今日は大切な日やった。
上の息子の誕生日やった。
息子はなんと、早26才。
お祝いの電話をして、おっさんと呼んだった。
そしたら、しみじみと、そやなあ、おっさんや……と言いよった。
なに言うとんねん若者よ、君はこれからまだまだ生きて、世界を見ていかなあかん。
このブログを書き始めてからずっと、毎年この日はおんなじ話を書く。
それしかないんかっ!と怒らんといてほしい。
この日はこれしかないんやから、わたしの心の中には。
上の息子は、わたしにとって初めての妊娠やった。
田舎に嫁いだ嫁として、一番起こったらあかんこと(不妊)が何年も続いてた。
婦人会の公民館の掃除では、石女と呼ばれた。
草引きでは、あんた、なんの病気?と聞かれた。
舅には、こんな弱いとは思わんかった。大阪に帰ってもええでと言われた。
悩んで望んでいろんなこと試してはがっかりして、8年間全くあかんかって、それでやっと踏ん切りついて、いろんな新しいことを始めよう思た矢先に、いきなり妊娠した。
嬉しいて嬉しいて、今まで散々なこと言うてた人らに言うて回ったろかと思たけど、ほんまに安定するまでは絶対に公言したらあかん言われてがまんした。
お腹の中でだんだんおっきなってくる子に、毎日毎日話しかけた。
ぐるっと回るたんびに、へその緒を巻きはせんかと心配した。
CTスキャンに写った白黒のぐにゃぐにゃしたん見て涙ぐんだ。
初めてで、ほんで医者もなんも言わんかったから、ぶくぶく太った。
妊娠中には、流産と早産しかけて、安静にせなあかん時期があった。
もともと便秘ぎみやったのが、もっとひどなって、臨月のんは最悪で、病院のトイレで看護士さんの指で掻き出してもろたりした。
予定日が近づいてきて、お知らせみたいなんがあったんで、かかりつけの産婦人科に行ったら、いきなり軽い陣痛促進剤を投与された。
医者が部屋にやってきて、子宮口の開き具合を確かめる。
痛みはどんどん強うなり、痛む時間と痛みが引く時間より長なっても、やっぱり4センチ以上には広がらへんかった。
翌日医者はゴルフに行き、出先から電話で看護士に指示をした。
翌日の朝からずっと、極期の痛みが1時間続き、引くのはわずが10秒ぐらいしか無く、食べるのはもちろん、トイレに行くことも、しゃべることもできんようになった。
付き添うてくれた母は、その日の朝からずっと、痛む時に背中をさすり続けてくれた。
結局、丸二日と半日続いたその痛みを、ちょっとでも和らげようとさすってくれた母の爪は、何本か剥がれてしもた。
三日目の朝、いきなり医者がやってきて、結局4センチ以上は開かんとわかったのに、いきなりハサミを入れて羊水を全部流してしもた。
お腹の中の息子は、突然のことに狼狽えて、逆にわたしの喉元に上がってきた。
心臓を蹴られたような痛みを感じた。
息が苦しくなって、意識が朦朧とし出した。
耳元で、いつもは厳しい母が「痛いって言いなさい!しんどいって言いなさい!」と叫んでた。
そんなこと急にあんた、言わんとってよ。病院で痛い痛い言うて騒ぐ人いるけど、あれはみっともない、あんな真似は絶対にせんときやって言うてたやんか。
笑たろ思たけど、全くほっぺたが動かんかった。
唇はとうの昔にひび割れて、血がいっぱい出てた。
いきなり看護士がベッドに乗り上がってきて、わたしに馬乗りになり、肘で息子の体を押し出そうとした。
息子は嫌がって逃げようとする。
それを看護士はグイグイ押す。
ああ苦しい、息が止まりそうや。
そう思た時、はっと正気に戻った。
なんちゅうこっちゃ。なんでわたしは、こんな、一生のうちで一番幸せを感じられるはずの日に、息が止まりそうになってるん?
わたしの息が止まったら、いったいお腹の中の子はどないなるん?
かなんかなん、死んだらかなん。
神さん、仏さん、ご先祖さん、どうか、どうか、お腹の中の子だけは助けたってください!頼みます!お願いします!
「呼吸停止!」という看護士の叫び声を最後に、わたしは意識を失うた。
息子の誕生日が来るたびに、あの三日間を思い出す。
母の、爪が剥がれた指を思い出す。
点滴の管を両腕と両足につけられて、身動きがとれんまま、赤ん坊を抱くこともできんままに過ごした2週間を思い出す。
お互い、しんどい思いしたな。
あんたは全然覚えてへんのやろけど。
こうやって26年、いろいろ危ない時はあったものの、無事に生きてくれてありがとう。
わたしに、母親業をさせてくれてありがとう。
これからも、どんくさいしあんまり頼りにもならんけど、よろしゅうにね。
誕生日、おめでとう。
こんな大事な息子を、戦争なんかに行かせてたまるか!
