ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

NHK WORLD『東電の廃炉責任者がかくも悲観的な見通しを語る』も、NHK JAPANではどうよ?

2015年10月21日 | 日本とわたし
この記事は、今から半年前に書かれたものです。
半年前というと、覚えるには少し難しいものがありますが、みなさん、この、廃炉責任者の方が、廃炉について悲観的な見通しを語ったということについて、聞き覚えがありますか?
わたし自身、このニュースを直接観ていないのですが、ネット上においても大きく取り上げられてはいなかったと思います。
当事国である日本に、このような実情をきちんと伝えない。
そしてその局は、「公共の福祉のために、あまねく日本全国で受信できるように、豊かで、且つ良い放送番組による国内基幹放送を行う」ことが使命とされているNHK。

昨今の、特に、安保法制採決時の国会中継においてのNHKの態度には、怒りを感じている人が少なくありません。
国会に、放送局に、新聞社に、そして銀行や大企業にも、国民からの叱咤と(正しい方向に修正できた際には)激励が、今ほど必要な時はないと思います。

東電・廃炉責任者が、悲観的な見通しを語るも、NHKは国内では報道せず
【Finance GreenWatch】2015年4月8日
4月 8th, 2015 | Comments Off on 東電・廃炉責任者が悲観的な見通しを語るも、NHKは国内では報道せず(NHK:阿修羅)

NHKが、東電・福島第一廃炉推進カンパニー社長・増田尚宏氏に、廃炉作業の見通しについてインタビューしています。

NHK WORLD
Decommissioning Chief Speaks Out
「東電・廃炉推進トップが語る」
 
【NHKワールドニュース】2015年3月31日
http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/english/news/features/201503312108.html




以下、増田氏の回答を引用します。
―–(引用ここから)――

(Masuda)
We have no idea about the debris. We don’t know its shape or strength.
We have to remove it remotely from 30 meters above, but we don’t have that kind of technology yet,
it simply doesn’t exist.

溶融燃料についてはわからない。
形状や強度は不明。
30メータ上方から、遠隔操作で取り除く必要があるが、そういった種類の技術は持っておらず、存在しない


(Masuda)
We still don’t know whether it’s possible to fill the reactor containers with water.
We’ve found some cracks and holes in the three damaged container vessels,
but we don’t know if we found them all.
If it turns out there are other holes, we might have to look for some other way to remove the debris.

格納容器を水棺にするのが可能かどうか、まだわからない。
壊れた格納容器3基に、いくつかのヒビ割れや穴を見つけたが、それで全部かどうかわからない。
ほかにもあれば、がれきを取り除く他の方法を見つけなければならない。


(NHK)
The government wants that work to begin in 2020.
I asked Masuda how confident he is that he hit the target. His answer was surprisingly candid.

政府は、廃炉作業を、2020年に始める意向だ。
増田氏に、それについて、どれだけ確信があるか尋ねた。
彼の回答は、驚くほど率直だった。


(Masuda)
It’s a very big challenge. Honestly speaking, I cannot say it’s possible.
But also I do not wish to say it’s impossible.

それは、非常に大きなチャレンジだ。
正直に言って、私はそれが可能だと言えない
でも、不可能だとも言いたくない。


(NHK)
I also asked Masuda what he needs most for the operation to succeed.

増田氏に、成功させるためには、何が一番必要かと聞いた。

(Masuda)
That’s hard to say. but probably experience.
How much radiation exposure can people tolerate?
What kind of information do the residents in the area need?There is no textbook to teach us what to do.
I have to make decisions every step of the way.
And I must be honest with you I cannot promise that I will always make the right decision.

言うのは難しいが、おそらく経験だろう。
どのくらいの被ばく線量なら許容されるのか?
周辺住民には、どんな情報が必要なのか?
どうすればよいか教えてくれる教科書はない。
私は、ステップごとに、決定を下さなければならない。
正直に申し上げて、私が正しい決定をするということは、約束できない


―–(引用ここまで)――


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MOX燃料の3号機がベント放出した高濃度汚染は北西に!などと、しれっと今頃発表する原子力研究開発機構

2015年10月21日 | 日本とわたし
イギリスの新聞『インディペンデント紙』が、2011年8月17日の記事で福島原発事故を取り上げました。
英紙インディペンデント電子版で、2011年8月29日(現地時間)に、複数の研究者の発言が報道
されました。
その記事には、「原発事故は日本政府が嘘をつく構造」「近代日本の終焉」「チェルノブイリより遥かに酷い」という言葉が書かれていました。

かなりぼんやりとした画像ですが、汚染の状況を示す日本地図です。



あれから4年と少し経った今になって、やっとか、という感がする報道がありました。
まさしく、『原発事故は、日本政府が嘘をつく構造』そのものです。
事故に限らず、原発に関しては、嘘が無いことの方が極めて少ない。
嘘とでたらめを並べ、騙さなければ、誰も納得できないことだらけだからです。
自民党が主だってばらまいてきた負の遺産は、日本のみならず、世界の未来に暗い影を落とす、大変に危険で厄介なものです。
そしてその、危険で厄介なものを扱う組織や人間たちの中に、責任感や倫理観に重大な欠陥がある人が多すぎる。
このことがまず、いつまで経ってもまともな方向に進めない、大きな原因になっていると思います。


『2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故で、原発の北西方面を放射性物質で高濃度に汚染したのは、
格納容器が損傷した2号機からの大量放出に加え、
3号機で、格納容器からの排気(ベント)の操作をした後の放出だった可能性がある
との推定結果が出た』


……。

↑この記事についてまとめてくださった『真実を探すブログ』さんの記事の、動画以外の部分をここに転載させていただきます。

↓以下、転載はじめ

福島第1原発3号機でも、超高濃度放射能をベントで放出していたことが発覚!
放射能は発表以上の値に!
東電の見解に再検討も!

2015年10月20日
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-8429.html




詳しくはこちらで→*世界版SPEEDIを使った放射能汚染地図
http://nsec.jaea.go.jp/fukushima/data/20110906.pdf


☆3号機も高濃度汚染源…ベント後、北西に放出か
http://www.yomiuri.co.jp/science/20151018-OYT1T50097.html

引用: 
2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故で、原発の北西方面を放射性物質で高濃度に汚染したのは、
格納容器が損傷した2号機からの大量放出に加え、
3号機で、格納容器からの排気(ベント)の操作をした後の放出だった可能性がある
との推定結果を、
日本原子力研究開発機構の研究グループがまとめた。
 
東電の「ベントに伴う放出量は全体の1%未満」との見解は、再検討を迫られそうだ。



:引用終了

ーーーーーーー ーーーーーーー ーーーーーーー ーーーーーーー

以下、ネットの反応























ーーーーーーー ーーーーーーー ーーーーーーー ーーーーーーー

東京電力や原子力村の方達は、「福島の事故は多くてもチェルノブイリ程度」と言っていましたが、
これでチェルノブイリ以上の汚染だった可能性が高まりましたね。
そうなると、福島県で、チェルノブイリを超える勢いで、小児甲状腺がんや各種病気が増えていることも、説明することが出来ます。

現に、ヨーロッパやオーストラリア等の調査では、
福島原発事故で発生した放射性物質の総量が、チェルノブイリの倍以上に匹敵する恐れがある、という試算結果が出ていました。
福島原発事故は、忘れて良い事故ではなく、世界中の人々が全容を知る必要があります
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大好物との決別

2015年10月20日 | ひとりごと
全身整骨体験第二回目。 



今回はひとりです。
でも、前回持っていき忘れた短パンとタオル、ちゃんと持参して行きました。えっへん!



治療後に食べない方がいい食品として、もち米、辛いもの、酸っぱいもの、そして卵が注意書きに書かれてあったのですが、
前にも書いた通り、初めての治療が終わってまだ1時間ちょっとしか経っていないというのに、無意識で買った卵サラダサンドを、無意識にパクパク食べてしまっていたぐらいの大ボケなわたしは、
その後も、朝食の目玉焼きを、もういいやとばかりに食べ続けておりました。



それで、もしかしてそのことが問題になったらどうしようと思い、受付の女性に食べ物のことについて聞いてみました。

「ここに書かれている食品は、治療を受けた日だけ気をつけたらいいのでしょうか?」
「いいえ、一ヶ月間です」
「え?一ヶ月の間、ずっと食べてはいけないのですか?」
「うーん、食べてはいけない、とまでは言ってないのですけどね」
「少しぐらいなら?」
「治療の効果が最大限に発揮されなくても良いのなら」

なるほど。
せっかく受けているのだから、一ヶ月ぐらい我慢しよう。
と、小さな決心をして、治療室に入りました。


「やあやあ、おはよう!」
相変わらずテンションが高いカンフーマスター。
「お、顔色がいいじゃないか。やっぱり効果が出てきてるね」
「そ、そうでしょうか…これは自分的には、更年期障害のほてりだと思えるのですが…」
「うんにゃ、前回の治療の効き目が出てきてるんだ。代謝が良くなってる証拠だよ」
「(便秘なのに)…」

今回はまずマッサージからというので、分厚いマットの上にうつ伏せになりました。
若者のアシスタントさんが、ちょいと冷やっとするクリームを塗ってはギュウギュウ。
いてててて!
「あちこちで筋肉が凝り固まってるね」
それって筋肉というより贅肉なんじゃ?
「違うよ。これは贅肉じゃなくて筋肉」
ぐりぐりギュウギュウぐりぐりギュウギュウ。
くぅ~…痛ぁ~い…。

贅肉といえば、最近急に存在感を増してきた脇腹肉。
英語では『ラブハンドル』などというあだ名がついていて、なんとなく楽し気なんですが、ここについた肉は大変にしつっこい。
「ちょっと失礼」とマッサージ師の若者さん、まさにその部分をギュウギュウ。
「ここは停滞しやすい場所なんだよね、運動しても動かせない部分だから」
と言われて、そこが動いている様子を妄想するわたし…。

そこにカンフーマスター登場!
「は~い、リラックスして~、力抜いて~、頭落として~」
前回と同じく、間髪入れずに、背骨から尾てい骨まで、ちゃっちゃとやり終えていきます。
でも、前よりちょっとだけ、反応がスムースになったような気が。

椅子に座り、首のゴキゴキを終え、彼はまた退室。
残ったマッサージのお兄さんに、おまけのお願いをしてみました。

「この、ど~しよ~もなくみっともない肉のカーテン、なんとかならないでしょか?」
普段なら、他人には絶対に見せないし触らせない二の腕のテレンテレンに、この際とばかりに触ってもらいました。
「こりゃけっこうすごいね。ここもまあ、たまりやすいんだけども」
マッサージ開始です。
ほんとはこんなことやってもらう前に、ダンベルとか使って筋肉を鍛えるべきなんだよな~…。

最後に、また戻ってきたカンフーマスターが、わたしの指を掴み、まるでスパゲティの製麺でもしているかのように、わたしの腕を振り回します。
やっぱりここでも「リラックスして~、力抜いて~」
腕の力を抜くことについては得意な分野です。
けっこう彼の思い通りに腕が動くらしく、肘や手首、そして指の関節全部を、順次ほぐしてもらうことができました。

そして問題の、第一関節の変形部分をつまみながら、
「ここまで進んでたら元に戻すのは難しいけども、進行を止めることはできるかも」と彼。
ほ、ほんとですか?!
「ただし、今後一切、豆は食べたらだめ」
えぇ~!!(ほぼ絶叫)
「あ、それと、ナッツもだめ」
ええぇ~!!(ほぼ気絶)
「だから、豆腐とかコーヒーもだめ」
えぇ~んえぇ~ん!!(ほぼ号泣)
「それとポテトも」
なんでやねん!!(とうとう怒りが)

そんな、大がつく好物ばっかりを…。
「だから、ついつい食べ過ぎて、こんなになっちゃったんじゃないか」
しくしく…しくしく…しくしく…。

あの、あの、少しぐらいなら食べてもいい豆とかナッツとか、ありませんか?
「ないよ、そんなもん」

餅も卵も豆もナッツも…小さな楽しみが、小さな幸せが、どんどん遠ざかっていく…。

というわけで、すっかりうなだれてしまいました。
うなだれながらも、帰りの道中、市場に入って写真を撮るおばちゃん。




でも、あんまりがっかりしてたからか、地下鉄を乗り過ごして42ストリートまで行ってしまったので、
ここはひとつ、元気づけのためにも地上に出て、ブライアント公園にでも行って気分転換をすることにしました。



でもやっぱり、ランチを食べるにも、いつも注文していたものを頼めずにがっかり。



なので、もう一度気分直しに、近くのブックオフに寄ってから、家に帰ることにしました。

いい年をしてぐちぐちと…情けないとは思うのです。
でも、わたしの豆とナッツ好きは年季が入っているので、これを諦めるのはかなり悲しいです。
でも、でも、でも、「ピアノ、弾きたいんだろ?弾けなくなってもいいの」という声が、頭の中で鳴り響いています。
彼のその言葉を警告信号にして、食べたくなったらそれを見て、心を静めようと思います。



夫は、鍼灸師という立場から、絶対に、ということはどこにも無いし、臨機応変にやっていけばよいと言ってくれましたが、
とにかく3ヶ月、それができたらまた3ヶ月、どんなふうに影響があるのかを見ていこうと思います。

というわけで、また来週ね、マンハッタン。
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議員の『劣化』と議事録の『捏造』が示す、日本における議会制民主主義の『崩壊』を食い止めるのは私たち!

