粘土質の土は、太陽に当て、乾燥させると、硬くなりる性質が有る事は、大昔(有史以前)より、
知られていました。そこで、天日干しの「レンガ」が、一般的に造られ、建物等に使用されていました。
更に、火で焼く事により、水に対しても、強度が増す事が、解かる様になり、焼成の技法も、発展します。
この粘土質の土で、器を造る様に成ったのは、氷河期の紀元前15,000年頃と、言われています。
日本以外でも、「北アフリカ」、「北アメリカ」、「南アメリカ」など、各地に同時発生的に、出現し、
何処か一箇所の、発明が、全世界に広がったのでは無いと、考古学的に検証されています。
1) エジプトの陶器
① 世界で最も古い陶器は、ナイル盆地の墓から、発掘された、「テラコッタ」製の壷で、
赤と黒の模様があり、表面が磨かれていました。時代は、紀元前5,000年頃と、言われています。
② 紀元前3,500年頃には、釉薬が掛かった「タイル」や、陶製の棺桶なども出現しています。
③ その技法は、型を使った作品や、精巧な轆轤(ろくろ)も使われていました。
又、焼成も、野焼きではなく、専用の「窯」も存在しています。
④ 轆轤は、男性の仕事で、手細工(手ひねり)の作品は、主に女性が担当していて、この現象は、
面白い事に、世界共通の事柄の様です。
⑤ 釉薬の発見は、珪砂とアルカリ類(Na,Ka,Ca,Kなど)の混合物が、火の作用で、「ガラス」質になり
偶然発見された物と、思われます。
当時は、粘土質の素地と、「ガラス」との関係の知識が、有りませんでしたので、
多量(90%以上)の珪砂が、入った素地に、施釉し焼成し、多孔質な素地に、釉が浸透し、
強度を増す働きが、ありました。
⑥ 初期の色釉は、銅を使った青色で、中近東の代表的な色と成ります。
以後、「マンガン」を使った、黒と紫の色が、造り出され、長い年月使われ続けます。
⑦ 「エジプト」で発明された、製陶技術(轆轤など)は、北方と西方に伝わり、「ギリシャ」、
「メソポタミア」、「ペルシャ」へ広がり、やがて「中国」にも届きます。
以下次回に続きます。
エジプトの陶器
知られていました。そこで、天日干しの「レンガ」が、一般的に造られ、建物等に使用されていました。
更に、火で焼く事により、水に対しても、強度が増す事が、解かる様になり、焼成の技法も、発展します。
この粘土質の土で、器を造る様に成ったのは、氷河期の紀元前15,000年頃と、言われています。
日本以外でも、「北アフリカ」、「北アメリカ」、「南アメリカ」など、各地に同時発生的に、出現し、
何処か一箇所の、発明が、全世界に広がったのでは無いと、考古学的に検証されています。
1) エジプトの陶器
① 世界で最も古い陶器は、ナイル盆地の墓から、発掘された、「テラコッタ」製の壷で、
赤と黒の模様があり、表面が磨かれていました。時代は、紀元前5,000年頃と、言われています。
② 紀元前3,500年頃には、釉薬が掛かった「タイル」や、陶製の棺桶なども出現しています。
③ その技法は、型を使った作品や、精巧な轆轤(ろくろ)も使われていました。
又、焼成も、野焼きではなく、専用の「窯」も存在しています。
④ 轆轤は、男性の仕事で、手細工(手ひねり)の作品は、主に女性が担当していて、この現象は、
面白い事に、世界共通の事柄の様です。
⑤ 釉薬の発見は、珪砂とアルカリ類(Na,Ka,Ca,Kなど)の混合物が、火の作用で、「ガラス」質になり
偶然発見された物と、思われます。
当時は、粘土質の素地と、「ガラス」との関係の知識が、有りませんでしたので、
多量(90%以上)の珪砂が、入った素地に、施釉し焼成し、多孔質な素地に、釉が浸透し、
強度を増す働きが、ありました。
⑥ 初期の色釉は、銅を使った青色で、中近東の代表的な色と成ります。
以後、「マンガン」を使った、黒と紫の色が、造り出され、長い年月使われ続けます。
⑦ 「エジプト」で発明された、製陶技術(轆轤など)は、北方と西方に伝わり、「ギリシャ」、
「メソポタミア」、「ペルシャ」へ広がり、やがて「中国」にも届きます。
以下次回に続きます。
エジプトの陶器