わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代陶芸59(伊勢崎淳)

2012-02-28 21:50:38 | 現代陶芸と工芸家達
陶芸家の伊勢崎淳氏は、備前の作家の中心的位置にいる人物で、伝統的な茶陶から斬新な造形、

陶壁と幅広い制作活動を行っています。


1) 伊勢崎淳(いせざき じゅん) 本名 惇(あつし) : 1936年(昭和11年)~

  ① 経歴

   ) 岡山県備前市伊部に伊勢崎陽山の次男として生まれます。

      父陽山は、細工物の名人と言われた陶工で、代表作に「高杉晋作像」「明治天皇像」があります。

      長男の伊勢崎満も陶芸家で、陽山の跡を継いでいます。

      幼い頃より兄、満(みつる)と共に陶技を父に学び、岡山大学教育学部特設美術科卒業後から

      本格的な作陶を開始します。

   ) 1961年 父の死後兄と共に、半地上式の窖窯(あながま)を築き、初窯を焚きます。

     その作品を東京、名古屋、大阪で「二人展」を開催し発表します。

     同年 第8回日本伝統工芸展に「花器」を出品し初入選を果たします。

     以降入選を重ね1966年に、日本工芸会正会員に就任します。

     (1998年日本工芸会理事に就任します。)

   ) 1965年 東京銀座松屋にて、初の個展を開催します。

     翌年には、日本工芸会正会員になります。1981年には金重陶陽賞を受賞し、その後も

     「田部美術館茶の湯の造形展」で優秀賞、岡山県文化奨励賞、山陽新聞賞を受賞します。

   ) 2004年 国の重要無形文化財(人間国宝)保持者に認定されます。

      備前焼では、金重陶陽(1896年 ~1967)、 藤原啓(1899年 -~1983)、 山本陶秀(1906 ~1994)
  
      藤原雄(1932~ 2001)に次いで、 伊勢崎淳氏が五人目の人間国宝になります。

 ②  備前焼について
   
    備前焼は、岡山県備前市周辺を産地とする、釉を一切使用しない陶器や器(せっき)です。

    備前市伊部地区にちなみ、「伊部焼(いんべやき)」との別名もあります。

  ) 歴史

   a)  備前焼の歴史は古く、平安時代の須恵器から発展し、鎌倉時代初期には焼き締め陶が

     焼かれています。鎌倉以前は還元焼成でしたが、鎌倉後期には酸化焔焼成と成り、水瓶や

     擂鉢(すりばち)など、実用本位の茶褐色の陶器が焼かれる様になります。

     当時の作品は「古備前」と呼ばれ珍重されいます。

   b) 室町時代~桃山時代に茶道の発展とともに、茶陶として人気が高まります。

     しかし、江戸時代には、安価で大量生産が可能な磁器が登場し、茶道の衰退と共に備前焼も

     衰退して行きます。この状態は、明治、大正頃まで変わらなかったが様です。

   c) 昭和に入り金重陶陽らが桃山陶への回帰を計り、芸術性を高め備前焼の復興をはかります。

     この努力が報われ、多くの陶芸家が誕生し、現在では備前焼の人気は不動の物と成っています。

   d)  備前焼の代表的な作品には以下の様な物があります。

   ・ 筒型花生 弘治3年(1557年)銘(個人蔵) 重要文化財

   ・ 矢筈口水差 銘破れ家(北陸大学蔵)重要文化財

   ・ 緋襷(ひだすき)水差(畠山記念館蔵)重要文化財

  ) 備前焼の特徴

   a) 釉を一切使わず「酸化焔焼成」によって堅く締められた赤味の強い焼き物で、「窯変」によって

     生み出された模様は、同じ物が存在しないのが特徴です。

   b) 現在は茶器、酒器、皿などが多く生産されています。派手さはないが飽きがこないのが特色で

     もあります。皿等は水に漬けるてから使用すると、一段と生き生きします。

   c) 備前の土は鉄分を含み、滑らかな肌触りですが、耐火度が低く急な昇温が出来ず、

     数日~十数日の間、薪による焼成が必要になります。それ故、高価な作品が多いです。

  ③ 伊勢崎淳氏の陶芸

   ) 古備前の復活: 淳氏の仕事場の裏山には、平安末期から江戸末期にかけての多数の

     古窯の跡が存在しています。その中の「南大窯」は全長五十数M、幅5.5Mあり国の重要文化財

     になっています。この様な環境の下、兄と共に16Mの窖窯を築き、その後も数回窯を

     作り変えています。この窖窯で年2~3度の窯焚きをしてるそうです。

   ) 淳氏の火襷の器肌に明るさがあります。

     一般に窖窯の作品は、灰が厚く被り暗い肌と成ります。これは「練り炊き」と言って焼成中に

     温度を上げ下げして、黄胡麻などの「窯変」を生じるには良い方法ですが、肌が暗く成り易く

     表面が荒れてきます。これを防ぐ為に「あっさり」焼成しているとの事です。

     更に「カコ挽き」と呼ばれる、皮又は布を両手に持って轆轤挽きする方法を取っています。

     こうする事により、器肌が荒れる事も無く、土の味わいが失われず、柔らかい感じが出ます。 

   ) 作品は「壷」や「大皿」が多く、「壷」には火襷が、「大皿」には「牡丹餅」による

      緋色の円形や楕円形の文様と、火襷を組み合わせた作品が多いです。  

   ) 陶壁について

      1977年の渡米で、彫刻的な作陶にも視野を広げる契機になります。
     
      2002年 新総理官邸のロビー(総理インタビュー後方)に陶壁を製作したのを始め、

      2003年 岡山大学創立50周年記念の陶壁を制作。その他、備前市役所、倉敷ノートルダム

      記念館などの玄関に、備前焼レリーフの壁画装飾を担当し、近代オブジェ陶にも意欲的な

      姿勢を示しています。

次回(伊藤 赤水)に続きます。

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