2015年10月16日 | 日本とわたし
世にもみっともない法の採決を演出した、世にも愚かな議員たち。


自公、そして次世代、日本を元気にする会、新党改革の議員も含め、次の選挙で議会から追い出しましょう!


このサイトがとても素晴らしいです!
次の選挙の際に、ぜひぜひ参考にしてください!

国会議員一覧リスト
http://democracy.minibird.jp
国会議員に民意を伝えよう!



安保法「聴取不能」の議事録 与党判断で「可決」追記
【東京新聞】2015年10月12日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201510/CK2015101202000131.html

 

(まうみ注・以下↓の記事中の写真は、わたしが行いました)
安全保障関連法を採決した、9月17日の参院特別委員会の議事録が、11日に、参院ホームページ(HP)で公開された。
採決は、委員長の宣告後に行われるのが規則
採決を宣告したと主張する委員長発言を、「聴取不能」と認めておきながら、安保法を「可決すべきものと決定した」と付け加えた
採決に続き、議事録の内容まで与党側が決めたと、野党は反発している。
(篠ケ瀬祐司)
 
野党議員によると、参院事務局は、追加部分は「委員長が認定した」と説明しているが、野党側は事前の打診に同意していない。
 
9月17日の特別委では、委員長不信任動議が否決されて、鴻池祥肇(こうのいけよしただ)氏が委員長席に着席。
民主党理事の福山哲郎氏が話しかけたところ、自民党議員らが、委員長の周囲を取り囲んだ。









野党議員も駆け付け、混乱状態の中、委員長による質疑終局と採決の宣告は、全く聞こえず、
自民党理事の合図で、与党議員らが起立を繰り返した。




野党議員は、何を採決しているのか分からない状況だった。
 
9月18日に、正式な議事録の前に、未定稿が各議員に示された。
鴻池氏の発言は「……(発言する者多く、議場騒然、聴取不能)」となっていた
 
議事録は、「聴取不能」までは未定稿と同じ内容
しかし、「委員長復席の後の議事経過は、次のとおりである」との説明を追加
審議再開を意味する「速記を開始」して、安保法制を議題とし、
「質疑を終局した後、いずれも可決すべきものと決定した。なお、(安保法制について)付帯決議を行った」と明記した。
 
福山氏によると、今月8日に、参院事務局担当者が、この議事録を福山氏に示した。
福山氏は、
「委員長が、追加部分を議事録に掲載するよう判断したとしても、理事会を開いて与野党で協議する話だ」と、了承しなかった
 
福山氏は議事録公開について、
与党議員らが、先に委員長席を取り囲んで『聴取不能』にし、後から速記を開始して可決したと追加する
これでは議事録の信頼性が揺らぐ」と指摘した。
 
議事録には、安保法の委員会可決だけでなく、付帯決議を行ったことも書き加えられた
この付帯決議は、自衛隊の海外派遣の際の、国会関与強化を盛り込む内容で、次世代の党など、野党三党と与党が合意した。
法律に付帯決議を入れる場合は、委員会で読み上げられるが、野党側は全く聞き取れなかったと主張する。
 
特別委委員だった福島瑞穂議員(社民)は、
「可決ばかりか、付帯決議もしたと書くのは許されない」と批判する。
 
委員会採決の翌日、委員会可決について、「法的に存在したとは評価できない」との声明を出した弁護士有志メンバーの山中真人氏は、議事録の追加部分について、
「議員や速記者が、委員長の声が聞こえていない以上、採決は存在しない」と強調した。



以下は、IWJ Independent Web Journalさんが、一般にも公開してくださっている記事です。

議事録の「改竄」を公聴会公述人が徹底批判! 
壊れつつある議会制民主主義に、SEALDs奥田愛基氏は、
「正当なプロセスが踏めないなら、国会や委員会の必要性がなくなる」

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/270517

始まりから終わりまで、一貫して非民主的だった、安保関連法制の国会審議

参院安保特別委員会における「強行採決」に至っては、採決そのものが本当に存在したのかさえも疑わしい。
しかし、議事録はあとで「改竄」され、まるで正当な手続きが行われたかのように仕上がっている

2015年10月15日(木)、参議院議員会館で、「参議院安保特議事録『改竄』に対する抗議記者会見」が開かれた。
会見には、9月16日に行われた横浜地方公聴会の公述人である水上貴央弁護士(青山学院大学法務研究科助教)広渡清吾前日本学術会議会長と、中央公聴会の公述人を務めたSEALDsの奥田愛基氏が列席した。


◼️「聴取不能」から委員長判断で一方的に上書きされた議事録

10月11日、参院特別委員会で、9月17日に安全保障関連法案を採決した際の議事録が、参院のホームページで公開された。
怒号が飛び交うなかで作成された速記録は、可決を宣言したと主張する鴻池祥肇委員長の発言を、「聴取不能」と記していたが、
新たに公開された議事録には、「可決すべきものと決定した」との文言が加筆されていた

【議事録】第189回国会 
我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第21号 平成二十七年九月十七日(木曜日)
 
また、実際には、「速記停止中」に「採決」が行われていたはずが、
新たに公開された議事録では、「速記を開始し」という文言まで追加されていた
これらの加筆部分について、参院事務局は、「鴻池委員長が認定した」と主張しているが、
野党側は、事前の打診に同意しておらず、「議事録の信頼性が揺らぐ」と反発している。


◼️「今回の議事録は、実態と大きく異なるという意味で『改竄』だ」


▲議事録の加筆を「改竄(かいざん)」だと非難する水上貴央弁護士

「NHKで生中継されていましたが、速記を起こしていないのは明らか。
それが、速記を起こしていたことになっているんです」


地方公聴会に公述人として招かれた水上貴央弁護士は、今回の議事録の加筆を、「改竄」だと非難する

「野球で例えれば、“タイム”がかかっている最中に、客席から観客がフィールドに雪崩れ込んできて、
内野を人間かまくらで囲ってバリケードを作ったうえで、ピッチャーが勝手に3回ボールを投げて、
『三振!』『ゲームセット!』とやっているようなものです」


また、通常の委員会採決であれば、議事録には「多数決で採決した」「全会一致で可決した」などと、採決の様子が記録されるが、
「今回は『可決する』だけで、採決が多数決だったのか、全会一致だったのかも書かれていない。
さらに、誰が決定したのかもわからない」と、異常性を指摘した。


そのうえで水上氏は、
「今回の議事録は、実態と大きく異なるという意味で『改竄』です」と強調。
「中身も不合理で、これを許すと、もはや委員会審議をしなくても議事録をあとから書けばいい、ということになる。
議事録は、あくまで議事経過を記録し、歴史的な検証をするものなので、ありもしないことを書いてはいけない」
と憤った。


◼️異例づくしの公聴会の扱いに水上弁護士「参院審議の重大な汚点」

さらに水上氏は、「公聴会の議事録の扱い」にも疑問を呈した。

参院の安保特別委員会では、地方公聴会後に、一度も委員会で審議が開かれることなく、法案が「採決」されたため、
地方公聴会の内容は、委員会で共有されず、公述は採決に活かされることもなかった

地方公聴会は、委員全員が参加するわけではない。
したがって、通常であれば、公聴会後に委員会で「派遣報告」をし、公聴会の内容を委員間で共有しなければならない
そして、報告会の議事録の末尾に、「参考資料」として、公聴会の議事録が添付されるのが通例である。

今回は、「派遣報告」が行われなかったため、地方公聴会の議事録も一度は宙に浮いたが、
野党の抗議を受け、17日の「強行採決」の議事録の末尾に、“アリバイ”のように添付された
これは異例の対応だという。

水上弁護士は、公聴会で公述した際に、
「この横浜地方公聴会は、慎重で十分な審議をとるための会ですか? 
それとも、採決のための単なる『セレモニー』ですか?」と、懸念を示していたが、
結果として報告会も開かれず、議事録も、採決後に後付で添付されただけだった。

「これでは、公聴会が、本当にセレモニーになってしまう」と水上氏は指摘し、
公聴会は、採決の参考にするために行われるものです。
『都合の悪い公述だった場合は、採決が終わった後に議事録を添付する』というのであれば、公聴会自体の意味がないことになる」と主張。
今回の地方公聴会をめぐる扱いについて、「参院審議の重大な汚点だ」と痛烈に批判した。

水上氏には10月13日、IWJ代表・岩上安身が、詳しく話をうかがっている。
4時間にわたる超ロングインタビューだが、中身は引き締まった非常に重要な内容である。
ぜひ、ご覧いただきたい。

2015/10/13 岩上安身による水上貴央弁護士インタビュー(動画)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/270079


◼️広渡氏「『改竄』というより、事実と違うことを書いた部分は『捏造』だ」


▲「事実と違うことを書いた部分は『捏造』だ」 会見する広渡清吾・前日本学術会議会長

続いて、水上弁護士と同じく公述人を務めた、広渡清吾・前日本学術会議会長が、
「実際の採決は、(加筆された)議事録のように、整然と採決されたわけではない。それは全国民が見ていた」と述べ、議事録の欺瞞を暴いた

さらに、
「実際に委員会室で、どのようなことが生じたかは、記録されなければいけない」と話し、
「聴取不能で、採決ができない状況のなかで、与党はとにかく『採決をした』と主張し、
(採決できていないのに)本会議で、委員会の報告を行った、というのが事実。
国民が、あとで、この事実を振り返られるようにしなければいけない」
と訴えた。

議事録の加筆に対する広渡氏の見方は、水上氏よりも厳しい。

「水上弁護士は、『改竄』と柔らかい表現を使われていたが、事実と違うことを書いた部分は『捏造』です。
事実でないものを記載したなら、『捏造』というのが常識的な評価ではないでしょうか」

また、公聴会を開いておきながら、報告会も行わず、公述が採決の参考にされなかったことも踏まえて、
「こうしたやり方は、安保法案の成立過程で一貫して示された、極めて不正常な法案を強行する、というやり方の一環であると言わざるをえない」と非難した。


◼️安保法制は手続きも無視して「やりたいからやる」という感覚


▲「立憲主義、議会制民主主義が壊れてきている」と警鐘を鳴らすSEALDsの奥田愛基氏

SEALDsの奥田愛基氏は、
「今回の議事録は、『法案は可決すべきと決した』としているが、その理由が書かれていない。
何によって決められたのか、議事録を見てもわからない」
と論じる。

「これは、『やりたいからやる』という類に近いと思う。
現政権は、『根拠はないが、やめられない』ということをずっとやってきた。
海外の邦人保護も、ホルムズ海峡での機雷掃海も、ないことを『ある』といい、憲法上は読めないことを『読める』という。
採決の根拠を示してほしいが、根拠は『決めたから』以外にないだろう」


「根拠はないが、やめられない」というのは、政府が、集団的自衛権行使の根拠とした、「昭和47年政府見解」の読み替え問題が顕著だ。

個別的自衛権を認め、
「外国の武力攻撃によって、国民の生命、自由、及び幸福追求の権利が、根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、
国民のこれらの権利を守るための、止むを得ない措置として、はじめて容認される」
と定義し、
「集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」と結んだ政府見解について、安倍政権は、
「外国の武力攻撃」が「誰に対して行われるか」が明記されていないと主張
「同盟国への外国の武力攻撃」も、自衛権発動の対象になるとの見解を、強引に導き出した


この政府の読み替えは、昭和47年、政府見解を作成した吉國一郎・内閣法制局長官(当時)本人が、明確に否定しているにも関わらず、安倍政権は聞く耳を持たない
詳細は、民主党・小西洋之議員が、岩上安身のインタビューでこたえているが、
まさに奥田氏のいう、「根拠はないが、やめられない」状態そのものである。

【スクープ!】「集団的自衛権行使容認の閣議決定」が覆る決定的根拠! 「昭和47年政府見解」の知られざる真実を小西洋之議員が暴露!!
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/246547

奥田氏は、
「このようなかたちで議会を運営するのを、許してはいけない」と呼びかけ、
こうした議会運営を、「憲法上のクーデターに近い」と糾弾する

「立憲主義や議会制民主主義が、壊れてきています。
現政権は、本来、歯止めとなる憲法や国会を、ないがしろにしている。
もし、国会審議などの正当なプロセスが踏めないのであれば、国会や委員会がなぜ必要なのかという、そもそもの前提が崩れます。
安保関連法が可決した以上の問題が、今回の議会運営にはあったと思います


最後に奥田氏は、
「『わかっちゃいるけどやめられない』という体制は、安倍政権が名指して批判している国のあり方に、一番近いのではないか」と、安倍政権の専制政治を批判した。


◼️採決は「有効」か「無効」か? 議論後にさらなる行動を展開!

