八木一夫と言えば、「ザムザ氏の散歩」の作品で、日本の前衛陶芸に大きな衝撃を与た陶芸家です。
非実用的な「オブジェ陶」(焼物彫刻)という、表現スタイルを確立します。
・ しかし彼は、彫刻ではなくあくまでも、陶芸を目指しています。
1) 八木一夫(やぎかずお): 1918~1979年
① 経歴
) 陶芸家、八木一艸(いっそう)の長男として京都に生まれます。
) 1937年、京都市立美術工芸学校彫刻科を卒業後、商工省陶磁器試験所の伝習生に成ります。
陶芸家の子息が、彫刻を学ぶ事は珍しく、父一艸の考えでも有った様です。
) 1947、1948年の第三回、四回日展に連続入選しますが、以降出品はしていません。
) 1948年、走泥社(そうでいしゃ)を、八木一夫、鈴木治、山田光、松井美介、叶哲夫の
京都在住の陶芸家による前衛陶芸作家のグループを結成し、第一回展を大阪 高島屋で
開催します。以降毎年開催。
) 1950年 ニューヨーク近代美術館に展示し、パリ、チェルヌスキー美術館「現代日本陶芸展」に
出品します。
1954年、個展で「ザムザ氏の散歩」を発表し、大きな反響を得ます。
) 以降、 東京国立近代美術館「現代日本の陶芸」出品。 第二回オステンド国際陶芸展で
グランプリ受賞。プラハ第三回国際陶芸展でグランプリ受賞。 東京、壹番館画廊で
「八木一夫、壺展」、「辻晉堂、八木一夫展」開催。 京都と東京国立近代美術館での
「現代美術の新世代」展など、個展や多くの陶芸展に出品します。
1973年には、日本陶磁協会賞金賞を受賞しています。
② 八木一夫の陶芸
) 土と言う素材を使い焼き物で、非実用的な彫刻(オブジェ)の作品を作った事です。
従来、彫刻は木、石、石膏、セメント、金属などが主な素材でした。それは作者が最後まで
自分の仕事を見届ける事を意味します。土と言う素材を使う事は、乾燥や収縮、焼成など
ある意味自然任せの点があり、最後は窯任せとなり、偶然性が入り込見易い事に成ります。
「釉を被り、窯に入ったりする事で、否応なく作者から遠ざかりながら生成していく、
と言うのが焼き物なのである。」とも八木は語っています。
当然、彼もこの事を敏感に感じており、偶然性が少なく成る様に工夫します。
) 彼が伝統陶芸家の家に生まれながら、前衛的な作風に向かうのは、彼が青年時代に彫刻を
学んだ事も有りますが、イサムノグチや辻普堂(つじしんどう)達 による陶彫など、
同時代の彫刻家の仕事に、刺激を受けたとも見受けられます。
a) イサムノグチ: 日本名は野口 勇、(1904年 ~ 1988年)。日系アメリカ人
彫刻家、画家、インテリアデザイナー、造園家、作庭家、舞台芸術家。
度々来日し、多くの作品を作り、日本の文化に多大な影響を当てえています。
b) 辻 晉堂(つじしんどう): 1910年~1981年 彫刻家、鳥取県出身。
大作の肖像や仏像や更には木、 ブロンズ、鉄製の抽象彫刻を多く作っています。
本格的な陶彫の発表は、1956年東京 丸善画廊での個展で「寒山拾得」「樹」「猫の頭」「ダル」
「禁煙」 「切株」「犬」など十五点が出品されたが、「顔」以外は全て純粋抽象の作品でした。
) 走泥社の結成。鈴木治、山田光らと行動を起こし、伝統的な陶芸の形式を破り、実用的機能を
持たない純粋に造形的な「オブジェ焼」の創造を目指して注目されます。
・ 「壺の口を閉じるか閉じないかという事」が問題に成りました。
壺はその口を閉じた時から、壺としての機能を失い、陶芸でも彫刻でもない純粋な
「オブジェ陶」が生まれる事になります。
