前回取り上げた藤原啓氏の長男で、啓氏と同じ様に、人間国宝に指定された、備前焼きの陶芸家に、
藤原雄氏がいます。轆轤挽きに秀で「壷の雄」の異名を持っています。
1) 藤原 雄(ふじわら ゆう): 1932(昭和7)~ 2001(平成13) 享年70歳
① 経歴
) 藤原 啓の長男として、岡山県和気郡伊里村(現、備前市)に生まれます。
) 1951年 明治大学文学部日本文学科に進学し、文学や音楽に熱中していました。
卒業後、出版社の「みすず書房」に就職しますが、1955年9月に父親の看病の為に休職し
帰郷します。(父啓氏は、胃潰瘍で倒れます。)
) その後、陶芸家小山富士夫氏の勧めもあり、会社を辞し父に師事して備前焼の技法を学び
始めます。(尚、雄氏の右目は0.03、左目は全く見えない状態との事で、何時失明しても
良い様に、作品を見ずに轆轤が挽ける様に努力を重ねています。)
) 1958年 春に朝日新聞社主催の「現代日本陶芸展」と「全関西美術展」に『花器』が入選し
秋には「日本伝統工芸展」に『大徳利』が初入選します。更にこの作品が伝統工芸展の
ポスターとして使用されます。
1960年 一水会展に出品し、一水会賞受賞して、一水会会員に推挙されます。
同年 岡山天満屋、東京三越で初の個展を開催します。
1961年 日本工芸会より正会員に認定されます。
以降、「現代陶芸代表作家展」(名古屋松坂屋)、「現代陶芸展」(東京国立近代美術館主催)
個展(東京三越、岡山天満屋)など、作品の発表を続けます。
) その他にも、1963年スペイン・バルセロナの「国際陶芸展」での大賞受賞や、米国(現代陶芸
美術館)やカナダで海外初の個展を開いています。
又、米国で備前焼の講座を持ち、ダートマス大学美術館、ニュウーヨーク現代陶芸美術館で
個展を開催など、幅広い活動を行っています。
) 1996年(平成8)に、重要無形文化財保持者(人間国宝)となります。
② 備前焼の「窯変」について
釉を一切使わずに、赤味の強い備前焼の魅力は、「窯変」によって生み出されています。
釉を使わない場合と、釉を使った場合とでは、作品の窯詰めに大きな違いが出ます。その事がまた、
「窯変」を作り出す原因にもなります。一番の違いは作品を重ね合せたり、隣同士を接触させたり、
横に寝かせて焼成する事が出来る点です。
「窯変」には幾つかの種類がありますので、お話します。
) 胡麻(ごま): 窯焚の最中に、薪の松灰が生地に付き、熔けて自然の灰釉に成った物で、
青胡麻や黄胡麻があります。窯の構造の違いによる湿度の関係で、時代毎に色が異なり、
備前焼の時代鑑別の基準に成っています。
・ 平安~桃山時代では暗緑色に青胡麻で、江戸期には黄胡麻、江戸末期以降は茶色の胡麻で、
現在では、人工的に発色させています。
・ カセ胡麻: 作品に降り注いだ、小粒の灰が熔けきらずに付着した物で、不完全な胡麻と
成ります。古来茶人の間で人気を得ています。
・ 榎(えのき)胡麻: 火力が弱く灰が熔けきらず、榎の樹肌の様に黒や灰色の粒々が
付いている物で、 桟切の強い物といえます。
) 桟切(さんぎり): 窯の中で灰に埋もれ、火が直接当たらない為に発色した物です。
赤く成るべき肌が、還元焼成で暗灰色や青色などの様々な色や模様に成ります。
・ 大正以降、木炭を使い人工的に作れる様になります。
) 火襷、緋襷(ひだすき): 白や薄茶色の器肌に、濃い赤色の線が生じた物です。
本来は作品同士がくっつかない様に藁を巻いて、窯詰めすると自然に発生した物です。
又、藁を巻き匣鉢(さや)などに詰める時にも使用しました。藁の燃え痕が赤く発色します。
・ 現在では、人工的に藁を巻いて、発色させる事が可能ですが、藁を叩いて軟らかくする等の
前準備も大切な様です。
) 牡丹餅(ぼたもち): 大きな平たい器の中に、小さな作品を重ね置きすると、焼成時に
置いた場所が、甘い焼き肌となり色も周囲と違ってでます。その形が牡丹餅の様に
見える事から、名が付けられました。
) 青備前(あおびぜん): 通常酸化焔で焼成しますが、還元焔になると青くなります。
又、窯中で空気が当たらない箇所で焼成されると青く出来ます。
・ 初代藤原楽山が考案した、「塩青焼」という塩を用いた手法でも、独特の青備前が
作り出されています。
) 黒備前 : 古備前の時代に焼かれた備前焼の一つ。残存する作品は少ないです。
・ 近年、再現する技法が研究され、森陶岳氏(後日取り上げます)の大窯や、著名な
備前陶芸家の間でも焼かれていまが、黒っぽいだけで本来の姿ではないとの事です。