参院特別委員会における「採決」の瑕疵を、法的にどう位置づけるか。
水上氏によると、委員会採決に何も問題がなかったと考える法律家は少ないが、
「問題がある」とみる法律家の中でも、大きくわけて、次のふたつの立場に分かれているという。

(1)安保法案の採決の手続きそのものが行われておらず、特別委員会での手続きは「不存在」であるが、
その後に参院本会議は行われ、法案は可決・成立したので、そちらは「有効」だ、という考え方。

(2)委員会での採決が「不存在」であれば、本会議での可決・成立も「無効」だとする考え方。


水上氏は今後、さらなる議論を重ね、導き出された結果によって、次の行動に訴え出ると語った。

(取材・写真:ぎぎまき 記事:原佑介)

↑以上、転載おわり
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天高くおばちゃん肥ゆる秋

2015年10月15日 | ひとりごと
久しぶりに、夫とテクテク散歩。
ハロウィーンの飾り付けが、あちこちで見られます。






今年は雨が少ないからか(降る時は梅雨か?と思うほどしつっこく続くのですが)、葉っぱの色がどんどん変わり始め、早くも散ってしまった木もあります。


晴れの日には、なかなかうまく撮れない紅葉だけど…。












先週の日曜日、レストランで偶然会った整骨師さんの所に、まなっちゃんと一緒に行ってきました。
信頼しているネルソンが勧めているのだからと、信用はしているものの、未経験だし全く知らない人だしと、ふたりとも恐々…。
マンハッタンの交通のことならお任せ!のまなっちゃんに頼りっ放しで、目的地に向かいました。


そこは、これまで何度も行ったチャイナタウンの中でも、これぞチャイナタウン!と言わんばかりの町で、観光客などどこにもいません。
ビルディングの番地を見つけ、その建物の中に入ると、一階は健康に関連する物の市場になっていて、治療や法律、会計事務所などが上階にあることがわかりました。
わたしたちは勝手に、もっと怪しげな部屋を想像していたのですが、入ってみると小綺麗なクリニック風。
失礼だったなと、心の中で反省したのでした。

絶対に待たされるよ、というネルソンの警告通り、1時間近く待ちました。
その間に、治療が痛くないかどうかを尋ねたりするビビリのわたし…。
カウンターの受付の女性はわたしに答える代わりに、居合わせた患者さんたちに中国語で話をした(多分、「この人、痛いかどうかって心配してるみたいよ」と言った)ところ、
対面で座っていた患者さんたちが一斉に、超~熱心に、「痛くなんかないよ~、全然心配しなくていいよ~、気持ちが良くなるだけだよ~」と話しかけてくれました。

順番が来て、どちらから?と思いながら座っていると、「ふたり一緒に入って」と言われ、おずおずと治療室に入室。
部屋の中には、分厚いマットがデーンと敷かれていて、その上にでっかい枕が置かれていました。
じゃあまず若い方から。
ということで、まなっちゃんがまな板の鯉に。
タオルは持ってきた?
え?そんなこと知らなかったから持ってきてません。
じゃあ、いいや、これを使おう。
え?それってもう誰かが使ったんじゃ?(などとは聞けず、もちろん心の中でブツブツ…)

何から何まで初めてのわたしたち。
うつ伏せに寝ているまなっちゃんの、「恐いよ~」信号がマックスに。
「はーい、リラックスしてー、力抜いてー」
んなこと言われても抜けんっちゅうのっ!(これももちろん心の叫び)
レストランで会ったカンフーマスター&整骨師さんがマットに乗り、まなっちゃんの背骨の上の方を指圧。
すると、若くて大柄なアシスタントの男性が、彼女の足を持ってブラブラ振ってたかと思ったら、いきなりギュッと引っ張って、まなっちゃんは20センチほどずり下がります。
その動作を、指圧する背骨の位置を下げる毎に繰り返し、最後は尾てい骨に。
これはけっこうスゴい…。
マットから起きた後、椅子に座って首ゴキゴキ。
あんなに鳴るのは聞いたことがないほどの連続技です。

う~ん…わたしは耐えられるだろうか…。

はい、次はおかあさん。
あ、いえ、まだおかあさんではありませぬ。そうなったらいいな~とは思っておりまするが…などとグズグズしていたら、
さっさと寝て!と言われてまな板のトドに。
「はーい、リラックスしてー、力抜いてー」と、まなっちゃんの時と同じことを言われるも、こんな状況で力なんか抜けね~と思っていると、
いやいや、力が抜けても抜けてなくても、全くお構いなしでギュッと引っ張られました…体の中心にすごい衝撃が…。

はい立って、と言われて立つと、ちょっとクラクラとしたのでそう言うと、絶対に目を瞑らないようにと言われました。
入って来た時には顔色が悪かったけど、今はいい色してるよ~、ピンク色のほっぺただよ~と、ふたりの男性は嬉しそうです。
顔色が悪かったんは、おたくらに何されるのかわからんと心配してたからですねん、とも言えず、えへへ~と誤魔化し笑い。
まなっちゃんは、ふっくらほっぺがスッキリとするよと言われていたので、それをリクエスト。
すると、いきなり顎の付け根に親指を押し込んでグリグリ。
「痛ぁ~い!」という悲鳴が…。
わたしも言おうと思ってたけど、一気にその気が失せました。
もう60近いんやからええやん、オタフクさんのままでも…。

という感じで、無事に第一回目の治療を終え、治療後の注意が書かれた紙をもらい、それを読んでいると、
・もち米、辛いもの、酸っぱいもの、卵は食べないように。
・痛みや突っ張り、寒気や微熱の可能性あり。
・治療を受けた部位を、パッチで冷やすこと。
・4週間の治療の間(1ヶ月)は、運動をしない。
と書かれてあり、うへぇ~と思っていたのに、帰りにミツワ(日本マーケット)に寄ってベンチに座り、パクパクと食べているものが卵サンドだったと気づいた時の衝撃ったら…。
え?え?え?
わたしはいったい何をしとるのか?
しっかり卵を食ってしまってるではないか!
おまけに、帰りの車の中で、煎餅まで食べてる始末…だめだこりゃ…。





散歩に戻って。
夫もわたしもこの並木の通りが大好き。


これは何の木かは知らないけれど、真ん中からピャーッと幹が分かれて伸びています。


ワシントンさんが滞在していたと言われている家。うちから徒歩2分。


再び紅葉。




ずっと緑の巨大松のてっぺん。


毎年律儀に花を咲かせてくれる地植えの菊さんも、ただいま満開。




治療後の怠さも少しずつ減ってきました。
足を組んで座らないようにと厳しく言われたので、ピアノを弾いている時だけでなく、普段も姿勢が良くなりました。
さて、あと3回の治療がすべて終了したら、どんなふうになるのかなあ。
ちょびっと楽しみです。
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『南京事件・兵士たちの遺言』文字起こし(その2)

2015年10月14日 | 日本とわたし
続きです。

私たちは、取材で浮かび上がった情報を、CGにしてみました。
揚子江岸に建っていた、中国軍の海軍施設です。


16日の昼間、日本兵がやって来て、コンクリートの壁に、いくつもの穴を空けました。
そこに機関銃を設置。
銃口は、揚子江側に向けられています。


そして、夕暮れを待ちます。
あの上等兵の日記には、
『捕虜せし支那兵の一部5千名を、揚子江の沿岸に連れ出し』

《声》歩兵第65聯隊元第三機関銃隊兵士:
「捕虜が、歩かされてやってきたんですよ、夕方暗くなってきて」

後ろ手に縛られた捕虜たち。
揚子江とトーチカのようになった建物に挟まれ、逃げ場はありません。
そして、合図で始まる一斉射撃。


山砲兵第19聯隊上等兵の日記
『その後、銃剣にて、思う存分に突き刺す』
『一人残らず殺す』


翌17日が、河川敷での銃殺でした。
河原には、鉄条網が張られました。
外側に砂を盛って台座が作られ、機関銃が並べられます。
機関銃の上にはシートが、聯隊本部と連絡する野戦電話も引かれました。
辺りが暗くなり、やがて捕虜たちが到着。
そして、岸辺に用意された2本の松明に、火が灯されます。


《声》歩兵第65聯隊・元第一機関銃隊二等兵
「合図があったわけだ。一斉にもう、機関銃撃ったんだから」

機関銃同士の相打ちを防ぐために、この松明の間を狙って、引き金を引いたといいます。


伍長のスケッチの余白には、この時の、


『撃たれまいと、人から人へと登り集まる様、即ち人柱は、丈余(3メートル以上)になっては崩れ、なっては崩れした。


その後、片っぱしから突き殺して、夜明けまでそのところに石油をかけて燃やし、柳の枝を鍵にして、一人一人引きずって、河の流れに流したのである』



揚子江の岸辺が処刑場に選ばれたのは、多くの死体を処理するためだった、といいます。
揚子江で起きた銃殺での犠牲者の、正確な総数は、今もはっきりとはしていません。
戦後になって、
「捕虜を解放するために、揚子江岸に連行したが、暴動を起こされたので、やむなく銃撃した」
という証言が、為されたことがあります。


しかし、小野さんが31人から集めた、戦中の一次資料には、解放するという話は全く書かれていませんでした。


捕虜の銃殺。
地元の南京では、直接事件を知る人を見つけることは、できませんでした。


ところが、揚子江沿いで、銃殺を目撃したという日本人が、大阪に居ることがわかったのです。
南京での銃殺を目撃したという、96歳の男性。
当時18歳だったこの男性は、海軍兵士として南京戦に参加した際に、揚子江岸での銃殺を目撃したといいます。


「12月18日というのは、あのー、午後の2時頃に、突然、機関銃の射撃音が響いてきて、河川敷の中に、火を噴く機関銃と、倒れてワイワイ…』

これまで確認できた処刑場所は、2箇所でした。
そして、海軍兵士が見た18日以降の場所は、この辺り。
銃殺は、揚子江沿いの幾つかの場所で、行われていたことになります。


「銃殺は連日続いていた」と、この男性は言います。
しかしなぜ、海軍兵士が南京に居たのでしょうか。

「『海風』がある。これがその時の」
「あ、船ですか」


第24駆逐隊の海風。
男性は、この駆逐艦で、信号兵をしていたと言います。


あまり知られてはいませんが、海軍は揚子江をさかのぼり、南京戦に参加していたのです。


防衛省が保管している、海軍の公式記録にも、海風が。




海軍兵士は、駆逐艦の上から、こんな光景も目にしていました。
「南京の上海で停泊中、その時に、いかだに死体の山を積んだのが、4隻流れてきました」

いかだについては、軍の公式記録にも記載されていました。
『敗残兵、南京上流よりいかだにて逃走せんとす』




駆逐艦から銃殺を目撃したのは、その二日後だといいます。

「いわゆる陸軍のね、重機関銃の銃座が片っぽにあって、河川敷にトラックで運ばれてきた、25人か30人程度の人が、重機関銃の標的にされて、撃ち殺されてたということですね」
「はじめはダダダンダダダンダダダンと、やがてはタタタンタタタン、タン、タン、タンともう、
残り少なくなったら、弾は一発でボン、ボンと、狙い打ちしているようなのが、音聞いてわかるというふうに慣れてしまった」


男性は、南京での戦いを終え、長崎県の佐世保へ戻ると、海軍士官から、ある注意を受けたと言います。


「『南京で見たことは、決して口外するな』ということを注意されましたね」



南京事件は、戦後になって表面化しましたが、78年が経った今も、論争が絶えません
私たちは、捕虜の銃殺に関わった部隊の記録や、目撃者の取材を行ってきました。
現地では、被害者側の声を聞くことにしました。

南京市政府から、事件の被害者とされる中国人を、3人紹介されました。
被害者として来日し、講演をしたこともあります。

一人目は、当時10歳だったという男性。
親戚や近所の住民などと、店の地下に隠れているところに日本兵が来た、といいます。
余昌祥さん(88):
「おじを含む若者たちは、上に隠れていましたが、日本軍が来て、7人が殺されました」


