上末(かみすえ)城は、室町時代後期、尾張二宮の祀官(しかん)重松秀村の三男落合勝正が築いたそうです。勝正の子落合安親、孫の庄九郎は小牧長久手の戦いの際、秀吉側につき、池田恒興、森長可らが主導した三河岡崎への急襲作戦に参加したそうです。しかし、この三河岡崎急襲作戦は失敗し、池田恒興、森長可は、この戦いで戦死しました。落合氏はこの後、帰農し、上末城も廃城になったということです。(「日本城郭体系」9)
上末城は、国道155号線の「上末」交差点の南東にあります。周りは市街地です。西の方に小牧山城があります。これまでこのブログで登場した小牧市の城と位置関係を示すと、図のようになります。
小牧長久手の戦いの様子(赤、秀吉軍 青、家康軍)
犬山城から小牧山城まで直線距離で約10kmです
上末城航空写真(グーグルマップ航空写真より、一部加筆)
上末城は、上末交差点の南東にあります。竹藪の中に堀があるというので、入ってみました。
竹藪の中の堀と土塁
西側は段差があり、南北に切岸のようになっていました。しかし、家を建てるため後世削った感じでした。
西側の切岸のような跡
ということで、あまりはっきりしない感じですが、ここに城があったんだという雰囲気は感じました。
南に隣接して陶昌院という落合氏ゆかりの寺があったので、訪れました。
ここには、落合安親の石碑があるということです。
落合安親石碑
なお、この石碑の裏側に「平成二年五月吉日 十四代目落合保夫建立」と彫ってありました。小牧長久手で敗れた落合氏ですが、その後落合安親の孫にあたる落合新八郎が入鹿池の開拓に関わり、そのことで名字帯刀を許されたそうです。14代落合さんはその末裔と思われます。
上末城は、国道155号線の「上末」交差点の南東にあります。周りは市街地です。西の方に小牧山城があります。これまでこのブログで登場した小牧市の城と位置関係を示すと、図のようになります。
小牧長久手の戦いの様子(赤、秀吉軍 青、家康軍)
犬山城から小牧山城まで直線距離で約10kmです
上末城航空写真(グーグルマップ航空写真より、一部加筆)
上末城は、上末交差点の南東にあります。竹藪の中に堀があるというので、入ってみました。
竹藪の中の堀と土塁
西側は段差があり、南北に切岸のようになっていました。しかし、家を建てるため後世削った感じでした。
西側の切岸のような跡
ということで、あまりはっきりしない感じですが、ここに城があったんだという雰囲気は感じました。
南に隣接して陶昌院という落合氏ゆかりの寺があったので、訪れました。
ここには、落合安親の石碑があるということです。
落合安親石碑
なお、この石碑の裏側に「平成二年五月吉日 十四代目落合保夫建立」と彫ってありました。小牧長久手で敗れた落合氏ですが、その後落合安親の孫にあたる落合新八郎が入鹿池の開拓に関わり、そのことで名字帯刀を許されたそうです。14代落合さんはその末裔と思われます。
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