土器は 粘土で形を造った後、充分に乾燥させてから、焼いて完成と成ります。
縄文時代には、窯がなかったので、「野焼き」といわれる焼成方法で、焼き上げました。
野焼きに付いて、考えて見たいと思います。
1) 野焼きの温度
熱を閉じ込める窯が、有りませんので、温度は高くなりません。大体600℃~800℃程度が、
一般的で、部分的には、1000度位まで、昇温したかも知れません。
・ 粘土は、560~570℃位で、結晶水が抜け、質的変化を起し、水を加えても、元の粘土に、
戻れなく成ります。それ故、土器として使用するには、600℃以上で、焼く必要が有ります。
現在の陶芸での素焼は、一般に、700~800℃で行います。
土器の強度は、素焼程度だと、思って下さい。
・ 温度が高ければ、高い程、土器の強度は増し、壊れ難くなります。当時の人は、当然その事を、
知っていたはずです。温度が高くなる方法を、色々工夫したに違いありません。
2) 野焼きの時間
① 野焼きの作業は、ほぼ1日仕事でした。日の出から日没まで掛かり、場合に拠っては、
夜中や、翌日まで掛かった可能性も、あります。
その間、燃料を補給し、良く燃える様に、棒で中を、かき混ぜたり、不用な灰を、取り除いたり、
火の番をする事以外に、かなりの仕事量が、有りました。
② 最初の400℃程度までは、ゆっくり焼成します。(現代でも同じです。)
この間が、一番作品が壊れる温度ですので、土器の内部に残っている、水分を、蒸発させる為、
6時間以上の時間を掛けます。
それ以上の温度に成ると、どんどん温度を上げる事が、可能になり、燃料の消費量も増えます。
③ 温度計の無い当時は、どのよう様に、この温度を見分けたのでしょうか?
) 一番解かりやすいのは、水蒸気の発生状態を、見る事です。
(現代での窯では、200℃程度までは、蒸気の発生も少ないですが、除々に発生量が多くなり、
250~300℃で、 最高になり、後は少しづつ減少します。)
盛んに発生していた蒸気が、段段少なくなり、ほとんど発生が、認められない状態に成れば、
問題なく、温度を急に上げる事も、出来ます。
) 経験側から割り出す
燃料の消費具合、炎の色や燃え具合、土器の表面の様子、焚いている時間など、
今までの、経験から割り出したかも、知れません。
) 焼き上がりの温度は、粘土片等の「焼き見本」を置き、炎の中から棒等で、取り出し、
冷却後、強度などを調べて、判断した事でしょう。
(現在でも、本焼きで、同じ様な事を、行っています。)
3) 野焼きの時期(季節)
① 野焼きをする前に、準備する必要が有る物
) 必要量の作品の数(数十個の作品)が、出来上がっている事。
それらは、天日干しし、十分に乾燥してある事です。
・ この段階で、作品に「割れ」や「ひび」が、入っていたら、この作品は、焼けません。
補修もほとんど、不可能です。水を加えて、粘土に戻し、最初から造り直したはずです。
) 燃料が、十分集められている事。
枯れ葉や、枯れ草、枯れ枝、枯れ木(薪)など、野山で集める事が出来る季節で有る事。
) 野焼きは、人手が必要です。女子供だけでは、無理ですので、男手がいります。
その男達に、手伝う時間が有る事。尚、縄文中期には、野焼きをする、専門の「窯を焚き」が
存在していたと、思われます。
彼らは、報酬を得て、「窯焚き」を請負い、村々を巡回していたかも知れません。
② 天候に恵まれている事
) 野焼き当日だけでなく、数日前から、晴天の事(少なくとも、雨が降らない事)
土器を乾燥させるのは勿論、燃料を乾燥させ、更に野焼きする場所も、十分乾燥させて置く、
必要が有ります。
) 野焼き当日は、絶対に雨が降らない事、及び大風が吹かない事。
朝は晴天でも、急な夕立等が無いと、確信出来てから、野焼きを、始めます。
雨が降ると、火が燃え無いばかりではなく、最悪、生の作品が溶け出し、壊れます。
又、少しの風では、火は燃え易く成りますが、急に大風が吹くと、飛び火し、
火事や、山火事などを、引き起こす恐れも有ります。
以上の事を、満足する季節や、日にちを、選ぶ事に成ります。
4) 野焼きの場所