二人目は、当時13歳だったという男性。
チン(草冠に今)洪桂さん(91)。
日本兵によって住んでいた家が放火され、中に居た幼い弟が死んだ、というのです。
 

私たちは、二人の証言について、裏付け取材を試みましたが、当時の状況はすでに大きく変わり、他の目撃者も見つかりませんでした。

三人目の女性は、1928年生まれのアイ(草冠に又のような漢字)義英さん。
9歳の時、農民だった父親と親戚を、殺害されたといいます。

「村人が、日本軍を歓迎すると言い出しました。
日本軍と握手をしましたが、関係なく殺されました。
日本軍は、村の広場に村人を一列に並ばせて、機関銃で十数人、射殺しました」



翌日、村に再び日本兵が現れ、アイさんの父親を連れ去った、といいます。
「父は、首を刺されて死んでいました。顔は血だらけでした。
叔父も死んでいました。
私は、父の手をずっと握って、泣いていました」



日本兵の仕打ちは、それだけではなかった、といいます。

「若い娘を見つけたら、強姦します」


親戚の女性も連れて行かれ、強姦されたと訴えました。


現在は、南京中心部に住んでいるというアイさん。
日本軍が来た時に暮らしていたのは、郊外の許巷村だったといいます。

これまで私たちが取材してきた、揚子江の銃殺とは別の場所です。


南京市政府担当者と別れた私たちは、単独で、事件があったという許巷村へ。


南京の中心部から、直線距離でおよそ45キロ。
田園風景が広がる場所に、村はありました。
取材開始から一時間後、
「なんか今、おじいさんが、おじいさんが来てね」


この村で暮らす男性。
彼は、村で起きた事件のことを、聞いたことがある、というのです。

「どこですか?どこで殺されましたか?」
「あそこです」


「村の年寄りが、『旗を持って日本兵を迎えに行こう』と、村人に呼びかけていました」


「日本兵は、子どもたちには手を出しませんでした。
しかし、若い村人たちは、縛られて裸にされ、殺されました」

「一般の方がここで、射殺されたということですね」
「民間人です。農民です」
「兵隊ではない、農民の方」


日本兵を歓迎した農民たちが殺された。
それは、アイさんが語った内容と同じでした。

取材を続けると、村人たちが集まってきました。
そして、アイさんは昔この辺りに住んでいた、村のはずれに一家の墓がある、と教えてくれました。


「アイ・イーインは、私の叔母さんです」


「お墓を案内してもらえる」
「そんなに遠くありません」

男性は、私たちがインタビューしたアイさんの、親戚だといいます。
村のはずれに建つ、一族の墓。
墓石は近年作られたものだそうです。


78年が経った今、たどり着けたのはここまででした。



民間人の殺害。
それは、当時海外メディアにより、指摘されていました。


南京の特派員たちが、報じていたのです。


そして、現在の日本政府も、非戦闘員の殺害や、略奪行為等があったことは否定できない、という公式見解を示しています


南京陥落時、中国兵の中には、軍服を脱ぎ捨て、民間人に紛れ込む者もいたとされます。
日本軍は、そんな、兵隊と民間人の区別が出来なかったり、あるいはほとんどしないまま、殺害した例もあるといいます。

私たちの手元にある、一枚の写真。
防寒着姿で倒れている、多くの人々。
これが南京で撮られたものならば、後ろの河は揚子江と考えられます。


調べる手がかりは、後方に写っている、特徴的な二つの山の稜線。


そして右手には、なだらかな丘陵が続いています。


対岸に、似た地形がありました。





戦争を振り返る時、日本人は、自分たちを被害者として考えることがあります


しかし、多くの命を奪ったという一面も、忘れてはなりません


歴史を踏まえ、これからどう進んでいくべきか、今、問われています


↑文字起こし終わり



わたしは、今の夫と暮らし始めたことで、違う国々の人たちと話す機会が多くなって初めて、この南京事件のことを知りました。
その時にはもう、30代の後半に差し掛かっていました。
ひょんなことから、南京のことが話題に上がり、その時わたしは無邪気に、「え?なんのこと?」と口にしたのでした。
その途端、普段はとても優しくて、ひょうきんな台湾人のジョイが、顔を真っ赤にして叫んだのでした。
「どうして知らないの?そんないい年をして、どうして知らないの?」
今にも掴みかかってくるほどの勢いで、目には涙がたまっていました。
わたしは本当に驚いて、それから家にすっ飛んで帰り、慌ててそのことについて調べるために、図書館に走って行ったのを覚えています。
今からもう20年近く前のことです。

わたしは、同じく戦争犯罪に当たる原爆投下による被害については、幼い頃から興味を持ち、同じように図書館に通っては調べたりする子どもでした。
そして、調べれば調べるほど、このような惨たらしい殺戮が仕事であり、目的となる戦争、軍隊、そして軍産複合体の存在を、憎々しく思ってきました。
でも、基本は、犠牲者としてのもので、加害者としての認識は、あまり強いものではありませんでした。

理不尽に奪われた命。
それが数人なら、数十人なら、数百人なら、数千人なら、数万人なら、数十万人なら、数百万人なら…。
戦争は人や生き物を殺し、町や村や自然を破壊し、終わった後も膿を出し続けます。
そんなとてつもない暴力を、研究し、計画し、命令し、それに従えるだけの人間としての心の破壊をし、実行に移すことが、どうして罪に問われないのでしょう。
こんなひどい犯罪が、どうして戦争という名の元に、やらなくてはいけないことのような嘘が、まかり通っているのでしょう。
戦争は犯罪であり、戦争を指令した者はみな罪人として、その結果がどうであれ、勝った側も負けた側も、どちらも極悪罪人として裁きを受けるよう、法律を作るべきだと思います。


さて、最後に、こんなことを言っている人がいます。
署名を募っているのだそうです。


「そもそも、南京大虐殺など無かった」と…。

さらに、自民党の原田義昭・国際情報検討委員会委員長が、
「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている時にもかかわらず、(中国が)申請しようとするのは承服できない」などと発言したり、
二階俊博・自民党総務会長が、
「ユネスコが『(南京事件で)日本は悪い』というなら、ユネスコの資金はもう日本は協力しないと言えないとしょうがない」と言っていて、
そしてさらに、安部首相本人が、昨年、特攻隊資料を記憶遺産申請の手続きに入るようにと、自ら指示をしていました
ちなみに、この世界記憶遺産の文部科学省の担当者は、籾井勝人・NHK会長の娘である籾井圭子氏です。

もうこのような愚かなことを言う大人が、この先どんどんと減っていく日本であることを、心から願っています。
そのためにもわたしたちは、とんでもない『歴史修正に熱心』で、浅はかな言動を繰り返す政権を、必ず倒さなければなりません。
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『南京事件・兵士たちの遺言』文字起こし(その1)

2015年10月14日 | 日本とわたし
先日の10月4日に放送された、NNNドキュメント“シリーズ戦後70年”『南京事件・兵士たちの遺言』の、文字起こしをしました。
ビデオをここに転載することができませんので、重要だと思われる場面を切り取りました。
なので、とても長い記事になると思います。
けれども、わたしたちが知らずにいてはいけない事実が、このビデオの中にたくさん存在しています。
どうか、時間を見つけて、目を通してください。

↓以下、文字起こしはじめ

南京事件 兵士たちの遺言/NNNドキュメント
http://www.at-douga.com/?p=14681

中国を貫く大河長江。


下流域では、揚子江とも呼ばれています。


岸辺に寄り添う町の一つが南京です。


揚子江に近いいくつかの場所に、慰霊碑が建てられています。


今から78年前の、日中戦争当時の、悲惨な出来事を伝えるためです。


『南京虐殺』『南京事件』などと呼ばれるこの事件は、1937年12月以降、日本軍が行ったとされる中国人への残虐行為です。




中国側は、犠牲になった人の総数を、30万人以上と主張しています。


戦後日本で行われた東京裁判では、20万人以上が犠牲になったとされ、


松井石根元陸軍大将が死刑になりました。


以後、犠牲者の数については、多様な意見が飛び交います。


日本では、数万人や20万人など、議論にもなってきました。


近年、ネット上などにおいては、「あれは虐殺ではない」、


または、「抗議そのものが無かった」、という声まで上がっています。


日本政府の見解は、
「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは、否定できない」としつつ、
「被害者の具体的な人数については諸説あり」
「正しい数かを認定することは困難である」としています。



南京陥落。
当時、勇ましく伝えられた『南京攻略戦』。


しかし、日本国内では、残虐行為は伝えられていませんでした。


南京戦に参加した兵士は、
「南京で見たことは、決して口外するな」


公式な記録の多くは、終戦時に処分されたと言われています。


一枚の写真があります。


防寒着姿で倒れている多くの人々。
これは、南京陥落後の中国で、日本人が入手した写真といわれています。
はたして、南京で撮られたものでしょうか。

これば、南京戦に参加した、ある兵士が書き綴った日記です。


『捕虜セし支那兵ノ一部五千名余、揚子江ノ沿岸ニ連レ出し、機関銃ヲ以テ射殺ス』
『年寄も居レバ子供モ居ル。一人残ラズ殺ス』


それは、加害者側の告白でした。
この日記を書いた元日本兵は、
「何万という捕虜を殺したのはこれ、間違えねえ。
俺は生きて帰って、しゃべって、それから死にてえなと思って 」


兵士たちの遺言と、残された日記が伝えるものとは。
多くの部隊が手柄を競った、南京攻略戦。
その中の、ある部隊の記録を遡ります。



南京事件を長く調査している人がいます。
福島県出身の小野賢二さん(66)。


小野さんは、地元である福島県から、南京攻略戦に参加した部隊があることを知り、興味をもって調べ始め、すでに27年が経ちました。

「福島県会津若松にあった歩兵第65聯隊という、その人たちの証言を聞いて、証言を聞いた上でまあ、証拠としての日記を中心に集めてきたという、それを延々とやってきただけですね」
「俺が証言を聞き始めた頃は、ちょうどみんな80歳以上ですからね。
だから(あうな?)見解があったんですけど、一応その中でも200人、には一応、なんらかのかたちで、あの…話は聞きました」
「そのみんな、亡くなったんじゃないですか。もう100歳以上ですからね、生きてても」
「一応用意したんで。これはひ孫のおもちゃ箱から出てきたもの、陣中日記ですね」


兵士たちが綴った戦の記録。
小野さんは、元兵士たちの家に何度も通った、と言います。


集めた日記は、コピーを含めると31冊。
そこに書かれていたのは…。








「これは本人からもらった、譲ってもらった」

「支那事変日記帳」と書かれてますねえ。これはわりと、戦後貼ったんでしょうかね」


古めかしい革張りの表紙に、年季の入った赤い背。
昭和12年9月から、南京が陥落するまでの3ヶ月間、ほぼ毎日書かれています。
今から19年前に亡くなった、陸軍の上等兵の遺品です。


男性は山砲兵、歩兵第65聯隊と行動を共にしました。
日記には、ごく普通の農民だった男性が、身重の妻を残し、戦場へ向かう様子が記されていました。




『10月3日
午後6時頃、いよいよ上陸して、支那の土地を踏んだ。
空襲となり、我が優軍の打ち出す高射砲機関銃は、火花を散らし…、
これが本当の戦争かと思った』


上海などに上陸した上海派遣軍。


当初の作戦任務は、居住していた日本人の保護でした。


しかし…。
これは陸軍の命令書です。
軍部の判断で、当時中国の首都だった南京攻略を目指すのです。


日本を発って一ヶ月。
日記からは、次第に故郷の話題は消えていき、食べ物についての記述が増えていきます。

『11月4日、ひし(水草の種子)を採って食す者、落花生を掘りきりて煮る者などもある』


突然のことだった南京への転戦。
後方支援はほとんどありません。


『11月16日
食糧の補給は全然無く、支那人家屋より南京米、その他の物を徴発して、一命を繋ぎ前進す』


徴発とは、強制的に、民間人から物質を集めることをいいます。
そして、2ヶ月前まで、ごく普通の農民だった男性が、ついに、民間人に対して、銃口を向けたというのです。

『11月17日
ニャー(若い中国人女性と思われる)を一人連れてきたところ、我らの目を盗んで逃げたので、直ちに小銃を発射し、射殺してしまう』


『11月25日
実に戦争なんて面白い
酒の好きな者、思う存分飲むことが出来る


12月、日本軍は、南京に迫っていきます。
中心部は高い城壁で囲まれた、巨大な要塞です。


日本軍のとった作戦は、幾つもの部隊による、完全包囲作戦でした。


上等兵が所属していた山砲兵第19聯隊は、歩兵第65聯隊などと隊を組んで、揚子江沿いを遡って行きました。


この包囲作戦で、中国兵や多くの民間人が、揚子江を渡れずに取り残されました。


12月13日、ついに南京陥落。


その後、松井元陸軍大将の、入場式が行われました。




揚子江沿いを遡っていた上等兵たちの部隊は、武器を捨てて降伏してきた多くの中国兵を、捕虜にします




『12月14日
途中、敗残兵を1800名以上捕虜にし、その他、たくさんの正規兵で、合計5000人の敗残兵を捕虜にした


捕虜はその後も増えていき、1万人を超えていきます
そして…

『12月16日
捕虜せし支那兵の一部五千名余、揚子江の沿岸に連れ出し、機関銃を以って射殺す。
その後、銃剣にて、思う存分に突き刺す。
自分も此の時ばかりと、30人も突き刺したことであろう。
山となって居る死人の上をあがって、突き刺す気持ちは、鬼をもひしがん(?)勇気が出て、力いっぱい突き刺したり。
ウーンウーンと呻く支那兵の声。
一人残らず殺す。
刀を借りて、首をも切ってみた』



