「練上手(ねりあげて)」の技法で、重要無形文化財保持者(人間国宝)に成った陶芸家に、笠間の住職
でもある松井康成 がいます。
松井康成(まついこうせい): 1927年 ~ 2003年 本名 松井美明(みめい)
茨城県笠間市内の古刹、月崇(げっそう)寺の住職。
① 経歴
) 長野県北佐久郡本牧村(現、望月町)で、宮城興四郎の次男として生まれます。
父は1936年に、神奈川県川崎市伊勢崎町に移転し、染色工場を経営し、彼も染色の仕事を
手伝っていました。
) 1945年 県立平塚工業高校応用化学科を卒業し、茨城県笠間町(現、笠間市)に疎開します。
(尚、父はこの笠間の出身でした。)
) 1946年 奥田製陶所へ通い、作陶技術を学びます。
) 1952年 結婚して、奥さんの姓松井を名乗ります。
翌年には、浄土宗の僧籍を得、1957年に月崇寺の住職に就任します。
) 1960年 境内に窯を築き、中国、朝鮮、日本の古陶磁の研究や写しの製作をします。
この頃より、練上技法に興味を持ち、試作を重ねています。
) 1968年 益子の陶芸家の田村耕一に師事し、指導を受けます。作品も練上に絞ります。
翌年には、第九回伝統工芸新作展で、初出品の「練上大鉢」が奨励賞を受け、更に第16回
日本伝統工芸展で初入選を果し、以後毎回出品する様になります。
) 1971年には日本橋三越で、第1回個展を開催します。
1979年に第18回日本伝統工芸展で、最高の日本工芸会総裁賞を得、更に日本工芸会正会員に
推されます。これ以降、多くの陶芸展に出品し、数々の重賞を得る事になります。
) 1993年(平成5年)「練上手」で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されます。
② 練上手とは、英語でマーブル、ウエアー(大理石文様)と言います。
) 練上の技法は古く、中国の唐の時代に、この方法で作られた作品があった様です。
特に、北宋の磁州窯で作られた物に、良い作品があるとの事です。
) わが国でも奈良市内で、唐三彩と共に出土しています。近世以降、常滑、万古、信楽、丹波、
上野(あがの)等で、焼成されていますし、近年では、河井寛次郎もこの技法を試みています。
) 二種類以上の色土を重ね合わせたり、貼り合わせたり、練り込む事により、その断面に出来た
文様を使って作品を作ります。当然表面だけでなく内部も、更にその裏側も同じ様な文様に
成るのが特徴です。
) よく知られた方法に、「鶉(うずら)文」や「矢羽文」と呼ばれる方法があります。
いずれも、数種の色土を交互に積み上げ、その断面を切り取り、形を作り最後に削り作業によって
作品を作り上げる方法です。鶉文は断面が鶉の羽の様に「かまぼこ形」に成っています。
) この技法の難しさは、以下の事柄が挙げられます。
a) 割れが多い事です。 乾燥中の割れや焼成中に割れが発生し易いです。
これは、細かい断片がモザイク状に寄り合っている為、土と土の接着面から割れが入ります。
b) 土に顔料を入れますが、手などで十分練込まないと、「色むら」が出易いです。
c) 最後の仕上げの削り作業で、文様の良し悪しが判明します。
d) 無駄に成る土が多く出ます(歩留まりが悪い)。更に、着色した土は練込用に再生できません。
e) 練込による成形方法は、轆轤を使う事は稀です。轆轤挽きすると、土は螺旋状に移動し、
文様が変化し意図した文様に成らない為、皿などの板状の物や、型に押し込んだ作品に
成るのが一般的です。それ故、壷の様な袋物の作品は少ない様です。
(但し、偶然性に期待した作品では、轆轤挽きする事もあります。)
f) 以上の事から、非常に手間の掛かる技法とも言われています。
この困難を乗り越えて、従来に無い練上の作品を、轆轤を使って次々に発表していたのが、
松井康成です。
③ 松井康成の陶芸
ほとんど全ての作品は、「練上手」と呼ばれる技法により、更には轆轤を使って作られています。
