わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代陶芸51(大樋年朗1)

2012-02-20 17:54:22 | 現代陶芸と工芸家達
昨年(2011年)に、加賀の大樋焼の大樋年朗氏(十代長左衛門)は文化勲章を受章しました。

受章理由は、「伝統の技術を受け継ぎつつ、従来の陶芸の枠を超えた作品の制作」を行った事です。

大樋長左衛門は、裏千家の始祖四世仙叟宗室と同道した初代から、加賀前田藩の御用窯として

主に茶道の楽茶碗を中心に作り続けていました。大樋年朗氏は十代目の大樋長左衛門を襲名しますが、

襲名前の「大樋年朗」の名前での作品も多く、作品に応じて使い分けている様です。

1) 大樋年朗 (おおひ としろう): 1927年 (昭和2) ~  本名 奈良年郎

  ① 経歴

   ) 加賀の大樋焼九代大樋長左衛門の長男として生まれます。

   ) 1949年 東京美術学校(現、東京藝術大学)工芸科で鋳金を専攻して卒業します。

      (当時工芸科に窯業の科目が無かった為、鋳金専攻になったとの事です。)

   ) 1950年 第六回日展で初入選を果たします。以後連続入選します。

   ) 1957年 第十三回日展で「緑釉鶏文壷」が特選と北斗賞を受賞します。

   ) 1961年 日展で「四方魚文花器」が再び特選と北斗賞を受賞します。

      以後、日展審査員、日展評議員、日展常務理事、日展顧問などを歴任します。

      (日展などの出品作品やそれに類した作品は、「大樋年朗」の名前を使用しています。)

   ) 1982年 第14回日展で(「歩いた道」花器)で文部大臣賞受賞(東京国立近代美術館蔵)

      1985年 (「峙つ(そばたつ)」花三島飾壺)で日本芸術院賞受賞(日本芸術院会館蔵)

      1987年 十代大樋長左衛門を襲名します、 1999年 日本芸術院会員に就任します。

      2004年 文化功労者に、2011年には 文化勲章を受章します。

  ② 大樋年朗氏の陶芸

    彼の作品群は大きく三つに分かれます。

   ・ 大樋焼き伝統の楽焼による茶道具を中心とした作品。

   ・ 各種展覧会の出品作品。 ・ 建物の壁面を飾る「陶壁」です。

  ) 茶道具の作品

    a) 大樋焼きは、手捻り(てひねり)による楽焼が基本になっています。

      轆轤や型を使わず、指先と掌(てのひら)で土を薄く延ばし、箆(へら)等を使って成形

      します。半乾燥後に「カンナ」を使い、高台と内側を削り出します。

      (器の内側を削るのは、楽焼の特徴で、一般には削りません。)

      高台削りは、手回し轆轤上で、内側や口縁の削りは、掌に乗せて回転させながら削ります。

      ・ 削り痕は残します。この削り痕(斜め)が文様に成ります。

    b) 大樋焼きの土は、金沢城の北東2Km程にある卯辰山の山麓大樋村(現 金沢市大樋町)で

      楽焼に適した土が産出されます。この土を初代の頃から使っているそうです。

      この土は、楽焼特有の急熱急冷に耐える土で、砂気が多くざんぐりしています。

      先代又は先々代が採取した土を、長い年月をかけて寝かせた土を使っています。

   c) 大樋焼きの釉は、飴釉に特徴があります。本家楽家が「黒楽」「赤楽」なのに対し、

      初代から飴釉を使い、代々優れた飴釉を作っています。

    ・ 施釉方法は、素焼き後の器に、太い筆で内外を塗って行きます。

      最初に内側を筆を置く様にして塗ります。次いで、外側と高台内を塗ります。

      更に濃度を濃くした釉を、口縁から重ねて塗ります。

      三度目は、更に濃度を上げて塗り、熔けて流れを作る様にしています。

      尚、この様にして、4~5回塗る事もある様です。

     (但し、底部と高台は、流れ過ぎないように、二度塗りで止めます。)

   d) 楽焼の焼成

     楽焼は一般の本焼きとは大きく違います。即ち、高温の窯の中に直接作品を入れます。

     (窯の上部には、次に入れる作品を余熱する場所があり、実際は余熱してから入れます。)

     釉の熔け具合を確認してから、出入り口を全開にして、火鋏(はさみ)で茶碗の胴を摘み出し、

     一度陶板の上に乗せて、若干冷やしてから、水の入った瓶(甕)に入れ急冷します。

     尚、茶碗には正面がありますので、火鋏で挟む場所は予め決めて置き、取り出し易い様に

     窯詰めしておきます。急冷する事により、還元状態を定着させ、発色も良くなるとの事です。

     場合によっては、窯変が生じ思わぬ傑作に成る事もある様です。

     窯から作品が無くなったら、余熱してある次の作品を窯に入れ、釉が熔けるまで待ちます。

     作品として「柿釉白縁茶碗」(1982)、「黒釉・飴釉茶碗一双」(1983)などがあります。

以下次回(大樋年朗2)に続きます。

 
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