ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

一介のピアノ教師より

2012年12月16日 | 日本とわたし
朝起きて一番に、日本の衆院選の結果をツィートで読んだ。
がっかりした。
けども、こんなもんやろ、とも思た。
そやかて、変わらなあかん、変えよやないか!って思う人が、やっとちょろちょろ出てき始めたとこやってんもん。

システム側は狡賢い。
市井の市民の側にも人を送って、日々の様子を逐一観察してる。
たいていのことは鼻にもかけんけど、なんやしらん、今回の、変えたい言うてる連中はしぶとそうでヤバい、
そういう報告も上がってたんやろと思う。
そこへもってきて、使うだけ使た操り人形らを、お払い箱にするにはもってこいの機会にもなる。
選挙や選挙、選挙やってまえ。
宣伝部隊も言いなりで、派手に洗脳してくれてるし、なんも心配することない。
笑いが止まらんっちゅうのはこのことや。
おかげで、聴衆の前でちょっと浮かれ過ぎて、危うくバレてしまうとこやった。


わたしは一介のピアノ教師。
この仕事をし始めてから、37年になる。
教師になって最初の5年はひどいもんやったけど、教えもって教えてもらい、失敗を重ねて迷惑もかけながら、今に至ってる。

最近、ふと、ぼんやりと思うことがある。
ひとりの人を前にして、音楽やピアノのことについて教える時に、一番大事なことは結局、待つということちゃうかと。

子どもにせよ大人にせよ、その人が、自分の意志で、覚えたり挑んだりしとうなる時が来るのを待ちながら、
それまでの間は、ただただコツコツ、音楽やピアノの知識や、身体的かつ精神的な動きの表現や、技術の基本を教えていく。
あきらめず、やけにならず、過度な期待もせず、そやけど希望と情熱をもって続けていく。
まあ、こんなふうにええかっこ言うてるけど、凹むことは多々あるし、ヤケになりそうなこともある。

続けていくには、わたしだけやのうて、その人も続けてくれな話にならへん。
なんで自分はこんなことせなあかんのん?と、わたしが熱心に伝えてる姿を、首を傾げて眺めてる人もいる。
ちょっとは話がわかってきた人でも、たまに、聞いたってもええけど鬱陶しい、というような顔をする人もいる。

自分が善かれと思てることでも、全く別の人に、それを伝えて分かってもらうということが、どんねん難しいか、時間がかかるか、
わたしはこの37年間で、ピアノ教師という仕事を通じて、いやというほど学んできた。
けど、性懲りも無く、年に一回ぐらいは「もうイヤや!どっか離れ島に行って寝る!」とか言いとうなる時もあるけど、これからもまた教えていくやろ。
ほんで、教えた子達が大人になり、同じピアノ教師になったり、別の楽器を楽しそうに演奏してる姿を見させてもらう。
全く関係の無い職業についた、「せやけど音楽は暮らしの中にあるから心配せんとって」と、背がうんと高うなった元生徒から言うてもらう。


世界はずっと、こんなふうに、市民は運動をしては叶わず、めげずにしてはまた叶わず、それでも引き継ぐ人がいて、何十年という月日が流れ、
ある日急に、あれよあれよというほどに急激に、バトンを渡してくれた人達が心待ちにしていた時を迎える。
けれども、その輝かしい晴れの日は、走り続けては亡くなっていった人達の気持ちが通ったバトンと、それを受け継いでくれる人がおらんかったら叶わん。

2011年の3月11日に、とてつもない地震を津波が起こり、その後原発が何基も爆発した。

そのことでやっと気がついた。
それまでに、とっくに気づいてた人達の言葉を聞き、活動を知り、遅ればせながら自分も、大人としての社会参加を始めたつもり。
この2年にも満たん月日の間に、いろんなことをさらに知り、呆れたり途方に暮れたり怒ったりした。
自分が生きて、子どもも生んで育ててきたこの世の中が、いったいどこまで腐ってたんか……。

けども、人間の世界はずっとずっと、何千年も前からこんなやったやないか。
物事の違いはあるにせよ、争いや殺し合いが絶え間なく、どこかで起こってるやないか。
急に、とてつもない力と知恵と慈しみを持ったヒーローが現れて、世界を丸ごと矯正してくれたり治めてくれたりするわけがない。
気がついた人がいて、その人に皆が賛同して、あっという間に悪政が浄化される、やなんてことも起こったためしがない。
そんな簡単なことなら、世界はもっともっと前に、すばらしいもんになってる。

日本は来年でやっと2才。
改革の一歩は踏み出されてる。
もうゼロでもマイナスでもない。
それはもう絶対に確かなこと。
やっとよちよち歩きを始めた日本が、どうやって、どんなふうに育っていくのか、細胞である市民ひとりひとりにかかってる。
残念やけど、多分わたしは、バトンを渡してこの世とおさらばすることになるやろう。
嬉して誇らして、思わず涙がポトポト落ちてくるような瞬間には立ち会えへんやろう。
けども平気。
バトンを渡せることが誇らしい。

市民運動は、善玉細胞の分裂が決め手やと思う。
がんばろな参院選。
今度は前回と違て、めっちゃ準備できるしな、うしししし。
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選挙の日に……「原子力は間違い。やめるしかない」by 小出裕章さん

2012年12月15日 | 日本とわたし
みなさん、もう投票には行かはりましたか?
この選挙で、原子力の暴力は収まるでしょうか?
この選挙で、平和憲法は守られるでしょうか?
この選挙で、今も高線量の汚染から逃げられないでいる子ども達は救い出されるでしょうか?
この選挙で、陰でコソコソと金を巻き上げてる連中の罪を突き止められるでしょうか?