以下次回に続きます。
でもある松井康成 がいます。
松井康成(まついこうせい): 1927年 ~ 2003年 本名 松井美明(みめい)
茨城県笠間市内の古刹、月崇(げっそう)寺の住職。
① 経歴
) 長野県北佐久郡本牧村(現、望月町)で、宮城興四郎の次男として生まれます。
父は1936年に、神奈川県川崎市伊勢崎町に移転し、染色工場を経営し、彼も染色の仕事を
手伝っていました。
) 1945年 県立平塚工業高校応用化学科を卒業し、茨城県笠間町(現、笠間市)に疎開します。
(尚、父はこの笠間の出身でした。)
) 1946年 奥田製陶所へ通い、作陶技術を学びます。
) 1952年 結婚して、奥さんの姓松井を名乗ります。
翌年には、浄土宗の僧籍を得、1957年に月崇寺の住職に就任します。
) 1960年 境内に窯を築き、中国、朝鮮、日本の古陶磁の研究や写しの製作をします。
この頃より、練上技法に興味を持ち、試作を重ねています。
) 1968年 益子の陶芸家の田村耕一に師事し、指導を受けます。作品も練上に絞ります。
翌年には、第九回伝統工芸新作展で、初出品の「練上大鉢」が奨励賞を受け、更に第16回
日本伝統工芸展で初入選を果し、以後毎回出品する様になります。
) 1971年には日本橋三越で、第1回個展を開催します。
1979年に第18回日本伝統工芸展で、最高の日本工芸会総裁賞を得、更に日本工芸会正会員に
推されます。これ以降、多くの陶芸展に出品し、数々の重賞を得る事になります。
) 1993年(平成5年)「練上手」で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されます。
② 練上手とは、英語でマーブル、ウエアー(大理石文様)と言います。
) 練上の技法は古く、中国の唐の時代に、この方法で作られた作品があった様です。
特に、北宋の磁州窯で作られた物に、良い作品があるとの事です。
) わが国でも奈良市内で、唐三彩と共に出土しています。近世以降、常滑、万古、信楽、丹波、
上野(あがの)等で、焼成されていますし、近年では、河井寛次郎もこの技法を試みています。
) 二種類以上の色土を重ね合わせたり、貼り合わせたり、練り込む事により、その断面に出来た
文様を使って作品を作ります。当然表面だけでなく内部も、更にその裏側も同じ様な文様に
成るのが特徴です。
) よく知られた方法に、「鶉(うずら)文」や「矢羽文」と呼ばれる方法があります。
いずれも、数種の色土を交互に積み上げ、その断面を切り取り、形を作り最後に削り作業によって
作品を作り上げる方法です。鶉文は断面が鶉の羽の様に「かまぼこ形」に成っています。
) この技法の難しさは、以下の事柄が挙げられます。
a) 割れが多い事です。 乾燥中の割れや焼成中に割れが発生し易いです。
これは、細かい断片がモザイク状に寄り合っている為、土と土の接着面から割れが入ります。
b) 土に顔料を入れますが、手などで十分練込まないと、「色むら」が出易いです。
c) 最後の仕上げの削り作業で、文様の良し悪しが判明します。
d) 無駄に成る土が多く出ます(歩留まりが悪い)。更に、着色した土は練込用に再生できません。
e) 練込による成形方法は、轆轤を使う事は稀です。轆轤挽きすると、土は螺旋状に移動し、
文様が変化し意図した文様に成らない為、皿などの板状の物や、型に押し込んだ作品に
成るのが一般的です。それ故、壷の様な袋物の作品は少ない様です。
(但し、偶然性に期待した作品では、轆轤挽きする事もあります。)
f) 以上の事から、非常に手間の掛かる技法とも言われています。
この困難を乗り越えて、従来に無い練上の作品を、轆轤を使って次々に発表していたのが、
松井康成です。
③ 松井康成の陶芸
ほとんど全ての作品は、「練上手」と呼ばれる技法により、更には轆轤を使って作られています。
以下次回に続きます。