松平信光の八男 松平光親が在城
年末ではありましたが、松平の城山城址を見学しました。
城山城は、別名大田(だいた)城とも言います。場所が分からなくて、地域の人に尋ねたところ、「大田城のことかね。」と言われましたので、地元では大田城というのがポピュラーなのかも知れません。「日本城郭大系9」では、大田城で紹介されていました。「松平光親在城。標高234m。現在山林」とのことです。松平光親は、松平氏宗家第3代信光の第8子で、能見松平氏の祖だそうです。
したがって、この近くには松平氏ゆかりの松平城(松平親氏の城)、大給城(松平乗元の城)があります。
松平氏ゆかりの城の位置関係(地理院地図を元に作成)
ただし、「愛知の山城ベスト50」では標高254mとなっていました。234mは、お城の北東にある山の標高でした。また、「松平町誌」に太田道灌が築いたとあるが、伝承に過ぎないとコメントしていました。
せめて入り口の案内板を
さて、ここは、一度挑戦して入り口が分からなかったところです。地元の人も、「入り口が分かりにくいから」と言っているくらいで。1回目は残念ながら、迷って終わってしまいました。
ネットのお城めぐりサイトで「豊田市の指定史跡なのに標識がなく不親切」との指摘がありましたが、その通りだと思いました。
そこで、いろいろと調べてやっと入口が分かりました。まず車を停めるところは「歌石大駐車場」です。この駐車場に大きな看板があり、城山城への道が書いてありますが、これでは、ちょっと行けません。
歌石大駐車場にあった看板。城山城址に行くには「そのまんま公園」を通り過ぎていくことになっていますが、実際は道をそれて行きます。
駐車場の横の道を登りますが、すぐに階段状の山道が左手にありますので、それを登ります。
さらに分岐が続きます。
すぐに道が二つに分かれます。階段状の道を行くと「そのまんま公園」に行きます。左に細い道があり、その道に入ると、城山城にたどり着くことができます。ただし、猪除けの電線が走っていますので、これを跨いでいかなければなりません。(1回目は、猪除けを見て、これは違うと思ってしまったので、たどり着けませんでした。)
せめて、「登城口」の看板ぐらいは設置してほしいと切に思いました。
年末ではありましたが、松平の城山城址を見学しました。
城山城は、別名大田(だいた)城とも言います。場所が分からなくて、地域の人に尋ねたところ、「大田城のことかね。」と言われましたので、地元では大田城というのがポピュラーなのかも知れません。「日本城郭大系9」では、大田城で紹介されていました。「松平光親在城。標高234m。現在山林」とのことです。松平光親は、松平氏宗家第3代信光の第8子で、能見松平氏の祖だそうです。
したがって、この近くには松平氏ゆかりの松平城(松平親氏の城)、大給城(松平乗元の城)があります。
松平氏ゆかりの城の位置関係(地理院地図を元に作成)
ただし、「愛知の山城ベスト50」では標高254mとなっていました。234mは、お城の北東にある山の標高でした。また、「松平町誌」に太田道灌が築いたとあるが、伝承に過ぎないとコメントしていました。
せめて入り口の案内板を
さて、ここは、一度挑戦して入り口が分からなかったところです。地元の人も、「入り口が分かりにくいから」と言っているくらいで。1回目は残念ながら、迷って終わってしまいました。
ネットのお城めぐりサイトで「豊田市の指定史跡なのに標識がなく不親切」との指摘がありましたが、その通りだと思いました。
そこで、いろいろと調べてやっと入口が分かりました。まず車を停めるところは「歌石大駐車場」です。この駐車場に大きな看板があり、城山城への道が書いてありますが、これでは、ちょっと行けません。
歌石大駐車場にあった看板。城山城址に行くには「そのまんま公園」を通り過ぎていくことになっていますが、実際は道をそれて行きます。
駐車場の横の道を登りますが、すぐに階段状の山道が左手にありますので、それを登ります。
さらに分岐が続きます。
すぐに道が二つに分かれます。階段状の道を行くと「そのまんま公園」に行きます。左に細い道があり、その道に入ると、城山城にたどり着くことができます。ただし、猪除けの電線が走っていますので、これを跨いでいかなければなりません。(1回目は、猪除けを見て、これは違うと思ってしまったので、たどり着けませんでした。)
せめて、「登城口」の看板ぐらいは設置してほしいと切に思いました。