟は、自分の腸が口から引っ張り出されるほどに心配しながら、そして自分も命からがら家に戻り、3人の息子達と妻を腕に抱きしめることができたけれど……。

だからわたしは、今回の戦闘に限らず、どの戦闘でも、幼い我が子を失った親の気持ちを想像して、胸がかきむしられるような思いになる。
一瞬のうちに、それまでの、平安ではなかったにしろ、それなりに幸せだった暮らしを根こそぎ奪われた人達の気持ちを想像して、暗澹たる思いになる。
わたしはこのアメリカに暮らすイスラエル人として、死ぬまでこの気持ちを抱えて生きなければならない。
だから、気持ちを押し込めず、自分の頭でよく考えたことを言葉にして、これからも伝えていきたいと思っているの」


この世で国ほど愚かなもんはない。
どこの国も、程度の差はあるにせよ、愚かなんやと、最近特に思うようになった。

その中でもいっそう愚かさが際立ってるのは、己が正しいとばかりに他を攻撃する、戦争や紛争に明け暮れている国。
武力を誇り、武器を振りかざし、人殺しと町の破壊を繰り返してる国。
いったいなんで、こんな愚か者達を、世界は放っておけるのか。
世界とはいったいなんなのか。

国が愚かなんやから、国境線なんちゅうのはその愚かさの線引きに過ぎひん。
国っちゅうもんが元々愚かなんやから、政治家がみるみるうちに愚か者になるのは当たり前。元々の阿呆なら尚更や。
やっぱり世界を立て直すのは市民力。
それしかあらへんのやと、しみじみ思う。
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