投票に行ってください。
全部は叶わないまでも、自分の思いとできるだけ近い人や政党を選んでください。
どうしても入れる人も政党も見つからないのなら、政治をやらせたくない人や党に歯向かってくれる人や党に入れてください。

投票ができる。
そのことにもっと誇りを持ってください。
望んだ人が、望んだ政党が当選するかどうかはわかりません。
けれども、たとえ思いが叶わなくとも、たくさん調べて考えて投票に臨んだあなたの行動はきっと、いつの日にか突然目の前に現れる変化の第一歩になります。
大きな物事の変化というのは、そんな簡単にはやってきません。
何年も何十年もかけて、世代から世代へと受け継がれ、そしてそれは突然にやってくるのです。
でも、その突然のように見える願いが叶う日は、わたし達のような無名の、まるで無力そのもののひとりひとりが、コツコツコツコツ、あきらめない足音を立てて歩き続けないとやってきません。

日本にも、今や無名どころか、とても有名になったひとりのしぶとい男性がいます。
年はわたしと同じくらいですが、この方の人生とわたしのそれを比べると、自分の情けなさにほっぺたが赤くなります。

今日という、日本にとってとても大切な日に、この記事を書いてくださった東京新聞に、心から感謝を込めて。

↓以下、書き起こしはじめ

「原子力は間違い やめるしかない」 小出裕章(12月16日東京新聞)

◆ 原子力は間違い やめるしかない
小出裕章 京都大原子炉実験所助教
(2012年12月16日 東京新聞)

東京電力福島原発事故が起きてからは、各地の講演会に引っ張りだこの京都大原子炉実験所(大阪府熊取町)助教の小出裕章さん(63)だが、
それまでは少数派の一人として、反原発を訴えてきた。
足尾鉱毒事件に半生をささげ、来年没後100年になる政治家田中正造を、最も敬愛する人物に挙げる。
反骨の学者はどうやって生まれたのか。(稲垣太郎)


●田中正造を最も敬愛しておられます。

大学に入ったころは、日本の公害問題が顕在化した時代でもあった。
水俣病も、猛烈に悲惨な状態になっていたし、日本の公害というものがどこで、どんなふうに起きて、広がって、どんなふうになってきたのかということに、無関心ではいられない時代だった。
公害の問題をあれこれと調べて勉強していたのですが、水俣病とかイタイイタイ病とかのずっと前に、足尾鉱毒という問題があったということに突き当たった。
自分で調べ、正造さんに巡り合いました。

生き方そのものがあまりにも強烈で。
会社、大学でもいいですが、組織に入ると組織の論理というものが必ずあるわけで、組織の論理は、その社会の体制の論理に、ほとんどが組み込まれている。
正造さんが生きた時代だって、明治大正の時代で、日清、日露戦争を戦って、日本が強国になることが大切なんだ、という論理があった中で、
足尾鉱毒という問題が起きた時に、組織や体制の論理ではなく、自分の論理をきちんと持って、忠実に生き抜いたのです。


●正造の生まれ育った栃木県佐野市での講演では、正造が心の支えになったと話されました。

正造さんは、栃木県の県議会議員になったり、議長になったり、第一回帝国議会の議員になったりと、出世街道まっしぐらで人生を歩んだけども、
政治や議会というものが、人々の幸せの妨害になっていると気付き、議会を捨て、自分のそういう人生を捨てたんですね。
その後は、自分の信念に従って生きるという生き方を選択し、死ぬまでそうしたわけです。

私も初めは、原子力に夢を持ってしまったけれども、それが間違いだと気付いた以上、捨てるしかなかったし、
捨てて以降はとにかく、自分の思うところを忠実に生きるしかないと思っているので、正造さんが示した人生を生きたいと生きています。


●原子力との出会いからお聞かせください。

中学、高校の時に、東京で広島、長崎の原爆展がしきりに開かれ、何度も見に行く機会があった。
原爆というのはひどいものだなと思ったし、同時に、猛烈なエネルギーを出すものだなと頭に刷り込まれた。
当時は、原子力に夢をかけていた時代でした。
例えば、手塚治虫さんが鉄腕アトムを描いていて、アトムの妹はウランちゃんという、そんな時代だった。

原子力を軍事的に使えば、悲惨なことになるけれど、平和的に使えばきっと役に立つ、と思い込んでしまった。
それで、大学(東北大)に行くときに、原子力を選んでしまった。
とにかく原子力をやりたい、という思いに凝り固まっていた。
学生服を着て、授業は1時間も欠席することなく受けた。


●その後、転機が来たんですね。

1969年1月の、東大安田講堂の攻防戦を、生活協同組合の購買部に置いてあったテレビで見て、今、大学で起きていること、大学闘争でやっていることが何なのかを考えざるを得なくなった。
ちょうどそのころ、東北電力が、原子力発電所を造る計画を発表した。
原子力をやりたい私としては歓迎しましたが、建設場所は、電気をたくさん使う仙台という大都会ではなく、女川という、本当に小さな漁村に建てるということになった。
女川の人たちが、「何でだ」という声を上げたんですね。

日本中、世界中が、原子力の夢に浮かれていて、原子力発電はちゃんとやれば安全だし、猛烈に役に立つものだという宣伝ばっかりだった時に、
女川の人たちは、「どうして自分たちの所に持ってくるのか」と、疑問の声を上げた
のです。

どうしてなんだろう、という疑問が私の中に起こった。
他方で大学闘争があり、他方で原発建設という計画があり、大学闘争に向き合わざるを得なくなって。
一体何をしているんだろうかと考えて、たどり着いた結論が、自分やろうとしている学問が、社会の中でどういう意味を持っているのか考えるべきだ、というのが大学闘争の問い掛けだったと気付いた。

自分がやろうとしている学問は原子力なわけだから、それの社会への表れ方、つまり、原子力発電がどういう意味を持っているのか答えざるを得なくなった。
なぜ原発を、大都会の仙台ではなく、女川という過疎地に建てるのかという答えを探し始めた。
だが、東北大工学部原子核工学科もそうですけど、原子力を推進するための教育をする場所だったので、教員は皆、原子力はよいものだという教育しかしてくれなかった。
いくら聞いても、どうして仙台ではなくて女川なんだ、ということに答えられない。
そうなると、自分で勉強するしかないということになった。

