今週はダービーです。
最近は距離別のレース体系が確立されて、昔とはその重要度は変わってきましたが、やはり最高峰のレースである事は変わらないですね。
競馬の本質がブラッドスポーツである以上、『最高のレースとは最高の種牡馬を生み出すもの』ということですから、それに相応しい馬に勝って欲しいと思います。
あ、怒られるかもしれませんが、そういう意味では牝馬のダービー挑戦にはあまりロマンを感じないほうです。
最近は距離別のレース体系が確立されて、昔とはその重要度は変わってきましたが、やはり最高峰のレースである事は変わらないですね。
競馬の本質がブラッドスポーツである以上、『最高のレースとは最高の種牡馬を生み出すもの』ということですから、それに相応しい馬に勝って欲しいと思います。
あ、怒られるかもしれませんが、そういう意味では牝馬のダービー挑戦にはあまりロマンを感じないほうです。
MSN産経ニュースにこんな記事が出ていました。
【日本の議論】小学校の英語教育は必要かhttp://sankei.jp.msn.com/life/education/090524/edc0905241800000-n1.htm
---以下抜粋---
「英語を使える日本人」を育てるため、新しい学習指導要領で導入された小学校5、6年生の「外国語活動(英語)」が、この4月から一部の学校で先行スタートした。これまでの文法中心の英語教育ではなく、小学生時から英語になじむことでコミュニケーション能力を高めようという狙いだが、「週1時間の授業で役に立つのか」「日本語もままならない段階なのに…」と反対意見も依然として根強い。「脱ゆとり教育」に舵が切り替わり、授業時間数が増える中で新たに英語が加わることが教師にとっても負担になっているという声もある。週1時間ほどの授業で、子供たちは英語を使いこなせるようになるのだろうか。
「推進派」の文部科学政務官の参議院議員、浮島とも子氏は「従来の英語教育は、中学校に入ってから『読む』『聞く』『書く』『話す』という4つの技能を一度に学び始めることに問題があった。あいさつや自己紹介程度の基本的なコミュニケーションは小学校の段階で慣れ親しんでおくことが大切」と説明する。やはり、小学校英語は、きっかけ作りなのだ。
そして、「音楽を楽しむような感じで進めてもらう中で、中学や高校の外国語学習につながるような『コミュニケーション能力の素地』を養っていければいい。テストの得点といった成績の善しあしでなく、『分からなくてはいけない』という気構えを取り払うことが重要」と理想の小学校英語のあり方を話す。
こうした意見に対し、「国家の品格」などの著書で知られる数学者の藤原正彦氏は「小学校は基礎となる母国語をしっかり学ぶ時期で、母国語が固まる前に外国語を学ばせるのは理解できない」と真っ向から反論。「授業時間が週100時間あるなら別だが、現実には二十数時間で、最も大切な『読み書きそろばん』だけで手いっぱい。英語を教える余分な時間は全くない」とも指摘する。
では、どうすればいいのだろうか。「小学校では母国語を固め、中学では英語を週3時間から5時間くらいに増やし、高校では選択科目とする。将来、研究者や商社マンになりたい人は英語を猛勉強しなければならないが、大多数の日本人は無理してまで学ぶ必要はない」と藤原氏。
---以上抜粋---
私は藤原正彦さんの意見にほぼ全面的に賛成です。
藤原さんも主張されていて繰り返しになりますが、理由は大体以下のとおり。
①目的が不明確
・英語ができたからといって国際的人になどならない(まず日本のことを知らないとね・・・)
・将来英語が必要な生活を送る人はごく少数
②本当に勉強する気があれば小学校で始めようと中学からだろうと大差ない
③デメリットの議論が不充分(他の教科を勉強する時間が削られる)
小学生ではなく、もっと早くから英語教育を始めるのが効果的という意見もあるようですが、これもデメリットの議論を無視した議論になっていて少し乱暴だと思います。