③ 藤原 雄氏の陶芸
次回(藤原 雄2)に続きます。
藤原雄氏がいます。轆轤挽きに秀で「壷の雄」の異名を持っています。
1) 藤原 雄(ふじわら ゆう): 1932(昭和7)~ 2001(平成13) 享年70歳
① 経歴
) 藤原 啓の長男として、岡山県和気郡伊里村(現、備前市)に生まれます。
) 1951年 明治大学文学部日本文学科に進学し、文学や音楽に熱中していました。
卒業後、出版社の「みすず書房」に就職しますが、1955年9月に父親の看病の為に休職し
帰郷します。(父啓氏は、胃潰瘍で倒れます。)
) その後、陶芸家小山富士夫氏の勧めもあり、会社を辞し父に師事して備前焼の技法を学び
始めます。(尚、雄氏の右目は0.03、左目は全く見えない状態との事で、何時失明しても
良い様に、作品を見ずに轆轤が挽ける様に努力を重ねています。)
) 1958年 春に朝日新聞社主催の「現代日本陶芸展」と「全関西美術展」に『花器』が入選し
秋には「日本伝統工芸展」に『大徳利』が初入選します。更にこの作品が伝統工芸展の
ポスターとして使用されます。
1960年 一水会展に出品し、一水会賞受賞して、一水会会員に推挙されます。
同年 岡山天満屋、東京三越で初の個展を開催します。
1961年 日本工芸会より正会員に認定されます。
以降、「現代陶芸代表作家展」(名古屋松坂屋)、「現代陶芸展」(東京国立近代美術館主催)
個展(東京三越、岡山天満屋)など、作品の発表を続けます。
) その他にも、1963年スペイン・バルセロナの「国際陶芸展」での大賞受賞や、米国(現代陶芸
美術館)やカナダで海外初の個展を開いています。
又、米国で備前焼の講座を持ち、ダートマス大学美術館、ニュウーヨーク現代陶芸美術館で
個展を開催など、幅広い活動を行っています。
) 1996年(平成8)に、重要無形文化財保持者(人間国宝)となります。
② 備前焼の「窯変」について
釉を一切使わずに、赤味の強い備前焼の魅力は、「窯変」によって生み出されています。
釉を使わない場合と、釉を使った場合とでは、作品の窯詰めに大きな違いが出ます。その事がまた、
「窯変」を作り出す原因にもなります。一番の違いは作品を重ね合せたり、隣同士を接触させたり、
横に寝かせて焼成する事が出来る点です。
「窯変」には幾つかの種類がありますので、お話します。
) 胡麻(ごま): 窯焚の最中に、薪の松灰が生地に付き、熔けて自然の灰釉に成った物で、
青胡麻や黄胡麻があります。窯の構造の違いによる湿度の関係で、時代毎に色が異なり、
備前焼の時代鑑別の基準に成っています。
・ 平安~桃山時代では暗緑色に青胡麻で、江戸期には黄胡麻、江戸末期以降は茶色の胡麻で、
現在では、人工的に発色させています。
・ カセ胡麻: 作品に降り注いだ、小粒の灰が熔けきらずに付着した物で、不完全な胡麻と
成ります。古来茶人の間で人気を得ています。
・ 榎(えのき)胡麻: 火力が弱く灰が熔けきらず、榎の樹肌の様に黒や灰色の粒々が
付いている物で、 桟切の強い物といえます。
) 桟切(さんぎり): 窯の中で灰に埋もれ、火が直接当たらない為に発色した物です。
赤く成るべき肌が、還元焼成で暗灰色や青色などの様々な色や模様に成ります。
・ 大正以降、木炭を使い人工的に作れる様になります。
) 火襷、緋襷(ひだすき): 白や薄茶色の器肌に、濃い赤色の線が生じた物です。
本来は作品同士がくっつかない様に藁を巻いて、窯詰めすると自然に発生した物です。
又、藁を巻き匣鉢(さや)などに詰める時にも使用しました。藁の燃え痕が赤く発色します。
・ 現在では、人工的に藁を巻いて、発色させる事が可能ですが、藁を叩いて軟らかくする等の
前準備も大切な様です。
) 牡丹餅(ぼたもち): 大きな平たい器の中に、小さな作品を重ね置きすると、焼成時に
置いた場所が、甘い焼き肌となり色も周囲と違ってでます。その形が牡丹餅の様に
見える事から、名が付けられました。
) 青備前(あおびぜん): 通常酸化焔で焼成しますが、還元焔になると青くなります。
又、窯中で空気が当たらない箇所で焼成されると青く出来ます。
・ 初代藤原楽山が考案した、「塩青焼」という塩を用いた手法でも、独特の青備前が
作り出されています。
) 黒備前 : 古備前の時代に焼かれた備前焼の一つ。残存する作品は少ないです。
・ 近年、再現する技法が研究され、森陶岳氏(後日取り上げます)の大窯や、著名な
備前陶芸家の間でも焼かれていまが、黒っぽいだけで本来の姿ではないとの事です。
③ 藤原 雄氏の陶芸
次回(藤原 雄2)に続きます。