ちょうど当時は、米国で、原子力に対する科学的、専門的な問題の洗い出しが出てきたころで、米国から入る情報を入手して勉強した。
そして、工学部の教員たちと論争を始め、たどり着いたのが、原子力発電には、都会では引き受けることができないほどの危険を持っているが故に、過疎地に押しつけるのだという結論だった
そう決してしまうと、私としては、そんなものに人生をかける気はしないし、そんなものを許すこともできないと思うようになり、
以降、原子力発電をやめさせなければならない、という生き方をすることになった



●大学院を経て、助手として就職した京大原子炉実験所では、助教授や教授の公募に応募しなかった。

昇進のことですか。
私を採用する時も、公募という制度で採用されているのですね。
この実験所の教員の採用は、全て公募です。
助教授も教授も公募して、応募した人の中から誰かを選ぶ。
私自身は、助教授や教授になりたいわけでもないし、自分のやりたいことができればいいのであって、組織の中で上のポストに就いて、人を動かすという役割はしたくなかった。
だから、一度も応募をしないで、今日まできています。

教員の独創性を重んじるという京大の特殊性と、職場の特殊性が合わさって、誰かから命令されたり、迫害されたりということが全くないままここにいます


●大学生の時の決意を、ずっと今まで貫けたのはなぜでしょうか。

例えば正造さんだったら、何度も投獄されるなど、ものすごい困難の中で貫いたが、私は何の苦労も、組織からのバッシングや命令を受けたこともなく、国家から逮捕されたこともなく、この研究室で好きなことをやることができる。
何の困難もないぬるま湯のような状況の中で、ずっと生きてきてしまって、貫くも何も、ないのです。
最高の居心地の中で、やりたいように生きてきた。
それだけです。

【こいで・ひろあき】
1949(昭和24)年、東京都台東区で、衣服製造販売業を営む父親の次男に生まれる。
開成中、高校を経て、68年東北大工学部に入学。
74年に、同大学院工学研究科修士課程を修了し、京都大原子炉実験所に助手として就職。
四国電力・伊方原発設置許可取り消し訴訟の住民側証人となり、各地の原発周辺の放射線量の測定を始める。

東京電力・福島第一原発事故後の2011年5月、参院の行政監視委員会に、孫正義ソフトバンク社長らと参考人として出席し、原子力行政の行き詰まりを指摘した。
著書は「隠される原子力・核の真実」(創史社)、「いのちか原発か」(共著、風媒社)など多数ある。

【インタビューを終えて】
取材を申し込んだメールの返信には、「毎日を戦争のように過ごしており」とあった。
田中正造の大きなパネル写真が飾られた研究室は、極力電気を使わないように照明が落とされ、パソコンの画面だけが光っていた。

2年後の定年後について尋ねると、「生きているかどうかも自信がありません」との答え。
聞くと、次男が障害がある状態で生まれ、3カ月で退院しながら半年で亡くなった経験から、
「生き物は、いつ死ぬか分からないと心底思っている」と打ち明けてくれた。
この、「決定的に私に教えてくれた」という死が、小出さんを強く、優しくしたのではないかと思った。
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「原発を止めるのが一番大事。それをやらん限り、経済の事も他も、何もかもが始まらん」by ジュリー

2012年12月14日 | 日本とわたし
きーこさん、いっつも文字起こしありがとう!!

↓以下、転載はじめ

<速報>ジュリー・沢田研二さん in 荻窪“山本太郎さん応援演説” 12/14(音声&文字起こし)

<杉並区・東京8区>高円寺街頭演説後半・山本太郎さん(文字起こし)で予告していましたが、さっき、とうとう、沢田研二さんが荻窪で演説されました。
沢田研二さんの事は、結構前からテレビで見かけないと思っていたら、ご本人がおっしゃっていた「気持ちが大事」で活動されていたせいだったんだと納得しました。
ジュリーもおじさんになっていましたが、素敵なおじさまだと私は思いました。
荻窪駅前はものすごい人人人・・・。
選挙の演説でこんなに沢山の人々が集まっているのは私は初めて見ました。

 

音声のみ


荻窪駅周辺ご通行中の皆様こんばんは、山本太郎です、よろしくおねがいします。
衆議院選挙東京8区杉並から立候補しました。
「どうして役者のお前が立つんだ?」って言う話なんですよね、
16歳から芸能界にいて、いま38歳、22年間芸能界にいました。
でも、もう今メッセージを伝えなきゃ、伝わらないんですよね、いろんな人たちに。
テレビ、新聞から本当の事が流れないのであれば、だったら自分が沢山の人達の前に出て、今この状況を説明する必要があると。
とはいっても、僕もただの役者ですから、そんな何か、特別な事が出来る訳じゃない。
でも、そのまま、ボッと見ておくわけにはいかなかったんですよね。
表現者、役者だったり歌手だったり、そういう表現者は芸能界には沢山います。
でも、その中で社会的な事、特にテレビや映画や舞台や、そういう所にスポンサーとして参加する企業に対して、
不利益な情報を皆様にお伝えするというのは、これ、職業的にはもうアウトなんですね。
これだけの事態になっても。
日本が終わるのか、それとも未来を切り開けるのか、そのような場面になっても、そう多くの表現者は、声をあげられないような状況なんですよね。
僕も悩みました、最初は。
自分の仕事が無くなるんですからね。
母親も食べさせなきゃいけないし、自分も生きていかなきゃいけないし、
その中で声を大きく上げるという事は、本当に自分の中でも悩みました。
でも、僕が声をあげるずっとずっと前から、この世の中に起こるいろいろな事柄、社会的な問題に対して、勇気を持って発言されて、
そして歌をつくり、それを、世の中の人達に、メッセージとして伝えている先輩がいるんですよね。
本当に尊敬します。
殆どの表現者たちが口を閉ざしている今、この事故が起こる前から、この事故が起こるずっとずっと前から、
みなさんに対してメッセージを発信し続ける、そんな素敵な先輩が、芸能界の中にいました。
僕が選挙に出るといった時、この芸能界に今までかかわってきたいろんな方に、声を掛けさせていただきました。
演説していただけませんか?
応援に来てもらえませんか?
でもそれは、すごく難しい事なんですね。
その人たちもレッテルを張られてしまう。
その人たちも仕事が減ってしまう。
子どもがいる、家族がいる、そういう事になれば、難しい話なんです。
でも、その芸能界の中で、覚悟を決めて、いろんなメッセージをみなさんに伝えている大先輩がいます。
沢田研二さんです。
本当にありがとうございます。
沢田研二さんです、よろしくお願いします。



