柏木達也は言いました
「幼稚園で習った事だけをずっと守って生きてきました」
具体的な事は失念してしまったが
記憶を掘り起こせば
“人を傷つけてはいけません”とか“女の子には優しく”とか?
とにかく、人間としての最初に教わる事だっただろうか
人間、長く生きていれば
それなりに要領を得て、上手く立ち回れるものだし
頑なな面持ちでは、生き辛い
しかし、守らなければならない事は
成長と共に増えはすれど、変わっていくものでは
ないとも思える
最近、テレビ番組がつまらない
年齢的なことも多分に影響はしているだろう
“昔はよかった”と回顧的になっているのかも
知れない
小学生時代、オモシロくて観ているテレビ番組を
オヤジたちに貶されたものだ
めぐり巡って、いま、そんな年代にいるのかも
知れない
確かにそれはあるかも知れないが
今のテレビに魅力が無くなってしまった要因の一つに
自主規制があるんじゃなかろか?
昔は許容されていた内容でも
いまの基準では作れそうにない番組が多々ある
どれが該当するのか?と問われても
即答出来ないが
確かに以前は結構無茶をしていたと
思い返すことができる
確かに、野放しになっていた昔が異常であって
いろんな権利が保証されたり、不快な思いをする人が
減るなら、改善は当然だが
やっぱ、行き過ぎはどうだろうか?と思う
また、ネットニュースでもよく見かける光景だが
苦情と紙一重のアゲアシとりも見かける
一々、小さな苦情を言うような内容じゃないだろう!って
製作者に変わって、激しく憤りを感じる時もある
色んな方面に気を使って
突っ込まれないような番組を作るもんだから
みんな同じような番組になってしまう
タレントが沢山出てきて、騒いでいるだけの番組
作り手と受け手
作る側と見る側
いいモノを見せたいと思う気持ちと
いいモノを見せてもらったと思う気持ち
ワクワクドキドキする展開を期待するのと同時に
茶の間の笑顔が思い浮かぶ
作り手にも問題があるだろうが
見ている側にも、多少なり
問題はある
窮屈な環境じゃいいものは出てこないと思う
もっとお互いに、思うことがあるはずだ
そう、柏木達也のように
「そこに愛はあるのかい?」
一週間が待ち遠しい、テレビ番組が観てみたい
「幼稚園で習った事だけをずっと守って生きてきました」
具体的な事は失念してしまったが
記憶を掘り起こせば
“人を傷つけてはいけません”とか“女の子には優しく”とか?
とにかく、人間としての最初に教わる事だっただろうか
人間、長く生きていれば
それなりに要領を得て、上手く立ち回れるものだし
頑なな面持ちでは、生き辛い
しかし、守らなければならない事は
成長と共に増えはすれど、変わっていくものでは
ないとも思える
最近、テレビ番組がつまらない
年齢的なことも多分に影響はしているだろう
“昔はよかった”と回顧的になっているのかも
知れない
小学生時代、オモシロくて観ているテレビ番組を
オヤジたちに貶されたものだ
めぐり巡って、いま、そんな年代にいるのかも
知れない
確かにそれはあるかも知れないが
今のテレビに魅力が無くなってしまった要因の一つに
自主規制があるんじゃなかろか?
昔は許容されていた内容でも
いまの基準では作れそうにない番組が多々ある
どれが該当するのか?と問われても
即答出来ないが
確かに以前は結構無茶をしていたと
思い返すことができる
確かに、野放しになっていた昔が異常であって
いろんな権利が保証されたり、不快な思いをする人が
減るなら、改善は当然だが
やっぱ、行き過ぎはどうだろうか?と思う
また、ネットニュースでもよく見かける光景だが
苦情と紙一重のアゲアシとりも見かける
一々、小さな苦情を言うような内容じゃないだろう!って
製作者に変わって、激しく憤りを感じる時もある
色んな方面に気を使って
突っ込まれないような番組を作るもんだから
みんな同じような番組になってしまう
タレントが沢山出てきて、騒いでいるだけの番組
作り手と受け手
作る側と見る側
いいモノを見せたいと思う気持ちと
いいモノを見せてもらったと思う気持ち
ワクワクドキドキする展開を期待するのと同時に
茶の間の笑顔が思い浮かぶ
作り手にも問題があるだろうが
見ている側にも、多少なり
問題はある
窮屈な環境じゃいいものは出てこないと思う
もっとお互いに、思うことがあるはずだ
そう、柏木達也のように
「そこに愛はあるのかい?」
一週間が待ち遠しい、テレビ番組が観てみたい