上の息子の誕生日やった。
息子はなんと、早26才。
お祝いの電話をして、おっさんと呼んだった。
そしたら、しみじみと、そやなあ、おっさんや……と言いよった。
なに言うとんねん若者よ、君はこれからまだまだ生きて、世界を見ていかなあかん。
このブログを書き始めてからずっと、毎年この日はおんなじ話を書く。
それしかないんかっ!と怒らんといてほしい。
この日はこれしかないんやから、わたしの心の中には。
上の息子は、わたしにとって初めての妊娠やった。
田舎に嫁いだ嫁として、一番起こったらあかんこと(不妊)が何年も続いてた。
婦人会の公民館の掃除では、石女と呼ばれた。
草引きでは、あんた、なんの病気?と聞かれた。
舅には、こんな弱いとは思わんかった。大阪に帰ってもええでと言われた。
悩んで望んでいろんなこと試してはがっかりして、8年間全くあかんかって、それでやっと踏ん切りついて、いろんな新しいことを始めよう思た矢先に、いきなり妊娠した。
嬉しいて嬉しいて、今まで散々なこと言うてた人らに言うて回ったろかと思たけど、ほんまに安定するまでは絶対に公言したらあかん言われてがまんした。
お腹の中でだんだんおっきなってくる子に、毎日毎日話しかけた。
ぐるっと回るたんびに、へその緒を巻きはせんかと心配した。
CTスキャンに写った白黒のぐにゃぐにゃしたん見て涙ぐんだ。
初めてで、ほんで医者もなんも言わんかったから、ぶくぶく太った。
妊娠中には、流産と早産しかけて、安静にせなあかん時期があった。
もともと便秘ぎみやったのが、もっとひどなって、臨月のんは最悪で、病院のトイレで看護士さんの指で掻き出してもろたりした。
予定日が近づいてきて、お知らせみたいなんがあったんで、かかりつけの産婦人科に行ったら、いきなり軽い陣痛促進剤を投与された。
医者が部屋にやってきて、子宮口の開き具合を確かめる。
痛みはどんどん強うなり、痛む時間と痛みが引く時間より長なっても、やっぱり4センチ以上には広がらへんかった。
翌日医者はゴルフに行き、出先から電話で看護士に指示をした。
翌日の朝からずっと、極期の痛みが1時間続き、引くのはわずが10秒ぐらいしか無く、食べるのはもちろん、トイレに行くことも、しゃべることもできんようになった。
付き添うてくれた母は、その日の朝からずっと、痛む時に背中をさすり続けてくれた。
結局、丸二日と半日続いたその痛みを、ちょっとでも和らげようとさすってくれた母の爪は、何本か剥がれてしもた。
三日目の朝、いきなり医者がやってきて、結局4センチ以上は開かんとわかったのに、いきなりハサミを入れて羊水を全部流してしもた。
お腹の中の息子は、突然のことに狼狽えて、逆にわたしの喉元に上がってきた。
心臓を蹴られたような痛みを感じた。
息が苦しくなって、意識が朦朧とし出した。
耳元で、いつもは厳しい母が「痛いって言いなさい!しんどいって言いなさい!」と叫んでた。
そんなこと急にあんた、言わんとってよ。病院で痛い痛い言うて騒ぐ人いるけど、あれはみっともない、あんな真似は絶対にせんときやって言うてたやんか。
笑たろ思たけど、全くほっぺたが動かんかった。
唇はとうの昔にひび割れて、血がいっぱい出てた。
いきなり看護士がベッドに乗り上がってきて、わたしに馬乗りになり、肘で息子の体を押し出そうとした。
息子は嫌がって逃げようとする。
それを看護士はグイグイ押す。
ああ苦しい、息が止まりそうや。
そう思た時、はっと正気に戻った。
なんちゅうこっちゃ。なんでわたしは、こんな、一生のうちで一番幸せを感じられるはずの日に、息が止まりそうになってるん?
わたしの息が止まったら、いったいお腹の中の子はどないなるん?
かなんかなん、死んだらかなん。
神さん、仏さん、ご先祖さん、どうか、どうか、お腹の中の子だけは助けたってください!頼みます!お願いします!
「呼吸停止!」という看護士の叫び声を最後に、わたしは意識を失うた。
息子の誕生日が来るたびに、あの三日間を思い出す。
母の、爪が剥がれた指を思い出す。
点滴の管を両腕と両足につけられて、身動きがとれんまま、赤ん坊を抱くこともできんままに過ごした2週間を思い出す。
お互い、しんどい思いしたな。
あんたは全然覚えてへんのやろけど。
こうやって26年、いろいろ危ない時はあったものの、無事に生きてくれてありがとう。
わたしに、母親業をさせてくれてありがとう。
これからも、どんくさいしあんまり頼りにもならんけど、よろしゅうにね。
誕生日、おめでとう。
こんな大事な息子を、戦争なんかに行かせてたまるか!