みなさん…沢田研二です。
杉並区のみなさん、そしてこの荻窪の駅前に集まって下さいましたみなさん、本当にありがとうございます。
僕は…誰にも頼まれていないんですが、「九条を守ろう」という歌とか、今回の「3.11の歌」とかを、勝手に書いて歌っております。
そういう気持ちといういのは、気持ちが大事なんであって、それがどうなるか、っていうのは、僕には大した問題ではないんです。
ただ、自分がそうしたいからそうするんだ、という事でしかなかったんです。

で、今回、僕なんかもう64にもなって、こういう選挙に打って出よう、なんていう勇気なんてありません。
もう、ただのジュリーです。
正確に言うと、昔ジュリー、今ジジイです。

でも、山本太郎のように、勇気のある38歳の若者が、ちゃんと打って出てくれました。
そして、その話を聞く以前から、僕は、あの、「テレビで仕事がなくなった」と言っていた時点で、言われた時点で、
僕は「何か力になれる事はないだろうか」といつも思っていました。
そしたら、今回声をかけていただいて、僕も思う事はいっぱいあるんで、とにかく今、選挙に出ている人はみんな、「国難や」なんやと言っています。
でも、ほとんどの人は、原発を止める事を、その事自体が一番大事なことなんだ。
それをやらない限りは、他の経済の事もいろんな事も、何もかもが始まらないのだ。
今日だって、地震が起こるかもしれないんですよ。
そういう国に、私は住んでいるんです。
だから、騙された訳じゃあないだろうけれども、ちゃんと教えてもらえなかった、
その結果が、今のこれだけ沢山、こんなに地震の起こる国に原発が山ほどあるわけですよ、本当に。
これは、何とかしないといけない!
そう思ってみなさんも来ていただいたのだと思います。

もちろんここに集まって頂いた方は、山本太郎に1票を入れようと思ってくれていると思いますが、
悩んでいる方もいらっしゃると思います。
悩んでいる方はよーく考えて下さい。
そして、やっぱり原発NO!や!!という、山本太郎に、1票を入れて下さい。
お願いします。

ありがとうございます。
本当に選挙に出るなんて、大変な事をしでかしてくれたと思っていますが、ホントに応援したいと思っております。

僕は杉並区民じゃなくて残念です。
1票でも、僕は入れられたかもしれない。
だけど昨日、西荻の、夕方の演説をひそかに聞いていて、「どんなふうにやってるのか」と思ったら、ちゃんとチラシも渡されました、受け取りました。
封筒も渡されました。
すぐにコンビニに入って、切手を買いました。
電話帳で、杉並の知人友人、全部送りました。
送るように封筒に入れて、投函しました。

そして今日、こうしてこの場で、応援の言葉をちょっとしか言えないのが、本当に残念です。
僕は、2時間半ならしゃべってられます。
でも、聞く方が大変でしょうから、ともかくくれぐれも、くれぐれも、山本太郎に1票を入れていただくように、
みなさん、区民のみなさん、どうかよろしくおねがいします。

ありがとうございました。



山本太郎:
沢田研二さんに、沢田研二さんにもう一度大きな拍手をお願いいたします。
本当にありがとうございました。



F.A.P.P(フクシマ・アトミック・パワー・プラント)  
作詞:沢田研二  作曲:柴山和彦

太陽と放射線 冷たいね
子供はみんな 校舎の中 育つ
死の街は死なない かけがえのない大事なふるさと
我が家へ 帰れない 希望はあるけど
こんなにしたのは誰だ

BYE BYE A.P.P  BYE BYE 原発
苦しみは いつも複雑すぎるよ 当然
BYE BYE A.P.P  BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND 終息していない福島

地球が怒る 何度でも
大人はいつも 子らを 思い悩む
死の街が 愛しい あらゆる不安に苛まれても
偽善や裏切りも これ以上許すの
何を守るのだ国は

BYE BYE A.P.P  BYE BYE 原発
哀しみはは ひとりひとりで違うよ 当然
BYE BYE A.P.P  BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND へこたれないで福島

NO 長崎  MORE 広島
人は何故 繰り返すのか あやまち 当然
BYE BYE A.P.P  BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND 世界が見てる福島
世界が見てる福島
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「『日本を取り戻す』ならば、福島の人々に元通りの故郷を取り戻させるのが先決だ」by 赤川次郎さん

2012年12月14日 | 日本とわたし
三つの光景 安全を選ぶ原点
作家 赤川次郎(東京都港区 64)

三つの光景を思い出そう。

第一は昨年3月11日、東北地方を襲った大津波の、人間の想像力を遥かに超えた凄まじい破壊力。

第二は福島第一原発の原子炉建屋が爆発し、屋根が吹っ飛び白煙が上がった瞬間の、見も凍る恐怖。

第三はその原発を「安全だ」と言い続けてきた専門家たちの、現実の事故を前になすすべもなく、ただ、呆然自失していた姿。

その後の言いわけや責任転化を消去すれば、その三つの現実こそが、私たちの安全を選ぶ原点である。

狭い地震大国に原発を作り続けてきた政党が政権を取り戻せば、原発を再稼働させる可能性が高い。
首都直下型地震も南海トラフの地震も、すべてはこれからなのだ。
必ず近い将来、日本はまた大地震を経験する。

次の大地震が起きれば、すべての原発が無傷でいられるなどと信じる人はいないだろう。
再び原発が大事故を起こせば、どれだけの国土が汚染されるか。
自衛隊を軍隊にすれば、放射能が防げるとでも言うのだろうか?