以下次回に続きます。
野焼き
縄文時代には、窯がなかったので、「野焼き」といわれる焼成方法で、焼き上げました。
野焼きに付いて、考えて見たいと思います。
1) 野焼きの温度
熱を閉じ込める窯が、有りませんので、温度は高くなりません。大体600℃~800℃程度が、
一般的で、部分的には、1000度位まで、昇温したかも知れません。
・ 粘土は、560~570℃位で、結晶水が抜け、質的変化を起し、水を加えても、元の粘土に、
戻れなく成ります。それ故、土器として使用するには、600℃以上で、焼く必要が有ります。
現在の陶芸での素焼は、一般に、700~800℃で行います。
土器の強度は、素焼程度だと、思って下さい。
・ 温度が高ければ、高い程、土器の強度は増し、壊れ難くなります。当時の人は、当然その事を、
知っていたはずです。温度が高くなる方法を、色々工夫したに違いありません。
2) 野焼きの時間
① 野焼きの作業は、ほぼ1日仕事でした。日の出から日没まで掛かり、場合に拠っては、
夜中や、翌日まで掛かった可能性も、あります。
その間、燃料を補給し、良く燃える様に、棒で中を、かき混ぜたり、不用な灰を、取り除いたり、
火の番をする事以外に、かなりの仕事量が、有りました。
② 最初の400℃程度までは、ゆっくり焼成します。(現代でも同じです。)
この間が、一番作品が壊れる温度ですので、土器の内部に残っている、水分を、蒸発させる為、
6時間以上の時間を掛けます。
それ以上の温度に成ると、どんどん温度を上げる事が、可能になり、燃料の消費量も増えます。
③ 温度計の無い当時は、どのよう様に、この温度を見分けたのでしょうか?
) 一番解かりやすいのは、水蒸気の発生状態を、見る事です。
(現代での窯では、200℃程度までは、蒸気の発生も少ないですが、除々に発生量が多くなり、
250~300℃で、 最高になり、後は少しづつ減少します。)
盛んに発生していた蒸気が、段段少なくなり、ほとんど発生が、認められない状態に成れば、
問題なく、温度を急に上げる事も、出来ます。
) 経験側から割り出す
燃料の消費具合、炎の色や燃え具合、土器の表面の様子、焚いている時間など、
今までの、経験から割り出したかも、知れません。
) 焼き上がりの温度は、粘土片等の「焼き見本」を置き、炎の中から棒等で、取り出し、
冷却後、強度などを調べて、判断した事でしょう。
(現在でも、本焼きで、同じ様な事を、行っています。)
3) 野焼きの時期(季節)
① 野焼きをする前に、準備する必要が有る物
) 必要量の作品の数(数十個の作品)が、出来上がっている事。
それらは、天日干しし、十分に乾燥してある事です。
・ この段階で、作品に「割れ」や「ひび」が、入っていたら、この作品は、焼けません。
補修もほとんど、不可能です。水を加えて、粘土に戻し、最初から造り直したはずです。
) 燃料が、十分集められている事。
枯れ葉や、枯れ草、枯れ枝、枯れ木(薪)など、野山で集める事が出来る季節で有る事。
) 野焼きは、人手が必要です。女子供だけでは、無理ですので、男手がいります。
その男達に、手伝う時間が有る事。尚、縄文中期には、野焼きをする、専門の「窯を焚き」が
存在していたと、思われます。
彼らは、報酬を得て、「窯焚き」を請負い、村々を巡回していたかも知れません。
② 天候に恵まれている事
) 野焼き当日だけでなく、数日前から、晴天の事(少なくとも、雨が降らない事)
土器を乾燥させるのは勿論、燃料を乾燥させ、更に野焼きする場所も、十分乾燥させて置く、
必要が有ります。
) 野焼き当日は、絶対に雨が降らない事、及び大風が吹かない事。
朝は晴天でも、急な夕立等が無いと、確信出来てから、野焼きを、始めます。
雨が降ると、火が燃え無いばかりではなく、最悪、生の作品が溶け出し、壊れます。
又、少しの風では、火は燃え易く成りますが、急に大風が吹くと、飛び火し、
火事や、山火事などを、引き起こす恐れも有ります。
以上の事を、満足する季節や、日にちを、選ぶ事に成ります。
4) 野焼きの場所
以下次回に続きます。
野焼き