③ 八木一夫の作品
以下次回に続きます。
非実用的な「オブジェ陶」(焼物彫刻)という、表現スタイルを確立します。
・ しかし彼は、彫刻ではなくあくまでも、陶芸を目指しています。
1) 八木一夫(やぎかずお): 1918~1979年
① 経歴
) 陶芸家、八木一艸(いっそう)の長男として京都に生まれます。
) 1937年、京都市立美術工芸学校彫刻科を卒業後、商工省陶磁器試験所の伝習生に成ります。
陶芸家の子息が、彫刻を学ぶ事は珍しく、父一艸の考えでも有った様です。
) 1947、1948年の第三回、四回日展に連続入選しますが、以降出品はしていません。
) 1948年、走泥社(そうでいしゃ)を、八木一夫、鈴木治、山田光、松井美介、叶哲夫の
京都在住の陶芸家による前衛陶芸作家のグループを結成し、第一回展を大阪 高島屋で
開催します。以降毎年開催。
) 1950年 ニューヨーク近代美術館に展示し、パリ、チェルヌスキー美術館「現代日本陶芸展」に
出品します。
1954年、個展で「ザムザ氏の散歩」を発表し、大きな反響を得ます。
) 以降、 東京国立近代美術館「現代日本の陶芸」出品。 第二回オステンド国際陶芸展で
グランプリ受賞。プラハ第三回国際陶芸展でグランプリ受賞。 東京、壹番館画廊で
「八木一夫、壺展」、「辻晉堂、八木一夫展」開催。 京都と東京国立近代美術館での
「現代美術の新世代」展など、個展や多くの陶芸展に出品します。
1973年には、日本陶磁協会賞金賞を受賞しています。
② 八木一夫の陶芸
) 土と言う素材を使い焼き物で、非実用的な彫刻(オブジェ)の作品を作った事です。
従来、彫刻は木、石、石膏、セメント、金属などが主な素材でした。それは作者が最後まで
自分の仕事を見届ける事を意味します。土と言う素材を使う事は、乾燥や収縮、焼成など
ある意味自然任せの点があり、最後は窯任せとなり、偶然性が入り込見易い事に成ります。
「釉を被り、窯に入ったりする事で、否応なく作者から遠ざかりながら生成していく、
と言うのが焼き物なのである。」とも八木は語っています。
当然、彼もこの事を敏感に感じており、偶然性が少なく成る様に工夫します。
) 彼が伝統陶芸家の家に生まれながら、前衛的な作風に向かうのは、彼が青年時代に彫刻を
学んだ事も有りますが、イサムノグチや辻普堂(つじしんどう)達 による陶彫など、
同時代の彫刻家の仕事に、刺激を受けたとも見受けられます。
a) イサムノグチ: 日本名は野口 勇、(1904年 ~ 1988年)。日系アメリカ人
彫刻家、画家、インテリアデザイナー、造園家、作庭家、舞台芸術家。
度々来日し、多くの作品を作り、日本の文化に多大な影響を当てえています。
b) 辻 晉堂(つじしんどう): 1910年~1981年 彫刻家、鳥取県出身。
大作の肖像や仏像や更には木、 ブロンズ、鉄製の抽象彫刻を多く作っています。
本格的な陶彫の発表は、1956年東京 丸善画廊での個展で「寒山拾得」「樹」「猫の頭」「ダル」
「禁煙」 「切株」「犬」など十五点が出品されたが、「顔」以外は全て純粋抽象の作品でした。
) 走泥社の結成。鈴木治、山田光らと行動を起こし、伝統的な陶芸の形式を破り、実用的機能を
持たない純粋に造形的な「オブジェ焼」の創造を目指して注目されます。
・ 「壺の口を閉じるか閉じないかという事」が問題に成りました。
壺はその口を閉じた時から、壺としての機能を失い、陶芸でも彫刻でもない純粋な
「オブジェ陶」が生まれる事になります。
③ 八木一夫の作品
以下次回に続きます。