再び原発が爆発したら、子や孫までも放射能の恐怖にさらされるのだ。
有力な政党のスローガンは「日本を、取り戻す」だそうだが、
ならば福島の人々に、元通りの故郷を取り戻させるのが先決だろう。


↑以上、新聞記事の書き起こしおわり
文字の強調はわたしがしました。
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「選挙に行かない君へ」by 乙武洋匡さん

2012年12月14日 | 日本とわたし
乙武洋匡さんのオフィシャルサイト『OTO ZONE』に、こんな記事が載っていました。

明後日はいよいよ選挙です。
投票に行く行かないは、有権者それぞれが決める事ができます。

まだ行くと決めていない人、行かないと思っている人に、ぜひぜひ読んでもらいたいと思い、ここに転載させていただきます。

↓以下、転載はじめ

選挙に行かない君へ
2012年12月14日
 
昨日、Twitter上で「#選挙に行かない理由」というハッシュタグをつけて意見を募集したところ、さまざまなご意見を寄せていただきました。
回答してくださったみなさん、本当にありがとうございます。
みなさんの意見を読んでいて、僕にも思うところがあったので、少し長くなるかもしれないけれど、書かせてください。

みなさんも知ってのとおり、選挙というのは、政治家を選ぶためのもの。
じゃあ、政治家というのは、そもそも何をするための人なのでしょう。
わかりやすく言うと、「税金の使い道を決める人」。国民から集めた税金を、福祉に使うのか、教育に使うのか、はたまた国防に使うのか――
そんなことを話し合い、決定するのが政治家の仕事です。

さらに、政治家は法律をつくったり、憲法を変えたりすることもできます。
たとえば、いまの日本では、憲法によって戦争をすることができない状態にありますが、その憲法を改定し、いつでも戦争ができるようにすることもできます。
それだけ、政治家の仕事というのは重大なものなのです。

さて、ここで昨日から寄せられたみなさんの意見に戻ってみましょう。
まず、みなさんの声でいちばん多かったのは、
「だれに入れたって同じ」「結局は何も変わらない」
たしかに、これまでの経験を振りかえると、そうした考えになってしまいますよね。
期待しては裏切られ、また期待しては裏切られ――の繰り返し。
でも、本当に「だれに入れても同じ」なのでしょうか。

たとえば、上でも述べたように、他国の言いなりにならぬよう、憲法を改正して、戦争ができる国にしようと考えている政党があります。
同時に、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう、憲法を変えてはならないと主張する政党もあります。
これが、「同じ」と言えるでしょうか。
憲法についてだけでなく、ほかの政策においても、各党によって大きな「ちがい」があります。

みなさんは、政権が代わることで、「がらっと世の中が良くなる」と妄信してはいないでしょうか。
だから、そこまで大きな変化が感じられないと、「ほら、やっぱり何も変わらない」となる。
でも、きちんと評価してみれば、変わった点だってある

今回、自民党から民主党に政権が移ったことで変わったこと、いくつもあるんですよ!

もちろん、それを「良い変化」ととらえるか、「悪い変化」ととらえるかは、個人によると思いますが、とにかく「何も変わらなかった」わけではない。
その変化を望んだのは僕らだし、その変化を実現させたのも僕ら。
僕ら一票、一票の積み重ねが、その変化を生みだした
のです。

次に多かった声は、「入れたいと思う政党や候補者がない」
とくに支持している特定の政党や候補者でもいないかぎり、たしかに僕たちの目には「政治家というのは、なんだか信用できない存在」と映ってしまいますよね。
ですが、それはメディアによる影響も大きいと思うのです。

たとえば、僕には、いくつかの党にバッジをつけた数人の知人・友人がいますが、なかにはみずからの身を削り、まっとうな感覚を持って仕事をしていると感じられる議員がいます。
もし、彼らが僕の選挙区にいたなら、僕はきっと彼らに投票するだろうと思います。

でも、僕はそんな彼らに対しても、全面的に賛同するということはないだろうと思っています。
憲法改正やTPP、原発や経済、年金や教育、福祉――国政にはさまざまな局面があり、各党はそれぞれの課題についての意見を持っています。
そのすべてが自分の意見と一致することなど、まずありえません。

だったら、せめて「いちばん考えの近い」候補者に託すしかないと思うのです。
最近では、「日本政治.com」など、自分の考えにいちばん近い政党や候補者を見つけてくれるサイトもいくつか登場しています。
これらのサイトを利用して、「いちばん考えの近い」候補者に一票を投じてみてはどうでしょうか。

それでも、「自分の思いを託したい」と思う政党・候補者が見つからないこともあるでしょう。
そうした場合、「絶対にここだけはイヤだ」と思う政党・候補者以外に投票するという考え方はどうでしょう。
僕も、今回の選挙はどこに、だれに投票するかかなり迷っています。
ですが、ひとつだけ「絶対にイヤ」な政党があります。
だから、その政党に少しでも対抗してくれそうな選択肢はどこか
と、必死に頭をめぐらせています。

以前にも書きましたが、いまの政治は、おもに投票してくれる高齢者に向けた政策が重視されています。
政治家もバカではないから、そんなことばかりしていたら国がパンクすることはわかっているのに、やっぱり票が欲しいから高齢者のほうばかり向きます。
でもさ、このままだと、マジでやばいぜ。
若者の負担、どんどん増えていくばかりだよ。

「どうせ変わらない」

 たぶんね、今回の選挙結果だけでは、すぐに変わらない。みんなの言うとおりだよ。
でも、安西先生も言ってたじゃん。

あきらめたら、そこで試合終了ですよ…?」

若者にも政治に関心があること、若者も票を持ってることを、今回の選挙で少しでも見せてやろうぜ
そうしたら、少しずつ、政治家の目もこちらに向いてくる。
若者にも目線を向けた政策を考えてくれるようになる。
その次の選挙で、僕らはそうした候補に票を入れていく。
そして、またその次の選挙で――。