私の友人に、子供のころから英語教育(インターナショナルスクールで)を受けて、今はもちろん英語ペラペラというのがいますが、正直言って日本語(複雑な文章や漢字の意味など)は少し怪しいです。また、いわゆる日本人的な感覚(良し悪しは別です)が微妙に理解できなくて苦労することも多かったようです。なので、なにもわからない小さい子供に無理やり英語の勉強をさせるのもチョット考えもの、というのが私の意見です。
なによりも、外国の方と英語でコミュニケーションが出来たとして、日本の伝統や文化、歴史などが語れないのでは本末転倒ですから、まずそちらを勉強するのが先だと思います。
【日本の議論】小学校の英語教育は必要かhttp://sankei.jp.msn.com/life/education/090524/edc0905241800000-n1.htm
---以下抜粋---
「英語を使える日本人」を育てるため、新しい学習指導要領で導入された小学校5、6年生の「外国語活動(英語)」が、この4月から一部の学校で先行スタートした。これまでの文法中心の英語教育ではなく、小学生時から英語になじむことでコミュニケーション能力を高めようという狙いだが、「週1時間の授業で役に立つのか」「日本語もままならない段階なのに…」と反対意見も依然として根強い。「脱ゆとり教育」に舵が切り替わり、授業時間数が増える中で新たに英語が加わることが教師にとっても負担になっているという声もある。週1時間ほどの授業で、子供たちは英語を使いこなせるようになるのだろうか。
「推進派」の文部科学政務官の参議院議員、浮島とも子氏は「従来の英語教育は、中学校に入ってから『読む』『聞く』『書く』『話す』という4つの技能を一度に学び始めることに問題があった。あいさつや自己紹介程度の基本的なコミュニケーションは小学校の段階で慣れ親しんでおくことが大切」と説明する。やはり、小学校英語は、きっかけ作りなのだ。
そして、「音楽を楽しむような感じで進めてもらう中で、中学や高校の外国語学習につながるような『コミュニケーション能力の素地』を養っていければいい。テストの得点といった成績の善しあしでなく、『分からなくてはいけない』という気構えを取り払うことが重要」と理想の小学校英語のあり方を話す。
こうした意見に対し、「国家の品格」などの著書で知られる数学者の藤原正彦氏は「小学校は基礎となる母国語をしっかり学ぶ時期で、母国語が固まる前に外国語を学ばせるのは理解できない」と真っ向から反論。「授業時間が週100時間あるなら別だが、現実には二十数時間で、最も大切な『読み書きそろばん』だけで手いっぱい。英語を教える余分な時間は全くない」とも指摘する。
では、どうすればいいのだろうか。「小学校では母国語を固め、中学では英語を週3時間から5時間くらいに増やし、高校では選択科目とする。将来、研究者や商社マンになりたい人は英語を猛勉強しなければならないが、大多数の日本人は無理してまで学ぶ必要はない」と藤原氏。
---以上抜粋---
私は藤原正彦さんの意見にほぼ全面的に賛成です。
藤原さんも主張されていて繰り返しになりますが、理由は大体以下のとおり。
①目的が不明確
・英語ができたからといって国際的人になどならない(まず日本のことを知らないとね・・・)
・将来英語が必要な生活を送る人はごく少数
②本当に勉強する気があれば小学校で始めようと中学からだろうと大差ない
③デメリットの議論が不充分(他の教科を勉強する時間が削られる)
小学生ではなく、もっと早くから英語教育を始めるのが効果的という意見もあるようですが、これもデメリットの議論を無視した議論になっていて少し乱暴だと思います。
私の友人に、子供のころから英語教育(インターナショナルスクールで)を受けて、今はもちろん英語ペラペラというのがいますが、正直言って日本語(複雑な文章や漢字の意味など)は少し怪しいです。また、いわゆる日本人的な感覚(良し悪しは別です)が微妙に理解できなくて苦労することも多かったようです。なので、なにもわからない小さい子供に無理やり英語の勉強をさせるのもチョット考えもの、というのが私の意見です。
なによりも、外国の方と英語でコミュニケーションが出来たとして、日本の伝統や文化、歴史などが語れないのでは本末転倒ですから、まずそちらを勉強するのが先だと思います。