投降した捕虜を殺害することは、國際法で禁じられていました

調査をしてきた小野さんは、日記を書いた上等兵に、インタビューをしていました。


この映像は、今から21年前に撮影されたものです。
山砲兵第19聯隊・元上等兵:
「機関銃を持ってきて、バババーッと捕虜に向かって撃っちゃったんだ。


捕虜はそりゃあみんな死んだけれども、中には弾に当たんねえ兵隊がいっかもしんねえから、みんな着剣してその、死骸の上を突いて歩け」と。
ザッカザッカ突いて歩いた。
もうおそらく、そうだなあ、30人くらい突いたと思うが、うん。
何万という捕虜は殺したのはこれ、間違いねえ」



これは、同じ作戦に参加していた、別の兵士(歩兵第65聯隊・第八中隊少尉)の日記です。
『一万七千二十五名の三分の一を引き出し、射殺す』


さらに違う兵士(山砲兵第19聯隊・第八中隊伍長)の日記にも、
『揚子江畔にて銃殺』


歩兵第65聯隊(第四中隊少尉)の兵士の日記


小野さんが入手した日記や写しは、合わせて31冊。
その多くが、捕虜の銃殺に触れていたのです。


中にはこんな日記も。
「これは、16日の記述が消されてますね。インクだから消されちゃう」
「ああ、これ、12月15日まではあって、その後無い」

銃殺があったとされる16日だけが、消されて空白になっていました


戦後になって、諸説飛び出した南京事件。
その根拠の多くは、戦後になって記された文書や証言でした。
一方、これらの日記は、戦場で書かれたもの、つまり、一次資料です。


上等兵の日記の記述に、不自然な点や矛盾が無いか、さらに調べてみることにしました。
日記によれば、上等兵は、ここ神戸港から、白馬山丸という船に乗って、上海に向かったと記されています。


港のそばにある資料館を訪ねました。
白馬山丸の記録が残されていました。


船は、民間からの徴用船でした。


最大時速は13.3ノット。一時間に、およそ15マイル進むことになります。
日記では、上海までは5日間かかっています。
上海までの直線距離は、およそ830マイル(約1336キロメートル)。
日記の記述と矛盾しないことがわかりました。


上海上陸後の足取りの確認は、できないのでしょうか。
防衛省の研究施設に、軍の公式な報告書が残されていることがわかりました。


上等兵が所属していたのは、山砲兵第19聯隊です。


上等兵の書いた10月の日記と、照らし合わせてみます。


「大塲鎮、という場所ですね。陥落の日、と書いてありますが、こちらの資料にも、大塲鎮粉砕し、というふうに書かれています」


日記と公式な記録は、符合しています
ただ、この部隊の12月以降の報告書は、ここでは見つけることができませんでした
「この先の、南京に行った時の分が無いんだな」
プツリと消えた、聯隊の公式記録


しかし、別の資料が、日記を裏打ちしていました。
これは、従軍していた新聞社のカメラマンが撮影した、65聯隊が捕虜にした、中国人の写真です。


これを報じた新聞によれば、捕虜の数は、一万四千七百七十七人。


翌日の報道では、『大漁鮨詰め』と表現した上で、
『弱ったのは食事で、これだけの人間に食わせるだけでも大変だ。茶碗を1万5千個も集めることは、到底不可能』
などと、苦労話が書かれていました。


捕虜のその後をとらえた、一枚の写真があります。(歩兵第65聯隊の兵士が所有)
欄外には、『幕府山の捕虜』


この写真は、福島の65聯隊の日本兵が、所有していたものです。
着剣した銃を担ぐ日本兵の隣には、後ろ手に縛られ、防寒着を着た捕虜も写っています。
裸足の足元には、冬の西日が、長く影を伸ばしています。


12月16日、捕虜は、揚子江西の、中国軍の海軍施設へ連行されたといいます。


当時、日本軍が使っていた機関銃です。


その引き金を引いたという兵士の、音声が残っていました。

歩兵第65聯隊・元第三機関銃隊兵士(1990年収録):
「この方(捕虜)を“お客さん”て言うんだよね。
『今晩はお客さんが来て、お客さんを処理するんだ』と。
そして、“ピー“という呼び子の、将校の呼び子の合図で、一斉射撃。
ダダダダダダダダと始まる』



暗闇に響く、銃殺の合図。
“ピー“

処刑はこの日だけで終わらなかった、といいます。
翌17日、現場は、揚子江の別の河川敷。
これは、65隊の伍長が、後日スケッチしたものです。


河原に集められた捕虜を、日本兵の機関銃が、半円形に囲んでいます。


同じ現場に居たという、別の兵士の証言。
歩兵第65聯隊・元第一大隊本部行李係二等兵(1994年):
「とにかく、1万も集めるっちゅうだから、相当広い砂原だったね。
有刺鉄線か何か、後ろ、周囲に張ったでなかったんかな、あれ」


機関銃隊に所属していた兵士は…。
歩兵第65聯隊・元第一機関銃隊二等兵(1994年):
「機関銃乗せて高くしてね、砂を積んでこう盛って、こうやって撃ったんだから。
5.6発撃ったんでも百、サブロクジュウハチ…200発ぐらい撃ったのかな、うん。
ダダダダダダダダと、一斉に死ぬんだからそりゃ」


二日間で、多くの捕虜の命が、奪われていったといいます。


何冊もの日記や証言から浮かび上がってきた、南京事件。
私たちは、現地取材のため、中国へ向かいました。


戦後、大きく発展を遂げた町、南京。


戦争の傷跡は、今はかなり少なくなったといいます。


市街の所々に残る城壁。
その一部に、痕跡がありました。


事件に関わる資料が展示されているという、(南京)虐殺記念館。


私たちは、館内の撮影を申し込んでいました。
ところが、一ヶ月の交渉の末、明確な理由が示されないまま、断られてしまったのです。


残されたのは、数少ない手がかりです。
・歩兵第65聯隊第二中隊伍長のスケッチ


スケッチに描かれた、捕虜の銃殺場面。
あの、鮨詰にされた捕虜収容所から、捕虜たちはいったい、どこに連れて行かれたのでしょうか。

スケッチには、捕虜収容所から、揚子江へ連行する経路が描かれていました。


ある兵士は “幕府山を右にまわり1時間ちょっと” と証言しています。


手前に描かれている細長い山が、幕府山です。


当時の日本軍の地図には、幕府山には、中国軍の砲台が記載してあります。


私たちは幕府山へ。


探してみると、山頂付近に、中国軍の砲台跡が残されていました。


眼下には揚子江。そして中洲が見えます。


伍長の書いたスケッチと、ほぼ一致していました。
スケッチに描かれた場所は、この辺りと推定できます。
そして、その前日の16日の銃殺が行われたという海軍施設は、少し上流の、この辺りでした。



*文字制限のため、次の記事に続きます→
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子どもも含め、本来なら『放射線管理区域』にしなければならない地に棄てられた人々を、さらに棄てる人たち

2015年10月11日 | 日本とわたし
鈴木博喜さんのブログ『民の声新聞』より

↓以下、転載はじめ(文字の強調を加えさせていただきました)

【甲状腺がん】
「福島で多発中」と警鐘鳴らす津田敏秀教授~「避難せず残った人にこそ正しい情報を」

【民の声新聞】2015年10月8日
http://ameblo.jp/rain37/entry-12081824761.html#cbox

福島第一原発事故後、被曝による福島県内での甲状腺がん発生率が、全国平均と比べて、最大で50倍に達しているとの論文を、
岡山大学の津田敏秀教授(環境疫学、医学博士)らがまとめ、国際環境疫学会に受理された。
web上で先行公開されたことを受けて、8日、日本外国特派員協会で記者会見した津田教授は、
「当初の予想を大きく上回るペースで、甲状腺がんが多発している。
しかし、日本国内ではほとんど理解されず、何の準備もなされていない」
と警鐘を鳴らし、
「様々な事情で避難できず、福島での生活を続けている人たちにこそ、正しい情報や知識を流し、無用な被曝を避けるべきだ」と訴えた。


【「甲状腺がんはさらに多発する」】

津田教授らは、福島県や福島県立医大が、原発事故当時、18歳未満だった子どもたちを対象に実施している、甲状腺の超音波エコー検査の結果を分析。
人口を基に、福島県を9つの地域に分け、2014年12月31日までに集計された検査結果の公表データから、
二本松市を中心とする中通りの中部で、日本全国の年間発生率と比較して、約50倍に達したことが分かったという。
郡山市でも約38倍須賀川市や白河市などの郡山以南、いわき市では約40倍だった。
福島市を中心とした北部地区約19倍会津地方では約27倍だった。
甲状腺検査が最も早く、2011年に実施された相双地区約29倍で、中通りに比べて数値そのものは低かったが、
津田教授は、
「潜伏期間を考えると、1年未満で30倍近く多発したことは重要だ」と話した。

 
一般的に、子どもの甲状腺がんは、100万人当たり1-3人とされるが、
福島県内では、今年6月30日までの検査で、対象となる38万人のうち、137人が甲状腺がんと診断されている(疑いも含む)。
 
津田教授は会見で、
「WHO(世界保健機構)が、2013年に、がんの多発が予測されると発表したが、その予測ペースをはるかに上回っている著しい多発だ」と話し、
「チェルノブイリ原発事故から、4年後と同じ傾向をたどっており、今後、さらに甲状腺がんが多発することは避けがたい
それにもかかわらず、日本国内では、ほとんどこの状況が理解されず、何の準備もなされていない
政府や福島県は、これまでの誤りを認め、詳細な情報を流すべきだ」と訴えた。




記者会見を開いた岡山大学の津田敏秀教授。
福島県内で甲状腺がんが多発していると警鐘を鳴らし、「何の準備、対策も取られていない」と、政府や自治体を批判した=8日午後、日本外国特派員協会



【「安定ヨウ素剤飲ませていれば…」】
 
津田教授は2013年以降、スイスや米・シアトル、ブラジルで開かれた国際環境疫学会で、福島での甲状腺がんの多発について発表してきた。
衝撃を受けた海外の研究者らから、「早く論文を書きなさい」と促され、今年に入って作成に取り掛かったという。
 
会見では、「スクリーニング効果」や「過剰診断」に対する質問も出たが、
「スクリーニング効果による〝偽の多発〟は、せいぜい6-7倍。
ところが、福島県では、20-50倍もの多発になっている。
過剰診断やスクリーニングだと言うなら、ちゃんと論拠となる論文を示して欲しい」
と一蹴。

「日本の保健医療政策は、〝陰口〟や〝立ち話〟〝噂話〟によって成り立っている。
批判があるなら直接、言って欲しい。議論の場も設ける」
と呼びかけた。
 
甲状腺がんの原因を、原発事故による被曝と結論付けることへ、「時期尚早」との声が他の専門家からあがっていることについても、
「世界と比べて、日本には疫学者が圧倒的に少ない。
岡山大学には、恐らく日本で一番疫学者が多いが、普段から彼らと議論していても、
『甲状腺の多発を被曝によるもの、と結論付けるのは時期尚早』だとか、
『原発事故が原因ではない』などと言う人は1人もいない。
それは、海外の研究者でも同じだ
」と話した。
 
原発事故後の日本政府の対応を、「チェルノブイリ原発事故の経験がほとんど生かされていない」とし、
「安定ヨウ素剤を、全ての子どもにのませていれば、甲状腺がんが半分に減らせた」と批判した。
英文の論文は、誰でもアクセスすることができ、日本語訳は「できるだけ早く公開したい」(津田教授)。