すぐには、むずかしいと思う。
でもさ、オレはあきらめたくない。
だってさ、オレたちの国じゃん。
無関心じゃいられないよ。
「どうせ変わらないから、指くわえて見てろ」だって? 
俺にはくわえる指もないからさ、こうやってあがいて、さけんで、勉強していくよ。

なんだか、最後には文体も変わっちゃった。
まあ、いいや。
少しでも、みんなにこのメッセージが届いたなら、うれしいな。
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米国『市民が銃を持てる憲法がある限り、乱射事件は再発する』事情

2012年12月14日 | 米国○○事情
コネチカット州の、人口3万人の町の小さな小学校で、5才から10才の子ども達が大勢、銃で撃たれて死んでしもた。
そのニュースを運転中に聞いて、ハンドルを持つ手が震えた。
情報が交錯して、伝える方も混乱してる。

上の息子が大学一年生の、夏休み前の最終テストがもうすぐやという春のある日、
実を言うと、ある日どころか、それはわたしの50才の誕生日の翌日で、ニュージャージーでは大雨が降り続き、あちこちで大洪水が起こってて、
そして息子の大学のあるヴァージニア工科大のキャンパスの映像が流れるテレビの画面には、なぜか雪が風に吹かれてた。

誕生日パーティの心地良い疲れがうっすら残ってる朝の台所で、旦那の姉からの電話で慌ててつけたテレビから、乾いた銃声が何発も聞こえてきた。
息子の暮らす寮の隣の建物で、まず最初の銃撃があったと聞き、卒倒しそうになりながら息子に電話をかけた。
「突然、なんの説明もなく、教室から自分の寮に戻れって言われて、それで戻ったら、自分の部屋から一歩も出るなと言われて、トイレはもちろん、テレビを観ることもできひん」
と言う息子に、テレビから流れてくる情報を伝えた。

犯人の名前が出て、それが、息子のルームメイトと同姓同名やったこと、その時まだ、部屋に戻ってなかったことで、えらいこっちゃと動転した。

「あ、窓の外で、ライフル持ってる人が歩いてる」
「あほっ!窓の近くに立ったらあかん!部屋の入り口の方に居なさい!」

怒鳴りながらも、こうやって電話で話ができること、生きてくれてることのありがたさを、心の底から感謝せずにはいられへんかった。

息子は、韓国人、ひいてはアジア人に対する偏見を恐れてた。
怒りが、自分達に向けられへんかと、本気で心配してた。

ところが、ヴァージニア工科大とその近辺の町は、共同で、
「我々はこの惨事で命を落とした人達、そして遺族、傷を受けた人達、そしてその家族に、心からの哀悼と祈りを捧げる。
罪を憎んで人、及び、その人の出身国を憎まない。
このことが原因で、特定の国、あるいは地域の差別をしない」
という声明を、事件の直後に出してくれた。


この国の銃規制については、もうそれはそれは長い間、反対する者、推進する者の間で、諍いが続いてきた。
憲法で守られてると、規制に反対する者は言う。
銃犯罪に対抗できるよう、皆でもっと銃を所持しようやないか、という者までいる。

どこまで狂たら気が済むか。

そんなに殺したけりゃ、武器を持たずに手で殺せ。
取っ組み合いして、自分も死ぬほど痛みながら、必死で殺せ。
指一本で、何十人もの人をいっぺんに殺してしまう武器を持つ意味がどこにあるのか?
そんなもんを、あちこちの町で、あちこちの通りで、あちこちのモールで、あちこちの映画館で、あちこちの学校で、あの人もこの人も持ち出したら、
いったい世の中はどないなるか、なんでそんな簡単なことがわからんのか。

今日までに銃で殺されてきた人達全員の血が、銃規制への道に流れてる。
今日殺された幼い子達の血を、アメリカという国がどう弔うのか、それを見守りたいと思う。

息子達が幼かった頃、わたしが一番怖かったことは、彼らを失うことやった。
息子達の母親でいられることが嬉しいて、幸せで、そう感じると余計に、それまでの人生で起こったように、またもぎ取られてしまうんちゃうかと心配した。
重大な事故や重篤な病気で、何度も実際に失いかけたけど、人から危害を加えられるような不幸は起こらんかった。

無事に成人したふたりの息子達の、幼かった頃の写真を見ながら、この記事を書いてる。

一年で一番楽しみなクリスマスを前に、銃で撃たれて死んでしもた子ども達、そしてその親御さんらの無念を思いながら。
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活断層の確認後「嫌なもんを掘り当ててしもた」と言う日本原電。こんな阿呆が原発のお守り役!ど~ん!

2012年12月13日 | 日本とわたし



敦賀 活断層判断 甘い建設審査のツケ
[東京新聞] 2012年12月11日

日本原子力発電(原電)敦賀原発(福井県敦賀市)の断層を調べた、原子力規制委員会の専門家チームが10日、
原子炉直下に活断層がある可能性が高いとして、クロの判定を下した。
敦賀原発の再稼働は、ほぼ不可能になり、建設当時の国の審査の甘さも浮かび上がった。(加藤裕治)


◆切れ込み

航空写真で敦賀半島の先端部を見ると、北西から原発の南東側にかけて、一直線に切れ込んでいるのが分かる。

「活断層があると学生でもわかる。何でこんな所に原発を建てたのか」
専門家は口をそろえる。
これが、原発の東側約250メートルほどを走る、活断層「浦底断層」だ。

長さ35キロ余り。
その後の研究で、100キロにわたって連動し、1891(明治24)年10月に岐阜、愛知両県を襲った日本史上最大の内陸型地震「濃尾地震」(マグニチュード8)級の地震を起こす可能性も浮上した。

原電は、地形の不自然さを認めながら、「活断層ではない」と言い張り、規制機関の原子力安全委員会や旧原子力安全・保安院(いずれも廃止)は、その主張を追認してきた。

原電が、約4千年前という新しい時代に動いた活断層と認めたのは、2008年3月になってからだ。


◆怪しい溝

1、2両日に現地を調査した規制委のチームは、当初から、原発敷地内に明らかな活断層がある、敦賀原発の特殊性に着目。
さらに、これまで知られていなかった、別の活断層の存在を見抜いた。

