愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

赤岩山城址 豊橋市

2016年10月16日 10時03分53秒 | 豊橋市
10月に入り、雨が止んだと思ったら、急に涼しくなりました。朝晩は長袖でないと寒いくらいです。しかし、いい天気が続くようになりました。昨日は、絶好の行楽日和でした。
豊橋まで足を運びました。赤岩城址と船形山城址に行きました。両城とも愛知県の東の方にあります。


赤岩城
はじめに赤岩城址を訪れました。この城は、すぐ下を県道4号線が東西に走っています。また、豊橋市中心街から豊鉄が県道4号線に沿って途中まで伸びているので、この県道4号線が重要な道だったことが分かります。赤岩城は、この道を抑えるための城であると考えられます。

牧野氏関連の城
赤岩城は、いつ、だれが築城したのかはわかりません。「愛知の山城ベスト50」によれば、天文年間の吉田城攻めの際、吉田城を守っていた牧野氏の一族である牧野新次郎という武将が、法言寺(赤岩寺)に逃れてきたそうです。赤岩城は赤岩寺の後ろの山なので、牧野新次郎と赤岩城は関係がありそうです。
また、「史跡夜話」というネットの記事では、似たような話が紹介されていて、年代は享禄2年(1529)で、吉田城を攻めたのは、松平清康です。吉田城には牧野氏がいました。(ここは同じ)この時、牧野氏の一族で、牧野新次郎成勝と牧野新三郎成村という武将が、一人は牧野氏の本拠地牛久保城、他の一人はこの赤岩城に逃れたそうです。
どちらにしても、牧野氏との関係が深そうです。

赤岩寺
赤岩城址の麓の赤岩寺で車をとめさせていただきました。

赤岩寺の仁王門(山門)

赤岩寺の本堂の左隣に一対の石灯篭があります。それが赤岩城址への入り口です。

赤岩城への入り口。はじめは分からず山から下りた時に分かりました。

すぐに石の階段がありました。

赤岩城への登りの階段。勾配が強かったので、きつかったです。

辺りは公園になっていて、いくつかの道が交錯していました。「赤岩城址」という看板がないので道が多いと、かえって分かりにくかったです。ちょうど、法事が終わって戻ってこられたお坊さんが見えましたので、道を尋ねてしまいました。親切に教えていただいたので、登ることができました。目印としては、「林間広場」を目指していくと曲輪にたどり着きます。(これも後で分かったことです。)

赤岩城址イメージ

赤岩城址イメージ図。「林間広場」はイメージ図のⅢ郭にあたります。


Ⅲ郭(「林間広場」)

「林間広場」に着きましたが、ここが城址の一角なのか、城址とは別の場所なのかはじめは全く分かりませんでした。

大堀切
辺りをうろうろしていますと、ついに見つけました。大きな堀切です。

Ⅰ郭北側の堀切。左がⅣ郭、右が土塁です。

この堀切はかなり大きいです。豊橋市多米校区自治会のホームページでは幅10m、長さ30m、深さ8mだそうです。「ここを攻め込むのは困難である。」とコメントされていました。

先日福井県若狭町の「堂谷山城址」の堀切を見ましたが、あれに匹敵する大きさでした。

高い土塁
そして、その南側にこれまた大きな土塁がありました。

赤岩城Ⅰ郭北土塁

愛宕神社
山を降りるついでに愛宕神社に寄りました。

愛宕神社。岩にしがみつくように建てられていました。

展望できるところがあったので、そこから見ると、多米町の柳原団地が見えました。

愛宕神社から多米町の眺め。

お寺の奥の山城というのは先に見学した医王寺もそうでしたが、結構多そうです。

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