津田教授の分析では、全国と比べて最大で50倍に達した福島県内での甲状腺がん発生率。
会見では、
「チェルノブイリと同じ傾向をたどっている。
今後さらに多発しないと、予想を立てる人がいるだろうか」

と話した。


【「帰還政策は明らかに間違い」】
 
津田教授の想いに反し、政府や福島県は、「帰還政策」を推進。
放射線から遠ざかるための避難・保養を促すどころか、汚染が解消されていない地域に、住民を戻そうとしている
住民の側も、県外避難より、福島に残って生活することを選んだ人が多いのが現実だ。
 
「100mSv以下の発がん性は、因果関係が分からない、などとした帰還政策は、明らかに間違い
しかし、様々な事情で、避難できない人もいる。
大した対策をとらなくても、詳細な情報を流すだけで、コストをかけずに放射線をさけることはできる
汚染の度合いの高い場所にいる時間を減らすだけでも、被曝量は大きく変わってくる
現在の福島は、避難するか残るか、その判断材料すら与えられていないのです」
 
国も行政も地元メディアも、こぞって原発事故を過去の出来事とし、汚染や被曝の危険性など無くなったかのようなムードづくりに専念している
政府の指示に拠らない、「自主避難者」への支援打ち切りも決まり、自立せよと迫る
被曝の危険性を口にすると、風評被害を撒き散らすな、と非難される
伊達市の仁志田昇司市長のように、「心の問題」に収れんさせようとする首長までいるほどだ。
しかし、津田教授は、
「この先、チェルノブイリと同じように、さらに甲状腺がんが多発しないということは考えられない」と、健康被害の拡がりに懸念を示す。
 
福島に住み続けなければならない人にこそ、正しい情報・正しい知識が与えられるべきなんです」
 
原発事故から間もなく、55カ月を迎える。



【国道6号】批判の中、実施された清掃ボランティア~子どもたちの充実感の陰に潜む内部被曝のリスク
【民の声新聞】2015年10月10日
http://ameblo.jp/rain37/entry-12081320098.html

中高生が参加することへ批判が高まった、清掃ボランティア「みんなでやっぺ!! きれいな6国」(NPO法人・ハッピーロードネットなど主催)が10日、
福島県・浜通りを走る国道6号(新地町~いわき市、約50km)で、一斉に実施された。
広野町や楢葉町を、中高生と一緒に歩くと、子どもたちは被曝に対する不安を否定し、参加したことに誇らしげな表情を浮かべた。
砂塵舞う中、マスクせずに、ごみを拾い続けた子どもも。
しかし、笑顔の向こう側に潜む、内部被曝のリスクを考慮すれば、子どもは参加させるべきではなかった、と言わざるを得ない。


【舞い上がる砂塵。マスクしない子も】
「地元だし、ぜひ参加したかった。
被曝の危険?いえ、全く不安はありません。
両親から止められることもありませんでした」

 
友人と一緒に参加した、双葉高校の女子生徒は、にっこりと笑った。
受付で軍手やマスクが配られたが、どちらも着用しなかった。
行き交うダンプカーが、砂塵を舞い上げる。
「気をつけないと放射性物質も一緒に吸い込んでしまう」と告げると、彼女は「うーん」と首を傾げて、苦笑するばかりだった。
 
背中に「Jヴィレッジ」と書かれたユニホーム姿で参加した、少年サッカーチームの中学生たちは、
隊列の先頭で次々とごみを拾い、あっという間に袋を一杯にした。
二ツ沼公園から楢葉町に入り、現在は福島県警双葉警察署として利用されている、旧道の駅ならは前で信号を渡り、Jヴィレッジの前を通って、再び二ツ沼公園に戻った。
当初、子どもたちは楢葉町には入らないという説明だった
 
ほぼ半数の子どもが、マスクを着用しないまま、国道沿いの歩道を歩いた。
大熊町からいわき市に避難しているという、中学1年生の男の子は、震災時は小学2年生。
下校途中で、巨大な揺れに遭遇した。
「放射線量が高いから、あれから一度も(大熊町の)家に帰れてない」と、寂しそうに話す。
彼も含めて、被曝の危険性について認識している子どもは、皆無だった
 
参加している誰もが、誇らしげな、充実した表情を見せた。
別の女子高生は、「ボランティア活動に参加してみたかった」とうれしそうに話した。
双葉翔陽高校の男子生徒も、「この場所に来ることが出来て、本当に良かった」と開会式でスピーチした。
遠藤智・広野町長は、
「浜通りが復興していることを、全国に発信する好機となる」と語ったが、
子どもたちの充実感と、大人の満足感の向こう側には、被曝のリスクが潜んでいることを忘れてはならない






中高生も参加した清掃ボランティア「みんなでやっぺ!!きれいな6国」。
楢葉町のJヴィレッジ周辺は、手元の線量計は、0.3μSv/hを超えた


【「無理解な人が東京で騒ぎ立てている」】
 
「いろいろなご意見があります」
 
NPO法人「ハッピーロードネット」の西本由美子理事長(62)の元には、
2011年以降、中断していた国道6号の清掃ボランティアを再開させるにあたり、子どもたちの参加に対する批判が、少なからず寄せられたという。
吉田栄光福島県議(自民、浪江町)も、あいさつで、「様々なご意見があろうかと思う」と触れた。
「子どもたちの未来と健康を守るプロジェクト・郡山」が、中高生の参加に反対を表明すると、全国約70の団体から賛同の連絡があったという。
 
しかし、西本理事長は、
「子どもたちが清掃をするのは通学路。
国道6号が通学路になっているなんて、知らないでしょ?
地元を全く理解しない人達が、東京で騒ぎ立てているんですよ」
と反論した。

「私は、自分で納得して、広野町に戻ってきた。
今日、参加した子どもたちも、家庭で散々話し合って出て来たと思う。
それに対して、周囲が良いとか悪いとかを云々することは、できないと思いますよ」


前夜、清掃ボランティアを再開させるきっかけを作った、相馬高校の男子生徒から、
「僕のせいでおばちゃんが叩かれて、迷惑をかけてごめんね。でも、貫いてくれてありがとう」と、涙ながらに電話がかかってきたという。
 
「実際にやってみて、子どもたちもいろいろと気付くことがあったでしょう。
良かったことも反省点もあるはずです。
それが教育なんです。
大人が頭ごなしに『やっちゃ駄目だ』って言ったって、子どもたちは納得しませんよ」

 
長年、子どもたちと接してきた西本理事長なりの教育論にはしかし、現実の被曝のリスクは考慮されていない
それもそのはずだ。
昨年3月、日本商工会議所の「日商ニュース」に寄せた文章の中で、2013年9月に行ったチェルノブイリ視察を基にこう綴っている。
「今の日本の放射線に対する情報は、偏見に満ちている」
「原発さえ安定していれば、私たちの故郷は、何の不自由なく安心して住める」







NPO法人の西本由美子理事長(写真上、一番左)は、
「子どもたちは親と散々話し合って参加している。それに対して私は是非を云々できない」と話した。



【小出さん「子どもを動員するな」】
 
「やってはいけないことです」
 
本紙は、元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さん(66)に対し、主催者が、清掃ボランティアに中高生を参加させたことへの是非を伺った。
小出さんは、「間違っている」とするコメントを、メールで寄せた。
 
「2011年3月11日夜、『原子力緊急事態宣言』が発令されました。
宣言はいまだに解除されておらず、いま日本という国は、緊急事態下にあります。
そのため、被曝に関する様々な法令も、福島では守らなくて良いことにされ、
子どもも含め、本来なら『放射線管理区域』にしなければならない地に、棄てられてしまいました。
 
棄てられてしまえば、人々は、そこで生きるしかありません。
 
自分たちの土地を、何とかしてきれいにしたい。
そして、きれいになった、福島の物を買ってくれと、どうしても言いたくなります。
その気持ちを、私は理解します。
 
ただ、そのために、例えば、学校給食を地産地消してアピールする。
あるいは、今回のように、汚染を移動させるために、子どもを動員することは間違っています。
 
子どもは、原発事故に、何ら責任もありませんし、被曝に対して大変敏感です。
 
大人が被曝をするとしても、子どもだけは、被曝から守らなければいけません」

 

子どもの命を守るべき大人たち。
 
しかし、高校生を引率した女性教師は、
「生徒たちには、担任を通じて参加を呼びかけ、保護者の承諾も得ている。
被曝の危険ですか?
まあ、子どもたちがやりたいということは、応援したいですからね」
と話した。
ふたば未来学園高校の男性教師も、
「普段、ここで生活していますからね。
不安はないです。
全国の方々には、本当の姿を見て欲しい」
と話した。
 
少年サッカーチームの関係者は、
「まだ避難中の家庭もあり、保護者の考えは様々。もちろん自由参加です」とした上で、
「原発事故で、Jヴィレッジに行ったこともない子どももいる。
こういう行事で、帰属意識を持たせたかった」
と話した。
「被曝に関しては、いろいろな意見があって良いと思う。
他県のサッカーチームでも、福島に遠征してくることに反対する保護者がいて、断念することもあるようです」

 
清掃中、通りかかった福島県警のパトカーから、警察官が、「ごくろうさまです」と、子どもたちにマイクで呼びかけた。
「放射性物質を吸い込まないように」という呼びかけは、残念ながら無い。
「多様な意見を尊重する」と言いながら、実際には、被曝の問題はほとんど論じられないのが実情なのだ。

↑以上、転載おわり
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健康な心と体であるために

2015年10月11日 | ひとりごと
毎朝夫が作ってくれたコーヒーを飲む。
夫は、オーガニックの、できるだけ新鮮なコーヒー豆を買ってきては、それを飲む直前に挽く。
とてもありがたいその琥珀色の液体を、わたしは十分に沸騰させた牛乳と半々に混ぜていただく。
牛乳が100㏄、だからコーヒーも100㏄。
それらを、陶芸家の夫の母親が、わたしたちのためにと特別に作ってくれた湯飲み茶碗に注ぐ。
その一杯が1日の量なのだけど、久しぶりにブランチを食べに行ったダイナーの、すぐ隣の席に座った女性が飲んでいるカフェオレが美味しそう過ぎて、つい頼んでしまった。

片手だけでは持ち上げられないでっかいカップ…。


うぅ…やっぱり多過ぎ…半分も飲まないうちに、背中の辺りがじわじわと窮屈になってきた。

前に住んでいた家の近所で、毎週土曜日に開かれるファーマーズマーケット。
ハロウィーンが近づいてきたので、パンプキンだらけ。


飾り用のも。


このかぼちゃは、直径50センチはある。


採れたての、土の匂いがする野菜。




マーケット広場の老木たちの、こういう根っこを見るとうっとりしてしまう。






先日来、はすみとしこという漫画家のイラストについて騒ぎになった顛末を書いてから、彼女の言い分や考えを読んできた。
わたしも含め、思い込みというものが人それぞれにある、というのはわかっている。
わたし自身の思い込みが、ある人にとっては理解しにくいことだったり、不快だったりすることもある。
だからこれも、そういうものの一つであると思おうとしながら読んでいた。
あの忌まわしいイラストを、自分の記事から削除したいと思える理由を見つけるためにも。

彼女の人となりを語るに十分な思考の数々を読んで、わたしはなぜか、かなり落ち込んでしまった。
その凄まじい歪みと認識の低さ、そして想像力の欠如に。
そして、その思考をもてはやす人の多さに。

『一切謝罪の言葉を使わないには理由があります。
日本人を相手に言う「謝罪」と外国人を相手に言う「謝罪」は、重みが違うのです。
例えば交通事故一つとっても、自分が後ろからぶつけられたとしても、一言でも「すみません」と言ってしまうと、「彼は過失を認めた」ということになり、裁判で確実に負けます。
海外とはそういうものなのです。
 
今回、私は、著作権は侵害していないとの認識です。
過去のケースをみても、著作権侵害には問えないでしょう。
彼が例え訴えたい気分でも、勝つ見込みがない裁判を、わざわざ法廷が開かれる度に来日しなければならず(民事は被告側の土地で裁判を行う)、
そんな割の合わない面倒な裁判を、懸命な弁護士だったら、「やめておけ」と言うでしょう。
 
しかしながら、今回、彼に多大な迷惑をおかけした事は事実には違いないので、
彼が削除を希望すれば、私は彼の意見を尊重し、画像を削除する気持ちでした。
7日早朝、彼とコンタクトがとれたので、削除に至ったわけです。
(まうみ注・削除したのは自身が載せたイラストのみ。その後起こった騒ぎについて書かれた記事を載せ、イラストを公開している)

彼には迷惑をかけたと思いますし、私自身反省もあります。
しかし、絶対に謝罪の文字は使いません。
彼は、日本の謝罪の常識の範囲外に所属する、外国人だからです。
もし今回、写真家が日本人なら、私は素直に謝罪の言葉を使うでしょう。
 
海外は、安易に謝罪する文化ではありません。
写真家の方も、私に謝罪は求めて来ませんでした。
私が「心が痛みます」と言ったら、最後には「Thank you」と言って下さいました。
 
これが今回、私が絶対に謝らない理由です』

この理由を読んで、本当に絶句してしまった。
日本の謝罪の常識の範囲外に所属する外国人って…。
常識の範囲外に所属しているのは彼女自身なのに、なんというステレオタイプな思考なのだろうか。
彼に迷惑をかけた、ということだけで済ましてしまっている思考と想像の浅さにも驚く。
でももう止めようと思う。
もともとはこの人が、Facebookの『安倍晋三を支える会』の管理人だということで注視したのだし、
もちろん良い機会でもあるので、どんなふうに物事を見て考えているのか、それを知るのもいいと思ったのだが、
日本の中にも数え切れない考え方や感じ方があるだろうに、極々狭い見方しかできない大人の戯言の数々を読み続けるのはしんどい。



妙に落ち込んでいることがバカバカしくなるほどに良いお天気だったので、カメラを持って庭に出た。
ちっちゃな花があちこちで賑やかに咲いていた。











「これは毒ですから、先生、絶対に食べちゃだめですよ」と、ピアノを習いに来てくれていたすが子さんが、何度も何度も言っていた。


カエデの爺さんの葉っぱも、紅葉が始まった。




しっかりしているように見えるけれども、強風が吹いたり大雨が降ったりすると、必ずどこかがポキンと折れるようになった。




落ちたショックで皮がパックリ剥がれたのかな?