怪しい地層のずれは、2号機の北約300メートルの試掘溝(トレンチ)で見つかった。
本来は、2号機直下を通る「D─1破砕帯」と、浦底断層の交わる点を確認するための溝だったが、
「嫌なものを掘り当ててしまった、と原電も困っていた」(チームの一人)。
このずれが、敦賀原発の運命を、事実上決めた。

10日の評価会合でも、この地層のずれが焦点となったが、チームの意見はあっという間に一致した。

「十数万年前以降に、地層が変形し、形は横にずれ、浦底断層に伴って活動─。これらが皆さんの共通したご意見と思いますが、よろしいですか」。
4人のメンバーの意見を聴いた後、規制委の島崎邦彦委員長代理が、こう意見を集約し、すんなり結論が出た。


◆いけにえ

規制委の田中俊一委員長はこの日、「個人的見解」と前置きしつつ、敦賀原発の再稼働は認められないとの考えを示し、この方針は12日にも、規制委として正式決定する。

初めて、運転ストップを求める規制委の決定になる。
ただ、注意すべきは、敦賀原発をいけにえにする形で、他の原発を生かす道につながらないか、という点だ。

特に、敦賀1号機は、1970年3月に営業運転を開始し、動いている原発としては日本で最も古い。
運転期間は既に40年を超えており、新たな活断層問題が浮上しなくても、運転期間を40年に制限する規定に引っかかり、廃炉を迫られることは目に見えていた。

最も運転を止めやすい原発ともいえ、逆に関西電力大飯原発(福井県おおい町)は、稼働中なのに、活断層の決め手がなく、いまだに結論が出ず、規制委の限界も見える。

活断層問題を訴えてきた東洋大学の渡辺満久教授(変動地形学)は、
国内の原子力施設で、活断層は大丈夫だろうといえるのは、九州電力玄海原発(佐賀県)くらい。より詳しい調査が必要なのではないか」と語っている。
 
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電力会社と国はこうやって、危険な場所に危険な物を建ててきた。この罪の重さを知らしめてやりたい!

2012年12月13日 | 日本とわたし
しつっこいねん東北電力!
活断層の可能性があるかないか、そんなもん、あんたらの都合や勝手であったりなかったりせえへんねん。
最初っからあったのに、それを大丈夫大丈夫いうて、建ててしもたことの責任を、どないしてとるん?

活断層と判断されると、施設の耐震を見直す必要やて?
活断層の上には、そんな施設は建てたらあかんて法律で決まってんのとちゃうのか?!

即廃炉!
燃料の冷却!

東通原発:敷地内の地層変形「活断層と関連」…規制委
【毎日新聞】2012年12月13日 

原子力規制委員会は13日、東北電力東通原発(青森県)で断層(破砕帯)の状態について、現地調査を始めた。
規制委の島崎邦彦委員長代理は、同夜の記者会見で、敷地内にある地層の変形について、「活断層が関連したものと考えられる」と言及。
調査団の他の4人も、活断層の可能性を否定する東北電の見解に、否定的な見方を示した。

しかし、精査が必要として、14日も現地調査を継続。
20日に東京都内で開く評価会合で、活断層かどうかを議論する。

13日の調査では、比較的規模が大きい「F-3」「F-9」と、小規模な「s-14」「s-19」の4断層を視察。
東北電はこれらについて、地下水が入り込んで地層が膨らむ「膨潤(ぼうじゅん)」などが原因とし、「考慮すべき活断層ではない」と主張している。

これに対し、島崎氏は会見で、
「東西方向に力が加わっているようにみえる。膨潤との考え方に賛成できない。活断層に関連した活動だ」と明言した。
粟田泰夫・産業技術総合研究所主任研究員は、「活断層か、それに伴う地震の可能性がある」と述べ、金田平太郎・千葉大准教授も、「(膨潤説では)つじつまが合わない地形だ」と話した。

熊木洋太・専修大教授と佐藤比呂志・東京大教授も、膨潤説について「根拠が分からない」などとしながらも、「今日だけでは判断できない」(熊木教授)として、さらに詳細な調査が必要とした。

4断層は、原子炉建屋など重要施設の真下を走っていないとみられるが、原子炉建屋の西側約200メートル付近を縦断する。
活断層と判断されると、施設の耐震を見直す必要があり、運転停止期間が長期化する可能性がある。

【中西拓司、岡田英、酒造唯】
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「『石原』『橋下』『安倍』─私たちは、日本の右傾化を憂い、その流れを止めることを訴えます」

2012年12月13日 | 日本とわたし
「『石原』『橋下』『安倍』─私たちは、日本の右傾化を憂い、その流れを止めることを訴えます」 

いま、日本の右傾化が急激に加速していることに、私たちは強い危機感をもっています。
 
「国政の矛盾の最たるものは、占領軍が一方的に与えた醜い日本語でつづられた憲法」
「核兵器に関するシミュレーションぐらいやったらいい。これは一つの抑止力」
「日本の生きていく道は軍事政権をつくること。徴兵制もやったらいい」
公然と言い放つ石原慎太郎氏。
 
「私が民意」。
選挙に勝てば白紙委任されたとして民主主義を否定し、弱者切り捨て、文化破壊、憲法違反の条例制定など、人権無視の独断専行をすすめる橋下徹氏。
「医療、年金、介護、社会保障が日本をつぶす一番重要な原因」とまで言い始めました。
 
そして、憲法改悪と集団的自衛権の行使、海兵隊の新設、慰安婦問題についての「河野談話」の破棄、靖国神社への参拝などを、公言してはばからない安倍晋三氏。

その右傾化ぶりは、元自民党総裁の河野洋平氏が、「かつての自民党には護憲派もいたのに、今の自民党は改憲派ばかり。保守の中の『右翼』になり、ずいぶん幅の狭い政党になった」と嘆くほどです。
 
私たちは、こうした状況を、「一過性のもの」として見過ごせない危うさを感じています。
 
京都でも、現憲法の破棄と大日本帝国憲法への回帰、日本の核武装を主張し、「家庭の崩壊は憲法9条のせい」とする自民党・参議院議員、
大臣として改悪教育基本法を先導した自民党・衆議院議員、
「憲法9条は緩んだゴムバンド」として集団的自衛権の行使を叫ぶ民主党・衆議院議員、
大阪府・市の悪名高い憲法違反「3条例」を、京都で制定することをめざして、日本維新の会と協定した京都維新の会など、
戦前戦中を想起させる政治家の台頭が、顕著になりつつあります。
 
この国では、長い間、人間らしく働き、暮らす権利が無視され続け、近年は非正規雇用が拡大し、社会保障が次々と切り捨てられてきました。
格差がますます拡大し、地域経済・雇用、福祉・医療など、様々な分野で、市民の生活が危機的な状況になっています。
命さえ奪われかねない状況に、老いも若きも未来への希望が見出せない、「時代閉塞状況」が続いています。
 
しかし、この閉塞状況から抜け出す道は、「日本社会のグレート・リセット」「戦後レジームからの脱却」などといって、現行憲法を破棄して戦前に回帰し、
戦争のできる国づくりを進める方向であっては、断じてならないと思います。

私たちは、主権者として、この国の政治状況を直視し、勇気をもって良識を貫くべき時だと確信します。
日本の右傾化の加速を食い止めるために、京都から敢然として声を上げましよう。

【呼びかけ人】
安斎育郎(立命館大学名誉教授、平和学)
岩井忠熊(立命館大学名誉教授、歴史学)
小笠原伸児(弁護士)
尾藤廣喜(弁護士)
藤沢薫(俳優、演出家)
宮城泰年(本山修験宗管長)
宮本憲一(元滋賀大学学長、大阪市立大学名誉教授)
望田幸男(同志社大学名誉教授、ドイツ近現代史)
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「“無知で冷静さを欠いている”かのように見える市民にこそ学んで下さい」モジモジ先生声明文

2012年12月13日 | 日本とわたし
不当勾留中の下地さんから 声明文が届きました
2012-12-13
 
逮捕状の被疑事実は、すべて、事実ではありません。
当日現場にいた公安の警察官もすべてを見ていたはずなのに、堂々と事実と異なる被疑事実に基づいて逮捕を行ったことに、とても驚いています。
 
なぜ警察が、ウソをついてまで私を逮捕するのか。
それは私が、原発の再稼働に反対し、放射能の拡散に反対する市民運動に参加してきたからであり、とりわけ、運動の中で出会った警察の不正行為についても、厳しく批判してきたからです。
悪いことはなにもしていません。

いま、私たちが暮らす日本は、そして世界は、危機的な状況にあります。
福島の原発事故はいまだ収束せず、4号機の使用済み核燃料プールが倒壊すれば、日本だけでなく、世界が終わると言っても過言ではない大惨禍をもたらすことになるでしょう。
放射能汚染への対応もまったくできておらず、食品その他の流通を通じて、汚染は拡大しつつあります。
そんな中、「電気が足りない」とうそぶき、原発を使い続けようとしているのです。
すべてが狂っているとしか言いようがありません。

この半年か1年の間に、政府がどのような施策を行うか、それによって私たちの未来は大きく変わるでしょう。
日々、学生たちの顔を見ながら思います。
二十歳そこそこの彼らが私と同じ四十歳になる頃、どんな世界に暮らすことになるのかと。
そのたびに、今回の原発事故を防げなかったこと、先輩世代として申し訳なく思います。
彼らには罪はないのですから。
せめて、少しでもマシな世界を残せるよう、微力を尽くしたいと思っています。
事故はすでに起きてしまいましたから、時間はあまり残されていません。
しかし、希望はあります。

私は、いま、動くことができなくなりました。
でも、諦めてはいません。
こうして、私の声を外に届けることもできます。
そして、もっと多くのみなさんが行動してくれれば、声をあげてくれれば、きっとまだ間に合います。
 
私はとりわけ、私と同じように大学で教えている人、医師や科学者など、なんらかの意味で専門家と呼ばれている人たちに呼びかけたいと思います。
「無知で冷静さを欠いている」かのように見える市民にこそ学んで下さい。
その声が無視され、軽んじられている人のために語って下さい。

真実は、批判と応答を通じて初めて、姿を現します。
政府をはじめとする権威が語ることではなく、その反対側に立ち、権威に対して反問することを通じて、真実が明らかになるように行動して下さい。
まちがってもいいのです。
常に弱い側に立ち、その軽んじられる言葉や存在を擁護し、自らが仮にまちがうとしても、逆説的に、権威との言説の応酬の中で真実が明らかになるように、語って下さい。
あなたの専門分野が何であるかは、関係がありません。
勇気をもって下さい。

最後に、私がもっとも深く関わってきた、震災がれきの問題について述べます。
大阪市は、11月末に試験焼却を強行し、来年2月の本焼却開始に向けて、着々と準備を進めています。
何度もあちこちで述べてきましたように、震災がれきの広域処理は、誰のためにもなりません。
それは、被災地支援どころか、復興予算の横取りであり、かえって復興の足を引っぱります。
同時に、放射能をばらまき、かつ、汚染地の人々に放射能を受忍させ、加害者である東京電力の責任を軽減するものです。
代償は、私たちの、子どもたちの、そして、これから生まれてくる子どもたちの命です。
こんなデタラメな施策が、許されていいはずがありません。
絶対に止めなければなりません。
これまでともに学び、取り組んできたみなさん、諦めずに戦ってください。
また、これまで、震災がれき問題について知らなかったみなさん、是非、今からでも知って力を貸して下さい。
これは、私たちの未来そのものを守るための戦いです。

私はいつ出られるかわかりません。
でも、いつかきっと出られます。
姿は見えなくても、心はともにあります。
この間、不当に逮捕されている他の仲間たちも、きっと同じ気持ちです。
みなさんに会える日をたのしみにしています。

2012.12.12 下地真樹
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