合わせてみると、あ、ぴったり。


爺さん、長生きしておくれ。




ファーマーズマーケットで買った野菜。ぶっとい大根(100円也)がチビに見えるほどに巨大なパクチョイ(350円也)。


マーケットの近所の古物屋さんで見っけたワイングラスとシャンペングラス(シャンペンなんか飲まないくせに…8脚合わせて2000円也)


んでもって、晩酌の相手がいなくて寂しがっている夫のために、これならわたしでもチョイ飲みできそうだと思って買ったデザートワイン。


お店の創立なんちゃら記念セール中とやらで、普段の売値の4分の1価格?!ありがたや~。



夜は、とうとうのとうとう就職が叶い、給料その他諸々の要件の交渉も済み、来週の火曜日に初出勤という次男くんのお祝いをした。
祝いの食事=ネルソンのお料理、ということで、次男くん、まなっちゃん、夫とわたしの4人で出かけた。
お腹も膨らみ、満足していると、隣のテーブルにネルソンと、彼の知り合いらしき人物が座った。
次男くんは前に、仕事のことをネルソンにも話していたので、やっと就職にこぎ着けたことを報告した。
ネルソンの友人さんは香港から来た人で、カンフーマスター&整骨師&かなり有名な人だという。
夫が、自分は鍼灸師だというと、いきなりその友人さんが立ち上がり、まだ食べ終わっていない夫の首の付け根を点検し始めた。
そして、ネルソンに中国語でなにやら説明している。
と思ったら、「はい、リラックスして」と言ったすぐ後に、夫の頭を両手で掴み、ゴキッ、ゴキッ。
え?え?え?

いやいやいや、突然始まった整骨治療なのであった。

夫はもともと、とても体が柔らかく、だから骨がずれやすい。
頻繁に起こるので、どうやったら自分で治せるのかを知っている。
なので、自分から願ってもいないのに、そんなふうに体をいじくられるのを嫌う。
わたしなどは、もうそれが良いというのならやってやって!と、簡単にお願いしまくってしまうのだけども…。
人の健康を一番に、治療に関わっているプロフェッショナルとしてのプライドだってある夫は、無下に断ることもできずに困っていた。
そのカンフーマスター&整骨師さんは、香港では超がつくほど有名な人で、各界の著名人はもちろん、日本からもツアーを組んで治療してもらいに来る人が多いのだそうだ。
今はマンハッタンに移り住んでいて、生憎免許がこちらでは通用しないので、ネルソンを通じて連絡してきた人のみ、4回セットで治療しているのだそうだ。
ということを聞いて、俄然目をキラキラさせ始めた次男くん。
「あ、君、体がかなり歪んでるね。それだけ循環が悪いのにタバコなんか吸っちゃだめだ。ガンになりたいのか」
「いえ、これはタバコじゃなくて疑タバコでして、おまけにこの会社は僕のスポンサーなので」
「だめだだめだ、止めなきゃだめ」

いやもう、大変なことになってきた。
もう食事どころではなく、まなっちゃんやわたしも自分の問題を口々に話し始め、夫は「調子に乗るんじゃない」光線を猛烈に発するのだが完全に手遅れ。
結局、わたしの左腕(肘と指)もちょいと施術してもらい、後のお楽しみはちゃんとした治療で、ということになった。

整骨師との思い出といえば、体育館の二階の部室から地下の入り口まで真っ逆さまに落ちた時、骨折した左手首の治療が正しくなかったというので、
一度くっついてしまった骨を外しまた入れ直すという荒治療を、4人の屈強な男性に体を固定され、口にタオルを突っ込まれ、してもらった記憶がある。
なので、はっきり言って、あまり良い印象は無い…。
明日は祝日なので、時間が取れるまなっちゃんとわたしが、まず治療を受けることにした。

そしてまた、わたしは前をしっかり向いて、トコトコと歩いて行こう。

と、ここまで書いていたら、3階から降りてきた次男くんが、
「6年待ちの猫ちぐらって知ってる? あ、それと、9年待ちのカツサンドも」と言った。

世の中にはいっぱい、おもしろいことがゴロゴロしてる。
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難民少女をモチーフにした『そうだ難民しよう!』の漫画家蓮見都志子は、『安部総理を支える会』の管理人

2015年10月07日 | 日本とわたし
漫画家の蓮見都志子という人が、自身のフェイスブックページに、自身の歪曲した思考に基づいたメッセージ入りの絵を描いて載せました。
そしてその絵は、ある難民キャンプで暮らす女の子の写真を、勝手にトレースしたものでした。

安全に暮らしたい
清潔な暮らしを送りたい
美味しいものが食べたい
自由に遊びに行きたい

おしゃれがしたい
贅沢がしたい
何の苦労もなく
生きたいように生きていきたい


他人の金で。

そうだ
難民しよう!



初めて読んだ時には、信じられない気持ちが大きくて、言葉がちゃんと入ってきませんでした。
二度三度と読んでいるうちに、まるで真っ黒な墨汁のような液体が腸を汚していくような、なんともいえないイヤな気持ちになりました。
なんだこの人は?
いったいどうして、こんなことが書けるのでしょう。
そしてそれを、フェイスブックのような公の場にさらけ出しているのでしょう。
フェイスブックには、たくさんの人たちからの抗議があり、どう対処するのか経過を見守っていました。

いろいろな動きがあったようです。

↓以下、転載はじめ

難民中傷:日本人漫画家に批判集中 FBにイラスト投稿
【毎日新聞】2015年10月07日
http://mainichi.jp/select/news/20151008k0000m040053000c.html

(まうみ注・少女の写真は削除しました)
ハイアムズ氏が撮影した、レバノンのシリア国境に近い難民キャンプにいた当時6歳の女の子の写真=ジョナサン・ハイアムズ/セーブ・ザ・チルドレン提供

ーーーーーーー ーーーーーーー ーーーーーーー
関連記事
<「鎖国日本」に厳しい視線>シリア難民は金だけ支援、入国NO
<写真で見る>ギリシャのテント村「過酷な生活 動物以下」
<ギリシャのテント村>「過酷な生活 動物以下」
<そこが聞きたい>シリア難民問題 長有紀枝氏
<マンガで解説>欧州に押し寄せる難民
<厳しい視線の一方で…>日本の難民支援、仏首相は高く評価
<シリア難民優遇>「差別だ」とイラク人らが反発
ーーーーーーー ーーーーーーー ーーーーーーー 

難民を中傷するイラストを、日本人の漫画家がフェイスブック(FB)に投稿し、「極めて差別的」などと国内外から批判が集中した
イラストは、実在するシリア難民の少女の写真と酷似しており、英国在住の写真家からの要請を受け、7日に自身の投稿を削除した

イラストは9月上旬、漫画家の蓮見都志子氏が投稿
少女のイラストに、
「安全に暮らしたい 清潔な暮らしを送りたい 美味(おい)しいものが食べたい」
「何の苦労もなく 生きたいように生きていきたい 他人の金で。 そうだ難民しよう!」
と書かれていた。

国際支援団体「セーブ・ザ・チルドレンUK」の職員で、写真家のジョナサン・ハイアムズ氏が、
シリア国境に近いレバノンの難民キャンプで撮影した、6歳の少女の写真と、構図や表情がそっくりだった

ハイアムズ氏はツイッターで、
「無垢(むく)な子供の写真が、ゆがんだ偏見を表現するために使われたことに、ショックと深い悲しみを覚える。
シリアの人々の苦境をゆがめて伝えており、恥を知るべきだ」
とコメント。

セーブ・ザ・チルドレンは、毎日新聞の取材に7日、
「加工の内容は、被写体である少女の尊厳のみならず、紛争の影響を受け、困難な生活を強いられている人々の、尊厳を傷つけるもの」と答えた。

ネット上では、イラストが「人種差別」だとして、削除を求める署名活動が今月始まり、1万人以上が賛同した

ジャーナリストの安田浩一氏は、
「根底にあるのは、他者に対する想像力の欠如。
平和に暮らしたいという人として当たり前の感情を、否定している」
と指摘。

生活保護受給者らへのバッシングとも共通し、
「弱者が権利を主張すると、手のひらを返してたたく。
日本社会の一部にある、気分を反映している」
と語った。

蓮見氏は、毎日新聞の取材には回答せず、FBに、
「今回のシリア難民は、『なりすまし(偽装)難民』ではないかと考えています」と投稿していた
【隅俊之、小泉大士】

↑以上、転載おわり



この人は、8月の末に起きた、トルコで溺死した難民の男の子が、波打ち際で発見された事件に際しても、
『不幸にも溺死してしまった、自称シリア難民のお子さん一家は、実はトルコ在住家族で、トルコ政府から無償援助を受け取っていた。
パパは船には乗っていず、トルコに残り、ママと子どもだけが乗船。
先に母子家庭を装って、難民申請→定住GETし、後からパパを呼び寄せる手筈だったのではないか、との疑い』

という意見を持っていて、その意見を例のイラストの下につけて、自身のフェイスブックに投稿したのです。



↓以下は、在英の国際ジャーナリストの木村正人氏より、フェイスブックのメッセージでコメントを求められた蓮見氏が、回答を載せた記事についての感想を書いたものです。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1235096933183126&id=984279651598190

昨夜遅く、木村という記者から取材の申し入れがあったので、メッセージにて解答しました。
さっそく記事になったようです。

(投稿下部にリンクを添付)
 
一部記者の主観により、削除された部分があったので、ここに公表します。
 
尚、記事内の解答で、シリアとイラクが混同されていますが、答えたのが真夜中だったため寝ぼけていました。
読み辛いでしょうがご了承下さい。


------------------------------
 
国連事務総長の潘基文氏は、(中略)周辺各国に難民を受け入れるように促すだけ、という無能さをさらけ出しています。

(削除された部分)
そんな中、日本人の多くは、戦争難民や経済難民の受け入れには反対しています。
それは何故かというと、日本には既に、65年も前に、大量の戦争難民を受け入れており、
彼らが理由で、日本に住む日本人が、冷遇を受けているからです。
日本には、被害者のふりをして特権を得ている、在日朝鮮人または在日韓国人(以下「在日」)と呼ばれる存在があります。
彼らは日本人よりも優遇され、日本人が支払った税金で、何不自由無い暮らしを送っています。
国民たる日本人は、生活保護が受けられずに、多数が餓死しているにも拘わらず、在日の14%以上が、生活保護を受けています。
日本にいる在日韓国人は、67万人とされていますが、その内 45万人は無職で、在日は生活保護が簡単に受けられますが、
日本人への生活保護はハードルが高くて、なかなか受けられないのが現状なのです。

(削除部分終わり)
 
私は、難民であるのか無いのかをきっちり調べ、本当の難民であれば、人道的に助けるべきだと思っていますが、
一部(報道では3割)の偽難民が、それを権利と思いやってくる事に問題を感じ、
問題提起として、偽難民について、皆さんが考えるきっかけをつくりたかったのです。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimurama…/20151006-00050184/


一方、インタビュアーの木村氏は、インタビューに至った経過と削除した理由について、このように述べられています。

「はすみとしこの世界」というフェイスブックに、「そうだ難民しよう!」というイラストが投稿された。
「酷い」「邪悪な偏見」とたちまち炎上し、日本の英字紙ジャパン・タイムズが、
「難民の少女をモチーフにした『レイシスト(差別主義者)』イラストが、日本のネット市民の怒りを買っている」と、海外向けに報道する騒ぎになった。

イラストのモチーフになった、難民の少女を撮影したカメラマンは、
「邪悪な偏見を表現するために、無辜の子供の写真を使うとは、大変ショックで深く悲しんでいる」と、ツィートしている。



FBのメッセージで、「はすみとしこの世界」の管理人に、コメントを求めてみた。
回答の中には根拠がない、デタラメな内容が多く、一部は削除した



以下は、木村正人氏の記事中に掲載されていた、今までにFBに投稿された、はすみとしこ(蓮見都志子)さん本人からとされるコメント。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20151006-00050184/

・当該イラストが、色々賛否両論交わされていますが、私はそれはそれで良いと思います。
日本は言論の自由があります。
皆さんが、法の許す範囲内で、自分の主張を展開するのは、実に健全な姿であると思うからです。
(だから、せっかくの皆さんのコメントを消したくないので、イラストも削除したくない)。

・私は常々、今回のシリア難民は、『なりすまし難民』ではないかと考えています。
本来ならば、裏口から入ってくる不法移民が、堂々と、正面玄関からどっと押し寄せているのだと。
シリア難民の報道や写真を見ますと、身体が丈夫な働き盛りの男性が、多く目に映ります。

・彼らは、祖国を良くしようと戦うことを放棄し、国を棄て、より安全で快適な生活を求めて、『可哀想な難民』を装っているのだと思います。
彼らは、難民として移動するのに、違法ブローカーに大金を支払っています。
そういう記事を、9/18付けの、読売新聞で読みました。
彼らは元々、無一文だったわけではないのです。

・私は、従来の、本当に不幸な難民を、否定しているわけではありません。
そういう、本当に不幸な人たちへの注目を利用して、自分らに利する行動をとっている、『なりすまし難民』を否定しているのです。
当該イラストは、それを揶揄したものです。
作品の本心を理解できない方がたくさんいらっしゃいますが、私はそんな、物事の本質を見抜けない人達を、残念に思います。

・しかしながら日本は、言論や表現の自由がありますので、そういう否定的な意見も含めて、多種多様な主張・議論がなされることは良い事だし、健全だと思います。





ちなみにこの人は、フェイスブックの『安部総理を支える会』の管理人です。


さらに、2013年に、『論破プロジェクト』の代表である藤井実彦氏と共に、4コマ漫画『華麗なるプロパガンダの世界」を作成しました。
作:藤井実彦・画:はすみとしことクレジットされています。
『論破プロジェクト』は、フランスのアングレーム国際漫画際で、従軍慰安婦を巡る嫌韓漫画を展示しようと企て、強制撤去されたことで知られるグループです。
この『論破プロジェクト』は、幸福の科学の政治団体『幸福実現党』が後援していました。

『週刊新潮は2014年2月6日発売号で、この「論破プロジェクト」の藤井実彦代表が、幸福の科学の信者であることを報じている他、
2014年2月4日には、幸福実現党の矢内筆勝総務会長が、自らのBlogで、幸福実現党が「論破プロジェクト」を後援していたことを公式に認めています』
【やや日刊カルト新聞】2014年2月5日より
http://dailycult.blogspot.jp/2014/02/blog-post_5.html




*追記

この件について報道した海外メディア。
英語圏
英デイリーメール、BBC、アニメニュースNW

西語圏
アルゼンチン2紙、RT西語版

仏語圏
フランス24

伊語
Il Sole 24 Ore、バニティ・フェアイタリア版

ポル語
tvi24

ギリシャ語
ハフィントンポスト

↓以下は、BBCの原文と和訳文です。
Is this manga cartoon of a six-year-old Syrian girl racist?

"I want to live a safe and clean life, eat gourmet food, go out, wear pretty things, and live a luxurious life… all at the expense of someone else,"
reads the text on the illustration above.
"I have an idea. I'll become a refugee."

The image and caption were posted by a right-wing Japanese artist last month.
Now, more than 10,000 people have signed a Change.org petition in Japanese urging Facebook to take it down.
The petition, posted by an account calling itself the "Don't Allow Racism Group", claims that several people have reported the illustration and demands that "Facebook must recognize an illustration insulting Syrian refugees as racism."

Although the Japan Times reported that Facebook did not take the picture down, saying it did not go against community guidelines, the artist herself removed the picture.
But she remains defiant about her motivations for posting it in the first place.
Toshiko Hasumi told BBC Trending that she believed the people signing the petition were left-wing activists.
"I draw many political mangas [Japanese comics] which are not favourable to them," she said.
"This is why they targeted me."

Japan has pledged to contribute $810m to help Syrian and Iraqi refugees, but Prime Minister Shinzo Abe has refused to take in any of those displaced by the conflict in those countries.
Japan accepted only 11 of 5,000 potential asylum seekers last year.
Japan is one of the most ethnically homogeneous countries in the world, and immigration is hugely controversial despite the country's declining and ageing population.
One group of immigrants that is sizeable in Japan is Koreans, and Toshiko, who identifies herself as a conservative, posts her cartoons on a Facebook page that includes anti-Korean messages, including material that casts doubt on the stories of "comfort women" - Koreans and women of other nationalities who were forced to become sex slaves for Japanese forces during World War Two.
She claimed that her drawing and the associated captions "did not mention any specific race or nationals" - however she admits taking inspiration from a picture of a 6-year-old-girl in a refugee camp in Lebanon, taken by Jonathan Hyams, a photographer working for the charity Save the Children:

Toshiko took the drawing down from her Facebook page on Wednesday, citing a request made by Hyams, who earlier tweeted:
"Shocked+deeply saddened anyone would choose to use an image of an innocent child to express such perverse prejudice".

Save the Children said it was "saddened" by the cartoon.
"To use this image out of context and in a way that is hugely disrespectful to [the girl], her family and all refugees is not acceptable, and we are satisfied that the image has now been removed," the charity said in a statement.

But despite removing the photo, Toshiko was unapologetic creating it:
"I don't want European nations to be victimised and hard working people should not suffer by those fake immigrants," she told Trending.
She admitted trying to be provocative by using an image of a young girl.

"The simple reason I used a girl is, if I drew an old man it wouldn't have gained attention," Toshiko said.
"I am not denying that there are real miserable refugees.
I am just denying those 'fake refugees' pretending like victims who are acting for their own benefit by exploiting the media attention on the real poor refugees."
Mike Wendling


シリア人少女の漫画イラストが物議 人種差別か

「安全に暮らしたい 清潔な暮らしを送りたい 美味しいものが食べたい 自由に遊びに行きたい おしゃれがしたい 贅沢がしたい 何の苦労もなく生きたいように生きていたい 他人の金で。そうだ 難民しよう!」

9月のはじめ、日本の右翼漫画家が、あるテキスト付きのイラスト画像を、自身のフェイスブックのコミュニティページに投稿した。
現在、1万人を超える人びとが、この画像についてフェイスブックに削除を求め、嘆願署名サイトChange.orgに展開されたキャンペーンに署名している。
「レイシズムを認めない会」というグループが掲載したこの署名キャンペーンでは、複数の人がイラストについて通報している事実を訴えるとともに、
『シリア難民を侮辱するイラストはレイシズムだと、Facebookは認めてください』という主張が展開されている。

日本の英字紙「ジャパン・タイムズ」によると、フェイスブック社は、コミュニティ規定には違反しないことを理由に、画像を削除しなかった。
しかし昨日、画像は、漫画家本人によって削除された。

ただし、この漫画家は、投稿した動機については、主張を曲げていない。

BBCトレンディングの取材に対し、漫画家のはすみとしこ氏は、署名活動を展開しているのは左翼活動家だ、と確信しているという。

「私は、彼らにとっては好ましくない政治的な漫画を、いくつも描いています。だから私を標的にしたのでしょう」

日本政府は、シリアとイラクの難民支援のために、8.1億ドルを拠出することを、国際社会に約束しているが、
安倍晋三首相は、これらの国で戦争難民となった人びとは、受け入れない方針でいる。
昨年難民申請のあった5000件のうち、認定されたのは、わずか11件だった。

民族の多様性が少ないといわれる日本では、少子高齢化が進む中でも、移民問題は、きわめて物議を醸す問題として扱われる。

日本に移民した民族の中でも、多いのが朝鮮人だが、保守を自認するはすみ氏は、嫌韓的なメッセージが含まれるイラストを、フェイスブックのコミュニティページに投稿することでも知られる。
その中には、二次大戦中日本軍のために、強制的に性奴隷とされた朝鮮人女性のことを指す『従軍慰安婦』問題に、疑問を呈す内容も含まれる。

はすみ氏は、問題のイラストやテキストには「人種や国籍を名指ししていない」としつつも、
NPO法人セーブ・ザ・チルドレンの撮影スタッフであるジョナサン・ハイアムズ氏が、レバノンの難民キャンプで撮影した6歳の少女の写真から、インスピレーションを得たと認めている。

はすみ氏は7日、ハイアムズ氏からの要請を受けて、問題のイラストを自身のフェイスブックから削除したことを表明した。
ハイアムズ氏は、
「このような邪まな偏見を表現するのに、無垢な子どもの写真を使うことには、衝撃を受けるとともに、深い哀しみをおぼえる」とツイートしていた。

セーブ・ザ・チルドレンも、イラストに「哀しみをおぼえる」と表明。
声明を出した。

「本来の文脈を無視して、本人や彼女の家族、そしてすべての難民の方々に対して、きわめて非礼な手法でこの画像を用いたことは、容認しがたい。
問題のイラストが削除されたことを受け、満足している」

だがはすみ氏は、画像を削除しても、作成したことについては悪びれる様子がない。

「欧州諸国の人びとに被害に遭ってほしくないし、真面目に働いている人たちが、これら偽移民のために犠牲になることはないと思っています」

また、少女のイメージを使ったことにも、
「小さなの女の子を使ったのは、老人を使っても注目が集まらないという単純な理由からです」 と、意図的であったことを認めた。

「困窮している難民の存在を、否定するわけではありません。
被害者のようなふりをして、自己の利益のために、本当に困窮している難民に集まるメディアの関心を利用する、『偽難民』を否定しているのです」

Written by Mike Wndling
(公式訳) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151008-00010009-bbc-int



そして昨日、Save the Children Japanの方から、このようなお知らせが出ました。

(公開日:2015.10.08)
シリア難民の少女の写真を加工したイラストに関する見解とお願い

Facebookサイト「はすみとしこの世界」に、シリア難民の少女の写真が加工されたイラストが掲載されました。
イラストの元となった写真は、セーブ・ザ・チルドレンの一員であるジョナサン・ハイアムズが撮影し、写真の著作権はジョナサン・ハイアムズとセーブ・ザ・チルドレンに帰属します。
ジョナサン・ハイアムズの申し立てにより、当該イラストは、10月7日に削除されました。
当該イラストの転載・流用はお控えくださるよう、お願いいたします。

加工の内容は、被写体である少女の尊厳のみならず、紛争の影響を受け、困難な生活を強いられている人々の尊厳を傷つけるもので、深い悲しみと憤りを覚えました。
私たちは、子どもの写真を撮る際は常に、子どもたちが置かれている状況を世界に伝えるために写真を使うという許可を、子どもと保護者から得て撮影しています。
今回の件を通して、難民の家族との約束を破ることになってしまったことは、非常に残念です。
私たちが本当に伝えたいのは、紛争の中を生きる子どもたちが置かれた、厳しい現実です。

セーブ・ザ・チルドレンは、引き続き、シリア危機の犠牲になっている子どもたちや、その家族に対する支援を行う他、
紛争のすべての当事者、および国際社会に対して、シリア内戦によって罪のない子どもたちが犠牲になることのないよう、求めてまいります。

以上

セーブ・ザ・チルドレン




この記事のコメントにも、同じ趣旨のお知らせが届きました。
事情を理解し、削除をしようと思いましたが、その前にもう一度、蓮見氏のフェイスブックを確認したところ、
本人が載せたと思われる所のイラストは削除されていましたが、BBCなどの記事の翻訳などを利用して、イラストが堂々と掲載されたままでした。
これのどこが削除といえるのでしょうか。
ジョナサン・ハイアムズ氏が撮影した難民の少女の写真は、もちろん削除しますが、イラストの方は、蓮見氏自身が完全に削除したのを確認できた後に、削除しようと思います。
コメント (7)
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